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観仏日々帖

古仏探訪~回想の地方仏探訪③  「岩手 水沢・黒石寺」  【2018.4.28】


黒石寺の薬師如来像。

50年近く前、その魁偉な異貌を、眼の前に拝した、強烈なインパクトと感動は、今もこの眼に焼きつき忘れられません。

はじめての地方仏探訪旅行で、

「黒石寺の薬師像と出会ったこと。」

これが、私を地方仏巡りの世界に誘い込んだ、そして、その魅力にハマってしまった、記念碑的な出会いであったと思います。

黒石寺・薬師如来像(貞観4年~862年銘・重要文化財)

黒石寺・薬師如来像(貞観4年~862年銘・重要文化財)
黒石寺・薬師如来像(貞観4年~862年銘・重要文化財)



【みちのく地方仏の代表格、貞観4年銘のある黒石寺・薬師像】


ご存知の通り、黒石寺の薬師如来像は、貞観4年(862)の墨書銘が残されています。

我国9世紀平安初期彫刻の中で、唯一の年紀の記された在銘像です。
何故だか、東北みちのくの辺境の地に遺されているのです。

それよりも何よりも、注目されたのは、都の仏像とは全く違う、威嚇的で恐ろし気な特異な容貌をしていることでした。
まさに「みちのくの地方仏」の代表格として語られる平安古仏です。



【お寺を管理する渡辺さん宅に泊めていただいた、黒石寺探訪】


黒石寺を訪ねたのは、昭和46年(1971)の8月のことです。

当時は、黒石寺はご住職がいない無住のお寺で、お寺のそばにお住いの渡辺熊治さんが管理をされているとのことでした。
教育委員会から、そのように教えてもらいました。

渡辺さんのお宅にご連絡をして、拝観のお願いをしました。

「前日、水澤駅あたりの宿に泊まって、10人ほどで、朝一番でそちらへ伺いたいと思っているのですが・・・・」

「へえー、学生さんたちで、関西からわざわざやってくるの?
ここまでのバスも一日何本もないから、そういうことなら、皆で我が家に泊まったらどうですか。
是非、そうすれば良いよ。」

「本当に泊めていただいてよろしいのですか。
それでは、お言葉に甘えて・・・・・・」

こんな具合で、厚かましくも、渡辺さんのお宅に泊めていただくことになったのでした。

黒石寺は、岩手県奥州市水沢区黒石町という処にあります。
水沢の駅から、一日2~3本しかないバスに乗って黒石寺に向かいました。
バスに30分ほど乗って、黒石寺に到着したのは、もう夕暮れ時だったように思います。

渡辺熊治さんのお宅は、黒石寺のすぐそばにありました。
大きなお宅でした。
10人ほどの大勢で押し掛けたにも関わらず、ご家族の方には、本当に心づくしのお世話になってしまいました。
夕飯まで用意いただいて、都会から来た学生だということで、ハムエッグやカツなどをわざわざ作っていただいたように覚えています。

お世話になった渡辺熊治老
お世話になった 渡辺熊治 老
お寺を管理されている熊治さんは、「みちのくの古老」といった感じで、7~80歳ぐらいのおじいさんに見えました。
地元では、「熊んつぁん」と呼ばれているようです。
「熊んつぁん」から、いろいろと話しかけられるのですが、生粋の東北なまりで、何を言っているのかほとんどわからないのには往生しました。

黒石寺の昔話などを、いろいろ聞いたように思います。
そのうちに「熊んつぁん」が、大きな声で
「〇×△~~ 〇×△~~」
と何度も話すのですが、何を言われているのかサッパリわかりません。
どうしたらいいのかドギマギしていると、お嫁さんがやってきて、
「お爺さんが、お風呂に入れ、と言ってるんですよ」
と教えてくれました。

見ず知らずの学生たちに、心温まる歓待をいただきました。
大変な面倒をおかけしてしまったのですが、只々、渡辺家の皆さんに甘えるだけで、何のお礼もせずに、タダ乗りしてしまったように思います。
学生とはいえ、あまりに常識のないことで、振り返ると恥ずかしきばかりです。



