観仏日々帖

古仏探訪~「左京区岩倉幡枝町・愛染院の十一面観音立像」京のかくれ仏探訪⑤ 【2016.7.30】


左京区、宝が池の近くにある愛染院の十一面観音立像をご紹介します。
堂々たる平安前期の一木彫像です。

愛染院・十一面観音立像

愛染院・十一面観音立像
愛染院・十一面観音立像

像高は、ほぼ等身の167.5cm。
大正9年(1920)に、旧国宝に指定されており、現在は、重要文化財となっています。



【或る「仏像巡りの本」で目にとまった、京の街中の平安前期仏像】


この仏像を一度拝してみたいものと思ったのは、「仏像巡りの旅」という6巻本に、この愛染院の十一面観音像が採り上げられている文章を読んだからでした。

「仏像巡りの旅」  全6冊   毎日新聞社編著 1993年刊 各冊1300円
~鎌倉1冊、京都2冊、奈良2冊、信越・北陸1冊~

「仏像巡りの旅」京都 洛中・東山編

この本は、一見ハンディな観光向けガイドブックのような感じがする本なのですが、仏像好きには、なかなか渋い処の見どころある仏像が、結構採り上げられているのです。

刊行主旨に
「仏像巡りを目的とする方からの・・・・・一般的な観光ガイドブックではなく、しかも専門的な学術書ではないものを、との要望に応えることとした。」
と記されています。

この本を古本屋で見つけて、面白そうだと買ってみたのは、出版されてからもう10年以上たってからのことだったと思います。
愛染院は、第4冊「京都 洛中・東山編」に載っていました。

この巻には、
六道珍皇寺・薬師像、双林寺・薬師像、南禅寺・聖観音像、西方寺・阿弥陀像、
壬生寺・地蔵像、金戒光明寺・千手観音像等々
がラインアップされており、「気楽なガイドブックなのですが、それなりの仏像愛好者向き」という面白い内容です。



【「大地の香りの十一面観音像」という説明文に、興味津々】


愛染院のページを開くと、
「ビルの谷間のお堂に、大地の香りの十一面観音像」
という、見出し・リード文が、目にとまりました。

「仏像巡りの旅」愛染院紹介ページ
「仏像巡りの旅」~愛染院の紹介ページ

掲載されている観音像の写真を見ると、なかなかの迫力で見どころ充分、平安前期の匂いがプンプンします。
本文には、このように語られています。

「ビルに吸い込まれるように延びる参道の奥に散歩を壁面に囲まれ、埋もれたようにお堂が二つ。
・・・・・・・・・・
ずんぐりした重量感のある仏様である。
大地の香り、原始エネルギー、肝っ玉かあさん、などといった形容がふさわしい、素朴な力強さが感じられる。」

「こんな文を読むと、放ってはおけません。是非とも一度は拝したいものだ。」
「京都のど真ん中に、こんな平安前期の仏像があるのは、よく知らなかったな。」

そう思って、「仏像集成」(学生社刊)を調べてみたら、半ページだけですが、しっかり掲載されていました。



【京の街中から、緑豊かな岩倉に移転していた、愛染院】


これらの本によると、愛染院は、「京都市中京区六角通東洞院西入ル」に所在することになっています。
京都市街の、ど真ん中です。
ところが、愛染院は、その地にはありませんでした。
調べてみると、左京区岩倉幡枝町に移転していたのでした。
四条烏丸に近い中心地から、宝ヶ池の近くの岩倉の地へ移っていたのです。

岩倉幡枝町にある愛染院さんにご連絡をして、十一面観音像のご拝観をお願いしました処、ご住職から、快くご了解をいただきました。

初めて、愛染院に、観音様を拝しに伺ったのは、10年ほど前のことであったかと思います。
以来、この十一面観音像の姿が、強く心に残る仏さまとなり、2~3年の間に、3度も拝しに伺ってしまいました。

愛染院のある左京区岩倉幡枝町は、地下鉄烏丸線の北往きの終点「国際会館駅」から西へ1キロ弱、宝ヶ池の西北にあります。
門跡寺院で有名な岩倉実相院は、愛染院の北方2キロほどの処です。
この辺りは、京都のど真ん中の賑やかさとは打って変わって、落ち着いた処で、北の叡山を借景に緑豊かな景色が続きます。
結構、住宅が並んではいますが、ぶらりと散策するのにうってつけ、のどかな気分になってきます。

「大楽山」と記した立派な山門が目に入ると、そこが愛染院でした。

岩倉、愛染院・山門
岩倉幡枝町に在る、愛染院の山門

境内正面には、愛染院のご本尊・愛染明王像が祀られる本堂があります。

愛染院・本堂
愛染院・本堂

ご住職に、拝観のご案内をいただきました。
随分、ご高齢そうなご住職でしたが、拝観お願いの都度々々、大変ご親切にしていただき、ゆっくりじっくりと十一面観音像の拝観をさせていただくことが出来ました。

