観仏日々帖

古仏探訪~2016年・今年の観仏を振り返って〈その3〉7~9月 【2016.12.24】


「今年の観仏を振り返って」〈その3〉は、7~9月の観仏探訪のご紹介です。

暑い暑い夏のシーズン、暑さがこたえる中高年には、観仏探訪も程々にした方が、良いのでしょう。
涼しい博物館の仏像展を中心に、チョコチョコと出かけました。


[7月]


【お目当ては、初めてお堂から出る黒田観音寺・観音像
~東京芸大美術館「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ」へ


上野の東京藝術大学美術館で開催された、「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ~びわ湖・長浜のホトケたち」に、出かけました。

「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ」ポスター

この展覧会は、2014年3~4月に開催された、「観音の里の祈りとくらし展」の第2弾として開催された展覧会です。
第1弾の展覧会が好評盛況であったので、「パートⅡの続編展」の実現が可能となったのでしょうか?

今回は、41件の湖北の仏像が出展されました。
前回展では、約20件の出展でしたから、なんと倍増の出展となります。

観仏先リスト01~観音の里の祈りとくらし展Ⅱ



【湖北で、一番惹かれてしまう、黒田観音寺・伝十一面観音像
~~(渡岸寺・十一面観音は、飛び切りの別格)


前回展の目玉出展像は、赤後寺・日吉神社の千手観音立像(重文)でした。

今回の「「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ」の、大目玉の出展仏像は、なんといっても、黒田観音寺・伝千手観音立像(重文)です。

黒田観音寺・伝千手観音像
黒田観音寺・伝千手観音像(本来准胝観音であったと思われる)

私は、湖北の仏像の中では、渡岸寺の十一面観音像(国宝)は、別格として置いておくとすると、黒田観音寺の伝千手観音立像が、一番優れた造形で、魅力あふれる一木彫像だと思っています。
除く渡岸寺像では、湖北で最もお気に入りの仏像なのです。

実は、これまで、この観音像は、一度もお堂を出たことはありませんでした。
美術館に展示されるのは、今回が初めてのことなのです。
お堂では、狭い厨子の中に祀られており、真正面からしか拝することが出来ません。

堂内のお厨子に祀られる黒田観音寺・伝千手観音像~横からは拝せない
堂内のお厨子に祀られる黒田観音寺・伝千手観音像~横からは拝せない

側面や背面などから観ると、どのように感じるのだろうか?
「意外と、ガッカリしてしまったり・・・・・」
と、不安感半分、期待感半分という気持ちで、展覧会に出かけました。

黒田観音寺の観音像は、奥の一室のど真ん中に、360度ビューで展示されていました。

展示室のど真ん中に、360度ビューで展示されていた黒田観音寺・伝千手観音像
展示室のど真ん中に、360度ビューで展示されていた黒田観音寺・伝千手観音像

果たして、期待通りというよりは、はるかに期待以上の素晴らしい出来と魅力の仏像でした。
見惚れてしまいました。

黒田観音寺・伝千手観音像

黒田観音寺・伝千手観音像~脚部
黒田観音寺・伝千手観音像~顔部と脚部

像高200㎝、カヤの一木彫の9世紀像。
胸から腰にかけての堂々たる張りのある造形は迫力十分。
脚部の衣文の彫口は、深く、柔らかく、弾力感があり見事で、乾漆像を思わせるものがあります。



【360度ビューで、じっくり鑑賞~思わず唸ってしまった背面の彫り口の見事さ】


側面、背面に回ってみて、またまた出来の素晴らしさに、ビックリしました。
側面は、胸をわずかに反り、脚部にかけ湾曲するシルエットで、リズム感、躍動感があります。

黒田観音寺・伝千手観音像 黒田観音寺・伝千手観音像
黒田観音寺・伝千手観音像

それよりも何よりも、背面の衣文の彫りの見事さには、唸り声をあげてしまいました。
正面脚部の衣文表現をはるかに超える、仏師の彫技が冴えわたる彫り口です。
背面まで、これだけ丹精を込めて彫られているのをみると、余程の由緒の像だったのかもしれません。

図録解説によると、
黒田観音寺・伝千手観音像(本来、准胝観音とみられる)は、
広隆寺・不空羂索観音像、鶏足寺・菩薩像(魚籃観音)、千手院・千手観音像(御代仏)と、衣など造形形式に共通点が多くあり、
天平様式乾漆像の系譜をひく平安前期彫刻という共通の制作環境で造られたのではないか、
と述べられていました。

