観仏日々帖

こぼれ話~奈良の仏像写真家、「鹿鳴荘」永野太造氏のこと [その1]  【2017.8.20】


仏像写真家、永野太造氏と「鹿鳴荘」のことを、振り返ってみたいと思います。

永野太造(ながのたぞう)氏は、戦後活躍した、奈良の仏像写真家です。
飛鳥園の小川晴暘、光三氏や、入江泰吉氏ほど著名ではありませんが、奈良在住の仏像写真家としてはよく知られた存在でした。

鹿鳴荘店主・永野太造氏
仏像写真家・鹿鳴荘店主~永野太造氏

奈良六大寺大観「西大寺」、大和古寺大観「不退寺」「浄瑠璃寺」の仏像写真や、淡交社刊行の「古寺巡礼シリーズ」(昭和54年・1979)の掲載写真などは、永野太造氏の撮影によるものです。
永野氏撮影者写真を、いくつかご覧ください。

西大寺・四仏坐像(宝生如来像)~奈良六大寺大観第14巻「西大寺」掲載写真
西大寺・四仏坐像(宝生如来像)~奈良六大寺大観第14巻掲載写真

西大寺・四天王像(増長天邪鬼)~奈良六大寺大観第14巻「西大寺」掲載写真
西大寺・四天王像(増長天邪鬼)~奈良六大寺大観第14巻掲載写真

浄瑠璃寺・九体阿弥陀仏像(中尊)~大和古寺大観第7巻掲載写真
浄瑠璃寺・九体阿弥陀仏像(中尊)~大和古寺大観第7巻掲載写真

浄瑠璃寺・吉祥天像~大和古寺大観第7巻掲載写真
浄瑠璃寺・吉祥天像~大和古寺大観第7巻掲載写真

ちょっと年配の方には、「奈良博前の鹿鳴荘店主・永野太造」といった方が、馴染みがあるのかもしれません。



【仏像写真と茶店で親しまれた、奈良博前「鹿鳴荘」】


奈良国立博物館「なら仏像館」の東玄関を出たところの傍に、「鹿鳴荘」という茶店があります。

奈良国立博物館・なら仏像館~向かって正面右傍に「鹿鳴荘」がある
奈良国立博物館・なら仏像館~向かって正面右傍に「鹿鳴荘」がある

現在の「鹿鳴荘」~飲み物・土産物を求める観光客で賑わう
現在の「鹿鳴荘」~飲み物・土産物を求める観光客で賑っている

今は、ソフトクリームとか飲み物を売るスタンドのようなお店となっていて、店の前はいつも修学旅行の学生たちで大賑わいです。
この店の屋号が「鹿鳴荘」というのだ、というのを知っている人は、段々少なくなっているのではないでしょうか。

この「鹿鳴荘」、その昔は、仏像写真を販売する店で、茶店も兼ねていました。
永野太造氏は、「鹿鳴荘」の店主で、自身が撮影した仏像写真を販売していたのでした。

2006年当時の鹿鳴荘の外観
2006年当時の鹿鳴荘の外観~仏像写真を販売していた頃が偲ばれる

掲げられていた「鹿鳴荘」の扁額
掲げられていた「鹿鳴荘」の扁額

当時、奈良国立博物館に行った帰りに、「鹿鳴荘」に寄ってみたことを、懐かしく思い出される方も多いのではないでしょうか。

私の若い頃には、壁には、額に入れた立派な仏像写真パネルが沢山飾られており、手前の台には、木枠の格子の中の一つひとつに、手札型くらいの仏像写真が、ぎっしりと並べられていました。

鹿鳴荘の中の壁面に掲げられた仏像写真パネル
鹿鳴荘の中の壁面に掲げられた仏像写真パネル

私も、何度か、そのなかから仏像写真を購った思い出があります。
永野太造氏、ご本人が、応対に出られていたこともありました。

私が鹿鳴荘でかつて購入した仏像写真
私が鹿鳴荘でかつて購入した仏像写真

仏像写真の販売は、永野太造氏が平成2年(1990)に没した後、しばらくは続けられていましたが、その後、閉じられてしまい、「鹿鳴荘」は現在のような姿になっています。



