観仏日々帖

トピックス~想定外の興味深い仏像に沢山出会った「京博の仏像展示」  【2017.4.27】


【「海北友松展」を目指して、京博へ】


4月の中旬、京都国立博物館に「海北友松展」を観に行ってきました。

海北友松展ポスター

特別展主催者の意気込みの凄さが、直に伝わってくるような、充実した展覧会でした。

私は絵画の世界は何もわからなくて、
海北友松と云えば、「桃山時代画壇の巨匠?」ということ以上のことは全く知らなかったのですが、
その作品を眼前にして、「海北友松」という人の絵の素晴らしさを実感し、じっくり堪能してきました。

展示作品は、描かれた「線の強さ、厳しさ」に凄みを感じましたし、圧倒的な気迫や静かな緊張感を感じさせるもので、強く惹かれるものがあります。
当時では老境の60歳を過ぎてから、狩野派から独立し、初めて「海北友松」の名前が世に出るようになったいうことも知りませんでした。
よくぞこの高齢で、これだけの気迫と強さがこもった絵を描くことが出来たものだと、驚きと感動が込み上げてきた次第です。

満足、納得の素晴らしい「海北友松展」でした。



【想定外の沢山の興味深い仏像に出会い、ビックリ!】


今回の「海北友松展」は、普段平常陳列にあてられている平成知新館が会場となっていましたので、仏像の展示も無しということなのかと思っていましたら、仏像だけが1Fに展示されていました。

海北友松展の会場となった京博・平成知新館
海北友松展の会場の京博・平成知新館
通常、平常陳列の会場となっています


「海北友松展」を目当てに出かけたので、仏像については全く頭になかったのですが、特別展の隅で、小さくなっている「平常陳列の仏像」をのぞいてみると、

「これまた、ビックリ!」
でした。
私にとっては、興味深い仏像が、想定外に沢山並んでいたのでした。

ちょっと、ご紹介しておきたいと思います。

展示仏像のなかで、私の眼を惹いたのは、ご覧のような仏像です。

京博仏像展示のなかで、私の眼を惹いた仏像



【十数年ぶりの出会いとなった、二つの木心乾漆像~高山寺、神護寺の薬師坐像】


何といっても、一番の注目仏像だったのは、二つの木心乾漆像でした。
高山寺と神護寺の薬師如来坐像です。

本当に、久しぶりに見ることが出来ました。
この前に観たのは、いつ頃のことだったでしょうか?
少なくとも、ここ十数年はご無沙汰で、もっと間が空いているような気もします。

2躯共、京博に寄託されており、たまには展示されてるはずなのですが、
私には永らくのご無沙汰で、
「オー!出ているじゃないか!」
嬉しくなってしまいました。

共に天平末~平安初の木心乾漆像なのですが、意外に広くは、知られていないのではないかと思います。



【亀岡・金輪寺伝来の高山寺薬師坐像~脇侍は東博と東京藝大に】


高山寺の薬師坐像は、もともと丹波国神尾山金輪寺(現亀岡市)の本尊であったものが、故あって高山寺に移されたものと伝えられています。
そして、本像の両脇侍も現存しており、日光菩薩は東京国立博物館、破損している月光菩薩は東京芸術大学の所蔵となっています。

高山寺・薬師如来坐像
高山寺・薬師如来坐像(木心乾漆・天平末)

東京藝大美術館蔵・月光菩薩像~高山寺旧蔵東京国立博物館蔵・日光菩薩像~高山寺旧蔵
(左)東京藝大美術館蔵・月光菩薩像、(右)東京国立博物館蔵・日光菩薩像~共に高山寺旧蔵


両脇侍が、寺外に出たいきさつは、詳しく調べたことがないのでよく判りませんが、明治期のことであったのでしょう。

半月ほど前に、東京国立博物館に寄った時に、丁度、この日光菩薩像が展示されており、観てきたところでした。
天平末期の乾漆像にしては、キリリと引き締まった覇気のようなものを感じさせるところがある、立派な像です。

一度、三尊揃って、展示されるのを見てみたいものです。



【乾漆なのに、アクの強さに惹きつけられる神護寺薬師如来坐像】


もう一つの木心乾漆像は、神護寺の薬師如来坐像です。

神護寺・薬師如来坐像
神護寺・薬師如来坐像(木心乾漆・天平末~平安初期)


