観仏日々帖

古仏探訪~2015年・今年の観仏を振り返って 〈その3〉  【2015.1218】


ここからは、7~9月の観仏先のご紹介です。

真夏、炎暑のシーズンですが、凝りもせず、3回も奈良を訪れてしまいました。


[7月]

今年、最大の仏像展覧会が、奈良国立博物館で開かれました。
云うまでもなく「白鳳展」です。

仏像愛好研究会「天平会」の7月例会は、「白鳳展」鑑賞のプログラムとなっていました。これは、ぜひ参加しようと、出かけてみることにしました。

天平会の前日、中山寺と満願寺に出かけました。

観仏先リスト①中山寺・満願寺


【異国風のエキゾチズムが遠目にも伝わる、中山寺・十一面観音像】

中山寺・十一面観音は、月に一回、毎月18日のご開帳です。
ちょうどご開帳の日にタイミングがあったので、出かけたのです。

阪神間の人であれば、「中山寺」という名前を知らない人はいないのではと思います。
最寄りの駅名も「中山観音」という名前です。
安産祈願のお寺さんとして、超有名です。

安産祈願で知られる、西国三十三ヶ所第24番の札所~中山寺
安産祈願で知られる、西国三十三ヶ所第24番の札所~中山寺

西国三十三ヶ所、第24番の札所で、そのご本尊が十一面観音像なのです。
平安前期、9世紀頃の特異な秀作として知られていますが、これだけ有名なお寺さんのご本尊なので、寺外に出たことはなく、ご開帳といっても、本堂拝殿の処から、はるか遠くに拝するだけです。

本尊・十一面観音像が厨子内に祀られる、中山寺本堂
本尊・十一面観音像が厨子内に祀られる、中山寺本堂

立派なお厨子の中に祀られ、ほの暗い中に祀られたお姿が、何とか判るというところでしょうか。
それでも、異国的というか、他では見たことのない変わったお顔の表情であることは判ります。

中山寺・秘仏本尊・十一面観音像
中山寺・秘仏本尊・十一面観音像

写真図版で見ると、彫口が鋭くシャープであること、極端に吊り上がった眼や、表情、全体のシルエットなどが、日本離れしたエキゾチックな表現であることがよくわかると思います。

中山寺・十一面観音像
中山寺・十一面観音像~図版写真

瞳には、盛り上がった鉄の傘鋲が打たれており、そのことからも唐渡来の中国工人かその系譜の仏工によって制作されたのではないかと思われる像です。
遠くから、おぼろげながらという観仏ですが、それでも、やはり直に目にして拝すると、十一面観音像の発するエキゾチックな特異な雰囲気は、十分に伝わってきました。

この日も、中山寺は、安産祈願で腹帯を授かる人、赤ちゃん抱いた初参りの人が沢山いて、にぎやかな境内でした。



【異貌と霊威表現~奇妙な魅力に惹きつけられる満願寺の薬師像、天部像】

満願寺は、中山寺から二駅という近くにあります。

満願寺・山門
満願寺・山門

満願寺には、秘仏の本尊・千手観音立像(県指定・平安~春秋一週間のみご開帳)をはじめ、数多くの平安古仏が残されています。

それぞれの仏像は、出来が良いとか、美麗とかという世界からは、かなり縁遠い仏像ばかりです。
秘仏の千手観音像は、なかなかの出来のようですが、そのほかの平安古仏は、古様だが「田舎風とか、地方的」といったような言葉で理解されるものばかりです。
独特の、土臭さがするような空気感があります。

なかでも、とりわけ異形というか、奇形というか、独特の個性を主張している仏像が2躯あるのです。
薬師如来坐像と天部形立像です。
共に、指定文化財になっている訳ではなく、無指定の仏像です。

満願寺・薬師如来坐像

満願寺・薬師如来坐像.満願寺・薬師如来坐像
満願寺・薬師如来坐像

満願寺・天部形像

満願寺・天部形像.満願寺・天部形像
満願寺・天部形像

ごく一般的な見方からすると、
「一見古様だが、粗っぽい田舎作で造形が破綻しており、制作年代も下がるし造形レベルも低い」
ということになるのでしょう。

この2躯の像に注目したのは、井上正氏でした。
井上氏は、個性的な異貌表現、異常なボリューム感、強い精神性、霊威表現などに注目し、奈良時代の制作にさかのぼる可能性に言及しました。
帝釈天像とされる像は、初期の天部形「神像」ではないかと考えました。

