観仏日々帖

古仏探訪~2015年・今年の観仏を振り返って 〈その4〉  【2015.12.27】


「2015年・今年の観仏を振り返って」の最終回です。

10月から12月までの観仏先を、ご紹介します。


[10月]


【新発見の古仏に興味津々~大津市歴博・比叡山~みほとけの山展】

大津市歴史博物館で開催された「比叡山~みほとけの山展」へ行きました。

「比叡山~みほとけの山展」ポスター
比叡山の仏像と云えば、横川中堂の聖観音像や、檀像風の千手観音像などが思い浮かびますが、今回の展覧会は、比叡山の山麓に伝わる仏像や仏画を中心に、比叡山周辺にスポットがあてられた展覧会でした。
2003年には、この大津歴博で「比叡山麓の仏像展」という興味深い展覧会が開催されましたが、今回の「比叡山~みほとけの山展」も、またまた意欲的な企画展で、逃すわけにはいかないと、勇んで出かけました。

大津市歴史博物館は、三井寺園城寺の隣にあり、出かけるにはちょっと不便なのですが、最近は、なじみの博物館になっています。
近年では、
「比良山麓の文化財展」(2006)、「石山寺と湖南の仏像展」(2008)、「湖都大津 社寺の名宝展」(2009)、「神仏います近江~日吉の神と祭展」(2011)、「三井寺~仏像の美展」(2014)
といった、仏像好きにはこたえられない必見の仏像展が続々と開催されており、都度都度出かけているうちに、すっかり慣れ親しんでしまいました。


今回の「「比叡山~みほとけの山展」も、未見の仏像、見どころある仏像がいくつも出展され、大変興味深い展覧会でした。
多くの出展仏像の中で、私の注目仏像をいくつかご紹介したいと思います。

観仏リスト①「比叡山~みほとけの山展」

松禅院・観音菩薩像(99.3㎝)は、きわめて古様で迫力十分な一木彫像です。
この像は、折々、関連展覧会に展示されていますが、強く惹き付けるものを感じる私の注目仏像です。

松禅院・観音菩薩立像
松禅院・観音菩薩立像

松禅院は、比叡山中横川飯室谷の山中にある山坊で、この像は近年の調査で新たに確認されたものです。

図録解説には、
「本像は円仁が活躍した9世紀前半に造像されたと考えられ、比叡山の中でも屈指の古像ということができます。」
と述べられています。

まさに、同感で、単に古様というのではなく、内から発散する霊力のようなパワーを強く感じさせます。
「市指定文化財」では、勿体ないですね。


伊崎寺・不動明王像、この仏像は、初めて観ると、アクの強さに「ギョ!ギョ!」としてしまいます。

伊崎寺・不動明王坐像
伊崎寺・不動明王坐像

一見、出来が今一歩のように見受けてしまいますが、よく観ると、そんなことはありません。迫
力ある造形でなかなかの腕の手になるようです。
各所にデフォルメの効いた表現は、「インパクトの塊」とでもいうのでしょうか。
2006年に重要文化財に指定されました。
本像は、近江八幡の伊崎寺に、厳重なる秘仏として大切にまつられていましたが、重文に指定されて以降、比叡山国宝殿に安置され、観ることができるようになりました。


西教寺・聖観音像は、皆さんよくご存じの仏像かと思います。

西教寺・聖観音立像
西教寺・聖観音立像

安定感のある穏やかな造形の仏像で、10世紀後半ごろかなという感じです。
普段は拝観できない仏像で、久しぶりのご対面となりました。


さて、今回の本当の注目は、ここからです。

所有者名非公開という菩薩立像。
新発見、初公開の仏像だということです。
像高38.1㎝の小像で、9~10世紀の制作とみられます。

所有者名非公開・菩薩立像
所有者名非公開・菩薩立像

解説には、
「大津市の仰木地区に伝来した菩薩立像で観音像と呼ばれています。
本像は極めて独特な図像と作風を持っています。
・・・・・・
仰木は延暦寺ゆかりの仏像が多く伝来しており、本像もおそらく比叡山に安置されていたことが想像されます。」
と、述べられています。

パッと見ただけで、興味深い仏像だと感じました。
短躯で頭部が大きい檀像風の造形ですが、さほどに細密精緻というわけではありません。
むっちりとした豊かな肉付けは、赤ちゃんの身体や、腕を見ているようです。
お顔は、ほのかにエキゾチックさを漂わせています。

所有者名非公開・菩薩立像.所有者名非公開・菩薩立像
所有者名非公開・菩薩立像

印象的なのは、左肩から右腰にかけての「花をつなげたような飾り」です。
こんなの、見たことありません。
「あの仏像に似ている」というというのも、なかなか思いつきません。
如何なる系譜の仏像なのでしょうか、注目の新発見仏像です。


もう一つ。
大津市・西方寺の十一面観音像(像高54.6㎝)です。

大津市西方寺・十一面観音像
大津市西方寺・十一面観音像

奈良時代の木心乾漆像ということなのです。
この像も、初公開だと思います。
比良山系の打見山の山上にかつてあった、木戸の西方寺に客仏として伝来したとのことです。
近江にもいくつか乾漆像が遺されていますが、また新たなる木心乾漆像の出現となりました。



この日の夜は、お知り合いと京都祇園の「割烹・梅津」で、一杯飲りました。
4~5年前に開店とのことですが、最近評判の店です。
初めて訪れましたが、評判通りの美味で、趣のある良き店でした。

京都祇園「割烹・梅津」
京都祇園「割烹・梅津」



【近江湖南の粒ぞろいの平安古仏との出会いに、大満足】

翌日からは、私が受講しているカルチャーセンターの仏像講座の、観仏旅行でした。
二日間で、ご覧の通りのところに訪れました。

観仏リスト②湖南観仏旅行

湖南の、見どころ充分の平安古仏シリーズです。
皆、何度か訪れたことがある観仏先ではありますが、粒ぞろいの仏像ばかりで、愉しい観仏となりました。

櫟野寺の十一面観音坐像は、何度見ても、一流の仏像ですね。
3mを超える巨像です。

櫟野寺・十一面観音坐像
櫟野寺・十一面観音坐像

安定感、安心感を感じる、どっしり堂々たる体躯で、頼りがいがある印象です。
練達の技の仏師の手になるのでしょう、見事な造形です。

実は、この像は不思議な造り方がされています。
ヒノキの一木造りなのですが、頭体部の丸太状の原木の周りに、十数枚の薄板を桶状に矧ぎつけ、体部の太さを増すようにしているのです。
何かの由緒ある霊木のヒノキ丸太を用いて造られており、その霊木を活かしてつくり上げるために、こんな異色の木寄せを行なわざるを得なかったのだろうといわれています。
当地は、比叡山延暦寺の杣山でした。
そのような重要な場所であったからこそ、このような霊木を用いた、一流の仏像が作られたのでしょうか。

一つ耳寄りな情報です。
櫟野寺の本堂兼収蔵庫が修理されることになり、その修理中に櫟野寺の仏像が全部東京へやってくるのです。
東京国立博物館で、特別展「平安の秘仏~滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」が、来年(2016)9月13日~12月11日に開催される予定とのことです。
必見の楽しみな展覧会です。


大岡寺の薬師如来像は、不思議なパワーで我々を惹き付けます。

大岡寺・薬師如来坐像
大岡寺・薬師如来坐像

平安前中期の制作とされています。
「分厚い、デフォルメ、量感」そんな言葉を、そのまま当て嵌めたような造形です。
ちょっとアンバランスな「下手上手(ヘタウマ)」という感じの像ですが、マッチョな体躯が力感ある迫力を発散しています。
膝前までカヤの一木から彫り出しており、その分、窮屈な感じだと言わざるを得ませんが、そうした造り方をしているのも、この像が椿神社の本地仏であったことを考え合わせると、「神宿る霊木」を以って造られたのかもしれません。
私のお気に入りの仏像です。


次は、蓮長寺の十一面観音像。
キュッと、強く腰をひねった、美麗な観音様です。

蓮長寺・十一面観音立像
蓮長寺・十一面観音立像

この観音像は、井上靖著の小説「星と祭」で採り上げられてから、有名になりました。
ご存じのとおり、この物語の中では、近江の十数ヶ寺の十一面観音と主人公との出会いが、情感をこめて描かれています。
その中に、蓮長寺の十一面観音像が登場するのです。

「厨子の中から現れてきたものは、思い切って大きく腰を捻った観音さまだった。
胸も、腰も、肉付きはゆたかで、目も、鼻も、口許も、彫りは深くはっきりしていた。
姿態も、表情も、できるだけ単純化してあり、その点いかにも余分なところは棄ててしまったといった観音様だった。」

「星と祭」には、このように描かれています。
お姿を拝すると、だれもが好きになってしまう、美しい観音様です。


翌日は、金勝寺、永昌寺、善水寺を訪れました。

金勝寺は、「深山幽谷に静かに佇む、秘かなる寺」です。

霊気が立ち込めているような金勝寺・参道
霊気立ち込めるような金勝寺・参道

参道は、連なる緑濃き杉の大樹かこまれ、苔むす自然石の石段が続きます。
吸い込まれるように漂う自然の霊気が、あたりに立ち込めているような気がします。
そして、二月堂と呼ばれる小堂に、どっかと立つ巨像、軍荼利明王像を拝すれば、山岳信仰の持つ神秘の力を、肌で感じます。

金勝寺二月堂に祀られる軍荼利明王立像
金勝寺二月堂に祀られる軍荼利明王立像

3m余の巨像です。
見上げると、強烈な迫力で眼前に迫ってきます。
でかいのです。
そして得もいわれぬ、奇怪で異様なパワーを発散してきます。
軍荼利像のオーラに、ノックアウトされてしまうのです。

金勝寺・軍荼利明王立像
金勝寺・軍荼利明王立像

金勝寺の魅力を味わうには、境内の漂う深山の霊気に触れ、この軍荼利明王像を眼の当たりにすれば、もうそれで十分と云っても過言ではありません。


永昌寺の地蔵菩薩像は、平安前期仏像の余風を残しながら、大変美しく仕上げられた地蔵像です。

永昌寺・地蔵菩薩立像..善水寺・帝釈天立像
永昌寺・地蔵菩薩立像(左)と、作風が似通る善水寺・帝釈天立像(右)

穏やかさの中にも、彫技の冴えを感じさせる、すっきりと整った像です。
善水寺の梵天、帝釈天と作風が似通っており、10世紀末ごろの作と云われています。


最後は善水寺。

善水寺本堂
善水寺本堂

ご本尊、薬師三尊像は秘仏で拝することができませんでしたが、本堂内に林立する平安中期古仏の諸像を、ゆっくり愉しむことができました。



[11月]

韓国に、出かけました。

韓国国立中央博物館「古代仏教彫刻大展」ポスター
ソウルにある国立中央博物館で、「古代仏教彫刻大展」が開催されているのです。
この展覧会には、韓国、アメリカ、ヨーロッパ、日本、中国の18機関が持っている古代の仏教彫刻の名品200点余りが展示されるというのです。
これだけの中国、朝鮮、日本を中心とした古代仏像を、一堂に観ることが出来、仏像様式の伝播を考えることが出来る展覧会は、そうあるものではないということでした。

とはいっても海外の展覧会、関心はあるものの、わざわざ出かけたいというほどでもなかったのです。
同好の方から、是非行こうと誘われ、ご一緒するかと、思い切って出掛けたのでした。

2泊3日で出かけました。
1日は百済の石仏を観て、もう1日は「古代仏教彫刻大展」を見るというプランです。


【百済を代表する古代石仏を巡り、百済経由の仏像様式伝播に想いを致す】

百済の石仏は、ご覧のところを巡りました。

観仏リスト③韓国百済方面磨崖仏

昔、慶州に行って、石窟庵など新羅の仏像を観たことはあったのですが、百済を訪れたことはありませんでした。

瑞山の磨崖三尊仏は、古代朝鮮仏の本には、必ず写真が載っている磨崖仏です。
一度観てみたいと思っていたものです。
この磨崖三尊像が、文化財調査により世に知られることになったのは、1959年のことだそうです。
西暦600年頃、三国末葉の百済時代のものとされています。
丸顔で、パッチリ見開いた眼と微笑みが印象的です。

瑞山・磨崖三尊仏像

瑞山・磨崖三尊仏.瑞山・磨崖三尊仏像~中尊顔部
瑞山・磨崖三尊仏像

山の中腹のようなところにありますが、大変きれいに整備されています。
訪れる人も結構多いようで、この日も、学生さんが大勢仏像の前で説明に聞き入っていました。


次は、泰安磨崖三尊仏です。
この磨崖仏を調査し、世に知らしめたのは、韓国の仏教美術史学者・黄寿永氏でした。
1961年のことということです。
この像もまた、西暦600年頃の制作とみられています。

泰安・磨崖三尊仏像
泰安・磨崖三尊仏像

丸彫りに近いように掘り出されていますが、破損、損耗が進んで、随分やつれてしまっていて、克明な像容を伺うことのできないのは残念です。
斜めの方から観てみると、そのシルエットを偲ぶことが出来ます。
土地の人々からは、熱い信仰を受けているようで、この日も三尊像の前で、伏して祈る女性の姿がありました。

