観仏日々帖

新刊・旧刊案内~「奈良まち・奇豪列伝」安達正興著 【2016.1.16】


明治大正の激動期の奈良まちにすんだ、奇人・変人だが偉大なる人物、4人について採り上げ、振り返った本です。

まさに、近代奈良の、「知られざる奇豪」と呼べる人たちの話です。

奇豪4人の一人に、
「奈良の古美術写真、仏像写真の草分けと云える工藤利三郎(精華)」
が選ばれています。
工藤利三郎について、採り上げた数少ない本ですので、是非、ご紹介しておきたいと思います。


「奈良まち 奇豪列伝」 安達正興著
2015年7月 奈良新聞社刊 【335P】 1500円

奈良まち奇豪列伝


この本は、都心の大型支店の「地方出版社の本コーナー」にさりげなく並んでいました。
手に取ってみると、ご覧の、明治大正期、奈良に生きた4人の奇豪について書かれた本でした。

奈良まち奇豪列伝で採り上げられた人物


馬上チョン髷の漢方名医「石崎勝蔵」
飲んだくれの古美術写真師「工藤利三郎」
大正ロマン古都の草飛行「左門米造」
最後のバテレン「ヴィリヨン神父」

4人のうち、私がその名を知っていたのは、工藤利三郎だけでした。
奈良好きの皆さん、ご存じの人物は、いたでしょうか?
近代奈良の文化にかかわった知られざる奇人、変人の話というのですから、それだけでも大変面白そうで、興味をそそります。
かけて加えて、私の大変関心の深い工藤利三郎について書かれているのです。

「これは面白そうだ!」と、無条件で購入しました。

工藤利三郎の他の3人についても話も、まさに「こんな奇豪が奈良にいたのか」と、全く知らなかった人々の誠に興味深い話で、本当に面白く、あっという間に読んでしまいました。

近代奈良の文化にかかわった人々にご関心ある方には、お薦め本です。


ここでは、工藤利三郎(精華)について、書かれた話についてだけを紹介させていただきます。



【奈良の仏像写真の草分け、工藤利三郎(精華)】

ところで、奈良の仏像写真の草分け、先駆者たる「工藤利三郎(精華)」という人物、皆さん、ご存じのことと思います.
その業績を、一言でまとめると次のようになるでしょうか。

工藤利三郎は、奈良の地で、はじめて古美術写真、仏像写真を撮影し販売した人物です。
阿波徳島の人ですが、明治26年奈良に移り住み、 猿沢池東畔に写真館を開きました。

猿沢池東畔に残る工藤精華の旧居(昭和30年ごろの写真)
猿沢池東畔に残る工藤精華の旧居(昭和30年ごろの写真)

精華と号しましたが、その名が今日まで知られているのは、超豪華古美術写真集「日本精華・全11輯」を出版したことによるものです。
明治41年(1908)から大正15年(1926)まで、18年間にわたり個人出版により刊行されました。

日本精華
超豪華古美術写真集「日本精華」
明治41年の出版時の売価が、一冊20円という高額であった


日本精華に掲載されている東大寺三月堂日光菩薩像
日本精華に掲載されている東大寺三月堂日光菩薩像
手先が後世の曲がったものとなっている


そこに掲載された仏像写真等は、明治年間の仏像写真、古美術写真を知る記録としての、文化的意義が大変大きなものです。
また、合掌手を欠損した興福寺の阿修羅像の写真など、近代文化財修理が進められる以前の写真、行方不明の文化財写真も残されており、学術的にも価値の高いものです。

日本精華掲載の興福寺・阿修羅像.日本精華掲載の東大寺戒壇堂・持国天像
日本精華掲載の興福寺・阿修羅像~東大寺戒壇堂・持国天像
いずれも明治期の修理前の写真


工藤精華は、昭和4年(1929)81歳で没し、その後は「忘れられた人、知られざる人」になってしまいますが、工藤撮影の1000枚余の写真ガラス原版と紙焼き数万枚が、奇跡的に残されていました。
この写真資料は、昭和42年(1967)、奈良市教育委員会に寄贈され、現在は、入江泰吉記念奈良市写真美術館に所蔵されています。

