観仏日々帖

新刊旧刊案内~「仏像の樹種から考える 古代一木彫像の謎」 東京美術刊 【2016.1.22】


「まさか、出版されるとは!」
ちょっと、意外でした。

昨年5月に、成城大学で開催された創立100周年記念シンポジウム「仏像と木の交流~古代一木彫像の樹種をめぐって」の講演発表の記録が、単行本になったのです。


「仏像の樹種から考える 古代一木彫像の謎」
成城学園創立100周年記念シンポジウム報告書
金子啓明・岩佐光晴・藤井智之・能代修一・阿部久著  2015年12月 東京美術刊 2000円 【159P】

「仏像の樹種から考える 古代一木彫の謎」


このシンポジウム、古代一木彫の用材樹種についての最新の研究成果が発表されたもので、このテーマに関心のある方には、興味深いシンポジウムではなかったかと思います。
ただ、結構マイナーというか、マニアックなフィールドですので、まさか単行本にまとめられて出版されるなどとは、考えもしてませんでした。
シンポジウム「仏像と木の交流~古代一木彫像の樹種をめぐって」ポスター
シンポジウム「仏像と木の交流」ポスター

「木彫像の用材・樹種」というテーマは、私の最も関心のある世界です。
このシンポジウムにも、当然出かけたのですが、その内容が一冊の本になったのは大感激です。
即座に購入しました。

ご存じのとおり、近年の研究により、奈良後期~平安前期・純粋一木彫の用材樹種は、ほとんどが「カヤ」材であることを明らかになりました。
それまでは、これらの一木彫の多くは「ヒノキ」とされていましたので、驚きの新事実でした。
その後も、本テーマの研究が継続して進められており、「カヤ」材が用いられた事由など、用材観の宗教的意味、意義などに、ホットな議論が展開されているのです。



【木彫像の樹種と用材観」の最新研究成果が判りやすく満載された、本書】

本書は、シンポジウム発表者の講演記録をまとめたものですが、古代一木彫像の樹種、用材観をめぐる最新の研究成果、問題点などを、わかりやすく知ることが出来る内容になっています。

目次をご覧ください。

「仏像の樹種から考える 古代一木彫の謎」目次


ご覧のような、内容になっています。
目次を、順を追ってみてみましょう。

「日本彫刻史研究における木彫像の樹種同定の意義~一木彫像成立の問題を中心に」(岩佐光晴氏)は、

木彫像の樹種の研究史と議論の経緯、一木彫像の成立要因とカヤ材が用いられた事由など、「木彫像の樹種と用材観」についての、最新研究成果が大変わかりやすくしっかりとまとめられています。
2006年に東京国立博物館で開催された、通称・一木彫展、「特別展・仏像~一木にこめられた祈り」の展覧会図録にも、この共同研究の成果が詳しく掲載されています。

図録所載の二つの冒頭論文、
「木の文化と一木彫」(金子啓明氏)、「初期一木彫の世界」(岩佐光晴氏)
を、本書と併せて読んでみられれば、「古代木彫像の樹種と用材観」についての、研究成果や最新の考え方が、一層よく判ると思います。

一木彫展、「特別展・仏像~一木にこめられた祈り」図録
一木彫展、「特別展・仏像~一木にこめられた祈り」図録

「仏像用材の材質と樹種」「木材の構造による樹種の識別」では、

木材の樹種判別の科学的調査の方法や、一木彫像を中心とした仏像の樹種の科学的判定の結果などがまとめられています。


「木彫像の用材樹種を非破壊で調べる」では、

木彫像の樹種を非破壊、非接触で科学的に判断する方法への、新たなるチャレンジの状況について報告されています。
現在の樹種判定は、仏像内部の剥離片などを採取して分析する方法で行われています。
文化財から剥離片を採取するには多くの制約があり、非破壊で判定できる科学的手法の実現が待たれる処です。


以上が、本書の概要のご紹介です。

木彫像の樹種や、「カヤなのかヒノキなのか?」「どんな理由で樹種が選択されたのか?」といった話にご関心のある方には、必読必携の本ではないでしょうか。
お薦めの一冊です。