私には、奈良時代の制作にさかのぼるとは思えませんが、特異な異貌表現、発散する霊威感には、惹かれるものがあります。
数年前にも、満願寺を訪れて、これらの像を拝したのですが、その時のインパクトが忘れられなくて、また来てしまいました。
じっくり眼近に拝しましたが、やはり得も言われぬ奇妙な魅力に、何故か惹き付けられてしまいました。

満願寺・薬師如来坐像の造形、空気感に似た坐像が、二つあります。
いずれも井上正氏が採り上げていますが、ご紹介しておきたいと思います。

和歌山県有田郡の法音寺・伝釈迦如来坐像、奈良県大和郡山市の西方寺・如来形坐像です。

和歌山県有田郡・法音寺・伝釈迦如来坐像
和歌山県有田郡・法音寺・伝釈迦如来坐像

奈良県大和郡山市・西方寺・如来形坐像
奈良県大和郡山市・西方寺・如来形坐像

写真をご覧いただいて、如何でしょうか?
醸し出す雰囲気に、同じ系譜のようなものを感じられるのではないかと思います。
特に、うるさいように並行に密集した、肩から腹にかけての衣文線は、満願寺像、西方寺像に共通しています。

私も、法音寺、西方寺を訪れたことがありますが、自然に、この満願寺の如来坐像のことが、自然に頭に浮かんできました。

あまり見かけないパターンの造形表現だと思います。
「満願寺の薬師如来坐像や、天部形像の造形表現は、どのような系譜から造り出されてきたのだろうか?」
「それにしても、不可思議な仏像達だなあ!」
そんな気持ちを抱きながら、満願寺を後にしました。



翌日は、奈良で天平会例会に参加です。
五劫院のそば、北御門町の小さなホテル「奈良倶楽部」に泊まりました。
集合は午後でしたので、午前中はホテルの近所をゆっくり散策です。

今年3月から一般公開された、水門町の入江泰吉旧宅を訪れました。
東大寺戒壇堂の石段を下って、住宅が並ぶ静かな道を往くと、右手に入江邸が見えてきます。

一般公開された入江泰吉旧宅
一般公開された入江泰吉旧宅

門には、「入江泰吉旧居」と墨書きされた真新しい横看板と表札が架けられていました。
ちょうど訪問者は私だけで、ボランティアの方に、大変親切に邸内の案内をいただきました。
戦後を代表する奈良の仏像写真家は、入江泰吉をおいてはなでしょう。
立派な邸宅というわけではありませんが、入念な心配りが行き届き、落ち着いた瀟洒な和風のたたずまいで、いかにも入江らしさを感じます。

入江泰吉旧宅~室内の様子
入江泰吉旧宅~室内の様子

この旧居を訪れると、入江という写真家は、奈良に生まれ、古き奈良を愛し、奈良の四季と共に生きた人、という思いがあらためてよぎってきました。


その足で、戒壇院の裏通りにある、「工場跡事務室」へ寄りました。
ご存じの方はお判りでしょうが、「工場跡事務室」というのは、カフェ・喫茶店なのです。
大正年間から昭和50年代まで「フトルミン」という乳酸菌飲料を作っていた工場の跡です。

カフェ「工場跡事務室」.工場跡事務室内と「フトルミン」
カフェ「工場跡事務室」と室内・フトルミン

20年以上も廃工場としてそのまま眠っていましたが、2009年から『工場跡事務室』というカフェとして営業しています。
レトロでなかなか雰囲気のあるカフェで、落ち着きます。
ここで軽食を取りました。

ところで、「フトルミン」というのは、その名の通り、これを飲むと太るという乳酸飲料なのです。
栄養失調対策とか栄養補給ということが、重要なテーマだった時代があったのだなと、飽食の世を生きる身には、何とも言えぬ感慨に浸ってしまいます。



午後からは、天平会例会に参加です。
杉崎貴英先生のご説明で、般若寺、五劫院を訪れました。

観仏先リスト②般若寺他

コスモス寺の名で有名な般若寺では、シンボル十三重石塔、本尊文殊菩薩像などを拝しました。

般若寺・十三重石塔
般若寺・十三重石塔

十三重の石塔から発見された、白鳳時代の金銅仏、伝阿弥陀像は白鳳展に出展中です。
この、小金銅仏の十三重石塔からの発見物語については、観仏日々帖「般若寺・伝阿弥陀如来像の発見物語」で紹介させていただきましので、ご覧いただければと思います。

般若寺・伝阿弥陀如来像
般若寺・伝阿弥陀如来像



【空前の名品勢揃い、奈良博「白鳳展」~白鳳という時代を考えさせられる】

そして、奈良国立博物館の「白鳳展」です。

奈良博「白鳳展」ポスター
奈良博「白鳳展」ポスター
本年最大のビッグイベントといえる、大展覧会です。
開催を心待ちにしていましたが、スタート二日目に来ることができました。

