観仏日々帖

こぼれ話~「広島・古保利薬師堂、薬師坐像の手」仏像の手の話⑥  【2017.6.18】


【忘れ得ぬ「貞観の手、貞観の指」との出会い】


この手を初めて見た時、思わず、その魅力に惹き込まれてしまいました。

広島県の山中にある古保利薬師堂の薬師如来像の手です。

古保利薬師堂・薬師像の右手(昭和46年夏、初めて訪ねた時の撮影)

古保利薬師堂・薬師像の左手(昭和46年夏、初めて訪ねた時の撮影)
古保利薬師堂・薬師像の手~右手(上)、左手(下)
(昭和46年夏、初めて訪ねた時の撮影写真)


ご覧の「手の写真」は、初めてこの薬師像に出会ったときに、撮った写真です。

薬師像を拝すると、まず、グッと突き出した大きな手のひらが、目に飛び込んできます。
その手から発散するエネルギッシュなパワーに、まずもって圧倒されてしまいました。

グッと突き出した大きな右手に圧倒される古保利薬師堂・薬師像
拝すると、グッと突き出した大きな右手に圧倒される古保利薬師堂・薬師像

なんとも分厚い手のひら、太い指です。

「逞しく、頼もしく、力強く」

こんな修飾語がぴたりとあてはまるようです。

「凄い、貞観の手だ、貞観の指だ!」

と、すっかりその手の魅力の虜になってしまいました。

そんな興奮を覚えたのは、もう45年も前のことです。
昭和46年(1971)の夏、二十歳過ぎの学生時代に、はじめて古保利薬師堂を訪ねた時のことでした。



【苦労して訪ねた、広島の山間にある古保利薬師堂】


「古保利薬師堂? 聞いたことのないお寺だな。」

という方も、いらっしゃるのではないかと思います。

地方仏探訪をされたことがある方は、よくご存じなのではないでしょうか。
魅力あふれる平安古仏群が残されていることで、山陽方面の地方仏行脚では、必見度ナンバーワンといってもよいところかと思います。

古保利薬師堂は、広島県山県郡北広島町という処にあります。

広島市から北の方の山間部にあって、もうすぐ島根県との県境という鄙の地です。
私が学生時代、同行のメンバー数人でここへやってきたときは、広島駅からバスに乗って2時間もかかりました。
「八重」という名のバス停で降りて、お堂のある小高い森までトボトボ歩いて、やっとこさで行きついた覚えがあります。

今では「中国縦貫道の千代田インターから5分で到着」しますので、あの頃、苦労して訪ねたことが夢のようです。



【「豊かで、おおらか」地方仏の魅力満点の薬師像~平安前期の優作】


古保利薬師堂は、村の人々で管理されている無住のお堂でした。

昭和30年代の古保利薬師堂参道

昭和30年代の古保利薬師堂本堂
昭和30年代の古保利薬師堂参道と本堂

案内いただいた方によって、薬師如来像が祀られるお厨子が開かれた時、真っ先に目に飛び込んできたのが「この手」という訳です。

厨子が開かれると、真っ先に目に飛び込んでくる、逞しき右手((昭和46年夏、撮影)border=
お厨子が開かれると、真っ先に目に飛び込んでくる、逞しき右手
((昭和46年夏、撮影写真)