さて、ここで、我が国の木彫像の樹種の変遷や、なぜそのような樹種が選択されたのかという「用材観」について、どのように考えられているのかについて、簡単に見てみたいと思います。



【クスノキ⇒カヤ⇒ヒノキと変遷する、古代木彫像の樹種】

我が国の古代木彫像の樹種は、どのように変遷しているのでしょうか?
皆さんご存知のことと思いますが、ちょっと復習してみたいと思います。

日本の木彫仏の用材に使われている樹種は、何故か不思議なことに、飛鳥時代から藤原時代にかけてクスノキからカヤへ、そしてヒノキへと変遷していきます。

当然、例外もありますが、同時代には、圧倒的に同じ樹種の用材が使われているのです。

・飛鳥・白鳳は「クスノキの時代」、
・奈良後期・平安前期は「カヤの時代」
・平安中期以降は「ヒノキの時代」

と呼んで差支えないという実像です。

木彫仏の用材樹種の変遷を、自己流ですが、判りやすく一表にしてみました。
次のような感じになります。

木彫仏の用材樹種の変遷


≪かつては、カヤの像もヒノキ材と考えられていた≫

実は、木彫仏の樹種は、戦後、近年まで「クスノキの時代」から、一気に「ヒノキの時代」に展開するとされていました。
木材工学の専門家の小原二郎氏が、仏像用材樹種研究を行い、
「奈良後期から始まる一木彫の樹種のほとんどが、ヒノキである」
という研究成果を発表されたことによるものです。

すなわち、飛鳥白鳳時代の木彫像にはクスノキが用いられていたが、奈良時代に塑像、乾漆像が主流になると、その心木に主としてヒノキが用いられるようになった。
そして、奈良末平安初期に入ると、そのヒノキ材で一木彫像が造られるようになった。
このように、考えられていたのでした。


≪センセーショナルな新研究~初期一木彫は、全部カヤ材と判明≫

ところが、近年、センセーショナルな事実が判明したのです。
15年ぐらい前のことです。

奈良後期~平安前期の純粋一木彫像の用材は、ヒノキではなくて、そのほとんどがカヤ材を用いていることが明らかになったのです。

本書の著者に名前を連ねられている、金子啓明・岩佐光晴・藤井智之・能代修一氏の研究グループが、共同研究により、一木彫像の微細な剥離片の科学的分析調査をおこなったことにより判明したのです。
我が国における、一木彫像の始まりともいわれている、奈良時代後期の唐招提寺の伝衆宝王・獅子吼菩薩、伝薬師如来などの諸像、大安寺の木彫諸像をはじめ、平安初期一木彫の代表作、神護寺薬師如来像、元興寺薬師如来像も、全てカヤ材で造られていたことが明らかになったのです。

唐招提寺・伝獅子吼菩薩像(カヤ材).神護寺薬師如来像(カヤ材)
唐招提寺・伝獅子吼菩薩像(左)  神護寺薬師如来像(右)~共にカヤ材

従来の常識を完全に覆す、新事実でした。

ご紹介の本書には、その木彫像の樹種調査研究の成果を判りやすくまとめた図表が、掲載されています。
ご覧ください。

一木造の仏像の樹種

一木造乾漆併用像・木心乾漆像の樹種

仏像の制作技法と用材
「仏像の樹種から考える 古代一木彫の謎」 に掲載の用材樹種図表

この共同研究によって、古代の木彫像の用材樹種が、このように変遷していくということが明らかになったのです。



【用材樹種は、どうして変遷したのだろうか?~用材観変遷の訳は】

そして、
「どうして、ヒノキではなくて、カヤなんだ?」
という疑問が浮かんでくるのです。

というのも、我が国では、ヒノキは大量に群生している樹木ですが、カヤは群生せず数も少ない樹木なのです。
意識的に、数の少ないカヤを選択しているとしか考えられないのです。