皆さんも、この「白鳳展」には行かれたことと思いますので、ここで出展仏像をご紹介するのは、止めておきます。

それにしても、よくぞこれだけの白鳳期の名品仏像を一堂に集められたものです。
これだけの白鳳仏像を、一度に鑑賞することができる機会は、もう当分はないでしょう。
少なくとも、私の元気なうちは、難しいのではと思ってしまいました。

ところで、これまで、「国立博物館」で「白鳳」という名を冠した展覧会はあったのでしょうか?
「白鳳」という仏教美術の時代の定義には、いろいろな考え方や異論があって、国立博物館では、使いにくいのかなとも思っていました。
「奈良博の白鳳展」は、白鳳時代をどのような視点で見ているのだろうかと、興味深く感じながら、鑑賞しました。

展覧会図録冒頭の主催者ご挨拶には、このように書かれていました。

「昨今、自鳳という言葉が使われる機会が少なくなりました。
美術様式に関する評価もいまだ流動的です。
しかし、白鳳が飛鳥時代前期や奈良時代とも違う独自の個性を持つ文化を築いた時代であったことは、この展覧会を通してご理解いただけるものと確信しております。」

びっくりしたのは、薬師寺金堂・薬師三尊の制作年代を、持統年間の制作、本薬師寺からの移坐と、断じていることでした。
非移坐、天平新鋳説が、結構有力なのではないかと思うのですが、「諸説あり議論のある処」といった解説ではなく、「白鳳時代、持統朝の制作」と決め打ちで、堂々と宣言されているのです。

薬師寺金堂・月光菩薩像
白鳳展に展示された薬師寺金堂・月光菩薩像
他の出展白鳳仏に較べ、突出して高度な完成度、成熟度を示す造形です


どちらが有力妥当か云々の話は、ちょっと置いておくとして、よく思い切って断じたなというのが、素直な感想です。

これまで、白鳳という時代は、「抒情的とか清明とか」という造形概念で括られる時代と云われてきたように思います。
しかし、この展覧会を観て、白鳳という時代は、
一つの時代様式概念で括るとか、時系列的発展的様式論や、制作技術の段階的発展論という概念では、とらえることができない時代であった。
多種多様なものが同居する、混沌たる時代であった。
そんな考え方も、必要なのではないかという風にも、強く感じたりもしました。


そんな思いを巡らせていると、直近の「奈良国立博物館だより95号」に掲載された、こんな記事が目に留まりました。
「白鳳展を終えて」と題する記事です。
白鳳展の彫刻担当として参加された、奈良博学芸部の岩井共二氏の執筆です。

ちょっと長くなりますが、引用紹介させていただきます。

この展覧会の企画に彫刻担当として参加して感じたことは、自鳳時代は「一筋縄ではいかない」という事であった。

飛鳥時代(7世紀前半)から奈良時代(8世紀)までの仏像の様式変遷は、ギリシア彫刻の様式変遷になぞらえて、古拙から古典の完成へという流れで説明されることがある。
そこでは、自鳳時代の様式は「過渡期」の様式と位置づけられる。
そのこと自体は誤りとは言えないが、ともすると、白鳳時代の金銅仏などを形容する、「若々しい」「瑞々しい」「可愛らしい」という言葉が、「未熟な」「発展途上」「稚拙な」という意味にとられ、相対的に自鳳美術の評価は低く貶められていたのではないだろうか。

白鳳期の典型とされる深大寺・釈迦如来倚像
白鳳期の典型とされる深大寺・釈迦如来倚像

白鳳期の典型とされる法隆寺・伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像
白鳳期の典型とされる法隆寺・伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像

本展には薬師寺金堂の月光菩薩立像が出陳された。
この像は白鳳説と、天平説とがある。
本展では、文献史料や様式の検討から自鳳時代に位置づけたが、高度に完成された写実性を持つこの像を自鳳展に出陳するということは、白鳳時代を古典以前の様式とする位置づけへのアンチテーゼでもあったように思う。

白鳳仏は、古拙から古典へという一本の直線の上にきれいに編年して並ばせることが出来ないものであった。
写実性が高いものほど新しいとは、必ずしも言いがたい。
中国や朝鮮半島から渡ってきた新旧様式の複合化した様式もあっただろうし、遣唐使が持ち帰った唐代の最新様式もあっただろう。
制作者も色々で、中央と地方のレベル格差も大きかっただろう。
白鳳は一筋縄では語れないのである。