【朝陽降り注ぐなか、魁偉・異貌の薬師像と対面~発散するオーラに衝撃的インパクト】


翌朝、「熊んつぁん」に伴われて、黒石寺に向かいました。

真夏でも、早朝は、ひんやり清々しさが漂っています。
朝陽が降り注ぐ中、朝露に濡れた夏草をかき分け踏みしめて、階段を上ります。
薬師堂の隣に、コンクリート造りの収蔵庫があり、薬師如来像はそこに祀られていました。

黒石寺・薬師堂
黒石寺・薬師堂

薬師如来像が安置される、黒石寺収蔵庫
薬師如来像が安置される、黒石寺収蔵庫

「熊んつぁん」が、錠前に鍵を入れてガチャリと開け、鉄の扉がギーッと開かれました。
黒ずんだ姿で、堂々たる体躯の薬師如来像が眼に入ってきました。

黒石寺・薬師如来像
堂々たる体躯の黒石寺・薬師如来像

強烈なインパクトです。
なんといっても目を見張るのは、特異な顔貌です。

「荒々しく大粒の螺髪、目尻の強烈に吊りあがった厳しい眼、尖るように突き出した唇。」

尋常ではない、怖い顔です。

黒石寺・薬師如来像
威嚇的で魁偉な顔貌の黒石寺・薬師如来像

人を威嚇するような恐ろしげな顔で、周囲を畏怖するのに充分な面貌です。
こんな顔で睨まれると、本当に、足がすくんでしまいそうです。
呪術的というのでしょうか?魔力的というのでしょうか?
異様なオーラとしか言いようがありません。

この薬師如来像が「魁偉な異貌」であることは、写真を見て、一応は判っていた筈だったのです。
でも、本物を直に眼前に拝した驚きは、そんなものではありませんでした。
その姿は、イメージをはるかに超えた、衝撃的なものでした。
発散する迫力がビンビンと伝わってきて、その場に立ち尽くしてしまいました。

昭和46年訪問時に撮影した黒石寺・薬師像の写真

昭和46年訪問時に撮影した黒石寺・薬師像の写真

昭和46年訪問時に撮影した黒石寺・薬師像の写真
昭和46年訪問時に撮影した黒石寺・薬師像の写真
この迫力に感激しました



【「蝦夷を威嚇する守り神として造られた薬師像」という話に、心より共感】


こんな、都にはみられない威嚇的な顔貌の仏像が、みちのくの地で造られた訳は、このように考えられているということです。

「当時、東北の開拓にあたり、蝦夷と厳しく対峙した人たちが、その前進基地において、その脅威に立ち向かい、蝦夷を威嚇する頼りになる仏像を、守り神として造ったに違いない。
黒石寺のある地は、陸奥の国府よりまだ北辺、前進基地の胆沢城のすぐ近くに位置する。
それ故に、誰もが畏怖するような、恐ろし気な容貌の仏像を造ったのだ。」

この薬師像のお顔を観ていると、この話が、本当に真に迫ってきます。
この地の開拓にあたった人々が、いかに蝦夷を恐れ、ひたすら神仏の加護に頼り、戦々恐々とした毎日を送っていたかが判るような気がしてきました。

厳しいみちのくの地の切羽詰まった限界状況の中で、この黒石寺の
「蝦夷に対する恐怖を振り払い、威嚇する仏像」
にひたすら安寧を祈った人々の姿が、思い浮かぶようです。

このような造像背景というのが、真実なのかどうかは判りません。
しかし、この魁偉で威嚇的な薬師像の前に立ち、みちのくの辺北の地に、何故、特異で魁偉な顔貌の薬師像がつくられたのかに思いを致すとき、
私たちは
「なるほど!そうに違いない!」
と、心よりの共感、深い感動を覚えたのでした。



【忘れ得ぬ感動と感激~地方仏の魅力に引き込まれる】


奈良、京都の見事な造形の美しい仏像しか観たことがなかった私には、衝撃的な出会いでした。
粗野というのか、決して上手い出来の仏像という訳はありません。
そんなこととは関係なく、発散するオーラはものすごくて、強烈なインパクトに圧倒されてしまいました。

感動しました。感激しました。

東北、みちのくの地まで訪ねて来て、「熊んつぁん」のお宅に泊めていただいて、早朝、朝陽降り注ぐ中で薬師像を拝したというシチュエーションも、黒石寺・薬師像との出会いの感動を、大きく増幅したのかもしれません。