「木彫像の用材が、時代ごとに変遷していく事由、その背景はどのようなものだろうか?」

これが、重要な研究テーマになったのでした。

この問題について、金子啓明氏や岩佐光晴氏は、次のように考えました。
その考え方は、本書の論考や一木彫展図録の論考に、詳しく述べられています。
エッセンスを大胆に端折って、ご紹介してみましょう。


≪クスノキは魂ふりの力をもつ、霊的樹木≫
クスノキの神木(静岡県伊東葛見神社)
クスノキの神木(静岡県伊東葛見神社)

まず、飛鳥白鳳時代にクスノキが用いられた理由については、次の通りです。

・クスノキは、古代日本では魂ふりの力をもつとされ、神木、霊木とみなされていた。

・クスノキを仏像の材とする考えは、中国からもたらされたのかもしれないが、異国の神である仏像を我が国で造るには、それに相応しい霊的な樹木が求められた。

・日本のカミの信仰と融合するという、宗教的、精神的な意味づけからも、魂ふりの力をもつクスノキが選ばれた。


法隆寺・救世観音像(クスノキ材).中宮寺・弥勒菩薩像(クスノキ材)
法隆寺・救世観音像(左)  中宮寺・弥勒菩薩像(右)~共にクスノキ材


≪経典に説く白檀代用材「栢木」に、カヤが選ばれた~鑑真の選択?≫

カヤの巨木(茨城県久慈郡法龍寺)
カヤの巨木
(茨城県久慈郡法龍寺)
次に、奈良時代末から平安前期の一木彫像の用材にカヤ材が用いられた理由については、次のように考えられています。

・我が国における一木彫像の成立の要因は、鑑真の来朝が重要な契機となったと考えられ、唐招提寺の伝獅子吼・衆宝王菩薩像などが、我が国一木彫像の最初期の作例とみられる。

・また、こうした純粋一木彫像は、木肌を生かした素木像である、檀像彫刻の渡来の影響によるものと考えられる。

・檀像制作についてふれた経典「十一面神呪心経義疏」(天平15年書写)には、仏像用材には「白檀を用いよ。白檀のない国では栢木を用いよ」と説かれている。

・わが国で、この「栢木」にあたる材について、「カヤ」が充てられたとみられる。

・鑑真及びその工人が、「栢木」材として日本の「カヤ」を選択し、このことが我が国の一木彫用材として「カヤ材」が採用されていく思想的背景となったのであろう。

・ヒノキではなくカヤが選択されたのは、中国における鑑真の活動地域であった揚子江以南の地域にはカヤが多く分布しており、カヤをビャクダンの代用材とする考え方があったのではないかと思われる。

法隆寺・九面観音像(ビャクダン)....東京国立博物館・十一面観音像(ビャクダン)
法隆寺・九面観音像(左)  東京国立博物館・十一面観音像(右)
「十一面神呪心経義疏」に則った、ビャクダン材の十一面観音檀像



≪大量造仏の要請に、供給可能な用材~ヒノキ≫

平安後期に、カヤ材からヒノキ材に転換していく事由については、このように述べられています。

・康尚から定朝のあたりで大きくヒノキに転換していくのではないかと思われる。

・この時代は、大量の仏像が造られた時代で、相当量の用材確保が必要となる。

・カヤは群生しないが、ヒノキは大量に存在し、奈良時代から建築用材確保のために杣山が設けられていた。

・一定の質の材を、かなりの量を確保しなくてはならないことから、カヤからヒノキへの転換があったのではないかと思われる。


平等院・阿弥陀如来像(ヒノキ材・寄木造).ヒノキの森
平等院・阿弥陀如来像(ヒノキ材・寄木造)と、ヒノキの大樹の森林

省略しすぎかもしれませんが、おおよそは、このように考えられているのだと思います。


「クスノキ→カヤ→ヒノキと変遷していった事由、背景は、そういうことだったのか。」
「なるほど、すっきりよく判った!」

そんな相槌を打ちたくなるほど、納得してしまう考え方です。



【用材樹種の変遷を考える、三つの視点
~「中国渡来、伝来」「木の信仰、霊性」「用材の特性、適材」】

わたしも、この考え方を初めて知った時には、なるほどと、すごく納得しました。
ただ、最近は、もう少し別の考え方もできるのではないか?
別の観点から考えてみる必要があるのではないか?
と思うようになりました。