泰安・磨崖三尊仏像~斜めから見たシルエット..泰安・磨崖三尊仏像に伏して祈る女性
泰安・磨崖仏像~斜めから見たシルエットと仏像に伏して祈る女性


もう一つ、礼山花田里・四面石仏を訪れました。
この石仏が発見されたのは、1983年のことです。
横転して地中に埋もれていたようで、発掘調査により四面石仏であったことが確認されたということです。
破損が随分激しいのが残念ですが、古い年代に造られたであろうことは、私にも感じとれます。

礼山花田里・四面石仏

礼山花田里・四面石仏
礼山花田里・四面石仏

瑞山、泰安の磨崖石仏より古い時期に制作とみられており、遅くとも7世紀には下らないとみられているようです。

私は、百済の石仏などについては、知識が乏しく、皆目わからないので、ただただ眺めるというだけでありましたが、関心の深い同好の方々には、興味津々、こたえられない観仏であったようです。
近年、飛鳥時代の仏像は、中国南朝~百済~日本というルートでその様式が伝えられたという考え方が、有力になりつつあるように思うのですが、その様式伝播の匂いを嗅げただけでも、来てみて良かったと思いました。



【思い切ってやってきた甲斐があった、韓国国立中央博物館の「古代仏教彫刻大展」】

翌日は、ソウルの韓国国立中央博物館です。
韓国国立中央博物館を訪れるのは初めてです。
巨大なのにびっくりしてしまいました。

韓国国立中央博物館の内部
韓国国立中央博物館の内部

東京国立博物館など、全く比べ物にならない規模です。
東博の3 倍30 万点以上の所蔵品を有しており、世界的にも有数の規模を誇る博物館なのだそうです。

目指すは、「古代仏教彫刻大展」。

「古代仏教彫刻大展」前の壁面パネル~法隆寺献納宝物・一光三尊像の写真が掲げられている
「古代仏教彫刻大展」前の壁面パネル~法隆寺献納宝物・一光三尊像の写真が掲げられている

結構、人がいっぱいで混雑していました。
インド、中国、朝鮮、日本の古代仏像が、一堂に並んでいます。
メトロポリタン美術館の北魏5 世紀五台山将来弥勒仏像など見覚えのある像も展示されています。
日本からは、法隆寺献納宝物の金銅仏、一光三尊像(143号像)や如来立像(151号像)、甲寅銘光背(196号像)などが、出展されていました。

メトロポリタン美術館・北魏5 世紀五台山将来弥勒仏像..法隆寺献納宝物・如来立像(151号像)
メトロポリタン美術館・弥勒仏像(左)    法隆寺献納宝物・如来立像

四川省成都萬仏寺諸像など中国南朝といわれる仏像や、近年発見された山東省・龍興寺の石仏も、いくつも出展されていました。

山東省・龍興寺址出土の仏像..山東省・龍興寺址出土の仏像
山東省・龍興寺址出土の仏像

「中国南朝仏~朝鮮仏~日本飛鳥仏」という仏像様式伝播をイメージした展示のように感じました。

もう一つ、気になったのは、ベトナムの仏像がいくつか出展されていたことです。
中国風の金銅仏もあれば、インド風のものもあり、また折衷風のものもあります。

扶南(ベトナム・カンボジア方面)もしくは中国作の如来立像(6世紀)
扶南(ベトナム・カンボジア方面)もしくは中国作の如来立像(6世紀)

そして、図録解説には、このような図が掲載されていました。

図録掲載図「6世紀中国における様式の多様性」(Angela F. Howard)からの転載

「6世紀中国における様式の多様性」(Angela F. Howard)という著作からの転載のようです。

この点線を見ると、インドからインドシナ半島を回って中国へ至り、山東省から朝鮮に至っています。
ハングルが読めないので、何を書いてあるのか全く分からないのですが、仏教文化の南回りルートの重要性を指摘しているのではないだろうかと思えます。
たとえば山東省・龍興寺出土の石仏群などを見ると、いかにもこの南回りルートの文化伝播による造形を思わせます。
そして、飛鳥、白鳳仏にも、龍興寺諸仏の表現を思い起こさせるものが見受けられます。

私たちは仏教文化の日本への伝播を考えるとき、ついついシルクロードルートをメインルートとしてイメージしてしまいがちです。
しかし、この南回りルートのことも、十分に意識していく必要があるのだろうと、強く感じさせられました。

展覧会には、韓国を代表する2体の金銅仏が展示されていました。

一室に展示される、韓国を代表する2体の金銅仏
一室に展示される、韓国を代表する2体の金銅仏

韓国国宝、78号像と83号像です。

78号像は、通称、日月飾三山冠半跏思惟像と呼ばれている金銅像です。

韓国国宝78号像・日月飾三山冠半跏思惟像

韓国国宝78号像・日月飾三山冠半跏思惟像.韓国国宝78号像・日月飾三山冠半跏思惟像
韓国国宝78号像・日月飾三山冠半跏思惟像

83号像は、広隆寺・弥勒半跏像と瓜二つといわれる、有名な像です。

広隆寺・弥勒半跏像と瓜二つといわれる韓国国宝83号半跏思惟像

韓国国宝83号半跏思惟像.韓国国宝83号半跏思惟像
広隆寺・弥勒半跏像と瓜二つといわれる韓国国宝83号半跏思惟像

皆様も、おなじみの金銅仏だと思います。
一室に、二躯だけ並べてあり、工夫された照明の中で、じっくりと心行くまで鑑賞することが出来ました。
おまけに、写真も撮り放題。
誘われていった「古代仏教彫刻大展」でしたが、来てみた甲斐がありました。


そして、韓国で、飲んだ話です。
一日目は、百済方面、泰安半島の海辺に泊まりました。
地元の海鮮の店に行きましたが、これがびっくりするほど美味かった。
ワタリガニとエビを茹で上げたものと、海鮮鍋を食べましたが、流石に海辺の店。
新鮮で活きが良くて、絶品のうまさでした。
おまけに安い。
マッコリの進んだこと進んだこと、すっかり酔っぱらってしまいました。

二日目は、ソウルで焼き肉。
これは定番の韓国焼肉というところで、想定の範囲内というところでしょうか。
これまた、気持ちよく飲んでしまいました。



【想定外の力感あふれる平安古像に出会う~東京都檜原村の五社神社】

「人里・五社神社」

この名前をご存知の方はいらっしゃるでしょうか?
「ヘンボリ・ゴシャジンジャ」と読みます。
東京都西多摩郡檜原村人里というところにあり、奥多摩といわれる処です。
南の方は、もう山梨県です。

この五社神社に、平安時代の蔵王権現像のほか、数体の古像が遺されているのです。

観仏リスト④五社神社

五社神社で秋の祭礼があり、その時、年に一度だけご開帳されるので、皆で行ってみないかと、同好の方からお声がかかりました。
「五社神社の平安古像」という話を聞いて、
「昔、本で読んだ、あの仏像のことだ!」
と、記憶がふつふつとよみがえってきました。

古い本に、「人里・五社神社の古仏探訪記」が綴られていたことを思い出したのです。
久野健著  「仏像の旅」    昭和50年(1975)  芸艸堂刊
という本に書かれているのです。
たしか、久野健氏が、辺鄙な山奥を訪ね仏像調査をした処、なかなか見どころある平安古像であった、というようなことが語られていたように思います。

この五社神社像、気にはなっていたのです。
しかし、神社に厳重に祀られているということで、きっと拝することは難しいに違いないと、初手から諦め気味で、そのうち記憶も薄れていたのでした。

「あの、五社神社の仏像、拝することが出来るのですか! それは、是非とも行きましょう。」

と、俄然前のめりになってしまいました。

無住で神主さんもおられないので、総代の方にご連絡を取り、拝観事情について伺ったところ、
「ゆっくり拝したいのなら祭礼以外の日に来れば、開扉しましょう。」
というありがたいお話をいただいて、同好7~8人で、檜原村人里まで出かけたのでした。

JR武蔵五日市の駅から、バスで1時間という辺鄙な山奥に五社神社はあります。
道路沿いにある鳥居の処から、25分ほど急坂を山登りをすると、五社神社社殿に到着です。

五社神社の参道入り口
五社神社の参道入り口

五社神社・本殿
五社神社・本殿

本殿の狭めの厨子の中に、6躯の仏像が、押し込められるようにひしめき合っています。

五社神社本殿内厨子に祀られた諸像
五社神社本殿内厨子に祀られた諸像

厨子の中は薄暗く、古仏の姿がはっきりしませんでしたが、ライトを照らすとその姿が鮮やかに浮かび上がってきました。
「オウォ-!」という声が上がりました。
なかなかの迫力の古像です。
事前に、本で観ていた写真だと、粗略で田舎っぽい像で、拙い出来なのかなという印象でした。
はるかに「想定以上、期待以上」のパワーのこもった古仏です。
とりわけ、蔵王権現像は、力感十分で太造り、重量感があり、逞しく魅力的です。

五社神社・蔵王権現立像

五社神社・蔵王権現立像
五社神社・蔵王権現立像

厨子の中心に据えられた、菩薩形坐像も、惹きつけるものがあります。

五社神社・菩薩形坐像
五社神社・菩薩形坐像
五社神社・菩薩形坐像

菩薩形像は、全体としては、やや拙く線が弱いようなところもありますが、顔貌の迫力には注目してしまいます。
いずれにせよ、平安時代にさかのぼる、魅力充分の古像であることに間違いありません。

よくぞ、今日に至るまで、これらの古像が、この地に遺されたものです。
きっと、地元の人々の守り神として信仰され、大切に護られてきたのでしょう。

これからも、博物館などに移されることなく、東京都の鄙の地、檜原村人里の守り神として、村の人々ととともに在ってほしいものだと、念ずるばかりでした。

五社神社を後にして、バス停まで戻ると、見事なシクラメンの大群に遭遇しました。

見事なシクラメンの花畑
見事なシクラメンの花畑

当地の園芸農家のようです。
見事なシクラメンが咲き誇る光景に、しばしウットリというところでした。
何人かが、買い求めましたが、あまりの想定外の安さに、これまたウットリとなりました。

帰りは、立川の居酒屋で、愉しく反省会。



[12月]

師走になりました。

関西へ出かけましたので、ついでというわけではないのですが、大阪大学で開催された、国際シンポジウム「金銅仏の制作技法の謎にせまる」と、奈良まで出かけました。


【「金銅仏きらきらし展」と国際シンポジウム「金銅仏の制作技法の謎にせまる」へ~シンポジウムは難しすぎて・・・・】

金銅仏きらきらし展ポスター国際シンポジウム「金銅仏の制作技法の謎にせまる」ポスター

大阪大学総合学術博物館では、「金銅仏きらきらし~いにしえの技にせまる展」が、開催されていました。
金銅仏の制作技法にスポットライトを当てた、大変興味深い企画展で、東京芸術大学美術館、白鶴美術館、大阪市立美術館、逸翁美術館など所蔵の古代金銅仏、約40点が展示されていました。

国際シンポジウム「金銅仏の制作技法の謎にせまる」のほうは、科研費成果報告「5~9世紀東アジアの金銅仏に関する日韓共同研究」の発表の一環として開催されたものです。
古代金銅仏の、制作技法、成分分析などについての、興味深い研究報告がありました。
内容が、なかなか難しくて、素人の私などには、よくわからなかったというのが本音の処です。

ただ、感じたことは、
金銅仏の制作年代の判定をしていくうえで、科学的な分析結果に頼りすぎるのも難しい、
造形表現の類型や系譜に頼りすぎるのもまた難しい、
なかなか絶対的な決め手とか判定基準を示すというのは、そう容易なことではないのであろう、
といったようなことです。

「科学分析と、モノを見る眼」これを融合昇華させるのは、なかなかに難しそうです。


翌日は、奈良。
奈良博と東大寺ミュージアムに出かけました。


【奈良博で、かねがね観たかった仏像たちに、ラッキーにも遭遇】

奈良博のなら仏像館は、改修工事で閉館中。
新館に、少しだけ平常陳列の仏像が展示されていましたが、これが偶々なのですが、かねがね一度観てみたいと思っていた仏像ばかりでした。

私の注目の展示仏像は、ご覧のとおりです。

観仏リスト⑤奈良博平常展

うれしいことに、普段は、めったに出展されていない仏像が、いくつか展示されていました。

法明寺・吉祥天像は、京都府相楽郡笠置町の法明寺に遺された仏像で、釈迦如来立像、増長天立像(共に重要文化財)とともに、平安中期頃の制作とされています。

法明寺・吉祥天立像
法明寺・吉祥天立像

3躯とも、奈良博に保管されていますが、常時は展示されていません。
吉祥天像は、初めて拝することが出来ました。
以前観たのを、覚えていないだけかもしれませんが・・・・。


奈良博・観音菩薩像は、亀岡市の大宮神社に伝来した仏像です。
亀岡市の大宮神社には、10体もの平安古仏が遺されていたのですが、30年以上前に9体が売却されて、巷間に流出しました。
その後、そのうちの天王像と吉祥天像は、東京国立博物館所蔵となり、天王像は2012年、重要文化財に指定されました。
また観音菩薩像は、奈良国立博物館の所蔵となっているのです。

奈良国立博物館・観音菩薩立像(亀岡大宮神社伝来).東京国立博物館・天王立像(亀岡大宮神社伝来)
奈良国立博物館・観音菩薩立像(左)  東京国立博物館・天王立像(右)~共に亀岡大宮神社伝来

大宮神社伝来の仏像については、以前、観仏日々帖「亀岡市・大宮神社伝来の諸仏像」で紹介させていただきました。
その、大宮神社伝来の観音菩薩像が、展示されていたのです。
一度、観てみたいと思っておりましたので、これはラッキーでした。