神護寺・薬師如来と云えば、ほとんどの人が、あの厳しい表情の一木彫立像のことだと思ってしまうのですが、実は乾漆の坐像もあり、京博に寄託されているのです。
この坐像の方の薬師如来像も、なかなか見どころのある魅力的な像なのです。

一見して、アクの強い個性的な表現の像です。
アンバランスなほどに大きく見開いた眼、大きな耳は、異貌というムードを醸し出しています。

神護寺・薬師如来坐像
神護寺・薬師如来坐像~顔部

抑揚豊かな衣文の表現も、粘りが強く、ちょっとくどいともいえるような感じがします。
何やら、呪術的な精神性が、籠められているようです。
木心乾漆像でありながら、このクセの強さ、洗練されていない迫力が、この像の魅力なのだと思います。

この異貌の顔の表現、見かけたことのない風貌です。
よく考えてみると、どこかで似たような雰囲気の像を見たことがあるなという気がしてきました。
去年見た、香雪美術館蔵の薬師如来像のことを思い出しました。

香雪美術館・薬師如来像
香雪美術館・薬師如来像~顔部

この像もアクが強くクセのある像です。
香雪美術館像の方は、随分田舎風で、出来の良さのレベルも随分と違いますので、較べてみるのも如何かと思うのですが、

「大きく見開いた眼、異様に大きく湾曲した耳、異国的風貌」

など、どこか似たような空気感というか、雰囲気を感じてしまいました。



【現在の、個性的な姿のなかに、埋め込まれていた天平風の乾漆像】


神護寺の薬師像は、実は、制作プロセスが、特異な像でもあるのです。
X線で透視撮影してみた処、この像の内部に、穏やかな天平風の木心乾漆像が埋め込まれていることが判明しました。

内に籠められた当初像は、体部の厚みも薄く、顔面シルエットからは、高山寺・薬師像、聖林寺・十一面観音像などと共通する造形感覚が想起されるものでした。
現在の像からは、一回り二回り小さな華奢な造形となっていました。

現存像は、その上から、ものすごく分厚く木屎漆を盛り付けて、古い乾漆像を芯にして、全く新しい乾漆像を盛り上げ成形したものとなっていたのです。
この際に、現在の、平安初期的要素の強い、アクとボリューム感のある表現に変えられたのでした。
この像を調査した本間紀夫氏は、当初像と表面像の間にさほどの年代差はなく、延暦期の近辺20~30年の範囲ではないかと述べています。

何故に、このように造り替えられたのかは、よく判りません。
神護寺の前身、高雄山寺ゆかりの像かもしれないとの見方もあるようです。

いずれにせよ、この神護寺・薬師坐像は、大変興味深い像です。
また、強烈な個性に、私は惹かれるものを感じています。
この像に偶々出会えて、想定外の歓びでした。



【「観仏日々帖」ご紹介の、魅力ある像にも出会う~阿弥陀寺・薬師像、般若寺・十一面観音像】


この他にも、いくつか、私の注目仏像が、展示されていました。

城陽市枇杷庄にある阿弥陀寺の薬師如来像が、出陳されていました。

阿弥陀寺・薬師如来像
阿弥陀寺・薬師如来像

1メートル弱の檀像風素木一木彫像ですが、その迫力は満点です。

「怖い顔、鋭い彫り口、発散する気、威圧する霊気」

こんなキーワードはあてはまる、平安初期彫像です。

阿弥陀寺・薬師如来像
威圧するように怖い顔貌の阿弥陀寺・薬師如来像

「木塊が、霊威を以て迫りくる」
こんな感じが受けるのです。

私が、強く惹かれるものを感じる一木彫像の一つです。
この観仏日々帖「京都府城陽市・阿弥陀寺の薬師如来立像」で、ご紹介したことがありますので、ご覧いただければと思います。


同じく、観仏日々帖「右京区嵯峨樒原高見町・般若寺の十一面観音像」京のかくれ仏探訪② で、ご紹介した仏像も出陳されていました。

般若寺・十一面観音像
般若寺・十一面観音像

この像も、たまに京博に出陳されるようなのですが、ちょうど運良く、出会うことが出来ました。

愛宕山の向こうの村落、右京区嵯峨樒原高見町という処にある平安古仏です。
愛宕山中の、凄い九十九折の怖くなるほどの山道を車で走って、やっと般若寺にたどり着いて、この像を拝したことを懐かしく思い出してしまいました。