ここまでご紹介した、木彫仏の樹種選択の考え方は、

中国から如何に伝わってきたか、経典にどのように説かれているかといった
「中国渡来、伝来の視点」

日本独自の霊木信仰、日本のカミとの融合といった
「信仰、霊性の視点」

を中心に、展開されているように思います。
言い換えれば、「樹種に対する宗教的視点からの用材観」に注目して論じられているように思うのです。



【「用材の特性、適材の視点」から、木彫仏の樹種変遷を考えてみる】

私には、もう一つ、大事な視点があるように思います。
それは、
木彫仏を彫るのに、当時の技術で最も彫りやすく、求められる表現に最も適した樹種が選択されたのでは?
という考え方です。

「用材の特性、適材の視点」

と云って良いのかと思います。


≪時々に、最適最良用材を選択したという考え方≫

この視点に立てば、飛鳥白鳳時代にはクスノキが、奈良後期~平安前期にはカヤが、平安後期にはヒノキが選ばれたのは、それぞれの時代、当時の工具で木彫仏を制作する際の、最適最良の用材であったからだ、と考えられないでしょうか?

大胆に言えば、「中国渡来とか宗教的な理由」を考えずに、それぞれの用材の持つ材質特性や技術的な面だけに着目して考えても、木彫仏の樹種変遷は十分説明がつくのではないのだろうかとも思えてくるのです。

実際に仏像制作にあたるのは仏工ですから、そんな視点に立って、樹種選択の事由を考えていくことも、大変重要なことではないかと思うのです。


古代から、樹種の特性によって何に使うかという用途が定まっていたようです。
日本書紀には
「ヒノキは宮殿に、スギとクスノキは舟に、マキは棺に使え」
と、それぞれの用途を教えています。
例えば、ヒノキは、割裂性が良く縦に強い繊維質の用材なので、建築構造材の最適材とされていました。

現代でも、料理屋のカウンターにはヒノキ材、碁盤にはカヤ材、櫛にはツゲ材、貴重品の箱にはキリ材が使われますが、これも、それぞれに求められる最適材をを使うと、そうなるのだと思います。

仏像の主用材として使われたクスノキ、カヤ、ヒノキの特性や違いは、どのようなものなのでしょうか?
要素別に一覧にすると、次のようなものになろうかと思います。

木彫仏の用材の樹種特性


ついでに、この三つの用材樹種の木肌や木目の画像、それぞれの材を用いた仏像写真を作ってみました。
材の特性や違いを、イメージしていただければと思います。

三つの樹種の木肌・木目と当該材を用いた仏像
三つの樹種の木肌・木目と当該材を用いた仏像

こうした樹種別の特性を踏まえて、「用材の特性、適材の視点」という観点だけで、木彫仏の用材樹種が選ばれた事由を考えてみることも、可能なように思えるのです。

「その時代時代で、一番彫りやすく、適した用材で木彫仏を彫る。」

すごく現実的で、ロマンがないような話ですが、そのように考えることもできるのではないでしょうか。

敢えてこの視点のみに立って考えてみると、こんな説明も可能なのでしょう。


≪彫りやすく、欠けにくいクスノキ材≫

飛鳥白鳳時代に、クスノキが用いられたのは次のような説明もできます。

・クスノキは、割裂性が悪く、即ち欠けにくく、材質は適度に軟質であったので、当時の工具(ノミ)の切れ味でも彫りやすい。
当時、最も彫刻材として優れていたので、木彫仏の用材に選ばれた。

