観仏日々帖

高見徹さん を 偲んで

神奈川仏教文化研究所ホームページ管理人・高見徹さんは、昨年(2011)5月、急逝されました。
未だ61歳の早世でありました。


高見徹さん、彼と初めて出会ったのは私が大学2年の時、昭和45年(1970)のことでした。
「古寺探訪同好会」という大学のクラブに、一年後輩として入会してきたのです。
当時、彼は、古寺古仏探訪にも興味関心を持っていましたが、テニス同好会にも所属、そちらにも熱が入っていました。
結構イケメンで、ギターの弾き語りでカレッジフォークを切々と歌い上げ、いわゆるもてるタイプで、マルチに大学生活を楽しんでいたのではなかったでしょうか。

「同好会」では、地元関西在住の地の利を活かし、奈良・京都の有名どころの仏像を見て回り、仏像彫刻の美しさや魅力に惹きつけられて、仏教彫刻史についての本も読みかじるといった処ではありましたが、お互いに、さほどは仏像探訪に熱が入るということではありませんでした。


工学部・理系で、仏像一本やりでもなんでもなかった彼を、「仏像の世界」に決定的に引き込んだのは、昭和46年夏に共に出かけた、東北仏像探訪旅行でありました。

「生きている仏像たち~日本彫刻風土論」生きている仏像たち

丸山尚一著の、この本が出たのが昭和45年11月。
この本が、我々の地方仏との初めての出会いです。
奈良・京都の中央仏しか知らない我々には、ここに綴られた地方仏の世界は、新鮮な感動でした。
「地方佛の魅力に直接ふれてみたい、風土と共に生きる仏像に、出会ってみたい」
「夏休みに、東北仏像探訪にみんなで行ってみようか」
金は無いけれど、ヒマだけはある学生の身。貧乏旅行ながら、初めての地方仏行脚に5~6人で出かけたのでした。


岩手・水沢の片田舎にある「黒石寺・薬師如来像」を訪ねました。
黒石寺薬師如来像一日数本しかバスがない辺鄙な処、夕刻に着いて、その晩は黒石寺の檀家総代のお宅に、ごろ寝で宿泊。
翌朝、朝露に濡れた境内に朝陽が燦々と降り注ぐ中、薬師如来像を拝しました。

貞観4年(862)の銘のある、平安初期佛。
その魁偉な異貌から発する「強烈なインパクト・オーラ」は、今もこの眼に焼きつき忘れられません。

この時の、心揺さぶられた鮮烈な感動。
彼が、仏像の持つ魅力にとりつかれ、ライフワークにまで転じていった、「心の原点」になっているのではないかと思います。



そして、仏像の世界に決定的にのめり込んでいくことになったのは、同じその年の秋に東京国立博物館で開催された、「平安彫刻展」でありました。平安彫刻展

全国各地から平安彫刻の名品・優品が集められ、今でも歴史的展覧会と語り継がれる、画期的展覧会でした。
入口・第一室には四国・正花寺菩薩立像、庄部落菩薩立像、会津・勝常寺薬師三尊像、三重・慈恩寺薬師立像、佐渡・国分寺薬師坐像などが展示されていました。
会場に入った途端に、想定外の迫力に圧倒され、思わず後ずさりしそうになってしまったことは、今でも鮮烈に記憶に残っています。
彼(我々)は、「平安(前期)彫刻の魅力」の虜になってしまったと、云ってよいのかもしれません。

それからは、休暇の度毎に、四国路、山陽路、山陰路、九州路等々と、全国各地の地方平安仏を訪ねて廻りました。
廻れば廻るほど、益々、仏像の世界に惹き込まれていったのではないでしょうか。


そして卒業、社会人。
一年先に会社員となった私は、仕事に追いまくられ、仏像探訪に時間を割く心の余裕は全く無し。
それから30年ほどは、仏像探訪とは全く縁のない生活を過ごすことになってしまいました。
たまの休日に神田神保町へ出かけ、仏像の本を買うことだけが、仏像の世界にかろうじて心を繋ぎとめる最後の砦、といった処であったでしょうか。

翌年、企業人となった彼は、情けない私とは大違い。
仕事の世界も、趣味・ライフワークの仏像の世界にも、全力投球で取り組むという人生となりました。
川尻さんとの出会いがありました。
川尻裕治氏は、東京寧楽会主宰、神奈川仏教文化研究所所長を務められている仁。
関東古寺の仏像
彼は、関西から上京後まもなく、東京寧楽会20周年行事として刊行された本「関東古寺の仏像」(芸艸堂刊)を見て、自ら寧楽会の門を叩いたそうです。それからは、川尻氏の右腕として、寧楽会主力メンバーとしての活躍が始まり、その縁で、仏教彫刻史研究の第一人者、久野健先生との交流も始まります。
寧楽会の活動を中心に、日本全国各地の仏像探訪だけでなく、韓国・中国などへも、忙しい仕事の合間を縫って、頑張って出かけていたようです。


そして、何よりも特筆しなければならないことは、
この「神奈川仏教文化研究所」のホームページを、ここまで充実したものに、育て上げ、創り上げたことでありましょう。
彼が、このホームページを立ち上げたのは、平成11年(1999)のことでありました。
独力で、細々と立ち上がったホームページは、それから10年余、その内容の多彩さ、充実度では、仏像専門HPの中でも有数の有力サイトに成長しました。
仏像愛好家にとってみれば、なくてはならないHPといっても過言ではないと思います。
その多彩なコンテンツのほとんど全部を、彼一人で創り上げてきたのですから、その大変さと努力たるや並大抵のものではなかったのではないかと思います。
近年は、HPの運営更新、内容充実に、多くのエネルギーをかけ愛情を注いでいました。