広隆寺・不空羂索観音像鶏足寺・菩薩像(魚籃観音)
(左)広隆寺・不空羂索観音像、(右)鶏足寺・菩薩像(魚籃観音)

千手院・千手観音像(御代仏)
千手院・千手観音像(御代仏)

確かに、そのとおりのスタイルの傑作像だと思いました。
唯一、「面部が大きく修正、補彩されている」とのことで、何とも残念です。

9世紀の半ば頃か、もう少し後かの制作ではないかと感じるのですが、
間違いなく「湖北屈指の優作」だと思いました。

「凛とした男らしさを感じる、緊張感あふれる、堂々たる傑作像」
です。

360度ビューでじっくりと鑑賞することが出来、黒田観音寺・観音像に惚れ込みなおしました。



【その他の出展像にも、いくつも注目像が・・・・】


この他にも、
異国的な大きな目鼻立ちが印象的な、来現寺聖観音像(重文・平安前期)、
元播磨円教寺・根本堂本尊であった、舎那院・薬師如来坐像(県文・10C末~11C初)
等々、興味深い像が出展されていました。

来現寺・聖観音像舎那院・薬師如来像
(左)来現寺・聖観音像、(右)舎那院・薬師如来像

一つだけ、ちょっと気になったのは、医王寺・十一面観音像の解説・キャプションでした。

医王寺・十一面観音像
医王寺・十一面観音像

「9世紀の制作」と記されていました。

「9世紀?、そこまで年代をあげられるのかしらん?」

ウーンと唸って、ちょっと首をかしげてしまいました。


黒田観音寺・観音像の魅力に惹かれて、二度も展覧会に出かけてしまいました。

一度は、一人でじっくりと。
二度目は、同好の方々と、ワイワイと。

二度目の帰りは、皆で、入谷の「三富」へ。
馬刺しが名物の老舗居酒屋です。
安くて美味い料理と酒で、黒田観音寺像の出来良さ談義に、大いに盛り上がりました。

入谷「三富」
入谷「三富」



【洒落たギャラリースペース、「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」~3月オープン】


東京藝術大学美術館の帰りに、3月オープンした、「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」に寄りました。

「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」
「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」

長浜市の都内における情報発信の新しい拠点ということで、長浜の古仏が、一定期間ごとに一体ずつ展示されることになっています。

「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」室内
「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」の室内

湖北の仏像の公開情報などの最新ニュースや、映像も愉しむことが出来ます。
長浜市は、「「観音の里の祈りとくらし展Ⅰ・Ⅱ」の開催や、「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」の解説など、「湖北・観音の里」の紹介と観光誘致に大変な力が入っているようです。

「KANNON HOUSE」で展示される仏像は、2016年は、ご覧のとおりでした。

観仏先リスト02~「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」

竹生島宝厳寺・聖観音像.尊住院・聖観音像
(左)竹生島宝厳寺・聖観音像、(右)尊住院・聖観音像

常楽寺・聖観音像横山神社・馬頭観音像
四君子苑~玄関と前庭

オープン直後にも訪ねました。
小ぢんまりとしたビルの一室ですが、なかなか洒落たギャラリースペースで、結構、お気に入りの場所となっています。



[8月]


8月第一週は、毎年恒例の、大学時代の同好会の、10人ちょっとの常連が集まる同期同窓会。
なんと、もう四十数年、飽きもせずに毎年欠かさず続いています。

恒例で、分不相応に贅沢にも、奈良ホテルで一泊です。
夜は、ホテルの美味なる料理に、思い出話も酒も、夜の更けることなく弾み、とどまる処を知りませんでした。

この同窓会の前後にからめて、京都、奈良の両国立博物館の展覧会に、出かけました。



【念願の未見秘仏、峰山縁城寺・千手観音像が、なんと京博へ出開帳】


京都の国立博物館では、「丹後の仏教美術展」が、開催されていました。

「丹後の仏教美術展」ポスター

観仏先リスト03~丹後の仏教美術展

この展覧会、最大の大注目は、峰山縁城寺の千手観音像が出展されたことです。

縁城寺・千手観音像
縁城寺・千手観音像

縁城寺・千手観音像は、大変興味深い平安時代の一木彫像なのですが、33年に一度の御開帳の厳重秘仏で、拝することが出来ないのです。
平安初期一木彫像の特徴を受け継いだ古様な像ですが、浅く刻まれた衣文や穏やかな面相などから、一般的には10~11世紀頃の制作とみられています。
一方、古密教彫像研究で知られる井上正氏は、この像を、代用檀像による化現仏とみて、奈良時代、8世紀の制作に遡る可能性に言及しているのです。

