観仏日々帖

古仏探訪~「上京区西陣・雨宝院の千手観音像」京のかくれ仏探訪⑨  【2016.10.15】


6月からご紹介してきた「京のかくれ仏探訪」ですが、そろそろネタも尽きてしまいました。

今回ご紹介するのは、「かくれ仏」などと呼べるものではなくて、それなりに知られた仏像ですので、今更、ご紹介するほどでもないのですが、
「京都市中の、私のお気に入り平安古仏を、ちょこっとご紹介」
ということで、お付き合いいただければと思います。



上京区にある、雨宝院の千手観音像です。

拝された方も、多くいらっしゃるのではないかと思います。

雨宝院・千手観音像

雨宝院・千手観音像
雨宝院・千手観音像


この千手観音像、私の結構なお気に入りで、京都へ出かけて時間の余裕があると、ついつい拝しに寄ってしまいます。
かれこれ、もう10回近く、この千手観音を拝しに、雨宝院を訪れたのではないでしょうか?



【京都・西陣の町のど真ん中、ひっそりたたずむ雨宝院】


雨宝院は、「上京区智恵光院通上立売上ル聖天町」という長々しい町名の処にあります。
「西陣」のど真ん中といった方が、判りやすいのではないかと思います。

西陣織の帯の老舗で知られる「渡文(わたぶん)」の店を活用した、西陣織紹介の「織成館(おりなすかん)」は、雨宝院のごく近くです。
余談ですが、この「織成館」は、西陣織の世界を体感できる、一押し、お薦めの織屋建築ミュージアムです。

西陣「織成館」

西陣「織成館」
西陣「織成館」

雨宝院は、ちょっとわかりにくい路地を入った処にひっそりと在る、小さなお寺です。
表門に「西陣聖天、大聖歓喜天」と書かれた、真っ赤な提灯がかかっているのが目印です。

雨宝院・表門
雨宝院・表門

この雨宝院は、地元では
「西陣の聖天さん、花の寺」
として知られ、親しまれています。
桜の季節には、京の隠れた桜の名所として、賑わうそうです。

本尊・歓喜天が祀られる雨宝院・本堂
本尊・歓喜天が祀られる雨宝院・本堂

満開の雨宝院境内の桜
満開の雨宝院境内の桜

御本尊は歓喜天で、ご紹介の千手観音像の方は、一般には、あまり知られていないと思います。千手観音像は、境内の観音堂に祀られています。

雨宝院・観音堂
雨宝院・観音堂

像高211.5㎝という堂々たる一木彫像で、平安時代の制作、重要文化財に指定されています。
頭体の根幹部をー木から彫出し、背中と腰から裾にかけて二か所から内割りを行い、背板があてられています。
漆箔像ですが、薄く木屎漆のモデリング(乾漆)がされている可能性があるようです。

雨宝院の歴史や、千手観音像の概要などについては、本HPの
「貞観の息吹4~雨宝院・千手観音像」
に高見徹氏が紹介、解説されています。
ここでは、これ以上ふれないでおきますので、是非、そちらをご覧いただきたいと思います。



【昭和初期「京都市中から、忽然として発見された霊像」】


この千手観音像を、最初に拝したのは、14~5年前のことであったと思います。
薄暗いお堂になかで、この像を拝したとき、西陣の町中の小さなお寺に、こんな量感豊かな堂々たる観音像が遺されていたのだと、ビックリしました。

雨宝院・千手観音像
雨宝院・千手観音像
ただ、この観音像の、伝来などについては、全く不明なのだそうです。

「昭和10年代に、京都の市中から、忽然として発見された霊像である。」

日本古寺美術全集(第25巻)には、このように紹介されています。

実際には、

「昨年(昭和17年・1942)来行われていた、京都府の寺宝調査に際し、赤松俊秀氏が境内の観音堂から稀に看る優秀な千手観音を発見せられ、学会の斉しく注視するところとなった。」
(「別尊京都仏像図説」美術史学会著、1943年一條書房刊)

