観仏日々帖

古仏探訪~今年の観仏を振り返って 〈その2〉 【2014.12.27】


〈その1〉に引き続き、
2014年後半戦、7~12月の古仏探訪を振り返ってみたいと思います。


【7月】

7~8月は、真夏は熱射病にもなってしまいそうなので苦手。
なるべく大人しくして、観仏探訪には、殆ど出かけませんでした。

7月、唯一訪れたのが、世田谷観音寺です。

世田谷観音寺

世田谷観音寺には、内山永久寺伝来の康円作・不動明王像、八大童子像が祀られています。
東急田園都市線の三軒茶屋駅から歩いて行けるところに在り、我が家からは30~40分で行けるのですが、何故かこれまで拝したことが無かったのです。

毎月28日がご開帳日で、朝日カルチャーセンターの臨地講座(講師:真田尊光氏)が企画されていましたので、良い機会と申し込んで行ってきました。

世田谷観音寺・不動明王八大童子像が祀られるお堂
世田谷観音寺・不動明王八大童子像が祀られるお堂

世田谷観音寺・不動明王八大童子像~康円作(重文・鎌倉)
世田谷観音寺・不動明王八大童子像が祀られるお堂

世田谷観音寺は、事業家の大田睦賢氏が私財を投じて昭和26年(1951年)に創建し,住職となった天台宗のお寺です。
祀られている不動明王・八大童子像は、奈良・石上神宮の神宮寺・内山永久寺に伝えられた仏像です。
内山永久寺は、明治の廃仏毀釈の時に、徹底的に破壊され廃寺になりました。
多くの仏像が破壊されたり散逸したりしましたが、この仏様もその一つです。

この像が、世田谷観音寺に祀られるまでの来歴をたどると、
内山村庄屋・中山平八郎→藤田伝三郎→久原房之介→中野忠太郎→大田睦賢
と相承されているようです。

昭和29年、芸苑巡礼社刊「大聖不動明王尊像并聖八大童子像」に、そのように記されています。
明治以来、所蔵者が転々とし、やっと今の世田谷観音寺に安住の地を得たのでしょうか。

真田尊光氏の解説で、眼近に拝することが出来ました。
藪蚊の猛烈な攻撃に会い、あちこち刺されてかゆみに耐えながらの探訪となりました。



【8月】

8月は、学生時代の同窓会が奈良でありました。
奈良まで出かけたのですが、宴会専一で、お寺には何処も寄らずに帰ってきました。
もったいない限りです。

唯一、奈良国立博物館で開催中の「醍醐寺のすべて展」に寄ってきました。

醍醐寺の全て展ポスター
醍醐寺の大規模な展覧会は、これまで何度か開催されていますし、仏像については醍醐寺の霊宝館に行けば、殆ど観ることが出来ます。
大注目の展覧会、というほどではなかったのですが、今回の大目玉は、上醍醐・五大堂の五大明王像(重要文化財)が出展されたことでした。

この像は、普段拝することはできません。
五大明王像のうち、大威徳明王像以外の4躯は、後世の江戸時代制作像ですが、大威徳明王像は、平安時代の制作で、延喜13年(913) に完成した創建五大堂の五大明王像の遺像であったと見られています。

10世紀初の大威徳明王像ということで、期待に胸ふくらませて拝しましたが、仏像彫刻の出来としては、それほどに惹かれるものではなかったというのが、正直な感想です。

上醍醐五大堂・大威徳明王像(重文・平安)
上醍醐五大堂・大威徳明王像(重文・平安)

やはり大いなる存在感と、強く惹かれるものを感じたのは、上醍醐本尊・薬師三尊像快慶作・弥勒菩薩坐像でした。

醍醐寺・快慶作弥勒菩薩坐像(重文)
醍醐寺・快慶作弥勒菩薩坐像(重文)

快慶作・弥勒菩薩坐像は、三宝院の本堂(護摩堂)に祀られて、拝観はお堂の入口からです。
距離があり薄暗いので、その姿をはっきり拝することが難しいのですが、明るい照明のもとで眼近に拝することが出来ました。
その出来の良さ、素晴らしさに、今更ながらに感動してしまいました。


翌日は、同窓会メンバーと共に、京都島原の「角屋」「輪違屋」の夏の文化財特別公開に立ち寄り、京の花街文化の名残を愉しんできました。
以前に読んだ、浅田次郎の小説「輪違屋糸里」のことを、思い出してしまいました。

京都・島原~輪違屋
京都・島原~輪違屋

9月は、諸々の予定や、海外旅行などに追われて忙しく、観仏探訪に出かける余裕なしという処でした。



【10月】

御法に守られし醍醐寺展ポスター
渋谷の松濤美術館で開催された「御法に守られし醍醐寺展」に行きました。
松濤美術館で「醍醐寺展」というのは、ちょっとフィーリングが合わないのですが、しばらく閉館中だったリニューアル記念展ということでの開催でした。

小規模な展覧会でしたが、奈良博開催の「醍醐寺のすべて展」では出展されなかった、国宝・過去現在絵因果経(奈良時代・8C)や重文・不動明王像(平安時代・10C)が出展されたのが、注目でした。

重文・不動明王像は、元中院安置とされる五大明王像の中尊です。

この五大明王像は、昭和32年(1957)に三宝院の土蔵内から見出されましたが、関係資料から元中院安置の像であることが判明し、中院を建立した聖宝の弟子・観賢の没年である延長3年(925)までに造立されたとみられています。

醍醐寺元中院安置・不動明王坐像(重文・平安)
醍醐寺元中院安置・不動明王坐像(重文・平安)

普段は醍醐寺・霊宝館に展示されているのですが、それほどに注目してみたことがありませんでした。
今回の展覧会で、じっくり観ると、なかなかのボリューム感と力感がある像で、その特異な顔貌と相まって、結構魅力あふれる像であることに気がつきました。

奈良博出展の五大堂・大威徳像と比べると、近い時期の制作ですが、こちらの像の方が強く惹き付けられるものを感じました。


中旬には、
関西で伝統を誇る仏像鑑賞愛好会の「天平会」が、800回例会を迎えられるということで、記念例会に参加してきました。

この「天平会」、何しろ昭和18年(1943)に結成されているというのですから、老舗中の老舗といってよい名門鑑賞会です。
これまで、望月信成氏、毛利久氏、宇野茂樹氏を主軸として、名だたる先生方が講師を務められていたそうです。
私は、名前だけの会員という感じで、年に一度も例会(鑑賞会)に参加したことが無いのですが、800回のお祝いということなので、関東の同好の方々数人と参加させてもらいました。

高梨純次氏、杉崎貴英氏ほかの講演のほか、和気あいあいの懇親会で愉しく盛り上がり、さすがに伝統を誇る会の重みを感じた次第です。

関東在住は、古仏愛好者にとっては、結構ハンデキャップだなと、当たり前のことを改めて実感させられました。


折角、関西まで出かけることになったので、大阪府内の古仏探訪を企画し、同好の方々と巡ってきました。

前夜の懇親会、大阪ミナミ黒門町での二次会で、二日酔い気味での観仏となりましたが、探訪先は、ご覧のとおりです。

大阪府観仏探訪先

海岸寺の菩薩像・十一面観音像は、朽ちた破損仏のような平安古仏で興味があったのですが、〈その1〉2月の霊松寺(釈恩寺)観音像の処でご紹介したのと同様に、見間違えるような大幅な手が加えられた復元修復がされていました。
当初の造形が伺いようもなく、残念至極でした。

堺市・海岸寺~菩薩立像(平安)・修復前の姿...堺市・海岸寺~菩薩立像(平安)・復元修復後の姿
堺市・海岸寺~菩薩立像(平安)   (左)修復前の姿  (右)復元修復後の姿

長円寺・十一面観音立像(重文)は、像高45センチの檀像風の平安前期仏ですが、丸々して張りのある大変良く出来た素木像で、なかなかの魅力でした。

羽曳野市・長円寺~十一面観音立像(重文・平安前期)
羽曳野市・長円寺~十一面観音立像(重文・平安前期)

2007年に栃木県立博物館で開催された「円仁とその名宝展」に出展された以外は、近年博物館等に出展されたことはないそうです。
「円仁とその名宝展」の時に、観ている筈なのですが、あまり記憶がなく、今回の観仏が新鮮な感動でした。


