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観仏日々帖

古仏探訪~回想の地方仏探訪⑦ 「大阪 貝塚市 孝恩寺」 【2018.6.23】


50歳も近くなり、四半世紀ぶりに「地方仏」を訪ねた話です。


【50歳近くで、大阪に単身赴任に~たまには京都、奈良にも】


前回、ご紹介したように、若き日最後の地方仏探訪となったのは、新入社員の年に訪れた、「三重・観菩提寺の十一面観音像」でした。

それからは、仕事々々で「地方仏探訪」に出かける余裕も、その気もなくなってしまい、
「仏像とは縁遠い、忙しき仕事の日々」
を過ごすことになっていました。

50歳近くの歳になって、転勤で大阪勤務となりました。
単身赴任で、3年ほど大阪在住となりました。
奈良、京都が近くなって、休日に仕事がらみの所用がないときには、たまには古寺、古仏を訪ねてみるようにもなりました。
とはいっても、興福寺、東大寺、法隆寺といった有名寺院やその周辺を訪ねて、よく知られた仏像を懐かしく観るといったような処です。



【ある日、ふと 「孝恩寺を訪ねてみよう」 と、思い立つ】


休日のある日、ふと
「孝恩寺を訪ねてみようか」
と思ったのです。

平成10年(1998)頃のことだったでしょうか。
孝恩寺というのは、大阪府の南部、泉南と呼ばれる地域にあります。
平安前期の「異形仏」といわれる一木彫像が、沢山残されているのです。

孝恩寺・弥勒菩薩坐像
孝恩寺・弥勒菩薩坐像

孝恩寺・跋難陀龍王像
孝恩寺・跋難陀龍王像

孝恩寺・帝釈天立像
孝恩寺・帝釈天立像

この孝恩寺を、まだ一度も訪ねたことがなかったのです。

孝恩寺といえば、この春(2018年4~5月)に東京国立博物館で開催された「名作誕生-つながる日本美術展」に、孝恩寺の薬師如来立像が出展されていました。
覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

孝恩寺・薬師如来立像
孝恩寺・薬師如来立像



【異形で、個性的な平安古仏群で知られる孝恩寺】


当時、私が孝恩寺の仏像に関心、興味を持っていたのは、いくつかの本に、「注目すべき異形の仏像群」として、採り上げられていたからです。

「古仏~彫像のイコノロジー」井上正一著 (1986年・法蔵館刊)

「旅の仏たち」丸山尚一著 (1987年毎日新聞社刊)

「仏像のある風景~序説・古代美術の構造」田中日佐夫著 (1989年・駸々堂出版刊)

といった本に、

それぞれ、

「常識的な美とは別の、異様な精神の躍動が感じられてならない。」 (古仏)

「他のどの地方にも探すことのできない、日本彫刻のなかでも特異な仏像たちなのである。」 (旅の仏たち)

「きわめて個性的で、くせのある、しかも多様な造形性を示していると言える。」 (仏像のある風景)

と、述べられているのです。

「異様な精神性の、特異な仏像で、きわめて個性的でクセがある仏像群」

だというのです。

「いずれチャンスがあったら、一度、直に拝してみたいものだ。」

という気持ちがあったのです。



【四半世紀ぶりの「地方仏探訪」となった、孝恩寺】


思い立ったその日の朝、孝恩寺さんにTELして、
「一人なのですが、拝観させていただけますでしょうか?」
とお尋ねしたところ、
「ハイハイ、大丈夫ですよ、お待ちしています。」
と、快くご了解を頂戴しました。

孝恩寺の仏像は、大阪府内とはいうものの「地方仏」と云って良いものです。
若き日の最後に観菩提寺を訪ねてから、実に、25~6年ぶりに地方仏を訪ねることになったのでした。


孝恩寺は、大阪府貝塚市木積という処にあります。
大阪南部の泉南地域で、水間寺のある水間鉄道・水間観音駅から歩けば、20分ぐらいのところ、阪和自動車道・木積インターからほど近いところです。
のどかな風景の緩やかな坂道を上っていくと、小ぢんまりとしたお寺がありました。