奈良市写真美術館
入江泰吉記念奈良市写真美術館

そして、写真ガラス原版は、平成20年(2008)、なんと国の重要文化財に指定されたのです。



【まさに奇豪の、奇人変人ぶり】

しかし、工藤利三郎が、奈良の奇豪に名を連ねる所以は、古美術写真家として業績もさることながら、その奇人、変人ぶりにあったのではないかと思います。

本書「奈良まち・奇豪列伝」では、その奇人ぶりについて、このように評されています。

「彼が住んだ奈良の人々に馴染まず、近所付き合いもない偏屈なアル中オヤジ。
・・・・・・
仏像写真の先駆者・工藤利三郎は世渡りべたで飲んだくれのオヤジと知って以来、長い間、この自ら呑澤と号する明治人に、筆者は大変惹かれていた。
さらに呑ん兵衛オヤジは妻帯せず、評判の美しい養女“コトノ”と生涯暮らしている。」

安藤更生氏(美術史学者)は、工藤利三郎の逝去に際し「工藤利三郎の訃」という文章を稿していますが、
その中で、その人となりについて、

「生来甚だ酒を好み、酔えば眼中怖るるものなく、今日古美術研究にたずさわる者にして、翁の奇矯なる一喝を被らざるはなきほどである。
あまりの狷介不羈の為、偏狭なる土地の人に容れられず、晩年はその功業の割には寂しかった。」
(安藤更生著「南都逍遥」1970年中央公論美術出版刊)

と、振り返っています。

工藤利三郎(精華)という人物が、古美術写真の草分け、先駆者としての多大な功績を遺した人物であったとともに、如何に奇人、変人の類であったのかということも、ご想像がつくことと思います。

工藤利三郎の業績、人物伝、工藤について書かれた本については、かつて、
「埃まみれの書棚から~奈良の仏像写真家たちと、その先駆者 〈その3〉  〈その4〉
で、紹介していますので、そちらをご覧いただければと思います。



【奇豪・工藤利三郎について、しっかり書き込まれた「奈良まち・奇豪列伝」】

今回ご紹介の「奈良まち・奇豪列伝」では、工藤利三郎の奇人、変人ぶりというか、奇豪といわれる話が、たっぷり盛り込まれ、語られています。
工藤利三郎の章の項立て、目次は、次のようになっています。

奈良まち奇豪列伝「工藤利三郎」掲載ページ奈良まち奇豪列伝「工藤利三郎」目次
奈良まち奇豪列伝「工藤利三郎」掲載ページと目次

74ページにわたって、しっかり書き込まれています。

また、工藤利三郎の人物発掘に努めた、中田善明氏の著作、

「工藤利三郎評伝」
「酔夢現影~工藤利三郎写真集」 写真が語る近代奈良の歴史研究会編 (H4) 奈良市教育委員会刊所収

「国宝を撮した男 明治の写真師 工藤利三郎」中田善明著 (H18) 向陽書房刊

で、記された内容を踏まえて、

「酔夢現影~工藤利三郎写真集」.「国宝を撮した男 明治の写真師 工藤利三郎」

そこにあまりふれられていない、
「養女・コトノさんについての話」
「工藤没後、のこされた写真原版が、公的保存されるまでの話」
が、詳しく記されています。

とりわけ、工藤の残したガラス写真原版が、奈良市写真美術館に保存されるようになるまでの、いきさつの話は、大変貴重で興味深い話です。
その内容のエッセンスを、少しご紹介しておきたいと思います。



【工藤利三郎撮影写真原版が、奈良市写真美術館に所蔵されるまでのいきさつ】

昭和4年(1929)に、工藤が没して後、養女のコトノさんは、残された写真原版を守ってきたのですが、戦後になってからは、生活のこともあったのでしょうか、その買い手を探していたようです。

奈良で写真館を営んでいた、北村信昭氏は、このような思い出話を語っています。

昭和30年代の半ばごろ、コトノさんから一括して然るべき評価の額で売却したいので書いての世話をしてほしいと頼まれ、京都の便利堂にあたってみたが不調に終わってしまった。
その後、もう一度、営業写真館を対象に、買い取る業者の紹介を頼まれたが、問題にならないような最低額の話しかなく、時期を待つように説得して帰ってもらった。
(北村信昭著「奈良いまは昔」1983年奈良新聞社刊所載文の要約)

そのコトノさんも、昭和39年(1964)に80歳で没します。

没後、すんでのところで屑屋に売られようとしていたコロタイプ写真、写真原版を、長く保存することを主張し、奈良市への寄贈による保存を実現させたのは、鹿鳴荘・永野太造氏の尽力によるものでした。

