観仏日々帖

古仏探訪~2015年・今年の観仏を振り返って 〈その4〉  【2015.12.27】


「2015年・今年の観仏を振り返って」の最終回です。

10月から12月までの観仏先を、ご紹介します。


[10月]


【新発見の古仏に興味津々~大津市歴博・比叡山~みほとけの山展】

大津市歴史博物館で開催された「比叡山~みほとけの山展」へ行きました。

「比叡山~みほとけの山展」ポスター
比叡山の仏像と云えば、横川中堂の聖観音像や、檀像風の千手観音像などが思い浮かびますが、今回の展覧会は、比叡山の山麓に伝わる仏像や仏画を中心に、比叡山周辺にスポットがあてられた展覧会でした。
2003年には、この大津歴博で「比叡山麓の仏像展」という興味深い展覧会が開催されましたが、今回の「比叡山~みほとけの山展」も、またまた意欲的な企画展で、逃すわけにはいかないと、勇んで出かけました。

大津市歴史博物館は、三井寺園城寺の隣にあり、出かけるにはちょっと不便なのですが、最近は、なじみの博物館になっています。
近年では、
「比良山麓の文化財展」(2006)、「石山寺と湖南の仏像展」(2008)、「湖都大津 社寺の名宝展」(2009)、「神仏います近江~日吉の神と祭展」(2011)、「三井寺~仏像の美展」(2014)
といった、仏像好きにはこたえられない必見の仏像展が続々と開催されており、都度都度出かけているうちに、すっかり慣れ親しんでしまいました。


今回の「「比叡山~みほとけの山展」も、未見の仏像、見どころある仏像がいくつも出展され、大変興味深い展覧会でした。
多くの出展仏像の中で、私の注目仏像をいくつかご紹介したいと思います。

観仏リスト①「比叡山~みほとけの山展」

松禅院・観音菩薩像(99.3㎝)は、きわめて古様で迫力十分な一木彫像です。
この像は、折々、関連展覧会に展示されていますが、強く惹き付けるものを感じる私の注目仏像です。

松禅院・観音菩薩立像
松禅院・観音菩薩立像

松禅院は、比叡山中横川飯室谷の山中にある山坊で、この像は近年の調査で新たに確認されたものです。

図録解説には、
「本像は円仁が活躍した9世紀前半に造像されたと考えられ、比叡山の中でも屈指の古像ということができます。」
と述べられています。

まさに、同感で、単に古様というのではなく、内から発散する霊力のようなパワーを強く感じさせます。
「市指定文化財」では、勿体ないですね。


伊崎寺・不動明王像、この仏像は、初めて観ると、アクの強さに「ギョ!ギョ!」としてしまいます。

伊崎寺・不動明王坐像
伊崎寺・不動明王坐像

一見、出来が今一歩のように見受けてしまいますが、よく観ると、そんなことはありません。迫
力ある造形でなかなかの腕の手になるようです。
各所にデフォルメの効いた表現は、「インパクトの塊」とでもいうのでしょうか。
2006年に重要文化財に指定されました。
本像は、近江八幡の伊崎寺に、厳重なる秘仏として大切にまつられていましたが、重文に指定されて以降、比叡山国宝殿に安置され、観ることができるようになりました。


西教寺・聖観音像は、皆さんよくご存じの仏像かと思います。

西教寺・聖観音立像
西教寺・聖観音立像

安定感のある穏やかな造形の仏像で、10世紀後半ごろかなという感じです。
普段は拝観できない仏像で、久しぶりのご対面となりました。


さて、今回の本当の注目は、ここからです。

所有者名非公開という菩薩立像。
新発見、初公開の仏像だということです。
像高38.1㎝の小像で、9~10世紀の制作とみられます。

所有者名非公開・菩薩立像
所有者名非公開・菩薩立像

解説には、
「大津市の仰木地区に伝来した菩薩立像で観音像と呼ばれています。
本像は極めて独特な図像と作風を持っています。
・・・・・・
仰木は延暦寺ゆかりの仏像が多く伝来しており、本像もおそらく比叡山に安置されていたことが想像されます。」
と、述べられています。

パッと見ただけで、興味深い仏像だと感じました。
短躯で頭部が大きい檀像風の造形ですが、さほどに細密精緻というわけではありません。
むっちりとした豊かな肉付けは、赤ちゃんの身体や、腕を見ているようです。
お顔は、ほのかにエキゾチックさを漂わせています。

所有者名非公開・菩薩立像.所有者名非公開・菩薩立像
所有者名非公開・菩薩立像

印象的なのは、左肩から右腰にかけての「花をつなげたような飾り」です。
こんなの、見たことありません。
「あの仏像に似ている」というというのも、なかなか思いつきません。
如何なる系譜の仏像なのでしょうか、注目の新発見仏像です。