・一方、ヒノキは、当時の技術では、縦の木目に沿って割り放ちやすく、建築材に最適であったが、彫刻材とするには、切れ味良いノミが必要であった。

・また、木目に沿って欠け易いため、彫刻材としては良材とは云えず、用いられることはなかった。


実は、飛鳥白鳳時代の仏像台座とか玉虫厨子などにはヒノキが使われていますが、その蓮弁だけにはクスノキが使われています。

玉虫厨子の台座部分の反花蓮弁~台座部分はヒノキ材・蓮弁部分はクスノキ材
玉虫厨子の台座部分の反花蓮弁~台座部分はヒノキ材・蓮弁部分はクスノキ材

その訳について、岩佐光晴氏は、
「蓮弁という神聖な部分と構造部分とは、意識的に用材を変えていたのではないか。」
と、宗教的な意図があったと述べられています。

この点について、適材思考で考えると、
「蓮弁などカーブした曲面部分の彫刻は、当時、ヒノキ材では彫りにくく、またヒノキは蓮弁の先端などが木目に沿って欠け易いので、彫るのに適し欠けにくいクスノキ材を用いた。」
このように考えた方が、私には、自然のように思えてきます。

ヒノキは、構造材として使われてきましたので、奈良時代の塑像、乾漆像の心木としても、用いられたのではないでしょうか。
心木ですので、鋭さに欠けるノミで加工しても、微細な彫刻表現は必要なく、木目に沿って欠けることへの心配もなかったのでしょう。


≪素木・純粋一木彫には、木肌が緻密で粘り気あるカヤ材が一番≫

奈良後期~平安前期の一木彫に、カヤ材が選ばれた事由は、このようにも説明できそうです。

・この時代の、純粋一木彫像、すなわち素木系檀像様一木彫像を彫刻するのに、我が国にある用材の中では、カヤ材が最適最良材であった。

・カヤ材は、緻密で粘り気があり、強い存在感、ボリューム感の表現が出来る樹種で、生地のきめの細かさ、シャープな彫刻表現を求める素木系一木彫にフィットする。

・鋭い衣文、厳しい彫り口、細やかな彫刻、重厚感の有る質感を求めると、仏工は、必然、ヒノキではなく「カヤ材」を選択したと思われる。

神護寺薬師如来像の衣文の彫口~鋭く鎬立つ(カヤ材).元興寺薬師如来像~彫り口が鋭い(カヤ材)
神護寺薬師如来像の衣文の彫口(左)   元興寺薬師如来像(右)
カヤ材で、鋭く鎬だった彫り口となっている


・クスノキなどの広葉樹は、彫刻に適するが、緻密さにかけキメ、木肌が粗いという点が、素木像には弱点となる。

・ヒノキは、粘りや質量感に弱点があり、微細な彫刻部分が木目に沿って欠け易いので、木肌の美しい材ではあるが、素木系の主材とは成り得なかったのではないか。


岩佐光晴氏は、
「現代の中国では『栢』はヒノキ科の樹木を示しています。
これが唐の時代も同様であったとすると、鑑真が日本で木彫像を制作させた場合に、なぜヒノキではなくカヤを採用したかが問題と云えます。」
と述べられています。
この考え方によると、我が国で素木系・檀像様一木彫像を彫る用材としては、カヤでもヒノキでも、どちらも相応しい適材であったが、あえてカヤ材が選択されたというふうに思えます。

私は、当時の純粋一木彫の求める造形表現を行うには、カヤ材、ヒノキ材どちらでもOKであったのではなくて、その用材特性から、当然に、素木彫刻に適したカヤ材が用いられたとのではと思えるのです。

美術院国宝修理所の仏師・辻本干也氏が、
「ヒノキの場合は、・・・漆をかけたり、金箔を押さないことには、どうしてもボリュームが強く出ないんです。
・・・・・・
カヤの方が、目もつんでますし、ボリュームも出ますね。
ヒノキはきれいですけれども、なにかフワッと浮くような感じがしますね。」
(「南都の匠 仏像再見」1979年徳間書店刊)
と語っているのは、きわめて興味深く重要なコメントだと思えるのです。

この時期の乾漆併用木彫、即ち、木肌を素地であらわさず、乾漆でコーティングしたような仏像の用材には、ヒノキが使われているのが多いようです。
これは、カヤ材の粘りのある緻密な木地を必要としなかったからではないでしょうか?


