観仏日々帖

古仏探訪~三重県津市・光善寺の薬師三尊像の御開帳  【2017.4.14】


【年に一日限りの光善寺薬師像ご開帳に、日帰り観仏へ】


三重県津市片田薬王寺町にある、光善寺・薬師三尊像のご開帳に行ってきました。

「津市の仏像」という津市教育委員会から出された本の表紙を飾っている仏像です。

「津市の仏像」表紙の光善寺・薬師如来像

光善寺・薬師如来像~「津市の仏像」所載写真
光善寺・薬師如来像~「津市の仏像」所載写真

この写真を見てしまうと、
「これは放っておくわけにはいかない」
という気持ちになってしまいます。

一見しただけで、出来の良い、魅力ある像だと確信しました。
是非とも、一度拝したいと思っていた、平安古仏なのです。

この仏像、かつて、四日市市立博物館で、2003年に開催された「仏像東漸展」に出展されたことがあるのですが、私はこの展覧会に行けなくて、見逃してしまいました。

三重の仏像は、何度か巡ったのですが、この光善寺・薬師三尊像だけは、毎年4月に、一日だけのご開帳となっており、未だに拝する機会がありませんでした。
以前に、拝観のお願いをしたこともあるのですが、ご開帳日以外は、一切開扉していないということで、叶わなかったのです。
いずれ、ご開帳日に狙いを定めて、行くしかないと思っていたのですが、ついに今年、思い切って出かけてみる気になったのでした

ご開帳日は、4月1日(土)でした。
以前は、4月8日と定められていたのですが、近年、4月の第一土曜日のご開帳に改められ、今年は4月1日がその日にあたります。



【村の人々の手で、大切にお守りされている光善寺・薬師三尊像】


横浜方面から、光善寺を目指して、日帰り観仏です。
光善寺は、津駅から車で西へ20分ぐらい行った処、片田薬王寺町という処にありました。
まさに片田舎の鄙なる村落という風景です。

光善寺はすぐに見つかりましたが、そこにお祀りされているのではなく、近くの小高い山腹に建てられた収蔵庫に安置されているようです。

光善寺
光善寺

この薬師三尊像は、片田薬王寺(廃絶)の本尊と伝えられ、今は、光善寺の管理ということになっているのですが、実際には、村落の人々の手で管理され守られているのだということです。

常夜灯を目印に、細い坂道を登っていくと、収蔵庫と集会所のような建物が見えてきます。

収蔵庫への登り口の常夜灯
収蔵庫への登り口の常夜灯

収蔵庫へ向かう登り坂の細道
収蔵庫へ向かう登り坂の細道

この場所に、片田薬王寺があったと伝えられているとのことです。

丁度、お昼頃に伺ったのですが、収蔵庫が開かれており、地元の方が2~3人詰めていらっしゃいました。

光善寺・薬師三尊像が祀られる収蔵庫
光善寺・薬師三尊像が祀られる収蔵庫

ご開帳の儀式のようなものがあって、多くの人がお参りされているのかと思ったら、とりわけ荘厳されているわけでもなく、あっさりとした御開帳です。
拝観は、私だけでした。
その後。パラリパラリと数人が見えましたが、まさに地元の方々の手で、ひっそりとお守りされている薬師様という様子でした。



【想定外に、おだやかな印象を受ける薬師如来像】


真正面に薬師如来像の姿が目に入ってきました。
像高は96.9センチで、ほぼ等身という処です。

収蔵庫内の光善寺・薬師三尊像
収蔵庫内に祀られる光善寺・薬師三尊像

目に映った、第一印象は、
「まろやか! おだやか! バランス良いまとまり!」
意外にも、こんなキーワードが頭に浮かんできました。

光善寺・薬師如来像

光善寺・薬師如来像
光善寺・薬師如来像


「ボリューム感あふれる迫力、パワフルな重厚感」

こんな先入観のイメージを頭に描いて、光善寺を訪ねたのです。
ちょっと遠目から拝すると、

「どっしり感はあるが、出来の良い、美しくおだやかな仏像」

そんな感じを受けるのです。

本で見ると、側面からや、斜めからの写真を観ると、分厚い体奥が際立って、すごいボリューム感ある仏像、塊量的な迫力あふれる仏像だな、という印象でした。

塊量的ボリューム感を感じる光善寺・薬師如来像の斜めからの写真

塊量的ボリューム感を感じる光善寺・薬師如来像の側面からの写真
塊量的ボリューム感を感じる光善寺・薬師如来像の斜め、側面からの写真

きっと、実物の薬師像を直に拝すると、もっともっとはち切れるボリューム感やインパクトを感じるに違いないと思い込んでいたのでした。

薬師像との出会いの第一印象は、私の勝手な思い込みが外れて、ちょっと拍子抜けというのが、率直な処でしょうか?