もう一つ、アマチュア仏教美術愛好家とは、とても言えないほどの玄人はだしの専門的レベルの知識を有していましたので、共著とはいうものの、何冊もの執筆本を出版したことは、大いに記憶にとどめておかなければなりません。

彼が分担執筆した本は、次のとおりです。
*秘められた百寺百仏の旅  久野健監修  里文出版刊  昭和55年
*仏像鑑賞の旅       久野健編   里文出版刊  昭和56年
*古寺散策         川尻祐治著  里文出版刊  昭和58年
*小百科 彫刻       久野健鑑修  近藤出版刊  昭和60年
*東京近郊仏像めぐり               学研刊    平成21年
*鎌倉仏像めぐり                 学研刊    平成22年

高見執筆本

        
9年ほど前、十数年ぶりという久し振りで、彼と飲む機会がありました。
当然に仏像談義となり、彼から
「ホームページに何か書いて載せてみませんか?最近は少しはヒマになったのでしょう、頼みますよ」
と持ちかけられ、
「こんなロートルの出る幕じゃないと思うけど、記事の埋め草替わりで良かったら」
と書き始めたのが「埃まみれの書棚から~古寺古仏の本~」の連載でありました。
それ以来、私も、時間にも少々余裕が出来たこともあり、学生の頃に還ったように、彼と各地の仏像探訪や秘仏開帳に出かけたり、仏像同好の士との交遊の場にも参画するようになりました。
仕事々々で、全くご無沙汰であった私を、仏像愛好の世界に引き戻してくれ、仏像への情熱を少しばかり蘇らせてくれたのも、彼のお蔭でありました。

彼は、ここ1~2年、地方仏行脚や秘仏開帳などに、良くそこまで頑張るなと思うほどに、精力的に出かけていました。
一昨年には、2度目の中国石窟仏探訪((龍門・鞏県石窟)の旅にもでかけました。
なにやら「見るべき仏像は、絶対見逃すまい」という、気迫・執念のようなものを感じました。
年齢とともに、仕事以外に割ける時間的余裕が出てきたこともあるでしょう。
ただ彼には持病があり、最近年一回は検査入院もしていましたので、元気に動き回れるうちに、
[見たい仏像を、見残すことが無いように]との思いでいるのでは?
なにやら、彼は生き急いでいるのではないか?
ふと、そんな気持ちがよぎるようになったことは、事実でした。
そんな気がかりが、現実になってしまったことは、本当に哀しいことです。

最後に彼に会ったのは、昨年の4月30日、東京国立博物館でありました。
「4月半ばに入ってから、ちょっと体調がすぐれないので、病院にいるけれども、すぐに回復する予定、5月には身内と奈良旅行をするので段取り中」
という話でありました。
ところが、博物館に来た時には、ご子息兄弟が一緒に付き添ってこられ、薬の影響か、ふらつくようで少々痛々しい有様には、びっくりさせられました。

彼がなんとしても観たかったのは、岡山・大賀島寺の千手観音像でした。
大賀島寺千手観音像
この仏像は、その存在が世に知られるようになったのは、数年前のことでした。
平安前期・9世紀の名品、素晴らしい仏像であることが仏教芸術誌に紹介されました。
ところが、33年に一度開扉の絶対秘仏で、出版物にも写真がほとんど載っていない仏像です。
5年ほど前、彼と岡山方面に仏像探訪旅行に行ったときに、「ダメもと」でこの仏像のある大雄山山頂まで行ったのですが、当然に秘仏で拝観を断られて、閉じられた厨子を、恨めし気に眺めた思い出があります。
発見されたのを機に、昨年、一気に重要文化財に指定されることになり、指定に際し二週間に限り、博物館で展観されることになったのです。
ここで観るのを逸すると、向こう十数年、観ることはかなわないことになる仏像です。
彼は、私へのメールで、
「これだけは這ってでもいきたいと思っています。体調との相談ですが,何とかしたいと思っています。」
と送信してきました。

当日、博物館での彼の姿には、本当に心配になりましたが、
私は、彼が最後に「大賀島寺の千手観音像」を眼前に、自分の眼で見ることができて、それで逝ったということは、
彼の仏像人生にとって見れば、きっと「本望」であったのではなかったかと思っております。

まさかそののち10日余で、逝ってしまうとは、想像もつかず、あまりにも突然の哀しみに茫然としてしまいました。
葬儀には、会場に長い行列を成すほどに数多くの方々が参列され、彼の交友関係の広さ、良き人柄を、今更ながらに思い起こさせるものでありました。
謙虚で、誰からも好かれ親しまれ、頼りにされる人柄の人でした。
気さくに、面倒なことでも何でも労を惜しまず引き受けてくれる人でした。
一家の長として、企業人として心より惜しまれる人でありますが、仏教美術愛好の仲間の人々、縁のあった人々からも、本当にその早世を惜しまれる人です。

神奈川仏教文化研究所のホームページは、彼の最も愛着のあった遺産であったと思います。
拙い私ではありますが、このホームページを維持、継続することで、彼の「仏像愛好への思い」を受け継いでいくことになればと、念じております。


朝田 純一 記


コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

  • 2017/04/27(木) 17:24:38 |
  • |
  • #
  • [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://kanagawabunkaken.blog.fc2.com/tb.php/1-ca9404c3
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)