今年か来年が、33年に一度の御開帳年にあたるという情報でありましたので、その時には、なんとしてでも、京丹後市峰山町まで駆けつけなくてはならじと、満を持していた処でした。

その秘仏が、なんと京博に展示されるというのです。
京博HPにも、
「秘仏なので・・・・今回、初の出開帳がかないました。この機会にぜひご観覧ください。」
と、記されているではありませんか。

このチャンスを逃すわけにはいきません。



【奈良時代なのか?~やはり、10世紀末の制作という解説に、全面納得】


京博で、念願の仏像を、眼近に実見することが出来ました。

縁城寺・千手観音像縁城寺・千手観音像
縁城寺・千手観音像~顔部

井上正氏は、

「こうして本像は、代用檀像の化現仏として、一木彫のきわめて古いあたりに位置することが徐々に明らかになってきたように思う。」(古密教像巡歴・2012法蔵館刊)

と述べて、奈良時代の制作の可能性を言及しています。

一方、展覧会図録の解説では、

「衣文が浅い点、ワエストの締まった均整の取れたプロポーションは平安時代後期につながるものといえる。
縁城寺が、永延2年(988)に一条天皇の勅願所として整備された時期を、大きく隔たらずに造られたと考えられる。」(図録解説・浅湫毅氏)

として、10世紀末の制作と考えています。

私は、展覧会図録解説の云う「10世紀末制作像」という見方に、全面的に納得しました。
率直に云って、もっと、霊気のような精神性を秘めた一木彫像なのかなと期待したのですが、平安中期的な、「穏やかさ」の方を強く感じるものがありました。

それはさておき、念願の秘仏、縁城寺・千手観音像を、博物館で眼近にじっくり観ることが出来、大満足の「丹後の仏教美術展」でした。

この特別展には、宮津市、金剛心院の如来立像が出展されていました。

金剛心院・如来像
金剛心院・如来像

こちらの如来像は、何度見ても、発散するオーラ、迫力に圧倒されてしまいます。
平安初期彫刻の傑出作品だと、今更ながらに、見惚れてしまいました。

この他、平常陳列に出展されていた仏像で、私が注目したのは、次の仏像です。

観仏先リスト04~京博・平常陳列

それぞれの仏像にふれていくとキリがありませんので、此処ではやめておきます。



【奈良博「忍性展」へ~鎌倉仏には関心ほどほどで、サラリと鑑賞】


奈良国立博物館で開催中の、忍性生誕800年記念特別展「忍性~救済にささげた生涯~展」も、覗いてきました。

「忍性展」ポスター

忍性は西大寺の叡尊を師とした、真言律宗の高僧で、貧民やハンセン病患者など社会的弱者の救済に尽力したことで知られています。
忍性ゆかりの寺院に伝わる名宝や文化財を一堂に集められた展覧会でした。
出展された目ぼしい仏像は、次のようなものでした。

観仏先リスト05~「忍性~救済にささげた生涯~展」

極楽寺・釈迦如来像.極楽寺・十大弟子像~舎利弗
極楽寺~(左)釈迦如来像、(右)十大弟子像~舎利弗

私は、鎌倉時代の仏像への関心が、今一歩という処なので、サラリと観て回ったというような感じとなりました。



【奈良博・募金箱に託された浄財で、修理実現~高尾地蔵堂・毘沙門天像】


なら仏像館の方には、奈良博の「文化財保存への募金」を活用して保存修理が実現した、滋賀県甲賀市・高尾地蔵堂の毘沙門天像(平安後期・12C)が公開されていました。

観仏先リスト06~高尾地蔵堂

高尾地蔵堂・毘沙門天像~修理前.高尾地蔵堂・毘沙門天像
高尾地蔵堂・毘沙門天像~(左)修理前、(右)修理後

この毘沙門像は、2010年、甲賀市史の編集に伴う事前調査をした際に発見されました。
発見時には、表面が分厚い後補の彩色で覆われていましたが、博物館の募金箱に託された浄財で、約400万円の修理費用が全額賄われ、修復が実現したというものです。
厳しい文化財関係予算のなか、一般人々の募金で修復が実現したという話に、ちょこっと感激しました。