担当していても、わからないことだらけであつた。
しかし、一堂に会して見ることで、新たな視点も浮かび上がってくるだろう。
近年使われなくなってきた「白鳳」という言葉が今後どう扱われるのかも含めて、この展覧会の意義が問われるのは、これからである。

今回の白鳳展を企画、主催された方々の、白鳳時代と云うものの見方、考え方が、ここに凝縮してまとめられているように思えます。

確かに、近年の仏像彫刻史の研究発展を見ると、ある時代を一つの様式概念で括るとか、仏像の造形を時系列的発展的様式論の中で考えていくのは、難しくなってきているように思えます。
多様性の同居、新旧の同居という視点が、ますます必要になってきているのでしょう。

そんな中で、ちょっとばかり違和感を覚えるのは、「白鳳」という時代呼称です。

昔読んだ本には、「政治史の時代区分」と「美術史の時代区分」は、一致するものではない。
美術史上の時代と云うのは、造形感覚、スタイルなどに、「一つの時代様式という概念」で整理できる時代のことを云うのだ。
そんなことが書いてあったように思います。

「白鳳」という時代呼称は、美術史の世界でもっぱら使われている呼称です。
飛鳥後期と呼ばれたり、奈良前期と呼ばれたりもしました。
「白鳳時代は存在するか?」という論争も、随分盛り上がったように覚えます。

一般に用いられる「白鳳時代」と云うのは、
単に大化の改新(645)から平城京遷都(710)までの区切られた時期のことを云うのか、
そこに美術史的な意味・意義のある特色、独自性を認めるから白鳳時代を設定するのか、
この辺りを、もっとはっきりさせておくことも必要な気がします。

重ねて言うと、
年代としての白鳳時代が先にあって、この時期を論じるのか、
この時期に仏教美術史上の特色を認めて、白鳳時代を設定するのか、
ということです。
前者の考え方であれば、「白鳳」という時代呼称を、わざわざ使う必要がないのではと思います。
仏教美術史上、新旧、各種要素が同居する「多様性が特色の時代」として、白鳳時代を設定するのでしょうか?

「白鳳展」を振り返っているはずが、話がちょっと変な方に行ってしまいました。

「白鳳時代とは、何なのだろうか?」

かねがね、頭の中の整理がついていませんでしたので、こんな話になってしまいました。
白鳳時代についての話が、長々、ダラダラ、退屈なものになってしまいました。
申し訳ありません。



[8月]

8月第一週は、毎年恒例の大学時代の同窓会。
折角、奈良まで出かけましたが、夜、しこたま飲んで泊まっただけでとなりました。

翌日は、同窓会メンバーで、宇治の平等院へ出かけました。

観仏先リスト③平等院

しばらく鳳凰堂の大改修で拝観できませんでしたが、昨年(2014年)4月から鳳凰堂内部の拝観が再開されました。
拝観再開後は、初めての訪問です。
これまで古色で渋い色だった鳳凰堂ですが、朱の色鮮やかな派手な姿に生まれ変わっていました。

修復成った平等院鳳凰堂
修復成った平等院鳳凰堂

定朝作の阿弥陀如来坐像の見事な出来で優美な姿は、言うまでもなく、これまでと変わらぬものでした。


同窓会解散後は、京都で妻と合流。

夕食は、夜の我が家の定番、木屋町四条の「しる幸」。

京都四条河原町・志る幸
京都四条河原町・志る幸

古くからの店ですが、何十年たっても食材、味のレベルが変わることがありません。
美味でリーズナブルプライス、お気に入りのお店です。
翌日の朝食、ランチも、これまた我が家の定番、寺町「進々堂」と木屋町御池の「レストラン・おがわ」

翌日は、久しぶりに銀閣寺道近くの、「白沙村荘」へ寄ってみました。

白沙村荘庭園
白沙村荘庭園

白沙村荘は日本画家、橋本関雪が、自身の制作を行うアトリエとした邸宅です。
15年か20年ぐらい行ってなかったと思うのですが、大変きれいに整備され、美術館までできているのにびっくりしました。
ゆったり風情のある庭をぶらぶら歩いていると、静かで落ち着いた気持ちになってきます。



