観仏日々帖

新刊案内~「香薬師像の右手~失われたみほとけの行方」 貴田正子著  【2016.10.29】


まさか、まさか! 

こんな本が出版されるとは、思いもしていませんでした。


新薬師寺・香薬師像は、白鳳時代の名品として人々の心を魅了してきました。

新薬師寺・香薬師像~小川晴暘撮影写真
新薬師寺・香薬師像~飛鳥園・小川晴暘撮影写真

昭和18年に盗難に遭い、今も、行方知れずとなっています。
まさに、「伝説の白鳳美仏」と云える仏像なのです。

香薬師像の右手先部分は、当時、盗難を免れたものの、その後行方不明となっていました。
その右手先が、70年余を経て行方が判明し、新薬師寺に返還奉納されたというのです。

今般、出版された「香薬師像の右手」という本は、香薬師像の盗難事件の発生から、その後の顛末、今般の右手先の所在の発見までを克明にたどったノンフィクション・ドキュメントなのです。


「香薬師像の右手~~失われたみほとけの行方」  貴田正子著
2016年10月 講談社刊 【243P】 1600円


新刊・香薬師像の右手



【「香薬師像の右手発見」の新聞記事に、ビックリ!】


10月12日、読売新聞の朝刊に、こんなビックリの記事が掲載されました。

「盗難の重文仏像の右手か   新薬師寺に返還  専門家、本物と判断」

という大きな見出しです。

香薬師像右手発見を報ずる新聞記事
香薬師像右手発見を報ずる読売新聞2016.10.12朝刊

新聞記事本文の一部を、ご紹介しましょう。

「奈良市の新薬師寺から1943年に盗まれて行方不明になっている白鳳時代(7世紀半ば~8世紀初め)の仏像の傑作、重要文化財・銅造薬師如来立像(通称・香薬師(こうやくし)像)の右手部分が盗難を免れていたことが分かった。

発見された香薬師像の右手
発見された香薬師像の右手

行方を調査したノンフィクション作家の貴田正子さん(47)が、それに当たるとする右手を確認し、昨年10月に同寺で返還の法要が行われた。
文化庁は科学調査を実施し、本体が未発見のため断定はできないものの、『白鳳時代のものとみて矛盾はない』としている。

新薬師寺・香薬師像~小川晴暘撮影写真
新薬師寺・香薬師像~小川晴暘撮影写真
香薬師像は高さ約75センチの金銅製。奈良・法隆寺の観音菩薩立像(通称・夢違観音)や東京・深大寺の釈迦如来倚像と並び、白鳳仏の代表とされる。
明治時代に2度盗難に遭って寺に戻ったが、43年に三たび盗難に遭い、行方不明となった。
右手部分は、最初に盗まれてから寺に戻る間に切断され、発見後に本体とつなぐ補修が行われた。
このため、43年の盗難で本体とともに盗まれたと考えられていた。

貴田さんが調べたところ、43年の盗難時に右手は本体と別に保管されていて盗まれず、一時は警察署が保管していたのを、写真家の小川晴暘が目撃し、随筆に書き残していたことが判明。
その後経緯は不明ながら作家の佐々木茂索(1894~1966)が所持し、後に遺族が神奈川県鎌倉市内の寺に寄贈したという。

12日刊行の貴田さんの著書「香薬師像の右手」(講談社)に書かれている。
・・・・・・・・・・(以下略)」


「そうか、あの香薬師の右手先が見つかって、新薬師寺に戻されたのだ!」

と、ビックリしました。

新聞の見出しが「香薬師像」ではなくて、「盗難の重文仏像」と書かれているのを見て、

「『白鳳の名品・香薬師』といわれても、今や、ピンと来る人があまりいないのか、古い話になってしまったのだ。」

と、妙なところで感心した次第です。

記事には、「香薬師像の右手」という新刊本が出る、と書かれているではないですか。
即座に、書店に駆けつけて購入しました。



【神奈川文化研HPでも採り上げたことのある、香薬師像盗難物語】


実は、私も、新薬師寺・香薬師像の盗難のいきさつなどについて、神奈川仏教文化研究所HPの「奈良の仏像盗難ものがたり~新薬師寺・香薬師如来像の盗難」という連載で、採り上げたことがあるのです。

