観仏日々帖

古仏探訪~京田辺市・来迎寺の聖観音坐像  【2014.8.31】


南山城シリーズの続きということで、京田辺市の松井里ケ市にある来迎寺・聖観音坐像をご紹介したいと思います。


「京田辺の来迎寺? 聞いたことないなあ・・・・・」

と、皆さん、首を傾げられるのではないでしょうか。

来迎寺の聖観音坐像を拝したことがある方は、あまりいらっしゃらないのではないかと思います。
平安時代の仏像ですが、全くの無指定で、市指定文化財にもなっていません。

この像の存在を知ったのは、最近刊行された「京田辺市の仏像」という本に掲載されていたからです。
平成19年(2007)に刊行された、調査報告書です。

「京田辺市の仏像~京田辺市美術工芸品調査報告書~」
京田辺市教育委員会・2007年刊

「京田辺市の仏像」京田辺市教育委員会刊


ページをめくっていると、魅力のありそうな平安古仏の写真が、眼に留まりました。
「京田辺市の仏像」に掲載されている写真をご覧ください。

来迎寺・聖観音坐像(「京田辺市の仏像」掲載写真)
来迎寺・聖観音坐像(「京田辺市の仏像」掲載写真)

一目見ただけで、結構古い仏像だと感じられると思います。
だいぶ、後の手が入っているような感じですが、どう見ても、平安前期の雰囲気プンプンの仏像です。

「これは、一度訪ねねばなるまい!」

そのように思っていました。

昨年(2013)、機会があり、ようやく京田辺市の古仏探訪にでかけました。
来迎寺の観音像も含めて、あまり知られていない平安古仏をいくつか拝しましたが、やはり、この来迎寺像が最も印象的で出色、という実感でありました。

そこで、この「知られざる平安古仏」として、ご紹介しておこうと思った次第です。


来迎寺は、京田辺市・松井里ケ市という処に在ります。
京田辺市の北の方で、城陽駅の西5キロぐらいの処です。
京八幡とか宇治に近く、南山城というより京都の南といった方がよいような場所です。

聖観音像のご拝観お願いのご連絡をすると、快くご了解をいただきました。

同好の方々と車で訪ねましたが、古い家が並ぶ村落の道を往くと、その奥の方に来迎寺がありました。
小ぢんまりはしていますが、山門もご本堂も荒れた様子もなく、地元の人々にしっかり守られているお寺のようです。

来迎寺・山門
来迎寺・山門

お寺へ向かう途中で、地元の年配の方に道を尋ねました。

すると、
「観音さんを見に来る人がいるというのは、あんたたちの事なのか。
私も、その観音さんを拝んだことが無いので、この機会に見ようとおもって、来迎寺に寄ろうと思っていたところだ。」
ということで、ご一緒に来迎寺に向かいました。

来迎寺の檀家(総代?)の方のようで、我々が拝観に来るというのを、お寺からお聞きになり、それなら一緒に拝観と思われたようなのです。

目当ての聖観音坐像は、主要な檀家の方でも、良く知らないという仏像のようです。
というのも、この観音像、本堂に祀られているのではなく、その隣の少々古びた建物の一角に祀られていました。
檀家の方々も、普段そちらの方のことはよくご存じなかったようです。

来迎寺・本堂横の聖観音像が祀られている建物
来迎寺・本堂横の聖観音像が祀られている建物

来迎寺は、永禄8(1565)年、道誉上人により開山されたと伝えられているお寺です。
本堂の方には、後日調べてみると、鎌倉中期の阿弥陀如来像(無指定)がご本尊として、祀られているようです。
伺ったときは、そのことを知らず、ご本尊を拝さずに帰ってしまいました。

来迎寺・本堂.来迎寺・本尊阿弥陀三尊像
来迎寺・本堂と本尊阿弥陀三尊像

聖観音像の方は、客仏ということなのかもしれません。

さて、めざす聖観音坐像のご拝観です。
本堂横の建物に上げていただくと、聖観音像がたくさんの千手観音小仏像とともに祀られていました。
お寺のご本尊ではないので、きっちり荘厳してお祀りするというわけにも行かないようで、簡単な拝坐を設けて、地味に祀られていました。