ということで、世に知られるようになったのでした。

この雨宝院の千手観音像は、長らく厳重な秘仏として祀られていたのでした。

昭和17年(1942)の調査で発見されるまでは、全くその存在を知られていなかった仏像であったのでした。
発見後も、引き続き、一般の拝観は、難しかったようです。
ご住職に伺ったお話では、先代のご住職は、厳格な方で、この千手観音像を厳重な秘仏として、大切に守られて来たそうです。
先代に時代には、拝観は全く叶わなかったということでした。
現在のご住職になられてからは、事前に連絡をしてもらえれば、拝観してもらえるようにされているとのことでした。

このように長く秘されてきた観音像で、現在でも大切に祀られていますので、これまで一度も博物館等に出展されたことがありません。
それゆえに、これだけの優作が、意外に知られてこなかったのだと思います。



【第一印象では、さほどに強く惹き付けられなかった千手観音像】


14~5年前、この雨宝院の千手観音像を、はじめて拝したときの第一印象は、
「なかなか立派な平安古仏、造形表現が興味深い。」
といった、割合に淡々としたものであったように思います。

立派な仏像だなと思いましたが、強く惹きつけられる魅力は、さほどは感じなかったというのが、正直な処でした。

雨宝院・千手観音像
雨宝院・千手観音像~上半身

体躯のボリューム感は十二分で平安前期風なのですが、ややずんぐりというか鈍重な感じがします。
ボリュームはあるのですが、強い迫力で訴えかけてくるというのではなくて、肥満という方に近いようにも思えました。
一方で、お顔の表現が「温和、穏やか」で、平安も中頃のような雰囲気です。
面貌と体躯がミスマッチという違和感の印象があったのも事実でした。

先ほどご紹介した、高見徹氏の文章でも、
「本像に見られる、正面観、特に面相の柔らかさと 重厚な側面観の違和感は、あるいは後世の彫り直しによるものかもしれないが、工房組織の発達と無関係ではないと思われる。」
と、ミスマッチ感が指摘されています。



【拝するたびに惚れ込んで、大のお気に入りとなった千手観音像】


雨宝院・千手観音像とのはじめての出会いの印象は、このようなものであったのですが、一方で、なかなか興味深い平安古仏として、心に残る仏像でありました。
そして、京都を訪れ時間の余裕があると、ついつい気になって、雨宝院に足を向けるようになりました。

何度か拝しているうちに、この千手観音像が、だんだん好きになってきました。
訪れるたびに、観れば観るほどに、心惹かれる魅力を感じるようになってきました。
この独特の存在感は、ただものではありません。
拝すれば、拝するほどに、惚れ込んでしまうようになりました。

雨宝院・千手観音像
雨宝院・千手観音像

ちょっと一般受けしない仏像なのかなと思うのですが、堂々たる優作といって間違いない像だと思います。
今では、すっかり、私のお気に入りの仏像になってしまったという訳です。



【三つの時代の造形の特徴が、混在同居する優作仏像】


この観音像、じっくり拝していると、いろいろな時代の要素が、混在同居していることに気が付きます。
造形表現の特徴を、一言にまとめると、こんなところでしょうか?

・奈良時代の乾漆像にみられる、まろやかな造形表現
・平安前期風の、極端ともいえるボリューム感ある肥満した肉体表現
・平安中期頃から見られる、穏やか、温和な表情の面貌表現

これら、三つの時代の特徴が、何故か同居しているように思えるのです。

全体の表現は、乾漆像を思わせます。
とりわけ腰から下の衣文の表現は奈良時代の乾漆像そのものといった感じで、東大寺三月堂・不空羂索観音像や、聖林寺・十一面観音像のそれにつながるものです。

雨宝院・千手観音像脚部の奈良風の衣文
雨宝院・千手観音像脚部の奈良風の衣文

聖林寺・十一面観音像の脚部の衣文.聖林寺・十一面観音像の脚部の衣文
(左)東大寺三月堂・不空羂索観音像・(右)聖林寺・十一面観音像の脚部の衣文

奈良風の継承仏像かなと思うと、そうでもなくて、平安前期像特有の、肥満とも云えるような豊かなボリューム表現に驚かせられます。
何もかもが、太っといのです。

太くてボリューム感ゆたかな腕の雨宝院・千手観音像
太くてボリューム感ゆたかな腕の雨宝院・千手観音像

腕っぷしの太さも相当なものですが、側面から見た腰回りの分厚さは、並大抵のものではありません。
ここまでの度過ぎたような腰の太さの像は、平安前期像でもそう見たことはありません。
なかなか魅力的な腰回りです。