正傳寺・薬師如来立像(市指定)も、大変興味深い仏像でした。
土の匂いのする、野趣にあふれた力強い平安古仏に、想定外に出会うことが出来たというのが、率直な感想です。

四条畷市・正傳寺~薬師如来立像(市指定・平安中期)
四条畷市・正傳寺~薬師如来立像(市指定・平安中期)

この仏像については、観仏日々帖「古仏探訪~大阪四条畷市・正傳寺の薬師如来立像」で、紹介させていただきました。


獅子窟寺・薬師如来坐像は、さすがに「国宝」です。

交野市・獅子窟寺~薬師如来坐像(国宝・平安前期)
交野市・獅子窟寺~薬師如来坐像(国宝・平安前期)

何度拝しても、見惚れてしまいます。
この日の観仏では、圧倒的に群を抜いて素晴らしく、多言を要しません。


この10月中旬の関西行にあわせて、展覧会を二つ観てきました。

京都・龍谷ミュージアムで開催の「二楽荘と大谷探検隊展」と、大津市歴史博物館で開催の「三井寺・仏像の美展」です。

二楽荘と大谷探検隊展ポスター
「二楽荘と大谷探検隊展」は、浄土真宗本願寺派の22代宗主・大谷光瑞が組織した、大谷探検隊の有様と、探検隊の収集品が保管されていた「二楽荘」について振り返る展覧会でした。

「二楽荘」は、大谷光瑞が六甲山麓に別邸として建設した豪勢な奇想建築ともいうものです。
仏像の出展はありませんでしたが、「大谷探検隊」や「二楽荘と阪神モダニズム」を回顧する、大変興味津々の展覧会でした。
図録(2300円)の内容の充実ぶりは群を抜いたもので、所載されている解説論考の密度の濃さには驚きました。
図録というより大著という内容で、関心ある方は必携です。


三井寺・仏像の美展ポスター
「三井寺・仏像の美展展」は、三井寺園城寺「宗祖・智証大師生誕1200年慶讃大法会」の開催に合わせて開催されたものです。

この期間、三井寺内で開扉される5躯の秘仏以外の、殆どの三井寺の仏像が出展されました。
2008年にサントリー美術館で開催された「国宝三井寺展」で展示された仏像とほぼ同じ仏像の展示で、目新しいものはなかったのですが、三井寺の仏像を一堂に会して観ることが出来るよい機会となりました。

時間もなかったし疲れ気味で、三井寺山内での黄不動等の秘仏ご開帳は、見送りにして、帰京しました。



【11月】

11月は、興味深い仏像展覧会が目白押しで、また観仏に最高の季節ということで、随分沢山の展覧会、観仏探訪に出かけてしまいました。
仏像三昧、フル稼働という感じになりました。

順を追ってご紹介します。

まずは、小田原市・勝福寺の秘仏・十一面観音像が33年に一度の特別開帳ということで、出かけてみました。
ついでに訪ねたお寺も含め、次の仏像を拝しました。

小田原方面観仏先

勝福寺は坂東三十三観音霊場5番札所、秘仏拝観の人々でなかなかの賑わい。
拝観の列にしばらく並んで、やっと拝することが叶いましたが、ゆっくり拝するというわけには行きませんでした。
鑿痕の残る荒々しさも伺えましたが、藤原風の空気感も感じる一木彫像でした。


久しぶりに訪ねた、王福寺の薬師如来像は、やはり関東の平安木彫のなかでの優作といってよいものでした。

像高131㎝もある堂々とした大型像で、10世紀頃の制作と云われています。
関東の平安古仏のなかでは、私の大変お気に入りの仏像です。
もっと、もっと知られても良い、関東を代表する仏像だと思いました。

小田原市・勝福寺~十一面観音像(県指定・平安)..中郡・王福寺~薬師如来像(重文・平安)
小田原市・勝福寺~十一面観音像(県指定・平安)    中郡・王福寺~薬師如来像(重文・平安)


11月中旬には、奈良・柳生の円成寺、法隆寺を訪ねました。

カルチャーセンターで団体での観仏探訪でしたが、法隆寺では普段拝観できない、西円堂、上御堂、西円堂の諸仏を拝することが出来ました。

円成寺・法隆寺観仏先

柳生の円成寺は、もう何回訪れたのか数えきれないくらいです。

奈良市・円成寺~運慶作大日如来坐像(国宝)
奈良市・円成寺~運慶作大日如来坐像(国宝)
運慶作の大日如来像は、都度都度、何度も拝するにつれて、
「運慶作の仏像なのだ!!」
ということが、だんだんと判ってきたような気がします。

この大日如来像、最初のうちは、私には、「運慶の仏像らしさ」というのを、あまり強く感じられなかったのです。

藤末鎌初の仏像の一つのパターンというのか、鎌倉の新様風をみせながらも、まだまだ藤原仏の世界から抜き出し切れていない造形の仏像のように感じられたのです。
運慶と云えども、まだ若き青年のころには、このような伝統的藤原様の世界の枠のなかから出きれない仏像をつくっていたのかな、というのが率直な印象でした。

何度も拝するうちに、
「流石に運慶の仏像!」
というように感じることが出来るようになってきました。

仏像を観る眼が甘かったのかもしれませんが、最近のことです。

そう感じるようになった訳を、挙げるといろいろな点が沢山あるのですが、一番に運慶の造形力、新鮮なインパクトを強く感じたのは、足の裏・指の造形でした。

結跏趺坐に組んだ足裏が、弾力に満ち、張りのある活き活きとした写実表現なのに、気がついたのです。
かかとから土踏まず、足指へと至る抑揚に富んだ表現、その微妙な凹凸はリアルの域を超えて、身体(足裏)の理想表現とも云えるもののように思えます。

円成寺・大日如来坐像~足裏部
円成寺・大日如来坐像~足裏部

ビックリしました。
そして
「この足の裏は、運慶でないとできる表現ではない!」
と強く感じました。

円成寺・大日如来坐像~足裏部
円成寺・大日如来足裏部のリアルな抑揚表現
2007年に、山崎隆之氏著の「仏像の秘密を読む」という本が出版されました。
その文中に
「足裏に運慶を見た」
と題する項があり、円成寺・大日如来の足裏表現が採り上げられていたのです。

文中、足裏表現にふれ、
「これを運慶は見せたかったのだと気付かされた」
と書かれているではありませんか!!
「わが意を得たり」
というのは、このような時のことを云うのかもしれません。

(この話、決して後付けではなくて、私が感じていたことと同じことがこの本に書かれていて、驚いたのです。~本当ですよ~)


余計な話が長くなってしまいました。

法隆寺では、普段は拝観できない、西円堂・脱活乾漆・薬師坐像、上御堂・釈迦三尊像、伝法堂の三対の阿弥陀三尊ほかの諸像を拝することが出来たほか、ちょうど夢殿の特別開扉期間で、救世観音像も拝することが出来ました。



団体旅行解散後の翌日、紅葉真っ盛りの京都を、一人で愉しみました。

京都国立博物館・本館の新築が完成し、「平成知新館」として、2014年9月オープンしました。
「平成知新館」グランドオープンを記念して開催されている、「京(みやこ)へのいざない展」を観てきました。

京へのいざない展ポスター

西住寺・宝誌和尚像(平安・重文)、光明寺・千手観音立像(奈良~平安・重文)などの、京博おなじみの仏像のほか、大阪・天野山金剛寺の本尊、巨大な大日如来坐像と脇侍の不動明王坐像などが出展されていました。

新築前の本館と違い、ゆったり広々としたスペースに、仏像の持つ魅力を引き出す効果的ライティングのなか展示され、嬉しい気分になりました。


あとは、西陣界隈の仏像を拝してきました。

京都・西陣方面観仏先

お気に入りの雨宝院・千手観音像は、5月に拝したところでしたが、またまたふらふらと会いに出かけてしまいました。
やっぱり、好きな仏像です。


石像寺の阿弥陀三尊石像を初めて訪ねました。

鎌倉前期の都風を示す石仏の代表作で、元仁元年(1224)の制作です。
凝灰岩ではなく、花崗岩で丸彫りに彫りあげた大型石像(像高約1m)で、
鎌倉時代になって本格化する、花崗岩石彫像の優作です。