奈良国立博物館に設置されている募金箱
奈良国立博物館に設置されている募金



同窓会を終えた翌日は、京都に妻と一泊。

妻は京の町歩きへ。
私は佛教大学公開講座
「美術史家・井上正の眼シリーズ~円熟期の井上正先生に師事して(熊谷貴史氏)」
に出かけました。

食事、いつもの定番コースの店の他に、最近ちょっと人気のイタリアンといわれる、「Ristorante 美郷」へ行ってみました。

「Ristorante 美郷」
「Ristorante 美郷」

五条河原町の近くで、近頃はやりの、古い京町屋を改造利用したお店でした。
シャレた盛り付け、程よい味付けといったイタリアンでしたが、一度経験しておけばOKかなという感じだったでしょうか。

暑い暑い8月の観仏は、しんどくて、これでおしまいです。



[9月]


暑いながらも、秋の匂いも感じる9月。
しばらく出かけていなかった、観仏探訪活動へ出動です。


【知られざる、奈良郊外の見どころ満点の仏像探訪の旅へ】


同好の方々と、一泊二日で、

「奈良の、あまり知られていないが、見処ある仏像を訪ねる」

というテーマで、観仏に出かけました。
山添村・薬音寺、桜井市笠区・妙円寺、宇陀市榛原・戒長寺、奈良市郊外の弘仁寺、正暦寺などを訪ねました。
仏像愛好家にとっては、結構渋い処の、ラインアップではないかと思います。

初日は、ご覧の処を訪ねました。

観仏先リスト07~薬音寺他


【隠れた平安古仏群に、驚きと大興奮~山添村・薬音寺の諸仏像】


何といっても、驚きの大興奮だったのは、最初に訪ねた、山添村・薬音寺の古仏像群でした。

「山添村・薬音寺の古仏像群」
と聞いて、
ピンとくる方はあまりいらっしゃらないのではないかと思います。

近年まで、ほとんど知られざる仏像群でした。
2014年に県教育委員会の調査が実施され、俄かに平安期の古仏群として注目を浴びるようになったのだと思います。

山添村、薬音寺・古仏像群
山添村、薬音寺・古仏像群

近畿文化会の探訪解説に、県教委の神田雅章氏が、薬音寺諸像について、このように紹介されています。

「須弥壇上に所狭しと平安仏が並ぶ様は圧巻であり、これだけの古仏が一箇所にまとまって伝わる例を奈良では他に知らない。
平安仏19体、鎌倉仏1体からなり、村の文化財として一括指定されるが、平安仏も一具ではなく複数の手に分かれる。」
(近畿文化775 号「山添村の仏像」2014年)

なかでも古様な一群は、10世紀後半の制作に遡るとみられているようです。

村役場の教育委員会のご担当に、大変お世話になり、拝観が叶いました。

薬音寺は、奈良駅から車で東に40分程、人里離れたといっても良いような、山中の村落にあるお堂でした。

薬音寺のお堂

薬音寺古仏群、県指定文化財指定の標識看板
薬音寺のお堂と、県指定文化財古仏群の案内看板


【奈良郊外山中に、10世紀の古仏群~地方仏の匂いのする、素朴な力に惹かれる】


小さなお堂の中の須弥壇に、沢山の仏像が並んで祀られています。

薬音寺堂内の須弥壇に、所狭しと並ぶ古仏群
薬音寺堂内の須弥壇に、所狭しと並ぶ古仏群

間違いなく、平安古仏群です。
奈良の中心地から、そんなにも遠くない地なのですが、田舎風と云うか、たしかに地方作という匂いのする古仏です。

とりわけ、眼を惹いたのは、薬師如来坐像でした。

薬音寺・薬師如来像
薬音寺・薬師如来像薬音寺・薬師如来像
薬音寺・薬師如来像

衣文の彫り口は、シャープなものがあり、素朴な中にも、力感ある迫力を発散しています。
聖観音像の古様さ、天部像の諧謔な造形もまた、魅力的なものがありました。

薬音寺・聖観音像薬音寺・広目天像
薬音寺~(左)聖観音像、(右)広目天像

古様な一群は、その造形から10世紀に遡る平安古仏であろうと思わせます。
それにしても、20体近い素朴な平安古仏が、身を寄せ合って、一群で発するパワーには、心惹きつけるものを感じます。
これほどの、平安古仏群が、ほとんど注目もされずに、隠されてきたというのは、ビックリポン!!でした。
これまで、注目されることなく、近年に至ったというのは、名作仏像ひしめき合う奈良の地であるからこそなのでしょうか?