ところが、お顔に目を向けると、奈良時代風でもなく、平安前期の森厳さや妖艶さも感じません。

「温和、柔和、穏やか」

こんなキーワードが似つかわしいお顔をしています。

雨宝院・千手観音像顔部~平安中期の温和さを示す平安中期を思わせる温和さを示す顔貌の雨宝院・千手観音像
平安中期を思わせる温和さを示す顔貌の雨宝院・千手観音像

このお顔は、どう見ても、平安の中期頃を思わせる表情です。
早くて9世紀の終わり、一般には10世紀に入ってからの顔貌表現だと思いうのです。

はじめて拝した第一印象のミスマッチな違和感は、こんなところからくるものだと思います。



【興味深い専門家の解説~奈良様伝統を、和様の展開に繋げる注目の仏像】


専門家の解説も、こうした点に注目したものになっています。

「雨宝院千手観音像に就いて」という論文を執筆している大宮康男氏は、このように述べています。

「その様式上の位置づけとしては、まず豊満な肉身表現は、基本的には平安前期、9世紀前半の乾漆系の系譜を受け継ぎながら、下半身の裳の衣文に、8世紀の奈良代の乾漆像にみられる丸い波形の柔らかい衣文表現の造形感覚を取り入れることによって、仁和寺阿弥陀三尊像や棲霞寺阿弥陀三尊像でなし得なかった、重厚でありながら、なおかつ華麗な様式の創出を可能にしたといえよう。」

仁和寺・阿弥陀如来像棲霞寺・阿弥陀如来像
(左)仁和寺・阿弥陀如来像~(右)棲霞寺・阿弥陀如来像

そして、雨宝院像のような、10世紀以降の奈良彫刻への復古、影響を物語る造像例として、六波羅蜜寺・十一面観音像、禅定寺・十一面観音像をあげたうえで、

六波羅蜜寺・十一面観音像.禅定寺・十一面観音像
(左)六波羅蜜寺・十一面観音像~(右)禅定寺・十一面観音像

雨宝院像の彫刻史上の意義と制作年代について、

「10世紀末以降の和様彫刻の成立にとって、8世紀の乾漆系の奈良彫刻は種々の点で、大きな意味をになっていたことがわかる。
その意味で、雨宝院千手観音像は9世紀末から10世紀初頭にあって、奈良彫刻の特色を10世紀以降の日本彫刻史の本筋に取り入れ、和様彫刻の流れを形成するきっかけを提供した作品という意義を認めることが出来ると思う。」
(「雨宝院千手観音立像に就いて」美學 40-2、1989.9)

と記しています。


伊東史郎氏も、同様の観点から、このように述べています。

「こうしたまるみのある量感と襞の表現は、8世紀後半の乾漆像、たとえば聖林寺十一面観音像、京都観音寺十一面観音像などの表現につながるものがあるようである。

聖林寺・十一面観音像.観音寺・十一面観音像
(左)聖林寺・十一面観音像~(右)観音寺・十一面観音像

京都の造仏では、雨宝院像のほか、9世紀前半の広隆寺阿弥陀像や宇治田原禅定寺十一面観音像にも同様の特色が指摘できよう。

広隆寺・阿弥陀如来像
広隆寺・阿弥陀如来像

平安前期から後期に至る彫刻史の流れの中に、神護寺薬師像や元興寺薬師像によって代表される・・・・・・一木彫成像の一群と共に、これら8世紀乾漆像の特色を濃厚に残す彫刻の流れが並行していたことは注目に値する。
この流れが、11世紀以降にはじまる和様の成立にどのような役割を果たしたかという問題については、今後の課題であろう。
制作年代は、彫りの浅い相好の造作や温和な表情から推して、10世紀前半とみるのが妥当ではあるまいか。」
(日本古寺美術全集・第25巻、1981年講談社刊~解説)

何れも、奈良様の流れの伝統を受け継ぐ、10世紀初頭ぐらいの仏像とみられているようです。
また、京都における、いわゆる平安中期といわれる仏像の様式展開を考える上では、大変重要な位置づけにある作例といえるようです。