体や心の痛みを治してくれる「釘抜地蔵」として、今も多くの人々の信仰を集めているようです。

京都市・石像寺~くぎ抜き地蔵..京都市・石像寺~阿弥陀如来坐像石仏(重文・鎌倉)
京都市・石像寺~くぎ抜き地蔵      阿弥陀如来坐像石仏(重文・鎌倉)

観仏の後は、京の美しい紅葉を満喫してみようと、大徳寺・高桐院へ足を伸ばしました。
紅葉真っ盛りで、人も沢山いましたが、なんといっても京の紅葉は美しく、心なごみます。

京都市・大徳寺~高桐院庭園
紅葉の美しい大徳寺~高桐院庭園


11月下旬は、二つの仏像展覧会に出かけました。

一つは、サントリー美術館で開催の「高野山の名宝展」です。

高野山の名宝展ポスター(写真は運慶作・制多伽童子像)
展覧会ポスター仏像写真は、運慶作・制多伽童子像

運慶作とみられる八大童子像(国宝)全躯のほか、快慶作の孔雀明王坐像(重文)・執金剛神立像(重文)・四天王像(重文)など高野山の仏像が勢揃いしました。

「運慶の童子像は、本当に上手い。」

やはりそう思いました。


もう一つは、多摩美術大学美術館で開催された「祈りの道へ~四国遍路と土佐のほとけ展」です。

祈りの道へ~四国遍路と土佐のほとけ展ポスター
ポスターの仏像写真は湛慶工房作と
みられる笹野大日堂・大日如来坐像
この展覧会、平成18年(2006)に、高知県地域文化遺産共同調査・活用事業プロジェクトにより文化財調査にたずさわった、青木淳氏(現多摩美術大学美術学部准教授)の尽力により実現した展覧会とのことです。

5月に高知観仏探訪に出かけた処でしたが、訪れた諸寺の仏像をはじめ、知られざる古仏が数多く出展されています。
初日に出かけて、青木氏による会場での展示仏像の説明、講演会、オープニングパーティに参加してきましたが、大変興味深い展示仏像で、必見の展覧会だと思います。

1月18日(日)まで開催していますので、是非ご覧になってください。

〈その1〉の5月の高知探訪の処でご紹介した、湛慶工房の作とみられる笹野大日堂・大日如来坐像も出展されていました。
高知須崎の田舎で拝した大日像に、東京でもう一度出会うことが出来るなどとは思ってもいなかっただけに、大変うれしい再会でした。



11月末には、長駆、九州まで出かけました。
今年のフィナーレの観仏探訪となりました。
同好の方々と、九州・福岡の仏像の展覧会と国東方面の仏像探訪、2泊3日のスケジュールです。

初日は、今回の九州行きの最大の目的の「九州仏~1300年の祈りとかたち展」です。
福岡市博物館で開催されました。

九州仏~1300年の祈りとかたち展ポスター
この展覧会、九州の古仏像、約100体が出展される大展覧会で、九州の仏像が一堂に集う、約半世紀ぶりの展覧会ということです。
これを見逃してはならじと、九州まで出かけた訳です。

流石に、キャッチフレーズ通りの九州仏大集合のすごい展覧会で、わざわざ出かけただけのことはありました。
出展仏像をご紹介したくとも、多すぎて叶いません。

これらの大仏像群の中で、際立って光っていたのは、浮嶽神社の如来立像・菩薩立像長谷寺の十一面観音立像>でした。
他の仏像達を圧しての、圧倒的な迫力とパワーでした。

福岡県・浮嶽神社~如来立像(重文・平安前期)
福岡県・浮嶽神社~如来立像(重文・平安前期)

福岡県・長谷寺~十一面観音立像(重文・平安前期)
福岡県・長谷寺~十一面観音立像(重文・平安前期)

展示されていた平安古仏の制作年代設定が、従来の私の常識というか感覚からすると、1~1.5世紀ぐらい古く設定されている仏像が多くあり、少々戸惑いを覚えました。
展示プレートを見ると8世紀とか9世紀制作という仏像が、続々とありました。

最近は、奈良~平安時代の木彫仏の制作年代の見方、考え方は随分多様になってきているように思います。
これまでの既成概念を取り払った方がよいのか、そういったものでもないのか、ちょっと迷ってしまう処です。


もう一つの九州の仏像の展覧会「福岡の神仏の世界展」へも行きました。
福岡県小郡市の九州歴史資料館で開催されていました。

福岡の神仏の世界展ポスター(右下の写真は個人蔵・男神立像(平安時代)
ポスター右下の像は個人蔵・男神立像(平安時代)

「九州仏展」に連携して、福岡県の古仏を集めた展覧会です。
こちらにも平安古仏が多数展示されていましたが、個人蔵の男神立像(平安時代)が大変興味深い古像でした。


ついでに大宰府の方へ寄り、観世音寺と九州国立博物館を観てきました。

福岡観仏先 

九州国立博物館蔵・観音菩薩立像(重文・平安前期)
九州国立博物館蔵
観音菩薩立像(重文・平安前期)
九州国立博物館蔵の観音菩薩立像は、一度見てみたいと思っていた平安古仏ですが、眼近に観ることが出来ました。

この観音像は、京都市上京区・清和院伝来で、かつて鴨川西岸の感応寺に祀られていました。
感応寺は、貞観年中(859~877)建立と伝えられ、建立当時の制作とみられている古像です。

流石にノミの冴えを感じる見事な9世紀一木彫像で、九博にわざわざ寄っただけのことはある見ごたえある仏像でした。


その後は、大分までロングドライブ、大分市内の評判の良い居酒屋で、グイグイと飲りました。
新鮮な魚が大変美味で、定番の関アジ、関サバだけではなく、イカ、タイなどのお造りが絶品。
ついつい調子に乗って、飲みすぎてしまいました。



2日目、3日目は、国東、宇佐方面を巡りました。

国東・宇佐方面観仏先

ご覧のとおり、12ヶ寺にも及ぶ寺々に加えて、大分県立歴史博物館にも行き、まさに精力的な古仏探訪でした。
前日、福岡の博物館を3館も観て、腹一杯満腹になるほど仏像を観た後で、これだけの観仏に廻ったわけですから、食べ過ぎも良いところといった食傷状態になってしまいました。

こうして、探訪仏像をリストアップしてみても、
「どの仏像がどんなだったかも良く覚えていない」
という混乱状態といったところです。

やはり観仏も腹八分か6分目ぐらいに留めておかないと、何をしに行ったのかわからないという有様になってしまうということなのでしょう。

とはいうものの、国東方面は、学生時代に訪れて以来の、45年ぶりの探訪となります。
昔、バスと徒歩だけで苦労して何日かかけて訪ねた仏像達を、1日であっという間に総ナメというスピード探訪となりましたが、大変懐かしく思い出深いものとなりました。

宇佐の大楽寺、大善寺の仏像、平等院講中の釈迦如来像、内野区の聖観音像などは、大変印象深く拝しましたが、そのあたりの話は、またあらためて「観仏日々帖」でご紹介できればと考えています。

大分県宇佐市・大楽寺~伝弥勒仏像(重文・平安後期)..大分県宇佐市・大善寺~薬師如来坐像(重文・鎌倉)
宇佐市・大楽寺~伝弥勒仏像(重文・平安後期)    大善寺~薬師如来坐像(重文・鎌倉)

大分県国東市・平等院講中~釈迦如来坐像(県指定・平安後期)..大分県豊後高田市・内野区~聖観音立像(県指定・平安中期)
国東市・平等院講中~釈迦如来坐像    豊後高田市・内野区~聖観音立像

院内町・龍岩寺の奥院礼堂の三尊仏も、45年ぶりの再会でした。

急坂を上った先の山腹の石窟に造られた礼堂に、石仏かと紛うような巨像の三尊仏が静かに祀られている幽玄神秘な光景を目にすると、心撃たれる大きな感動に包まれずにはおられませんでした。

大分県院内町・龍岩寺奥院礼堂

大分県院内町・龍岩寺奥院礼堂三尊仏(重文・平安後期)
石窟に築かれた院内町・龍岩寺奥院礼堂と三尊仏(重文・平安)


仏像三昧も度過ぎて、超満腹になってしまった九州観仏旅行も、これでおしまい。

最後の口直しに、趣向を変えて、小石原焼のやきもので有名な東峰村に寄りました。
小石原焼は、「飛び鉋模様」の生活雑器で知られていますが、何十件もの窯元が道の両側に並んで、大変賑やかな町になっていました。

小石原に来たら、一度行ってみたいと思っていた、陶芸作家・福島善三氏の「ちがいわ窯」に立ち寄って、中野月白磁の汲出し茶碗を買いました。
美しい青白磁の汲出し茶碗が手に入って、大満足!!

