観仏日々帖

トピックス~模古作とされていた京都妙傳寺の小金銅仏、実は古代朝鮮仏と判明? 【2017.1.21】


【夜7時NHKニュースで、「古代朝鮮仏発見?」の報道にビックリ!】


正月気分もまだ明けない1月7日、夜7時のNHKテレビのニュースで、こんなニュースが報道されました。

ニュースの見出しは、

「小さな寺の仏像 実は朝鮮半島伝来の貴重な仏像か」

というテロップです。

妙傳寺・半跏思惟像
妙傳寺・半跏思惟像


【TVニュースでの報道内容は?】


アナウンサーの方は、このように語っていました。

京都市の小さな寺にある、江戸時代のものと思われていた仏像が、実は、仏教が日本に伝来して間もない頃に朝鮮半島で作られた極めて貴重な仏像の可能性が高いことが、大阪大学などによる最新の調査でわかりました。
専門家は
「こうした貴重な文化財は、ほかにも埋もれている可能性がある」
と指摘しています。

京都市左京区八瀬近衛町にある「妙傳寺」では、「半跏思惟像」という高さおよそ50センチの青銅製の仏像が本尊として安置されていて、これまでは、寺が建てられたのと同じ江戸時代のものと思われていました。

京都八瀬の妙傳寺
京都市左京区八瀬の妙傳寺

この仏像について、大阪大学や東京国立博物館の研究者が改めて鑑定したところ、額に刻まれた模様や装飾品の龍のデザインなどが6世紀から7世紀ごろに朝鮮半島で作られた仏像や出土品の特徴と一致していました。
さらに、仏像にX線を当てて金属の成分を詳しく調べた結果、銅がおよそ90%、スズがおよそ10%で鉛はほとんど含まれていませんでした。
こうした割合は日本や中国の仏像にはなく、7世紀ごろに朝鮮半島で作られた仏像である可能性が極めて高いことがわかったということです。

この時代は、日本に仏教が伝わってまもない時期に当たりますが、この仏像がどういう経緯でこの寺に伝わったかはわかっていません。

調査に当たった大阪大学の藤岡穣教授は、
「韓国では国宝級となる最高レベルの仏像で、こうした仏像が見つかったことは大きな意味がある。
ほかにも、埋もれている貴重な文化財がまだまだ見つかる可能性があり、価値に気付かれないまま盗難などの被害に遭う前に、調査が進んでほしい」
と話しています。


その後の話を要約すると

古代朝鮮仏と判断される決め手となったのは、非破壊・非接触の「蛍光X線分析」による、金属組成分析の積み重ねの成果であったこと。
仏像は、盗難の恐れがあるため、3Dスキャナーによって模造を制作しこれをお寺に安置、実物は博物館で保管されることになった。

との説明がされていました。


なんと、ゴールデンタイム、NHKの7時のニュースに、5分近くの長い時間を割いて、この仏像の発見ニュースが流されたのです。
ご覧になった方も、たくさんいらっしゃるのではないかと思います。

妙傳寺・半跏思惟像
妙傳寺・半跏思惟像

私は、大阪大学の藤岡穰氏が、1年ほど前に、論文やシンポジウムで、

「この仏像は、模古作といわれていたが、科学的分析等によると古代朝鮮仏であるとみられる。」

という考えを発表されていたことを、たまたま知っていましたので、

「あの話が、TVニュースで、こんなに大きく採り上げられたのか!」

と思いましたが、採り上げ方の大きさにビックリしてしまいました。



【新聞各紙も、X線分析で「7世紀の渡来仏発見か?」と、大きく報道】


このNHKニュースから1週間ほど後、今度は、新聞各紙が、記事に大きく採り上げて、一斉に報道されました。

このような見出しでした。

「7世紀に朝鮮半島で制作か 京都・妙伝寺の仏像、X線で成分分析」 (産経新聞)

「本尊は国宝級渡来仏…7世紀に朝鮮半島で製作か」 (毎日新聞)

「『江戸期』実は7世紀の渡来仏? 京都の半跏思惟像X線分析」 (朝日新聞)


朝日新聞の記事をご紹介すると、次のようなものです。

妙傳寺・半跏思惟像の発見を伝える朝日新聞記事
妙傳寺・半跏像の発見を伝える朝日新聞記事
京都市左京区八瀬近衛町の妙伝寺の本尊で、江戸時代の制作とされてきた「半跏思惟像」(高さ約50センチ)が、仏教伝来から間もない7世紀ごろに朝鮮半島で作られた金銅仏である可能性が高いと13日、調査した大阪大の藤岡穣教授(54)=東洋美術史=が発表した。

この時代の渡来仏は全国的にも数が少ないといい、
「装飾も精巧で、朝鮮半島から伝来したものだろう。貴重な仏像だ」
と話している。

藤岡教授の鑑定によると、仏像の額に水平に刻まれた毛筋や装飾品の竜のデザインなどが、6~7世紀ごろに朝鮮半島で作られた仏像の特徴とよく似ていたという。
また、仏像にX線を当てて金属の成分を調べる「蛍光X線分析」では、銅が約86%、錫が約10%だった。日本や中国の仏像に比べて錫が多い組成から、7世紀ごろ朝鮮半島で制作された可能性が高いとみている。

蛍光X線分析には従来、大型機器が必要だったが、藤岡教授らはヘアドライヤーほどの大きさまで小型化。
これまでに日本国内や中国、韓国などの古い仏像約400体を調査した。

妙伝寺は寺伝によれば、江戸初期の1616年創建。
そのため、この仏像もこの頃の制作と考えられていた。

今回の調査結果を受け、3Dプリンターで仏像のレプリカを制作。
実物は博物館に寄託し、レプリカを寺に安置するという。
寺は天皇の大礼や大喪の時などに輿を担いだ八瀬童子の菩提寺として知られる。
(朝日新聞、1月14日付け朝刊)


妙傳寺・半跏思惟像~頭部
妙伝寺本尊の半跏思惟像
髪を中央で二つに分け、額にそわせているのは、
6~7世紀の朝鮮で作られた仏像の特徴に共通しているという


妙傳寺・半跏思惟像~顔部
耳たぶの先端に切れ込みが入っているのは
5世紀ごろのインドの仏像などに類例があるという


妙傳寺・半跏思惟像~脚部模様
脚部中央のとぐろを巻く竜文飾りは、
6~7世紀の朝鮮の作例に共通した特徴だという


新聞各紙にこれほど大きな記事で報道されて、またまたビックリです。
仏像愛好の方々の間では、しばらく、この話題で盛り上がるのかなという感じです。

金銅仏は、博物館に預けられるという話ですが、大津市歴史博物館で保管されるようで、10月7日~11月19日に、同博物館で展示されるということです。

皆さん、この金銅仏の写真をご覧になって、どのように感じられたでしょうか?

