観仏日々帖

古仏探訪~京都府城陽市・阿弥陀寺の薬師如来立像  【2014.10.18】


南山城の知られざる古仏をご紹介していますが、引き続いて、京都府城陽市の阿弥陀寺に祀られる薬師如来立像をご紹介します。


インパクトのある仏像なのです。

拝したとたんに、像全体から発する霊気というか、迫力に、思わず後ずさりしてしまいそうになりました。
決して、美しいとか、出来が素晴らしく良いというのではないのですが、その魅力に強く惹き込まれてしまう仏像だと思うのです。

「これぞ、平安前期木彫!!」

といってよいのかもしれません。

初めてこの仏像に拝したとき、一気に惹き付けられてしまいました。
「私の、心に深く残る仏像」のランキングに入ってくる仏像の一つになってしまいました。

まずは、阿弥陀寺・薬師如来立像の写真をご覧ください。


阿弥陀寺・薬師如来立像

阿弥陀寺・薬師如来立像
阿弥陀寺・薬師如来立像

如何でしょうか?

この仏像は、「知られざる仏像」というわけではなく、わりと知られている像だと思います。
重要文化財に指定されている檀像風の一木彫像です。
像高95.1センチという小さな像です。

この像を採り上げた仏像の本もそれなりにありますし、2006年秋に東京国立博物館で開催された「仏像~一木にこめられた祈り」展にも出展されました。
ご覧になった方も多くいらっしゃるのではないかと思います。

今更、ここでご紹介する仏像ではないのかもしれませんが、大変気に入っている仏像なので、採り上げてみたいと思います。


阿弥陀寺は、京都府城陽市枇杷庄という処に在ります。

京都から奈良の方に往く近鉄京都線の富野荘駅から、南の方に歩いて10分ぐらいの処です。
細く曲がりくねった、ちょっと判りにくい道を往くと、「浄土宗 阿弥陀寺」と刻まれた立派な石碑が見えてきます。

阿弥陀寺・入口
阿弥陀寺・入口

小ぢんまりと落ち着いた感じのたたずまいのお寺です。
すぐそばには枇杷庄天満宮があり、お寺のすぐ南側には、木津川が流れています。

枇杷庄・天満宮
枇杷庄・天満宮

阿弥陀寺の南を流れる木津川
阿弥陀寺の南を流れる木津川

お寺には、ご紹介の薬師如来像のほかに、城陽市の指定文化財になっている、鎌倉時代の阿弥陀如来坐像が祀られています。

阿弥陀寺・本堂
阿弥陀寺・本堂

阿弥陀寺・本尊阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)
阿弥陀寺・本尊阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)


私が、阿弥陀寺を訪ねたのは、もう10年ほど前になります。
仏様の拝観お願いの連絡をしました処、快くご了解をいただきました。

薬師如来像は、専用に建てられた小さな収蔵庫のなかに祀られていました。

阿弥陀寺・薬師如来像を祀る収蔵庫
薬師如来像を祀る収蔵庫

ご住職に、収蔵庫を開いていただき、いよいよ拝観です。

写真で見ても、シャープな彫りで森厳な仏像だなと感じていましたので、期待に満ちて、そのお姿を拝しました。
果たして、眼前に顕れた薬師如来像は、その期待をはるかに通り越して、強烈なインパクトを感じさせるものでした。

一瞬、釘付けになってしまいます。

阿弥陀寺・薬師如来立像

阿弥陀寺・薬師如来立像~上半身
阿弥陀寺・薬師如来立像


パワーがあるのです。
1mにも満たない小さな仏像とは思えないような、パワーを発散しています。

仏像の前に立つと、無言のオーラで迫りくる「気」のようなものに押されて、思わず後ずさりしてしまいそうな迫力です。
良く判りませんが「霊気」とでもいうのでしょうか?

細かな造形の話はさて置いて、
「この仏像は、ただものではないぞ!」
と、びっくりしてしまいました。

写真で見ていた時は、迫力ある仏像だが、割りと大人しく整って造られ、上手に仕上げられた仏像なのかな、という印象でした。
眼近に拝すると、まさに想定外というか、圧倒的はオーラにあてられてしまいました。

落ち着いて、仏像の姿をじっくり見てみました。
色々なことに気づきます。
阿弥陀寺・薬師如来像~怖いお顔
阿弥陀寺・薬師如来像~怖いお顔


「怖い顔!」をしています。

威相というのでしょうか?


