観仏日々帖

新刊・旧刊案内~たまたま手に入れた明治時代の「日本美術史・解説原稿」    〈その1〉どういう原稿なのでしょうか?   【2016.2.13】


こんなものを手に入れました。

手に入れた明治の美術史・解説原稿

手に入れた明治の美術史・解説原稿

明治時代の手書きの美術史の原稿です。


「推古、天智、天平、三時代ニ於ケル繪画彫刻之現存品ニ對スル觧説」


という標題が書かれています。



【YAHOOオークションで手に入れた、明治の珍しい美術史原稿】

実は、この原稿、YAHOOオークションに出品されているのを見つけたのです。
NET上に原稿の写真が数枚掲載されていました。

「これは、どんなものなのだろうか?
何かの本の原稿なのだろうか?」

とおもいましたが、明治時代に書かれた美術史の解説であることに違いありません。

「よく判らないけれど、珍しいものに違いない。
何とか、手に入れてやろう!」

と、オークション入札にトライしてみました。

他の入札者もあって競ったのですが、意外に安い値段で落札することが出来ました。

送られてきた現物を開いてみました。
虫食いだらけの古びた原稿用紙に、筆で書かれています。
本文は16頁ありました。
本文の画像を、枚数がありますが、何ページか掲載させていただきますので、ご覧ください。

美術史・解説原稿~推古時代1
美術史・解説原稿~推古時代2
解説原稿~推古時代の部彫刻分2頁


美術史・解説原稿~天智時代1
美術史・解説原稿~天智時代2美術史・解説原稿~天智時代3
解説原稿~天智時代の彫刻部分3頁


美術史・解説原稿~天平時代(法華堂・執金剛神像、戒壇院・四天王像、法華寺・十一面観音像の解説ページ)
解説原稿~天平時代の彫刻
(法華堂・執金剛神像、戒壇院・四天王像、法華寺・十一面観音像の解説ページ)


流石、明治時代、活字かと見紛うような美しい字で書かれています。
間違いなく筆書きで、きっちりと清書されたものです
そこに書き入れが、結構あります。
この原稿を手元にしていた方が、詳しい注釈を入れるように、書き入れたもののようです。



【いつ頃、何のために書かれた原稿なのだろう?】

この原稿、いつ頃、どのような目的で書かれたのでしょうか?
誰が、書いたものなのでしょうか?
何かの出版物の元原稿なのでしょうか?

興味津々になってきました。
この原稿の正体を明らかにできないだろうかと、チャレンジしたくなってきました。


ページを開くと、

「推古時代に於ける現存物  彫刻」

という項立てから始まります。

法隆寺金堂・薬師三尊像、釈迦三尊像の解説部分
法隆寺金堂・薬師三尊像、
釈迦三尊像の解説部分
冒頭は、法隆寺金堂の薬師三尊像、釈迦三尊像の解説です。

「推古時代の遺物にして最も正確なるものは法隆寺金堂の薬師三尊、釈迦三尊なりとす
薬師三尊(脇士日光月光)の作者は光背に銘あれども其作者の氏名を録せざるを以て詳知する能わずといえども其作風に依て考うれば鳥佛師の作にて脇士も又同作なるべしと思わる
釈迦(脇士文殊普賢)の光背に銘あり鞍首止利をして作らしむといえり
薬師と年代を隔つること十六年其作風酷似したれば同作なりと断じて不可なかるべし」

このような感じです。
当時のことなら当然ですが、薬師像も釈迦三尊もともに銘文通りの推古期の制作と断じています。



原稿の、インデックスをご紹介すると、このようになっています。

・推古時代に於ける現存物~絵画・彫刻(彫刻の採り上げ件数:7件)

・天智時代に於ける現存品~絵画・彫刻(彫刻の採り上げ件数:7件)

・天平時代に於ける遺存品~絵画・彫刻(彫刻の採り上げ件数:19件)



【原稿用紙は、「臨時全国宝物取調局」のもの】

何時頃?書かれた原稿なのでしょうか?