もう一つ。
大津市・西方寺の十一面観音像(像高54.6㎝)です。

大津市西方寺・十一面観音像
大津市西方寺・十一面観音像

奈良時代の木心乾漆像ということなのです。
この像も、初公開だと思います。
比良山系の打見山の山上にかつてあった、木戸の西方寺に客仏として伝来したとのことです。
近江にもいくつか乾漆像が遺されていますが、また新たなる木心乾漆像の出現となりました。



この日の夜は、お知り合いと京都祇園の「割烹・梅津」で、一杯飲りました。
4~5年前に開店とのことですが、最近評判の店です。
初めて訪れましたが、評判通りの美味で、趣のある良き店でした。

京都祇園「割烹・梅津」
京都祇園「割烹・梅津」



【近江湖南の粒ぞろいの平安古仏との出会いに、大満足】

翌日からは、私が受講しているカルチャーセンターの仏像講座の、観仏旅行でした。
二日間で、ご覧の通りのところに訪れました。

観仏リスト②湖南観仏旅行

湖南の、見どころ充分の平安古仏シリーズです。
皆、何度か訪れたことがある観仏先ではありますが、粒ぞろいの仏像ばかりで、愉しい観仏となりました。

櫟野寺の十一面観音坐像は、何度見ても、一流の仏像ですね。
3mを超える巨像です。

櫟野寺・十一面観音坐像
櫟野寺・十一面観音坐像

安定感、安心感を感じる、どっしり堂々たる体躯で、頼りがいがある印象です。
練達の技の仏師の手になるのでしょう、見事な造形です。

実は、この像は不思議な造り方がされています。
ヒノキの一木造りなのですが、頭体部の丸太状の原木の周りに、十数枚の薄板を桶状に矧ぎつけ、体部の太さを増すようにしているのです。
何かの由緒ある霊木のヒノキ丸太を用いて造られており、その霊木を活かしてつくり上げるために、こんな異色の木寄せを行なわざるを得なかったのだろうといわれています。
当地は、比叡山延暦寺の杣山でした。
そのような重要な場所であったからこそ、このような霊木を用いた、一流の仏像が作られたのでしょうか。

一つ耳寄りな情報です。
櫟野寺の本堂兼収蔵庫が修理されることになり、その修理中に櫟野寺の仏像が全部東京へやってくるのです。
東京国立博物館で、特別展「平安の秘仏~滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」が、来年(2016)9月13日~12月11日に開催される予定とのことです。
必見の楽しみな展覧会です。


大岡寺の薬師如来像は、不思議なパワーで我々を惹き付けます。

大岡寺・薬師如来坐像
大岡寺・薬師如来坐像

平安前中期の制作とされています。
「分厚い、デフォルメ、量感」そんな言葉を、そのまま当て嵌めたような造形です。
ちょっとアンバランスな「下手上手(ヘタウマ)」という感じの像ですが、マッチョな体躯が力感ある迫力を発散しています。
膝前までカヤの一木から彫り出しており、その分、窮屈な感じだと言わざるを得ませんが、そうした造り方をしているのも、この像が椿神社の本地仏であったことを考え合わせると、「神宿る霊木」を以って造られたのかもしれません。
私のお気に入りの仏像です。


次は、蓮長寺の十一面観音像。
キュッと、強く腰をひねった、美麗な観音様です。

蓮長寺・十一面観音立像
蓮長寺・十一面観音立像

この観音像は、井上靖著の小説「星と祭」で採り上げられてから、有名になりました。
ご存じのとおり、この物語の中では、近江の十数ヶ寺の十一面観音と主人公との出会いが、情感をこめて描かれています。
その中に、蓮長寺の十一面観音像が登場するのです。

「厨子の中から現れてきたものは、思い切って大きく腰を捻った観音さまだった。
胸も、腰も、肉付きはゆたかで、目も、鼻も、口許も、彫りは深くはっきりしていた。
姿態も、表情も、できるだけ単純化してあり、その点いかにも余分なところは棄ててしまったといった観音様だった。」

「星と祭」には、このように描かれています。
お姿を拝すると、だれもが好きになってしまう、美しい観音様です。


翌日は、金勝寺、永昌寺、善水寺を訪れました。

金勝寺は、「深山幽谷に静かに佇む、秘かなる寺」です。

霊気が立ち込めているような金勝寺・参道
霊気立ち込めるような金勝寺・参道

参道は、連なる緑濃き杉の大樹かこまれ、苔むす自然石の石段が続きます。
吸い込まれるように漂う自然の霊気が、あたりに立ち込めているような気がします。
そして、二月堂と呼ばれる小堂に、どっかと立つ巨像、軍荼利明王像を拝すれば、山岳信仰の持つ神秘の力を、肌で感じます。