10世紀、京都の地で、古い伝統的奈良風を継承しつつ、いろいろな時代要素を取り入れた優作が造られたのでした。
これだけの雨宝院像ですから、当代一流の仏師の手になるのは間違いないことでしょう。
その当代一流仏師が、三つの時代の要素を取り込み同居させ、見事な仏像を造りあげたということに、まことに興味深いものを感じてしまいます。

来歴が不明なのですが、もともと、どのような寺院に、祀られたのでしょうか?
いずれにせよ、10世紀前半の仏像としては、相当の傑作、優作であることは、間違いありません。



【最近、よく知られるようになってきた、雨宝院と千手観音像】


14~5年前に、初めて雨宝院へお伺いしたころは、拝観に訪れる人もめったにないという感じでした。
ご住職は、結構お若い方で、気さくで優しく丁寧に、拝観のご案内を頂戴しました。

観音堂に招じていただきましたが、板壁には隙間が開いていて、雨風が吹き込むような有様でした。

重要文化財の観音様が、大丈夫かと心配になりましたが、
「お堂を修理するのも費用のかかりも大きくて、なかなか叶わないのですよ。」
とおっしゃっていたのを、よく覚えています。

お話を伺うと、ご住職は横浜市の弘明寺の近辺のご出身だそうで、僧職の修行を終えて後に雨宝院に入られ、その後先代の後を受け継いで、ご住職をつとめられているそうです。

ご住職のご尽力で、境内の整備も随分進み、大変きれいになりました。
観音堂の傷みも、きれいに修理されています。

ご住職の寺観整備へのご努力、観音像拝観へのお考えと丁寧なご対応もあって、最近は、雨宝院のことがよく知られるようになり、拝観に訪れる人も随分多くなったようです。
昔は、お寺の案内パンフさえありませんでした。
今ではパンフレットだけではなく、観音像の写真が欲しいという拝観者の要望に応えて、観音様の写真絵葉書も作られたとのお話でした。
掲載させていただいた千手観音像の写真は、絵葉書を転載させていただいたものです。

現在の雨宝院案内パンフレット
現在の雨宝院案内パンフレット
現在の雨宝院案内パンフレット


最近は、京都巡りや仏像愛好のブログなどにも、折々、雨宝院拝観記が掲載されるようになってきました。
嬉しいことなのですが、お気に入りの観音様ですので、あまり有名になって欲しくはないというのが、私の本音でもあります。


今回は、私のお気に入りの、雨宝院・千手面観音像をご紹介しました。


もしも、まだ拝されていない方は、是非一度、この立派な千手観音像を拝しに、雨宝院を訪ねて見られることをお薦めします。


コメント

古い時代の要素から(当時としては)最新鋭の要素まで自在に使いこなせる仏師の作という見方は面白いと思います。
雨宝院の千手さんにはお会いしたことがないのですが、興味が湧いてきました。

ところで、この像は手のつき方が不思議ですよね。正面からの写真からすると10本の腕がついているようですが、当初からこうだったのか、10本が残ったのか。そもそも、当初は千手観音だったのか。
お会いするときには、腕のつき方(生え方)にも注目したいと思います。

  • 2016/10/16(日) 22:55:23 |
  • URL |
  • とら #VBkRmpN2
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

とら様

是非、機会を見つけて、雨宝院にいらっしゃってみてください。
行っただけの甲斐があったと思われることと思います。

雨宝院の千手観音の手の数は、おっしゃるように全部で10臂です。
10臂の千手観音というのは、観たことがないような気もしますが・・・・・
千手観音が何臂のものがあるのかというような図像の世界は、私は全くの苦手方面で、よく判りません。
雨宝院・千手観音についての解説を2~3見ても、「10臂の千手観音」であることについて言及したものはありませんでした。

昭和18年刊行の「別尊京都仏像図説」(美術史学会著)には、
「頭上の化仏と脇手の一部が後補であるほかは、全像殆ど完好に保存せられてあることは喜ばしい。」
と記されていますので、
他の脇手が欠失したというのではないと思われ、最初から10臂で造られたのではないかと思います。

お役に立てず、申し訳ありません。

管理人

  • 2016/10/17(月) 17:56:18 |
  • URL |
  • 神奈川仏教文化研究所 #-
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