観仏日々帖

古仏探訪~「北区大森東町・安楽寺の薬師如来像ほか諸像」京のかくれ仏探訪④  【2016.7.16】


京北の地、北山杉の山里に在る、安楽寺に遺された古仏を、ご紹介したいと思います。

とにかく、安楽寺の古仏の写真をご覧になってください。
薬師如来坐像、如来立像、僧形像、天部像の4躯の古仏が遺されています。

安楽寺に祀られる諸像
安楽寺に祀られる諸像

安楽寺・薬師如来坐像
安楽寺・薬師如来坐像

安楽寺・如来立像
安楽寺・如来立像

安楽寺・僧形像
安楽寺・僧形坐像

安楽寺・天部形像
安楽寺・天部形立像



【出来の良し悪しを超越した、不可思議な存在感と迫力】


何と表現したらよいのでしょうか?
お世辞にも、「出来の良い仏像」「美しい仏像」という言葉とは、縁遠い存在です。

「田舎の、不出来な仏像」
「造形が、アンバランス」
「アクが強すぎる、どぎつい表現」

こんな類のフレーズが、機関銃のように飛び出してきそうな、特異、異貌の古仏です。
そういってしまうと、「わざわざ取り立てて云々するほどの仏像ではない」、というように聞こえます。

かといって、皆さん、この仏像を観て
「単に、出来の良くない地方作、田舎の仏像の一作例」
こんな通り一遍の感想だけで済ませて、そっけなく通り過ぎてしまうのでしょうか?

どのような修飾語が、あたっているのかよく判りません。
しかし、尋常ではないのです。

「なんだか凄い」
「ドーンと腹に応える」
「得も言われぬパワーを発散している」
「出来が悪いのに、不可思議な迫力がある」

こんな“感覚”が頭の中をよぎりました。

出来の良し悪しを超越した、不可思議な「存在感」「迫力」「凄み」のようなものを、強く感じてしまうのです。

この安楽寺を初めて訪れたのは、2007年の5月、今から9年前のことでした。

上手く表現できないのですが、一発、ガツンとやられたような衝撃を感じたのです。
以来、私の頭の中の印画紙に、しっかりと焼き付いたまま、忘れられない仏像となってしまいました。

いつの日か再訪したいものと、思っていました。
昨年(2015年)8月、その思いがやっと叶い、同好の方と、再び安楽寺を訪ねることとなりました。



【北山杉の山里、惟高親王ゆかりと伝える安楽寺】


安楽寺は、北区大森東町という処にあります。
神護寺で知られる高雄から、周山街道を北へ15キロ、30分ほど車で走り、街道を東へ入ってしばらく行った京北の山里の地です。
車を走らせると、左右には、北山杉の美しい森が続きます。

美しい北山杉の並木
美しい北山杉の森

枝が払われた北山杉の木立が、天に向かって真っ直ぐに伸びた有様は、美しき日本を象徴するような風景です。
川端康成の名作「古都」に登場する双子の主人公、苗子の住んだ北山杉の村も、このあたりだったのだろうかと思いを巡らせながら、山里の路を走らせているうちに、大森東町に到着しました。

安楽寺から眺めた北山杉の山並み
安楽寺から眺めた北山杉の山並み

道路から5~60m入った広場のようなところに、ポツリと建てられたお堂があります。
そこが、安楽寺です。

安楽寺のお堂
安楽寺のお堂

お堂の前には、「文徳天皇第一皇子 惟高親王遺跡」と刻された石碑が立っています。

安楽寺堂前に立てられた、惟喬親王ゆかりの石碑
安楽寺のお堂

この碑の隣には、
「忘れては 夢かとぞ思ふ思ひきや 雪ふみわけて 君をみむとは」
の、歌碑もありました。

この歌は、「伊勢物語八十二段・小野の雪」に、馬の頭が、雪積る小野の地に隠棲した惟高親王を訪ねて、詠んだとして出てくる歌です。
古今集には、在原業平の詠んだ歌として収められています。

「京のかくれ仏①」でご紹介した浄楽寺のある大原上野町も、惟高親王ゆかりの地でした。
そして、この安楽寺のある大森東町もまた、惟高親王ゆかりの地なのでした。

惟喬親王(844~897年)は、文徳天皇の第一皇子でありながら、生母が紀氏であることや、藤原氏の娘である皇后・明子に惟仁親王(清和天皇)が生まれたことから、出家を余儀なくされ、小野郷の地に隠棲し没した、悲運の皇子として知られています