「江戸時代の模古作? 7世紀の古代朝鮮仏?」

如何でしょうか?



【一昨年、展示会に出展され、シンポジウムで研究成果が発表されていた、妙傳寺・半跏思惟像】


実は、この妙傳寺の金銅仏は、一昨年、2015年10~12月に、大阪大学総合学術博物館で開催された
企画展「金銅仏きらきらし―いにしえの技にせまる―」
に展示されました。

金銅仏きらきらし展ポスター
「金銅仏きらきらし展」ポスター

また、同時に開催された
「国際シンポジウム~金銅仏の制作技法の謎にせまる」
における、藤岡穣氏の講演「東アジア金銅仏の蛍光X線分析からわかること」で採り上げられ、

「7世紀の古代朝鮮金銅仏であると考えられる」

という説明が、なされていました。

その研究成果が、今般、大々的にマスコミ発表されたということなのだと思います。


私は、この展覧会とシンポジウムに興味がありましたので、丁度関西へ行くタイミングを合わせて、出かけてみました。
その時に、この金銅仏の実物を、眼近に観たのですが、素人には、

「模古作、古代朝鮮仏?何とも、よくわからない! どちらと云われても、そうなのかな?」

というのが、正直な実感でした。



【近年、金銅仏の金属組成調査に目覚ましい成果を生んでいる、蛍光X線分析】


藤岡穰氏
藤岡穰氏
新聞報道にもあるように、藤岡穣氏は、近年、蛍光X線分析により、金銅仏の金属組成の調査研究に取り組まれています。
これまでに日本国内や中国、韓国など仏像、約400体を調査したそうです。

蛍光X線分析というのは、非破壊、非接触で、対象物の素材の元素組成を測定分析する方法です。
対象物にX線を照射、そこから発生する蛍光X線を測定し、対象物がどの元素で構成されているかを分析するもので、近年、測定機器装置が格段に進歩し、金銅仏調査などにめざましい成果を生んでいるものです。

藤岡氏は、金銅仏の時代様式、形式からの研究に加えて、金属組成分析結果のアプローチからの研究を、併せて行うことによって、新たな視点で制作年代の判定などを論じられています。

私には、科学的分析云々などということは、難し過ぎて、全くわからないのですが、藤岡氏等により、従来、模古作と考えられていた金銅仏が、古い時代に遡るものと考えられるなどの研究成果が、いくつか発表されていますので、シンポジウムでの講演内容なども含めて、ちょっとだけご紹介しておきたいと思います。

金銅仏の金属組成ですが、銅の他には、主として錫、鉛が含まれるそうです。
他にも、鉄、亜鉛、ヒ素も含まれる場合があるそうです。
シンポジウムでの講演では、時代別また日本、韓国、中国では、ご覧のような特徴があるとのことでした。

金銅仏の金属組成の特徴表



【妙傳寺像が朝鮮古代金銅仏と判断されたポイント】


マスコミで報道された、妙傳寺の半跏像は、銅が約90%、錫が約10%の組成となっています。
藤岡氏は、妙傳寺の如意輪観音半跏像について、このように述べています。

妙傳寺・半跏思惟像~側面
妙傳寺・半跏思惟像~側面
「さまざまな金銅仏について蛍光X線分析を実施したところ、日本の飛鳥時代の作例の場合は原則的に錫の合有率が低く、また、奈良時代以降は次第に鉛の含有率が増加する傾向があることがわかつてきた。

そうした原則ないし傾向に照らすならば、本像の青銅には1割程度の錫が含まれることから飛鳥時代のものとは考えられず、また鉛をほとんど含まないとから平安後期以降の制作になる蓋然性も低いと思われる。

また、朝鮮三国の金銅仏にも本像のように薄手で像内がやや荒れた作例が見出されることは前述のとおりである。

そして、そうであるならば、特徴的な細部形式にいずれも中国や朝鮮半島の作例との類似が認められ、逆にそれがほとんど日本の作例にはみられないことを顧慮すれば、日本の中近世における模像、復古像となるよりも、やはり素直に渡来仏とみるべきであろう。」


この文章は、

「京都某寺と兵庫・慶雲寺の半枷思惟像」(藤岡穰) 美術フォーラム21第32号2015.11.30

という論文で、述べられているものです。

京都某寺というのは、妙傳寺のことです。
論文と展示会では、盗難リスクへの配慮からか「某寺」と表示されていました。
今般、「妙傳寺」であることが、明らかになったものです。

本論文では、単に、金属組成分析の観点だけではなく、詳細な様式、形式の検討の上、

「百済以来の伝統を色濃く伝えた新羅造像である蓋然性が高い」

と述べられています。



【続々と、新たな研究成果が発表されている、金銅仏の蛍光X線分析】


また、この論文では、鎌倉以降の擬古作とか、真贋についての議論もあった、兵庫・慶雲寺の半跏思惟像も、その金属組成、様式等から、朝鮮三国時代、7世紀以降の制作の可能性について論ぜられています。

兵庫慶雲寺・半跏思惟像
兵庫慶雲寺・半跏思惟像


この他にも、近年の、藤岡氏による金銅仏の蛍光X線分析による、新たな研究の見方を、いくつかご紹介すると、次のようなものがあります。

これまで平安~鎌倉時代以降の模古作とみられていた、安養寺の金銅仏・如来立像については、
その組成が純銅に近いことなどから、

「大阪大学の藤岡穣教授が蛍光X線分析を行ったところ、素材については、白鳳時代から天平時代に制作されたと考えて矛盾が無い。」
(「カミとほとけの姿展・図録解説」岡山県立博物館2016.10)