孝恩寺への道

孝恩寺
貝塚市木積にある孝恩寺

境内に入ると、本堂の観音堂が目に入ってきます。
「釘無堂」と呼ばれ、釘を一本も使わずに建てられているそうで、鎌倉時代の建築、国宝に指定されています。

孝恩寺・本堂観音堂~釘無堂
孝恩寺・本堂観音堂~釘無堂

観音堂のそばにあるお住いの方に声をかけると、お寺の方が、仏像を安置してある収蔵庫に案内いただきました。
立派な収蔵庫です。

孝恩寺・収蔵庫
孝恩寺・収蔵庫

収蔵庫が開かれると、そこには、仏像が林立していました。
なんと、19体もの仏像群が安置されていて、全て重要文化財に指定されています。

お寺の方から、
「どうぞ、ごゆっくり拝んでください。
終わったら、声をかけてくださいね。」
とのお話で、
あとは一人でゆっくりと、じっくりと仏像を拝することが出来ました。



【得も言われぬ“気”を発散させる、不思議な空気感の仏たち】


明るい照明の中で、平安前期と思われる一木彫像が、立ち並ぶ有様は壮観そのものです。

ひと回り、ぐるりと目をやると、ほとんどが2メートル前後の像高の、木地の一木彫像です。
何とも言えない不思議な空気感が、全体に漂っているように感じました。
造形表現のタイプはいろいろ違うのですが、それぞれに強い個性を発散させています。

「美しい、きれい、整った」というような言葉とは、はるかに縁遠い造形表現です。
「クセのある、アクの強い」異形の仏像ばかりです。
一般的には、出来が良くないとか、田舎風とか言われてしまうのかもしれません。
そんな出来の良し悪しとは次元のちょっと違う、異質な存在感を感じるのです。

このような感覚について、安藤佳香氏は、こう語っています。

「各像ごとに作風が異なり、それぞれが独自の世界を表現している。
それにもかかわらず、明らかに通底する不可思議な空気をまとっている。
孝恩寺の木彫群に囲まれていると、不協和音の奏でる和音の中に身を置いているような気分になる。
これは不思議な体験だ。」
(「魅惑の仏たち~大阪・孝恩寺の木彫群」佛教大学主教文化ミュージアム資料集2013刊)

あの時、私が受けた感覚を、ぴったりと言い当てているようです。
言葉を言い換えると、

「得も言われぬ、ズーンと押し寄せるような“気”を発散する仏像たち」

が、そこに立ち並ぶというのでしょうか。



【とりわけ強烈なインパクトを感じた、3躯の仏像】


なかでも、強い“気”を発散させているようなインパクトを感じたのは、

弥勒菩薩像、跋難陀龍王像、十一面観音像

と、呼ばれている像でした。


弥勒菩薩像は、
ズシリと腹にこたえるようなパワー、底力といういうものを強く感じます。

孝恩寺・弥勒菩薩像

孝恩寺・弥勒菩薩像
孝恩寺・弥勒菩薩像

一見、素朴とか武骨といった感じがするのですが、内に籠められたオーラのようなものが、むくむくと頭をもたげて、“気”を発散させているようです。
左右不均衡に歪んだ大きな目鼻立ちは、土着的、土俗的な怪異さを示す面相です。
過度ともいえる厚みのボリューム感なども、存在感と迫力を増しているようです。

孝恩寺・弥勒菩薩坐像
厚み、ボリューム感あふれる孝恩寺・弥勒菩薩像側面


跋難陀龍王像は、
気迫のみなぎった強烈なオーラを発散しています。

孝恩寺・跋難陀龍王像
孝恩寺・跋難陀龍王像

「強い意志力、恐ろし気な緊張感、厳しい精神性」

そんな修飾語がフィットしそうです。
鋭く長い眼、キリリと固く結んだ口元は、怖いような気合に満ちています。

孝恩寺・跋難陀龍王像
鋭く怖いような顔貌の孝恩寺・跋難陀龍王像

刃物のように切れ味鋭く、深くえぐられた彫り口にも、何か尋常ではないものを感じさせ、圧倒されます。

孝恩寺・跋難陀龍王像
切れ味鋭い彫り口の跋難陀龍王像の衣文


十一面観音像は、
数少ない漆箔の像ですが、これまた特異な情感を表出しています。

孝恩寺・十一面観音像

孝恩寺・十一面観音像
孝恩寺・十一面観音像

強く唇を結び、への字に曲げた口元が、頑ななまでの意志力を示しているようです。
柔らかみとか情緒とかとは無縁の、硬質感、剛直感が際立った顔貌に、不思議なインパクトを感じざるを得ません。