・失われた香薬師像を偲んで(埃まみれの書棚から・第182回)
・香薬師像盗難事件を振り返る(埃まみれの書棚から・第183回)
・その後の香薬師像あれこれ(埃まみれの書棚から・第184回)

この連載では、
香薬師像が3度の盗難に遭ったことと、盗難事件のいきさつ、
かつての盗難事件の際切断された右手先が盗難の免れたこと、
その後、3体の模造が、盗難前に型抜きされた石膏型から複製制作されたこと
などの話について、綴っています。

ご覧いただけると、盗難事件とその後の顛末の概略が、お判りになると思います。

そんなわけで、私にとっては、「香薬師像盗難事件」について書かれた本となると、興味津々、何をおいても必読という処です。



【香薬師盗難から右手発見までの、真迫のドキュメント新刊本】
~著者20年にわたる執念の追跡の軌跡~

本を手にして、一気呵成に読破しました。
私も、香薬師盗難事件について、結構調べてみたつもりなのですが、全く及びもつかない深く詳しいレベルで、徹底調査、徹底取材された、凄い内容です。
「よくぞ、此処まで調べ上げられたものだ!」
敬服としか、言いようがありません。
ただただ驚嘆、讃嘆の一語に尽きます。
この本を読んで、これまでモヤッと疑問に思っていたことのほとんどが、霧が晴れるようにスッキリわかりました。

著者の貴田正子氏は、ノンフィクションライター。
1993年に、産経新聞社に入社。
新人の地方支局時代に香薬師如来像の石膏複製の取材をしたのをきっかけに、香薬師像の独自取材をはじめ、20年以上にわたり香薬師像の行方を追う取材活動を続けてきたそうです。

そして、取材の果てに、昨年の夏、ついに香薬師の右手を発見。
その執念の取材過程をまとめて上梓したのが、本書「香薬師像の右手」という訳です。

AMAZONには、このように本書の内容紹介がされています。

「奈良・新薬師寺の香薬師立像は、旧国宝に指定され、白鳳の最高傑作と言われていた美仏。
あまりの美しさから『金無垢でできている』という噂がたち、明治時代に2度盗まれたが、手足を切られ、純金製でないことが分かると2度とも道端に捨てられているのが発見され、寺に戻った。

そして昭和18年、3回目の盗難に遭う。
『国宝香薬師盗難事件』は、戦時中の新聞にも報じられ、仏像ファンたちに大きな衝撃を与えた。
2度盗まれて戻ってきた像だったが、今回ばかりは発見されず、未だ行方が分からない。

この行方不明の香薬師を見つけ出そうと、元産経新聞の記者である著者が取材を開始。
新薬師寺住職の全面的な協力を得た調査では、まるでミステリー小説を地で行くような展開に。
その結果、衝撃の新事実が発覚。ついに、『本物の右手』の存在をつかむ……。

美術史的にも非常に意義のある大発見までの経緯をまとめた、衝撃のノンフィクション」

まさにこの内容紹介通りの中身の本で、盗難事件にいきさつや、右手先の追跡発見について、息もつかせずテンポよく読ませます。
流石に、新聞記者出身のノンフィクションライター、惹き込むように読ませる文章で、ミステリー、ドキュメンタリーの世界に浸る気分です。
また、取材したことをライターとして書かれたものではなく、筆者、貴田氏が自らのライフワークとして、執念を以て調査追跡した物語であるだけに、その迫力に胸撃たれるものを感じます。



【香薬師盗難とそれにまつわる話が、見事に網羅された、愛好者必読の書】


本書の目次は、ご覧のとおりです。

香薬師像の右手~目次


この一冊を読めば、香薬師像の盗難事件と、それにまつわるあらゆる話を詳細に知ることが出来ます。
物語の詳しい内容は、是非本書をお読みになってみていただきたいのです。