十一面観音像は、聖天堂と名付けられている収蔵庫に安置されています。

愛染院・聖天堂~収蔵庫
十一面観音像が祀られる収蔵庫~聖天堂

聖天・歓喜天像がお祀りされているため、聖天堂とされているとのことです。
聖天堂の前には「大聖歓喜天」の額が掲げられた鳥居が建てられています。
神仏習合の名残ということなのでしょうか?
そういえば、聖天信仰で有名な、生駒の聖天さん、宝山寺の入り口にも大きな鳥居がありました。



【堂々たるお姿、土俗的な妖しい凄みに魅せられた、十一面観音像】


ご住職に聖天堂・収蔵庫の扉をお開きいただき、早速、十一面観音像を拝しました。

愛染院・十一面観音立像

愛染院・十一面観音立像

愛染院・十一面観音立像
愛染院・十一面観音立像

お姿を拝して、ビックリしました。
立派な、一木彫像です。
そして、思いのほかの凄い迫力なのです。

「仏像巡りの旅」の本に、

「大地の香り、原始エネルギー、肝っ玉かあさん、素朴な力強さ」

といったキーワードが並べられていたのですが、「肝っ玉母さん、素朴」といった表現よりも、もっと迫力あるものを感じるように思えます。。

「堂々たる重厚感、野太い凄み、妖し気なパワー」

こんな表現が似つかわしいように感じます。

170㎝近い大きな像なのですが、頭部が随分大きくて首が短い、短躯、童形のような身体バランスに造られています。
ちょっと寸詰まりといってもよいかもしれません。
いわゆる檀像をお手本にして、等身像に引き伸ばすようにして、造形されたのに違いありまん。
足下をみると、蓮肉まで一木で彫られていて、今は切り詰められて新たな台座にはめ込まれていますが、大変古様な造形技法です。

愛染院・十一面観音像~蓮肉まで一木彫成
蓮肉まで一木彫成されている愛染院・十一面観音像

肉身のボリューム感もたっぷりして、堂々たる重厚感を発散しています。
檀像風であっても、檀像特有の技巧的な彫技や、繊細感は全く感じません。
むしろ、ドーンとした野太い感じ、ずんぐりどっしりといった感覚の方が勝っているようにも思えます。
お手本は小檀像でも、空気感には、土臭さや野性味の匂いがちょっとします。

そして、なんといっても「凄み」のようなものを、強く感じるのが、そのお顔です。

「土俗的な、妖しさ」さえ感じる顔貌

「土俗的な、妖しさ」さえ感じる顔貌
土俗的凄み、妖しささえ感じる顔貌

大きなお顔に大きな目鼻立ち、そして分厚くめくれ返ったような唇が、極めて印象的です。
「土俗的な、妖しさ」
といったものを感じないわけではありません。
微笑んでいるようで厳しさがあり、ちょっと不気味な妖気を漂わせているという風情でしょうか?
魅力たっぷり、惹き込まれてしまいます。

衣文の彫口や像の表面などを観ると、それほどに、鋭い彫り口や鎬立ったようなところはありません。
むしろ、彫りが浅めで凹凸が少ないようにみえます。

愛染院・十一面観音像~摩耗したような衣文の彫口
摩耗したような浅めの衣文の彫口の愛染院・観音像

しかし、しっかりよく見ると、衣文の彫りや表面の造形は、材が摩耗、損耗して、そのようになってしまったようにも見受けられます。
全体にすり減って、衣文線の彫りの鋭さなどが鈍くなってしまった、浅くなってしまったのではないかという風にも思えるのです。
現在、全体が薄く灰色に塗られているように思えますが、これも昔に損耗していたのを、全体的に擦るように仕上げなおして、コーティングのように塗り上げたのではないでしょうか。
ひょっとしたら、当初は、もっと鋭い彫り口で、鎬立った彫技の造形だったのかもしれません。

いずれにせよ、このような都風とは言えない「土俗的な、妖しい凄み」の観音像が、京の市中の、ど真ん中に遺され伝えられてきたというのは、ちょっと驚きです。

はじめてこの観音像を拝したときから、想定外の惹き付けられる魅力を強く感じて、心に残る仏像になりました。
そして、3回も、観音像を拝しに訪れてしまったのでした。



【数少ない、愛染院・十一面観音像の解説〈9~10世紀の制作〉】


この観音像について、採り上げた本や、解説などはあるのでしょうか?
ちょっと探してみましたが、あまり見当たりませんでした。

古い本では、「京都美術大観~彫刻・上」(1933年東方書院刊)と「別尊京都仏像図説」(1943年一條書房刊)に、米山徳馬氏が、同文の解説を掲載しています。

「瓔珞・環釧等凡て一木から彫り出されてゐる。
旧台座も本体と同木で刻まれてゐたらしい。
矮躯肥大で重厚な時代精神をよく表はしてゐる。
腰衣の処理に一脈の清新味をたゞよはせてゐる。
脛部の衣紋の線に明かな翻波線の手法が看取出来る。」