京北には、惟喬親王ゆかりの地とか、隠棲した小野郷の地と伝えられる地が、いくつかあるのですが、この大森の地も、小野郷の名で呼ばれています。
在地の研究家・沢田臼太郎氏は、著作の中で、親王は次のような足跡を辿ったと述べています。

惟喬親王は、貞観元年(859)に江州小椋村へ移り、貞観4年に大原へ、その後、雲ケ畑を経て、当地大森に移り、元慶3年(879)、この大森の地で没した。

その惟喬親王が、当地に建てたのが安楽寺であるというのです。
安楽寺のお堂は、大森東町北東の山中にあったのが、暦応年中(1338~41)、今の地に移されたものと伝えられています。

安楽寺の堂内には、「惟喬の社・御霊神社」と称する、惟喬親王を祭神とする神祠が据えられています。

安楽寺堂内の惟喬親王を祭神とする神祠
安楽寺のお堂

この大森の地では、惟喬親王への尊崇の念が、長らく受け継がれてきているのです。

惟喬親王の話はこれぐらいにして、堂内の仏像を拝した話に移りたいと思います。



【安楽寺に祀られる、不思議な4躯の古仏】


安楽寺は、無住のお堂です。
地域で管理されており、この日も、地区の方がわざわざお見えいただき、お堂を開いていただきました。

安楽寺諸像が祀られる厨子
安楽寺諸像が祀られる厨子

堂内の厨子には、4躯の古仏が祀られています。
薬師如来坐像、如来立像、僧形像、天部像の4躯です。

厨子内に祀られる諸像の姿
厨子内に祀られる諸像

先に、像高、品質構造などをご紹介すると、次のとおりです。

薬師如来坐像
像高:114.7㎝、ヒノキ材、膝前まで一木、背面・浅い内刳り、前面・頭頂から腹部別一材を矧付け
如来形立像
像高:161.2㎝、ヒノキ材一木彫、背面・頭頂から蓮肉までの背面材を矧付け
僧形坐像
像高:59.3㎝、ヒノキ材一木彫、膝前別材
天部形立像
像高:102.2㎝、ヒノキ材一木彫

4躯共に、昭和59年(1984)に、京都市指定文化財に指定されており、制作年代は平安前期とされています。


厨子の真ん中に薬師如来坐像が祀られ、その脇に他の3躯と破損仏の断片などが、ちょっとゴチャゴチャと置かれているような感じです。
如来立像と天部立像は、足下が破損して自立することが出来ず、立てかけられています。



【たじろぐような凄みが、腹にこたえる薬師坐像】


まずは、薬師如来坐像です。

安楽寺・薬師如来坐像
安楽寺・薬師如来坐像

拝したとたん、ギョロリと巨大な眼、大きな鼻のインパクトに度肝を抜かれます。
明らかにアンバランスです。

安楽寺・薬師如来坐像~顔部
安楽寺・薬師如来坐像~顔部
ギョロリとした眼、大きな鼻に度肝を抜かれる安楽寺・薬師坐像

次に、ズングリというのか、ゴッツイというのか、肉身の異様なボリューム感に驚かされます。

安楽寺・薬師如来坐像
安楽寺・薬師如来坐像~腹・脚部
木塊のようなボリューム感の安楽寺・薬師坐像

所謂、「出来の良さ」とは、縁遠いのですが、全体から、「得も言われぬパワー」を発しているのです。

「凄みのある、量感あふれる『木の塊』が、こちらに向かって迫って来る」

そんな表現が相応しいような、強烈な存在感を、ビンビンと感じるのです。
「思わず、たじろぐような凄み」
と云ってもよいのかもしれません。

この迫力は、「霊威感とか、森厳な精神性」などと表現される世界とは、またちょっと違った感覚です。
「土の匂いのするような、ドーンと腹に応えるような、凄み」
とでも表現するのでしょうか?