金勝寺二月堂に祀られる軍荼利明王立像
金勝寺二月堂に祀られる軍荼利明王立像

3m余の巨像です。
見上げると、強烈な迫力で眼前に迫ってきます。
でかいのです。
そして得もいわれぬ、奇怪で異様なパワーを発散してきます。
軍荼利像のオーラに、ノックアウトされてしまうのです。

金勝寺・軍荼利明王立像
金勝寺・軍荼利明王立像

金勝寺の魅力を味わうには、境内の漂う深山の霊気に触れ、この軍荼利明王像を眼の当たりにすれば、もうそれで十分と云っても過言ではありません。


永昌寺の地蔵菩薩像は、平安前期仏像の余風を残しながら、大変美しく仕上げられた地蔵像です。

永昌寺・地蔵菩薩立像..善水寺・帝釈天立像
永昌寺・地蔵菩薩立像(左)と、作風が似通る善水寺・帝釈天立像(右)

穏やかさの中にも、彫技の冴えを感じさせる、すっきりと整った像です。
善水寺の梵天、帝釈天と作風が似通っており、10世紀末ごろの作と云われています。


最後は善水寺。

善水寺本堂
善水寺本堂

ご本尊、薬師三尊像は秘仏で拝することができませんでしたが、本堂内に林立する平安中期古仏の諸像を、ゆっくり愉しむことができました。



[11月]

韓国に、出かけました。

韓国国立中央博物館「古代仏教彫刻大展」ポスター
ソウルにある国立中央博物館で、「古代仏教彫刻大展」が開催されているのです。
この展覧会には、韓国、アメリカ、ヨーロッパ、日本、中国の18機関が持っている古代の仏教彫刻の名品200点余りが展示されるというのです。
これだけの中国、朝鮮、日本を中心とした古代仏像を、一堂に観ることが出来、仏像様式の伝播を考えることが出来る展覧会は、そうあるものではないということでした。

とはいっても海外の展覧会、関心はあるものの、わざわざ出かけたいというほどでもなかったのです。
同好の方から、是非行こうと誘われ、ご一緒するかと、思い切って出掛けたのでした。

2泊3日で出かけました。
1日は百済の石仏を観て、もう1日は「古代仏教彫刻大展」を見るというプランです。


【百済を代表する古代石仏を巡り、百済経由の仏像様式伝播に想いを致す】

百済の石仏は、ご覧のところを巡りました。

観仏リスト③韓国百済方面磨崖仏

昔、慶州に行って、石窟庵など新羅の仏像を観たことはあったのですが、百済を訪れたことはありませんでした。

瑞山の磨崖三尊仏は、古代朝鮮仏の本には、必ず写真が載っている磨崖仏です。
一度観てみたいと思っていたものです。
この磨崖三尊像が、文化財調査により世に知られることになったのは、1959年のことだそうです。
西暦600年頃、三国末葉の百済時代のものとされています。
丸顔で、パッチリ見開いた眼と微笑みが印象的です。

瑞山・磨崖三尊仏像

瑞山・磨崖三尊仏.瑞山・磨崖三尊仏像~中尊顔部
瑞山・磨崖三尊仏像

山の中腹のようなところにありますが、大変きれいに整備されています。
訪れる人も結構多いようで、この日も、学生さんが大勢仏像の前で説明に聞き入っていました。


次は、泰安磨崖三尊仏です。
この磨崖仏を調査し、世に知らしめたのは、韓国の仏教美術史学者・黄寿永氏でした。
1961年のことということです。
この像もまた、西暦600年頃の制作とみられています。

泰安・磨崖三尊仏像
泰安・磨崖三尊仏像

丸彫りに近いように掘り出されていますが、破損、損耗が進んで、随分やつれてしまっていて、克明な像容を伺うことのできないのは残念です。
斜めの方から観てみると、そのシルエットを偲ぶことが出来ます。
土地の人々からは、熱い信仰を受けているようで、この日も三尊像の前で、伏して祈る女性の姿がありました。

泰安・磨崖三尊仏像~斜めから見たシルエット..泰安・磨崖三尊仏像に伏して祈る女性
泰安・磨崖仏像~斜めから見たシルエットと仏像に伏して祈る女性


もう一つ、礼山花田里・四面石仏を訪れました。
この石仏が発見されたのは、1983年のことです。
横転して地中に埋もれていたようで、発掘調査により四面石仏であったことが確認されたということです。
破損が随分激しいのが残念ですが、古い年代に造られたであろうことは、私にも感じとれます。

礼山花田里・四面石仏

礼山花田里・四面石仏
礼山花田里・四面石仏

瑞山、泰安の磨崖石仏より古い時期に制作とみられており、遅くとも7世紀には下らないとみられているようです。

私は、百済の石仏などについては、知識が乏しく、皆目わからないので、ただただ眺めるというだけでありましたが、関心の深い同好の方々には、興味津々、こたえられない観仏であったようです。
近年、飛鳥時代の仏像は、中国南朝~百済~日本というルートでその様式が伝えられたという考え方が、有力になりつつあるように思うのですが、その様式伝播の匂いを嗅げただけでも、来てみて良かったと思いました。