書かれた時期は、明治20年代~30年代前半ごろで、間違い無いのではないかと思います。

というのも、使われている原稿用紙が、「臨時全国宝物取調局」の名前が刷り込まれたものなのです。

原稿用紙に刷り込まれた「臨時全国宝物取調局」の名前.原稿用紙に刷り込まれた「臨時全国宝物取調局」の名前
原稿用紙に刷り込まれた「臨時全国宝物取調局」の名前

臨時全国宝物取調局が設置されていたのは、明治21年(1988)から30年(1997)の10年間ですから、この間に、取調局に参画していた人物によって書かれたのかもしれません。

臨時全国宝物取調局は、明治政府初めての組織的文化財調査を大々的に進めるべく、設置されたものです。
10年間で、全国約21万余点の宝物調査を行い、美術品の価値としての等級付けを実施しました。
その総決算として、古社寺保存法が明治30年(1967)に制定され、「特別保護建造物、国宝」が、国によって指定されることになります。
この臨時全国宝物取調局の設置に深くかかわっていたのが、岡倉天心で、九鬼隆一を首班として岡倉がリーダーシップを取り、フェノロサ等と共に調査を推進したのでした。

明治20年代~30年代と云えば、まだまだ「日本美術史」の黎明期です。
やっと「日本美術史」というものが、語られ始めたころと云えるでしょう。

その頃、
こんな内容の日本美術史の解説文を書くことのできたのは、
また、「臨時全国宝物取調局」の原稿用紙を使って書くことのできたのは、
きわめて限られた人物であったに違いありません。



【当時の日本美術史の出版物の「元原稿」の可能性は?】

ひょっとしたら、当時書かれた、日本美術史の出版物の元原稿なのかもしれません。
そう思って、明治中期の著名な美術史の著作物の解説と、付け合わせてみることにしました。
この時期に刊行された、日本美術史の解説書・出版物と云えば、次の3冊ぐらいしかないのではないでしょうか。

「日本美術史」(岡倉天心)

岡倉天心が明治24~25年、東京美術学校において学生に日本美術史の講義をした、講義録を聴講筆記したものが出版させたものです。
近代日本における、初めての日本美術史の解説本と云って良いものだと思います。

「日本美術史」(岡倉天心)


「稿本日本帝国美術略史」

明治33年(1900)、パリ万国博覧会参加を機会に、我が国美術を西欧に知らしめるため、フランス語版の 「Histoire de l'art du Japon」が編纂・出版されました。
その日本語訳原稿本が、「稿本日本帝国美術略史」なのです。
この本は、近代日本初の「官製日本美術史本」というべきものです。
東京美術学校の岡倉天心が編集主任になりスタートし、明治31年(1898)、天心が美術学校を非職となった後は、福地復一がこれを引き継ぎ完成させています。


「稿本日本帝国美術略史」「稿本日本帝国美術略史」


「真美大観」

明治32年(1899)から41年にかけて出版された、日本ではじめての美術全集です。
全20冊の大部の超豪華本で、図版は多色刷り木版とコロタイプ写真、1冊15円50銭という重価でした。
京都の「日本仏教真美協会」から刊行されましたが、その後、経緯を経て「審美書院」からの刊行に移っていきました。


真美大観~表紙

真美大観~第1冊内表紙.真美大観所収の美麗な多色刷り木版図版
真美大観~表紙と、所収の美麗な多色刷り木版図版

結論から云うと、原稿は、この3冊のどの文章とも、一致どころか、類似したところもありませんでした。
これらの本の関連原稿ではなかったようです。



【法隆寺・夢殿救世観音の記述を、3冊の出版物と較べてみると・・・・】

「解説文の違い」を、ちょっとご紹介します。
法隆寺夢殿・救世観音像の解説文を、比較してみたいと思います。

【本原稿の解説文】

法隆寺中夢殿のニ臂如意輪観音は古来秘仏にして六百年許も開かざりしが先年之を開扉したるに其像は六尺に満たざる乾漆立像にして彩色いまだ全く剥落せず蓋し乾漆中最古のものなるべし
年代作者は詳ならざれども当代のものたるは疑うべからず