「驚きの、薬音寺平安古仏群に、興奮、感嘆!
訪ねてきてみて本当に良かった。」

こんな、満足感一杯で、山添村・薬音寺を後にしました。

帰りに、高円山の白毫寺、高畑の新薬師寺へ寄りました。
いつも思うのですが、白毫寺の伝文殊菩薩像は、平安前期の一木彫像のなかでも、出色の出来の良い像だと思っています。

白毫寺・伝文殊菩薩像
白毫寺・伝文殊菩薩像

ちょっと、整い過ぎ感がないわけではありませんが・・・・・・
もっともっと知られてもよいのではないかと思うのですが、なかなか有名にはなりそうにありません。



【奈良に美味いもの、あり~高畑「温石」】


夜は、奈良の会席料理の老舗、「温石」へ。
昔から知られている店なのですが、これまで訪ねる機会がなくて、初体験となりました。
高畑の閑静な住宅街の中にあります。
軒先がほんのりライトアップしていなければ、そこに料理屋があるとは気が付かぬような静かな佇まいです。

高畑「温石」
高畑「温石」

古民家風の飾らぬシンプルなしつらえの、落ち着いたお店でした。

「美味かったです!!」

いずれの料理も素材が抜群、とりわけ車エビは極上でした。
味付けも、奈良にしては?ふうわりと穏やか。

「奈良に美味いものなし!」と云いますが、「美味いものを見つけたぞ!」という気分です。
ちょっとお値段が張るのですが、大満足の一夜となりました。


翌日は、奈良中北部のご覧のような諸仏を巡りました。

観仏リスト08~笠区他


【やはり「知られざる名作」、笠区妙円寺の、平安古仏・薬師如来像】


本日の最大の目的は、笠区・妙円寺の薬師如来像です。

笠区妙円寺・薬師如来像
笠区妙円寺・薬師如来像

この薬師像、平安前中期の一木彫像ですが、素晴らしい出来の傑作です。
これまで展覧会などに出展されたことも、一度も無く、桜井市の外れの山中といってもよいような鄙びた処に、ポツリと在りますので、直に拝した方は、それほど多くはないのかと思います。

笠区妙円寺・収蔵庫
笠区妙円寺~薬師像が祀られる収蔵庫

これだけの出来の良い像は、そう多くあるものではありません。
「知られざる名作」と、私は、秘かに思っているのです。



【新指定重文、浄山寺・地蔵菩薩像と笠区・薬師像を見較べる~「同系の作者の手になる」のだろうか?】


私は、二度目の訪問となるのですが、今回は、一つの目的がありました。
今年度、新指定重要文化財となった、埼玉越谷の浄山寺・地蔵菩薩像の重文指定事由解説に、このように述べられていたのです。

「奈良笠区薬師如来像(重要文化財)は、側面での衣文の彫法が本像(浄山寺地蔵菩薩像)と酷似する。
・・・・・
両像は同系の作者の手になるとみてよく、本像は畿内よりもたらされたものであろう。
製作年代は、鋭くいまだ定型化をみせない衣文の彫り口から、九世紀前半に遡る可能性が考えられる。」
(月刊文化財633号「新指定の文化財」2016年6月)

もう一度、自分の眼で、浄山寺・地蔵菩薩像と、笠区・薬師如来像を見較べてみたかったのです。

埼玉浄山寺・地蔵菩薩像埼玉浄山寺・地蔵菩薩像
埼玉浄山寺・地蔵菩薩像

笠区・薬師如来像は、年に一二度しか開帳されず、普段は拝観が難しいのですが、桜井市の教育委員会のお世話になって、拝することが出来ました。



【鋭い切れ味、キリリと引き締まった姿は、やはり傑出~笠区の薬師像】


収蔵庫に祀られる、薬師像を眼近にじっくりと拝することが出来ました。
やはり何度見ても、素晴らしい出来の傑作像です。
惚れ惚れします。

「手の切れそうな鋭い切れ味の鎬、深く彫り込まれ粘りのある衣文」

この凄さに惚れ込まない人は、いないのではないでしょうか?