【初めて知った、妙傳寺・十一面観音像(重文・平安中期)~古代朝鮮金銅仏発見でニュースになったお寺】


はじめて見たというか、その存在さえ知らなかったのが、左京区八瀬近衛町にある妙傳寺の十一面観音像です。

北区八瀬近衛町にある妙傳寺
北区八瀬近衛町にある妙傳寺

等身ぐらいの平安中期の木彫像です。
重要文化財に指定されているのですが、全く知りませんでした。
解説キャプションには、平安中期の代表的作例である遍照寺・十一面観音像に通じるものがある作風と書いてありました。
後世の手が入っているところもありそうですが、たしかに穏やかな平安中期風の木彫像です。

手元の資料を見てみたのですが、写真さえ見つけ出すことが出来ませんでした。
昭和年代の重要文化財リストには上がっていないようですので、平成になってから重文指定を受けた像なのでしょうか?

妙傳寺と云えば、今年の1月、

「朝鮮渡来、小金銅仏の発見~従来模古作とされていた半跏思惟像」

ということで、NHKニュースや新聞で大きく採り上げられた、あの妙傳寺です。

ニュースで話題になった妙傳寺・半跏思惟金銅仏像
ニュースで話題になった妙傳寺・半跏思惟金銅仏像

観仏日々帖でも「模古作とされていた京都妙傳寺の小金銅仏、実は古代朝鮮仏と判明?」で、紹介させていただきました。

「あの妙傳寺に、こんな重文指定の立派な平安中期仏像があったのだ。」

と、妙なところで感心してしまいました。



【妙傳寺・十一面観音像についての、追加の挿入です~2017.05.13】



この「観仏日々帖」にコメントをお寄せいただき、この平安中期の仏像のことが、はっきりしました。
この像は、従来「八瀬文化財保存会の十一面観音像」と云われていたものだとのご指摘、ご教示をいただきました。

「そうだったのか!」

と、膝を打つというよりは、

「この像が、八瀬文化財保存会・十一面観音像であることが、どうしてわからなかったんだろう?」

と、なんとも情けないというか、恥ずかしいというのが、偽らざるところです。

ご覧のとおりの仏像です。

妙傳寺(八瀬文化財保存会)・十一面観音像

妙傳寺(八瀬文化財保存会)・十一面観音像
妙傳寺(八瀬文化財保存会)・十一面観音像

この「八瀬文化財保存会・十一面観音像」なら、これまで、この京博の仏像陳列に展示されているのを、何度も、観たことがあるのです。

掛けて加えて、この前の回の観仏日々帖「三重県津市・光善寺の薬師三尊像の御開帳」で、この像の写真まで掲載して、

「六波羅蜜寺・十一面観音(951)⇒⇒⇒遍照寺(989)、八瀬文化財保存会・十一面観音という和様化流れの中にある像と位置づける、ということか・・・・」

と、書いたばかりなのでした。
遍照寺十一面観音像と並んで、平安中期観音像の典型例の一つとして知られている仏像なのです。


展示されていた「妙傳寺」十一面観音というのは、「八瀬文化財保存会」十一面観音のことだったのでした。
近年、所蔵者が「妙傳寺」に変わったということなのでしょうか?
以前は、「八瀬文化財保存会」として、展示されていたように思うのですが・・・・・・・
「妙傳寺所蔵」ということになったのだとしたら、その事情などについては、よく判りません。

それにしても、
「所蔵者名のキャプションが変わっただけで、展示されている仏像そのものが、何度も観た仏像なのかどうか、判らなくなってしまった。」
という訳です。

「自分の仏像を見る眼は、何だったのだろうか?」

と、つくづく情けなくなってしまいました。


ついでという訳ではないのですが、
この妙傳寺(八瀬文化財保存会)・十一面観音像のことについて、ちょっとだけ、ふれておきます。

この像は、昭和55~58年に行われた、京都市内の文化財集中地区総合調査の際、昭和56年(1981)に、その存在が確認されたものです。
長らく、八瀬の念仏堂と呼ばれる小堂に安置されていた像だそうです。
調査により、10世紀後半、平安中期の貴重な作例であることが判り、昭和59年(1984)、重要文化財に指定されました。