との見方がなされています。

岡山安養寺・如来立像.岡山安養寺・如来立像
岡山安養寺・如来立像


近代の擬古作の疑いがあるという疑問が出された、野中寺の弥勒菩薩半跏像については、
その金属組成(銅:90%、錫3%、鉛をほとんど含まない)からも、日本の古代金銅仏として許容範囲にある(「野中寺弥勒像について~蛍光X線分析調査を踏まえて」ミューゼアム649号2014.4)と述べられています。

野中寺・半跏弥勒像
野中寺・半跏弥勒像


殆どが鎌倉時代以降の補作で、当初部分がごくわずかしか残されていないとされている飛鳥大仏についても、
顔面部分のほとんどは7世紀造立当初のものと見られるとの調査結果を発表し、新聞記事に大きく採り上げられたりしました。

飛鳥寺・飛鳥大仏(釈迦如来像)
飛鳥寺・飛鳥大仏(釈迦如来像)

飛鳥大仏の顔部造立時のものを伝える読売新聞記事

飛鳥大仏の顔部造立時のものを伝える読売新聞記事
「飛鳥大仏の顔部造立時のもの」との研究成果を報ずる読売新聞記事(2016.11.11付)


このように、蛍光X線分析による、金銅仏の金属組成の科学的分析の研究は、金銅仏の制作年代判定に、従来の見方を大きく覆す、新たな視点を提供しているようです。


科学的分析結果を横に置いておいて、これらの仏像の姿を観た感じの私の印象についていえば、妙傳寺の半跏思惟像、慶雲寺の半跏思惟像、安養寺の如来立像などのフィーリングは、平安鎌倉以降の模古的、擬古的な像と云われると、正直な処そのように感じるというのも本音です。

「7世紀前後の制作」といわれると、うまく説明はできないのですが、微妙にしっくりこない感じもしないわけではありません。

なんとなく、既成概念にとらわれた見方になってしまっているということなのでしょうか?


科学的分析の研究が一層進展すれば、従来の常識が、大きく覆されるようなビックリの研究成果が、これからいろいろ判明していくのかもしれません。


マスコミに大きく採り上げられた「妙傳寺の半跏思惟像は、古代朝鮮仏」という話を、ご紹介しつつ、最近の蛍光X線分析による科学的調査研究などについてふれてみようと思って書き始めたのですが、
何ともとりとめのない支離滅裂な話になってしまいました。


自分でも、何を書いているのか、訳が分からなくなってしまったというのが実感ですが、「新発見の古代朝鮮仏の紹介記事」ということで、お赦しいただければと思います。


古仏探訪~2016年・今年の観仏を振り返って〈その4〉10~12月 【2017.1.7】


明けましておめでとうございます。
「観仏日々帖」、今年もよろしくお願いいたします。


年越しになってしまった、去年からの「今年の観仏を振り返って」は、〈その4〉、10~12月の観仏のご紹介です。


[10月]

広島、尾道方面の観仏に、同好の方々と、1泊2日で出かけました。

尾道浄土寺の秘仏本尊・十一面観音像の御開帳と、同じく尾道向島の西堤寺の2躯の聖観音像の御開帳の日に照準を合わせて、いくつかの仏像を訪ねる観仏旅行です。



【岡山県博「カミとほとけの姿展」へ
~際立つ魅力の明王寺・観音菩薩像と、ユーモラスな巨像、勇山寺・不動三尊像】


尾道へ到着の前に、まず、岡山で途中下車。
岡山県立博物館で開催された「カミとほとけの姿~岡山の信仰文化とその背景~展」を、観に行きました。

岡山県博「カミとほとけの姿」ポスター

この展覧会は、岡山に伝わる神像と仏像などにより信仰文化を紹介するという、展覧会です。
展覧会には、64件・147点(うち重要文化財6件)が出展されていました。

県指定文化財以上の出展仏像と、私の注目仏像は、ご覧のとおりです。

観仏先リスト01「岡山県博・カミとほとけ展」

この展覧会の、目玉で注目像は、なんといっても明王寺の観音菩薩像でした。

明王寺・十一面観音像
明王寺・十一面観音像

10世紀前半は下らないといわれる平安前期の優作です。
カヤ材の一木彫で、蓮肉まで一木で彫り出されています。
明王寺を訪れ拝したことがありますが、なかなかの魅力的な像で、しっかりと記憶に残っています。
今回の、展覧会出展仏像のなかでも、その出来の良さは際立って、眼を惹くものでした。
お顔と上半身は比較的穏やかさがあるのですが、下半身の衣の表現は、ダイナミックで躍動感あふれるものがあり、平安前期彫刻の魅力を発散させていました。

明王寺・観音菩薩像については、神奈川仏教文化研究所HP「貞観の息吹~明王寺・聖観音像」でも、ご紹介させていただいています。


一度は拝したいと思っていながらも、未見だったのは、勇山寺・不動明王二童子像でした。
像高183㎝という、巨像の不動明王坐像です。

勇山寺・不動明王三尊像
勇山寺・不動明王三尊像

中国山地の真ん中、美作・真庭にあるのですが、なかなか不便なところで訪ねる機会がなかったのです。
デカくて、量感たっぷりなのですが、田舎風で何ともユーモラスな不動明王です。
10世紀の制作だそうです。

勇山寺・不動明王像顔部
勇山寺・不動明王像顔部

類例のないような、諧謔、怪異な容貌は、なかなか面白いものでした。


最後に、気になったのが、安養寺の小金銅仏、如来立像です。
安養寺・如来立像
安養寺・如来立像

解説には、
この金銅仏は、これまで、平安~鎌倉時代に古仏をまねて作った「模古作」という説が有力だったそうなのですが、
「大阪大学の藤岡穣教授が蛍光X線分析を行ったところ、素材については、白鳳時代から天平時代に制作されたと考えて矛盾が無いと報告された。」
ということで、
「白鳳~天平時代(7~8世紀)の制作」と、記されていました。