【思い切ってやってきた甲斐があった、韓国国立中央博物館の「古代仏教彫刻大展」】

翌日は、ソウルの韓国国立中央博物館です。
韓国国立中央博物館を訪れるのは初めてです。
巨大なのにびっくりしてしまいました。

韓国国立中央博物館の内部
韓国国立中央博物館の内部

東京国立博物館など、全く比べ物にならない規模です。
東博の3 倍30 万点以上の所蔵品を有しており、世界的にも有数の規模を誇る博物館なのだそうです。

目指すは、「古代仏教彫刻大展」。

「古代仏教彫刻大展」前の壁面パネル~法隆寺献納宝物・一光三尊像の写真が掲げられている
「古代仏教彫刻大展」前の壁面パネル~法隆寺献納宝物・一光三尊像の写真が掲げられている

結構、人がいっぱいで混雑していました。
インド、中国、朝鮮、日本の古代仏像が、一堂に並んでいます。
メトロポリタン美術館の北魏5 世紀五台山将来弥勒仏像など見覚えのある像も展示されています。
日本からは、法隆寺献納宝物の金銅仏、一光三尊像(143号像)や如来立像(151号像)、甲寅銘光背(196号像)などが、出展されていました。

メトロポリタン美術館・北魏5 世紀五台山将来弥勒仏像..法隆寺献納宝物・如来立像(151号像)
メトロポリタン美術館・弥勒仏像(左)    法隆寺献納宝物・如来立像

四川省成都萬仏寺諸像など中国南朝といわれる仏像や、近年発見された山東省・龍興寺の石仏も、いくつも出展されていました。

山東省・龍興寺址出土の仏像..山東省・龍興寺址出土の仏像
山東省・龍興寺址出土の仏像

「中国南朝仏~朝鮮仏~日本飛鳥仏」という仏像様式伝播をイメージした展示のように感じました。

もう一つ、気になったのは、ベトナムの仏像がいくつか出展されていたことです。
中国風の金銅仏もあれば、インド風のものもあり、また折衷風のものもあります。

扶南(ベトナム・カンボジア方面)もしくは中国作の如来立像(6世紀)
扶南(ベトナム・カンボジア方面)もしくは中国作の如来立像(6世紀)

そして、図録解説には、このような図が掲載されていました。

図録掲載図「6世紀中国における様式の多様性」(Angela F. Howard)からの転載

「6世紀中国における様式の多様性」(Angela F. Howard)という著作からの転載のようです。

この点線を見ると、インドからインドシナ半島を回って中国へ至り、山東省から朝鮮に至っています。
ハングルが読めないので、何を書いてあるのか全く分からないのですが、仏教文化の南回りルートの重要性を指摘しているのではないだろうかと思えます。
たとえば山東省・龍興寺出土の石仏群などを見ると、いかにもこの南回りルートの文化伝播による造形を思わせます。
そして、飛鳥、白鳳仏にも、龍興寺諸仏の表現を思い起こさせるものが見受けられます。

私たちは仏教文化の日本への伝播を考えるとき、ついついシルクロードルートをメインルートとしてイメージしてしまいがちです。
しかし、この南回りルートのことも、十分に意識していく必要があるのだろうと、強く感じさせられました。

展覧会には、韓国を代表する2体の金銅仏が展示されていました。

一室に展示される、韓国を代表する2体の金銅仏
一室に展示される、韓国を代表する2体の金銅仏

韓国国宝、78号像と83号像です。

78号像は、通称、日月飾三山冠半跏思惟像と呼ばれている金銅像です。

韓国国宝78号像・日月飾三山冠半跏思惟像

韓国国宝78号像・日月飾三山冠半跏思惟像.韓国国宝78号像・日月飾三山冠半跏思惟像
韓国国宝78号像・日月飾三山冠半跏思惟像

83号像は、広隆寺・弥勒半跏像と瓜二つといわれる、有名な像です。

広隆寺・弥勒半跏像と瓜二つといわれる韓国国宝83号半跏思惟像

韓国国宝83号半跏思惟像.韓国国宝83号半跏思惟像
広隆寺・弥勒半跏像と瓜二つといわれる韓国国宝83号半跏思惟像

皆様も、おなじみの金銅仏だと思います。
一室に、二躯だけ並べてあり、工夫された照明の中で、じっくりと心行くまで鑑賞することが出来ました。
おまけに、写真も撮り放題。
誘われていった「古代仏教彫刻大展」でしたが、来てみた甲斐がありました。