笠区妙円寺・薬師如来像

笠区妙円寺・薬師如来像笠区妙円寺・薬師如来像
鋭い鎬、深く粘りある衣文の彫り口の、笠区・薬師如来像

溢れんばかりのボリューム感、迫力という訳ではないのですが、厳しげな顔貌、キリリと引き締まった体躯は凛として、強い存在感を感じさせます。

笠区妙円寺・薬師如来像

笠区妙円寺・薬師如来像
笠区妙円寺・薬師如来像

カヤ材の一木彫、蓮肉まで共木から彫り出されています。
平安初期様を引く9世紀末~10世紀初の制作といわれています。


さて、問題の、9世紀の制作といわれる、浄山寺・地蔵像との見較べです。

笠区妙円寺・薬師如来像~側面V字状の衣文埼玉浄山寺~側面のV字状の衣文
側面のV字状の衣文~(左)笠区・薬師像、(右)浄山寺・地蔵像

笠区妙円寺・薬師如来像~腰脚部埼玉浄山寺・地蔵菩薩像~腰脚部
腰脚部の衣文~(左)笠区・薬師像、(右)浄山寺・地蔵像

確かに、両袖側面のV字状の衣文など、衣文の形式、鋭さは類似しているようには思うのですが、

新指定重文解説のように、
「両像は同系の作者の手になるとみてよく・・・・」
といわれると、
「ウーン、自分の仏像を見る眼が、まだまだなのかな?」
と、ちょっと唸ってしまいました。

少なくとも、

「笠区・薬師如来像の方が、彫刻作品として格段に出来のレベルが優れている。」

そのような確信を持ったのは、率直な感想でした。



【緑濃い樹々に覆われる「かくれ寺」、戒長寺】


戒長寺は、人里離れた榛原の山中、まさに「かくれ寺」です。

緑濃い樹々に囲まれた戒長寺
緑濃い樹々に囲まれた戒長寺

境内の大イチョウをはじめ、鬱蒼とした緑に囲まれていました。
煩わしい俗界から離れた地で、心静かになるような思いいです。
拝した諸仏もまた、皆、平安後期のおだやかな造形でした。

戒長寺・薬師如来像

戒長寺・日光菩薩像.戒長寺・薬師如来像、日光月光菩薩像
四君子苑~玄関と前庭

奈良中部の地方的作風という諸像でしたが、心和やかな気持ちとなりました。
ご住職には、大変、親切丁寧にご案内いただきました。



【重量感と動勢が見処~弘仁寺の平安前中期・二天像】


弘仁寺を訪れました。
天理駅の北東にあります。

弘仁寺の境内と本堂
弘仁寺の境内と本堂

弘仁寺と云えば、平安前期の一木彫像「明星菩薩像」が、有名です。
明星菩薩像は、長らく奈良国立博物館に寄託されており、弘仁寺にはありません。

この日の目的は、本堂に安置される持国・増長の天部二像を拝することでした。

弘仁寺・増長天像
弘仁寺・増長天像

天部二像は、平安中期、9世紀末~10世紀初の制作とされる平安古仏です。
(残りの広目・多門天像は、江戸時代の制作です。)

今回が、初めての拝観です。
風雨にさらされたのか、木肌は随分荒れていますが、重量感と動勢のある、なかなか見処のある天部像です。
カツラの一木彫、邪鬼まで共木から彫り出されています。

飛鳥、川原寺に遺される、天部二像を連想させる造形です。

川原寺・多門天像
川原寺・多門天像

あまり知られていない平安古仏ではないかと思うのですが、一見の価値ある天部像でした。



【大御輪寺伝来の日光月光菩薩像を拝しに、正暦寺を訪ねる】


最後に、正暦寺を訪れました。

今回、正暦寺を訪ねた目的は、本堂に祀られている、日光月光菩薩像を拝することでした。
この日光月光の二菩薩像は、元々、大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺である大御輪寺に安置されていた仏像なのです。

大御輪寺旧本堂~現大直禰子神社
大御輪寺旧本堂~現大直禰子神社社殿

明治の神仏分離令の影響で、正暦寺に移されたのでした。
大御輪寺伝来の仏像と云えば、
聖林寺の国宝・十一面観音像があまりにも有名ですが、
他にも、
法隆寺・地蔵菩薩像(国宝・平安)、玄賓庵・不動明王像(重文・平安)、長岳寺・増長多聞天像と、この正暦寺像が、
明治初年に大御輪寺から移されたと伝えられています。