NET上の京都市指定文化財解説(京都市情報館HP)をみると、

「大森東町の安楽寺の本尊である本像は,坐像としては珍しく,ほぼ全体をヒノキの巨材一材から彫り出す。
肉身部は漆箔,衣は彩色,眼は彫眼で仕上げられている。
全体に寸のつまった塊量性の豊かな造形で,粗々しく豪快な作風から平安時代前期の制作と考えられる。」

このように記されています。

そのとおりだとは思うのですが、こうした解説文では決して表現しきれない「何ものか」を持っている像なのです。
皆さんも、実際にこの薬師像を眼のあたりに拝すると、「得も言われぬ凄みのパワー」を発散しているのを、実感するに違いありません。
私同様、忘れられない仏像になることと思います。

この安楽寺・薬師像について言及した、井上正氏は、このように述べています。

「この像を拝していると、凄いという言葉が思わず洩れてしまう。
この実体感、このアンバランス、そしてこの粗さ、都のどこにこのような像が求められるであろうか。
ここにしか有り得ないだろうという、根が生えたような存在感が相乗して、言葉に表わし得ない異常な追力となって私を打つ。
通常の解説のなかではこの第一印象にあった凄味が多くの場合流れて消えてしまう。
量感、アンバランス、地方作といった評語の組み合わせだけが空しく残り、尋常でない精神性が消えて低いところに価値づけられてしまうのだ。」
(「古佛~彫像のイコノロジー」井上正著・1986年法蔵館刊)

仏教美術史研究者としては、かなり情緒的な表現なのですが、この薬師像から受ける率直な実感をよく言い表した文章だと思います。

もう一つ、構造面で、この像のめずらしいは、頭体部、膝前まで一木の巨材で木取りしながら、頭頂から腹部に至る前面部分を、別材で矧ぎ付けていることです。
また、背面からは、しっかり内刳りを施しています。
材の中心に木心を込めた心持ち材から彫り出したため、そのようにしたのではないかと思われますが、前面部から別材をあてがうというのは、面白いやり方です。

安楽寺・薬師如来坐像~背面・内刳り安楽寺・薬師如来坐像~側面
安楽寺・薬師坐像の背面・内刳りと側面


【しつこく繰り返される旋転文に、霊威発散を感じる如来立像】


次は、如来立像です。

安楽寺・如来立像安楽寺・如来立像
安楽寺・如来立像

この像は、朽損していますが、なかなかの迫力を発散している古像です。
所謂、平安初期彫刻がお好きな方々は、薬師如来坐像よりも、この如来立像の方を注目されるのかもしれません。
足下が痛んで、自立することが出来ず、壁によりかかった痛ましい姿なのですが、平安前期の匂いがプンプンとする一木彫像です。
出来の方は、必ずしも良くなく地方作的な雰囲気なのですが、大変古様であることも間違いありません。
奈良様にみられる、頭の小さい造形表現も特徴です。

平安前期特有のボリューム感、塊量感はそれほどでもなく、躍動感もあまり感じません。
硬直して、ズドンと直立しているといったような造形です。
蓮肉まで一木という古様な造形なのですが、奥行きが足りなかったためか、後頭部と背面に、それぞれ一材が矧ぎ付けられています。
その背面材が、蓮肉後方まで一体となっています。

安楽寺・如来立像~正面.安楽寺・如来立像~側面.安楽寺・如来立像~背面
安楽寺・如来立像

そんなところを見ると、時代が下がる模古的な作かなという気もするのですが、結構な「オーラ」を感じるのです。
惹き付けられるものがあります。

こちらの如来立像の発するオーラは、「霊威表現とか、気の表現」という方があたっているのではないかと思います。
薬師坐像の迫力が、
「土の匂いがする木塊的凄み」
というならば、
如来立像の方は
「強い精神性の霊威表現」
の迫力という風な気がします。

この霊威発散の一番の源となっているのは、異常なほどに繰り返されている「旋転文・渦文」ではないでしょうか?

安楽寺・如来立像の、繰り返される「旋転文・渦文」
安楽寺・如来立像の、繰り返される「旋転文・渦文」
安楽寺・如来立像の、繰り返される「旋転文・渦文」

これでもかというほどに、衣文に17個の旋転文が配されています。
向かって、左側に二列10個、右側に5個、両側面下方に2個です。
いかにも、この像の持つ強い精神性、霊威性を、くどいほどの旋転文の繰り返しに、込めているような気がします。



〈思い浮かぶのは、上賀茂・神光院の薬師如来立像〉


こんな旋転文の繰り返し表現は、他にあったでしょうか。
すぐに思い浮かんだのは、近年紹介された、京都市北区上賀茂にある神光院の薬師如来立像です。

神光院・薬師如来立像神光院・薬師如来立像
神光院・薬師如来立像

この像は、上賀茂神社における神仏習合思想を背景に制作された、9世紀前半制作の古像とみられています。
この神光院・薬師像の衣文にも、くどいほどの旋転文の繰り返しがみられるのです。
神光院像を、世に紹介した皿井舞氏は、安楽寺・如来立像との共通点に着目し、このように述べています。