そして、韓国で、飲んだ話です。
一日目は、百済方面、泰安半島の海辺に泊まりました。
地元の海鮮の店に行きましたが、これがびっくりするほど美味かった。
ワタリガニとエビを茹で上げたものと、海鮮鍋を食べましたが、流石に海辺の店。
新鮮で活きが良くて、絶品のうまさでした。
おまけに安い。
マッコリの進んだこと進んだこと、すっかり酔っぱらってしまいました。

二日目は、ソウルで焼き肉。
これは定番の韓国焼肉というところで、想定の範囲内というところでしょうか。
これまた、気持ちよく飲んでしまいました。



【想定外の力感あふれる平安古像に出会う~東京都檜原村の五社神社】

「人里・五社神社」

この名前をご存知の方はいらっしゃるでしょうか?
「ヘンボリ・ゴシャジンジャ」と読みます。
東京都西多摩郡檜原村人里というところにあり、奥多摩といわれる処です。
南の方は、もう山梨県です。

この五社神社に、平安時代の蔵王権現像のほか、数体の古像が遺されているのです。

観仏リスト④五社神社

五社神社で秋の祭礼があり、その時、年に一度だけご開帳されるので、皆で行ってみないかと、同好の方からお声がかかりました。
「五社神社の平安古像」という話を聞いて、
「昔、本で読んだ、あの仏像のことだ!」
と、記憶がふつふつとよみがえってきました。

古い本に、「人里・五社神社の古仏探訪記」が綴られていたことを思い出したのです。
久野健著  「仏像の旅」    昭和50年(1975)  芸艸堂刊
という本に書かれているのです。
たしか、久野健氏が、辺鄙な山奥を訪ね仏像調査をした処、なかなか見どころある平安古像であった、というようなことが語られていたように思います。

この五社神社像、気にはなっていたのです。
しかし、神社に厳重に祀られているということで、きっと拝することは難しいに違いないと、初手から諦め気味で、そのうち記憶も薄れていたのでした。

「あの、五社神社の仏像、拝することが出来るのですか! それは、是非とも行きましょう。」

と、俄然前のめりになってしまいました。

無住で神主さんもおられないので、総代の方にご連絡を取り、拝観事情について伺ったところ、
「ゆっくり拝したいのなら祭礼以外の日に来れば、開扉しましょう。」
というありがたいお話をいただいて、同好7~8人で、檜原村人里まで出かけたのでした。

JR武蔵五日市の駅から、バスで1時間という辺鄙な山奥に五社神社はあります。
道路沿いにある鳥居の処から、25分ほど急坂を山登りをすると、五社神社社殿に到着です。

五社神社の参道入り口
五社神社の参道入り口

五社神社・本殿
五社神社・本殿

本殿の狭めの厨子の中に、6躯の仏像が、押し込められるようにひしめき合っています。

五社神社本殿内厨子に祀られた諸像
五社神社本殿内厨子に祀られた諸像

厨子の中は薄暗く、古仏の姿がはっきりしませんでしたが、ライトを照らすとその姿が鮮やかに浮かび上がってきました。
「オウォ-!」という声が上がりました。
なかなかの迫力の古像です。
事前に、本で観ていた写真だと、粗略で田舎っぽい像で、拙い出来なのかなという印象でした。
はるかに「想定以上、期待以上」のパワーのこもった古仏です。
とりわけ、蔵王権現像は、力感十分で太造り、重量感があり、逞しく魅力的です。

五社神社・蔵王権現立像

五社神社・蔵王権現立像
五社神社・蔵王権現立像

厨子の中心に据えられた、菩薩形坐像も、惹きつけるものがあります。

五社神社・菩薩形坐像
五社神社・菩薩形坐像
五社神社・菩薩形坐像

菩薩形像は、全体としては、やや拙く線が弱いようなところもありますが、顔貌の迫力には注目してしまいます。
いずれにせよ、平安時代にさかのぼる、魅力充分の古像であることに間違いありません。

よくぞ、今日に至るまで、これらの古像が、この地に遺されたものです。
きっと、地元の人々の守り神として信仰され、大切に護られてきたのでしょう。

これからも、博物館などに移されることなく、東京都の鄙の地、檜原村人里の守り神として、村の人々ととともに在ってほしいものだと、念ずるばかりでした。

五社神社を後にして、バス停まで戻ると、見事なシクラメンの大群に遭遇しました。

見事なシクラメンの花畑
見事なシクラメンの花畑

当地の園芸農家のようです。
見事なシクラメンが咲き誇る光景に、しばしウットリというところでした。
何人かが、買い求めましたが、あまりの想定外の安さに、これまたウットリとなりました。

帰りは、立川の居酒屋で、愉しく反省会。



[12月]