≪平安後期の寄木造には、割裂性の良いヒノキが最適≫

最後に平安中後期に入ると、ヒノキ材が用いられる説明です。

・平安後期に近づくと、カヤもしくは広葉樹が主流であった木彫は、ヒノキ材に大転換する。

法界寺・阿弥陀如来像(ヒノキ材・寄木造)
法界寺・阿弥陀如来像(ヒノキ材・寄木造)
・それは、寄木造の技法が確立され、この技法が木彫技法を席捲していくことに大きく関連していて、寄木造像には、ヒノキ材が最適であった。

・寄木造は、複数材から同一寸法の製材の必要性を迫られることも多く、楔を入れて割放す当時の製材法では、割裂性の良さは必須の条件であった。

・優れた建材から発し、彫刻材へ転身したヒノキは、まさにその要求に叶った材であった。

・また、ヒノキ材は縦目が強く、鋭利なノミでないと彫ることが出来ないが、この時代にはヒノキ材に自由自在に彫刻できるほどに鋭いノミが使われるようになっていたのであろう。

・寄木造像は、漆箔、彩色像とされ、表面がコーティングされる。
木肌をあらわすことがないので、素木像にふさわしいカヤ材ではなく、ヒノキ材が適材となった。


ちょっと長くなってしまいましたが、古代の木彫像の用材選択事由の説明を、「用材の特性、適材の視点」のみで説明してみました。



【用材樹種の選択事由の決め手は、なかなか難しそう】

古代木彫像の用材選択の事由は、ある視点のみから決めつけられるような単純なものでは、決してなかったのだと思います。
現実には、先にご紹介した、
「中国渡来、伝来の視点」「信仰、霊性の視点」の要素と、「用材の特性、適材の視点」が、
いろいろと複雑に絡み合って、樹種選択が行われたのではないでしょうか?

近年、奈良後期~平安前期・純粋一木彫の用材が、カヤ材であることが明らかになってからは、樹種選定については「中国渡来、伝来の視点」「信仰、霊性の視点」が、大きくクローズアップされるようになり、また支持を得ている状況なのではないかと思います。

ただ、私は、「用材の特性、適材の視点」のウエイトが、実は結構大きかったのではないのだろうかという気がしているのです。
もっとシンプルにというか、現場的に、折々の彫刻に求められる最適最良の用材は何であったのか、という観点からも考えていくということも大切なのかなと感じています。


皆さんは、この樹種選択の問題、どのようにお考えになるでしょうか?


「用材の特性、適材の視点」を中心に、この問題を論じた本を、一冊ご紹介しておきます。

「木彫仏の実像と変遷」 本間紀夫著 2013年雄山閣刊 【464P】 18000円

「木彫仏の実像と変遷」

この本の内容と、樹種選択を巡る問題については、以前観仏日々帖に、
新刊・旧刊案内~木彫仏の実像と変遷」 本間紀夫著 【その1】  【その2】
でご紹介しましたのでご覧いただければと思います。

また、埃まみれの書棚から「仏像の素材と技法~木で造られた仏像編~」でも、樹種選択について採り上げています。


「仏像の樹種から考える 古代一木彫の謎」という本の新刊案内だった筈なのですが、話が随分、長くくどくなってしまいました。

木彫仏の樹種選択の問題については、私の最も興味関心のあるテーマで、樹種選択の事由について日頃からいろいろ考えたりしているものですから、ついつい話が広がって脱線してしまいました。
御赦しください。


近年の新たな共同研究で、樹種が確定した木彫仏の数は、まだまだ多いといえません。
剥離片を得る必要から、そう簡単にはいかないようです。
これから先、もっと数多く、広範囲の木彫仏の樹種が、明らかになっていくのだろうと思います。

この用材観の議論は、今後の調査研究の進展とともに、どのように展開していくでしょうか?

これから、ますます愉しみです。


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