【眼近に拝すると、やっぱり凄い、胸厚やふくらはぎのボリューム感】


さて、薬師像の近くによって、じっくりしっかり拝観です。

近づいて観れば観るほど、たしかな造形力を備えた、腕のある仏師の手になるのが間違いない、出来の良い優作です。
一つひとつの造形表現も、良く出来ていますし、全体のバランスも見事にとれています。
奈良京都の中央にあっても、おかしくないレベルの仏像だと思いました。

そして、感じるのが、はち切れそうなボリューム感やたくましさです。
正面から拝すると、そんな感じはしないのですが、近づいて斜めから見ると、強くそのように感じるのです。
まず目につくのが、肩から胸にかけての逞しさです。

光善寺・薬師如来像~逞しく厚みのある肩から胸の造形
光善寺・薬師如来像~逞しく厚みのある肩から胸の造形

胸の厚みは凄くて、胸板のボリューム感は、並みのものではありません。
結構圧倒されてしまいます。
平安前期そのものといっても過言ではありません。

もう一つ、眼を惹くのが、ふくらはぎの造形です。

光善寺・薬師如来像~はち切れる弾力感のふくらはぎの造形

光善寺・薬師如来像~はち切れる弾力感のふくらはぎの造形
光善寺・薬師如来像~逞しく厚みのある肩から胸の造形

アスリートの、パンパンの凄いふくらはぎという感じなのです。
はち切れんばかりで弾力感あふれ、極めて魅力的、惹きつけられるものがあります。



【平安前期の塊量感と、中期のおだやかさが、ミスマッチに同居する薬師像】


胸厚やふくらはぎの造形感覚をみていると、

「厳しくオーラのある顔貌をしているに違いない。
衣文の彫は深くて、鋭く鎬立っているのに違いない。」

このように思うのですが、
実際は、お顔の表情は、まろやかで穏やか、衣文の彫も浅めで整っているのです。

光善寺・薬師如来像~穏やかな顔・浅めの衣文
光善寺・薬師如来像~穏やかな顔・浅めの衣文

平安前期のパワフルなボリューム感と、中期以降の穏やかさ、まろやかさが同居したミスマッチ感を強く感じる仏像です。

このあたりの特徴について、赤川一博氏は、このように述べています。

「幅、奥行ともに、たっぷりとした塊のような体躯をもつ堂々とした三尊像である。
・・・・・・・・・
はみ出すような肉取りをもっ堂々とした像であるが、既に異相や渦文の呪術的強さが消え、歯切れのよい強さを求めるより重々しさへの噌好が支配的となる。
・・・・・・・・・・
中尊の細かい螺髪、浅く美しく整えられた衣文などは比較的和様化が進んだ要素と見られ、本像の特色である重厚さも、はちきれるような肉身の張りを伴うものではない。
さらに、中尊には、面貌の穏やかさや、耳の平やかな表現など所々に時代の降る要素が見られる。」
(「津市の仏像~津市仏像悉皆調査報告書」津市教育委員会編・2004年3月刊)

制作年代について、赤川氏は、

「仏像東漸展」図録解説では
「9世紀の形式を残しつつも、10世紀に入ってからの作か。」
「津市の仏像」解説では、
「本像の制作は10世紀後半と考えられよう。」
と、述べられています。

いずれにせよ、平安前期の塊量的な造形から、和様化していく過渡期的な仏像とみられているようです。

私の受けた印象も、そのとおりですが、大変出来の良い魅力的な優作であることに間違いありません。
わざわざ、ご開帳日に、日帰りで拝しに来た値打ち十分、という仏像でした。