師走になりました。

関西へ出かけましたので、ついでというわけではないのですが、大阪大学で開催された、国際シンポジウム「金銅仏の制作技法の謎にせまる」と、奈良まで出かけました。


【「金銅仏きらきらし展」と国際シンポジウム「金銅仏の制作技法の謎にせまる」へ~シンポジウムは難しすぎて・・・・】

金銅仏きらきらし展ポスター国際シンポジウム「金銅仏の制作技法の謎にせまる」ポスター

大阪大学総合学術博物館では、「金銅仏きらきらし~いにしえの技にせまる展」が、開催されていました。
金銅仏の制作技法にスポットライトを当てた、大変興味深い企画展で、東京芸術大学美術館、白鶴美術館、大阪市立美術館、逸翁美術館など所蔵の古代金銅仏、約40点が展示されていました。

国際シンポジウム「金銅仏の制作技法の謎にせまる」のほうは、科研費成果報告「5~9世紀東アジアの金銅仏に関する日韓共同研究」の発表の一環として開催されたものです。
古代金銅仏の、制作技法、成分分析などについての、興味深い研究報告がありました。
内容が、なかなか難しくて、素人の私などには、よくわからなかったというのが本音の処です。

ただ、感じたことは、
金銅仏の制作年代の判定をしていくうえで、科学的な分析結果に頼りすぎるのも難しい、
造形表現の類型や系譜に頼りすぎるのもまた難しい、
なかなか絶対的な決め手とか判定基準を示すというのは、そう容易なことではないのであろう、
といったようなことです。

「科学分析と、モノを見る眼」これを融合昇華させるのは、なかなかに難しそうです。


翌日は、奈良。
奈良博と東大寺ミュージアムに出かけました。


【奈良博で、かねがね観たかった仏像たちに、ラッキーにも遭遇】

奈良博のなら仏像館は、改修工事で閉館中。
新館に、少しだけ平常陳列の仏像が展示されていましたが、これが偶々なのですが、かねがね一度観てみたいと思っていた仏像ばかりでした。

私の注目の展示仏像は、ご覧のとおりです。

観仏リスト⑤奈良博平常展

うれしいことに、普段は、めったに出展されていない仏像が、いくつか展示されていました。

法明寺・吉祥天像は、京都府相楽郡笠置町の法明寺に遺された仏像で、釈迦如来立像、増長天立像(共に重要文化財)とともに、平安中期頃の制作とされています。

法明寺・吉祥天立像
法明寺・吉祥天立像

3躯とも、奈良博に保管されていますが、常時は展示されていません。
吉祥天像は、初めて拝することが出来ました。
以前観たのを、覚えていないだけかもしれませんが・・・・。


奈良博・観音菩薩像は、亀岡市の大宮神社に伝来した仏像です。
亀岡市の大宮神社には、10体もの平安古仏が遺されていたのですが、30年以上前に9体が売却されて、巷間に流出しました。
その後、そのうちの天王像と吉祥天像は、東京国立博物館所蔵となり、天王像は2012年、重要文化財に指定されました。
また観音菩薩像は、奈良国立博物館の所蔵となっているのです。

奈良国立博物館・観音菩薩立像(亀岡大宮神社伝来).東京国立博物館・天王立像(亀岡大宮神社伝来)
奈良国立博物館・観音菩薩立像(左)  東京国立博物館・天王立像(右)~共に亀岡大宮神社伝来

大宮神社伝来の仏像については、以前、観仏日々帖「亀岡市・大宮神社伝来の諸仏像」で紹介させていただきました。
その、大宮神社伝来の観音菩薩像が、展示されていたのです。
一度、観てみたいと思っておりましたので、これはラッキーでした。


善福寺・阿弥陀如来坐像も展示されていました。

天理市善福寺・阿弥陀如来坐像
天理市善福寺・阿弥陀如来坐像

善福寺は、天理市和爾町にあり、阿弥陀如来像は12世紀初頭ぐらいの端正な仏像です。
かつて、拝観がかなわなかったことがあり、一度拝する機会があればと思っておりましたので、これまたラッキーなことでした。



【四月堂千手観音像と旧眉間寺伝来諸仏を観に、東大寺ミュージアムへ】

東大寺ミュージアムに行きました。

東大寺ミュージアム壁面看板(四月堂・千手観音像)
東大寺ミュージアム入口の壁面看板(四月堂・千手観音像)

ここへ来たのは、四月堂・千手観音像と旧眉間寺伝来の諸仏を観たかったからです。

観仏リスト⑥東大寺ミュージアム

四月堂・千手観音像は、法華堂そばの四月堂に安置されていた時には、何度も拝したのですが、最近、東大寺ミュージアムのほうに展示されるようになりました。
名作ぞろいの東大寺の仏像の中では、あまり知られていないのですが、私は隠れた名作だと考えているのです。
ミュージアムの明るい照明の中で観てみると、どのように感じるだろうかと出かけたのです。

