観仏日々帖

古仏探訪~「右京区梅ケ畑檜社町・慰称寺の地蔵菩薩像」京のかくれ仏探訪③  【2016.7.2】


「京のかくれ仏探訪」、今回は高尾・神護寺に程近い、慰称寺の地蔵菩薩像をご紹介します。

慰称寺・地蔵菩薩立像
慰称寺・地蔵菩薩立像

写真をご覧になって、如何でしょう。
素晴らしく出来の良い地蔵像ではないでしょうか?



【聞いたこともなかった、仏像~慰称寺・地蔵菩薩像】


この、慰称寺・地蔵菩薩像を訪ねたのは、昨年(2015年)の夏のことでした。

関西の同好の方から、
「地蔵盆の日に、高雄の慰称寺という処の、地蔵菩薩が開帳されるので、行ってみませんか?
平安前期の仏像らしいですよ。」
と、お誘いを受けました。

「慰称寺?? 地蔵菩薩像?? そんな仏像、聞いたことありませんねえ!」

私の第一声は、こんなふうでした。

とはいっても、私の大好きな平安前期の仏像らしいと云われると、捨て置くわけにはいきません。
折角の機会と、出かけることにしたのでした。



【ビックリ!実は重要文化財指定の仏像~制作年代は平安前期か?鎌倉か?】


「慰称寺・地蔵菩薩像」

これまで聞いたこともない、全く知らない仏像です。
「多分、無指定か市指定ぐらいの仏像なんだろう。」
そう思いました。

どんな仏像なんだろうと、資料を探してみました。
ところが、なんとビックリ!!
「重要文化財」に指定されている仏像でした。

毎日新聞社刊「重要文化財 彫刻Ⅲ」(1973年刊)に、このように記されています。

地蔵菩薩像 1躯 京都 慰称寺
木造 彩色 切金文様 像高 91.3㎝ 平安時代

毎日新聞社「重要文化財」掲載の慰称寺・地蔵像の解説・写真
毎日新聞社刊「重要文化財」掲載の慰称寺・地蔵像の解説・写真

「本当に、平安前期の仏像なのだろうか?解説が書かれたものはないのだろうか?」

と、手元の資料をあたってみましたが、なかなか見つかりません。

1冊、「もっと知りたい京都の仏像」村田靖子著 2007年里文出版刊に、慰称寺・地蔵像について、ふれてありましたが、

「ここには平安時代の木造・彩色・切金文様による逞しい地蔵菩薩立像(91.3㎝・重文)がある。」

と、一言、記されているだけでした。


そして、もう1冊、見つけたのが、前回にもご紹介した図録冊子「京の古仏~里にいきづくみ仏たち」です。
ところがです。
そこには、「鎌倉時代の模刻像」と書かれているではありませんか。

「広隆寺埋木地蔵の霊験譚が広まった鎌倉時代以降に、同像を忠実に模刻したものと考えられる。
像身と共木彫出の蓮肉底面にみえる「正元二年(1260)正月」の年紀は、その模刻の時期をあらわしているのかもしれない。」

と、書かれています。

広隆寺・地蔵菩薩立像~埋木地蔵
広隆寺・地蔵菩薩立像~埋木地蔵


「平安時代? 鎌倉時代?」

どちらが正解なのでしょうか?

「重要文化財には、平安時代として指定されているのだから、平安で間違いないのでは・・・・・」

と思いつつ、

「写真を見ると、平安前期風だけれども、云われると鎌倉の匂いがしないわけではないけれど、・・・・・・・
実物を見てみないと」

「それにしても、広隆寺の平安前期(9C)作の地蔵立像、通称『埋木地蔵』(うもれきじぞう)に、そっくり瓜二つだ!
制作年代は別にしても、『埋木地蔵』どおりの像として造られているのは、きっと間違いない。」

と、唸ってしまいました。



【地蔵盆の和やかな寄合風景に、気持ちもホッコリ】


聞いたこともなかった慰称寺・地蔵菩薩像でしたが、俄然、興味津々となり、なんとしても拝せねばと、意欲満々で京都に出かけたのでした。

8月23日、残暑の厳しい陽射しがまぶしいなか、高雄を目指しました。

慰称寺は、右京区梅ケ畑桧社町という処にあります。
高雄神護寺に往く周山街道沿いにあり、「高雄」バス停の一つ手前、「御所ノ口」停留所西側の小道を、ちょっと上がっていった処です。