ウキウキ気分で、九州を後に帰路につきました。

小石原焼・ちがいわ窯

福島善三作・中野月白磁~汲出し茶碗
訪れた小石原焼・ちがいわ窯と、そこで買った福島善三作の中野月白磁汲出し茶碗


12月は、11月の観仏フル稼働の後遺症で、仏像はお休み。
しばらく仏像から離れて、他の事に眼をやるようにし、やっと仏像満腹状態から、回復しつつあります。



以上で、2014年の仏像探訪総まくりは、おしまいです。


飽きもせず、懲りもせず、よく観仏にまわったものだと振り返っていますが、「観仏日々帖」ご覧いただいている皆さんには、

「なんだ、この程度か!私の方がもっともっとたくさん観仏にまわっているよ!」

という方が、沢山いらっしゃるのかもしれません。

私には、
「観仏に振り向けることが出来る体力は、このあたりが限界かな?」
という処です。

2回にわたって「今年の観仏を振り返って」というテーマで綴らせていただきました。
只々個人的な観仏探訪記録を、ダラダラと書き綴っただけに関わらず、辛抱してお付き合いいただき、有難うございました。

2014年もあと数日という処まで押し詰まりました。

来年も、HP「神奈川仏教文化研究所」、ブログ「観仏日々帖」に、気ままな仏像記事を連ねていきたいと思っております。
よろしくお付き合いいただけますよう、お願いいたします。


皆様、良き年を迎えられますよう!!


古仏探訪~今年の観仏を振り返って〈その1〉  【2014.12.14】


「観仏日々帖」、ご覧いただき、有難うございます。

2014年も師走に入り、間もなく新たな年を迎えるといった頃になってきました。
お陰様で、今年も健勝で過ごすことが出来、観仏探訪にも精を出すことが出来ました。

この一年、仏像一辺倒というわけではなくて、いろいろなことに手を出したり、海外旅行にも出かけたりはしましたが、
結局の処は、「観仏三昧的生活」といっても良いのかもしれません。

そこで、一年を締めくくるにあたって、今年、どのような古寺を訪れ、どのような古仏を拝したのかを、「総まくり」で振り返ってみることにしました。

私の「観仏探訪先と、その折の一言感想」を、月を追ってご紹介、振り返ってみようかと思います。

私個人の観仏探訪記録などは、面白くもなんともないかと思いますが、ちょっとお付き合いいただければ、有難く存じます。


【2月】

新年1月は、観仏はお休み。

2月に入ると、もう観仏禁断症状が発症。
ウズウズしてきて、摂津方面、葛城方面観仏探訪へと出かけました。
同好4人、一泊二日の観仏旅行でした。

摂津方面の探訪先は、ご覧のとおりです。
摂津・高槻市の、見どころある平安古仏を訪ねました。

摂津観仏探訪先

摂津観仏の一番の目的は、霊松寺・十一面観音立像の拝観でした。

この仏像は、井上正氏が「古密教仏巡歴」に採り上げられている古仏です。
例のごとくですが、

「本像は、むしろ八世紀における奥行きの浅いタイプの等身大代用檀像の一例と考えられ、したがって天平年間行基の創建となす寺伝は、本像の造立年代を考える上で、一つの可能性を示すものといってよいであろう。」

と述べられている仏像です。

この文章が書かれた頃(1987~9)には、大阪府三島郡島本町の「釈恩寺」に祀られていました。

釈音寺・十一面観音立像...釈音寺・十一面観音立像
釈音寺・十一面観音立像~三島郡島本町の「釈恩寺」に祀られていた頃の写真

調べてみると、釈恩寺は廃寺となっていました。
今は親寺である高槻・霊松寺に引き取られていることがわかったのです。

勇んで出かけました。
拝して観て、びっくりしてしまいました。
近年の修理によって、全身金色に仕上げられ、面貌、体躯、衣文も相当に手が加えられていたのです。

霊松寺(旧釈音寺)十一面観音立像
全身金色に仕上げwられた霊松寺(旧釈音寺)十一面観音立像

「ご立派な姿に復された。」

ということになるのでしょうが、平安古仏愛好家にとってみれば、
「誠に残念、古い写真のようなお姿そのままにしておいてほしかった。」
という処です。
正直、がっかりの霊松寺(釈恩寺)・十一面観音像、拝観となりました。


廣智寺・十一面観音像は、

「長岡京時代・平安初期の唐風色濃いエキゾチックな表現の仏像」

と思われる仏像。

廣智寺・多臂観音菩薩立像
廣智寺・多臂観音菩薩立像

再訪となりましたが、大変興味深く、強く惹き付けられる仏像でした。
この仏像は、観仏日々帖「古仏探訪~大阪高槻市・廣智寺の多臂観音菩薩立像」で、紹介させていただきました。

もう一つ、注目したのは、本山寺・大日如来坐像
予定外でしたが、突然のお願いで拝させていただきました。

本山寺・大日如来坐像..本山寺・大日如来坐像
本山寺・大日如来坐像

無指定で、殆ど知られていない像ではないかと思います。
本堂に目立たずに祀られており、「川久保の廃円長寺」に在った像だそうです。
結構磨滅していますが、唐招提寺講堂の薬師如来のお顔を想起させるような古様な像です。
造形の迫力も十分です。
興味深い、注目の古仏でした。


翌日は、葛城方面です。

葛城方面観仏探訪先

ご覧のとおりの観仏先です。

この中では、なんといっても、下永区・八幡神社の地蔵菩薩立像、宮古区の薬師如来坐像が、出色の魅力あふれる平安古仏でした。
共に、再訪でしたが、何度見ても惹き付けられ、見惚れてしまいます。

下永区・八幡神社の地蔵菩薩立像は、観仏日々帖「古仏探訪~奈良・磯城郡川西町・下永区の地蔵菩薩立像」で、ご紹介しました。

Y字状の流れるような衣文が魅力の、素晴らしき地蔵像です。

下永区・八幡神社の地蔵菩薩立像
下永区・八幡神社の地蔵菩薩立像


宮古区の薬師如来坐像は、その堂々たる姿に圧倒されてしまいます。
迫力あふれる平安前期仏像です。

宮古区・薬師如来坐像

宮古区・薬師如来坐像
宮古区・薬師如来坐像

奈良様の雰囲気を留め、乾漆造の造形表現を思わせますが、その圧倒的な重量感、重厚感は、平安前期木彫そのもの。
知られざる見事な古像だと、あらためて感じました。

同好メンバーと、奈良まちで仏像談義に花を咲かせながら飲んだ酒は、五臓に沁みて、本当に美味かった。



【3月】

1.栃木・鹿沼市の「医王寺の仏像特別見学会」と益子・西明寺に出かけました。

栃木方面観仏探訪先

医王寺・特別見学会ポスター

医王寺では、2013年「金堂」の修復落慶を記念し、図録「医王寺の仏像」が刊行されました。

今回の特別見学会は、その調査研究成果を踏まえて、専門研究者の解説により、非公開仏像が特別公開されたものでした。


医王寺には、平安時代から鎌倉時代の仏像が、約30躯のこされており、御住職も調査研究に大変前向きな方で、興味深く拝観しました。


医王寺へ行ったその足で、ついでに、益子・西明寺の仏像群を拝しました。

本尊秘仏・十一面観音立像(平安・県指定)も、午年開帳で拝することが出来ました。
西明寺の木彫群は、近年、秘仏厨子のなかから、バラバラに破損した鎌倉時代の仏像群が見つかり、県指定文化財とされると共に、1987年から5年かけて解体修理が行われたものです。
解体修理は、本間紀夫氏主宰の仏教造型研究所で行われました。
本間氏は、観仏日々帖「新刊・旧刊案内~木彫仏の実像と変遷」でご紹介した、紹介書の著者の方です。