東大寺四月堂・千手観音立像
東大寺四月堂・千手観音立像

像高が270cm近くある像ですので、四月堂の小さなお堂に祀られていた時には、周りを圧する威圧感というか、ボリューム感をすごく感じていました。
ところが、ミュージアムの広い展示場に安置されると、圧力を感じるような迫力は、ちょっと霞んでしまったように思いました。

むしろ、豊満で穏やか、柔らかというフィーリングです。
丸顔で頬が膨らみ、童顔っぽいところがあります。
平安前期の重厚感をもっと感じると思っていたのですが、随分イメージが変わりました。
体躯の豊かな横幅に対して、身長が少し足りない感じで、ちょっと寸詰まりの印象です。
豊かな体躯に、これまた豊かな四十二手が付けられているのですが、その割には、横拡がりで扁平な感じがしません。
これだけのボリュームある脇手をつけながら、見事な全体バランスに造形されています。
斜めから見ると、脇手が極めて立体的につけられています。
腕を一度奥の方へぐっと引き、前へ突き出してくるようにしています。
これが、奥行きのある立体的な千手像となる、見事な造形となっているようです。
「上手い!」
今回、四月堂千手観音像に感じた印象です。

やはり、東大寺の隠れた名作だという思いは変わりませんでしたが、
「重量感、圧力感ある仏像」から「豊満な造形の上手さが光る仏像」
というイメージに変化しました。
観る環境や角度によって、仏像のイメージは変わるものですが、また新たな発見となりました。


東大寺ミュージアムに来たもう一つの目的は、旧眉間寺伝来の三躯の如来像を観ることでした。
眉間寺は、明治初年の廃仏毀釈で廃寺となってしまった、佐保路にあったお寺です。
明治初年に跡形もなくなり、祀られていた諸仏像も、すべて散逸してしまったのです。
その眉間寺本堂に安置されていたという3躯の如来像が、東大寺ミュージアムに特別展示されているのです。

旧眉間寺伝来・東大寺勧進所阿弥陀如来坐像

旧眉間寺伝来・東大寺勧進所釈迦如来坐像.旧眉間寺伝来・東大寺勧進所薬師如来坐像
旧眉間寺伝来~東大寺勧進所・三如来坐像

眉間寺から、東大寺に移され、現在は東大寺の勧進所に祀られているのです。
普段は、拝せませんが、勧進所阿弥陀堂が修理される機会に、特別展示されることになったものです。
この話は、観仏日々帖「廃寺となった旧眉間寺の三如来像が、東大寺ミュージアムで展示」で紹介させていただきました。

仏像彫刻としては、藤原、鎌倉彫刻の類型的タイプといったものなのですが、明治の廃仏毀釈や、流出した仏像の行方などに、関心がある私にとっては、このチャンスに是非観ておきたいと思っていたものです。



【2日間限りの展覧会~「仏像写真家・永野太造の軌跡展」をめざして】

実は、この日の奈良行は、別にもう一つ目的がありました。

「仏像写真家・永野太造の軌跡展」ポスター
奈良県文化会館で開催された「仏像写真家・永野太造の軌跡展」を観に行くことでした。
なんと、12/12・13の二日間限りの開催ということなのです。
永野太造氏については、私が特に関心のある仏像写真家です。
ちょうど関西行とタイミングがあったので、これは是非とも行かねばと、頑張って出かけたのです。

ご存知の通り、永野太造氏は奈良国立博物館前で古美術写真販売・出版の「鹿鳴荘」を営んだ仏像写真家です。
奈良六大寺大観や大和古寺大観の写真撮影者の一人で、仏像写真家としてよく知られていましたが、平成2年(1990)、68歳で没しました。
奈良の仏像写真の嚆矢といわれる工藤精華の遺品のガラス乾板(現在重要文化財)の、保存に力を尽くした人物としても、知られています。
「鹿鳴荘」は、現在では、古美術写真店は廃業し、飲物土産物販売店として営業されています。

今般、永野太造氏撮影のガラス乾板約7000点が、帝塚山学園に寄贈されることになり、本格的な調査研究が始められることになったことから、展覧会開催の運びとなったようです。
飛鳥園・小川晴暘や入江泰吉は、写真集や評伝、回顧文が数多く出されていますが、鹿鳴荘・永野太造については、書かれたモノがなく、その業績がほとんど知られていません。

今回の展覧会が、永野太造個人を採り上げたものとしては、初めてではないかと思います。
会場には、仏像写真作品のほか、ガラス乾板、関連図書、愛用した写真機材などが展示されていました。

永野太造の軌跡展~会場風景
永野太造の軌跡展~会場風景

今後の、帝塚山学園による調査研究により、永野太造氏の業績を回顧する出版物がまとめられることが、期待されます。


この日は、近鉄奈良駅近くにある、フレンチビストロ「プティ・パリ」で、一人ランチをして、帰京しました。
知人の勧めで訪ねてみた、初体験のお店でしたが、リーズナブルプライスでなかなかの美味でした。
お薦めです。