その中で、私が、とりわけ興味深かった話、新たに知った話のポイントだけを、ここで、ご紹介しておきたいと思います。

香薬師像盗難事件の顛末などについて、ある程度ご存じであることを前提にして、本書を読んで、私が新たに知った話、疑問が晴れた話だけを採り上げてみたいと思いますので、少々マニアックで隘路に入った話になりますが、ご容赦ください。



【発見された右手は、明治33年、1回目の盗難時に切断されたものだった】


第2章の「香薬師盗難事件」についてです。

香薬師像は、明治33年(1900)、明治44年(1911)、昭和18年(1943)の3回、盗難に遭いました。
本書では、この3回の盗難についての顛末が、大変詳しく語られています。
当時の、香薬師の写真、新聞記事、当局に提出された盗難・発見届などが詳細に紹介されており、誠に興味津々です。

3回目の盗難後、現在まで行方不明となっているのですが、その時
「香薬師仏の本体は盗まれたが、右手首と両足は厨子に残されていた。」
と、小川晴暘氏は記しています。
両足は木製の後補ですが、右手先は白鳳当初の本物なのでした。


私がこの盗難事件のいきさつを調べてみたとき、この両足と右手の切断がいつなされたのか、書かれたもので違いがあって、はっきりしませんでした。

もう一つ、不思議に思ったのは、
「どうして右手首と両足は厨子に残されたのだろうか?」
ということでした。
盗賊が香薬師像を乱暴に扱ったので、接合部分が外れてしまったのだろうと思っていました。

本書では、盗難事件の経緯の徹底的な調査によって、この疑問を、見事に解決してくれていました。

右手、両足が切断された時期と状況について、詳しく記されていました。

1回目の明治33年(1900)の盗難時に右手先が、2回目の明治44年(1911)の盗難時に両足先が切断されたというのが、事実だそうです。
2回目の盗難で、右手先が再度切断された後は、右手先と腕は銅板で接合されたということです。

そして、一番ビックリしたのは、昭和17年(1942)に香薬師像の石膏型をとった時、新たに銅で右手、両足、台座を制作し、新造の右手、両足を溶接して香薬師像に接いだのだという、驚きの事実でした。
香薬師像の石膏型をとった話は、この後、ふれさせていただきますが、この話が事実なら、本物の右手は、昭和17年以降、香薬師像とは別に保管されていたのだということになります。

昭和18年に入った盗賊は、新造の右手、両足が接がれた香薬師像を持ち去ったのだということらしいのです。

本書で解明されたこの新事実には、本当にビックリしました。
そして、従来よく判らなかった、ちょっとした疑問がスッキリ解消しました。


3枚の古い写真をご覧ください。

・明治33年の一度目盗難の前にとられたもの(明治21年・1888~小川一眞撮影)
・その後、明治44年の二度目の盗難前にとられたもの(明治41年・1908刊「日本精華第1輯」所載、工藤精華撮影)
・昭和18年の三度目の盗難前にとられたもの(小川晴暘撮影)

この写真をご覧になると、撮影された時期によって、右手の様子、接合の状況が違うのが、お判りいただけるかと思います。


一回目の盗難前の香薬師像写真~明治21年・小川一眞撮影.明治21年小川一眞撮影写真の右手
1回目の盗難(明治33年)前の香薬師像写真~明治21年・小川一眞撮影
右手に切断痕は見られないが、もともと右手首あたりに傷みはあった様子



明治~大正期の香薬師像写真~工藤精華撮影.工藤精華撮影写真の右手
2回目の盗難(明治44年)前の香薬師写像真~明治41年刊「日本精華第1輯」所載・工藤精華撮影
切断された右手が腕に接合されている痕が判る



昭和~3回目盗難前の香薬師像写真~小川晴暘撮影.小川晴暘撮影写真の右手
3回目の盗難(昭和18年)前の香薬師写像真~小川晴暘撮影写真
再度切断された右手と腕が、銅板で接合されているのが判る