以来、京都国立博物館に寄託され、平常陳列に折々出展されている像という訳です。

そんな、何度も観た仏像を眼の前にして、所蔵者名が違っただけで、
「写真すら見つからなかった」
などと、思い込んでしまった次第です。


何卒、ご容赦ください。




【ほかにも興味深い仏像が、いろいろ出展】


これ以上、一つひとつご紹介するのは、長く、くどくなるのでもうやめておきます。


最近、京博にいつも展示されていますが、今年、新国宝に指定された、金剛寺の巨大な大日如来像、不動明王像。

新国宝になった金剛寺・大日如来像
新国宝になった金剛寺・大日如来像~金剛寺草創期1180前後の作

新国宝になった金剛寺・不動明王像
新国宝になった金剛寺・不動明王像~天福2年(1234)行快作


かつて北区・常楽院の所蔵で、新聞ダネになったような事件を経て、平成22年(2010)に文化庁が買い上げた、清凉寺式釈迦像。

文化庁・清凉寺式釈迦如来像~常楽院旧蔵
文化庁・清凉寺式釈迦如来像~常楽院旧蔵


普段なかなかお目にかからない、大原草生町保存会の藤原風の薬師如来坐像。

大原草生町保存会・薬師如来像
大原草生町保存会・薬師如来像


いつみても、鎌倉時代の檀像風彫刻の精緻さが美しい勝龍寺の十一面観音像。

勝龍寺・十一面観音像
勝龍寺・十一面観音像


こんなところが、眼を惹いた仏像でした。



「海北友松展」目当てで出かけた京博で、頭に全くなかった興味深い仏像に沢山出会えることとなりました。

いつも頻度多く、京博の仏像展示をご覧になっている方には、さほどに新顔仏像の登場という感はなく、また折々の顔見世という感じではなかったかと思うのですが、
私にとっては、本当に久方ぶりの、高山寺、神護寺の薬師坐像との再会とか、観仏日々帖で採り上げたいくつかの「見どころあるあるかくれ仏」の展示など、想定外に、嬉しく収穫のある「仏像展示」でした。


これらの仏像に、ご興味を感じられた方は、是非、海北友松展とともにご覧になってみることを、お薦めします。


「海北友松展」も、ご紹介の「仏像展示」も、5月21日までです。


古仏探訪~三重県津市・光善寺の薬師三尊像の御開帳  【2017.4.14】


【年に一日限りの光善寺薬師像ご開帳に、日帰り観仏へ】


三重県津市片田薬王寺町にある、光善寺・薬師三尊像のご開帳に行ってきました。

「津市の仏像」という津市教育委員会から出された本の表紙を飾っている仏像です。

「津市の仏像」表紙の光善寺・薬師如来像

光善寺・薬師如来像~「津市の仏像」所載写真
光善寺・薬師如来像~「津市の仏像」所載写真

この写真を見てしまうと、
「これは放っておくわけにはいかない」
という気持ちになってしまいます。

一見しただけで、出来の良い、魅力ある像だと確信しました。
是非とも、一度拝したいと思っていた、平安古仏なのです。

この仏像、かつて、四日市市立博物館で、2003年に開催された「仏像東漸展」に出展されたことがあるのですが、私はこの展覧会に行けなくて、見逃してしまいました。

三重の仏像は、何度か巡ったのですが、この光善寺・薬師三尊像だけは、毎年4月に、一日だけのご開帳となっており、未だに拝する機会がありませんでした。
以前に、拝観のお願いをしたこともあるのですが、ご開帳日以外は、一切開扉していないということで、叶わなかったのです。
いずれ、ご開帳日に狙いを定めて、行くしかないと思っていたのですが、ついに今年、思い切って出かけてみる気になったのでした

ご開帳日は、4月1日(土)でした。
以前は、4月8日と定められていたのですが、近年、4月の第一土曜日のご開帳に改められ、今年は4月1日がその日にあたります。



【村の人々の手で、大切にお守りされている光善寺・薬師三尊像】


横浜方面から、光善寺を目指して、日帰り観仏です。
光善寺は、津駅から車で西へ20分ぐらい行った処、片田薬王寺町という処にありました。
まさに片田舎の鄙なる村落という風景です。