ビストロ「プティ・パリ」
ビストロ「プティ・パリ」



【今年の観仏納めは、冬至の日のご開帳~秩父・常楽院の軍荼利明王像】

12月22日、冬至の日、埼玉県飯能市にある高山不動尊・常楽院を訪れました。
師走も押し詰まり、今年の観仏の大トリです。

観仏リスト⑦常楽院

常楽院には平安時代の軍荼利明王像(重要文化財)が祀られているのですが、4月15日と冬至の日、それぞれ一日だけご開帳となるのです。
写真で見ると、いかにも地方作という感じの仏像ですが、これだけ大きな独尊の軍荼利明王像(像高228㎝)というのは、珍しい作例です。
軍荼利像の巨像と云えば、10月に行った、滋賀・金勝寺の軍荼利明王像が思い浮かびます。
関東では、古代にさかのぼる軍荼利像は、この常楽院像と、千葉県一宮町の東浪見寺像だけが残されているだけなのです。

今年ももう終わりだというのに、まだ観仏に行くのかと呆れられそうですが、同好の方と出かけてしまいました。

常楽院は、西武秩父線の吾野駅から北へ歩いて1時間半以上という、秩父の山間にあります。

高山不動尊・常楽院からの眺望
高山不動尊・常楽院からの眺望

普段は、徒歩しか交通手段がないのですが、ご開帳の冬至の日には、お寺までのマイクロバスが運行されます。
吾野駅につき、常楽院用意のマイクロバスに乗せていただき、25分ほどで到着しました。
本堂まで、百段以上ある急な石段をフウフウ云って登ります。

常楽院本堂に向かう急な石段
常楽院本堂に向かう急な石段

やっとこさで本堂に着くと、ご開帳の読経が始まっていました。

本堂内で営まれる、ご開帳の読経の様子
本堂内で営まれる、ご開帳の読経の様子

軍荼利像は、本堂の裏の急石段上の、収蔵庫に安置されています。
読経が終わると、僧侶の方々は、収蔵庫の方に移って、軍荼利像の前で再び読経です。
厳粛な儀式が、滞りなく終わり、ご拝観となりました。

拝観のために出かけてこられた方は、意外に少なく、全部で20~30人というところでした。
軍荼利像の眼近まで近づいて、じっくり拝することが出来ました。

常楽院・軍荼利明王立像
常楽院・軍荼利明王立像

「地方作の田舎風の仏像だなあ・・・・」
というのが、第一印象です。

動勢がなく、直立して突っ立っている風で、ちょっとぎこちない感じがします。
全体に痩身で、上半身の厚みが極端に薄く扁平になっています。
地方仏師による、11世紀頃の制作とみられているようです。

造形技量的には、そうなのかもしれませんが、静かに拝していると、山岳信仰の仏の「野趣あふれた凄み」を強く感じます。

常楽院・軍荼利明王立像
常楽院・軍荼利明王立像

不気味な神秘性というまではいかないのですが、存在感ある凄みが、伝わってきました。
特徴的なのは、その顔貌です。

常楽院・軍荼利明王立像~顔部
常楽院・軍荼利明王立像~顔部

鼻が異常に高く大きく、歯をむき出しにしています。
なかなかの造形力を感じます。
また、膝から下の造形は見事で、逞しくダイナミックです。
たくしあげた裾の衣文は、彫り口が深く鋭く、平安初期彫刻をみているようです。
脛やふくらはぎ、足先の造形は、写実的で太く逞しく、インドの古代彫刻の脚を思い起こさせます。
この軍荼利像は、お顔と脚の造形勝負と云えそうです。


常楽院の観仏を終え、池袋まで戻り、今年の観仏納めということで、イタリアンで一杯飲りました。
まだ日の高いうちから、ワインをぐいぐい飲んで、愉しく今年の観仏を振り返り合いました。
おかげで、少々二日酔い。



これで、「2015年・今年の観仏を振り返って」も、本当におしまいです。
我ながら、よくこんなに沢山、観仏探訪に回ったものです。

今年も、飽きもせず、凝りもせず、観仏三昧的生活にどっぷりつかって過ごしてしまいました。
仏像の世界ほかに、好きなこと、興味関心のあることもあるのですが、最近どうも観仏への傾斜が激しいようです。
来年は、どうなることでしょうか?


4回にもわたって、ダラダラ長々、今年一年の観仏探訪記録を自己満足的に綴らせていただきました。
辛抱してご覧いただき、ありがとうございました。

来年も、HP「神奈川仏教文化研究所」、ブログ「観仏日々帖」に、気ままな仏像記事を連ねていきたいと思っております。
よろしくお付き合いいただけますよう、お願いいたします。


皆様、良き年を迎えられますよう!!


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