善福寺・阿弥陀如来坐像も展示されていました。

天理市善福寺・阿弥陀如来坐像
天理市善福寺・阿弥陀如来坐像

善福寺は、天理市和爾町にあり、阿弥陀如来像は12世紀初頭ぐらいの端正な仏像です。
かつて、拝観がかなわなかったことがあり、一度拝する機会があればと思っておりましたので、これまたラッキーなことでした。



【四月堂千手観音像と旧眉間寺伝来諸仏を観に、東大寺ミュージアムへ】

東大寺ミュージアムに行きました。

東大寺ミュージアム壁面看板(四月堂・千手観音像)
東大寺ミュージアム入口の壁面看板(四月堂・千手観音像)

ここへ来たのは、四月堂・千手観音像と旧眉間寺伝来の諸仏を観たかったからです。

観仏リスト⑥東大寺ミュージアム

四月堂・千手観音像は、法華堂そばの四月堂に安置されていた時には、何度も拝したのですが、最近、東大寺ミュージアムのほうに展示されるようになりました。
名作ぞろいの東大寺の仏像の中では、あまり知られていないのですが、私は隠れた名作だと考えているのです。
ミュージアムの明るい照明の中で観てみると、どのように感じるだろうかと出かけたのです。

東大寺四月堂・千手観音立像
東大寺四月堂・千手観音立像

像高が270cm近くある像ですので、四月堂の小さなお堂に祀られていた時には、周りを圧する威圧感というか、ボリューム感をすごく感じていました。
ところが、ミュージアムの広い展示場に安置されると、圧力を感じるような迫力は、ちょっと霞んでしまったように思いました。

むしろ、豊満で穏やか、柔らかというフィーリングです。
丸顔で頬が膨らみ、童顔っぽいところがあります。
平安前期の重厚感をもっと感じると思っていたのですが、随分イメージが変わりました。
体躯の豊かな横幅に対して、身長が少し足りない感じで、ちょっと寸詰まりの印象です。
豊かな体躯に、これまた豊かな四十二手が付けられているのですが、その割には、横拡がりで扁平な感じがしません。
これだけのボリュームある脇手をつけながら、見事な全体バランスに造形されています。
斜めから見ると、脇手が極めて立体的につけられています。
腕を一度奥の方へぐっと引き、前へ突き出してくるようにしています。
これが、奥行きのある立体的な千手像となる、見事な造形となっているようです。
「上手い!」
今回、四月堂千手観音像に感じた印象です。

やはり、東大寺の隠れた名作だという思いは変わりませんでしたが、
「重量感、圧力感ある仏像」から「豊満な造形の上手さが光る仏像」
というイメージに変化しました。
観る環境や角度によって、仏像のイメージは変わるものですが、また新たな発見となりました。


東大寺ミュージアムに来たもう一つの目的は、旧眉間寺伝来の三躯の如来像を観ることでした。
眉間寺は、明治初年の廃仏毀釈で廃寺となってしまった、佐保路にあったお寺です。
明治初年に跡形もなくなり、祀られていた諸仏像も、すべて散逸してしまったのです。
その眉間寺本堂に安置されていたという3躯の如来像が、東大寺ミュージアムに特別展示されているのです。

旧眉間寺伝来・東大寺勧進所阿弥陀如来坐像

旧眉間寺伝来・東大寺勧進所釈迦如来坐像.旧眉間寺伝来・東大寺勧進所薬師如来坐像
旧眉間寺伝来~東大寺勧進所・三如来坐像

眉間寺から、東大寺に移され、現在は東大寺の勧進所に祀られているのです。
普段は、拝せませんが、勧進所阿弥陀堂が修理される機会に、特別展示されることになったものです。
この話は、観仏日々帖「廃寺となった旧眉間寺の三如来像が、東大寺ミュージアムで展示」で紹介させていただきました。

仏像彫刻としては、藤原、鎌倉彫刻の類型的タイプといったものなのですが、明治の廃仏毀釈や、流出した仏像の行方などに、関心がある私にとっては、このチャンスに是非観ておきたいと思っていたものです。



【2日間限りの展覧会~「仏像写真家・永野太造の軌跡展」をめざして】

実は、この日の奈良行は、別にもう一つ目的がありました。

「仏像写真家・永野太造の軌跡展」ポスター
奈良県文化会館で開催された「仏像写真家・永野太造の軌跡展」を観に行くことでした。
なんと、12/12・13の二日間限りの開催ということなのです。
永野太造氏については、私が特に関心のある仏像写真家です。
ちょうど関西行とタイミングがあったので、これは是非とも行かねばと、頑張って出かけたのです。

ご存知の通り、永野太造氏は奈良国立博物館前で古美術写真販売・出版の「鹿鳴荘」を営んだ仏像写真家です。
奈良六大寺大観や大和古寺大観の写真撮影者の一人で、仏像写真家としてよく知られていましたが、平成2年(1990)、68歳で没しました。
奈良の仏像写真の嚆矢といわれる工藤精華の遺品のガラス乾板(現在重要文化財)の、保存に力を尽くした人物としても、知られています。
「鹿鳴荘」は、現在では、古美術写真店は廃業し、飲物土産物販売店として営業されています。

今般、永野太造氏撮影のガラス乾板約7000点が、帝塚山学園に寄贈されることになり、本格的な調査研究が始められることになったことから、展覧会開催の運びとなったようです。
飛鳥園・小川晴暘や入江泰吉は、写真集や評伝、回顧文が数多く出されていますが、鹿鳴荘・永野太造については、書かれたモノがなく、その業績がほとんど知られていません。

今回の展覧会が、永野太造個人を採り上げたものとしては、初めてではないかと思います。
会場には、仏像写真作品のほか、ガラス乾板、関連図書、愛用した写真機材などが展示されていました。

永野太造の軌跡展~会場風景
永野太造の軌跡展~会場風景

今後の、帝塚山学園による調査研究により、永野太造氏の業績を回顧する出版物がまとめられることが、期待されます。


この日は、近鉄奈良駅近くにある、フレンチビストロ「プティ・パリ」で、一人ランチをして、帰京しました。
知人の勧めで訪ねてみた、初体験のお店でしたが、リーズナブルプライスでなかなかの美味でした。
お薦めです。

ビストロ「プティ・パリ」
ビストロ「プティ・パリ」



【今年の観仏納めは、冬至の日のご開帳~秩父・常楽院の軍荼利明王像】

12月22日、冬至の日、埼玉県飯能市にある高山不動尊・常楽院を訪れました。
師走も押し詰まり、今年の観仏の大トリです。

観仏リスト⑦常楽院

常楽院には平安時代の軍荼利明王像(重要文化財)が祀られているのですが、4月15日と冬至の日、それぞれ一日だけご開帳となるのです。
写真で見ると、いかにも地方作という感じの仏像ですが、これだけ大きな独尊の軍荼利明王像(像高228㎝)というのは、珍しい作例です。
軍荼利像の巨像と云えば、10月に行った、滋賀・金勝寺の軍荼利明王像が思い浮かびます。
関東では、古代にさかのぼる軍荼利像は、この常楽院像と、千葉県一宮町の東浪見寺像だけが残されているだけなのです。

今年ももう終わりだというのに、まだ観仏に行くのかと呆れられそうですが、同好の方と出かけてしまいました。

常楽院は、西武秩父線の吾野駅から北へ歩いて1時間半以上という、秩父の山間にあります。

高山不動尊・常楽院からの眺望
高山不動尊・常楽院からの眺望

普段は、徒歩しか交通手段がないのですが、ご開帳の冬至の日には、お寺までのマイクロバスが運行されます。
吾野駅につき、常楽院用意のマイクロバスに乗せていただき、25分ほどで到着しました。
本堂まで、百段以上ある急な石段をフウフウ云って登ります。

常楽院本堂に向かう急な石段
常楽院本堂に向かう急な石段

やっとこさで本堂に着くと、ご開帳の読経が始まっていました。

本堂内で営まれる、ご開帳の読経の様子
本堂内で営まれる、ご開帳の読経の様子

軍荼利像は、本堂の裏の急石段上の、収蔵庫に安置されています。
読経が終わると、僧侶の方々は、収蔵庫の方に移って、軍荼利像の前で再び読経です。
厳粛な儀式が、滞りなく終わり、ご拝観となりました。

拝観のために出かけてこられた方は、意外に少なく、全部で20~30人というところでした。
軍荼利像の眼近まで近づいて、じっくり拝することが出来ました。

常楽院・軍荼利明王立像
常楽院・軍荼利明王立像

「地方作の田舎風の仏像だなあ・・・・」
というのが、第一印象です。

動勢がなく、直立して突っ立っている風で、ちょっとぎこちない感じがします。
全体に痩身で、上半身の厚みが極端に薄く扁平になっています。
地方仏師による、11世紀頃の制作とみられているようです。

造形技量的には、そうなのかもしれませんが、静かに拝していると、山岳信仰の仏の「野趣あふれた凄み」を強く感じます。

常楽院・軍荼利明王立像
常楽院・軍荼利明王立像

不気味な神秘性というまではいかないのですが、存在感ある凄みが、伝わってきました。
特徴的なのは、その顔貌です。

常楽院・軍荼利明王立像~顔部
常楽院・軍荼利明王立像~顔部

鼻が異常に高く大きく、歯をむき出しにしています。
なかなかの造形力を感じます。
また、膝から下の造形は見事で、逞しくダイナミックです。
たくしあげた裾の衣文は、彫り口が深く鋭く、平安初期彫刻をみているようです。
脛やふくらはぎ、足先の造形は、写実的で太く逞しく、インドの古代彫刻の脚を思い起こさせます。
この軍荼利像は、お顔と脚の造形勝負と云えそうです。


常楽院の観仏を終え、池袋まで戻り、今年の観仏納めということで、イタリアンで一杯飲りました。
まだ日の高いうちから、ワインをぐいぐい飲んで、愉しく今年の観仏を振り返り合いました。
おかげで、少々二日酔い。



これで、「2015年・今年の観仏を振り返って」も、本当におしまいです。
我ながら、よくこんなに沢山、観仏探訪に回ったものです。

今年も、飽きもせず、凝りもせず、観仏三昧的生活にどっぷりつかって過ごしてしまいました。
仏像の世界ほかに、好きなこと、興味関心のあることもあるのですが、最近どうも観仏への傾斜が激しいようです。
来年は、どうなることでしょうか?


4回にもわたって、ダラダラ長々、今年一年の観仏探訪記録を自己満足的に綴らせていただきました。
辛抱してご覧いただき、ありがとうございました。

来年も、HP「神奈川仏教文化研究所」、ブログ「観仏日々帖」に、気ままな仏像記事を連ねていきたいと思っております。
よろしくお付き合いいただけますよう、お願いいたします。


皆様、良き年を迎えられますよう!!


古仏探訪~2015年・今年の観仏を振り返って 〈その3〉  【2015.1218】


ここからは、7~9月の観仏先のご紹介です。

真夏、炎暑のシーズンですが、凝りもせず、3回も奈良を訪れてしまいました。


[7月]

今年、最大の仏像展覧会が、奈良国立博物館で開かれました。
云うまでもなく「白鳳展」です。

仏像愛好研究会「天平会」の7月例会は、「白鳳展」鑑賞のプログラムとなっていました。これは、ぜひ参加しようと、出かけてみることにしました。

天平会の前日、中山寺と満願寺に出かけました。

観仏先リスト①中山寺・満願寺


【異国風のエキゾチズムが遠目にも伝わる、中山寺・十一面観音像】

中山寺・十一面観音は、月に一回、毎月18日のご開帳です。
ちょうどご開帳の日にタイミングがあったので、出かけたのです。

阪神間の人であれば、「中山寺」という名前を知らない人はいないのではと思います。
最寄りの駅名も「中山観音」という名前です。
安産祈願のお寺さんとして、超有名です。

安産祈願で知られる、西国三十三ヶ所第24番の札所~中山寺
安産祈願で知られる、西国三十三ヶ所第24番の札所~中山寺

西国三十三ヶ所、第24番の札所で、そのご本尊が十一面観音像なのです。
平安前期、9世紀頃の特異な秀作として知られていますが、これだけ有名なお寺さんのご本尊なので、寺外に出たことはなく、ご開帳といっても、本堂拝殿の処から、はるか遠くに拝するだけです。

本尊・十一面観音像が厨子内に祀られる、中山寺本堂
本尊・十一面観音像が厨子内に祀られる、中山寺本堂

立派なお厨子の中に祀られ、ほの暗い中に祀られたお姿が、何とか判るというところでしょうか。
それでも、異国的というか、他では見たことのない変わったお顔の表情であることは判ります。

中山寺・秘仏本尊・十一面観音像
中山寺・秘仏本尊・十一面観音像

写真図版で見ると、彫口が鋭くシャープであること、極端に吊り上がった眼や、表情、全体のシルエットなどが、日本離れしたエキゾチックな表現であることがよくわかると思います。

中山寺・十一面観音像
中山寺・十一面観音像~図版写真

瞳には、盛り上がった鉄の傘鋲が打たれており、そのことからも唐渡来の中国工人かその系譜の仏工によって制作されたのではないかと思われる像です。
遠くから、おぼろげながらという観仏ですが、それでも、やはり直に目にして拝すると、十一面観音像の発するエキゾチックな特異な雰囲気は、十分に伝わってきました。