その気になってじっくり見てみました。
私には、難しいことはよく判りませんが、形式や全体の雰囲気は「平安期以降の模古作」という方が、シックリくるような気がしました。
これからの、調査研究の進展がたのしみです。



午前中に、岡山県博を後にして、三原駅へ。
午後からは、次の諸仏の観仏探訪に巡りました。

観仏先リスト02「善根寺・文裁寺・田辺寺」


【壮観の平安古仏群、善根寺~地元保存会の人々の手で守られる】


まずは、三原市街から西へ6キロぐらいの処、小坂町にある善根寺を訪ねました。

善根寺・収蔵庫
善根寺・収蔵庫

善根寺収蔵庫には、主として平安時代の古仏が、28躯も残され、うち22躯が文化財指定を受け入ています。
朽損している破損仏的なものもありますが、これだけの平安古仏群が、一堂に林立しているありさまは壮観です。

善根寺・収蔵庫内の古仏群
善根寺・収蔵庫内の古仏群

善根寺近傍の古仏が、ここに集められたのかもしれません。
善根寺は無住ですが、地元の善根寺保存会の方々によって、大切に守られてきています。

善根寺で、一番、知られている仏像は、日光、月光菩薩立像で、県指定文化財に指定されています。

善根寺・日光菩薩像善根寺・月光菩薩像
善根寺・日光月光菩薩像

2015年刊の「三原の仏像展」図録では、9~10世紀の制作とされています。
「そこまで古いのかな?」
という感じもしますが、これら古仏群の中では、一番出来の良い平安古仏です。


私の眼を惹き付けたのは、ご覧の天部形像(市指定文化財)です。

善根寺・天部像
善根寺・天部像

相当朽ちてはいるのですが、なかなかパワフルな造形です。
蓮肉まで共木という古様な構造で、堂内の像の中では、一番、気というかオーラを発しているように感じました。
こちらも9~10世紀の制作とされていますが、日光月光像よりも、古様で迫力があるようです。

いずれにせよ、よくこれだけの古仏群が、現在まで、守られてきたものです。
私は、3度目の善根寺訪問となりますが、いつ訪ねても、これらの古仏を大切にお守りしてきた土地の人々の信仰に、想いを致さずにはいられません。

善根寺古仏群については、神奈川仏教文化研究所HP
神奈川仏教文化研究所HP「辺境の仏たち~広島・善根寺の平安仏」でも、紹介させていただいています。



【重厚感ある力強さ、迫力に惹きつけられる、文裁寺・十一面観音像】


世羅郡甲山町の文裁寺、3年前、2013年にも訪ねたのですが、また、来てしまいました。
こちらの十一面観音像の素晴らしさには、何度拝しても、魅せられてしまいます。

文裁寺・十一面観音像文裁寺・十一面観音像
文裁寺・十一面観音像

これぞ貞観仏という、重厚感あふれる力強い造形です。

「上唇と突き出した厳つい顔貌、太い首、いかり肩、ずんぐりとした体つき、鋭利な衣文」

そのどれもが、強烈なインパクトで、拝する者の心を惹き付けます。
平安前期、バリバリの9世紀の一木彫そのものといってよいでしょう。
これだけの存在感のある像が、中国山地のど真ん中、世羅郡の地に遺されていることに、驚きを禁じ得ません。
今回も、また惚れ込んでしまいました。
是非機会を見つけて、また拝しに訪れたいものです。

文裁寺・十一面観音像については、神奈川仏教文化研究所HP「貞観の息吹~文栽寺・十一面観音立像」でも、紹介させていただいています。



【尾道の夜は、新鮮美味な瀬戸内の魚と、美味しいお酒】


夜は、尾道で、瀬戸内の新鮮な海の幸と、美味い酒。
ご一緒の尾道出身の方のご案内で、商店街の居酒屋「玉扇」へ。

尾道・居酒屋「玉扇」
尾道・居酒屋「玉扇」

「安くて美味い!」というのは、このことを云うのでしょう。
魚は採れ々々の新鮮そのもの、何を食べても活きが良くて申し分なし。
飾らぬ料理で、これこそ、地元に愛される居酒屋です。
お酒も、勢いづいてオーバーランということになってしまいました。



翌日は、ご覧の寺々の観仏に訪れました。

観仏先リスト03「青目寺・浄土寺他」



【奈良様乾漆像の系譜を受け継ぐ、整った姿の日光月光菩薩像~府中山中の青目寺】


青目寺は、尾道から北へ車で40~50分往った、府中市の山の中の辺鄙なところにあります。
普段は無住で、少し離れたところにある西龍寺のご住職が兼任されており、わざわざ収蔵庫を開きにお見えいただきました。

青目寺
青目寺

眼を惹くのは、日光月光菩薩像です。
日光月光の二菩薩像は、薄く木屎漆のモデリングがなされており、一部、乾漆技法が使われているようです。

青目寺・日光月光菩薩像青目寺・日光月光菩薩像
青目寺・日光月光菩薩像

造形表現も、いわゆる奈良様の系譜を受け継ぐようで、温和で落ち着きがあり、なかなか整った像です。
こんな地方の山中にも、平安前期の奈良様を受け継ぐ仏像が残されているというのも、興味深いものがありました。
中尊が残っていないのが、誠に残念で、きっと立派な薬師像であったに違いないと思いました。

もう1躯、聖観音像も祀られてます。

青目寺・聖観音像
青目寺・聖観音像

こちらの方は、お顔にちょっと土臭さを感じるのですが、全体に穏やかで安定感のある造形の像でした。
平安前期の制作ということですが、もう少し下がる時期の像かもしれないような気もしました。



【厳重秘仏、ご開帳の尾道・浄土寺へ~スッキリ端正な藤原風の十一面観音像】


尾道市内まで戻って、浄土寺・十一面観音像の秘仏本尊のご拝観に向かいました。
浄土寺本尊・十一面観音像は、33年に一度の開扉の厳重秘仏です。

今回は、浄土寺・平成の大修理の完了落慶、並びに開創1400年を記念して、特別に、春秋2期間、ご開帳されることになったものです。
開帳期間が比較的長かったこともあるのでしょう、それほどの混雑なしに、近くでゆっくり拝することが出来ました。