光善寺はすぐに見つかりましたが、そこにお祀りされているのではなく、近くの小高い山腹に建てられた収蔵庫に安置されているようです。

光善寺
光善寺

この薬師三尊像は、片田薬王寺(廃絶)の本尊と伝えられ、今は、光善寺の管理ということになっているのですが、実際には、村落の人々の手で管理され守られているのだということです。

常夜灯を目印に、細い坂道を登っていくと、収蔵庫と集会所のような建物が見えてきます。

収蔵庫への登り口の常夜灯
収蔵庫への登り口の常夜灯

収蔵庫へ向かう登り坂の細道
収蔵庫へ向かう登り坂の細道

この場所に、片田薬王寺があったと伝えられているとのことです。

丁度、お昼頃に伺ったのですが、収蔵庫が開かれており、地元の方が2~3人詰めていらっしゃいました。

光善寺・薬師三尊像が祀られる収蔵庫
光善寺・薬師三尊像が祀られる収蔵庫

ご開帳の儀式のようなものがあって、多くの人がお参りされているのかと思ったら、とりわけ荘厳されているわけでもなく、あっさりとした御開帳です。
拝観は、私だけでした。
その後。パラリパラリと数人が見えましたが、まさに地元の方々の手で、ひっそりとお守りされている薬師様という様子でした。



【想定外に、おだやかな印象を受ける薬師如来像】


真正面に薬師如来像の姿が目に入ってきました。
像高は96.9センチで、ほぼ等身という処です。

収蔵庫内の光善寺・薬師三尊像
収蔵庫内に祀られる光善寺・薬師三尊像

目に映った、第一印象は、
「まろやか! おだやか! バランス良いまとまり!」
意外にも、こんなキーワードが頭に浮かんできました。

光善寺・薬師如来像

光善寺・薬師如来像
光善寺・薬師如来像


「ボリューム感あふれる迫力、パワフルな重厚感」

こんな先入観のイメージを頭に描いて、光善寺を訪ねたのです。
ちょっと遠目から拝すると、

「どっしり感はあるが、出来の良い、美しくおだやかな仏像」

そんな感じを受けるのです。

本で見ると、側面からや、斜めからの写真を観ると、分厚い体奥が際立って、すごいボリューム感ある仏像、塊量的な迫力あふれる仏像だな、という印象でした。

塊量的ボリューム感を感じる光善寺・薬師如来像の斜めからの写真

塊量的ボリューム感を感じる光善寺・薬師如来像の側面からの写真
塊量的ボリューム感を感じる光善寺・薬師如来像の斜め、側面からの写真

きっと、実物の薬師像を直に拝すると、もっともっとはち切れるボリューム感やインパクトを感じるに違いないと思い込んでいたのでした。

薬師像との出会いの第一印象は、私の勝手な思い込みが外れて、ちょっと拍子抜けというのが、率直な処でしょうか?



【眼近に拝すると、やっぱり凄い、胸厚やふくらはぎのボリューム感】


さて、薬師像の近くによって、じっくりしっかり拝観です。

近づいて観れば観るほど、たしかな造形力を備えた、腕のある仏師の手になるのが間違いない、出来の良い優作です。
一つひとつの造形表現も、良く出来ていますし、全体のバランスも見事にとれています。
奈良京都の中央にあっても、おかしくないレベルの仏像だと思いました。

そして、感じるのが、はち切れそうなボリューム感やたくましさです。
正面から拝すると、そんな感じはしないのですが、近づいて斜めから見ると、強くそのように感じるのです。
まず目につくのが、肩から胸にかけての逞しさです。