【行基ゆかりの杣村であった木積の地~奈良時代に遡る像もあるのか?】


これらの仏像群は、行基の創建と伝えられる木積・観音寺に伝来したもので、その観音堂が孝恩寺観音堂として残されているということです。
20体ほどの仏像は、近隣の古仏が集まってきたものかもしれないと想定されているようです。

大変興味深いのは、孝恩寺のある木積の地が、行基にかかわる木材供給地、杣村であったということです。
行基は和泉の国の出身で、この貝塚・木積の地は、河内の地に生まれた行基にとって、土木や造寺造仏などに必要とした木材の集積地、すなわち兵站基地であったに違いありません。

孝恩寺の仏像は、一般には平安前中期の地方的作風の一木彫とされているのですが、このような行基ゆかり地という関わりから、奈良時代の制作に遡る木彫像ではないかとする考え方も、それなりにあるようです。


制作年代がいつかという話はさておいて、孝恩寺の仏像たちを観れば観るほどに、何とも言えない異形の造形が発する、強い精神性とか霊威感をひしひしと感じました。
どこかアンバランスな造形なのですが、それぞれが強い個性を主張するような“気”を発散させているのです。
惹き付けられるものがありました。

ふらりと、休みの日に出かけた孝恩寺でした。
ところが、想定外に、その迫力に「ガツン」とやられたような衝撃を受けたのでした。



【蘇ってきた、若き日最後の地方仏探訪の記憶~観菩提寺・十一面観音像の衝撃】


そんな“気”の漂う空気感の、お堂の中に身を置いていると、

「若き日最後の地方仏探訪で“物凄い気”を発散する仏像に、衝撃を受けた思い出」

が、ふつふつと蘇ってきました。

観菩提寺の十一面観音像を拝した時のことです。

観菩提寺・十一面観音像

観菩提寺・十一面観音像
三重 観菩提寺・十一面観音像

観菩提寺・十一面観音像を拝して、

「得も言われぬ物凄い“気”、デモーニッシュなオーラ」

に衝撃を受けてから、もう四半世紀余も経っています。
それから、長らく、仏像探訪からは全く縁遠い日々を過ごしていましたので、そんなことは全く忘れ去ってしまっていたのです。

ところが、孝恩寺の仏像の発する「強い“気”」を感じていると、遠くはるかに忘れ去っていた記憶が、蘇ってきたのでした。
若き日最後の観仏で、強烈な衝撃を受けた興奮が、心の中のどこかに「埋火」のように、くすぶり続けていたのでしょうか。



【忘れていた、地方仏探訪への情熱を呼び醒ましてくれた、孝恩寺の仏たち】


孝恩寺の異形の仏像たちに出会って、消え去っていた「個性あふれる地方仏と出会う感動」が、四半世紀を経て繋がったような気持ちになりました。

あの、観菩提寺・十一面観音の遠い記憶が、呼び醒まされて、

「また、地方仏探訪に出かけてみたい。」
「個性あふれ、インパクトある地方仏に出会ってみたい。」

そんな思いが、強く強くこみ上げてきたのでした。

仏像探訪とは縁がなくなってから、長らくの年月が経ってしまい、

「もう仏像探訪、仏像愛好の世界に戻るようなこともないのだろうな。」
「齢をとっても、地方仏探訪に出かけるということも、きっとないのだろう。」

と、なんとなく思い込んでいました。

ふと思い立って出かけてみた、孝恩寺での感動が、仕事々々で、全くご無沙汰であった私を、仏像愛好の世界に引き戻してくれ、仏像探訪への情熱を蘇らせてくれたように思います。

「いずれの時か、時間の余裕ができるようになったら、地方仏探訪に出かけてみよう。」

そんな思いを強く感じて、孝恩寺を後にしたのでした。



現実に、地方仏探訪に出かけ始めるようになるのは、それから5~6年先になってからのこととなるのですが、若き日の地方仏探訪の情熱を蘇らせてくれ、再び仏像探訪に熱を上げるようになった大きなきっかけとなった、孝恩寺探訪でした。


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