この日も、中山寺は、安産祈願で腹帯を授かる人、赤ちゃん抱いた初参りの人が沢山いて、にぎやかな境内でした。



【異貌と霊威表現~奇妙な魅力に惹きつけられる満願寺の薬師像、天部像】

満願寺は、中山寺から二駅という近くにあります。

満願寺・山門
満願寺・山門

満願寺には、秘仏の本尊・千手観音立像(県指定・平安~春秋一週間のみご開帳)をはじめ、数多くの平安古仏が残されています。

それぞれの仏像は、出来が良いとか、美麗とかという世界からは、かなり縁遠い仏像ばかりです。
秘仏の千手観音像は、なかなかの出来のようですが、そのほかの平安古仏は、古様だが「田舎風とか、地方的」といったような言葉で理解されるものばかりです。
独特の、土臭さがするような空気感があります。

なかでも、とりわけ異形というか、奇形というか、独特の個性を主張している仏像が2躯あるのです。
薬師如来坐像と天部形立像です。
共に、指定文化財になっている訳ではなく、無指定の仏像です。

満願寺・薬師如来坐像

満願寺・薬師如来坐像.満願寺・薬師如来坐像
満願寺・薬師如来坐像

満願寺・天部形像

満願寺・天部形像.満願寺・天部形像
満願寺・天部形像

ごく一般的な見方からすると、
「一見古様だが、粗っぽい田舎作で造形が破綻しており、制作年代も下がるし造形レベルも低い」
ということになるのでしょう。

この2躯の像に注目したのは、井上正氏でした。
井上氏は、個性的な異貌表現、異常なボリューム感、強い精神性、霊威表現などに注目し、奈良時代の制作にさかのぼる可能性に言及しました。
帝釈天像とされる像は、初期の天部形「神像」ではないかと考えました。

私には、奈良時代の制作にさかのぼるとは思えませんが、特異な異貌表現、発散する霊威感には、惹かれるものがあります。
数年前にも、満願寺を訪れて、これらの像を拝したのですが、その時のインパクトが忘れられなくて、また来てしまいました。
じっくり眼近に拝しましたが、やはり得も言われぬ奇妙な魅力に、何故か惹き付けられてしまいました。

満願寺・薬師如来坐像の造形、空気感に似た坐像が、二つあります。
いずれも井上正氏が採り上げていますが、ご紹介しておきたいと思います。

和歌山県有田郡の法音寺・伝釈迦如来坐像、奈良県大和郡山市の西方寺・如来形坐像です。

和歌山県有田郡・法音寺・伝釈迦如来坐像
和歌山県有田郡・法音寺・伝釈迦如来坐像

奈良県大和郡山市・西方寺・如来形坐像
奈良県大和郡山市・西方寺・如来形坐像

写真をご覧いただいて、如何でしょうか?
醸し出す雰囲気に、同じ系譜のようなものを感じられるのではないかと思います。
特に、うるさいように並行に密集した、肩から腹にかけての衣文線は、満願寺像、西方寺像に共通しています。

私も、法音寺、西方寺を訪れたことがありますが、自然に、この満願寺の如来坐像のことが、自然に頭に浮かんできました。

あまり見かけないパターンの造形表現だと思います。
「満願寺の薬師如来坐像や、天部形像の造形表現は、どのような系譜から造り出されてきたのだろうか?」
「それにしても、不可思議な仏像達だなあ!」
そんな気持ちを抱きながら、満願寺を後にしました。



翌日は、奈良で天平会例会に参加です。
五劫院のそば、北御門町の小さなホテル「奈良倶楽部」に泊まりました。
集合は午後でしたので、午前中はホテルの近所をゆっくり散策です。

今年3月から一般公開された、水門町の入江泰吉旧宅を訪れました。
東大寺戒壇堂の石段を下って、住宅が並ぶ静かな道を往くと、右手に入江邸が見えてきます。

一般公開された入江泰吉旧宅
一般公開された入江泰吉旧宅

門には、「入江泰吉旧居」と墨書きされた真新しい横看板と表札が架けられていました。
ちょうど訪問者は私だけで、ボランティアの方に、大変親切に邸内の案内をいただきました。
戦後を代表する奈良の仏像写真家は、入江泰吉をおいてはなでしょう。
立派な邸宅というわけではありませんが、入念な心配りが行き届き、落ち着いた瀟洒な和風のたたずまいで、いかにも入江らしさを感じます。

入江泰吉旧宅~室内の様子
入江泰吉旧宅~室内の様子

この旧居を訪れると、入江という写真家は、奈良に生まれ、古き奈良を愛し、奈良の四季と共に生きた人、という思いがあらためてよぎってきました。


その足で、戒壇院の裏通りにある、「工場跡事務室」へ寄りました。
ご存じの方はお判りでしょうが、「工場跡事務室」というのは、カフェ・喫茶店なのです。
大正年間から昭和50年代まで「フトルミン」という乳酸菌飲料を作っていた工場の跡です。

カフェ「工場跡事務室」.工場跡事務室内と「フトルミン」
カフェ「工場跡事務室」と室内・フトルミン

20年以上も廃工場としてそのまま眠っていましたが、2009年から『工場跡事務室』というカフェとして営業しています。
レトロでなかなか雰囲気のあるカフェで、落ち着きます。
ここで軽食を取りました。

ところで、「フトルミン」というのは、その名の通り、これを飲むと太るという乳酸飲料なのです。
栄養失調対策とか栄養補給ということが、重要なテーマだった時代があったのだなと、飽食の世を生きる身には、何とも言えぬ感慨に浸ってしまいます。



午後からは、天平会例会に参加です。
杉崎貴英先生のご説明で、般若寺、五劫院を訪れました。

観仏先リスト②般若寺他

コスモス寺の名で有名な般若寺では、シンボル十三重石塔、本尊文殊菩薩像などを拝しました。

般若寺・十三重石塔
般若寺・十三重石塔

十三重の石塔から発見された、白鳳時代の金銅仏、伝阿弥陀像は白鳳展に出展中です。
この、小金銅仏の十三重石塔からの発見物語については、観仏日々帖「般若寺・伝阿弥陀如来像の発見物語」で紹介させていただきましので、ご覧いただければと思います。

般若寺・伝阿弥陀如来像
般若寺・伝阿弥陀如来像



【空前の名品勢揃い、奈良博「白鳳展」~白鳳という時代を考えさせられる】

そして、奈良国立博物館の「白鳳展」です。

奈良博「白鳳展」ポスター
奈良博「白鳳展」ポスター
本年最大のビッグイベントといえる、大展覧会です。
開催を心待ちにしていましたが、スタート二日目に来ることができました。

皆さんも、この「白鳳展」には行かれたことと思いますので、ここで出展仏像をご紹介するのは、止めておきます。

それにしても、よくぞこれだけの白鳳期の名品仏像を一堂に集められたものです。
これだけの白鳳仏像を、一度に鑑賞することができる機会は、もう当分はないでしょう。
少なくとも、私の元気なうちは、難しいのではと思ってしまいました。

ところで、これまで、「国立博物館」で「白鳳」という名を冠した展覧会はあったのでしょうか?
「白鳳」という仏教美術の時代の定義には、いろいろな考え方や異論があって、国立博物館では、使いにくいのかなとも思っていました。
「奈良博の白鳳展」は、白鳳時代をどのような視点で見ているのだろうかと、興味深く感じながら、鑑賞しました。

展覧会図録冒頭の主催者ご挨拶には、このように書かれていました。

「昨今、自鳳という言葉が使われる機会が少なくなりました。
美術様式に関する評価もいまだ流動的です。
しかし、白鳳が飛鳥時代前期や奈良時代とも違う独自の個性を持つ文化を築いた時代であったことは、この展覧会を通してご理解いただけるものと確信しております。」

びっくりしたのは、薬師寺金堂・薬師三尊の制作年代を、持統年間の制作、本薬師寺からの移坐と、断じていることでした。
非移坐、天平新鋳説が、結構有力なのではないかと思うのですが、「諸説あり議論のある処」といった解説ではなく、「白鳳時代、持統朝の制作」と決め打ちで、堂々と宣言されているのです。

薬師寺金堂・月光菩薩像
白鳳展に展示された薬師寺金堂・月光菩薩像
他の出展白鳳仏に較べ、突出して高度な完成度、成熟度を示す造形です


どちらが有力妥当か云々の話は、ちょっと置いておくとして、よく思い切って断じたなというのが、素直な感想です。

これまで、白鳳という時代は、「抒情的とか清明とか」という造形概念で括られる時代と云われてきたように思います。
しかし、この展覧会を観て、白鳳という時代は、
一つの時代様式概念で括るとか、時系列的発展的様式論や、制作技術の段階的発展論という概念では、とらえることができない時代であった。
多種多様なものが同居する、混沌たる時代であった。
そんな考え方も、必要なのではないかという風にも、強く感じたりもしました。


そんな思いを巡らせていると、直近の「奈良国立博物館だより95号」に掲載された、こんな記事が目に留まりました。
「白鳳展を終えて」と題する記事です。
白鳳展の彫刻担当として参加された、奈良博学芸部の岩井共二氏の執筆です。

ちょっと長くなりますが、引用紹介させていただきます。

この展覧会の企画に彫刻担当として参加して感じたことは、自鳳時代は「一筋縄ではいかない」という事であった。

飛鳥時代(7世紀前半)から奈良時代(8世紀)までの仏像の様式変遷は、ギリシア彫刻の様式変遷になぞらえて、古拙から古典の完成へという流れで説明されることがある。
そこでは、自鳳時代の様式は「過渡期」の様式と位置づけられる。
そのこと自体は誤りとは言えないが、ともすると、白鳳時代の金銅仏などを形容する、「若々しい」「瑞々しい」「可愛らしい」という言葉が、「未熟な」「発展途上」「稚拙な」という意味にとられ、相対的に自鳳美術の評価は低く貶められていたのではないだろうか。

白鳳期の典型とされる深大寺・釈迦如来倚像
白鳳期の典型とされる深大寺・釈迦如来倚像

白鳳期の典型とされる法隆寺・伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像
白鳳期の典型とされる法隆寺・伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像

本展には薬師寺金堂の月光菩薩立像が出陳された。
この像は白鳳説と、天平説とがある。
本展では、文献史料や様式の検討から自鳳時代に位置づけたが、高度に完成された写実性を持つこの像を自鳳展に出陳するということは、白鳳時代を古典以前の様式とする位置づけへのアンチテーゼでもあったように思う。

白鳳仏は、古拙から古典へという一本の直線の上にきれいに編年して並ばせることが出来ないものであった。
写実性が高いものほど新しいとは、必ずしも言いがたい。
中国や朝鮮半島から渡ってきた新旧様式の複合化した様式もあっただろうし、遣唐使が持ち帰った唐代の最新様式もあっただろう。
制作者も色々で、中央と地方のレベル格差も大きかっただろう。
白鳳は一筋縄では語れないのである。

担当していても、わからないことだらけであつた。
しかし、一堂に会して見ることで、新たな視点も浮かび上がってくるだろう。
近年使われなくなってきた「白鳳」という言葉が今後どう扱われるのかも含めて、この展覧会の意義が問われるのは、これからである。

今回の白鳳展を企画、主催された方々の、白鳳時代と云うものの見方、考え方が、ここに凝縮してまとめられているように思えます。

確かに、近年の仏像彫刻史の研究発展を見ると、ある時代を一つの様式概念で括るとか、仏像の造形を時系列的発展的様式論の中で考えていくのは、難しくなってきているように思えます。
多様性の同居、新旧の同居という視点が、ますます必要になってきているのでしょう。

そんな中で、ちょっとばかり違和感を覚えるのは、「白鳳」という時代呼称です。

昔読んだ本には、「政治史の時代区分」と「美術史の時代区分」は、一致するものではない。
美術史上の時代と云うのは、造形感覚、スタイルなどに、「一つの時代様式という概念」で整理できる時代のことを云うのだ。
そんなことが書いてあったように思います。

「白鳳」という時代呼称は、美術史の世界でもっぱら使われている呼称です。
飛鳥後期と呼ばれたり、奈良前期と呼ばれたりもしました。
「白鳳時代は存在するか?」という論争も、随分盛り上がったように覚えます。

一般に用いられる「白鳳時代」と云うのは、
単に大化の改新(645)から平城京遷都(710)までの区切られた時期のことを云うのか、
そこに美術史的な意味・意義のある特色、独自性を認めるから白鳳時代を設定するのか、
この辺りを、もっとはっきりさせておくことも必要な気がします。

重ねて言うと、
年代としての白鳳時代が先にあって、この時期を論じるのか、
この時期に仏教美術史上の特色を認めて、白鳳時代を設定するのか、
ということです。
前者の考え方であれば、「白鳳」という時代呼称を、わざわざ使う必要がないのではと思います。
仏教美術史上、新旧、各種要素が同居する「多様性が特色の時代」として、白鳳時代を設定するのでしょうか?