中尊、薬師如来像の両脇には、日光・月光菩薩像が祀られています。
像高は、107㎝です。

光善寺・薬師三尊月光菩薩像....光善寺・薬師三尊日光菩薩像
光善寺・薬師三尊~(左)月光菩薩像、(右)日光菩薩像

光善寺・薬師三尊日光菩薩像..光善寺・薬師三尊日光菩薩像
光善寺・薬師三尊日光菩薩像

日光・月光菩薩像と薬師像は、わずかに雰囲気が違うというか、手が違うような感じがします。
重量感はあるのですが、薬師像より、より大人しく、おだやかかで優しい印象が漂っています。
また技量的にも、薬師像の見事な腕前には、ちょっと追い付いていないようです。
制作時期が違うのかという疑問もあるようですが、三尊一具で、造形の違いは担当仏師の資質、表現の差とみられているようです。



【六波羅蜜寺・十一面観音像以降の和様化の流れの中に位置づけられる像?】


光善寺・薬師三尊像は、平安彫刻史の流れの中で、どのように位置づけられているのでしょうか。
赤川一博氏は、

「本三尊像に共通する時代感覚は、京都市六波羅蜜寺木造十一面観音菩薩立像(951年) 辺りから顕著になる和様化の流れの中で考えることができ、特に両脇侍像は仏師康尚周辺の作と指摘されている京都市遍照寺十一面観音菩薩立像や八瀬文化財保存会十一面観音菩薩立像(ともに10世紀末)などに近いことが注目される。
さらに、檜を主材とする点などとともに、本像の制作は10世紀後半と考えられよう。

本三尊像は、作域の優秀さもさることながら、古像の堂々とした重厚感から学んだ威厳を中尊に、当時流行しつつあった軽やかで浮遊するかのような最新の表現を両脇侍に使い分けて、如来と菩薩の尊格の違いを表現するところも見所の一つである。」
(「津市の仏像~津市仏像悉皆調査報告書」津市教育委員会編・2004年3月刊)

このように述べて、この仏像の和様化の過渡期的性格と、三尊の造形表現の違いについて説明しています。

六波羅蜜寺・十一面観音像
六波羅蜜寺・十一面観音像

遍照寺・十一面観音菩薩像..八瀬文化財保存会・十一面観音菩薩像
(左)遍照寺・十一面観音菩薩像、(右)八瀬文化財保存会・十一面観音菩薩像


「なるほど」
「六波羅蜜寺・十一面観音(951)⇒⇒⇒遍照寺(989)、八瀬文化財保存会・十一面観音という和様化流れの中にある像と位置づける、ということか・・・・」

と、それなりに納得しつつ、

「ウーン、光善寺像には、もうちょっと重厚感、重量感があるような気がするけれども・・・・」

そのように感じました。



【光善寺像に感じる、六波羅蜜寺像のおだやかさの一歩手前の重量感】


私個人の、素人の印象でしかないのですが、
光善寺・薬師如来像と六波羅蜜寺・十一面観音像を比べると、六波羅蜜寺像の方が、全体的にも、お顔の表情も、かなりおだやか、和やかになっているように感じます。

光善寺・薬師如来像~顔部.六波羅蜜寺・十一面観音像~顔部
(左)光善寺・薬師如来像、(右)六波羅蜜寺・十一面観音像~顔部

何よりも、光善寺像のボリューム感、塊量感の表現は、六波羅蜜寺像とは、かなり違っているように思えます。
尊格が違うものの、側面からの写真を見ると、その感を強くします。

光善寺・薬師如来像~側面.六波羅蜜寺・十一面観音像~側面
(左)光善寺・薬師如来像、(右)六波羅蜜寺・十一面観音像~側面

光善寺像には、肉体の重厚感を主張し、まだまだ塊量感へのこだわりを感じますし、六波羅蜜寺像には、肉身のマイルドな軽みを指向して行こうとする造形感を感じます。
両像には、ちょっと差があるように感じました。

脇侍の日光、月光像の方が、遍照寺、八瀬文化財保存会十一面観音像などの造形感に近いような気もしましたが、それでも、重量感という意味では、光善寺菩薩像の方が重々しいように見えるというのが率直な印象でした。

遍照寺・十一面観音像
遍照寺・十一面観音像


実際に制作された年代の話は別にしたとして、造形感覚という目で見ると、

「光善寺像の方が、六波羅蜜寺⇒⇒遍照寺、八瀬文化財保存会という流れの像よりも、一歩手前の時期に位置づけられてもいいのかな?」

「六波羅蜜寺像以下が、平安中期の穏やかさ、和様化表現の中心にあるとすると、そこへたどり着く直前ぐらいの感じがするのかな?」

そんな感じが、しました、
素人の独善的、個人的感想という処でしょうか?


