観仏日々帖

新刊・旧刊案内~倭乃光(やまとのひかり)


今回は、「旧刊案内」と題して、古書のご紹介をさせていただきたいと思います。
ご紹介するのは、明治時代に出た本で、「倭乃光」という本です。

倭乃光


この本、しばらく前に、神田神保町の古書店U文庫で見つけたものです。

和書が乱雑に積まれている中から見つけたのですが、ちょっと目についてパラパラとめくってみると、法隆寺の宝物の「描き起こし図集」のようです。
三冊、上・中・下になっていますが、その中には、聖霊院の聖徳太子像や、九面観音像などの精巧な描き起こし図も見られます。

聖霊院・聖徳太子像......九面観音立像


倭乃光・奥付「面白そうな本だが、何時頃のものだろうか?」
と、奥付を見ると、
「明治28年5月30日発行、編纂者・千早定朝」
と書いてありました。
千早定朝と云えば、当時の法隆寺の住職です。
明治の半ばに出された本、長年古書店巡りをしていますが、初めて見る本です。
これはなかなか珍しい本のような気がしました。
値段を聞いたら、ちょっと高かったのですが、ここで見送ったら、もうお目に掛かることができ無い本だろうと、思い切って買いました。


我が家に持ち帰って、早速ゆっくり眺め、ページを繰ってみました。
三冊は、変体仮名でこのように題されています。

上巻:「倭乃光」
中巻:「耶満斗能比可理」
下巻:「也万登能飛可里」

いずれも、「やまとのひかり」と訓みます。


中味は、明治28年(1895)当時の法隆寺の宝物図集とその解説という内容です。
当時の国学、美術史界の重鎮、黒川真頼(くろかわまより)が、本書の序文を書いています。
現代でいえば、「法隆寺美術全集・全三巻」といった処でしょうか。
全て白描の描き起こし図ですが、これがなかなか精巧で、写真などでは感じられない良い味があります。
白描縮図は、奥付によると大阪の「鈴木錦秋」という人の手になるようです。
ただ、眺めているだけでも、結構楽しく目の保養になるような気がします。

この本を買ったのは、珍しい本なので、是非にも手許に持っておきたいということが一番でした。

唯、もうひとつには、明治28年当時、法隆寺所蔵のどのような文化財、美術品が、「重要な宝物」として認識されていたのかを、この本で知ることができるのでは、という関心もありました。

現在、法隆寺の代表的文化財と云えば、金堂・釈迦三尊像、夢殿・救世観音像、百済観音像、夢違観音像などが挙げられるのでしょう。
しかし、今挙げた、法隆寺を代表する仏像たちは、「倭乃光」には、掲載されていません。
当時は、どのようなものが「重要な宝物」とされていたのでしょうか?

ここで、「倭乃光」に掲載されている宝物を、見てみたいと思います。
一覧表にしてみると、次のとおりです。

上巻と下巻には、主に絵画、古代裂、工芸品などが収録されています。

4-2.png..........4-3.png


仏像は、中巻に収録されています。
左側は、「倭乃光」中巻に収録されている仏像の白描画のリストです。
右側は、法隆寺の代表格と云って良いと思われる仏像で、中巻に収録されていないもののリストです。

4-4.png........4-5.png


これを見ると、当時は、宝物と云えば、まずは古裂や錦、瓶や壺、香爐、凾や臺といったものが、まずは選ばれているようです。
四天王紋錦旗、蜀江錦、圓鏡、水瓶、螺鈿唐櫃などが、上巻に載せられているのを見ても、当時の法隆寺の宝物のランク付け観が伺えます。
いわゆる「古器古物」が「重要宝物」とされていたようです。