「白鳳展」を振り返っているはずが、話がちょっと変な方に行ってしまいました。

「白鳳時代とは、何なのだろうか?」

かねがね、頭の中の整理がついていませんでしたので、こんな話になってしまいました。
白鳳時代についての話が、長々、ダラダラ、退屈なものになってしまいました。
申し訳ありません。



[8月]

8月第一週は、毎年恒例の大学時代の同窓会。
折角、奈良まで出かけましたが、夜、しこたま飲んで泊まっただけでとなりました。

翌日は、同窓会メンバーで、宇治の平等院へ出かけました。

観仏先リスト③平等院

しばらく鳳凰堂の大改修で拝観できませんでしたが、昨年(2014年)4月から鳳凰堂内部の拝観が再開されました。
拝観再開後は、初めての訪問です。
これまで古色で渋い色だった鳳凰堂ですが、朱の色鮮やかな派手な姿に生まれ変わっていました。

修復成った平等院鳳凰堂
修復成った平等院鳳凰堂

定朝作の阿弥陀如来坐像の見事な出来で優美な姿は、言うまでもなく、これまでと変わらぬものでした。


同窓会解散後は、京都で妻と合流。

夕食は、夜の我が家の定番、木屋町四条の「しる幸」。

京都四条河原町・志る幸
京都四条河原町・志る幸

古くからの店ですが、何十年たっても食材、味のレベルが変わることがありません。
美味でリーズナブルプライス、お気に入りのお店です。
翌日の朝食、ランチも、これまた我が家の定番、寺町「進々堂」と木屋町御池の「レストラン・おがわ」

翌日は、久しぶりに銀閣寺道近くの、「白沙村荘」へ寄ってみました。

白沙村荘庭園
白沙村荘庭園

白沙村荘は日本画家、橋本関雪が、自身の制作を行うアトリエとした邸宅です。
15年か20年ぐらい行ってなかったと思うのですが、大変きれいに整備され、美術館までできているのにびっくりしました。
ゆったり風情のある庭をぶらぶら歩いていると、静かで落ち着いた気持ちになってきます。



【再度出動、奈良博「白鳳展」へ~一度だけでは勿体なくて】

8月下旬、再度奈良まで出動しました。
白鳳展は、一回だけでは、いくらなんでも勿体なく、物足りないということで、再度白鳳展に出かけたのです。

この日は、同好の方々と、奈良博の記念講演会に参加しました。
藤岡穣氏による「東アジアの中の白鳳仏」と題する公開講座です。

野中寺・丙寅銘弥勒半跏像
野中寺・丙寅銘弥勒半跏像
テーマは「東アジアの中の白鳳仏」だったのですが、講演の中身の半分以上というか、かなりの部分は、野中寺・弥勒菩薩半跏思惟像の制作年代についての考証のお話でした。
藤岡氏は、野中寺像が近年の偽名、擬古作ではないかとの疑問が提起されていた問題に対して、昨年、白鳳期(丙寅・666年)の制作の像とみなすのが妥当とする、詳細な研究論文を発表されたばかりです。
「野中寺弥勒菩薩像について(藤岡穣)ミューゼアム649号2014.4」

演題から期待した内容とはちょっと違ったのですが、野中寺・弥勒半跏像の制作年代の考証についての話を詳しく聞くことができ、勉強になりました。

野中寺弥勒半跏像の発見と制作年代議論については、観仏日々帖「野中寺・弥勒半跏像の発見とその後【その1】  【その2】」で紹介させていただいています。

本命の白鳳展については、じっくり鑑賞することができました。
おかげで、腰が痛くなってしまいました。

夜は、同好の方々と、西木辻町の「利光」で、心地よく飲りながらの、白鳳談議に熱が入ってしまいました。

奈良・利光
奈良・利光



翌日、翌々日は、同好の方々と、京都方面、奈良宇陀方面に、それぞれ観仏に出かけました。

京都方面の観仏先は、ご覧のとおりです。

観仏先リスト④慰称寺・安楽寺他


【知られざる秀作仏像に出会いビックリ!慰称寺・地蔵菩薩像~実は重文】

「慰称寺の地蔵菩薩像??   そんな仏像、聞いたことがないなあ・・・」

一緒に出かけた同好の方から、洛北・慰称寺の地蔵菩薩が、地蔵盆の8月23日に年に一度だけご開帳になる。
平安前期の制作という話もあるので、拝観に出かけようと誘われ、出かけたのでした。

ちょっと仏像関係本を探しても見当たりませんし、
「多分、無指定の仏像なのだろう。」
と思い、期待もせずに出かけたのでした。

慰称寺は、有名な高雄神護寺に行く最寄りバス停から、歩いて数分のところにありました。
地元の方々が地蔵盆で寄り合っておられ、お堂兼用の小さな収蔵庫の扉が開かれていました。

地蔵盆で地元の方々が寄り合う、慰称寺
地蔵盆で地元の方々が寄り合う、慰称寺

地蔵菩薩像のお姿を見て、ビックリしてしまいました。
素晴らしく見事な出来なのです。

慰称寺・地蔵菩薩像
慰称寺・地蔵菩薩像

1メートル弱の像ですが、造形バランス良さといい、肉付けの巧みさといい、彫技の冴えといい、どれをとっても一流です。
これだけの秀作を造れる腕のある仏師は、並みの仏師ではないだろうと思わせます。

出かける前に、やっと見つけた資料(京の古仏~京都市文化財ブックス3集)に、
「太秦広隆寺の埋木地蔵(重文・平安前期9C)の霊験譚が広まった鎌倉時代以降に、同像を忠実に模刻したものと考えられる。」
と、書いてありました。

広隆寺・地蔵菩薩像(埋木地蔵)~9C・重文
広隆寺・地蔵菩薩像(埋木地蔵)~9C・重文

確かに、パッと見ると、平安前期の造形表現のように感じますが、眼近にじっくり観ていくと、「鎌倉時代の模刻像」というのは、その通りだと思います。
鎌倉時代の空気感が、間違いなく漂っています。
ただ、鎌倉時代の模刻だとしても、「見事な出来の仏像」であることは、間違いありません。
これだけの出来栄えの模刻、そうザラにできるものではありません。
どうして、これだけの秀作仏像が、ほとんど知られずに埋もれているのだろうと、不思議に思ったのでした。

慰称寺・地蔵菩薩像
慰称寺・地蔵菩薩像
慰称寺・地蔵菩薩像


ところが、ところがです!

この「今年の観仏を振り返って」を書くので、もう一度よく調べてみたら、なんと慰称寺・地蔵菩薩像は、重要文化財に指定されていたのでした。
昭和10年(1935)4月30日に重要文化財(旧国宝)に指定されています。
そして、毎日新聞社刊「重要文化財第3巻・彫刻Ⅲ」には、制作年代が「平安時代」と記されているのです。

これまた、二度ビックリです。
平安前期らしいという情報も、もっともな話であったわけです。

「平安時代なのでしょうか? 鎌倉時代なのでしょうか?」

皆さん、どう思われるでしょうか?
私は、間違いなく鎌倉だと思いますが・・・・・・

それにしても、重要文化財に指定されている、これだけの秀作仏像が、ほとんどの仏像本に採り上げられていないのは、ますます不思議、謎のようにも思えます。
制作年代が曖昧だからなのでしょうか?

思いもかけず、興味深い、見事な秀作仏像に、出会うことができました。
この慰称寺・地蔵菩薩像、「観仏日々帖」で、いずれ改めてご紹介できればと思っております。



【これぞ、井上正ワールドの異形仏~安楽寺の諸像】


安楽寺は、北区大森東町といって、高雄神護寺あたりから、まだ車で20~30分北のほうへ行った、北山の奥の村落にあります。
途中、左右に北山杉の美しい杉林が、ずっと続きます。

安楽寺のお堂
安楽寺のお堂

ポツリと在るお堂に祀られた諸仏像は、まさに「異形仏」という名にふさわしい、異貌の仏像です。

安楽寺のお堂に祀られる諸像
安楽寺のお堂に祀られる諸像

この仏像を採り上げ、広く世に紹介したのは、井上正氏です。
井上氏は、薬師如来像の存在感、重量感、その他の像の強い霊威表現などに着目して、
「安楽寺に伝わる四躯の像は、奈良時代に、この山中の集落に根づいた古密教のありようを示す唯一の遺品であり、・・・・・・」
(「古仏」井上正著・1986年法蔵館刊所収)
と述べています。

写真をご覧いただくと、「異形・異貌」であることはお分かりいただけることと思います。
まさに、異形の古密教仏を主張する、井上正ワールドの仏像といえそうです。

安楽寺・薬師如来像

安楽寺・薬師如来像
安楽寺・薬師如来像


安楽寺・如来立像.安楽寺・如来立像
安楽寺・如来立像

安楽寺・天部形像
安楽寺・天部形像

安楽寺・僧形像
安楽寺・僧形像

皆さん、どのように感じられるでしょうか?
「アクの強い奇形の仏像」「粗略な地方仏」「田舎の仏像」「相当時代が下りそう」
こんな風に感じられる方も多いかと思います。

一方、そうはいっても、
「不可思議な存在感がある」「異形さが強い迫力になっている」「霊威表現そのものだ」「結構古様で、古い時代かもしれない」
このような印象を受けられる方もいらっしゃるでしょう。

確かに、普通の彫刻史の中では、取り上げられることがない「変わった仏像、変な仏像」です。
じかに拝すると、田舎風で粗略なのは間違いないのですが、アクの強い存在感、得も言われぬ迫力、不思議な霊威感といったものを、なぜか感じるのは事実です。

一度拝すると、何故か頭の中に妙にこびりついて、忘れ去ることができない仏像となってしまいます。

私は、8年前(2007)に、この仏像を初めて拝したのですが、それ以来、ずーっと心の中に澱のように引っかかって、妙に気になる仏像となっていました。
今回、もう一度訪ねてみたのですが、「妙に気になる仏像」という感覚は、さらに強くなったような気がします。
変な仏像ですが、なぜか強く惹かれるものを感じ、心に残るものを訴えかけてくる仏像達です。
また、いつか訪ねてみたくなってしまいました。

安楽寺の諸像、いずれ古仏探訪記で、ご紹介してみたいと思っています。



地蔵院・椿寺に寄りました。

北区、北野天満宮の近くにあります。
ここには、無指定ですが平安前期の十一面観音像があるというので、一度拝したいと思っていたのです。
お正月、お彼岸、地蔵盆の時、それぞれ数日開帳され、普段は拝せない秘仏になっています。
今日はちょうど地蔵盆、このタイミングを逃すわけにはいきません。

十一面観音像は、観音堂の奥の厨子に祀られています。

地蔵院椿寺の観音堂に祀られる十一面観音像
地蔵院椿寺・十一面観音像
地蔵院椿寺の観音堂に祀られる十一面観音像

ご拝観は観音堂の外から格子越しで、かなり遠く、間近に拝することはできませんでした。
ちょっと残念。
お姿のシルエットは、確かに平安前期風なのですが、近年の修復の手が相当入っているように見受けました。
見た目、きれいに整えられたお姿になっているのですが、当初の造形、彫り口を観てみたかったものです。


真夏の炎暑の中の、京都行脚、行軍でいささか疲れました。
宿の奈良まで戻って、近鉄奈良駅近くの居酒屋「おちゃけや」で一杯。

奈良・おちゃけや
奈良・おちゃけや

暑さで疲れた体に生ビールがしみ込んで、生き返りました。
安くて美味い居酒屋で、またまた大いに盛り上がりました。



【素朴な穏やかさが心に沁みとおる、大蔵寺・薬師如来像~白洲正子「かくれ里」の世界に浸る】

翌日は、奈良県の南部、宇陀の大蔵寺へ向かいました。

観仏先リスト⑤大蔵寺

目指すは、大蔵寺のご本尊、薬師如来像のご拝観です。

皆さんご存知の通りですが、大蔵寺の薬師如来像は、白洲正子氏の著書「かくれ里」で紹介され、世に知られるようになりました。
白洲正子は、「宇陀の大蔵寺」という章で、このように語っています。

「正直なところ、私は、大蔵寺の環境や建築に感心しても、中身の仏像にはあまり期待が持てなかった。
藤原時代の仏像にもピンからキリまである。
こんな山奥に、ろくな彫刻があるわけがないと、内心そう思っていたのだが、本堂の扉が開かれた時、それは見事に裏切られた。
実に美しい仏なのである。
といっても、特別すぐれた彫刻というのではなく、明らかに地方的作なのだが、そこにいうにいわれぬうぶさがあって、時代とか技術を超越したものが感じられる。
殊にお顔がいい。
推古仏に似た表情で、八尺八寸の長身から、無心に見おろしていられるのが、藤原初期よりずっと古様に見える。
・・・・・・・・
完全無欠な仏像より、私には、こういう仏像のほうが親しめる。」
(「かくれ里」1971年新潮社刊)

一度は、拝したいものと思っていたのですが、秘仏でなかなかご拝観がむつかしいといったようことも聞いていましたので、これまで訪ねてみようとしたことはなかったのです。
2011年に世田谷美術館で開かれた「白洲正子、神と仏、自然への祈り展」にも、地蔵像、天部像は出展されましたが、薬師如来像が出展されることはありませんでした。

最近、大蔵寺へ伺って拝観させていただいたという人の話を知り、早速、伺うこととしたのです。
大蔵寺さんのHPを拝見すると、単なる「拝観」は受け付けず、御祈願での秘仏本尊ご拝顔に限る旨書かれておりましたので、お願いのご連絡をして、恐る恐る同好の方と伺いました。

伺うと、ご住職は、お若い方でしたが、有難いことに、大変ご親切に受け入れていただき、丁寧なお話なども伺うことができました。

狭い山道を辿っていく、宇陀の山奥にある静かなお寺でした。
辺鄙ともいえるところで、まさに「かくれ里」という言葉がふさわしいような、佇まいです。
訪れる人も、そうはいないでしょう。

大蔵寺本堂
大蔵寺・大師堂
大蔵寺本堂(上)と大師堂(下)