浄土寺・十一面観音像浄土寺・十一面観音像
浄土寺・十一面観音像

本像は、多くの解説書が藤原和様のおだやかさと示すとして平安後期の制作としているのですが、広島県教育委員会HP解説では、
「面相は豊満で,体躯は肥大充実し,刀法も鋭く,全身を金色の寂光に包まれた端厳な尊容の像である。
平安時代も初期に近い頃(9世紀)のすぐれた作である。」
と、されています。

実際に拝すると、どんなもんだろうかと、興味深く拝しました。
実見してみて、やはり、「典型的な平安後期の観音菩薩像」という風に納得しました。
お顔が豊満で、姿がスッキリ端正という印象でした。

秘仏本尊のご拝観が目的だったのですが、私には、浄土寺といえば、小津映画の「東京物語のロケ地になったお寺」という方が、心に残っており、懐かしく境内を歩きました。

浄土寺・境内
浄土寺・境内

東京物語は、何度も観たことがあるのですが、原節子と笠智衆が、浄土寺境内で語り合うシーンが印象的でした。



【堂々たる量感と穏やかさをミックスした秀作、西堤寺・観音菩薩像
~年に一日のご開帳に来てみた甲斐あり、大満足】

浄土寺の後は、尾道、向島の西堤寺です。
西堤寺の、観音菩薩像は、なかなか魅力的な平安古仏で、是非とも一度拝したいものと念願していたのですが、年に一度、10月10日のみしか開帳されないので、拝するチャンスがなかったのです。
今回の観仏旅行は、この10月10日に照準を合わせて、尾道にやってきたのでした。

向島は、尾道中心地の向かいにある島なのですが、今は、橋が架かって、車ですぐに行くことが出来ます。
西堤寺は、立派なご本堂があり、その隣の収蔵庫に、2躯の菩薩像が安置されていました。

西堤寺・本堂と収蔵庫
西堤寺・本堂と収蔵庫

大勢という程ではないのですが、拝観の方が何人も見えられていて、我々同様、この日を目指してこられた方がそれなりにいらっしゃるようでした。

この2躯の観音菩薩像は、昭和50年代前後に、新発見された仏像です。

西堤寺・観音菩薩像(10世紀頃)西堤寺・観音菩薩像(11世紀前半)
西堤寺・観音菩薩像~(左)10C頃制作、(右)11C前半制作

それまであった旧本堂を建てかえるために解体したところ、壁の中に隠し部屋があってその中に、2躯の観音像が安置されていたのが発見されたという話です。
発見から程無く、一足飛びに、昭和52年(1977)、国の重要文化財に指定されました。(1躯は付けたり指定)

流石に、発見即重文指定にスピード出世しただけのことがある、見事な仏像です。
カヤ材の一木彫漆箔像です。
堂々たる量感で太造り、一方で穏やかさ柔らかさもみられて、力強さと端麗さの両面を感じる、大変魅力あふれる造形でした。

「わざわざ来てみて、やっぱり良かった。」

という、満足感で一杯になりました。

この像の制作年については、「芸藩通志」に、

「天暦5年(951)作の西堤寺本尊が盗難に遭ったため、治安2年(1022)に仏師定願が一像を造り代わりに安置したが、その後、元の本尊が還った。」

旨の記載があり、両像の作風と、この通史記載の制作年が似つかわしいものであることから、その頃の制作ではないか、とみられているそうです。

西堤寺・観音像については、神奈川仏教文化研究所HP「貞観の息吹~西提寺・聖観音立像」でも、ご紹介させていただいています。

今回の広島方面旅行は、最後の観仏が、大満足の西堤寺・観音像となり、充実気分で帰路につきました。



【秘仏、瑞巌寺五大堂・五大明王像が出展された、「松島瑞巌寺と伊達政宗展」へ】


三井記念美術館で開催された「松島瑞巌寺と伊達政宗展」に行きました。

「松島瑞巌寺と伊達政宗展」ポスター

めざすは、特別出展された、瑞巌寺・五大堂の秘仏「五大明王像」です。

観仏先リスト04「瑞巌寺」

五大堂の「五大明王像」は、厳重な秘仏として守られており、33年に一度の御開帳とされており、次回御開帳は2039年になるのです。
平成6年(1996)に、文化庁によって、発見調査されて、重要文化財指定がされました。
最近、一部の像が宝物館展示されることも、たまにありますが、はじめて、本展覧会に5躯そろって特別出展されることになりました。
これは、何としても、観なければと、出かけたのです。

瑞巌寺五大堂・不動明王像
瑞巌寺五大堂・不動明王像

ケヤキの一木彫、内刳り無し、素朴で粗さのある地方色といったものを感じますが、なかなかの古様で、出来もよく、迫力のある像です。
写真で見ていた時は、さほどのパワーを感じないような印象でしたのですが、予想外の注目像でした。



[11月]


【白鳳観音像の平安模古作、宝塔寺・聖観音像の特別公開情報に五反田へ】


品川区五反田にある宝塔寺・聖観音像を拝しに行きました。

観仏先リスト05「宝塔寺」

11/3~5に品川区指定文化財の一般公開という企画があり、その中に宝塔寺・聖観音像の特別公開という情報があったのです。
区指定の仏像ということで、普通ならこの種のものには出かけないのですが、NET情報によると、「白鳳時代の観音像の、平安後期の模古作」ということです。
ちょっと興味深げなので、宝塔寺まで行ってきました。
宝塔寺は、五反田駅から歩いて5~6分の処にありました。

観音像は、360度ビューで眼前に拝せるようになっていました。

宝塔寺・聖観音像

宝塔寺・聖観音像
宝塔寺・聖観音像

確かに、法隆寺の六観音像を思わせるような、白鳳仏を模した仏像に間違いありません。
山本勉氏による解説資料があり、それによると、ヒノキの寄木造の古色仕上げで、平安後期の白鳳仏模古作として貴重な像である旨、解説されていました。
この像は、近世には大阪にあり、宝塔寺には、二代前のご住職の時に、民間の所有からお寺に入ったものだそうです。