【再度出動、奈良博「白鳳展」へ~一度だけでは勿体なくて】

8月下旬、再度奈良まで出動しました。
白鳳展は、一回だけでは、いくらなんでも勿体なく、物足りないということで、再度白鳳展に出かけたのです。

この日は、同好の方々と、奈良博の記念講演会に参加しました。
藤岡穣氏による「東アジアの中の白鳳仏」と題する公開講座です。

野中寺・丙寅銘弥勒半跏像
野中寺・丙寅銘弥勒半跏像
テーマは「東アジアの中の白鳳仏」だったのですが、講演の中身の半分以上というか、かなりの部分は、野中寺・弥勒菩薩半跏思惟像の制作年代についての考証のお話でした。
藤岡氏は、野中寺像が近年の偽名、擬古作ではないかとの疑問が提起されていた問題に対して、昨年、白鳳期(丙寅・666年)の制作の像とみなすのが妥当とする、詳細な研究論文を発表されたばかりです。
「野中寺弥勒菩薩像について(藤岡穣)ミューゼアム649号2014.4」

演題から期待した内容とはちょっと違ったのですが、野中寺・弥勒半跏像の制作年代の考証についての話を詳しく聞くことができ、勉強になりました。

野中寺弥勒半跏像の発見と制作年代議論については、観仏日々帖「野中寺・弥勒半跏像の発見とその後【その1】  【その2】」で紹介させていただいています。

本命の白鳳展については、じっくり鑑賞することができました。
おかげで、腰が痛くなってしまいました。

夜は、同好の方々と、西木辻町の「利光」で、心地よく飲りながらの、白鳳談議に熱が入ってしまいました。

奈良・利光
奈良・利光



翌日、翌々日は、同好の方々と、京都方面、奈良宇陀方面に、それぞれ観仏に出かけました。

京都方面の観仏先は、ご覧のとおりです。

観仏先リスト④慰称寺・安楽寺他


【知られざる秀作仏像に出会いビックリ!慰称寺・地蔵菩薩像~実は重文】

「慰称寺の地蔵菩薩像??   そんな仏像、聞いたことがないなあ・・・」

一緒に出かけた同好の方から、洛北・慰称寺の地蔵菩薩が、地蔵盆の8月23日に年に一度だけご開帳になる。
平安前期の制作という話もあるので、拝観に出かけようと誘われ、出かけたのでした。

ちょっと仏像関係本を探しても見当たりませんし、
「多分、無指定の仏像なのだろう。」
と思い、期待もせずに出かけたのでした。

慰称寺は、有名な高雄神護寺に行く最寄りバス停から、歩いて数分のところにありました。
地元の方々が地蔵盆で寄り合っておられ、お堂兼用の小さな収蔵庫の扉が開かれていました。

地蔵盆で地元の方々が寄り合う、慰称寺
地蔵盆で地元の方々が寄り合う、慰称寺

地蔵菩薩像のお姿を見て、ビックリしてしまいました。
素晴らしく見事な出来なのです。

慰称寺・地蔵菩薩像
慰称寺・地蔵菩薩像

1メートル弱の像ですが、造形バランス良さといい、肉付けの巧みさといい、彫技の冴えといい、どれをとっても一流です。
これだけの秀作を造れる腕のある仏師は、並みの仏師ではないだろうと思わせます。

出かける前に、やっと見つけた資料(京の古仏~京都市文化財ブックス3集)に、
「太秦広隆寺の埋木地蔵(重文・平安前期9C)の霊験譚が広まった鎌倉時代以降に、同像を忠実に模刻したものと考えられる。」
と、書いてありました。

広隆寺・地蔵菩薩像(埋木地蔵)~9C・重文
広隆寺・地蔵菩薩像(埋木地蔵)~9C・重文

確かに、パッと見ると、平安前期の造形表現のように感じますが、眼近にじっくり観ていくと、「鎌倉時代の模刻像」というのは、その通りだと思います。
鎌倉時代の空気感が、間違いなく漂っています。
ただ、鎌倉時代の模刻だとしても、「見事な出来の仏像」であることは、間違いありません。
これだけの出来栄えの模刻、そうザラにできるものではありません。
どうして、これだけの秀作仏像が、ほとんど知られずに埋もれているのだろうと、不思議に思ったのでした。

慰称寺・地蔵菩薩像
慰称寺・地蔵菩薩像
慰称寺・地蔵菩薩像


ところが、ところがです!

この「今年の観仏を振り返って」を書くので、もう一度よく調べてみたら、なんと慰称寺・地蔵菩薩像は、重要文化財に指定されていたのでした。
昭和10年(1935)4月30日に重要文化財(旧国宝)に指定されています。
そして、毎日新聞社刊「重要文化財第3巻・彫刻Ⅲ」には、制作年代が「平安時代」と記されているのです。

これまた、二度ビックリです。
平安前期らしいという情報も、もっともな話であったわけです。

「平安時代なのでしょうか? 鎌倉時代なのでしょうか?」

皆さん、どう思われるでしょうか?
私は、間違いなく鎌倉だと思いますが・・・・・・

それにしても、重要文化財に指定されている、これだけの秀作仏像が、ほとんどの仏像本に採り上げられていないのは、ますます不思議、謎のようにも思えます。
制作年代が曖昧だからなのでしょうか?