聖観音他の木彫群(鎌倉)が、堂内に林立する姿は、なかなかの壮観でした。

西明寺・本堂仏像群安置状況

西明寺・本堂の仏像..西明寺・本堂の仏像
西明寺・本堂の仏像群

ついでに寄った、益子焼の町、浜田庄司記念館も、なかなかの趣で、何やら心がほっとするようなホッコリ感に包まれました。

益子・浜田庄司記念館
益子・浜田庄司記念館


観音の里の祈りとくらし展ポスター
2.東京藝術大学美術館で開催された、観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-」に出かけました。
長浜市と東京芸大の共同開催で、湖北に遺る約20体の平安時代の観音像が展示されました。
こじんまりした展覧会でしたが、地域の人々によって、大切に現代まで守り継がれてきた、湖北の仏像達の展覧会で、ほのぼのあたたかな気持ちとなる展覧会でした。

菅山寺・十一面観音立像
菅山寺・十一面観音立像
この展覧会の目玉は、なんといっても、赤後寺・日吉神社の千手観音立像(重文・平安前期)でした。
戦火や廃仏毀釈の嵐の中から、里人が守り通してきた仏像ですが、出展諸仏像のなかでは、抜きん出た迫力、造形力で、見事なものでした。

近年の調査で、「木心乾漆像」であることが判明した菅山寺・十一面観音立像(長浜市余呉町坂口・市指定文化財・平安前期)も、湖北における木心乾漆の作例の一つとして、注目されるものでした。


関西から上京した同好の方との展覧会見学、昼からイタリアン&ワインで酒盛り、いい気分になってしまいました。


【4月】

1.関西での同窓会やOB会のついでに、奈良・飛鳥の古仏を、少しばかり見て回りました。

明日香観仏探訪先

電動レンタサイクルに乗って、2時間ほどの明日香古寺仏像巡りとなりました。
電動自転車は、岡寺に至るあの急坂を、ラクラク登っていけます。
びっくりラクチンでした。

川原寺の持国・多聞天立像は、初めて拝する仏像でした。
平安前期の立派なの天部像ということで、一度、拝したいと思っていたのですが、なかなか機会がなく、そのままになっていたのです。
礎石が並び整備された川原寺址の傍に、ひっそりと建つ寂れた川原寺本堂のなかに祀られ、知る人の少ない仏像です。

河原寺・伽藍址と現在のお堂
河原寺・伽藍址と現在のお堂

河原寺・持国天立像..河原寺・多聞天立像
河原寺・持国天立像、多聞天立像

ようやくの拝観となったのですが、果たして、期待通りの仏像でした。
聖宝が当時の別当に在任していた頃(879~887)の制作と伝えられますが、そのとおりの、のびやかで量感に満ちた堂々たる風格の天部像です。
風雨にさらされたのか、随分、損耗したところがあるのが残念です。


橘寺の日羅像、地蔵菩薩像は、聖倉殿(収蔵庫)に安置されており、春秋一定期間しか公開されていません。
そのタイミングを狙って訪れました。
日羅像は、以前は奈良博に常時陳列されていたなじみの仏像でしたが、地蔵菩薩像は、今回が初めての拝観でした。
両股を隆起させたY字状衣文は日羅像と同形式ですが、平安中後期の作らしい、温和な造形の仏像でした・

橘寺・日羅立像..橘寺・地蔵菩薩立像
橘寺・日羅立像(左)、地蔵菩薩立像(右)


2.湖西、高島市の保福寺の釈迦如来像を訪ねました。

保福寺他観仏先

この仏像も、井上正氏の「古密教彫像巡歴」に採り上げられている仏像です。
湖西線の新旭駅が最寄り駅という、少々不便なところに在るお寺ですが、
「井上正氏、採り上げ仏像の全てを見てやろう」
という一環で、出かけてみたのです。

思いの外に、素晴らしい釈迦如来像でした。

保福寺・釈迦如来坐像
保福寺・釈迦如来坐像

観仏日々帖「古仏探訪~滋賀県高島市・保福寺の釈迦如来坐像」で、なかなかの仏像であることを、紹介させていただきました。

保福寺のご住職ご夫妻には、温かくお迎えいただき、親切にして頂きました。
心よりの感謝です。



3.神奈川県川崎市の能満寺の聖観音菩薩立像が、12年に一度の午年ご開帳中ということを知り、訪れました。

能満寺

能満寺・聖観音菩薩立像は、川崎市最古の10世紀制作といわれる平安古仏です。
川崎市・横浜市エリアでは、10世紀まで遡る平安古仏は、本像ぐらいかと思われますので、一度、是非拝してみたいと思っていた平安古仏でした。

江戸時代の修復により、顔部の相当手が入っていて玉眼になっているなど、体部との釣り合いが悪くなっていますが、胸から下の造形や衣文の彫口などは平安前期のボリューム感やダイナミックさの名残を十分とどめています。
ずんぐりとした体躯や、誇張気味の身体の捻りなどは、平安時代東国の土臭さのようなものを感じますが、それなりの力感を感じる仏像でした。

能満寺・聖観音菩薩立像
能満寺・聖観音菩薩立像


4.東京国立博物館の新指定重要文化財展を観に行きました。

この新指定重要文化財展は、その年度に新たに重要文化財に指定された文化財を、東博に展示し観覧に供するもので、毎年、恒例の展示になっています。

東博・新指定重要文化財展出品仏像

展示仏像は、ご覧のとおりでした。

九品寺の聖観音立像が、重要文化財に新たに指定されたのは、大変うれしく思いました。
この観音像は、長らく、現在閉鎖中の琵琶湖文化館に寄託展示されている仏像です。
京都・八瀬文化財保存会・十一面観音立像に近く、善水寺の梵天・帝釈天像に造形がよく似ている仏像で、10世紀の制作とみられています。
優れた彫技で、おだやかな丸顔が印象的です。
平安中期の仏像の良さがよく出た像で、見どころあるお気に入りの仏像です。

当麻寺本堂の十一面観音像の重文指定も、なかなかの注目でした。
この像は、当麻寺本堂内の目立たない右脇の間の奥に安置されている等身大の像です。
平安前期、9世紀の制作とみられています。
像の大半は、足先から蓮肉部まで含めて一材から彫出される一木彫で、野性味のある雄渾さが印象的な、迫力ある像です。
彫刻史の王道からちょっと横道にそれたような、アクの強さが前面に出た仏像なのですが、このような仏像が重文指定を受るようになったのだなあと、ちょっとばかり感慨を覚えました。

九品寺・聖観音立像...当麻寺本堂・十一面観音像
九品寺・聖観音立像(左)、当麻寺本堂・十一面観音像(右)


【5月】

なんといっても、5月は行楽シーズン、どこへ行っても人ばかりという処です。

大人しくしていようかと思いましたが、新緑さわやかな素晴らしき季節です。
観光地を避けつつ、やはり観仏探訪へ、ということになってしまいました。


法隆寺-祈りとかたち展
1.まずは、東京藝術大学美術館で開催された「法隆寺-祈りとかたち展」に出かけました。

法隆寺金堂に安置される、国宝・毘沙門天像、吉祥天像(重文・12C)が、出展されました。
この両像は、法隆寺金堂に安置されています。

この像の見どころは、鮮やかな繧繝彩色と切金文様の素晴らしさですが、法隆寺金堂では遠くから薄暗い照明の中で、その姿をクリアーに観ることは叶わず、その美しさがほとんど判りません。
博物館の明るい照明の中で観ることができ、その鮮やかな美しさを十二分に堪能でました。

法隆寺金堂・吉祥天立像...法隆寺金堂・毘沙門天立像
法隆寺金堂・吉祥天立像(左)、毘沙門天立像(右)


鈴木空如の法隆寺壁画模写を観ることが出来たのは、大収穫でした。

鈴木空如は、法隆寺壁画の模写に人生をささげた人です。
生涯に三回、三組の模写を行っており、その制作時期は、大正5年から昭和11年の20年間に亘っています。
誰の助けもなく、単身堂内に足場を組み、汗にまみれ、時にこごえる身で、ロウソクの明かりだけを頼りに大紙をあやつり、すべて自己の負担で遂に壁画12面を模写し終えたといわれています。
眼前に見るのは、初めての事でしたが、空如の祈りが込められたような美しく見事な模写に、心打たれました。

鈴木空如・法隆寺壁画模写..鈴木空如
鈴木空如・法隆寺壁画模写と鈴木空如


2.高知県の仏像探訪に、同好の方々と2泊3日で出かけました。

今年は、四国・西国八十八か所・霊場開創1200年で秘仏一斉ご開帳が行われていますし、高知・竹林寺文殊菩薩像が50年ぶりに御開帳されるというので、思い切って出かけたのです。