【県指定文化財となり、修復もなった二菩薩像】


この大御輪寺伝来・正暦寺日光月光像は、平安時代前中期の制作とされています。
長らく、無指定の仏像だったのですが、2013年に、新たに県指定文化財に指定されました。
文化財指定を機に、腕が無くなっているなどの損傷の復元修理が行われていましたが、今年、その修理が完成したというは話なのです。
私は、この文化財指定&修復完成情報は、全く知らなかったのですが、今回ご一緒の同好の方から、耳寄り情報として教えられたのでした。

この正暦寺・菩薩像、私は、拝したことはありません。
是非一度は拝したいものと、ご住職に拝観のお願いを申し上げた処、ご了解をいただいたのでした。

ご存じのとおり、正暦寺は、立派な伽藍のお寺です。

正楽寺・本堂
正暦寺・本堂

お伺いすると、わざわざ、ご住職自ら、本堂にご案内いただきました。
お目当ての、日光月光菩薩像は、近年新造された中尊・薬師如来像の両脇侍として、安置されていました。

正暦寺本堂に安置される薬師如来像(新造)と日光月光菩薩像
正暦寺本堂に安置される薬師如来像(新造)と日光月光菩薩像

大御輪寺伝来~正暦寺・月光菩薩像大御輪寺伝来~正暦寺・日光菩薩像
大御輪寺伝来・正暦寺~(左)月光菩薩像(右)日光菩薩像

修理前の大御輪寺伝来~正暦寺・月光菩薩像修理前の大御輪寺伝来~正暦寺・日光菩薩像
修理修復前の腕の亡失した(左)月光菩薩像(右)日光菩薩像

亡失していた両腕も復元され、ご立派なお姿を拝することが出来ました。
両像共に、奈良様の伝統を受け継いだ、見事な木彫像です。

乾漆併用で造形されているようのではないでしょうか?
間違いなく、奈良様を残した平安前中期の制作のように見受けました。



【明治元年に大御輪寺から正暦寺へ~正暦寺に残る「寄付証文・目録」で明らかに】


ご住職から、日光月光菩薩像が大御輪寺から移された経緯について、まことに興味深いお話をお教えいただきました。
なんと、正暦寺には、大御輪寺からの「寄付証文・目録」が、3通残されているそうなのです。
その文書には、大御輪寺から、両菩薩像はじめ仏具が寄付され、正暦寺から相応の御礼がされた旨、記されているというのです。
日付は、慶応4年・明治元年(1867)となっているということでした。

ご存じのとおり、聖林寺にも、大御輪寺から十一面観音像、地蔵菩薩像(現在法隆寺所在)等を預かったという、慶応4年(1867)の「預証文」が、遺されています。

明治初年の神仏分離の際、大御輪寺の仏像が、各寺に移されるについては、きっちりとした相互の了解のもとに、移安されたということなのでしょう。
大御輪寺旧仏については、決して、廃仏毀釈の嵐の中で廃棄同様に扱われたということではなかったようです。
正暦寺に残る大御輪寺からの「寄付証文」については、まだ、広く世に知られるには至っていないようです。

「そんな貴重な資料が、正暦寺に残されていたのか!」

ビックリするとともに、初めて知った秘話に、心ときめいてしまいました。

ご住職から、大変に興味深い、秘話ともいうべき貴重なお話をお伺いすることが出来ました。
私にとっては、最も関心の高いテーマの、未知の話の連続で、大興奮のひと時となりました。

大変懇切にご案内いただき、貴重な秘話まで聞かせていただいたご住職に、心より感謝しつつ、正暦寺を後にしました。


今回の一泊二日の奈良観仏探訪は、あまり知られていない渋い処の仏像ばかりといったラインアップでしたが、極めて中身の濃く充実した、大満足の旅となりました。



【3mの巨像、櫟野寺・観音坐像が東博に出展~360度ビューで鑑賞】


7~9月の観仏の最後は、東京国立博物館で開催されている、「平安の秘仏~滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち展」です。