「逞しき手」に、釘付けになってしまったのでした。

薬師如来像の姿は、ご覧のとおりです。

古保利薬師堂・薬師如来坐像
古保利薬師堂・薬師如来坐像

一言で云えば、

「なんといっても、豊かなボリューム感が魅力!」

という表現に尽きるように思います。

「丸々と太った顔、大きな眼、彫りの深い衣文、はち切れるような量感」

で、観るものを惹き付けます。

古保利薬師堂・薬師如来坐像~丸々と太った顔、大きな眼が印象的
古保利薬師堂・薬師如来坐像~丸々と太った顔、大きな眼が印象的

平安前期の堂々たる優作と云って、間違いありません。
平安前期の像と云うと、

「緊張感ある迫力、強烈な個性や森厳さ、霊威的なオーラ」

このような言葉で形容されるイメージがあるのですが、この古保利薬師堂の薬師像は、そうした気合を入れた緊張感といったものを感じさせません。

「明るくおおらかで伸びやか、豊かで頼もしい」

そんな言葉が似つかわしいのです。

古保利薬師堂・薬師如来坐像~おおらかで伸びやか、豊かな造形
古保利薬師堂・薬師如来坐像~おおらかで伸びやか、豊かな造形

山陽地方の穏やかな気候に相応しく、土地の人々の豊穣の喜びがそのまま吹き込まれたような息吹を感じてしまうのです。

「これぞ、地方仏の魅力そのもの!」

といって良いのではないでしょうか。

そんな魅力の極め付けが、「肉付きの良い、頼もしい手」という訳です。



【専門家、評論家も「薬師の手」を絶賛】


古保利薬師堂を訪れた専門家や評論家の方々も、この「薬師如来の手」に、強く惹きつけられるものを感じられたようです。

その著作の中で、「手の魅力」を語っている文章を、ご紹介したいと思います。

地方仏の紹介者として知られる丸山尚一氏は、このように語っています。

「本尊の薬師如来像は坐高124㎝、仏像としてそれほど大きな方ではないが、その豊かな量感が坐高以上の大きさを感じさせる。
・・・・・・・・・
こんな大きな眼の仏像が、他にあるだろうか。
ぼくは見たことがない。
また、その大きな右手を見たまえ。
仏の手というより、仏を作る職人の力強い手だ。」
(「生きている仏像たち~日本彫刻風土論」1970年読売新聞社刊)

観る人を魅了し、惹きつけてやまない古保利薬師像の右手
観る人を魅了し、惹きつけてやまない古保利薬師像の右手


日本彫刻史研究の大御所、久野健氏の解説です。

「顔も、体躯も丸々と肥満しているところは、天平時代でも古い頃の様式が残っており、さらに唇に古式の微笑をたたえているところなど、まことに古様である。
肉付きの良い頼もしい両手は、新薬師寺薬師如来像の手に近いが、さらに古い要素を持っている。」
(「続・日本の彫刻~東北―九州」1965年美術出版社刊)

側面から見た古保利薬師像~右手指の大きさ太さが際立つ
側面から見た古保利薬師像~右手指の大きさ太さが際立つ
新薬師寺・薬師坐像の腕・手を思わせる



岡山の美術評論家、柳生尚志氏が綴った文章です。

「何よりも広げた掌の大きさに感動する。
指の一本一本が太く、厚く、仏の手というよりも土着の働く農民の手である。
これほどまでに健康で明るく、あけっぴろげな仏は珍しいと思う。」
(「西の国の仏たち」1996年山陽新聞社刊)

古保利薬師像の右手
分厚く太い指の、古保利薬師像の右手

それぞれに、表現は違いますが、「薬師像の手の造形」に目を瞠り、その魅力に賛辞を送っているのが、お判りいただけると思います。
それほどに、惹きつけるものを感じさせるのだと思います。


私も、古保利薬師との初めての出会いで、薬師如来の手に感動して以来、この手は、ずっと「平安前期の当初の制作」そのものだと信じ込んでいました。



【現代の新造だった「薬師の手」~知らなかった驚きの事実】


ところが、何と、そうではなかったのです!

そのことを知ったのは、古保利薬師を訪れてから四半世紀も経った頃ではなかったかと思います。
ある時、こんな珍しい古書を手に入れたのです。

「回想の古保利薬師」 三宅昭典編著 1985年刊  124P

回想の古保利薬師(私家版・1985年刊)

私家版の本で、少部数発行された本だと思います。

編著者の三宅昭典氏(歯学博士)は、長らく古保利薬師堂の護持、保存に努められてきた、地元の歯科医師、三宅蔶氏の長男にあたる方だそうです。

この私家版の本に、こんな記述があるのを見つけました。

「薬師如来像の手は、戦後、昭和の新造の手である。」

と、書かれていたのです。

「エ、エッ!! あの手は現代の手なの!」

超ビックリ、驚きの新事実です。

このように書かれていました。

古保利薬師堂・薬師如来像~右手
古保利薬師堂・薬師如来像~右手
「最後に手であるが、仏像に関心のある者が、仏体の造形上の性格によくあった貞観期の仏手として称賛されている。
しかし実情を紹介すると、これは仏師白石氏の制作にかかるものである。
それ以前は、元禄6年に立川氏を願主としての修理の際の作品で、実に粗末な見るに耐えないしろ物であった。
白石氏は、平安初期の代表的薬師如来である奈良の新薬師寺の仏手をイメージしながら新造したといわれた。」
(岡徹夫氏執筆「古保利薬師堂」の一節~「回想の古保利薬師」所収)


私が、薬師像にはじめてであった時、

「凄い、貞観の手だ、貞観の指だ!」

と、感動した手と指は、なんと現代の手、新造された手だったのでした。



【昭和24年の修理の時、白石仏師の手で新造されていた】



薬師如来像は、昭和24年(1949)の2月から5月の三か月をかけて、白石義男氏の手により修理されていました。
その時に、江戸の後補の手の部分を除去して、新造の手を制作したものであったのでした。
(松本眞著「古保利の仏像」広島修道大学学術選書・2004年刊所載の年表による)