この3枚目の小川晴暘撮影の写真は、石膏型がとられる昭和17年(1942)以前に撮影されたものということになります。

その後に、新造の右手、両足先に取り替えられ、右手はお厨子の中かそのほかの処に別に保管されていたということであったのでしょう。

第2回目盗難後発見時の右手が折れた香薬師写真~明治44年撮影
第2回目盗難後、発見時に撮影された右手が折れた香薬師写真~明治44年撮影
昨年、新薬師寺に保管されていたのが発見された(「香薬師像の右手」所載写真より転載)





【香薬師像の模造・石膏型は、2種類、型抜きされていた~盗難1年前、昭和17年に~】


第4章の「香薬師の複製制作」についてです。

香薬師像は、3体の鋳造模造が残されているのが知られています。
本物と見紛うほどの、素晴らしい出来の鋳造模造です。

香薬師像が3回目の盗難に遭う1年前、昭和17年(1942)に、本物の香薬師から石膏型が型取りされました。
この石膏型から、香取秀真氏により鋳造されたものです。
それぞれ新薬師寺、奈良国立博物館、鎌倉・東慶寺に所蔵されています。

新薬師寺では、境内の香薬師堂に秘仏として祀られています。
東慶寺では、年に一回、期間を限って宝物館に展示されます。
奈良博所蔵像は、2015年開催の「白鳳展」に展示されました。

東慶寺蔵~香薬師像・鋳造模造奈良国立博物館蔵~香薬師像・鋳造模造
香薬師像鋳造模造~(左)東慶寺所蔵像、(右)奈良国立博物館所蔵像

3体の香薬師の模造の存在については、仏像愛好者には、それなりに知られている話だと思います。

佐々木茂索
佐々木茂索氏
この香薬師の模造は、盗難行方不明となった7年後、昭和25年(1950)に、文藝春秋社の社長、佐々木茂索氏が費用全額を負担し、模造鋳造したものです。
佐々木氏が、亡き妻の供養にと、香薬師の模造鋳造を引き受けたのだそうです。
1体は新薬師寺に寄贈され、1体は佐々木茂索氏の所蔵となりました。
本書では、新薬師寺所蔵以外の2体が、現在、奈良博と東慶寺の所蔵となっている経緯についても詳しく語られていました。

それよりも、新たに知ってビックリしたのは、石膏型をとったのは一人ではなく、昭和17年、2人の手によって型取りされていたということが、書かれていたことです。

石膏型をとったのは、竹林薫風氏と水島弘一氏です。
先にご紹介した3体の鋳造模造は、水島弘一氏の手で取られた石膏型によるものだそうです。
竹林薫風氏の石膏型による鋳造模造も存在するそうで、筆者の貴田氏は、竹林型、斎藤明氏鋳造の香薬師模造を、平成25年(2013)に入手されたということです。

筆者貴田氏が入手した香薬師像・鋳造模造~竹林型からの人間国宝・斎藤明氏鋳造
筆者貴田氏が入手した香薬師像・鋳造模造~竹林型からの人間国宝・斎藤明氏鋳造
「香薬師像の右手」所載写真より転載


また、鋳造ではなく、石膏像の模造もあるようです。
全く知らなかった、新事実でした。

実は、この石膏型を誰がとったのかという話について、作家の島村利正氏(1912~81)が、自著で、小川晴暘氏がこのように語っていたと記しています。
島村氏は、小川晴暘氏が経営した飛鳥園で働いていたことがある人です。

「香薬師は、わたし(小川晴暘のこと)が箔抜きしてありますから、複製で原型を偲ぶことが出来るかもしれません。・・・・・・」
(「宝冠」・単行本「霧の中の声」所収、1982.3新潮社刊)

貴田氏は、本書で、
「飛鳥園にも、小川晴暘所蔵の香薬師石膏像があった。
水島型から抜いたものかもしれない。」
と述べられていますが、そのことをさすのかもしれません。