「平安の秘仏~櫟野寺展」ポスター

櫟野寺の十一面観音像は、お寺の本堂で何度か拝したことはあるのですが、その観音像が、初めてお寺を出て、博物館で展示されることになったのです。

櫟野寺・十一面観音像
櫟野寺・十一面観音像

今回の特別展は、33年に一度の大開帳に向けて、本堂・文化財収蔵庫の大改修が行なわれることになり、その機会に、櫟野寺の全て平安古仏像が出展される、特別展が開催されることとなったということです。
櫟野寺の平安古仏像、20躯が、全て勢揃いしていました。

十一面観音像は、像高が3mもある巨大像です。
その観音像が、東京まで運ばれ、360度ビューで展示されることになったのですから、駆け付けないわけにはいきません。
一度、どうしても側面から、観たかったのです。
お寺では、お厨子の中に安置されており、側面背面からは拝することは叶いません。

櫟野寺の厨子内に安置される十一面観音像
櫟野寺の厨子内に安置される十一面観音像


【不思議な造り方の櫟野寺・観音像~桶状矧付けで、ボリューム増量】


実は、この観音像、ヒノキの一木造りなのですが、頭体部の丸太状の原木の周りに、十数枚の薄板を桶状に矧ぎつけ、体部の太さを増すように造られているのです。
不思議な造り方です。
何らかの由緒ある霊木のヒノキ丸太を用い、その霊木を活かしつつ、ボリュームをつけるため、こんな異色の木寄せを行なわざるを得なかったのであろうとみられています。

博物館で、真横から、じっくりと観ることが出来ました。
分厚いのです。
腹から腰にかけて、予想以上のドーンとしたボリューム感です。
あとからボリュームを増したというぎこちなさが、ほんのちょっと残るようですが、そのことがまた、堂々たる安定感を醸し出しているのだと納得しました。

櫟野寺・十一面観音像
四君子苑~玄関と前庭

正面から拝しても、下膨れで大ぶりな目鼻立ち、拡がりのある両ひざの構えで、堂々たる姿に圧倒されます。
平安中期の、穏やかさを醸しながらも、

「どっしりと、頼りになる仏様!」

そんな雰囲気が、漂っていました。
10世紀の数ある仏像の中でも、傑作のひとつとして、指を折ってもよい見事な仏像だと、納得です。



【ちょっと難しかった「甲賀様式」という考え方】


ご本尊の他にも、19躯の平安古仏が、所狭しと展示されていました。
全て、平安中期から後期にかけての制作の仏像です。

解説キャプションには、
「甲賀様式と呼ばれる造形表現の共通の特徴があり、櫟野寺を中心に甲賀の寺院に広くみられる。」
と記されるとともに、

図録解説には、「甲賀様式と櫟野寺の仏像」(西木政統氏執筆)という解説論考が、掲載されていました。
「よく伸びた細身の体躯」「目尻の吊り上がった厳しさを残す目」「裳の折返しや腰布を独特の意匠で飾る」「静穏な作風」
などといった、類似の様式的特徴がみられるということです。

櫟野寺~甲賀様式像1.櫟野寺~甲賀様式像2
甲賀様式といわれる仏像~櫟野寺・観音菩薩像


諸像を、一所懸命に、観てみたのですが、

〈甲賀様式という様式的特徴〉として、括り出せるものなのかどうか?」

そのあたりを、どのように理解していったらよいのか、なかなかよく判りませんでした。
まだまだ勉強不足、という処です。


やっと、第三四半期、9月までの観仏探訪をご紹介することが出来ました。

ついつい図に乗って、ダラダラと長く綴ってしまい、その分時間もかかって、早くも、今年の残りの日も、指折り数えるほどになってしまいました。
年内に「今年の観仏を振り返って」を、すべて掲載し終わるつもりだったのですが、もう間に合いそうにありません。

毎日、こればかりやっているという訳にもいきませんので・・・・・
ギブアップという処です。

ということで、「最終回、〈その4〉(10~12月)」は、年またぎで、新年早々のいずれかに掲載させていただきます。


今年も、「観仏日々帖」ご覧いただきまして、本当にありがとうございました。

来年も、「気ままな仏像記事」を、書き連ねていければと思っております。
よろしくお付き合いいただけますよう、お願いいたします。


皆様、良き年を迎えられますよう!!


コメント

先日はありがとうございました。

先日は遠いとこをわざわざ山添村まで来ていただき、ありがとうございました。

また、薬音寺を記事にしていただきありがとうございます。

また今後、山添村を訪ねる際はご一報いただければ可能な限りの対応をさせていただきます。

  • 2017/03/08(水) 17:26:30 |
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