光善寺・薬師如来像~逞しく厚みのある肩から胸の造形
光善寺・薬師如来像~逞しく厚みのある肩から胸の造形

胸の厚みは凄くて、胸板のボリューム感は、並みのものではありません。
結構圧倒されてしまいます。
平安前期そのものといっても過言ではありません。

もう一つ、眼を惹くのが、ふくらはぎの造形です。

光善寺・薬師如来像~はち切れる弾力感のふくらはぎの造形

光善寺・薬師如来像~はち切れる弾力感のふくらはぎの造形
光善寺・薬師如来像~逞しく厚みのある肩から胸の造形

アスリートの、パンパンの凄いふくらはぎという感じなのです。
はち切れんばかりで弾力感あふれ、極めて魅力的、惹きつけられるものがあります。



【平安前期の塊量感と、中期のおだやかさが、ミスマッチに同居する薬師像】


胸厚やふくらはぎの造形感覚をみていると、

「厳しくオーラのある顔貌をしているに違いない。
衣文の彫は深くて、鋭く鎬立っているのに違いない。」

このように思うのですが、
実際は、お顔の表情は、まろやかで穏やか、衣文の彫も浅めで整っているのです。

光善寺・薬師如来像~穏やかな顔・浅めの衣文
光善寺・薬師如来像~穏やかな顔・浅めの衣文

平安前期のパワフルなボリューム感と、中期以降の穏やかさ、まろやかさが同居したミスマッチ感を強く感じる仏像です。

このあたりの特徴について、赤川一博氏は、このように述べています。

「幅、奥行ともに、たっぷりとした塊のような体躯をもつ堂々とした三尊像である。
・・・・・・・・・
はみ出すような肉取りをもっ堂々とした像であるが、既に異相や渦文の呪術的強さが消え、歯切れのよい強さを求めるより重々しさへの噌好が支配的となる。
・・・・・・・・・・
中尊の細かい螺髪、浅く美しく整えられた衣文などは比較的和様化が進んだ要素と見られ、本像の特色である重厚さも、はちきれるような肉身の張りを伴うものではない。
さらに、中尊には、面貌の穏やかさや、耳の平やかな表現など所々に時代の降る要素が見られる。」
(「津市の仏像~津市仏像悉皆調査報告書」津市教育委員会編・2004年3月刊)

制作年代について、赤川氏は、

「仏像東漸展」図録解説では
「9世紀の形式を残しつつも、10世紀に入ってからの作か。」
「津市の仏像」解説では、
「本像の制作は10世紀後半と考えられよう。」
と、述べられています。

いずれにせよ、平安前期の塊量的な造形から、和様化していく過渡期的な仏像とみられているようです。

私の受けた印象も、そのとおりですが、大変出来の良い魅力的な優作であることに間違いありません。
わざわざ、ご開帳日に、日帰りで拝しに来た値打ち十分、という仏像でした。


中尊、薬師如来像の両脇には、日光・月光菩薩像が祀られています。
像高は、107㎝です。

光善寺・薬師三尊月光菩薩像....光善寺・薬師三尊日光菩薩像
光善寺・薬師三尊~(左)月光菩薩像、(右)日光菩薩像

光善寺・薬師三尊日光菩薩像..光善寺・薬師三尊日光菩薩像
光善寺・薬師三尊日光菩薩像

日光・月光菩薩像と薬師像は、わずかに雰囲気が違うというか、手が違うような感じがします。
重量感はあるのですが、薬師像より、より大人しく、おだやかかで優しい印象が漂っています。
また技量的にも、薬師像の見事な腕前には、ちょっと追い付いていないようです。
制作時期が違うのかという疑問もあるようですが、三尊一具で、造形の違いは担当仏師の資質、表現の差とみられているようです。



【六波羅蜜寺・十一面観音像以降の和様化の流れの中に位置づけられる像?】


光善寺・薬師三尊像は、平安彫刻史の流れの中で、どのように位置づけられているのでしょうか。
赤川一博氏は、

「本三尊像に共通する時代感覚は、京都市六波羅蜜寺木造十一面観音菩薩立像(951年) 辺りから顕著になる和様化の流れの中で考えることができ、特に両脇侍像は仏師康尚周辺の作と指摘されている京都市遍照寺十一面観音菩薩立像や八瀬文化財保存会十一面観音菩薩立像(ともに10世紀末)などに近いことが注目される。
さらに、檜を主材とする点などとともに、本像の制作は10世紀後半と考えられよう。

本三尊像は、作域の優秀さもさることながら、古像の堂々とした重厚感から学んだ威厳を中尊に、当時流行しつつあった軽やかで浮遊するかのような最新の表現を両脇侍に使い分けて、如来と菩薩の尊格の違いを表現するところも見所の一つである。」
(「津市の仏像~津市仏像悉皆調査報告書」津市教育委員会編・2004年3月刊)