思いもかけず、興味深い、見事な秀作仏像に、出会うことができました。
この慰称寺・地蔵菩薩像、「観仏日々帖」で、いずれ改めてご紹介できればと思っております。



【これぞ、井上正ワールドの異形仏~安楽寺の諸像】


安楽寺は、北区大森東町といって、高雄神護寺あたりから、まだ車で20~30分北のほうへ行った、北山の奥の村落にあります。
途中、左右に北山杉の美しい杉林が、ずっと続きます。

安楽寺のお堂
安楽寺のお堂

ポツリと在るお堂に祀られた諸仏像は、まさに「異形仏」という名にふさわしい、異貌の仏像です。

安楽寺のお堂に祀られる諸像
安楽寺のお堂に祀られる諸像

この仏像を採り上げ、広く世に紹介したのは、井上正氏です。
井上氏は、薬師如来像の存在感、重量感、その他の像の強い霊威表現などに着目して、
「安楽寺に伝わる四躯の像は、奈良時代に、この山中の集落に根づいた古密教のありようを示す唯一の遺品であり、・・・・・・」
(「古仏」井上正著・1986年法蔵館刊所収)
と述べています。

写真をご覧いただくと、「異形・異貌」であることはお分かりいただけることと思います。
まさに、異形の古密教仏を主張する、井上正ワールドの仏像といえそうです。

安楽寺・薬師如来像

安楽寺・薬師如来像
安楽寺・薬師如来像


安楽寺・如来立像.安楽寺・如来立像
安楽寺・如来立像

安楽寺・天部形像
安楽寺・天部形像

安楽寺・僧形像
安楽寺・僧形像

皆さん、どのように感じられるでしょうか?
「アクの強い奇形の仏像」「粗略な地方仏」「田舎の仏像」「相当時代が下りそう」
こんな風に感じられる方も多いかと思います。

一方、そうはいっても、
「不可思議な存在感がある」「異形さが強い迫力になっている」「霊威表現そのものだ」「結構古様で、古い時代かもしれない」
このような印象を受けられる方もいらっしゃるでしょう。

確かに、普通の彫刻史の中では、取り上げられることがない「変わった仏像、変な仏像」です。
じかに拝すると、田舎風で粗略なのは間違いないのですが、アクの強い存在感、得も言われぬ迫力、不思議な霊威感といったものを、なぜか感じるのは事実です。

一度拝すると、何故か頭の中に妙にこびりついて、忘れ去ることができない仏像となってしまいます。

私は、8年前(2007)に、この仏像を初めて拝したのですが、それ以来、ずーっと心の中に澱のように引っかかって、妙に気になる仏像となっていました。
今回、もう一度訪ねてみたのですが、「妙に気になる仏像」という感覚は、さらに強くなったような気がします。
変な仏像ですが、なぜか強く惹かれるものを感じ、心に残るものを訴えかけてくる仏像達です。
また、いつか訪ねてみたくなってしまいました。

安楽寺の諸像、いずれ古仏探訪記で、ご紹介してみたいと思っています。



地蔵院・椿寺に寄りました。

北区、北野天満宮の近くにあります。
ここには、無指定ですが平安前期の十一面観音像があるというので、一度拝したいと思っていたのです。
お正月、お彼岸、地蔵盆の時、それぞれ数日開帳され、普段は拝せない秘仏になっています。
今日はちょうど地蔵盆、このタイミングを逃すわけにはいきません。

十一面観音像は、観音堂の奥の厨子に祀られています。

地蔵院椿寺の観音堂に祀られる十一面観音像
地蔵院椿寺・十一面観音像
地蔵院椿寺の観音堂に祀られる十一面観音像

ご拝観は観音堂の外から格子越しで、かなり遠く、間近に拝することはできませんでした。
ちょっと残念。
お姿のシルエットは、確かに平安前期風なのですが、近年の修復の手が相当入っているように見受けました。
見た目、きれいに整えられたお姿になっているのですが、当初の造形、彫り口を観てみたかったものです。