もう一つ、材質、構造面で興味深いことがあります。
光善寺・薬師如来像は、内刳りのある一木造りなのですが、用いている用材が、体幹部はヒノキ、膝前部はカヤと、別々の樹種を用いているのです。
日光・月光像は、ヒノキ一木彫で、内刳りはされていません。
このことの、意味するところなどは、よく判らないのですが、ちょっとお知らせしておきます。



お堂を守られている地元の方の、いろいろな話をお聞きしながら、ゆっくり薬師三尊像を拝させているうちに、お昼も過ぎて、パラついていた雨も上がって、晴れてきました。
お堂から見晴るかす村落の様子は、のどかそのものです。

光善寺・収蔵庫から見晴るかす村落の風景
光善寺・収蔵庫から見晴るかす村落の風景

素晴らしい薬師三尊像が、この静かな村落で、地元の人々の手で、ずっと大切に守られていってほしいものと念じながら、急坂を下ってお堂を後にしました。

思い切って三重まで日帰り観仏に来た甲斐のある、魅力ある見事な仏像に出会うことが出来ました。





【追記】~いただいたコメントへのご参考写真

光善寺・薬師像が結跏しているかどうかについての、コメントをいただきました。
ご参考までに、向かって左からの写真から見た写真を、掲載させていただきます


光善寺・薬師如来像~左側からの脚部写真

光善寺・薬師如来像~左側からの脚部写真
光善寺・薬師如来像~向かって左上側からの脚部写真
結跏はしていないような感じに見えます




コメント

光善寺薬師如来坐像について

また、同じ質問ですが、この薬師如来像は半跏趺坐だったのでしょうか。むかって左上からの俯瞰の写真があれば、判定できるとおもうのですが。
赤川氏の時代判定は、おっしゃるとおり、時代を下げすぎだとおもいます。というのは、この像が半跏趺坐だとすると、時代はもっと上がるからです。一般的には、例外を除けば半跏趺坐は10世紀中頃までしかその例がありません。赤川氏は六波羅蜜寺の十一面観音立像を比較の例にあげていますが、むしろ、同じ六波羅蜜寺の薬師如来坐像あるいは、元興寺の薬師如来坐像との比較を考えるべきです。ちなみに、この両像は結跏趺坐です。膝部分の造形は、光善寺像と全然ちがいます。ということから考えれば、10世紀後半はありえないでしょう。
また、『三重縣國寶調査書』 昭和13年 では「蓋し弘仁期といはんよりは或は奈良朝に入るものか」と書いていますし、『津市の文化財』 平成元年 では、「9世紀末近くから10世紀にかけて」(浅生悦生)、「三重県の仏像(八)」『三重大学教育学部研究紀要(人文・社会科学)48巻 平成9年 では松山鐵夫氏は10世紀と判定しています。
仏像の坐法は、時代判定の根拠になるものですが、あいにくと、半跏趺坐と結跏趺坐の区別がつかないのか、そこに注目していないので、記述からもれてしまっています。研究者の皆さんは、いったいどんな調査をしていたのでしょうか。

Re: 光善寺薬師如来坐像について

加藤様

光善寺像についての、諸氏の解説等ご教示いただき有難うございます
また、制作時期についての見方、私と同じ感じをお持ちのようで、心強くくなりました。

光善寺・薬師像が結跏しているかどうかについてですが、見た限りでは結跏していないようにみえます。
ただ、隠れている部分もあって、厳密にはよく判らないような感じもしますが・・・・・・
ご参考までに、向かって左側からの写真、掲載させていただきます
お役に立てばと存じます

管理人

  • 2017/04/17(月) 21:36:05 |
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  • 神奈川仏教文化研究所 #-
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