このように述べて、この仏像の和様化の過渡期的性格と、三尊の造形表現の違いについて説明しています。

六波羅蜜寺・十一面観音像
六波羅蜜寺・十一面観音像

遍照寺・十一面観音菩薩像..八瀬文化財保存会・十一面観音菩薩像
(左)遍照寺・十一面観音菩薩像、(右)八瀬文化財保存会・十一面観音菩薩像


「なるほど」
「六波羅蜜寺・十一面観音(951)⇒⇒⇒遍照寺(989)、八瀬文化財保存会・十一面観音という和様化流れの中にある像と位置づける、ということか・・・・」

と、それなりに納得しつつ、

「ウーン、光善寺像には、もうちょっと重厚感、重量感があるような気がするけれども・・・・」

そのように感じました。



【光善寺像に感じる、六波羅蜜寺像のおだやかさの一歩手前の重量感】


私個人の、素人の印象でしかないのですが、
光善寺・薬師如来像と六波羅蜜寺・十一面観音像を比べると、六波羅蜜寺像の方が、全体的にも、お顔の表情も、かなりおだやか、和やかになっているように感じます。

光善寺・薬師如来像~顔部.六波羅蜜寺・十一面観音像~顔部
(左)光善寺・薬師如来像、(右)六波羅蜜寺・十一面観音像~顔部

何よりも、光善寺像のボリューム感、塊量感の表現は、六波羅蜜寺像とは、かなり違っているように思えます。
尊格が違うものの、側面からの写真を見ると、その感を強くします。

光善寺・薬師如来像~側面.六波羅蜜寺・十一面観音像~側面
(左)光善寺・薬師如来像、(右)六波羅蜜寺・十一面観音像~側面

光善寺像には、肉体の重厚感を主張し、まだまだ塊量感へのこだわりを感じますし、六波羅蜜寺像には、肉身のマイルドな軽みを指向して行こうとする造形感を感じます。
両像には、ちょっと差があるように感じました。

脇侍の日光、月光像の方が、遍照寺、八瀬文化財保存会十一面観音像などの造形感に近いような気もしましたが、それでも、重量感という意味では、光善寺菩薩像の方が重々しいように見えるというのが率直な印象でした。

遍照寺・十一面観音像
遍照寺・十一面観音像


実際に制作された年代の話は別にしたとして、造形感覚という目で見ると、

「光善寺像の方が、六波羅蜜寺⇒⇒遍照寺、八瀬文化財保存会という流れの像よりも、一歩手前の時期に位置づけられてもいいのかな?」

「六波羅蜜寺像以下が、平安中期の穏やかさ、和様化表現の中心にあるとすると、そこへたどり着く直前ぐらいの感じがするのかな?」

そんな感じが、しました、
素人の独善的、個人的感想という処でしょうか?


もう一つ、材質、構造面で興味深いことがあります。
光善寺・薬師如来像は、内刳りのある一木造りなのですが、用いている用材が、体幹部はヒノキ、膝前部はカヤと、別々の樹種を用いているのです。
日光・月光像は、ヒノキ一木彫で、内刳りはされていません。
このことの、意味するところなどは、よく判らないのですが、ちょっとお知らせしておきます。



お堂を守られている地元の方の、いろいろな話をお聞きしながら、ゆっくり薬師三尊像を拝させているうちに、お昼も過ぎて、パラついていた雨も上がって、晴れてきました。
お堂から見晴るかす村落の様子は、のどかそのものです。

光善寺・収蔵庫から見晴るかす村落の風景
光善寺・収蔵庫から見晴るかす村落の風景

素晴らしい薬師三尊像が、この静かな村落で、地元の人々の手で、ずっと大切に守られていってほしいものと念じながら、急坂を下ってお堂を後にしました。

思い切って三重まで日帰り観仏に来た甲斐のある、魅力ある見事な仏像に出会うことが出来ました。





【追記】~いただいたコメントへのご参考写真

光善寺・薬師像が結跏しているかどうかについての、コメントをいただきました。
ご参考までに、向かって左からの写真から見た写真を、掲載させていただきます


光善寺・薬師如来像~左側からの脚部写真

光善寺・薬師如来像~左側からの脚部写真
光善寺・薬師如来像~向かって左上側からの脚部写真
結跏はしていないような感じに見えます