ちょっと、面白い模古作像でした。



【知られざる平安古仏が、想定外にどっさり!~初めての越前観仏旅行へ】


越前地方の観仏旅行に、同好の方々と、2泊3日で出かけました。

福井市立郷土歴史博物館で開催された「福井の仏像展」と併せて、越前方面の観仏に出かけたのです。
福井県の仏像と云えば、小浜方面の若狭の仏像が広く知られているのですが、越前方面の仏像は、あまり知られていないのではと思います。

今回開催された「福井の仏像展~白山を仰ぐ人々と仏たち~」は、越前に遺る見処ある平安古仏のほとんどが出展され、一堂に会するという、大注目の展覧会です。
越前の古仏の全貌を、一気に知ることが出来る、めったにないチャンスです。
見逃すわけにはいきません。



【越前の見処ある平安古仏が勢ぞろい~圧巻の「福井の仏像展」】


初日は、「福井の仏像展」に直行です。

「福井の仏像展」開催中の福井市立郷土歴史博物館
「福井の仏像展」開催中の福井市立郷土歴史博物館

展覧会には、34躯の仏像が出展されていました。
これだけの越前の古仏を一堂に集めるのは、大変ことであったのだろうと思います。
展示仏像の中で、県指定以上の文化財指定仏像は、ご覧のとおりです。

観仏先リスト06「福井の仏像展」

私の注目仏像を、2~3件、一言ご紹介だけしておきます。

展示室正面に大きな五像がドーンと並べられた滝波五智如来堂・五智如来像は、平安後期のいかにも地方作という像でしたが、なかなか眼を惹くものがありました。

滝波五智如来堂・五智如来像
滝波五智如来堂・五智如来像

江戸時代の悪彩色の紙貼りで覆われていたものを、3年がかりで修理修復され、面目を一新したばかりだそうです。



【際立つ存在感、霊的オーラを発する大滝神宮堂・虚空蔵菩薩坐像】


展覧会で、最も注目したのは。大滝神宮堂・虚空蔵菩薩坐像です。

大滝神宮堂・虚空蔵菩薩坐像

大滝神宮堂・虚空蔵菩薩坐像
大滝神宮堂・虚空蔵菩薩坐像

眼光鋭く、厳しく引き締まった表情、胸をグッと張り出し、胴がキュッと引き締められています。
迫力十分で、霊的オーラを発しています。
必見、刮目の平安古仏でした。
この像は、大瀧神社の神宮堂に祀られ、神仏分離以前の大滝寺(現在の大瀧神社)のゆかりの像であったそうです。
展覧会、随一、際立った存在感を感じました。


その他、加多志波神社・聖観音像、八坂神社・十一面女神像なども、神社に祀られる興味深い古像でしたが、キリがなくなるのでこの辺でやめておきます。

加多志波神社・聖観音像八坂神社・十一面女神像
(左)加多志波神社・聖観音像、(右)八坂神社・十一面女神像

越前の平安古仏を、たっぷりと鑑賞することが出来ました。
わざわざ出かけてきた値打ち十分の「福井の仏像展」でした。



【越前の新鮮美味に舌鼓~高価な越前ガニに、腰が引ける】


この日の夜は、福井市内で美味な割烹といわれる「旬味 泰平」へ。

「旬味 泰平」
「旬味 泰平」

流石に、評判の良いだけあって、新鮮、美味な魚介の料理には、十分納得です。
美味かった。
越前ガニ漁が解禁になって数日の処で、とれたての越前ガニもお目当てだったのですが、値段を聞いて、ヒックリ。
メスの小さなセイコ蟹が、一杯5千円です。
オスの越前ガニの値段は、恐ろしくて、聞けませんでした。
折角来たのだからと、セイコ蟹一杯を二人で半分ずつという情けない注文で、ちょっぴり味わいました。
これまた美味かった。


翌日、翌々日は、「福井の仏像展」出展されていない、越前の古仏探訪です。
越前の古仏は、お寺ではなくて、神社に祀られ、地区の管理になっているものが圧倒的に多く、拝観のお願いに、博物館や教育委員会にお世話になるなど、結構苦労しました。
その分、よく知られておらず、奥深いものがあります。

観仏探訪先は、ご覧のとおりです。

観仏先リスト07「福通寺・大谷寺他」



【どうして、越前に純宋風の秀麗像が?~見事な福通寺・正観音像】


朝日観音・福通寺を訪ねました。

朝日観音・福通寺
朝日観音・福通寺

実は、福通寺のご住職は、福井市立郷土歴史博物館の学芸員で、「福井の仏像展」の開催企画、運営を進められている方なのです。
今回の越前の古社寺観仏探訪にあたっては、拝観の御依頼先、ご連絡先等をご教示いただくなど、大変お世話になりました。
福通寺諸仏ご拝観にあたっては、自らご案内、御開扉いただき、またまたお世話になってしまいました。

一番の注目は、正観音像でした。
2メートル近い大きな像で、通常は、秘仏とされています。

福通寺・正観音像福通寺・正観音像
福通寺・正観音像

宋風の匂いがプンプンする造形です。
ご説明によると、
「越前にこんな宋様式を濃厚に表した像は、本像の他にはない。」
そうです。

金沢文庫称名寺の弥勒菩薩像の雰囲気を思い起こさせますし、在地の制作の風ではなく、中央風の造形のように思われます。
どうしてこのような純宋風の像が、越前に残されたのかという造像背景は、よく判らないそうです。
なかなか見事な出来の像で、県指定文化財ではもったいないのかな、という気になりました。

千手堂の千手観音像も、平安前期風の名残を少し残した像ですが、平安末~鎌倉の制作とされているようです。

福通寺・千手観音像(平安末鎌倉)
福通寺・千手観音像(平安末鎌倉)