私は、てっきり小川晴暘の語った箔抜きというのが、3体の模造鋳造の元型だったのだと思い込んでいたのですが、そうではなかったようです。



【香薬師・右手は東慶寺にあった~新薬師寺から佐々木氏の手に、遺族が東慶寺に奉納】


第6章の「香薬師像の右手」についてです。

いよいよ、香薬師像の右手発見の物語です。
結論からお話しすると、「香薬師像の右手」は、鎌倉の東慶寺に所蔵されていたのでした。

貴田氏が、右手を発見するまでの顛末を簡単にまとめると、次のとおりです。

「香薬師像の右手」は、新薬師寺でも、盗難後、右手が残されていたことを知る人もいないほどに、忘れ去られていました。

近年、新薬師寺の現住職、中田定観氏が、東京芸大名誉教授の水野敬三郎氏から、
「昔、香薬師の右手を見たことがある」
という話を耳にします。

貴田氏は、この話を受けて水野氏を訪問、
「昭和37年頃、水野氏は、久野健氏と共に、佐々木茂索氏宅で香薬師の右手を実見し、写真も撮影した。」
という事実を知ります。
早速、佐々木家を訪ねますが、香薬師に右手は、佐々木家には残されていませんでした。

貴田氏は、この情報をベースに右手の行方を追跡、ついに、現在、東慶寺に所蔵されていることを突き止めたのです。
佐々木茂索氏が所蔵していた香薬師像の模造が、佐々木氏没後、平成4年(1992)に東慶寺に寄贈されていることから、佐々木氏旧蔵の「香薬師の右手」もまた、東慶寺に奉納されているのではないかと推測したのでした。

貴田氏と新薬師寺が、東慶寺に丁重にお尋ねした処、果たして、「香薬師の右手」は、東慶寺で預かられていました。
香薬師模造の東慶寺への寄贈の8年後、平成12年に佐々木家から奉納されていたのでした。
香薬師右手が納められた箱蓋には、、
「新薬師寺香薬師御手也 故有テ昭和廿五年首夏此箱ヲ造リ奉安ス」
と箱書きがされていました。

香薬師像の切断された右手に間違いないとみられるものでした。


桐箱に納められ、東慶寺に保管されていた、香薬師像右手

佐々木氏による由緒書が記された箱の蓋
桐箱に納められ、東慶寺に保管されていた、香薬師像右手~箱の蓋に佐々木氏による由緒書が記される
「香薬師像の右手」所載写真より転載



「香薬師像の右手」は、その後のやり取りを経て、東慶寺、佐々木家から新薬師寺に戻されることの快諾がえられ、65年ぶりに、元の新薬師寺に帰還することになったのでした。

昨年(2015)10月、新薬師寺に於いて、香薬師像の右手の返還を報告する法要が厳粛に執り行われたということです。

誠に数奇な運命の物語といってよいものでしょう。

「香薬師の右手」は、どうして佐々木茂索氏のもとに所蔵されていたのでしょうか?
きっと香薬師像の模造鋳造が行われ、新薬師寺にその1体が寄贈された時に、新薬師寺から謝意の意味もあって佐々木氏に贈られたのではないでしょうか?

東慶寺のHPに、香薬師如来像・模造についての解説ページがありますが、そこには模造制作のいきさつが、このように記されています

「(香薬師像が盗難行方不明となり・・・・)
時の住持の悲嘆を見かねて、東大寺の上司海雲師が文芸春秋・社長佐佐木茂索氏に話し、
氏もこれに同情し、幸いに寺にこの立像の石膏模型のあるのを利用し、昭和25年に3体の模造を鋳造、
一体を新薬師寺に寄贈し一体を国立博物館に、もう一体を佐佐木家に所蔵したが、
佐佐木茂索27回忌に東慶寺に寄贈された。」

この時の模造鋳造費用は、全額佐々木氏が負担していますので、新薬師寺からお礼の意味も込めて、香薬師の右手が佐々木氏に贈られたとしても、不思議なことは無いように思えます。