杮(こけら)葺きの本堂、お堂の中は薄暗く、幽玄な雰囲気が漂う中、じっくりと薬師如来像に拝することができました。

大蔵寺・薬師如来像(「かくれ里」掲載写真)
大蔵寺・薬師如来像(「かくれ里」掲載写真)

薬師如来像については、白洲正子の「かくれ里」の文章に語りつくされていると思いますので、それ以上のことを綴る必要はないと思います。
語られている通りの、素朴な穏やかさが心に沁みとおるような仏さまでした。
心撃たれるものがありました。
ぜひとも、再訪したいものです。



[9月]


東京の展覧会を二つ見に行きました。

藤田美術館の至宝展ポスター.蔵王権現と修験の秘宝展ポスター

一つは、サントリー美術館で開かれた「藤田美術館の至宝~国宝曜変天目茶碗と日本の美展」です。
目玉は、曜変天目茶碗や交趾大亀香合といった焼き物、茶道具、書画骨董で、これはなかなか凄いものでした。
仏像では、法隆寺五重塔伝来塑像・羅漢像(奈良時代)、興福寺伝来の千体仏の一体(平安後期)、快慶と行快の墨書がある地蔵菩薩像などが展示されていました。

もう一つは、根津美術館で開催された「蔵王権現と修験の秘宝展」です。
数多くの蔵王権現像が出展されました。
吉野・金峯山寺の諸仏像と鳥取・三仏寺の蔵王権現諸像が多数展示されていました。
三仏寺の仁安3年(1168)造立、正本尊・蔵王権現像が出展されなかったのは、残念でした。

私の注目は、金峯山寺・釈迦如来坐像(県文・10C)でした。

金峯山寺・釈迦如来坐像
金峯山寺・釈迦如来坐像

近年行われた年輪年代測定法によると、制作年代が930年代半ばから後半頃であると推定されています。
吉野最古の木彫像とされますが、ちょっと不気味そうな面貌が、魅力的です。



【20年ぶりの秘仏開帳に、静岡まで日帰り出動~智満寺・千手観音像】

静岡県島田市にある智満寺の秘仏本尊・千手観音立像が、20年ぶりに開帳されました。

智満寺・秘仏本尊千手観音立像ご開帳ポスター
智満寺本尊・千手観音像は、厳重秘仏として知られ、60年に一度の御開帳となっています。
今回は、前回開帳から20年目に当たりますが、このたび新たに制作された「頼朝杉・弥勒菩薩像」が完成安置されたことを記念し、また本年が智満寺本堂を再建した徳川家康公の四百回忌に当たることから、本尊が特別ご開帳されることになったということです。

智満寺本尊は、平安中期の制作といわれ、写真で見ると、なかなかの惹きつける魅力があるように感じられます。
何とか一度は拝したいものと念じていた仏像なのです。

この機会を逃してはならじと、同好の方と、頑張って、東京から車で日帰りで島田市まで出かけたのでした。
あいにくの雨、悪天候でしたが、参拝の方が結構いらっしゃいました。

智満寺・参道の階段
智満寺本堂
智満寺・参道の階段と本堂

ご本尊は、明るい本堂内の立派な厨子の中に祀られていましたが、比較的眼近に拝することができました。

像高185センチ、立派な千手観音です。

智満寺本尊・千手観音像
智満寺本尊・千手観音像

丸顔で優しそうな穏やかなお顔ですが、全体的には堂々とした、重量感も感じさせます。
大きく横に広がった脇手が、堂々とした感じを際立たせているようです。
左右の真手に大きく広がった衣をかけているスタイルは、あまり見かけたことがありません。
双眼鏡で見ると、お顔全体や首のあたりは、荒彫り風のノミ痕を残しています
平安中期の制作というのは、納得というところです。

智満寺本尊・千手観音像
智満寺本尊・千手観音像

なかなかの秀作だと思いました。
雨の中、東京から日帰りで出かけてきた値打ちは十分ありました。

堂内には、近年、自然倒木した天然記念物「頼朝杉」の材から彫り出した、江里康慧(えりこうけい)仏師作の、弥勒菩薩坐像も安置されていました。
約2年を要して、優美なお姿に截金装飾が施された崇高な弥勒菩薩像となったということです。



「今年の観仏を振り返って」、7~9月の観仏先ご紹介は、ここまでです。

次回は、10月~12月の観仏を振り返らせていただきます。


古仏探訪~2015年・今年の観仏を振り返って〈その2〉  【2015.12.6】


2015年・今年の観仏を振り返って【その2】は、4月から6月までの観仏先をご紹介します。


[4月]

飲み友達3人で、1泊2日で近江京都方面に遊びに行こうということになりました。
仏像愛好仲間ではありませんので、観仏旅行というわけにはいきません。
せっかく京都方面に出かけるのに、観仏しないのはもったいないと、私は前日から出かけました。

丸一日かけて、龍谷ミュージアムの「聖護院門跡の名宝展」、宇治の三室戸寺、高槻市立しろあと歴史館の「人とほとけのきずな展」をまわりました。



【峯定寺の宋風・釈迦像、超絶技巧截金の不動明王像が大きな収穫~龍谷ミュージアムの「聖護院門跡の名宝展」】

観仏リスト2・聖護院展

聖護院といわれると、ついつい「聖護院八つ橋」とか「聖護院大根・かぶら」などが頭に浮かんでしまいます。
聖護院門跡の名宝展

仏像とか文化財では、ちょっとなじみが薄いのかもしれません。
聖護院は、900年の歴史を誇る修験の総本山で、門跡寺院でもあるという由緒、格式を誇る古刹です。
立派な仏像、文化財が数多く残されていて当然なのでしょうが、意外と知られていないようです。

聖護院ゆかりの平安後期から鎌倉時代の仏像が数多く出展され、なかなか充実した展観でした。

なかでも、峯定寺の、正治元年(1199)作の釈迦如来立像を観ることが出来たのは収穫でした。
この像は、ビラビラと異様に波打つ衣の襞が眼を惹く像で、吊り上がった眼も印象的、ちょっと特異な造形です。
一度、じっくり観たいと思っていたのです。
この表現は、南宋仏画をもとに造形されたといわれ、ねっとりとした宋風、異国風を強く感じさせる、注目の像です。
本像の造立には、解脱坊貞慶の関与が想起されているそうです。

峯定寺・釈迦如来立像
峯定寺・釈迦如来立像

峯定寺・不動明王二童子像(久寿元年・1154)の、細密な截金文様のコンピュータグラフィックスによる鮮やかな細密復元を観ることが出来たのも、もう一つの収穫でした。
華麗な超絶技巧の截金の世界に、感嘆の声をあげるとともに、その美しさを堪能することが出来ました。

峯定寺・不動明王三尊像.超絶美麗な截金文様の峯定寺・不動明王像
峯定寺・不動明王三尊像と超絶技巧の截金文様


三室戸寺へ行きました。

観仏リスト1・三室戸寺

良い天気でさわやかな春の風がそよぐ中、京阪電車・三室戸駅から、のんびり歩いて20分ほどで到着です。

宇治・三室戸寺
宇治・三室戸寺

実は、三室戸寺の仏像を拝するのは初めてなのです。
よく知られたお寺なのに、どうしてか機会がなく、行きそびれていました。
毎月17日のみが、仏像を安置する宝物殿の公開日ですが、やっとのことで諸仏を拝することが出来ました。



【唐風・奈良風を実感の慶瑞寺・菩薩坐像~高槻市立しろあと歴史館「ひととほとけのきずな展」】

観仏リスト3・人とほとけのきずな展

高槻市まで足を延ばして、しろあと歴史館で開催されていた「人とほとけのきずな展」へ行きました。
人とほとけのきずな展

高槻市内の社寺で、新たに調査した仏像仏画などを中心とした展覧会です。
展示仏像は、ほとんどが無指定の在地仏像ばかりという、こじんまりした企画展でした。

わざわざ出かけたのは、慶瑞寺・菩薩坐像が特別出展されていたからです。
慶瑞寺・菩薩坐像は、像高87.7㎝、檀像風のカヤの一木彫で、8~9世紀の制作といわれる出来の良い像です。
切れ長で鋭い眼差し、細身の体躯で、若々しい厳しさと霊的な雰囲気を醸し出す像です。
この慶瑞寺像、従来、平安前期の制作とされていましたが、近年は奈良時代とみてよいのではないか云われるようになっています。
2006年、東博開催の「一木彫展」解説でも、奈良~平安時代(8~9C)と記されています。

慶瑞寺には、二度訪れ拝したことがあるのですが、高い壇上に祀られ見上げるように拝するものですから、眼近にじっくり観てみたいと思って出かけたのです。

壇上に見上げる慶瑞寺・菩薩坐像
壇上に見上げるように祀られる慶瑞寺・菩薩坐像

唐風、異国風のエキゾチズムを感じました。
天平風の造形、シルエットであることにも気付きました。
お寺で見上げて拝すると、平安初期的な硬くてシャープな感じのイメージが残ったのですが、目線と同じ高さで観ると、展示された像を眼近に観ると、ずいぶん印象が変化しました。

慶瑞寺・菩薩坐像.慶瑞寺・菩薩坐像
慶瑞寺・菩薩坐像

特に天平風を感じたのは、真横から観た姿です。
背中の丸め方、頭部の深い面奥、形状など、そのシルエットは、まるで天平仏という感じがしました。
膝前の衣文線のふくらみある造型も、乾漆仏を思わせます。
「8世紀の作といわれるのも納得!」
そのように感じました。



翌日からは、飲み友達3人で、一泊二日の近江・京都美食旅行。
初日は、八日市の「招福楼」でゆっくりと、飲みながら昼食。

八日市・招福楼
八日市・招福楼

流石「招福楼」、しつらえ、料理、応対、すべて文句のつけようのない至福の時でありした。
そのあと、奈良前期の三重石塔のある石塔寺、ヴォーリズ建築の近江八幡教会、日牟礼八幡宮などを巡って京都泊。

石塔寺・三重石塔.ヴォリーズ建築・近江八幡教会
石塔寺・三重石塔               ヴォーリズ建築・近江八幡教会

翌日は、西陣の老舗帯地屋「渡文」旧宅店舗にある「織成館(おりなすかん)」、野村美術館の「高麗茶碗展」に行きました。

西陣・織成館
西陣・織成館

ついでに、仏像も見たいという同行の友のリクエストに応えて、西陣に近い大将軍八神社、雨宝院に寄りました。

観仏リスト4・大将軍八神社、雨法院

いずれも、ポピュラーではありませんが、魅力ある平安の神仏像が祀られており、私のお気に入りの社寺です。

大将軍八神社社殿

大将軍八神社・大将軍神像
大将軍八神社社殿と大将軍神像

とりわけ、雨法院の千手観音像は、私の一押しの魅力ある平安前期仏です。
もう、何度訪れたことでしょうか。

西陣・雨法院

雨法院・千手観音立像
西陣雨法院と千手観音立像


この日の朝食とランチは、私のお気に入り定番の、寺町二条「進々堂」と、木屋町御池「レストラン・おがわ」。

近江京都の春と美食を堪能した、大満足の旅となりました。



【新町地蔵保存会の地蔵坐像の迫力にビックリ~新指定国宝・重要文化財展】

4月は、毎年恒例、東京国立博物館で新指定国宝重要文化財展が開催される月です。
平成27年度(2015)は、ご覧のような仏像彫刻が、国宝・重要文化財に新たに指定されました。

観仏リスト5・新指定文化財展

毎年必見の展覧会です。

今年は、醍醐寺・虚空蔵菩薩立像、東大寺・弥勒仏坐像(試みの大仏)が、国宝指定になりました。

醍醐寺・虚空蔵菩薩立像.東大寺・弥勒仏坐像
醍醐寺・虚空蔵菩薩立像                    東大寺・弥勒仏坐像

平安初期の檀像風彫刻の名品がそろい踏みで国宝指定です。
いずれも、鋭く切れ味の良い彫技が、これでもかと冴えわたる素木像で、その魅力に強く惹かれています。
醍醐寺・虚空蔵像は、長らく聖観音像と称されていましたが、近年、来歴が明らかになり虚空蔵像であることが判明しましたが、そのことが国宝指定される一因になったのでしょうか。


大注目だったのが、新町地蔵保存会の地蔵菩薩像です。

新町地蔵保存会・地蔵菩薩坐像
新町地蔵保存会・地蔵菩薩坐像

京都市左京区、下鴨の小さな地蔵堂に伝わった仏像なのだそうですが、その存在を全く知りませんでした。
像高47.5㎝、カヤ材の一木彫で、9世紀後半の制作と考えられるそうです。
粘りのある彫り込まれた衣文、厚みと張りがある体躯の迫力はなかなかで、惹きつけるものがあります。
驚きました。
こんな仏像が京都にあったのかと、ビックリです。
平安前期一木彫の魅力をしっかり備えた仏像に、また一つ出会うことが出来ました。



[5月]


【日向薬師・薬師三尊、弘明寺・十一面観音の二つの鉈彫り像を、じっくり拝観】

観仏リスト6・鉈彫シリーズ

同好の方々と、神奈川県立金沢文庫で開催された「日向薬師・秘仏鉈彫本尊開帳展」と横浜市南区弘明寺町の弘明寺・十一面観音像拝観に出かけました。
鉈彫りシリーズの観仏です。