神光院・薬師如来立像の、繰り返される「旋転文・渦文」
神光院・薬師如来立像の、
繰り返される「旋転文・渦文」
「本像と似た旋転文のかたちと配置とをもつ像に、京都北区大森町の安楽寺如来形立像がある。
・・・・・・
このような構造(後頭部・背面に別材を矧ぎ付ける構造)からみれば、安楽寺像は神光院像より制作年代が下ると考えられるものである。

ただし、胸を大きくあけ、なだらかな円弧を二つ連ねた胸部の線と曲率の大きい腹部の線をあらわす点、覆肩衣を大衣にたくしこまず右肘内側の腹部上に舌状のたるみをあらわす点、左右の肘より下の袖口と大衣正面の左端に旋転文を連ねる点などは互いに非常によく似ており、何か共通する手本があったのではないかと想像される。」
(京都神光院蔵・木造薬師如来立像・皿井舞・美術研究404号~2011.8)

たしかに両像は、旋転文の繰り返しだけでなく、全体の空気感にも似ているものがあります。
皿井氏は、神光院像について、

「『仏力をもって神威を増す』という、神仏習合思想を背景に造立された、霊威表現の像」

とみられていますが、安楽寺の如来立像が発散するオーラ感も、そうしたものに関連するものなのでしょうか?

神光院・薬師如来像については、観仏日々帖「古仏探訪~京都・神光院  薬師如来立像」で、ご紹介していますので、ご覧ください。



【極めつけの異形、奇相の僧形・天部形像】


最後に、僧形像と天部像なのですが、これ以上くどくどと、両像の印象、感想を綴っていると、話が長くなりすぎるので、やめておきます。

一言でいうと、両像こそ、極めつけの異形、奇相の古像です。
あまりの大胆、奇抜な形相は、私の理解を超えてしまっているようにも感じます。

安楽寺・僧形坐像安楽寺・僧形坐像
安楽寺・僧形坐像

安楽寺・天部形立像安楽寺・天部形立像
安楽寺・天部形立像

もし、この2躯だけを拝したとしたら、平安前期に遡る可能性のある古像だと思うでしょうか?
私には、ちょっと自信がありません。
もっと時代がぐっと下る、地方作の奇相像と感じるような気がします。



【何故だか採り上げられることのない、安楽寺の諸像】


これだけの奇抜、異形とも云える安楽寺の4躯の古像ですが、これまで専門家の間で、採り上げられたり、議論されたことがあるのでしょうか?

この像について、まともに採り上げ論じたのは、井上正氏を除いてないように思います。
京都の仏像の解説書などにも、全く登場しません。

私の知る限りでは、以下の3冊の本に、採り上げられているだけです。

「古佛~彫像のイコノロジー」  井上正著・1986年 法蔵館刊
「京の古仏~里にいきづくみ仏たち」  京都市文化財ブックス第3集
「京都市の文化財~京都市指定・登録文化財集(美術工芸品)」  1992年刊

この3冊は皆、井上正氏の著作と、井上氏がその編集等にかかわっている本ですの。
大胆に云うと、これまで研究者の中で、
「安楽寺諸像に注目、採り上げたのは井上正氏だけ」
と云えるのかもしれません。

それでは、この安楽寺諸像、近年まで知られていなかった、新発見の仏像なのかというと、そういうわけではないようです。
大正4年(1915)に発刊された、「京都府史蹟調査会報告・第一冊」で紹介されているのです。

「京都府史蹟調査会報告・第一冊」

安楽寺の項の中には、

「堂内正面ニ安置スルモノハ薬師佛座像木彫高三尺八寸ナリ。
傅フル所慈覚寛大師ノ作ナリト云フ。
猶側ニ佛像数體ヲ置ケリ。
ソノ内薬師立像ハ木彫高六尺三寸アリ、両手等破損セル個所アリト雖モ弘仁期ノ彫刻ト認ムべキモノ、毘沙門像ハ四肢ノ破損甚ダシケレドモ同ジク弘仁期ノ作ナルベシ。」

と、記されているのです。

薬師如来坐像の制作年代には言及されていませんが、如来立像と天部立像は、弘仁期(平安前期)の制作とされているのです。

「京都府史蹟調査会報告・第一冊」掲載の安楽寺諸像写真
「京都府史蹟調査会報告・第一冊」掲載の安楽寺諸像写真

平安前期の制作かと思われる古仏像の存在が、大正年間から知られていたにもかかわらず、採り上げられたり、論じられたりしてこなかったのは、これら安楽寺の諸像が、
「採り上げるに足らぬ地方作の不出来な像」
「あまりの違和感に、扱いにくい像」
とみられてきたということなのでしょうか?