永野太造氏とは、奈良博物館前で古美仏像写真販売の「鹿鳴荘」を営んでいた、写真家です。
永野氏は、コトノさんの生前、何くれと相談相手になり、助けていたそうで、コトノさんの葬儀、遺品の整理なども、永野氏が町内の人と協力して進めました。

工藤利三郎愛用の写真機
工藤利三郎遺品・愛用の写真機
遺された写真原版やその他の工藤利三郎ゆかりの遺品は、親族の方に相続されましたが、1025枚のガラス写真原版などは、永野太造氏の尽力などにより、昭和42年(1967)に、奈良市教育委員会に寄贈されることになったのです。

寄贈させた写真原版は、10年以上かけて整理、フィルム化などの保存作業が進められました。
その後、ご親族の方から、利三郎の使った蛇腹カメラなど、利三郎の全遺品が奈良市に寄贈され、奈良の仏像写真の草分けを偲ぶことが出来るようになりました。
現在は、カラス写真原版とともに、奈良市写真美術館に所蔵されています。

もし、写真原版が、コトノさんの生前に売却散逸してしまっていたら、また没後、永野太造氏の尽力がなく屑屋に処分されていたら、その後、重要文化財に指定されるなどということはありえなかったでしょうし、忘れられた工藤利三郎の名が、ここまで蘇ることもなかったでしょう。

余談ですが、その永野太造氏も、平成2年(1990)、60歳で没し、その後古美術写真店は廃業、残された写真資料の保存が気がかりでしたが、昨年(2015年)、帝塚山大学で写真原版が保管されることになったのは、嬉しいことです。

奈良国立博物館前の永野鹿鳴荘~2006年撮影
奈良国立博物館前の永野鹿鳴荘~2006年撮影

「奈良まち・奇豪列伝」という本は、まさに奇豪たる工藤利三郎の人となりなどについて、掘り起こした著作です。
工藤精華について、関心を持たれている方には、必読の書ではないでしょうか。

著者の安達正興氏は、「安達正興のハードコラム」というHPを、掲載されているようです。
掲載されているお話のテーマは、幅広く多岐にわたっていますが、近代奈良をテーマに深く掘り下げた話も、数多く掲載されています。
「奈良零れ百話」「拙著の新刊案内『奈良まち奇豪列伝』1~4」
「奈良のコボレ話1~5」
などは、大変興味深く読ませていただいています。
併せて、ご紹介させていただきました。



【あと2冊で、全11輯を手元にできる「日本精華」】

最後に、ちょっと工藤精華に関する本について、ちょっとだけふれておきたいと思います。

工藤精華に関する本については、
埃まみれの書棚から「奈良の仏像写真家たちと、その先駆者〈その4〉
で詳しく掲載させていただきましたが、その後、こんな出版物が刊行されました。

登録有形文化財 工藤利三郎撮影写真ガラス原版目録
2008年 文化庁文化財部美術学芸課刊 【313P】 非売品

登録有形文化財 工藤利三郎撮影写真ガラス原版目録

登録有形文化財 工藤利三郎撮影写真ガラス原版目録

この目録は、工藤利三郎撮影写真ガラス原版1025点を、登録有形文化財に登録するにあたっての目録として作成されたものです。
小さな写真ですが、1025点すべての図版が掲載されており、工藤利三郎撮影写真の全貌を観ることが出来るものです。


もう一つ、工藤精華、畢生の古美術写真集「日本精華」のことです。

私事ですが、この「日本精華・全11輯」を、何とか全部入手して手元に置きたいと、コツコツ集めています。

「日本精華」第一輯
「日本精華」第一輯

本当に、めったに見かけない本なのですが、極稀に、古書展などにバラ売りで出ることがあるのです。
最初の1冊を手に入れてから、もう30年ぐらい経ってしまいました。
何年おきかに1冊、1冊と手に入れて、現在、やっとのことで9冊を手に入れました。

私の手元にある日本精華全11輯中の9冊

私の手元にある日本精華全11輯中の9冊
私の手元にある日本精華全11輯中の9冊

あと、第5輯、第6輯の2冊を手に入れれば、全11輯完成になるのですが、この2冊を手に入れるのに、あとまだ何年かかることやら・・・・・・

もう無理かな、半分あきらめ気分という処です。


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  • 2016/03/20(日) 06:34:05 |
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