実は、高知の仏像の観仏探訪には、これまで訪れたことが無かったのです。
香川、徳島、愛媛も仏像は、これまでに一応の探訪をしたことがあるのですが、高知は未体験、念願の仏像探訪であったのです。

高知方面観仏探訪先

ご覧のとおり、結構頑張って、精力的に回りました。

ずいぶん沢山廻りましたので、仏像尽くしで腹一杯となってしまい、一つ一つの印象、記憶が、希薄になってしまった感じです。

目玉の、50年ぶりに御開帳、竹林寺文殊菩薩像は、残念ながら期待したほどの感動というほどではありませんでした。
とりわけ印象に残ったのは、二つの仏像でした。

一つは、四国・土佐の地方色満点の魅力ある仏像。
大豊町・豊楽寺の3躯の如来坐像です。
至文堂刊「日本の美術226・四国の仏像」の表紙にも使われている仏像です。

「日本の美術226・四国の仏像」表紙~豊楽寺・釈迦如来像
「日本の美術226・四国の仏像」表紙~豊楽寺・釈迦如来像

釈迦如来像には、仁平元年(1151)の像内銘がある仏像ですが、随分と古様を伝えています。
10~11世紀といわれても、そうかなと思ってしまうぐらいです。
猫背でずんぐり、豪放さを残す造りで、地方の匂いを発散させています。
四国・高知の土地に根差す仏像に出会うことが出来た、という印象でした。


もう一つは、笹野大日堂の大日如来坐像です。

笹野大日堂・大日如来坐像
笹野大日堂・大日如来坐像

運慶作といわれる、光得寺・大日如来、真如苑・大日如来の造形、シルエットに似た感じの像です。
上げ底式内刳りになっている処も、運慶式と共通しています。

笹野大日堂での祀られている様子
笹野大日堂での祀られている様子
この像は、鎌倉末~南北朝時代の制作とされ、さほど注目はされていませんでした。
平成18年(2006)に、青木淳氏(現多摩美術大学美術学部准教授)をはじめとする文化財調査が行われた際、湛慶もしくはその工房作品と考えられる鎌倉中期の優作であるとの所見が発表され、一躍注目を浴びた像です。

像高49.3㎝の小さな大日像ですが、なかなか優れた出来の像で、湛慶工房の制作というのは、そのとおりだなと強く惹かれるものを感じました。
須崎市・笹野という小さな村で、祠のような小さな大日堂に祀られています。
地区管理で、地元の人々によって、大切に守られていました。

続けて、雪渓寺を訪れて、湛慶作の毘沙門天像ほかの諸像を拝しましたが、「さすが湛慶!」という、見事な出来でした。
笹野大日堂の大日如来坐像も、この造形のレベル感の延長線上にある仏像だなと、納得した次第です。

雪渓寺・湛慶作毘沙門天像
雪渓寺・湛慶作毘沙門天像

観仏探訪のほかには、赤岡の「絵金蔵」、坂本竜馬記念館、桂浜などへも寄ってみました。
土佐の絵金は、何やらおどろおどろしいのですが妖しき魅力があり、一種不可思議な気持ちに惹き込んでくれました。

赤岡の絵金祭り
赤岡の絵金祭り

高知では、連日の酒盛り。
酔鯨、司牡丹、土佐鶴、・・・・・・・と、銘酒を順番に飲みくらべ、飲み続け、さすがに二日酔いといったところです。
カツオのたたき、クジラのさえずりも美味かったし、鯖の刺身は活きが良くて絶品で感動。


2.妻と小浜~京都の2泊3日、小旅行に出かけました。

日頃、一緒に出掛けるということも少ないので、ちょっと罪滅ぼし気分も含めての旅行です。
しかし、結局、観仏づくしのような旅行になってしまい、趣旨のわきまえ足らずかと、小反省。

小浜方面の観仏先は、ご覧のとおりです。

若狭小浜方面観仏探訪先

京都から、車で、鯖街道を北上、葛川あたりを通って、小浜へ入りました。

葛川の花折トンネル近くの「鯖街道・花折」で、鯖寿司を食べました。
さすがに美味、下賀茂の京都店で食べるのとは一味違って、新緑の山あいで涼風通り抜けるなか味わった鯖寿司を堪能。

葛川「鯖街道・花折」
葛川「鯖街道・花折」


羽賀寺・十一面観音立像
羽賀寺・十一面観音立像
小浜での観仏は、今更というほどの有名処を訪ねました。

羽賀寺、多田寺の仏像は、何度訪れ拝しても、それぞれに魅力あふれ、興味深い像だと感じました。

多田寺さんに、2013年春、京都・龍谷ミュージアムで「若狭・多田寺の名宝展」の図録が、沢山積み上げられていました。
思いの外、売れなかったので、随分余っているとのお話でした。

大注目の素晴らしい展覧会だったのですが、こうした展覧会企画や図録販売は、なかなか悩ましい面があるようです。

多田寺・薬師如来立像脇侍像
多田寺・薬師如来立像脇侍像

ほかには、若狭神宮寺で若狭井をみてから鵜の瀬へめぐり、「お水送りの神事」に思いを致したりという処でした。

鵜の瀬
鵜の瀬

小鯛笹漬で知られる田中平助商店に寄って、これまた絶品のぐじの干物など、美味い干物を注文して、小浜を後にしました。


南山城の古寺巡礼展ポスター
京都へ戻って、京都国立博物館で開催の「南山城の古寺巡礼展」を観てきました。

さすがに人気で、なかなかの混雑。
3m近い、禅定寺の十一面観音立像の出展が、大目玉という処でしょうか。

多くの南山城の古仏が出展されていましたが、浄瑠璃寺・多聞天像(四天王のうち1躯出展)の極めてハイレベルな出来の良さ、美しさを、今更ながらに再認識しました。

浄瑠璃寺・多聞天立像
浄瑠璃寺・多聞天立像

海住山寺の小さな「大仏殿様」の四天王像
この像も、大変出来がよく、出展諸像のなかでは、精彩を放っていたように感じました。

海住山寺・持国天立像..海住山寺・増長天立像
海住山寺・持国天立像(左)、増長天立像(右)

そのあとは、観仏は脇に置いておいて、京の町をゆっくり楽しみましたが、ゆっくりついでに、また雨宝院へ寄ってしまいました。

雨法院

何度も訪ねている、私の大変お気に入りの仏像です。

雨法院・千手観音立像
雨法院・千手観音立像

ちょっと一般受けしにくいかもしれませんが、京に在って、奈良様の伝統をとどめた平安前中期仏の傑作だと思っています。
おだやかそうですが、堂々たる重量感で、腰回りの太さにはびっくりさせられます。
なるべく、有名にならないで欲しいと願っています。


6月は、何かと忙しく、観仏はお休みとなりました。

以上が、2014年1~6月、6か月の観仏探訪総まくりでした。

結構多いのか?
それほどでもないのか?
如何でしたでしょうか。


次回は、後半戦7~12月の観仏探訪を、ご紹介したいと思います。

もう少し辛抱して、お付き合いください。

新刊旧刊案内~「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」 伊東史朗編  【2014.12.1】


和歌山・道成寺の仏像の写真集&解説書のご紹介です。

道成寺
道成寺~本堂と三重塔

道成寺縁起絵巻
道成寺縁起絵巻

道成寺と云えば、誰もが「安珍・清姫の娘道成寺」のことが頭に浮かぶかと思いますが、実は、大変な古代仏像の宝庫なのです。

国宝の十一面観音・日光月光菩薩立像をはじめとして、奈良時代から平安時代の優れた仏像が数多く残されています。
「安珍・清姫の寺」としての方が圧倒的に有名で、これだけ優れた仏像達を拝することが出来る寺としては、意外に知られていないのではないでしょうか?