このみちのくの辺北の鄙の地に、この仏像があったからこそ、その凄さに惹き込まれてしまったのでしょう。

もし、この仏像に、奈良と京都で出会っていたら、
「造形バランスが崩れ気味の、出来の悪い、気味悪い顔の仏像」
としか、感じなかったのかもしれません。

これこそが、「地方仏の魅力」と云って良いものなのでしょう。



【地方仏巡りにハマる、「記念碑的出会い」となった黒石寺・薬師像】


黒石寺の薬師像と出会って、「生きている仏像」「風土と共に生きる仏像」といった言葉が、心の中を駆け巡りました。
この感動の出会いが、地方仏の魅力にハマってしまう「心の原点」になっているように思います。
その後、私たちは、全国各地の地方仏探訪旅行に、せっせと出かけることになるのですが、私にとって、
そのエネルギーの原点は、
「『熊んつぁん』宅に泊まって、朝陽降り注ぐ中、黒石寺・薬師像に出会ったこと。」
であったように思います。

まさに、「記念碑的出会い」となったのでした。


薬師如来像のほかには、同じ収蔵庫に祀られる永承2年(1047)の墨書銘がある伝慈覚大師像や、薬師堂の古様でアクの強い四天王像などを拝しました。
四天王像も、これまた惹き付けるオーラのようなものを、強く発散していました。

黒石寺・四天王像(昭和46年探訪時に撮影)

黒石寺・四天王像(昭和46年探訪時に撮影)
薬師堂に祀られる黒石寺・四天王像(重文)~昭和46年探訪時に撮影
本尊薬師像と同時期の制作ともみられている


朝早くからの拝観でしたが、アッという間に数時間が経ってしまいました。
まもなく、乗り逃がせないバスが来てしまいます。
お世話になった、渡辺熊治老とお家の方々に、心よりの感謝をしつつ、後ろ髪を引かれる様な気持ちで、黒石寺を後にしたのでした。



【見違えるようにきれいで立派になった黒石寺~30余年後の再訪】


黒石寺を再訪したのは、それから30余年後のことです。
その後は、何度か、この薬師像に出会いに、この地を訪ねました。

黒石寺に到着して、目に入る風景が、様変わりになっているのには、ビックリしました。
はじめて訪れた時、草がぼうぼうと生い茂り、ちょっと荒れたお寺のようになっていたのがウソのようです。

立派な寺観に整備された黒石寺
立派な寺観に整備された黒石寺

大型バスが何台も止ることができる大きな駐車場が整備されており、門前には、立派な茶店が建てられて、土産物なども並べられています。

黒石寺の門前にある茶店・土産物店
黒石寺の門前にある茶店・土産物店

お堂に向かう石段や、境内も、見違えるように整備されていました。
黒石寺の蘇民祭も随分有名になりましたし、みちのく古寺巡りの観光スポットになっている様子です。

私たちが初めて訪れた頃、昭和40年代の黒石寺の風景の写真を見つけました。
「写真でたどる奈良国立博物館のあゆみ」(2015年・奈良国立博物館刊)に、たまたま昭和40年代の黒石寺の写真が掲載されていたのです。

昭和40年代の黒石寺の様子~「写真でたどる奈良国立博物館のあゆみ」(2015年・奈良国立博物館刊)掲載
昭和40年代、我々が訪れた頃の黒石寺の様子の写真
茫々の草叢で、少し荒れた様子が伺える
「写真でたどる奈良国立博物館のあゆみ」(2015年・奈良国立博物館刊)掲載写真


現在の黒石寺の景観~昭和40年代写真と同じ場所を撮影

現在の黒石寺の景観~昭和40年代写真と同じ場所を撮影
現在の黒石寺の景観~昭和40年代写真と同じ場所を撮影
昔とは見違えるよう


ご覧いただくと、あまりの様子の違いに、驚かれるのではないかと思います。

今は、女性のご住職がいらっしゃって、拝観の案内、ご説明をいただきました。
大変、気さくで、歯切れのよい方で、いろいろお話を伺いました。
当地のご出身で、東京の大学を卒業し、昭和50年代からご住職をつとめられてということです。
「熊んつぁん」のことも、よく覚えていらっしゃいました。

薬師如来像も、ゆっくりと拝観させていただきました。


魁偉な顔貌の薬師如来像の前に座って、その姿を拝していると、

「若き日の、記念碑的出会い」

の感動が、なつかしく思い出深く、蘇ってきました。


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