慰称寺のある梅ケ畑桧社町付近
慰称寺のある梅ケ畑桧社町付近

「国寳 子安延命地蔵尊」と刻された石標を見ながら坂を上ると、「光堂」の扁額上がった小堂がありました。

「国寳 子安延命地蔵尊」と刻された石標
「国寳 子安延命地蔵尊」と刻された石標

地蔵盆で地元の人が寄り合う慰称寺・光堂
地蔵盆で地元の人が寄り合う慰称寺・光堂

この慰称寺・光堂は無住で、地蔵様は、地元の人々の手で大切に守られています。
地蔵盆の日ということで、地元の方々が数多く寄り合って、賑やかに歓談されています。
古い昭和の昔の、地域の寄合の光景にタイムスリップしたような、懐かしくほっと気が休まる風景です。

お目当ての地蔵菩薩像は、光堂の後ろの収蔵庫兼お堂に、祀られています。

地蔵菩薩像が祀られる収蔵庫

収蔵庫内~地蔵菩薩像安置の様子
地蔵菩薩像が祀られる収蔵庫と、安置の様子

地蔵盆の8月23日、年に一度だけのご開帳です。
地元の方以外に拝観の人はほとんどなく、ゆっくりじっくりと眼近で拝することが出来ました。



【見惚れてしまう見事な彫技~秀作の地蔵像】


素晴らしく、出来の良い像です。
見事な彫技といって、過言ではありません。
「知られざるかくれ仏」といってもよい地蔵像ですが、きわめてハイレベルな技の造形に、本当にびっくり、息をのんでしまいました。

1メートル弱の像ですが、造形バランス良さといい、肉付けの巧みさといい、彫技の冴えといい、どれをとっても一流です.

慰称寺・地蔵菩薩像

慰称寺・地蔵菩薩立像

慰称寺・地蔵菩薩像

慰称寺・地蔵菩薩立像
慰称寺・地蔵菩薩立像

衣文の彫り口、むっちりとした肉付け、仕上げの丁寧さ、いずれをとっても見惚れてしまいます。
これだけの秀作を造れる腕のある仏師は、並みの仏師ではないだろうと思わせます。

私のお気に入り仏像ランキング、一気に上位に入ってきました。
これほどの京の仏が、重文なのに、どうして知られていないのか、不可思議です。

蓮肉まで共木の檀像風の一木彫で、平安前期特有の技法で造られています。
漆下地の痕跡はないようで、素木に上に黒灰色に塗りあげられているように見受けられます。

慰称寺・地蔵菩薩像蓮肉まで一木で彫られた慰称寺・地蔵菩薩立像
慰称寺・地蔵菩薩像側面と、蓮肉まで一木で彫られた足部

毎日新聞社「重要文化財」には、「彩色 切金文様」とありましたが、現在みる限りでは、切金文様があったような痕跡は、全く見当たりませんでした。



【平安前期か?鎌倉か?~やはり鎌倉の模刻像だろうと納得】


さて、興味津々の、制作年代です。
平安時代なのでしょうか? 鎌倉時代なのでしょうか?
パッと見ると、平安前期の造形表現のように感じますが、眼近にじっくり観ていくと、鎌倉時代の空気感が漂っています。

「これは、鎌倉時代でしょう!!」

私も、同好の方も、同じ意見となりました。

全体の造形、シルエットも、蓮肉までの共木という技法も、一見は「平安前期」そのものです。

しかし、その造形表現から発散する感覚は、平安前期のものではありません。
平安前期特有の、パワフルな重厚感、厳しく鋭い表現を感じないのです。
むしろ、きわめて腕の良い彫技で、端正できれいに整った造形表現で仕上げた像という風に見受けます。
やはり、平安前期の広隆寺・埋木地蔵像の、鎌倉時代の超精密模刻とみた方が、納得できると思いました。

慰称寺・地蔵菩薩像の衣文の造形慰称寺・地蔵菩薩像
慰称寺・地蔵菩薩像の衣文の造形

埋木地蔵像を忠実に模刻されていますが、衣文の彫り口、仕上げの表現は、整い過ぎのように思えます。
埋木地蔵にみられるような、衣文表現の彫り口の鋭さ、ダイナミックな力強さは影を潜めているようです。
顔貌の表現も、埋木地蔵像の、重々しく厳しい表情と較べると、目鼻の線が繊細でちょっと弱さを感じます。
端正でキリリとした表情に感じるのも、鎌倉彫刻の雰囲気といってもよさそうです。