【安楽寺諸像に注目、惹きつけられた「井上正氏の眼」】


この不出来な地方作のようにみられた安楽寺諸像ですが、
「内なるところから発散する強烈なパワー、オーラのようなもの」
が、井上正氏のハートを大きくとらえたようなのです。

井上氏は、自著「古仏」で、安楽寺の諸像に大きなスペースを割き、3回・15ページにもわたって論じているのです。
古密教彫像について論じる井上氏にとって、安楽寺の諸像は、それほどにも強烈なインパクトのある仏像であったのではないかと思います。

安楽寺・薬師如来坐像
安楽寺・薬師如来坐像
井上氏は、自著「古佛~彫像のイコノロジー」(1986年 法蔵館刊)の中で、このように語っています。

「この像(薬師如来坐像)の作風は、“都ぶり”“洗練”といったものとは程遠く、どこを探しても整美な様相は求められない。
量感のある点だけがとりえで、すべては『地方作』という言葉のなかに取り込まれてしまう。
しかしこのような平板な見方では、この像の真の価値は浮かびあがってこない・・・少なくとも私にはそう思えるのである。」

そして、これら諸像(薬師如来坐像、如来立像、僧形像、天部像の4躯)の制作年代については、霊威表現と塑像写しの特色を備えた古密教像とみて、奈良時代の制作に遡る可能性という見方を示しています。

「全体に共通していえることは、まず霊威表現という言葉がぴったりあてはまるような精神内容をそなえていること、第二には塑造写しの木彫の特色を示していること、の二つである。

安楽寺・僧形坐像
安楽寺・薬師如来坐像

すでに何度か述べたように、霊威性の表現は、古密教尊像の基本的な性格であるとはいえ、凄味のある迫力を帯びるようになったのは8世紀以後のことと察せられる。
そして、古式な一木彫成像のなかで、塑像的な感触をもち、明らかに塑造表現を、そのまま木彫に写したとみられるものは、塑造全盛時代またはそれに続くころの作例と考えた方がよい。

こうした考え方に立っと、安楽寺に伝わる四躯の像は、奈良時代に、この山中の集落に根づいた古密教のありようを示す遺品であり、・・・・・・・・」


本のエッセンスだけのつまみ食いの紹介ですので、ご関心のある方は、是非「古佛~彫像のイコノロジー」の本をお読みになっていただきたいと思います。
大変面白く、興味深い文章です。



【発散する「凄み」に、あてられてしまった、安楽寺諸像】


この像の制作年代、皆さんはどのように感じられるでしょうか?

奈良時代の古密教彫像?
平安前期の一木彫像?
時代の下った地方作像、形式古様の像?

私にとっては、安楽寺の仏像に限って云えば、
「制作年代などは、どうでもいい。
いずれの年代であろうと、それは主たる関心事ではない!」
眼のあたりに拝して、そんな気持ちを強く感じました。

これらの諸像が、
「内なるところから発散する、強烈なオーラというか、凄みにあてられてしまった!!」
というのが、素直な実感です。

実の処、年代は少し下がるのかもしれません。
ただ、制作年代がいずれであろうとも、「発する気の、凄さ」は、変わるものはありません。


国宝級の第一級の見事な仏像を観て、心から感動するというのは勿論のことなのですが、
この一見、不出来で粗野で田舎臭い仏像に、思いのほかに、これほどの衝撃や感動を覚えることがあるのかというのが、正直なところです。

安楽寺の諸像は、日本彫刻史・美術史的には位置づけにくい像でしょう。
率直に言って、人それぞれによって「好き嫌い」が激しい仏像なのではないかと思います。
「こんな仏像、わざわざ観にいく気など、全く起こらない」
そのように感じられる方も、結構いらっしゃるのではないかと思います。

私にとっては、再訪してみて、その不可思議な得も言われぬ凄みに、ますます惹き付けられ、心に刻みつけられた、安楽寺の仏像となりました。


きっと、何年かたったら、また出かけてしまうのではないかと思います。



4回連続して、図録冊子「京の古仏~里にいきづくみ仏たち」に収録されている仏像のなかから、私が、「とっておきの京のかくれ仏」と感じた古仏を、ご紹介してきました。

次回からは、新たな「京のかくれ仏」を、いくつかご紹介していきたいと思います。



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