真夏の炎暑の中の、京都行脚、行軍でいささか疲れました。
宿の奈良まで戻って、近鉄奈良駅近くの居酒屋「おちゃけや」で一杯。

奈良・おちゃけや
奈良・おちゃけや

暑さで疲れた体に生ビールがしみ込んで、生き返りました。
安くて美味い居酒屋で、またまた大いに盛り上がりました。



【素朴な穏やかさが心に沁みとおる、大蔵寺・薬師如来像~白洲正子「かくれ里」の世界に浸る】

翌日は、奈良県の南部、宇陀の大蔵寺へ向かいました。

観仏先リスト⑤大蔵寺

目指すは、大蔵寺のご本尊、薬師如来像のご拝観です。

皆さんご存知の通りですが、大蔵寺の薬師如来像は、白洲正子氏の著書「かくれ里」で紹介され、世に知られるようになりました。
白洲正子は、「宇陀の大蔵寺」という章で、このように語っています。

「正直なところ、私は、大蔵寺の環境や建築に感心しても、中身の仏像にはあまり期待が持てなかった。
藤原時代の仏像にもピンからキリまである。
こんな山奥に、ろくな彫刻があるわけがないと、内心そう思っていたのだが、本堂の扉が開かれた時、それは見事に裏切られた。
実に美しい仏なのである。
といっても、特別すぐれた彫刻というのではなく、明らかに地方的作なのだが、そこにいうにいわれぬうぶさがあって、時代とか技術を超越したものが感じられる。
殊にお顔がいい。
推古仏に似た表情で、八尺八寸の長身から、無心に見おろしていられるのが、藤原初期よりずっと古様に見える。
・・・・・・・・
完全無欠な仏像より、私には、こういう仏像のほうが親しめる。」
(「かくれ里」1971年新潮社刊)

一度は、拝したいものと思っていたのですが、秘仏でなかなかご拝観がむつかしいといったようことも聞いていましたので、これまで訪ねてみようとしたことはなかったのです。
2011年に世田谷美術館で開かれた「白洲正子、神と仏、自然への祈り展」にも、地蔵像、天部像は出展されましたが、薬師如来像が出展されることはありませんでした。

最近、大蔵寺へ伺って拝観させていただいたという人の話を知り、早速、伺うこととしたのです。
大蔵寺さんのHPを拝見すると、単なる「拝観」は受け付けず、御祈願での秘仏本尊ご拝顔に限る旨書かれておりましたので、お願いのご連絡をして、恐る恐る同好の方と伺いました。

伺うと、ご住職は、お若い方でしたが、有難いことに、大変ご親切に受け入れていただき、丁寧なお話なども伺うことができました。

狭い山道を辿っていく、宇陀の山奥にある静かなお寺でした。
辺鄙ともいえるところで、まさに「かくれ里」という言葉がふさわしいような、佇まいです。
訪れる人も、そうはいないでしょう。

大蔵寺本堂
大蔵寺・大師堂
大蔵寺本堂(上)と大師堂(下)

杮(こけら)葺きの本堂、お堂の中は薄暗く、幽玄な雰囲気が漂う中、じっくりと薬師如来像に拝することができました。

大蔵寺・薬師如来像(「かくれ里」掲載写真)
大蔵寺・薬師如来像(「かくれ里」掲載写真)

薬師如来像については、白洲正子の「かくれ里」の文章に語りつくされていると思いますので、それ以上のことを綴る必要はないと思います。
語られている通りの、素朴な穏やかさが心に沁みとおるような仏さまでした。
心撃たれるものがありました。
ぜひとも、再訪したいものです。



[9月]


東京の展覧会を二つ見に行きました。

藤田美術館の至宝展ポスター.蔵王権現と修験の秘宝展ポスター

一つは、サントリー美術館で開かれた「藤田美術館の至宝~国宝曜変天目茶碗と日本の美展」です。
目玉は、曜変天目茶碗や交趾大亀香合といった焼き物、茶道具、書画骨董で、これはなかなか凄いものでした。
仏像では、法隆寺五重塔伝来塑像・羅漢像(奈良時代)、興福寺伝来の千体仏の一体(平安後期)、快慶と行快の墨書がある地蔵菩薩像などが展示されていました。

もう一つは、根津美術館で開催された「蔵王権現と修験の秘宝展」です。
数多くの蔵王権現像が出展されました。
吉野・金峯山寺の諸仏像と鳥取・三仏寺の蔵王権現諸像が多数展示されていました。
三仏寺の仁安3年(1168)造立、正本尊・蔵王権現像が出展されなかったのは、残念でした。