慰称寺・地蔵菩薩像~顔部慰称寺・地蔵菩薩像~顔部
慰称寺・地蔵菩薩像~顔部

広隆寺・埋木地蔵像~顔部
広隆寺・埋木地蔵像~顔部

やっぱり、「京の古仏~里にいきづくみ仏たち」に書かれていた、

「広隆寺埋木地蔵の霊験譚が広まった鎌倉時代以降に、同像を忠実に模刻したものと考えられる。」

というのが、正解みたいですねと、皆で納得しました。

一方で、鎌倉時代の一流仏師は、平安前期の仏像表現を、これだけ見事な技で写し採ることが出来る技量を備えていたのだということを、再認識させられました。
鎌倉時代の仏像と云われると、ちょっと興味関心が薄れてしまう私ですが、この慰称寺・地蔵菩薩像の見事な彫技に、感嘆の声をあげざるを得ませんでした。

思い出深い、慰称寺・地蔵菩薩像探訪となりました。



【興味津々の、広隆寺・埋木地蔵像と慰称寺・地蔵像との関係】


この探訪をきっかけに、広隆寺・埋木地蔵と慰称寺・地蔵菩薩像との関係や、模刻問題に大変興味がわいてきました。

いろいろ資料を確認してみて判った面白い話を、ご紹介したいと思います。



【広隆寺・埋木地蔵像の霊験譚と、その造形~9世紀の彫像】


まず、広隆寺・地蔵菩薩立像、通称「埋木地蔵」についてです。

この像は、現在、広隆寺の宝物館に安置されていますが、古来、霊験あらたかな「埋木地蔵」(うもれきじぞう)と呼ばれ、信仰されていました。

広隆寺・地蔵菩薩立像~埋木地蔵
広隆寺・地蔵菩薩立像~埋木地蔵
表面が、黒光りする色であることから、埋木(亜炭)で彫られたと伝えられていますが、この黒色は檀像風素木の木肌が、長年の問に薫染して黒光りの様相となったものとみられています。

この像の来歴などについては、寛喜2年(1230)撰述という「埋木地蔵菩薩記」というものがあり、それによると、

「大堰の樵夫が瑞相を現した菩提樹の中から伐り出し、広隆寺裏の十輪院に祀った処、久安6年(1150)の大火の時と、承久3年(1221)に二度の盗難にあったが、奇端を現して難を避け、無事であった云々」

と伝えられ、霊験殊勝の像として厚い崇敬をあつめてきました。

制作年代については、いかにも平安前期の檀像風一木彫像で、9世紀の制作と考えられています。

「菩薩の身体から蓮肉に至るまで一木をもって作り出されており、やゝ短躯で豊満な肉体を現わし、極めて量感に満ちた像である。
・・・・・・・・
体躯は上述のように短躯であり、太い首、広い肩巾、意外に太く豊かな両臂、きびきびと盛り上る胸部腹部の肉附き、両足もまた衣を通して豊満さを感じ、堂々と量感に横溢した作風を示している。
・・・・・・・・
この像の製作年代は平安時代の初葉であることは何人も否定するものはなく、当時の遺作中特筆すべき佳作の一つである。」
(望月信成編「広隆寺」1963年・山本湖舟写真工芸部刊)

という解説に、代表されるような見方がされています。

広隆寺・地蔵菩薩像~埋木地蔵
広隆寺・地蔵菩薩像~埋木地蔵



【やっとみつけた慰称寺像・模刻問題を論じた本】


広隆寺・埋木地蔵像についての記述した本は、このほかにも結構あるのですが、その模刻とみられる慰称寺・地蔵菩薩像について論じたものは、なかなか見当たりません。

なんとか知りたいものと、ちょっと頑張って資料を探してみました。
あたってみると有るもので、古い本に2冊、平成前後になってからの本に2冊、広隆寺・埋木地蔵像と慰称寺・地蔵像について論じられている本を、ようやく見つけました。