【岡倉天心「日本美術史」解説文】

立像にては法隆寺の夢殿観音あり。
有名なる仏像なり。

~この後、フェノロサ他とともに本像を初めて開扉したときの有様が、ドラマチックに語られています。
その後に、この文章が続きます。~

顔容は、上頬高く下頬落つ。
これは推古時代仏像通有の様式にて、頭部・四肢大に、鼻辺の溝の筋深し。
法隆寺の諸像皆然り。
而して大体は木造なれども、手の如き或る部分は乾漆を用いたり。


【「稿本日本帝国美術略史」の解説文】

木彫にして丈六尺五寸あり。
此の像は聖徳太子の作にて等身の像と称し、古来秘密佛として特に尊重せられしものなり。
その様式は前の金銅観音(辛亥銘観音像)の像に類し、全体平扁にて左右に鰭状の装飾あり。
宝冠は金銅透彫にして蔓草の模様頗る精巧なり。


【「真美大観」の解説文】

・・・・・茲に出せる木像は従来斯堂の秘佛本尊として安置せられたるものなり、
其体形平扁にして、天衣の端左右に開き、宛然鮨状を成せるが如きは、夫の第六冊に掲載せる帝室御物槻世音金銅像(辛亥銘観音像)と相似たり、
唯々其異る所は両手に持する如意賓珠を蓮台の上に安んすると然らざるとに在るのみ、
又身長の比較的に高くして整直なるは、同寺金堂の観世音(第六冊掲載)(百済観音)に類し、其面相の端厳崇高なるは、同堂なる止利佛師作の繹迦三尊(第一冊掲載)及び山口大口等作の四天王(第四冊掲載)等の像に似たり、
・・・・・・・・・・・
以上の特徴によりて其推古時代(西暦第七世紀)の遺物たること、推知するに難からざるなり、
由来秘佛と稱せらるヽもの、大抵粗造悪作殆んど見るに足るもの少し、
獨り此像の如きは天下希有の霊像として尊重す可きものと云う可し

真美大観掲載~法隆寺夢殿・救世観音像写真.真美大観掲載~法隆寺夢殿・救世観音像写真
真美大観掲載の法隆寺夢殿・救世観音像写真

このように、どの出版物の文章とも、類似していません。
この原稿だけが、救世観音像を乾漆像で、「乾漆像中最古」としています。
他の本は、皆、木彫像と解説していますので、そこのところも異なっています。



【結局、何もわからなかった原稿の由来】

この原稿、如何なるものなのか明らかにしたいと、意気込んだのですが、残念ながら、この誰が書いたのやら、何のために書かれたのやら、皆目判らずじまいということになってしまいました。
明治20年から30年頃に書かれたのではないだろうかと、推定できただけです。

「近代日本美術史の黎明期」と云って良い明治の中頃に書かれた、上代日本美術史の一つの解説文です。
当時、上代の美術史について、これだけの解説を書けた人物は、そう多くなかったのでないかとも思います。

ただの、取るに足りない、虫食いの古びた原稿ですが、私は、
「明治中期、このような美術史解説も書かれていたのだ。」
ということを、知ることが出来る貴重な資料だと、心密かに思っています。

いずれの時にか、この原稿の由来を知りたいものです。

この原稿、どのようなものなのかについての情報をご存じの方がいらっしゃいましたら、是非ともご教示いただけますようお願いいたします。



ついで、というわけではないのですが、もう一つ興味がわいてきたのは、この原稿や、ご紹介した出版物に採り上げられている仏像のラインアップです。

これらの出版物に、

「どのような仏像が各時代の代表的仏像として採り上げられているのか?」
「現在の、美術史上の代表的な仏像のラインアップと違っているのだろうか?」
「違っているとしたら、どの時代、どの仏像なのだろうか?」

ということを、チェックしてみることにしました。

現代人の眼から見ると、

「あれ、あの仏像がラインアップされていないじゃないか?」

と、ちょっと驚いてしまうものもあるのです。
現在と明治時代との、「仏像を見る眼の物差し」の違いというのでしょうか?


この続きは、この原稿も含めて、明治期の著名な「日本美術史解説書」に、どんな仏像が採り上げられているのかについて、見てみたいと思います。


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