私の注目は、金峯山寺・釈迦如来坐像(県文・10C)でした。

金峯山寺・釈迦如来坐像
金峯山寺・釈迦如来坐像

近年行われた年輪年代測定法によると、制作年代が930年代半ばから後半頃であると推定されています。
吉野最古の木彫像とされますが、ちょっと不気味そうな面貌が、魅力的です。



【20年ぶりの秘仏開帳に、静岡まで日帰り出動~智満寺・千手観音像】

静岡県島田市にある智満寺の秘仏本尊・千手観音立像が、20年ぶりに開帳されました。

智満寺・秘仏本尊千手観音立像ご開帳ポスター
智満寺本尊・千手観音像は、厳重秘仏として知られ、60年に一度の御開帳となっています。
今回は、前回開帳から20年目に当たりますが、このたび新たに制作された「頼朝杉・弥勒菩薩像」が完成安置されたことを記念し、また本年が智満寺本堂を再建した徳川家康公の四百回忌に当たることから、本尊が特別ご開帳されることになったということです。

智満寺本尊は、平安中期の制作といわれ、写真で見ると、なかなかの惹きつける魅力があるように感じられます。
何とか一度は拝したいものと念じていた仏像なのです。

この機会を逃してはならじと、同好の方と、頑張って、東京から車で日帰りで島田市まで出かけたのでした。
あいにくの雨、悪天候でしたが、参拝の方が結構いらっしゃいました。

智満寺・参道の階段
智満寺本堂
智満寺・参道の階段と本堂

ご本尊は、明るい本堂内の立派な厨子の中に祀られていましたが、比較的眼近に拝することができました。

像高185センチ、立派な千手観音です。

智満寺本尊・千手観音像
智満寺本尊・千手観音像

丸顔で優しそうな穏やかなお顔ですが、全体的には堂々とした、重量感も感じさせます。
大きく横に広がった脇手が、堂々とした感じを際立たせているようです。
左右の真手に大きく広がった衣をかけているスタイルは、あまり見かけたことがありません。
双眼鏡で見ると、お顔全体や首のあたりは、荒彫り風のノミ痕を残しています
平安中期の制作というのは、納得というところです。

智満寺本尊・千手観音像
智満寺本尊・千手観音像

なかなかの秀作だと思いました。
雨の中、東京から日帰りで出かけてきた値打ちは十分ありました。

堂内には、近年、自然倒木した天然記念物「頼朝杉」の材から彫り出した、江里康慧(えりこうけい)仏師作の、弥勒菩薩坐像も安置されていました。
約2年を要して、優美なお姿に截金装飾が施された崇高な弥勒菩薩像となったということです。



「今年の観仏を振り返って」、7~9月の観仏先ご紹介は、ここまでです。

次回は、10月~12月の観仏を振り返らせていただきます。


コメント

専門仏師作ではない仏像

満願寺の薬師如来坐像は、私も大変興味深い仏像だと感じています。

同じ雰囲気の仏像として、伊勢市世義寺の薬師如来像はどうでしょうか。
四日市市立博物館の「姿をあらわした神々」展の図録の参考写真でしか見たことがありませんが、崩れた造形の感じが似ているように思います。
もっとも、世義寺の薬師は「霊威表現のため意図的に崩した」と言うよりは、素人作ゆえの崩れ方のように感じますが。

  • 2015/12/31(木) 20:36:39 |
  • URL |
  • とら #VBkRmpN2
  • [ 編集 ]

Re: 専門仏師作ではない仏像

とら様

コメント有難うございます。

世義寺の薬師如来像は、私も観たことがないのですが、四日市博「仏像東漸展」図録には、「材にウロが幅一杯に広がることから霊木利用の像」と解説されていますね。
たしかに、造形は粗略で今一歩という感じがしますね。

満願寺の諸像などを含めて、こうしたタイプの仏像を観ていると、「意図的な霊威表現」なのか「単に粗略で崩れた表現」なのかは、どちらともいえそうにない処が、多々あるように思えます。
また、ウロや節があれば、どのような材のものでも霊木とみてよいのかなと、思ってしまうこともあります。

こうした像から感じる、迫力や、霊威性といったものは、「現代人の現代の眼」から見た魅力や惹かれるものに過ぎないんじゃないかという気がするときもあります。
制作当時の造形意識や制作意図を考察し、それに迫っていくというのは、なかなか難しそうですね。

でも、こうした像には、我々が拝すると、惹きつけられるものや、迫力を感じる像がいくつかあるのは事実で。
そこに仏像探訪の魅力があるように思えますし、また訪ねてしまいます。

今年もよろしくお願いします。

管理人

  • 2016/01/01(金) 09:00:36 |
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  • 神奈川仏教文化研究所 #-
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