修理にあたった白石義男氏は奈良在住の仏師で、仏像修理の「美術院」に長らく籍を置いた方だそうです。

「回想の古保利薬師」の本や、松本眞著「古保利の仏像」には、古保利薬師堂仏像修理をする白石氏の写真や、修理前の薬師像の姿、江戸の後補の手の写真などが、掲載されていました。

白石義男仏師(「回想の古保利薬師」所載)
白石義男仏師(「回想の古保利薬師」所載)

古保利薬師堂諸仏を修理する白石義男仏師(「回想の古保利薬師」所載)

古保利薬師堂諸仏を修理する白石義男仏師(「回想の古保利薬師」所載)
古保利薬師堂諸仏を修理する白石義男仏師(「回想の古保利薬師」所載)


修理前の薬師像の姿は、今の魅力あふれる姿とは、似ても似つかない様な姿で、拙劣な上塗りで大きく像容を損じています。
江戸の後補の、取り除かれた手は、何とも拙劣、不細工と云えるものです。

昭和24年の修理前の古保利薬師像(松本眞著「古保利の仏像」所載)

昭和24年の修理前の古保利薬師像の江戸時代後補右手(松本眞著「古保利の仏像」所載)
昭和24年の修理前の古保利薬師像の姿と、取り除かれた江戸の拙劣な後補の右手
(松本眞著「古保利の仏像」所載)"


こんな見映えのしない像が、白石仏師の手で、貞観彫刻の魅力を取り戻すことが出来たのです。
そして、「新造された手」は、多くの専門家の方の眼にも、「制作当初からの魅惑の手」に映ったという訳です。

それほどに「見事な造形の新造の手」であるということなのだと思います。
白石仏師の巧みで素晴らしき腕に、感嘆、讃嘆するばかりです。



【新薬師寺・薬師像の手をイメージして造られた、古保利薬師の手】


久野健氏は、
「肉付きの良い頼もしい両手は、新薬師寺薬師如来像の手に近い。」
と綴っていますが、

白石仏師自身も、
「奈良の新薬師寺の仏手をイメージしながら新造した」
と語っています。

新薬師寺・薬師如来像古保利薬師堂・薬師如来像
新薬師寺・薬師如来像と古保利薬師堂・薬師堂

たしかに、新薬師寺・薬師像の逞しい手の指と見較べてみると、そっくりです。
古保利薬師像の手の方が、少々野太く、ゴツイ感じがしますが、よく似ています。

側面から見た新薬師寺・薬師如来像の右手

側面から見た古保利薬師堂・薬師如来像の右手
側面から見た新薬師寺・薬師如来像(上)と、古保利薬師堂・薬師像(下)の右手

新薬師寺・薬師如来像の右手指古保利薬師堂・薬師如来像の右手指
新薬師寺・薬師如来像(左)と古保利薬師堂・薬師像(左)の右手指


この驚きの新事実を知って、私は、
「なーんだ、昭和の新造か! カッカリだなー!」
と思ったというのではなく、
「昭和の仏手でも、観る者を、これだけ感動させる魅力あるカタチを造ることが出来るのだ!」
と、むしろ讃嘆の声を上げたい気持ちになりました。

まさに、モノの見事に、平安初期の迫力ある造形精神を注入した仏手の表現を、成し遂げたといえるのではないでしょうか。



【古保利・薬師像の魅力を存分に引き出した、現代の手】


田中恵氏も、その著作の中で、

「この手が後補新造だといえども、いささかもその魅力を減じるものではない」

という思いを、このように語っています。

「薬師像の右手の豊かさは、・・・・・強さと自信に満ちた意志の力を感じる造形である。
だが、右手の指は後補らしいと最近聞いた。
・・・・・・・
戦前の古保利の薬師の手はついているが現在のようなものではない。
従って常識的には、戦後の後補である。
しかし何とぴったりの手だろうか。
もしすべて後補としても、その存在感は後補の作者が全体の造形を鋭く観察していた結果であろう。
今でも、この手が後補ということは考えたくないほどである。」
(「隠れた仏たち・里の仏」1997年・東京美術刊所収)
~なお、古保利薬師の手は、両手先とも新造の後補です~


全くの同感です。

私達は、古仏の腕や手、顔などが後補だとわかると、

「なーんだ! 後補の模造か!」

と、ちょっと馬鹿にしたり、軽んじたりすることが、間々あるように思います。

たしかに、いかにも出来が悪かったり、わざとらしかったりするものも多いのですが、一方で、制作当初の造形精神を見事に体現している、素晴らしい新造の後補のものにも出会うことがあります。
古保利の薬師像の新造の手は、この仏像の魅力を、減衰させるどころか、むしろ、魅力を一層引き出し、惹きつける役割を果たしているといえるのでしょう。