その道成寺の「立派な仏像写真集&解説書」が刊行されました。
道成寺としては、20年ぶりの写真集の発刊になるそうです。


「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」伊東史朗編

2014年9月刊 東京美術刊 【96P】 2000円

「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」伊東史朗編

お寺さんと連携して出される、仏像写真集や解説書は、寺伝に引きずられたり、観光客向けに平易に書かれた案内書といったものが多いのが、通例かと思います。

ところがこの本は、新知見も踏まえ、道成寺の諸仏像についてしっかり論じた、充実した内容になっています。
一方、論文や調査報告のような堅苦しく難解な解説ではなくて、誰にも判りやすく読みやすく説き起こされています。

標題は「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」となっていますが、道成寺の仏像の方が中心で、仏像写真が豊富に掲載されています。

「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」掲載仏像写真

「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」掲載仏像写真
「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」掲載仏像写真(根本本尊と本尊千手観音像)

写真は、奈良「飛鳥園」の撮影。
それぞれの仏像の美しさと魅力を目一杯惹き出したものとなっています。


そんなわけで、この「新刊旧刊案内」で、ご紹介させていただきました。

目次は、ご覧のとおりです。

目次

「道成寺の仏像」と題する解説は、30ページに及びます。

文化庁の調査官として道成寺の仏像の修理現場に立ち会った伊東史朗氏の執筆です。
伊東氏は、現在、和歌山県立博物館の館長を務められています。

伊東氏は解説の冒頭で、

「(解説執筆にあたっては、数次に亘る) 発掘の成果だけでなく、近年の修理などによる知見をも入れて、数多く残る道成寺の仏像を歴史的なまとまりごとに解説しようと思う。

その際、最近とみにその有効性を増してきている年輪年代測定による結果を、測定値・用材の伐採年代・仏像の彫刻時期につき、相互に時間差のあることに注意しながら、必要に応じて参考にする。」

と、記されています。

そのとおりで、こうした新しい調査、分析結果を踏まえて、それぞれの仏像を道成寺の歴史のなかで位置づけ考えるという、読み応えのある解説になっています。

「それぞれの仏像の、道成寺の歴史のなかでの位置づけ」
といわれても、
「何を言いたいのか、漠然として良く判らない。」
と感じられるかもしれません。

その意味するところは、

「道成寺に残された、3つの本尊・千手観音立像」

について、知る必要があるでしょう。

道成寺には、現在、三躯の千手観音立像が残されています。

Ⅰ.根本本尊・千手観音像 (奈良時代~乾漆造・木彫併用) 重要文化財

Ⅱ.本尊・千手観音及び両脇侍像 (平安前期~一木彫) 国宝

Ⅲ.秘仏北向本尊・千手観音像 (南北朝時代~寄木造) 重要文化財


道成寺・根本本尊千手観音立像
道成寺・根本本尊千手観音立像(奈良時代~乾漆造・木彫併用) 重要文化財

道成寺・本尊千手観音立像
道成寺・本尊千手観音立像(平安前期~一木彫) 国宝

道成寺・秘仏北向本尊千手観音立像
道成寺・秘仏北向本尊千手観音立像(南北朝時代~寄木造) 重要文化財

皆さんご存知かと思いますが、「根本本尊・千手観音像」が発見されたのは、昭和62年(1987)の事です。

大発見でした。

秘仏・北向本尊・千手観音像を、本堂解体のために移動しなければならなくなり、その際にたまたま外れた右手体側部がわ、腰部背面よりの埋木の穴から体内に仏像を籠められているのがわかったのです。
秘仏・北向本尊の胎内仏とされていたのでした。

北向き本尊胎内から発見された損傷・根本本尊..北向き本尊胎内から発見された損傷・根本本尊
秘仏北向本尊胎内から発見された損傷・根本本尊

この胎内仏が、現在、根本本尊・千手観音像と呼ばれている仏像です。
秘仏・北向本尊から取り出された仏像は、大きく損傷していて、顔部、前面部は欠失しており、脇手もバラバラの部材に折損していました。

損傷した根本本尊・千手観音像の部材
損傷した根本本尊・千手観音像の部材

驚いたことに、この発見された胎内仏は、奈良時代の造形で、乾漆造・木彫併用、クスノキ材の仏像だったのです。

何らかの事情で損傷してしまった、
「道成寺のかつての本尊・千手観音像であったことに間違いない。」
のは、明白でした。

南北朝時代、秘仏・北向本尊が造立された時、損傷した道成寺の根本本尊・千手観音像を守り、長く伝えて拝することが出来るよう、北向本尊の胎内に籠められたのでした。

平成6~7年度、この像は、欠失部などを大幅に補う復元制作が行われ、現在の像容に戻されました。
復元された姿は、間違いなく、奈良時代の美しい造形の仏像です。

復元修復された根本本尊・千手観音立像

復元修復された根本本尊・千手観音立像~背面
修復・復元制作された根本本尊・千手観音立像

この新発見、三躯の本尊千手観音の勢揃いによって、

・それぞれの像が、いつの時代に、どのような事情・経緯で造立されたのであろうか?
・本尊以外の多くの古仏像と、3躯の本尊千手観音との関係、位置づけはどのように考えられるのであろうか?

ということが、重要な問題となってきたのです。


道成寺は、文武天皇の勅願により、義淵僧正(生年不詳~728)を開基として、紀大臣道成が建立したと伝える古刹です。
また、文武天皇夫人の藤原宮子(生年不詳~754)の願によるとも云われます。

白鳳創建と伝える道成寺の歴史と、3躯の本尊・千手観音との関係は興味深いものでした。

一方、道成寺の歴史を解明するため、昭和53年から、平成2年度に至るまで、数次、長きにわたって発掘調査が行われました。
この発掘調査によって、古代から近世に至る、道成寺の伽藍変遷が解明され、最古の層は白鳳時代の創建であることが、明らかになりました。

寺伝の創建期とほぼ一致していることが判明したのです。

道成寺伽藍俯瞰
道成寺伽藍の俯瞰

道成寺・本堂(北面:秘仏北向き本尊・南面:根本本尊安置)
道成寺・本堂~現在は北面して北向き本尊、南面して根本本尊千手観音像が安置されている

この数次にわたる発掘調査結果と、多くの出土瓦の分析をまとめた、

「道成寺調査報告書」(平成24年・2012~和歌山県教育委員会刊)

が、最近、発刊されました。

この調査報告書は、嬉しいことにネット上で全文読むことが出来ます。
是非一度ご覧ください。

さて、この度発刊された本書の、伊東史朗氏の「道成寺の仏像」の解説は、

・近年発見された根本本尊像の詳細
・数次の発掘調査により判明した、道成寺の伽藍変遷
・光谷拓実氏による諸仏像の年輪年代測定結果

を踏まえて、
道成寺の仏像について多面的視点で論じたものです。

道成寺の仏像について、こうした新発見、発掘調査結果を踏まえて総合的に論じ、解説した本は、この「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」のほかには、ないのではないかと思います。

伊東氏の解説の詳細は、本書をじっくり読んでみていただくこととして、

「道成寺の伽藍変遷と3躯の本尊と諸仏像との時系列的位置づけ」

を、「調査報告書」の内容も参考に、思い切って端折ってまとめると、次のようになろうかと思います。

道成寺の伽藍変遷と諸仏像の制作時期の考え方

道成寺の創建から、時代を経て伽藍が変遷していく歴史と、現在残されている諸仏像の制作時期が、どのように対応しているのか、お判りいただけると思います。

諸仏像の制作年代などについて、伊東氏の解説・考え方をご紹介しておきたいと思います。
併せて、そのほかの考え方についてもちょっとふれてみました。


まず、3躯の千手観音です。

本書で、伊東氏は、根本本尊を8世紀の初め頃、本尊千手観音を9世紀半ば、北向本尊を14世紀の制作と考えられています。

国宝:本尊・千手観音立像
国宝指定されている本尊・千手観音立像

本尊千手観音と北向本尊の制作年代は、他の研究者も同じ考え方のようです。
新発見・根本本尊については、伊東氏は8世紀のはじめとみています。
一方、8世紀後半とみる考え方もあるようです。

伊東氏は、根本本尊について、

・用材に飛鳥時代から奈良前期の用材であるクスノキ材が使われていること、
・前面乾漆・背面木彫という変則的木心乾漆造りであること
・背中から急に細くなる腰部の造形表現などに奈良時代以前にさかのぼり得る古い要素が見られること
・千手観音経に基づく造像が行われるのは、奈良時代に入ってからであること

などから、
発掘調査に基づく創建期・A1期との整合性を見て、8世紀初め頃の制作と考えられているようです。

さらには、用材の中心部にウロのある、褶曲の多い材をわざわざ使っていることを考えれば、古代民間造像のめずらしい実例かと推測される、としています。

発見された根本本尊の体幹部
発見された根本本尊像の体幹部

根本本尊・脚部..根本本尊・脚部~背面
根本本尊像の脚部

これに対して、
「道成寺調査報告書」では、奈良時代後半期の木心乾漆像諸例との比較などから、

「様式の側面から考慮すれば、本像を聖林寺十一面観音像と同時期かやや後の770 年台とするのが自ずと導き出された結論のように思う。
・・・・・
比較する事例が少ないこの時期の状況を勘案して、本像の造立年代には少し幅を持たせて8世紀後半としておく。」

と、8世紀後半説をとっています。

こうした、違った見解が、この根本本尊像の修理・復元制作の際の造形表現の仕方に、何らか影響したのでしょうか?