米山氏は、このように述べて、弘仁時代末期の制作としています。
9世紀末頃の制作とみたということでしょうか。

愛染院・十一面観音像「京都美術大観」掲載写真愛染院・十一面観音像「京都美術大観」掲載写真
愛染院・十一面観音像~「京都美術大観」掲載写真

近年の本では、「仏像集成~京都」(1986年・学生社刊)には、このように解説されています。

「桧材で頭体部から台座の蓮肉までを含め一木造りの古式の作である。
但し背面は、肩下から内刳りを施し、背板を当てている外、両手首先などは後補である。
笑みを含んだ顔、寸詰まりの体勢など檀像を意識したものであろう。
9世紀を降らない作と思われる。」(田中善隆氏解説)

また、「仏像を旅する~京都」(1991年・至文堂刊)では、次のとおりです。

「一木造りの堂々たる像で、両脚を覆う裳には大小の波を繰り返す翻波式衣文が刻まれている。
製作年代は、平安時代も10世紀の頃のものであろうか。」(根立研介氏解説)

いずれにせよ、あまり突っ込んだ詳しい解説というわけではありません。
9世紀、10世紀、両方の見方があるようですが、9世紀の終わりから10世紀の早めの頃という見方なのだと思います。

実は、この仏像は、昭和49年(1974年)に、美術院の手で修理が行われました。
その際に、背面の内刳りの中から、後世に納入された、多数の納入品が発見されました。
納入されていたのは、銅製の小さな聖天像288個、丁子袋1袋、削り香1包みでした。
修理完成時に、塗りの箱を新調し、その中に納めて、再度像内に納入されたということです。
愛染院の十一面観音像が、聖天の変り身のようにして、聖天堂と名付けられたお堂に祀られているのも、このような由縁なのからなのでしょう。



【元々六角堂の塔頭だった愛染院~平成9年に、窮屈なビルの谷間から当地へ移転】


愛染院が岩倉の地に移転したことについて、ご住職にお話を伺いました。

愛染院は、華道・池坊、発祥の地として知られる六角堂のすぐそばにありました。
六角堂頂法寺は、西国三十三所十八番札所として、今も大変賑わっています。

六角堂頂法寺
六角堂頂法寺

愛染院は、六角堂頂法寺の塔頭として、天台宗に属していましたが、明治維新の際に分離し、真言宗智山派の寺院となりました。
そして平成9年(1997)に、「中京区六角通東洞院」から、現在の「左京区岩倉幡枝町」へ移転し、寺観、諸堂も一新されたということです。

六角堂のそばにあった時の有様は、「仏像巡りの旅~京都洛中・東山編」に、このように語られています。

「六角堂の東隣、ビルとビルの間に唐破風の屋根をもつ門がある。
門の正面奥にも高いビル。
ビルに吸い込まれるように延びる参道の奥に、三方を壁面に囲まれ、埋もれたようにお堂が二つ。(本堂と聖天堂)」

本当に狭苦しく、窮屈なところに、お堂があったようです。
NET上で、当時の愛染院の光景写真を見つけましたので、ご覧ください。

六角堂傍にあった時の愛染院

六角堂傍にあった時の愛染院
六角堂傍にあった当時の愛染院

私も、以前に、六角堂は何度か訪ねたことがあったのですが、そばにあった愛染院の存在に気が付くことはありませんでした。

当地に移転し、ビルの谷間の窮屈な世界から解放され、広々とゆったりした寺観に落ち着くことが出来たということです。

きっと、十一面観音像も、広い聖天堂収蔵庫に移されて祀られるようになり、その堂々とした見事な立ち姿を、じっくり拝することが出来るようになったのではないでしょうか?



愛染院の十一面観音立像。

愛染院・十一面観音像
愛染院・十一面観音像

京都にある平安前期の見事な仏像なのに、訪ねる人も少なく、あまり知られていないのではないかと思います。
京都の仏像を紹介する一般書にも、採り上げられることは、まず無いのではないでしょうか。
一度、眼のあたりに拝すると、その

「重厚感ある堂々たる姿、迫力、ちょっと土俗的な、妖しい凄み」

に、惹きつけられ、きっと心に残る仏像となることと思います。

いずれの日にか、また観音様を拝しに、伺ってみたいものです。


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