載せられている宝物描き起こし図を、二三御覧に入れるとこのようなものです。

5龍首水瓶・白描図.....龍首水瓶
龍首水瓶


白銅・海磯鏡...百万塔
白銅・海磯鏡                         百万塔


次に仏像についてです。
掲載されている仏像には、信仰・礼拝の対象になっていた仏像は、文化財としての評価がどんなに高くても、含まれていないようです。
礼拝対象の仏像は、寺の「宝物」という範疇からは、少々外れていたのかもしれません。
ただし、小金銅仏など念持仏のような小型の仏像は、「宝物」の概念に入れられていたようです。
それは、明治11年(1878)に、法隆寺が経済的困窮もあり、宝物300点余を皇室に献納した、いわゆる法隆寺献納宝物の場合を見ても判ると思います。
ご存じのとおり、この献納宝物の中には、四十八体仏と呼ばれる小金銅仏が含まれています。

この本が刊行された明治28年(1905)近辺の、法隆寺を巡る古美術品、文化財関係の出来事を振り返ってみたいと思います。

明治17年(1884)には、夢殿・救世観音像が岡倉天心、フェノロサ等によって開扉されています。
明治21年(1888)には、政府レベルによる近畿地方宝物調査が大々的に実施され、法隆寺の宝物もしっかりと調査されています。
明治28年、この本が刊行された年には、帝国奈良博物館が開館し、仏像なども展示されるようになります。

この頃、これまで信仰・礼拝の対象であり、美術品としてみることに無縁であった「仏像」が、「美術品」として認識されはじめた頃であったのだと思います。
「仏像」が、美術品として彫刻作品として、写真を撮られたり、評論されたり、展示されたりしはじめた頃です。

全ての仏像が信仰・礼拝の対象で、「宝物」として扱われることがなかったかというと、そうではないようです。
小金銅仏や小型の塔本塑像などは、明治初年から、奈良博覧会に出品されたりしていました。
礼拝の対象で、「宝物」のようにみられなかったのは、各堂塔の本尊など主要仏や大型の仏像であったようです。
それは、この本に「収録されていない主要仏像」のリストを見てもらうと、一目瞭然だと思います。

この本が出た頃は、政府や世の中が、本尊とされているような仏像の「美術品・文化財としての価値」を認めつつあった時期だろうと思います。
明治21年(1888)の近畿地方宝物調査では、小川一真が沢山の仏像写真を撮影し、明治22年に発刊された国華などの美術書に、その写真が度々掲載されています。

法隆寺でも、夢殿・救世観音、金堂・釈迦三尊など主要本尊像の撮影が行われましたし、その後、これらの礼拝対象の仏像も、当時の美術書に写真が掲載されるようになっていきます。
ただ、まだ「お寺」の方では、本尊などの礼拝対象の仏像を、この本に収録するような判断とか意識にはなっていなかったのでしょう。
従来から「宝物」的扱いであったろう小型の仏像、綱封蔵金銅仏、橘夫人厨子阿弥陀三尊、九面観音、塔本塑像などが載せられています。

一方で、金堂・四天王像や、毘沙門天像、中門・仁王像など、大型像や主尊の眷属仏像となっている仏像も、一部に掲載されているのは注目されます。
この頃は、礼拝対象であった仏像が、「宝物化」「美術品化」「文化財化」といった方向に至る、過渡期的な状況にあって、このような礼拝対象大型像も、主尊でないものが採り上げられたのかなとも思われます。

この本に載せられている仏像の描き起こし図と実際の仏像の写真とをセットにしてみましたので、ご覧ください。

九面観音立像........九面観音立像
九面観音立像


綱封蔵・金銅仏像........綱封蔵・金銅仏像
綱封蔵・金銅仏像


橘夫人厨子・阿弥陀三尊像.....橘夫人厨子・阿弥陀三尊像
橘夫人厨子・阿弥陀三尊像


五重塔塔本・羅漢像......五重塔塔本・羅漢像
五重塔塔本・羅漢像


金堂四天王・広目天像..........金堂四天王・広目天像
金堂四天王・広目天像


金堂・毘沙門天像.......金堂・毘沙門天像
金堂・毘沙門天像


中門・仁王像.....中門・仁王像
中門・仁王像


「倭乃光」という法隆寺美術全集とでもいうべき本は、当時の法隆寺の「宝物観」「仏像観」といったものを、色々と想像させてくれました。

見当はずれの想像であるのかもしれませんが、明治の文化財観について考えさせてくれた「やまとのひかり」でありました。


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