【不思議な伝統行事~33年に一度、福通寺へ移動する、日吉神社の古仏像】


次に訪ねたのは、日吉神社で、福通寺から1キロぐらいのところにあります。

日吉神社
日吉神社

この日吉神社には、平安時代後期の大日如来像他の諸仏が祀られています。

日吉神社に祀られる大日如来像他諸仏
日吉神社に祀られる大日如来像他諸仏

福通寺とは場所も離れていて、一見無関係のようにみえるのですが、この二つの寺社では、興味深い伝統行事が伝えられています。
33年に一度の、朝日観音・福通寺の秘仏本尊御開帳の時に、日吉神社仏像群が輿や担架に乗せられ、内郡集落の人々によって観音堂まで運ばれ、ゆかりの諸仏が一堂に会するというのです。

33年に一度、福通寺に運ばれる日吉神社の諸像
33年に一度、福通寺に運ばれる日吉神社の諸像

そのような行事が伝えられる事由は、明確ではないようですが、福通寺が日吉神社の神宮寺で、大日如来像は福通寺の旧本尊であったのではないか、とも考えられるかもしれないそうです。


何しろ、越前の古仏は、他の地域と較べて、神社に祀られているものが大変多いのです。
明治の神仏分離の際、
神仏習合の仏像が、破却されず、寺に移されたりせずに、神社に残された。
観音堂・薬師堂のような村堂が、明治時代に神社に衣替えした、または合併した。
等の事由によるようですが、
越前では、後者のケースが多いのだということだそうです。



【現存最古の三所権現・本地仏を、特別拝観~白山信仰へ想いを致した大谷寺】


大谷寺は、泰澄大師の開創と伝えられる、白山信仰、修験の霊場であった古刹です。
大谷寺は、「おおたんじ」と読みます。

大谷寺
大谷寺

大谷寺といえば、神仏習合の本地仏、三所権現像です。
大谷寺・三所権現像は、十一面観音・阿弥陀如来・聖観音の各坐像の一具像です。
白山信仰上の三尊一具の本地仏としては、最古の遺例の古仏で、平安後期の制作です。
この三所権現像は、秘仏として、収蔵庫内に祀られているのですが、お訪ねした処、ご住職の特別のご配意により、拝観することが叶いました。

収蔵庫に並んで祀られる三所権現像は、流石の像でした。
平安後期らしい造形ですが、入念に造られた像であることが伺え、なかなか見事な像です。

収蔵庫に祀られる大谷寺・三所権現像
収蔵庫に祀られる大谷寺・三所権現像

大谷寺三所権現・十一面観音像
大谷寺三所権現・十一面観音像

収蔵庫内には、三所権現像のほかにも、多くの仏像が安置されており、それぞれに興味深い古仏でしたが、此処でふれるのはやめておきます。



【神社に祀られる平安古仏像を巡る~越前に数多い、お社で守られる古仏像】


その他、杉杜神社、十二社、樺八幡神社に祀られる平安古仏を拝しました。
それぞれに、見どころある平安古仏でした。

杉杜神社、十二社は、地区管理の小さなお社で、村人に大切に守られてきた古仏です。
集落と共に在り、土地の人々を守る古仏であることを、実感しました。

十五社
十五社

十五社・大日如来像
十五社・大日如来像

十五社・阿弥陀如来像
十五社・阿弥陀如来像


樺八幡神社は、杉林の中の境内にいつくかの社殿が建ち、静寂荘重な空気感あふれる処でした。

樺八幡神社境内
樺八幡神社境内

樺八幡神社本殿に祀られる、阿弥陀如来像他諸仏
樺八幡神社本殿に祀られる、阿弥陀如来像他諸仏

ご高齢の御宮司さんが、丁寧にお迎えいただき、往時をしのぶ立派な平安古仏を拝することが出来ました。
社殿等には、傷みも目立つようで、これだけの社殿、神域を維持管理するのは、文化財保護予算がままならぬ中で、並大抵のことではないのだろうと察せられました。



【巨大な宗教都市、白山信仰の往時を偲ぶ、平泉寺白山神社へ】


越前観仏旅行のフィナーレは、白山信仰の象徴ともいえる平泉寺白山神社です。

平泉寺は、霊峰白山の越前側の登拝口に位置した山岳寺院で、養老元年(717)に泰澄大師によって開かれたとされます。
古代から中世後期にかけては、白山信仰を背景に強大な宗教勢力を誇りました。

白山連峰を望む
白山連峰を望む

現在では、わずかに往時を偲ぶほどの境内域になっていますが、かつての境内全域は「白山平泉寺旧境内」として国の史跡に指定され、発掘作業などが進められています。



【穏やかな気品漂う、平泉寺観音堂・聖観音像】


平泉寺白山神社を訪ねる前に、近くの観音堂に祀られる、平安後期の聖観音像を拝しました。
平泉寺からちょっと離れた集落の中の小さな観音堂に、ひっそりと祀られていました。

平泉寺・観音堂

平泉寺観音堂・聖観音像
平泉寺観音堂と聖観音像

もともと平泉寺に祀られていた観音像であったとのことで、比叡山横川中堂の聖観音像を思わせる、穏やかで気品漂う、見事な仏像でした。



【幽玄、森厳な霊域、平泉寺白山神社~越前観仏のフィナーレに相応しい、心洗われる空間】


平泉寺白山神社は、まさに、幽玄、森厳な雰囲気、空気感に包まれた場所でした。

平泉寺白山神社

平泉寺白山神社
平泉寺白山神社

鬱蒼と茂る杉林の木立、緑の絨毯が敷かれたような苔むす境内、白山信仰の歴史を感じる石畳の参道、そのなかに佇む社殿、いずれもが、霊域である「静寂」の世界を醸し出しているようでした。
鳥居をくぐったとたんに 霊峰白山を拝する異空間に踏み入ったような気分になってしまいます。
心洗われるものがありました。
一度は訪ねてみたい、また訪ねる値打ちのある、平泉寺白山神社でした。

大満足で充実の越前観仏探訪旅行となりました。
2泊3日で出かけた値打ち十分です。
越前地方の仏像は、さほど知られていませんが、奥深いものがあり、まだまだ未発掘の古仏もあるようです。