この根本本尊像の復元修理を担当した、美術院所員松永忠興氏(現和束工房代表)は、このように振り返っています。

お寺の方から、飛鳥時代風にとの強い要望があったので、そのイメージで造ったところ、師匠が飛鳥風から白鳳風の顔に修正し、その間に挟まってしまい、飛鳥風イメージを残しながら今の顔に直して造り上げた。

本当は、残された手の感じからすると、(飛鳥時代のイメージを残す)特異な顔だと思った。
(仏像修理40年・松永忠興の仕事~天平の阿修羅再び 2011年日刊工業新聞社刊 所収)

根本本尊・手指部~飛鳥風を残すともみられる
根本本尊・手指部~飛鳥風を残すともみられる

仏像修理40年・松永忠興の仕事~天平の阿修羅再び

松永氏自身が、本当は、どの制作年代の仏像だと思ったのかは、はっきり書いていませんが、飛鳥時代的なイメージを感じられたようです。

亡くなった部分を再現復元するということが如何に難しいことか、お顔の復元が仏像の印象を決めるのにいかに大きな意味を持つのかを、考えさせられる話だと思いました。


ついでに、この道成寺本尊・千手観音の制作時期について、大胆な説を展開している、梅原猛氏の論をご紹介しておきたいと思います。
梅原猛氏は、井上正氏の「行基造像の奈良時代木彫の存在」「霊木信仰」という考え方をベースに、このように述べています。

「私は古いほうの北向きの千手観音(新発見の根本本尊)を、寺伝通り義淵の時代、即ち八世紀のものと考える。

そして南向きの千手観音(本尊・千手観音)を、これも寺伝通り行基時代のものとみることにしよう。
それは行基最晩年の作であろう。
なぜなら、行基が天皇に近づき、天皇の信任を得て勅願寺の仏像を作るようになったのは、行基の晩年の頃からである。

・・・・・・・・

私は行基の仏には二種あったと考える。
一つは井上正氏の言う『素木仏』、これは民衆の寺の本尊である。
もう一つは権力との妥協によるもの。西円堂の薬師如来や葛井寺の千手観音は乾漆仏であるが、行基が開眼供養をしているのでもある。

漆箔や彩色の施されたもの~道成寺の『南向きの千手観音』など~は、行基が国家の指示によって作ったと考えられるので、その妥協が『漆箔』になったのではないだろうか。
私はここに大僧正・行基の成功と妥協の跡をみるのである。」
(梅原猛著「海人と天皇(上)」朝日新聞社1991刊所収~第11章:美術史からみた道成寺の木彫仏)

梅原猛著「海人と天皇」

この梅原氏の考え方は、ちょっと無理筋に過ぎるように思うのですが、道成寺本尊・千手観音と道成寺の歴史を考えるなかでの、いろいろな見方の一つとして、ここで紹介させていただきました。


本尊の制作年代の話が長くなってしまいました。
先を急ぎたいと思います。

2012年、道成寺の仏像の年輪年代測定調査が行われました。

測定調査は、奈良文化財研究所の光谷拓実氏によって行われました。
光谷氏の、年輪年代測定による伐採年代推定は、法隆寺五重塔心柱の伐採年が594年と判明するなど、これまでの常識を覆す新事実が次々と示され、大注目を浴びていることはご存じのとおりです。

道成寺の仏像でも、びっくりの新事実が明らかになりました。
2012年11月に、

「道成寺の釈迦如来(鎌倉時代)の両手は奈良時代」

といった見出しで、新聞各紙が年輪年代測定による新発見を報じたことは、覚えている方がいらっしゃるかもしれません。

道成寺の釈迦如来の両手が奈良時代奈良時代であったことを伝える新聞記事..釈迦如来坐像の「鎌倉時代の手先」を掲げる住職
道成寺の釈迦如来の両手が奈良時代奈良時代であったことを伝える新聞記事

本書「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」の伊東氏の解説から、測定調査結果について記されたものをピックアップすると、次の通りです。

道成寺諸仏像の年輪年代測定結果

仏像の年輪年代は、彫刻という性格から、測定対象となる材の樹皮に近いところが残されていないので、測定値から、その分最低でも数十年はプラスして考え、推定する必要があるそうです。

この測定調査での大きな新発見は、次の2点でしょう。

現存の釈迦如来坐像は、鎌倉~南北朝時代のものですが、先ほど紹介した新聞記事の通り、手先の部分の用材の年代が奈良時代のものと推定されるという年輪年代測定結果となったのです。
元々、釈迦如来坐像は、奈良時代に同形同大の像が造立されており、何代かあとの復興像(現存像)に、残されていた奈良時代の釈迦像の手先部分が、引き継がれたと考えられることが判明したのです。

奈良時代の釈迦如来像の当初造立の精神を、時代を経ても、伝えようとされていたことが伺えます。

道成寺・釈迦如来坐像

釈迦如来像の奈良時代制作と思われる手先
道成寺に保管されていた釈迦如来像の鎌倉時代制作と考えられる手先
道成寺・釈迦如来坐像(鎌倉時代)
奈良時代制作と思われる現在の手先(上段)
保管されていた鎌倉時代制作と考えられる手先(下段)


もう一つは、四天王像の制作年代が、持国・増長天のセットと、広目・多聞天のセットで異なると考えられることです。

従来は、この四天王像は、同年代、一具とみられていました。
ところが、今回の年輪年代測定で、持国・増長天と広目・多聞天には、用材伐採年に100年近い時代差(700年代と800年代)があるのではないかと推測されました。
伊東氏は、作風の検討から、美術史的に見ても、それぞれ奈良時代後半、平安時代前期の様式的特徴がみられるとするとともに、年輪年代測定がそれを実証することになったと述べています。

道成寺・持国天像(奈良時代)
道成寺・持国天像(奈良時代)

道成寺・増長天像(奈良時代)
道成寺・増長天像(奈良時代)

道成寺・広目天像(平安前期)
道成寺・広目天像(平安前期)

道成寺・多聞天像(平安前期)
道成寺・多聞天像(平安前期)

本書の解説と仏像の制作年代についてのご紹介が、長くなってしまいました。

私も、この本を読んでみて、

道成寺の開創の寺伝や歴史
道成寺発掘調査による伽藍変遷の歴史と区分
道成寺に残された三躯の本尊千手観音と諸仏像の制作年代

というものを、総合的、立体的に考え知ることが出来ました。

道成寺には、国宝十一面観音をはじめとする優れた古仏たちが多く残され、仏像ファン必見のお寺であるとは思っていましたが、
これらの仏像達が、寺の歴史や変遷と、どのようにかかわり造立されていったのかなどは、あまり考えたことがありませんでした。


もう一度、道成寺を訪ね、今度はじっくりしっかり仏像達を拝して観たいと思った次第です。

本書、一読をお薦めします。




最後に、おまけで、伊東史朗氏執筆の「本書のバリエーションのような本」をご紹介しておきたいと思います。

伊東氏は、近年、精力的に論考等を発表されており、執筆本も多数に上ります。
本書のほかにも、お寺さんとの連携した、解説書の執筆もありますが、それらの本は、概説というものではなくしっかり踏み込んで論究された、大変興味深いものです。
そうした本を2冊ご紹介します。

「千本釈迦堂・大報恩寺の歴史と美術」 伊東史朗監修 
<2008年 柳原出版刊【207P】8000円

「千本釈迦堂・大報恩寺の歴史と美術」伊東史朗監修

「松尾大社の神影」 伊東史朗編 
2011年 松尾大社刊 【95P】 2500円

「松尾大社の神影」伊東史朗編

いずれも、両寺の諸像について、豊富な写真と共に掘り下げた論考が掲載されています。
特に、「松尾大社の神影」は、初期神像について論じたもので、大変興味深く読むことが出来ました。