この解説は、久野健氏によって書かれたものです。
水野敬三郎氏と共に、佐々木氏宅で「香薬師像の右手」を見たという、久野氏です。


余談ですが、「香薬師像の右手」が、佐々木茂索氏のもとにあることは、仏教美術関係者の間では、「知る人ぞ知る」といった話なのではなかったかと思われます。

実は、この神奈川仏教文化研究所HPの、「盗難文化財の歴史」のページに、新薬師寺・香薬師像盗難の話が短く載せられています。

そこには、
「右手首は、新薬師寺から譲られた某氏が所蔵している。」
と記されています。

この文章を書いたのは、HPの前管理人(故人)です。
久野健氏とも親交のあった人でしたので、香薬師の右手を佐々木茂索氏が所蔵しているのを、久野氏から聞いて知っていたのではないでしょうか?


ちょっと、長々と、マニアックな細かいことを書き連ねてしまいました。
私の大変興味深い分野の話でしたので、話がついつい、隘路に入ってしまいました。

こんな細かい話はさて於いて、本書

「香薬師像の右手~失われたみほとけの行方」貴田正子著

は、誠に興味深い本です。
是非、ご一読をお薦めします。

香薬師像を巡る数奇な物語に、みるみる惹きこまれてしまうのは、間違いありません。
若き日の出来事から「香薬師像の虜」になった貴田氏の、香薬師像への思慕と、右手の行方追跡への深き思いが伝わってくるノンフィクションです。


いつの日にか、香薬師像そのものが発見される日が来ることを、願うばかりです。


コメント

香薬師の背中

 東京国立博物館の五部浄の腕や、芸術新潮1974年2月号に木戸敏郎氏が書いている 奈良元興寺薬師如来の背板のように、仏像の断片がよそに所蔵されていることはままあることのようです。

  • 2016/11/18(金) 20:00:52 |
  • URL |
  • 山科 #jnbE1xDU
  • [ 編集 ]

Re: 香薬師の背中

山科様

ご覧いただき有難うございます。

芸術新潮の木戸敏郎氏執筆「古美術店で見つけた・国宝元興寺薬師仏の背板」は、以前に大変面白く読んだ記憶があります。

おっしゃるとおり、著名古仏像の断片などが、いろいろな事由で、寺から出て個人蔵になっているものは、結構あるようですね。
こんな有名な仏像の関係断片が、どうでして個人所蔵になっているのだろうかと、驚くいてしまうことがあります。

ご存じのことと思いますが、過去に出版された、「諸家愛蔵・日本仏教美術秘宝」1973年三彩社刊、「拈華微笑」展図録2000年ロンドンギャラリー刊、「仏像名品新発見」2008年マリア書房刊といった本に掲載された個人蔵仏像写真を見ると、こんな名品仏像が個人所蔵になっているのかと、本当にビックリしてしまいます。

とりわけ、興味深かったのは、1989年に瀬津雅陶堂から私家版で出された「散華・仏教美術断片集」に掲載されていた、瀬津雅陶堂所蔵の仏像関係断片の数々でした。
唐招提寺廬舎那仏像光背化仏、興福寺八部衆・迦旃延像の左手先、東大寺三月堂不空羂索像の持物蓮華や四天王像乾漆断片、浄瑠璃寺吉祥天像の蓮弁天衣残欠などなどが、掲載されていました。

明治以降、何らかの事情で、寺外に出たものなのでしょうが、一般には知られていない国宝級仏像の断片等が、個人所蔵されているものは、まだまだあるのかもしれませんね。

管理人



  • 2016/11/20(日) 11:41:56 |
  • URL |
  • 神奈川仏教文化研究所 #-
  • [ 編集 ]

瀬津

瀬津さんの前のご主人は、益田家のものを多く取引していたはずなので、その筋かもしれませんね。瀬津雅陶堂のその図録はみていないので、初耳の情報ありがとうございました。

  • 2016/11/20(日) 17:42:12 |
  • URL |
  • 山科 #9WS3d7SY
  • [ 編集 ]

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