【今では、無くなってしまった仏像写真専門の販売店】


近代奈良で、「仏像写真家が経営する写真販売店」で知られた店と云えば、

・明治大正年間では、工藤精華(利三郎)の「工藤精華苑」

・大正末年開業の、小川晴暘の「飛鳥園」

・明治年間開業で、戦後、永野太造が店主となった「鹿鳴荘」

の三つの名が、挙げられるのではないでしょうか。

残念ながら、現在も仏像写真販売の店として営業している処はありません。

「飛鳥園」の「仏像写真ギャラリー」という立派な写真販売ショップは、最近まで営業していたのですが、一昨年、2015年11月に、とうとう閉店となってしまいました。

閉店となった「飛鳥園仏像写真ギャラリー」
閉店となった「飛鳥園仏像写真ギャラリー」

仏像写真の「飛鳥園」の事業は、現在も変わりなく営業されているのですが、写真販売のショップギャラリーは閉じられたということです。
NETの画像などが簡単に検索出来てしまう現代では、「仏像写真の販売」という商売は、なかなか需要が無くなってしまっているのでしょう。



【採り上げた本が見つからなかった、鹿鳴荘・永野太造氏の話】


工藤精華、小川晴暘、入江泰吉をはじめとする「奈良の仏像写真家」の話は、以前に、神奈川仏教文化研究所HPの「埃まみれの書棚から~奈良の仏像写真家たちと、その先駆者」という連載で採り上げ、紹介させていただいたことがあります。

その中で、「鹿鳴荘・永野太造氏の話」も採り上げたのですが、その時は、残念ながら詳しくご紹介することが出来ませんでした。
永野氏の足跡や、その人についてふれた文章、資料などが、見当たらなかったのです。
少し調べてみたのですが、見つけることが出来ませんでした。。

何とか永野氏のことについて知りたいと、6~7年前に、「鹿鳴荘」を訪ねて、

「永野太造氏のことを知りたいのですが、教えていただけませんでしょうか?」

とお願いをしてみましたら、太造氏の次男の方から、鹿鳴荘の歴史と永野太造氏が仏像写真家となったいきさつや、父君の思い出話を聞かせていただくことが出来ました。

その時にお聞きした話は、HP「奈良の仏像写真家たちと、その先駆者~(6)鹿鳴荘 永野太造」の項で、紹介させていただいた通りです。

その折にも、ご子息から
「父君は、平成2年(1990)、68歳で亡くなったが、太造氏について書かれたものは、何も残されていない。
残された写真をせめてデジタル映像化して残しておきたいと思っているが、手が付けられていない。」
と、お聞きしました。

この話をお聞きしたとき、
「残念なことながら、時代はどんどん変わり、移ろい行くものだなあ・・・・
『仏像写真家・永野太造』のことも、『仏像写真の鹿鳴荘』のことも、だんだん忘れ去られていくのだろうか?」
と、寂しい気持ちになった記憶があります。



【帝塚山大学に寄贈された「永野太造写真資料」~記念展覧会もいくつか開催】


一昨年の暮れ、2015年12月のことです。
「仏像写真家・永野太造展」ポスター~2015.12開催
「仏像写真家・永野太造展」ポスター~2015.12開催

こんな展覧会ニュースが目にとまりました。
「仏像写真家・永野太造展」
が、奈良県文化会館で2日間(12/12~13)だけ開催されるというのです。

「どうしてこんな展覧会が?」

とビックリしたのですが、

なんと、
「帝塚山大学に、永野太造氏撮影の写真ガラス乾板、約7000枚が寄贈されることになった」
ということです。

これを記念して、写真作品とガラス乾板を展示する展覧会の開催となったのでした。

「これで、永野太造氏の写真原版が、散逸したり失われたりせずに、長らく守られることになった。」

と、ホッとしたというか、嬉しい気持ちになりました。

奈良県文化会館での「仏像写真家・永野太造展」開催風景
奈良県文化会館での「仏像写真家・永野太造展」開催風景


このガラス乾板の寄贈、記念展覧会の開催を契機に、「奈良の仏像写真家、永野太造」を回顧する展示会などが、立て続けに開催されています。

「永野太造展―永野鹿鳴荘ガラス乾板資料を中心に―」  2016年12月(帝塚山大学付属博物館)