目尻が尋常ではないほどに吊り上っています。
分厚く引き締まった唇が鋭く彫り込まれており、何かを威圧するような、恐ろしげなお顔をしています。

ちょっと、その眼力に射すくめられてしまいそうな、怖さを感じます。


もう一つ、印象的なのは、
「木の塊、そのままのような彫像!」
という造形感覚です。

平安前期彫刻は、よく塊量的という風に表現されますが、そのイメージをはるかに超えて、木の塊そのもののように彫られています。
仏像の背中まで一回りして、上から覗き込むようにして観ると、「直方体の木の塊」という感じです。
「木塊」のイメージを残したままに、彫り込まれているように思えるのです。

阿弥陀寺・薬師如来像側面~木塊のような造形...阿弥陀寺・薬師如来像背面~木塊のような造形
阿弥陀寺・薬師如来像の側面と背面~木塊のような造形


阿弥陀寺・薬師如来像~衣文の鋭く荒々しい彫口
阿弥陀寺・薬師如来像~衣文の鋭く荒々しい彫口
衣の彫り口などは鋭く深く、体躯の造形力にも並々ならぬものを感じますが、整って仕上げているというのではありません。

粗い彫口をそのまま残したような表現で、木塊感をそのまま意図的に残そうとして彫られているように思います。

こうした造形が、きっと強いオーラや霊気のようなものを感じさせるのだと思います。

このくらいの大きさの檀像や檀像風の仏像は、見事な彫技で、美麗で技巧的に仕上げられた像が多いのですが、阿弥陀寺・薬師像はそれらの像とは、全く違う世界のなかで造られた像のようです。


この薬師像、どうして、こんなに恐ろしげで、木塊のような造形に彫られたのでしょうか?


専門家の解説をみてみたいと思います。

材質・構造などについては、いくつかの解説をまとめると、このように述べられています。

阿弥陀寺・薬師如来像~連肉まで一木で彫られている
連肉まで一木で彫られた薬師像
・頭部から台座蓮肉までを、カヤとみられる針葉樹で彫り出し、内刳りは施さない。

・螺髪・両手首(共に現状後補)を、矧ぎ付ける構造となっている。

・表面に彩色なく素木像のようにみえるが、わずかに顔料が残っているところがあり、元は淡黄色を塗って檀像のように仕上げたらしい。
(彩色なく素地とする解説や、白色顔料が残るので、もとは彩色像だろうとの解説もあります。)

まさに、平安前期の特徴を備えていると云えるのでしょう。


威相の恐ろしげな造形表現の訳については、どのように考えられているのでしょうか?

伊東史朗氏は、この特異な表現について、このように述べています。

阿弥陀寺・薬師如来像~威相の面相
阿弥陀寺・薬師如来像~威相の面相
「短躯であるが、堂々たる量感を誇示する。
眼球のふくらみを感じさせ、つりあがりぎみで見開く眼、張った鼻翼、厚い唇などは人を圧倒する威圧感がある。
・・・・・・・
(神護寺薬師如来立像と)共に、森厳な面持ちと荒々しい覇気があるのは注目され、共通の信仰基盤の上に造られたことを想像させる。

奈良から平安時代初期にかけて、悪霊や祟りを逃れるため、盛んに薬師如来が信仰されたが、そのような本尊はおそらく相手を睨み据え、神の貌に通じる像であったろう。

本像もそのような背景を感じさせる。」
(日本古寺美術全集第15巻・1980集英社刊)


阿弥陀寺・薬師像の威圧感ある表現は、神護寺薬師如来の威相の事由と考えられている「悪霊や祟り・呪詛を防御、威圧するための表現」と、同様の背景によるものだろうと見られているようです。


東博で開催された「仏像~一木にこめられた祈り」展図録の解説は、
この像の制作を9世紀としたうえで、その威相、霊的表現を「木の持つ霊性のなかから仏が生まれる感覚」を体現した造形に因るものと、
このように解説しています。

阿弥陀寺・薬師如来像~塊量的な体躯の造形と衣文
塊量的な体躯の造形とシャープな衣文
「この像は、・・・もとはその近くにある天満宮社の神宮寺薬師院の本尊であり、明治時代の神仏分離に際して、移安されたという。
・・・・・・・
幅が広く、顎の出が少ない寸詰まった顔立ちに特色があり、・・・・・・表情には霊的な雰囲気が漂う。
体躯には幅と奥行きがあり、蓮肉の大きさでそのまま立ち上がる丸太から、出来るだけ削り落とす部分を少なくしようとして、像を彫り出したような感覚がある。
・・・・・・・・
木の持つ霊性をこめながら、木から仏が生まれるという感覚を体現した作例といえよう。