古い方の本から、ご紹介したいと思います。

「別尊 京都仏像図説」美術史学会著 1943年 一條書房刊 【390P】5.3円

「弥勒菩薩の指」田中重久著 1961年 山本湖舟写真工芸部刊 【172P】400円

「別尊 京都仏像図説」美術史学会著「弥勒菩薩の指」田中重久著 

いずれも、半世紀以上前に出版された古い本です。


「別尊 京都仏像図説」は、ちょっとレベルの高い京都の仏像彫刻解説書ですが、その中に、
「広隆寺の埋木地蔵菩薩像と中島の地蔵菩薩像」(米山徳馬氏執筆)
という一項があるのです。
「中島の地蔵菩薩像」とは、慰称寺・地蔵像のことです。

「弥勒菩薩の指」は、広隆寺の仏像や歴史についての研究成果やエピソードを、京都在住の仏教美術研究者・田中重久氏が著した本ですが、そこにも、
「埋木地蔵とその模造」
という項立てがありました。

いずれの本も、慰称寺像を模刻像とみており、

「広隆寺・埋木地蔵像は、平安前期の制作像であり、慰称寺の地蔵菩薩像は、この埋木地蔵像の模刻像で、鎌倉時代以降の制作像である。」

としています。

慰称寺の地蔵菩薩像が旧国宝に指定されたのは、昭和10年(1935)4月のことであったそうです。
「国宝略説・昭和9年度」文部省宗教局編刊
という出版物に、旧国宝指定時の本像解説が掲載されています。

このような解説文です。

「一木造、台座の蓮花も像と一木彫であって、平安朝初期の様式を表はす。
その右肌を脱いでいるのは、地蔵像には稀に見る形相である。
広隆寺に蔵する俗称理木地蔵像(国宝)と制作形態共に酷似し、両者の間に関係のあることを思はしめる。」

旧国宝指定時には、この瓜二つの両像ともに平安初期の制作像だと考えたようです。

広隆寺・埋木地蔵像..慰称寺・地蔵菩薩立像

広隆寺・埋木地蔵像慰称寺・地蔵菩薩立像
広隆寺・埋木地蔵像(左)、   慰称寺・地蔵菩薩立像(右)

慰称寺像が、「平安初期作」として旧国宝指定されてから8年後、昭和18年(1943)に、米山徳馬氏は「広隆寺の埋木地蔵菩薩像と中島の地蔵菩薩像」を執筆し、慰称寺像を「後の時代の模刻像」であると主張したというわけです。

米山氏は、模刻像と考えられる理由として、

・同時代に、無意識的にこれほどの類似像が造られるであろうか?
・広隆寺像の後補とみられる両手部分が、慰称寺像に於いて、殆ど同様の形式で刻まれている。(広隆寺像は、右腕と左手の手首から先、持物が後補)
・背部の彫線が力足らずで弱々しい。

という3点を論拠に挙げています。
そして、

「然らば、当像の造顕年代はいつごろか。
之には種々の説があり、藤原・鎌倉・室町等諸説が多い。
何れも主観を主とした決め方であるが、私はどちらかと云えば、鎌倉か室町初期位とみるべきではないかと思う。」

このように述べて、鎌倉~室町初期模刻説を主張しています。


その後しばらくは、慰称寺・模刻地蔵像について、仏像関係の本に採り上げられることは、殆どなかったようです。

平成前後になって、この2像について採り上げた、2冊の本を、ご紹介します。

ひとつは、
望月信成著 「地蔵菩薩~その源と信仰をさぐる」 1989年学生社刊
という本です

望月氏は、慰称寺像を広隆寺・埋木地蔵像と同一作者がつくったと思えるほどで、「平安時代初葉の作」とみて、次のように述べています。

「この寺(慰称寺)に埋木地蔵菩薩像とよく似た地蔵菩薩立像がある。
両者は文字どおり瓜二つといってもよいほど似ている。
おそらく同一作者が、二体ともつくったのではないかと思えるほど同形である。
・・・・・・・・・・・
昭和六、七年ごろに私は高雄地方の有志者から、この地の古文化財の調査を依頼されたその時に、はじめてこの像を拝んで驚いた。
山の中腹の荒れて崩れかけた小さな堂のなかで、お守りする僧も平素はおらず、埃にまみれながら長年の問、よくもこれだけの立派な像が保存されてきたものだと驚き、その発見を心から悦んだのである。
かれこれ一千年余の問、世間からまったく見出されることなく、無事に今日まで残ったものだと思い、その奇蹟を心から『ほとけ』に感謝した。
・・・・・・・・・・・
この像は一木彫成像で、現在表面は真黒となっているが、元来は素木造のいわゆる檀造像であったのであろうと思う。
しかもきびきびした彫法は、平安時代初葉の特徴を十分にそなえている。」