「永野太造作品展―草創期の奈文研を支えた写真家―」  2017年5月(平城宮跡資料館)

「永野太造展―永野鹿鳴荘ガラス乾板資料を中心に―」ポスター~2016.12開催「永野太造作品展―草創期の奈文研を支えた写真家―」ポスター~2017.5開催


また、帝塚山大学の服部敦子氏による、永野太造氏の業績や軌跡をたどる講演会の開催、論文発表なども行われました。

講演会「写真家・永野太造氏の軌跡」  永野太造展記念講演会2015.12.12

論文「永野太造氏撮影ガラス乾板資料の寄贈経緯とその資料性について」(服部敦子)  帝塚山大学付属博物館報11号2016.3


これまで、業績などについて振り返られた資料がなく、

「このまま忘れ去られてしまうのだろうか?」

と思っていた、永野太造氏でしたが、これらのイベントなどを契機に、思わぬスポットライトがあてられることになりました。
「写真家としての軌跡」について随分明らかになり、知ることが出来ました。

そこで、現在判る範囲で「鹿鳴荘のこと」「永野太造氏のこと」について、振り返っておきたいと思った次第です。
HP連載「奈良の仏像写真家たちと、その先駆者」の「永野太造氏についての追加編」としてご覧いただければ有難い処です。



【明治30年、奈良帝国博物館前の茶店として開業した「鹿鳴荘」】


まずは、「鹿鳴荘」の歴史を振り返ってみたいと思います。

「鹿鳴荘」は、明治30年(1897)に、現在の地に開業したようです。
奈良帝国博物館が開館したのは明治28年(1895)のことですから、その2年後、博物館の指定によって博物館公園内に茶店として建てられたということです。

明治28年開設時の奈良帝国博物館
明治28年開館当時の奈良帝国博物館

永野太造氏は、「鹿鳴荘」の三代目主人です。
初代、二代目は写真家ではありませんでしたが、茶店と併せて、仏像写真の販売や古美術関係の本の出版なども手掛けていたようです。



【大正末年の「鹿鳴荘の有様」を偲ぶ、古い小冊子~「目録」】


最近、たまたま、こんな珍しい冊子を、古書店で手に入れました。
大正年間の「鹿鳴荘」の取り扱い販売目録で、42ページの冊子となっています。

「目録 古美術写真及図書類 第1回 奈良博物館苑内  鹿鳴荘」

という標題で、大正14年(1924)年に発刊されています。

永野太造氏が店主となる前、二代目の頃のものです。
冊子の表紙、写真目録の一部などをご覧ください。

大正14年頃発刊の鹿鳴荘・古美術写真及図書類目録
大正14年頃発刊の鹿鳴荘・古美術写真及図書類目録

鹿鳴荘・古美術写真及図書類目録の目次
鹿鳴荘・古美術写真及図書類目録の目次

古美術写真(仏像の焼付写真)の目録ページ(497種類掲載)
古美術写真(仏像の焼付写真)の目録ページ(497種類掲載)

奈良帝室博物館発行コロタイプ写真の目録ページ(種類掲載)
奈良帝室博物館発行コロタイプ写真の目録ページ(125種類掲載)

鹿鳴荘の宣伝、来店促進するページ
鹿鳴荘の宣伝、来店促進するページ

古美術写真(仏像の焼付写真)は、497種類
奈良帝室博物館発行コロタイプ写真は、125種類
目録掲載されています。
他には、仏教美術関係の図書の販売取扱も行っていたようです。
販売していた仏像焼付写真については、当時は店主が写真家ではなかったはずなので、どなたかの撮影のものを販売していたのでしょう。

いずれにせよ、大正年間の終わりには、「茶店兼古美術写真販売」という営業スタイルが確立されていたようです。



【その2】では、永野太造氏が鹿鳴荘店主となり、仏像写真家としての地歩を築いていく足跡を辿っていきたいと思います。


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