その表情の霊的な気分とともに、この像が神宮寺(神社に付属する寺院)に安置されていたという伝来とも関連するように思われる。」
(特別展「仏像~一木にこめられた祈り」図録・2006.10刊所収)

「霊木化現」の思想的背景から、「烈しい霊威表現」、「尋常ならざる精神性を発する表現」がされた一木彫像の一例という考え方なのだろうと思います。
木塊のような彫り方も、こうした感覚によるものとみられています。
井上正氏の考え方の延長線上にあるのでしょうか。


中野玄三氏は、本像を9世紀の制作とし、森厳、威相の像が造られた訳を、次のように述べています。

「この薬師像のある枇杷庄は、木津川が大きく蛇行する地点にあり、洪水の時はいつも堤防が決壊する危険があった。

ここには天満宮社があり、その宮寺の薬師院に、この薬師像は安置されていた。

これは、『七仏薬師経』の第一に説かれる善名称吉祥王薬師如来に『風波の難』を鎮める功徳があるため、あえてこのような地点に薬師像を安置したのである。」

(城陽市史第1巻・2002刊所収)

阿弥陀寺の南を流れる木津川
阿弥陀寺の南を流れる木津川

枇杷庄・天満宮
枇杷庄・天満宮

「今崎一彌氏所蔵の図面の写しによると、天滴宮社社殿が西向きであるのに対して、薬師院は南向きで、木津川を睥睨するかのごときたたずまいである。

このような薬師像の木津川流域への配置の有り様は、洪水鎮壓に封する薬師如来の強大な威力を表している。」
(木津川流域の薬師悔過とその仏像・国華1348号2008.2刊所収)

中野氏は、木津川氾濫による洪水を封ずるため、神仏習合による薬師信仰が行われたという遺例が、木津川流域にいくつか遺されている。
阿弥陀寺・薬師像もその一例であり、洪水という厄災を鎮圧せんと、森厳、重厚な威相に表現されたものだとみているのです。


いずれにしても、阿弥陀寺の薬師如来像の、恐ろしげで威圧的な造形表現は、

「神仏習合」「霊威を示す」「霊木信仰」などなど

にまつわる造像であることに因るものとみられているようです。




「怖い仏像」「恐ろしげな表情の仏像」

他には、どのような仏像が思い浮かぶでしょうか?


私が、すぐ思い浮かんでくるのは、次のような仏像でしょうか。

大型の仏像なら、

神護寺・薬師如来立像、黒石寺・薬師如来坐像、観菩提寺・十一面観音立像。

小型の仏像なら、

秋篠寺・地蔵菩薩立像、勝尾寺・薬師如来坐像、霊山寺・十一面観音立像。

他にも、挙げれば沢山あるのでしょうが、即座に浮かんだのはこんなところです。

神護寺・薬師如来像~顔部
神護寺・薬師如来像~顔部

黒石寺・薬師如来像~顔部
黒石寺・薬師如来像~顔部

観菩提寺・十一面観音像~顔部
観菩提寺・十一面観音像~顔部

秋篠寺・地蔵菩薩像~顔部
秋篠寺・地蔵菩薩像~顔部

勝尾寺・薬師如来像~顔部
勝尾寺・薬師如来像~顔部

霊山寺・十一面観音像~顔部
霊山寺・十一面観音像~顔部


どの顔を見ても、尋常ではない「怖い顔」をしています。
こんな顔で射すくめられたら、震え上がってしまいます。

しかし、これらの仏像は、ただ単に恐ろしげなだけではなく、強く我々の心を惹きつける不思議な魅力があるのです。
「心に深く残る仏像」になっておられる方も多いのではないかと思います。

これらの怖い顔の仏像、どうしてこんな威相に造られたのだと考えられているのでしょうか?


いくつかの見方、考え方をご紹介したいと思います。

神護寺・薬師如来立像についてです。

神護寺・薬師如来立像
神護寺・薬師如来立像
神護寺像は、和気清麻呂が延暦年間に創建した神願寺の本尊であったと考えられています。

中野玄三氏は、あの怪異な顔貌は、この薬師像の造顕事由にあると考えました。

和気清麿は、宇佐八幡の神託を受け、称徳女帝の寵愛を受けていた時の権力者、道鏡を失脚させたのですが、その道鏡は下総の国で客死します。
和気清麻呂は、道鏡の怨霊の祟りや、道鏡一派の呪詛を防御するため、本尊薬師像を恐ろしげな畏怖感を与える姿に造ったのだと論じました。