金沢文庫・日向薬師秘仏鉈彫本尊開帳展

金沢文庫の日向薬師展は、昨年10月からの開催予定でしたが、館内収蔵庫の一部にカビの発生が判明、開催延期となっていたものです。
弘明寺・十一面観音立像
弘明寺・十一面観音立像
日向薬師・本尊薬師三尊像は、年に5日に限りご開帳されるだけですので、眼近に観ることが出来るこのチャンスを愉しみにしていたものです。

日向薬師像と弘明寺像を連続して拝することが出来たのは、大変良い観仏でした。
日向薬師像はしっかり丁寧に造られており、弘明寺像の方は霊木の野性味のようなものをそのまま伝えているようです。

鉈彫り像は、その昔の完成・未完成論議から、近年は、何故鉈彫り像が作られたのか、何故縞目なのかといった成立事由論議に展開してきています。
東国の気風、嗜好に合ったというような事由だけでは、なかなか説明がつきにくいように思えますが、まだまだ興味深い謎だと云えるのでしょう。


鉈彫り観仏シリーズを終え、まだ陽の高い4時前から弘明寺商店街の中華料理店で酒盛り。
鉈彫り談議、観仏談議で盛り上がり、帰り途、新横浜のブラッスリーに寄ってワインで飲み直し、すっかり出来上がってしまいました。



【二体の朝鮮渡来仏~関山神社・菩薩像、観松院・菩薩半跏像をめざし、長野の展覧会へ】

今年は、7年に一度の善光寺・前立本尊の御開帳の年でした。

この御開帳には、わざわざ出かける気はなかったのですが、御開帳期間に合わせて長野で二つの仏像展覧会が開かれました。
長野市博物館の「信仰のみち展」と、長野県信濃美術館の「信濃の仏像と国宝土偶展」です。
共に、なかなか興味深い仏像が出展されることになっていましたので、同好の方々と長野観仏旅行に1泊2日で出かけました。

観仏リスト7・信仰のみち展

観仏リスト8・いのりのかたち展

展覧会には、ご覧のような長野の仏像が出展され、それぞれに興味深く愉しむことが出来ました。

長野市博物館・信仰のみち展.長野県信濃美術館・信濃の仏像と国宝土偶展

二体の日本海沿岸や信濃に伝わる古代朝鮮渡来の金銅仏を、両展覧会で観ることが出来ました。
そのために、わざわざ長野までやってきたようなものです。

関山神社の菩薩立像は、宝珠捧持形式であったらしく、各所に法隆寺夢殿・救世観音像に近い形式を持つとされています。

関山神社・菩薩立像...関山神社・菩薩立像
関山神社・菩薩立像

側面の「くの字」状シルエットも、夢殿観音に通じます。
昭和30年代になって初めて知られるようになった関山神社のご神体ですが、6~7世紀の朝鮮渡来仏とみられています。

観松院・菩薩半跏像も一目して朝鮮渡来仏と思われる金銅仏です。
形式は神野寺・菩薩半跏像に似たスタイルですが、6~7世紀の渡来金銅仏とみられています。

観松院・菩薩半跏像..観松院・菩薩半跏像
観松院・菩薩半跏像

関山神社は、日本海沿岸に近い妙高市に、観松院は安曇野・北安曇郡松川村にあります。
絶対秘仏の善光寺本尊も朝鮮三国時代の金銅三尊仏である可能性を考えると、古代朝鮮から日本海沿岸、信濃という文化伝播ルート、渡来人の来訪ルートがあったのかもしれないという想像が拡がっていきます。
共に、20㎝そこそこの金銅仏で、単眼鏡などで目を凝らさないと観ることが出来ない小像ですが、「これを目指してやってきたのだ」と、じっくり鑑賞しました。



展覧会に出かけたついでというわけでもないのですが、松代清水寺、保科清水寺、知識寺を巡って、仏像を拝しました。
もちろん、善光寺の前立本尊も、長い行列に並んでチラリと拝しました。

観仏リスト9・信濃観仏


【違和感ある迫力~強い自己主張が不思議な魅力の、松代清水寺の仏たち】

松代清水寺は、太平洋戦争末期に建設された松代大本営跡の近くの小さな集落に、ほとんど目立つことなくあります。
松代清水寺の仏像は、信濃一番の古仏で、貞観の余風を色濃く残す平安中期の像です。
毎度感じることですが、コンクリート造りの本堂兼収蔵庫が開かれると、眼前に諸仏が一列に立ち並び、「違和感ある迫力」が伝わってきます。

松代清水寺・安置諸像
松代清水寺・安置諸像

なかでも聖観音像は、「違和感ある迫力」の代表選手です。
生々しい量感・迫力で、ちょっと引いてしまうほどです。

松代清水寺・聖観音立像
松代清水寺・聖観音立像

目鼻の造りが大きくアクの強い顔、肩・胸を張って胴を極端に細く絞った、誇張したモデリングなどが独特の造形です。
信濃の仏師の、強い自己主張の声が聞こえるようで、不思議な魅力を感じる仏たちです。

松代清水寺・新発見天部形立像
松代清水寺・新発見天部形立像
この清水寺で、今年(2015)3月に、平安前期の天部形像が発見されました。
ご住職にお話を伺うと、
「60年以上前に建替えた本堂の天井裏に、多数の破損仏像が保管されていたうちの一体で、調査をしていただいたら平安前期の古像だと判明したのですよ。」
ということでした。

この天部像は、ちょうど長野県信濃美術館の「信濃の仏像と国宝土偶展」に特別出展されていて、そちらで観ることが出来ました。
独特のアクの強い造形でしたが、大変古様でインパクトある像でした。



【奈良・桜井から信濃の地にやってきた、保科清水寺の仏たち】

もう一つの清水寺、保科清水寺は、松代清水寺の東5~6キロのところにあります。

保科清水寺には、平安後期の立派な仏像が、数多く祀られています。
しかし、これらの仏像は当地で造られたものではありません。
奈良桜井の石位寺から本尊千手観音像ほか10余体が移安されたものなのです。
大正5年(1916)、清水寺は大火に遭い全山焼失しました。
その折、保科清水寺が、石位寺の古仏群を7千円で買い取り、当地に移安されてきたものなのです。
奈良の石位寺では、お堂の修理費の工面が必要となって、仏像を処分することとしたのでした。
石位寺とは、あの白鳳の三尊石仏で知られるお寺です。

仏像は皆、平安後期らしいおだやかなお姿ですが、奈良南部の地方作的雰囲気がある像です。

保科清水寺・千手観音坐像.保科清水寺・安置諸像
保科清水寺・千手観音坐像と安置諸像

あの石位寺から、どんなふうにして十数体の仏像が、遠路長野の地まで運ばれてきたのでしょうか?
山腹の観音堂にある千手観音坐像の、清楚で穏やかな姿を拝していると、こんな由来物語とは関わり無く、この信濃の地に、昔からずっと祀られてきたかのように、しっくりなじんで見えてきます。



【素朴さに惹かれる立木仏~知識寺・十一面観音像】

知識寺の十一面観音像は、大御堂と呼ばれる 木立ちに佇む茅葺の風情あるお堂の厨子に祀られています。

知識寺・大御堂
知識寺・大御堂

知識寺・十一面観音立像
知識寺・十一面観音立像

ケヤキの立木に直彫りした、3mを越える「立木仏」です。
豪快で寸胴のような巨像が、大御堂の床をえぐりぬいた一段と低いところから、自然木に近い岩座を踏まえ、厨子一杯に立ち上がっています。
いかにも、立木がそのまま真直ぐすくっと伸びているような荒削りの素木像で、この地の人々の信仰を集める像に相応しく感じます。
何度来ても、その素朴さにひかれてしまいます。



観仏のほかには、信州の鎌倉と呼ばれる「塩田平」に寄ってきました。
心安らぐ眺望の田園風景です。

塩田平の田園風景
塩田平の眺望

前山寺三重塔のほか、信濃デッサン館、無言館へ行きました。

信濃デッサン館、無言館は、窪島誠一郎氏が私財を投じて運営しているユニークな美術館です。
窪島誠一郎氏は、作家・故水上勉の子息で、戦争の混乱期に父・水上勉と別離し、スナックや画廊を含むいろいろな仕事をしてから、1979年に長野県に信濃デッサン館を設立しました。
父との再会や確執、信濃デッサン館・無言館を題材にたくさんの著作があるのはご存知の通りです。
信濃デッサン館では、窪島氏収集の村山槐多、関根正二、野田英夫など夭折画家の小品が展示されています。

信濃デッサン館
信濃デッサン館

無言館には、戦没画学生たちの遺作となった絵画・作品・絵の道具・手紙などが展示されています。

無言館
無言館

無言館という名付けは、
「展示される絵画は何も語らず『無言』ではあるが、観る側に多くを語りかけるという意味で命名したということですが、客もまた展示される絵画を見て『無言』になるという意味をも含んでいる」
そうです。
戦没画学生の作品を観ていると、抑えてもこみ上げてくるものを感じざるを得ません。


塩田平を巡った後は、上田駅まで戻り、お土産とランチ。

お土産は、江戸時代創業の水飴、ジャムの老舗、「みすず飴本舗・飯島商店」に寄りました。

石造りのみすず飴本舗・飯島商店本店
石造りのみすず飴本舗・飯島商店本店

本店の建物は、国指定有形文化財という石造りの格調高いものです。

ランチは、この飯島商店の店員さんに教えていただいた近所のイタリアン。

このお店が、なんとも美味かったのです。

トラットリアノンノ

トラットリアノンノ内観
トラットリア・ノンノ

雰囲気といい、料理の美味さといい、上田にこんな素敵なイタリアンの店が何故あるのだろうと、本当にびっくりです。
東京都心でも、十二分に勝負できる味だと思いました。
想定外の美味さに、ワインもグイグイ進んでしまい、あっという間にいい気分になってしまいました。
お店の名前は、「トラットリア ノンノ」
飯島商店の店員さんに大感謝です。




[6月]

5月の信濃の次は、飽きもせずに、今度は西へ。
同好の方々と、四国、徳島、香川の観仏に、3泊4日で出かけました。
徳島観仏は、45年ほど前以来で、本当に懐かしい観仏旅行です。


〈四国:第1日目〉


観仏リスト10・徳島香川観仏1


【45年ぶりの懐かしの再会に感動!~井戸寺・十一面観音像と願興寺・聖観音像】

まずは、井戸寺。

ご住職のご都合もあり、朝の8時半からご拝観となりました。
徳島市内に前泊して、朝一番に出動です。
井戸寺の十一面観音像は、9世紀末から10世紀の制作で、徳島県最古の木彫像と言われています。
誰が見ても独特の惹きつけるインパクトを感じさせる一木彫像です。
その特異さから、奈良時代の制作とみる説もあるのです。

井戸寺・十一面観音を拝するためならと、前泊も勿論厭わず、徳島に乗り込んだのでした。

井戸寺
四国八十八箇所霊場第十七番札所・井戸寺

45年前、学生時代にこの像を拝した時は、口をへの字に結び唇を突き出した顔貌、中心線から体躯が大胆に歪んでくねっている姿を見て、
「へんてこな造形の仏像だな・・・・仏師の腕が悪かったのだろうか?」
などと思った記憶がありますが、なにやら不思議なパワーを感じたのが、今も心に残っています。

井戸寺・十一面観音立像(1972年撮影写真)
井戸寺・十一面観音立像(1972年撮影写真)

十一面観音像は、六角堂・観音堂に安置されています。
いよいよ再会、ご対面です。
果たして、やっぱり、なかなかの迫力でした。

井戸寺・十一面観音立像
井戸寺・十一面観音立像

異形の仏像です。
「歪んでいます。」
「えもいわれぬ惹きつけるものがあります。内からこみ上げて来る迫力とでもいうのでしょうか?」
への字に結んだ口は、顔面の中央からずれて曲がっているし、体躯の線も中心線から歪んでくねっています。

井戸寺・十一面観音立像
井戸寺・十一面観音立像~顔部

歪んではいますが、彫り口は鋭く、ボリュームもなかなかです。
この不均衡な造型が、緊張感、野性味を発散させているのでしょう。
待望の再会を裏切ることのなかった、井戸寺・十一面観音像でした。



もう一つの45年ぶりの再会は、香川さぬき市・願興寺の聖観音坐像です。

願興寺・聖観音坐像
願興寺・聖観音坐像

この像は、奈良時代の美しい脱活乾漆像と云うことで、よく知られています。
いかにも天平の脱活乾漆像という理想的な姿が、清新で活き活きと表現されています。

願興寺・聖観音坐像
瓔珞が美しい願興寺・聖観音坐像
胸前にかかる瓔珞の装飾の美麗さには、とりわけ惹き付けられます。

四国地方唯一の脱活乾漆像ですが、これだけの第一級レベルの像が、奈良ではなくて讃岐の地に遺されているのに、不思議な感じを覚えます。
東大寺や唐招提寺と深い関係のあった、讃岐の国の歴史を物語るといってもよいのでしょう。

ご住職の案内で、立派な収蔵庫に祀られる聖観音坐像を拝することが出来ました。
やはり、これぞ天平という、美麗な仏様で、見惚れてしまいます。
「45年ほど前に伺ったことがあるんですよ!」
とお話しすると、
「昭和40年代からの拝観記帳簿が、まだ残っていてここに置いてあるのですよ。」
と、記帳簿を見せていただきました。
「ありました!ありました!」
昭和46年10月15日のところに、私が大学の同好会6名で訪れた時の記帳が、ちゃんと残されていました。