ただ一つ残念だったことは、越前を代表するといわれる平安前期の古仏、二上観音堂・十一面観音像を、拝せなかったことです。
厳重な秘仏のため、拝することが叶いません。(展覧会でも、写真展示でした)

二上観音堂・十一面観音像
二上観音堂・十一面観音像

何年先になるのかわかりませんが、御開帳の時には、もう一度、越前観仏に訪ねてきたいものです。



【九品仏浄真寺で開催された、講演会「仏像修理物語」へ】


世田谷の九品仏浄真寺で、「仏像修理物語~九品仏阿弥陀如来坐像修理の実際~」と題する講演会が、11/26に開催されましたので、行ってきました。

観仏先リスト08「浄真寺九品仏」

世田谷区主催の文化講演会で、講師は、現在、九品仏の修理修復にあたっている、美術院西洞院工房長の八坂寿史氏です。
約1時間にわたって、八坂氏から、九品仏の修理修復にあたっての修理技法に関する話、新たに発見されたこと、ご苦労話などなど、熱のこもったお話を、興味深く聴くことが出来ました。

講演会の後、修理のなった中品中生像、修理前の諸像を拝しましたが、こうした貴重な話を聞いた後に拝すると、いつもとは違う、新たなる眼で、奥深く拝することが出来ました。

修理修復成った、浄真寺九品仏・中品中生像
修理修復成った、浄真寺九品仏・中品中生像

浄真寺・九品仏像
浄真寺・九品仏像


[12月]

いよいよ、今年も終わりの師走です。


【ゆっくり、のんびり、京都東山で忘年観仏】


同好の方々と、一年の納めの忘年観仏ということで、京都まで出かけました。

観仏先リスト(同聚院他)

東山方面の古仏などなどを、ゆったりとめぐりました。

同聚院・不動明王像、即成院・二十五菩薩像など、今更、ご紹介するまでもない、大変有名な仏像ばかりです。
私も、何度訪ねたのか、数え切れません。
どちらのお寺も、京都にしては、訪れる人も少なく、ゆっくりと心静かに古仏を拝することが出来、お気に入りの場所です。

同聚院・不動明王像は、藤原道長造営の法性寺の五大堂に安置された像とみられ、仏師・定朝の父か師の康尚の制作であろうといわれています。

同聚院

同聚院・不動明王像
同聚院と不動明王像

像高、2m半余りの丈六坐像で、見上げるばかりの大きさに圧倒されてしまいます。
不動明王像としては、11世紀冒頭の制作らしい、穏やかで落ち着いた造形なのですが、その存在感をひしひしと感じます。
いつ拝しても、なかなか優れた像だという気持ちになります。


夜の忘年会は、京都駅のちょっと南、東寺道のイタリアン「テラス」で。

東寺道・イタリアン「テラス」
東寺道・イタリアン「テラス」

こじんまりした、ちょっとお洒落でカジュアルな、お手軽イタリアンです。
賑やかに、美味しく食べて、ワインも飲み過ぎてしまいました。



【横浜市文化財に新指定という話にビックリ!~松陰寺の小金銅仏、阿弥陀如来像】


師走も半ば、今年の観仏ももうおしまいと思っていたら、横浜市都筑区の横浜市立歴史博物館に、松陰寺の小金銅仏、阿弥陀如来坐像が展示されているという情報を、NETで知りました。

観仏先リスト10「松陰寺」

「平成28年度横浜市指定・登録文化財展」に、新たな市指定文化財として出展されているというのです。

横浜市歴博・新指定文化財展
横浜市歴博・新指定文化財展

松陰寺の古代小金銅仏・阿弥陀像は、それなりに世に知られた像ですので、「横浜市・新指定文化財展」への出展というのは、ちょっとビックリしてしまいました。
昔から重要文化財に指定されていると思い込んでいたのですが、なんと、これまで全くの無指定の小金銅仏像だったのです。

早速、横浜市歴博へ出かけて、じっくり観てきました。

松陰寺・阿弥陀如来像
松陰寺・阿弥陀如来像

戦後すぐ、昭和22年(1947)以来、東博に寄託されています。
これまでの解説では、「奈良時代末期~平安初期の、白鳳小金銅仏の模古的な像」といわれていたのですが、展示解説では、「飛鳥時代後期、8世紀初め頃に作られたと推測される。」とされていました。

私の素人目には、全体の造形感覚、ねっとりとややクセのある衣文などから、奈良時代の中期を遡ることは無いのではなかろうかと、感じました。
松陰寺・阿弥陀如来像、これから指定ランクがどんどんアップしていくのではないかと思います。



【観仏、年納めは東博で~平常展示の、平安前期、東博蔵・天王像に注目】


2016年の観仏納めは、東京国立博物館になりました。
「臨時全国宝物取調局の活動~明治中期の文化財調査」という特集展示が開催されています。
私の、関心興味の大変強いテーマの企画展です。
12/20に、「明治20年代の文化財調査」と題するギャラリートークがありましたので、聴きに出かけました。

ついでに、 特別展「平安の秘仏~滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」も、2度目になりますが、じっくり鑑賞してきました。

いつものことで、1F11室の彫刻の平常陳列にも寄ってみました。
日頃見ない、ちょっと面白い平安古仏が展示されていました。

観仏先リスト11「東博蔵・天王像」

東京国立博物館蔵・天王像

東京国立博物館蔵・天王像
東京国立博物館蔵・天王像

キャプションをみると「天王立像・9~10世紀」と記されていました。
東博所蔵像のようです。
あまり類例の無いような、体躯の造形、面貌の像です。
なかなか、ダイナミックで迫力ある、興味深い一木彫像でした。



ようやく、2016年の観仏、総まくりのご紹介を終えることが出来ました。
なんのかんのといいながら、随分、数多くの観仏に出かけてしまいました。
「飽きもせず!」とは、よく言ったものです。

ダラダラ長々、一年の観仏探訪記録を自己満足的に綴らせていただきました。
辛抱してご覧いただき、ありがとうございました。


今年も、HP「神奈川仏教文化研究所」、ブログ「観仏日々帖」に、気ままな仏像記事を連ねていきたいと思っております。
よろしくお付き合いいただけますよう、お願いいたします。