本来あるべき仏の慈悲相をしていないのは、こうした調伏のための修法の本尊にふさわしい力を顕しているからだと考えたのです。


また、皿井舞氏は、神護寺薬師如来像の恐ろしげな姿の事由について、神願寺が宇佐八幡の要請に応えて創建されたことに注目し、
神願寺の呼称のとおり、
「仏力をもって、神威を増す」
という「威相」に顕わされたとしています。
神仏習合の一つの類型としてみるべきという考えです。



黒石寺・薬師如来坐像については、どうでしょうか。

黒石寺・薬師如来坐像
黒石寺・薬師如来坐像
黒石寺は、岩手県水沢、古代東北開拓の拠点であった胆沢城の近くに在り、薬師如来像は墨書銘から貞観4年(862)に制作されたことが知られる古像です。

この像は、当時の東北開拓の人々が、蝦夷に対する恐怖に対峙しこれを振り払うため、威相に造られたのではないかといわれています。
薬師如来が、蝦夷の畏怖に立ち向かい、これを折伏するという、蛮夷調伏の祈りを込めて造られたともみられているのです。

そういわれると、まさに頷いてしまう、威圧感のある仏像です。

黒石寺は、石手堰(いわてい)神社(通称・黒石神社)の神宮寺とみられており、東北土着の神との神仏習合像ではないかという見方もあるようです。



秋篠寺・地蔵菩薩像については、このような見方があります。

秋篠寺・地蔵菩薩立像
秋篠寺・地蔵菩薩立像
秋篠寺は、光仁、桓武両天皇の勅願により、法相宗の高僧・善珠(723~97)を開基として創建されたと伝えられます。

こうしたことから秋篠寺には、光仁天皇の皇子で、配流となり憤死した、早良親王の怨霊を封じるような機能があった可能性も考えられ、地蔵菩薩像の厳しい表情から発せられる霊的な雰囲気は、秋篠寺のもつ、そんな歴史的背景に関連するのではないかというものです。

特別展「仏像~一木にこめられた祈り」の解説に、このようにふれられています。

あの秋篠寺・地蔵菩薩像の「不気味な、怖い顔」を見ていると、確かにそんな気分になってきます。


井上正氏や安藤佳香氏は、こうした恐ろしげな威圧表現について、このように論じています。

井上正氏は、
勝尾寺・薬師如来像、観菩提寺・十一面観音像、霊山寺・十一面観音立像をはじめとするような威相表現について、
「尋常でない霊異相を、如来・菩薩にあるまじき、怒りに近い相好で示した」
と評しています。

古密教といわれる、雑密系尊像の霊威表現の一環として、こうした威相を捉える見方をしています。


勝尾寺・薬師如来坐像
勝尾寺・薬師如来坐像

観菩提寺・十一面観音立像...霊山寺・十一面観音立像
.   観菩提寺・十一面観音立像          霊山寺・十一面観音立像


安藤佳香氏は、
この井上氏の見方を踏まえて、こうした表情の厳しさを生み出した要因のひとつに、「神への畏怖の信仰」ともいえる固有神に対する畏怖の観念があったに違いない。
勝尾寺薬師三尊像、神護寺薬師立像はともに観念上の檀像として、固有神との習合の中で造立された「霊威の薬師」であり、両者はその点で造像精神を共有するものであるといえようと、論じています。


「威相表現」の様々な見方の紹介の話が、ついつい長くなってしまいました。


平安初期の「怖い顔、恐ろしげな姿」の表現は、、

「悪霊調伏、夷敵調伏、厄災鎮圧」

といったものや

「神への畏怖、神威を示す」

といったものなど、

尋常でない霊力にすがる信仰というものを想定しなくては、なかなか理解できないというように思えます。
そして、「神仏習合」ということが、それに付きまとっているようです。


ただ平安前期の「神仏習合像」が、みんな森厳な威相に造られているかというと、そうではありません。
おだやかに整って慈悲的な相に造られている像も、多くあります。
なかなか一概に決めつけるようなことはできないように思えます。


阿弥陀寺・薬師如来像のご紹介をしているうちに、平安初期の「怖い顔、恐ろしげな姿」の仏像の話になってしまいました。

「怖い顔、恐ろしげな姿」の仏像には、言い知れぬ心惹きつける魅力があります。


是非、一度、城陽市の阿弥陀寺を訪ねられて、薬師如来立像の霊気にふれて見られてはいかがでしょうか?

きっと、心に深く残り、「怖い顔の仏像」について、想いを巡らされることと思います。