1971年10月の拝観記帳が残されている記帳簿
1971年10月の拝観記帳が残されている記帳簿

これまた、45年ぶりの懐かしい出会いとなりました。
「このころは、まだ古い収蔵庫に祀っていた頃でしたね。」
との、ご住職のお話に、今より随分小さな収蔵庫で、この観音像を拝した思い出が、ふつふつと懐かしく蘇ってきました。

願興寺・聖観音坐像(1971年撮影写真)
願興寺・聖観音坐像(1971年撮影写真)



【丈六巨像の堂々たる存在感に圧倒された、丈六寺・聖観音座像】

堂々たる観音坐像に圧倒されたのが、丈六寺・聖観音坐像でした。

観音堂には、丈六寺、その名の通りの丈六の聖観音坐像が祀られています。
像高310㎝の寄木造の巨像で、平安後期の制作です

丈六寺・聖観音坐像
丈六寺・聖観音坐像

「でかい」のです。
でかいのですが、破綻の無い造型バランスで、見事に仕上げられている出来の良い像です。
11世紀、定朝の平等院阿弥陀像の頃に近い制作かとみられるようですが、空気感はずいぶん違います。

丈六寺・聖観音坐像の指
丈六寺・聖観音坐像の指
眼鼻や衣などの表現は、いわゆる藤原彫刻そのものなのですが、定朝様仏の醸し出す、繊細優美、絵画的で軽やかという感覚とは、ずいぶん違います。
むしろ、ずっしりした重量感、豊満感を感じさせる造形です。
指なども、しっかり太めでもっちり、繊細優美とは縁遠い感じです。
出来の良い藤原仏なのに、ドーンと構えた堂々たる存在感を強く感じるのです。
大変気に入ってしまいました。

実は、この丈六寺の聖観音坐像、我々が訪れた一月後、56年ぶりの修復ということで、奈良博の修理工房に搬出されました。
3年間かけての修理になるそうです。
修理直前に、拝することが出来たのは、なんともラッキー、嬉しいことでした。



この日は、高松泊。
夜は、高松で最近評判の居酒屋「喰うくう」。
取りにくいという予約がラッキーに取れて、いざ出動!
評判通りで、本当に美味かった。
値段もまずまずお手頃、高松では絶対のお薦めの店でした。

高松居酒屋「喰うくう」
高松居酒屋「喰うくう」




〈四国:第2日目〉


観仏リスト11・徳島香川観仏2


【唐招提寺・衆宝王菩薩像の兄弟分、正花寺・菩薩像の見事さに見惚れる】

四国2日目の観仏先はごらんのとおりです。

何といっても、この日の目玉は、高松市西山崎町にある正花寺の菩薩立像です。
この正花寺・菩薩像、唐招提寺講堂に安置されていた衆宝王菩薩像に瓜二つの像として、よく知られています。
姿かたちはもちろんのことですが、カヤ材の一木彫で蓮肉まで一材で彫り上げられているところまでそっくりです。

唐招提寺・衆宝王菩薩立像..正花寺・菩薩立像
唐招提寺・衆宝王菩薩立像            正花寺・菩薩立像

四国の地に、このような名像が遺されているというのは、本当にびっくりです。
この像は、たまには展覧会に出展されますので、ご覧になったことのある方も多いのではないかと思います。
直近では、2006年に東博で開催された「一木彫展」に出展されました。

仏像は古いお堂から移された収蔵庫に収められていますが、普段は誰もいらっしゃいません。

正花寺・収蔵庫
正花寺・収蔵庫

ご高齢のご住職が、お孫さんご夫妻の車でわざわざお見えいただきました。
ここまで、何十分もかかるところにお住まいだそうです。
ご住職のお話を伺っていると、心よりの愛情をこめて、この菩薩像を大切におお守りされていることが、伝わってきます。
ご面倒をかけたことに感謝しつつ、菩薩像のご拝観です。

正花寺・菩薩立像
正花寺・菩薩立像

何度拝しても、その出来のすばらしさ、見事さに、感嘆の声をあげてしまいます。
何とも言えない、お顔の表情には見惚れます。
体躯の中心に木心を持ってきているからでしょうか、頬や胸に顕れる木目の線が見事にシンメトリーに整っています。
当代、一流の仏工の手になったものに違いありません。
兄貴分の衆宝王菩薩像と比べてみると、衆宝王像には石彫的な硬質感があり、大陸風の空気感がありますが、弟分の正花寺像のほうは、木彫的なふくらみ、柔らかさがあり、異国風の雰囲気は感じられません。

正花寺・菩薩立像

正花寺・菩薩立像
正花寺・菩薩立像

唐招提寺衆宝王像が、中国工人の関与によって制作された像だとすれば、正花寺像は、これを踏まえた日本人仏師の手によって消化されて造られたのではないでしょうか?
これだけの出来栄えの第一級作品ですので、南都の地で制作されたのは間違いないでしょう。
当地は、奈良時代、東大寺の封戸があった処で、また讃岐の国の封戸が唐招提寺施入されたりしています。
そのようなことから、きっと奈良の地からもたらされてきたのでしょう。

唐招提寺像が8世紀・奈良後期の制作とすれば、正花寺像はどれほどの時間差で造られたのでしょうか?



【横幅がすごい~重量感・存在感が腹にこたえる屋島寺・千手観音像】

屋島寺・十一面観音像は、源平合戦古戦場の屋島山上にある屋島寺の宝物館に展示されています。
この像は、屋島寺のご本尊なのですが、宝物館のガラス張りの展示棚に他の像と並べてさりげなく置かれています。
この像を目指してこなければ、数ある展示物の中の一つという感じでおかれていて、まさかご本尊とは気が付きません。
ちょっと気の毒のような気がしてしまいます。

屋島寺・千手観音坐像
屋島寺・千手観音坐像

いつ見ても、ぶっといボリューム感が、前面に押し出してきて圧倒されます。
横幅がすごいのです。
目鼻も、お顔も、胸も、脇手も、全て横拡がりです。
そして、皆、分厚く、太いのです。

屋島寺・千手観音坐像
屋島寺・千手観音坐像~顔部

ちょっとアンバランスな造形ですが、そのことが、平安前期特有の、重量感、存在感を発散させています。
忘れられない仏像です。



【凛とした八頭身クールビューティ~切れ味に魅せられる堂床区・十一面観音像】

堂床区・十一面観音像も、記憶に残る仏像です。

現在は、綾川町役場内にある「ふるさと資料館」に展示されています。
展示室の中央、360度ビューで鑑賞できる立派なガラスケースの中に展示されています。
「ふるさと資料館」の看板展示になっています。
像高176.3cm、すらりとしたスリムで長身の観音像です。
ヒノキの一木彫で内刳り無し、平安後期とか10世紀頃の制作とみられているようです。

堂床区・十一面観音立像
堂床区・十一面観音立像

痩身なのに、なよなよとしたところが全くありません
堂床区・十一面観音立像
堂床区・十一面観音立像~顔部
「キリリと締りがある!」
まずもって、この像から受ける印象です。
切れ上がった眼、きりっと通った鼻筋、引き締まった口元、「クールビューティ」とでも称したいような秀麗なお顔です。
胴はハイウエストでキュッとしまってくびれて、脚がすごく長くて八頭身です。
裳、衣文の彫もシャープで鎬立ち、のびやかです。
表現がむつかしいですが、
「スリムでクールで、キレキレ!」
なのです。

こんな風に書いていると、
「知的でクールで美しい、冴えわたったキャリアウーマン」
そんな女性のことを綴っているような気になってしまいました。

シャープで厳しい印象の表現の仏像は、平安前期特有のボリュームがあり分厚いといった重量感ある造形の延長線上にあるものが多いように思います。
ところが、堂床区・十一面観音像は、スリムで八頭身なのに平安前期風のシャープさ、厳しさを十分備えています。
あまり見ない造形、と云って良いのかもしれません。

堂床区・十一面観音立像.堂床区・十一面観音立像
堂床区・十一面観音立像

こうした、凛としてクール、シャープな観音像の魅力に、惹きつけられてしまいました。
大好きな仏像になりました。

この仏像は、龍燈院綾川寺の本尊でしたが、明治初年の神仏分離令(1868年)によって、綾川寺が廃寺となり、それ以後は堂床地区の人々が集落の滝宮神社境内の観音堂本尊として譲り受け、地区管理の仏像として大切に守られてきました。
私も、昔、滝宮神社の収蔵庫で拝した思い出があります。
平成24年(2012)から、新たに竣工した役場の「ふるさと資料館」で展示されるようになったそうです。


四国第2日目、充実濃厚の香川観仏の後、高松の夜は、スパニッシュバル「バルブルラッテ」。
これまたなかなかの味、ワインでいい気分。

スパニッシュバル「バルブルラッテ」
スパニッシュバル「バルブルラッテ」



〈四国:第3日目〉

徳島・香川観仏旅行も3日目。
観仏先は、ご覧のとおりです。
中高年にとっては、だいぶ疲れてきました。
もうひと頑張り。

観仏リスト12・徳島香川観仏3


【こめられた気迫が静かに迫りくる~見事な優作、神谷神社隋身像との出会い】

坂出市神谷町にある、神谷(かんだに)神社を訪れました。

田園の続く鄙びた村落にありました。
規模もあまり大きくなく村の神社といったような雰囲気で、ちょっと判りにくい場所にありました。
全く目立たない神社なのですが、本殿は建保7年(1219年)築で、建造年の明らかな神社建築としては日本最古で、国宝に指定されています。
また、隋身像2躯は、鎌倉前期の制作で、重要文化財に指定されているのです。

神谷神社・本殿(国宝)
神谷神社・本殿(国宝)

判ったようなことを書いていますが、そんな話は、神谷神社を訪ねることになるまで全く知りませんでした。
「ふーん、重文の隋身像があるんだ。」
そんな気分で訪れたのです。

隋身像を拝して、驚いてしまいました。
見事な優作です。

神谷神社・隋身像
神谷神社・隋身像

2躯ともに、まっすぐ正面立ちで動きはないのですが、静かに迫りくる気迫に、押されてしまいます。
御神像の類ですので、着衣の表現もシンプルですが、造形バランスは見事で、刀痕鋭く鮮やかに彫り上げられています。
とりわけ、阿形像のお顔の表現は気迫にみなぎり、じっと凝視していると、静謐なのですが後ずさりしてしまいそうな厳粛さが込められています。

神谷神社・隋身像~阿形像.神谷神社・隋身像~阿形像
神谷神社・隋身像~阿形像

隋身像の遺例としては、岡山津山市の高野神社隋身像と本像の2例が遺されているだけだそうです。
高野神社隋身像のほうは、よく知られており展覧会に出展されることがありますが、神谷神社像のほうは、ほとんど知られていないのではないかと思います。
これだけの優作、もっと世に知られてもよいのではと感じてしまいました。

ご案内、ご説明いただいた宮司様は、なるべく静かにお守りしていたいので、所謂宣伝のようなことはやりたくないのだとおっしゃっておられました。
国宝、重文を有しながらも、鄙びた当地にひっそり静かに在る、それもあらまほしき姿との思いを抱きつつ、神谷神社を後にしました。



【三豊市の鄙の地で、一流の技の美仏に出会う~法蓮寺・不空羂索観音像】

三豊市の法蓮寺は、高松から西へ約50キロ、農村地帯の田園風景の中にぽつりとあります。
本当に、のどかな鄙の地の村落にあり、広い立派なお宅の庭の隅に、収蔵庫が立っているといった感じです。

法蓮寺
法蓮寺

お訪ねすると、家人の女性の方が、どうぞご勝手に拝んでくださいとおっしゃって、ゆっくり拝することができました。

そんな田舎の仏像なのですが、これがびっくり、素晴らしく出来の良い不空羂索観音坐像です。

法蓮寺・不空羂索観音坐像
法蓮寺・不空羂索観音坐像

写真をご覧いただいたら一目瞭然ですが、張りのあるモデリング、均整の取れた体躯のバランス、彫技の入念さ、それぞれに見事で、堂々たる安定感、重厚感は、一流の仏師の腕になるものに違いないという気がします。

腕や、胸から腹にかけての肉付けには、ほれぼれしてしまいます。
膝の厚みや、衣文の彫の入念さも、なかなかです。

法蓮寺・不空羂索観音坐像

法蓮寺・不空羂索観音坐像
法蓮寺・不空羂索観音坐像

カヤ材の一木彫で、10~11世紀の制作とみられています。
一面二目八臂の不空羂索観音像で、全国でも数少ない作例となるそうです。

「こんなところに、どうしてこんな像が?」

と、つい思ってしまいます。
四国観仏旅行のフィナーレを飾るに、ふさわしい仏像に出会いました。



讃岐の地は、すごいレベルの仏像ぞろいだと、今更ながらに感じました。
四国の残りの三県と比べて、ダントツに粒ぞろいの仏像が遺されています。
今回は訪ねた古仏のほかにも、聖通寺、根来寺、金刀比羅宮、志度寺など、優れた平安古仏が遺されていることはご存じのとおりです。

讃岐の地は、東大寺や唐招提寺の封戸があったことなど、古代、都の寺院にとって、経済的に重要な地であったことを物語るといってよいのでしょう。



「今年の観仏を振り返って」は、やっと6月までのご紹介をすることができました。
ダラダラと、随分長く綴ってしまいました。

まだ半分しかご紹介できていないのかと思うと、少々疲れてきてしまいました。

元気を出してあと半分。
【その3】では、7~9月の観仏を振り返ります。