これを読むと、昭和6~7年頃、慰称寺・地蔵像を発見したのは、望月信成氏であったようです。
昭和10年(1935)に、平安初期像として旧国宝指定されたことにも、関わられていたのかもしれません。

本書は平成元年(1989)の発刊ですが、望月氏90歳前後の著作で、あとがきに「思い出すままに説いた」と書かれていますので、慰称寺像についても、直近の考証と云うよりも、発見当時の思い出話を中心に、綴られたものなのかもしれません。


もう1冊は、
松島健著「地蔵菩薩像・日本の美術239号」 1986年至文堂刊
という本です。

松島氏は、広隆寺・慰称寺の地蔵像を、「右肩を露わした珍しい形制の地蔵像」として紹介解説しています。
この形制の立像は、他に類例がないそうです。(坐像にあと1例だけあり)
慰称寺像については、埋木地蔵像の鎌倉期の模刻とみて、このように解説されています。

蓮肉底面にみえる『正元2年(1260)正月』の年記
蓮肉底面にみえる『正元2年(1260)正月』の年記
「京都・慰称寺には・・・・・この広隆寺埋木地蔵によく似た像がある。
俗に中島の地蔵堂と呼ばれるこの寺は、天正年間(1573~92)、筑後善導寺の慰樵上人の建立と伝え、古くは慰樵庵と称していたという。
寺の旧名の『樵』と埋木地蔵の縁起にいう『樵夫』との共通性は、両寺に何らかのつながりがあったことを想像させるが、この地蔵像が埋木地蔵の模刻であった事実かすかに伝えているもののように思われる。

像身と共木彫出の蓮肉底面にみえる『正元2年(1260)正月』の年記は、あるいはその模刻の時期と考えていいのではなかろうか。」

以上のとおりです。


それぞれの本の解説を読んでいると、「慰称寺・後世模刻像説」の方が、圧倒的に説得力があると感じました。

「やはり鎌倉以降の模刻像ということで、間違いなかったのだ!」

と、もう一度納得した次第です。

広隆寺・埋木地蔵像の霊験譚が広められ、厚い信仰をあつめるようになってから、この霊験像と瓜二つの模刻像が造られ、信仰されたのでしょう。



【慰称寺・地蔵菩薩像の文化財指定について、頭をよぎったこと】


慰称寺・地蔵像が広隆寺・埋木地蔵の模刻であろうとの話と、その問題について採り上げた本の話が、ついつい長くなってしまいました。
くど過ぎるという感じで、いい加減、読み疲れられたのではないかと思います。


最後に一つ、思うことです。

慰称寺像が、後世の模刻像であることは、すごく納得したのですが、文化財指定当時に判断された「平安時代」という制作年代は、なかなか訂正されるということは難しいのでしょうか?
今日の、「重要文化財の写真総目録」ともいえる、毎日新聞社刊「重要文化財」(1973刊)にも、昭和10年(1935)旧国宝指定当時の「平安時代」が、そのまま受け継がれています。

「もし、昭和10年の旧国宝指定時に、慰称寺像が、後世の模刻像であろうとみられていたら、国宝指定は、どうなっていたのだろうか?」

そんな思いが、ちょっとよぎりました。
当時は、「平安初期の地蔵像であろう」とみられたから、旧国宝に指定されたに違いありません。
後世の模刻像となれば、指定はきっと無理だったのでしょう。
戦後になっても、新たに「重要文化財指定」を受けることは、無かったような気もします。

これだけの出来の良い素晴らしい地蔵像ですから、模刻であろうと文化財指定を受けて当然とは思うのですが、重文指定まで行ったかどうか?・・・・・

そう思うと、何やら複雑な気持ちになってしまいました。



全く、知りもしなかったノーマークの慰称寺・地蔵像への古仏探訪でしたが、想定外の出会いとなりました。

見事な彫技の、素晴らしく出来の良い地蔵像との思わぬ出会いに、感動しました。

そして、この地蔵像の広隆寺・埋木地蔵との関係や、平安初期像か鎌倉模刻像かなどを調べてみるうちに、興味深い話をたくさん知ることが出来、随分勉強にもなりました。


昨年まで、聞いたこともなかった慰称寺・地蔵像でだったのですが、決して忘れられない地蔵像になってしまいました。


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