この手がなければ、古保利の薬師像は、これほどに傑出した地方仏として、その魅力を語られることは無かったのに違いありません。

仏手の新造にあたった白石仏師に、大いに感謝しなければならないのかもしれません。



【奈良の有名国宝仏にも、間々ある、新造後補の手】


ちょっと余談ですが、日頃見慣れている名作仏像のなかにも、手が新造後補という仏像は、結構あるものです。

天平彫刻の傑作、興福寺・阿修羅像の右手合掌手や、東大寺戒壇院の四天王像の腕と手、三月堂の日光菩薩の指先なども、明治年間に、新納忠之介をはじめとする美術院によって、新造後補されたものです。
修理前の古写真と、現在の写真を見較べていただけると、一目瞭然で、よく判ると思います。

明治修理以前の腕の折れた興福寺・阿修羅像(明治27年・工藤利三郎撮影)
明治修理以前の腕の折れた興福寺・阿修羅像(明治27年・工藤利三郎撮影)

興福寺・阿修羅像(明治35~38年の修理で折れた手が修理修復された)
興福寺・阿修羅像(明治35~38年の修理で折れた手が修理修復された)


明治修理(明治38~39年)直前の東大寺戒壇堂四天王像~後世につけられた拙劣な腕・手が除去されている明治修理(明治38~39年)直前の東大寺戒壇堂四天王像~後世につけられた拙劣な腕・手が除去されている
明治修理(明治38~39年)直前の東大寺戒壇堂四天王像~後世につけられた拙劣な腕・手が除去されている

東大寺戒壇堂・四天王像(増長天像)東大寺戒壇堂・四天王像(広目天像)
現在の東大寺戒壇堂・四天王像~(左)増長天像、(右)広目天像


東大寺法華堂・日光菩薩像の手先(明治修理時、新造の指先が付けられている)東大寺法華堂・日光菩薩像の手先(明治修理時、新造の指先が付けられている)
東大寺法華堂・日光菩薩像の手先(明治修理時、新造の指先が付けられている)

これらも、新造後補とはいうものの、当初の造形表現に見事にマッチし、それぞれの仏像のもつ魅力を一段と高めているようです。

制作当初の造形精神、造形表現の体現を追求し、仏像修理修復にあたってきた仏師の方々の、労苦、研鑽に思いを致すのも、また大切なことと改めて感じました。


今回は、若き日にその魅力の虜になった、広島の山奥にある「古保利薬師堂・薬師像の手」にまつわる物語をご紹介させていただきました。



【魅力あふれる平安古仏群がどっさりの古保利薬師堂】


なお、この古保利薬師堂には、薬師如来像の他にも、数多くの平安前中期の魅力あふれる一木彫像群が残されています。
全部で12体が、収蔵庫に安置されており、全て重要文化財に指定されています。

現在の古保利薬師堂・収蔵庫の諸仏安置状況
現在の古保利薬師堂・収蔵庫の諸仏安置状況

なかでも、千手観音像、四天王像は、ひときわ惹きつけるものを感じる像です。

千手観音像は、千手の腕まですべて本体と共木で刻み出した像で、こうした造りの像は、本像の他には見られないのではないかと云われています。
前話の新薬師寺・薬師像の話ではないですが、「徹底した一木へのこだわり、執着」を感じさせる像です。

古保利薬師堂・千手観音像~脇手まで一木で彫り出されている

古保利薬師堂・千手観音像~脇手まで一木で彫り出されている・千手観音像~脇手まで一木で彫り出されている
古保利薬師堂・千手観音像~脇手まで一木で彫り出されている

四天王像は、大きな動きで怒りをむき出しにした強烈な個性のある姿ですが、何処かしら愛着を感じる表情が魅力の古様な像です。

古保利薬師堂・四天王像~持国天像古保利薬師堂・四天王像~多聞天像
古保利薬師堂・四天王像~(左)持国天像、(右)多聞天像

古保利薬師堂・四天王像~増長天像
古保利薬師堂・四天王像~増長天像


まだ古保利薬師堂を訪ねられたことのない方は、是非一度、薬師像をはじめとした諸仏を拝されることをお薦めします。

私が、2009年に再訪したときには、寺観が整備されていて、40年前とはすっかり様変わりで、隣に歴史民俗資料館まで建てられていました。
仏像は、昭和56年(1981)に新造された収蔵庫に安置され、大変明るい照明のなかで拝することが出来ました。

古保利薬師堂・仁王門~昭和59年・1984新築
古保利薬師堂・仁王門~昭和59年・1984新築

古保利薬師堂・収蔵庫~昭和56年・1981新築
古保利薬師堂・収蔵庫~昭和56年・1981新築


広島県の山間というちょっと不便なところにありますが、中国縦貫道・千代田インターから5分の近さです。
わざわざ行ってみる値打ちのある、素晴らしい魅力の平安古仏群に出会えることと思います。


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