来迎寺・聖観音坐像
来迎寺・聖観音坐像

観音像を拝しに来る人は、本当にめったにないようです。

「よくこの観音様のことを知られましたね。どうして、判ったのですか?」

と、不思議そうに尋ねられてしまいました。

「『京田辺市の仏像』という本に掲載されていて、素晴らしい仏さんのように思ったので、伺ったのですよ」

とお話しすると、

「変わった人たちもいるものだ。」

というような顔色で、少々あきれたような感じでもありました。


観音像の前にかけられていた錦帳・垂れ幕も外してくださり、眼近にじっくりと拝することが出来ました。

来迎寺・聖観音坐像
来迎寺・聖観音坐像

像高93.2㎝、灰色の上塗りが全面に施されています。

予想に違わぬ存在感です。

やはり、間違いなく平安前期の雰囲気です。
ただ、森厳とかオーラとかという言葉で表現されるような、霊威的な迫力というのと、ちょっと違います。
「存在感」という言葉が、一番あたっているように思います。
「どっしりした存在感」とでもいうのでしょうか?

歪みの造形とか、鋭い彫口といった、インパクトで迫るというのではありません。
オーソドックスは造形のようなのですが、その場にいると、ちょっとすくめられるような「存在感」を漂わせる像なのです。

来迎寺・聖観音坐像~上半身
来迎寺・聖観音坐像~上半身

「堂々たる重厚感」を感じます。
正面から見てもボリューム感充分なのですが、横にまわって側面から見ると、胸の凄い厚み、頭部の面奥の深さなどは、並大抵ではありません。

来迎寺・聖観音坐像~上半身.来迎寺・聖観音坐像~側面
来迎寺・聖観音坐像~側面

だからといって、唯々分厚いだけで、造形が崩れているというのではなく、しっかりと締まりある良く出来たモデリングで、なかなかの造形力です。
重厚感を通り越して、鈍重感を感じないわけではないのですが、これが後世の厚塗りで像容が損じているからではないかなと思います。

胸のあたりから下の方、下半身にかけては急に力が抜けてしまう感じです。
「アレッ!!どうしたんだろう?」
と思いますが、腹部から膝前の前面は新材による後補だからのようです。

何といっても、インパクトがあるのは、「お顔」です。

大ぶりな造作で、太い鼻梁線、分厚くめくれたような唇が、特に印象的です。
下膨れの頬も目を惹きます。
「エキゾチックで、静謐なお顔」という感じです。
「沈鬱感」といっても良いのかもしれません。

来迎寺・聖観音坐像~顔部

来迎寺・聖観音坐像~顔部
来迎寺・聖観音坐像~顔部


「太い鼻梁、分厚い唇、エキゾチックな風貌、沈鬱感」

こんなキーワードを並べていると、近江の二つの観音像のことを思い出してしまいました。

滋賀県野洲市に在る「来迎寺・聖観音立像」と、長浜市に在る「来現寺・聖観音立像」です。

野洲市・来迎寺・聖観音立像..野洲市・来迎寺・聖観音像~顔部
野洲市・来迎寺・聖観音立像

長浜市・来現寺・聖観音立像..長浜市・来現寺・聖観音立像~顔部
長浜市・来現寺・聖観音立像

この2躯の観音像のお顔と、来迎寺・聖観音像のお顔とは、似ているとは云えないののですが、どこか通ずるフィーリングを感じてしまいます。
これらの像と共通する系譜などがあるのかどうか、全くわかりませんが、つい思い出してしまいました。

滋賀、来迎寺像、来現寺像ともに、

「南都の寺院と関係があった像ではないか?奈良時代の仏像に通じる表現が多い。」
(「特別展仏像・一木にこめられた祈り」解説)

とも言われています。
そのあたりに何やら同じくするものがあるのかもしれません。

もう一つ思い出したのが、亀岡市・甘露寺の聖観音坐像です。
これまたちょっと雰囲気は違いますが、ボリューム感があり下膨れの面貌には、相通じるフィーリングを感じます。

亀岡市・甘露寺・聖観音坐像

来迎寺・聖観音坐像~顔部
亀岡市・甘露寺・聖観音坐像

甘露寺像も、
橘寺・伝日羅像~顔部
橘寺・伝日羅像~顔部

「その相好は、奈良橘寺の日羅像とよく似た眉や唇に特徴がある。
また上半身の表現や衣文の掛け方は高山寺薬師像(天平末期)とも共通している。」
(新修亀岡市史「仏教美術の伝播」所載・中野玄三氏解説)

とされ、奈良の仏像に通じる表現が指摘されています。

(甘露寺聖観音像については、この「観仏日々帖・2012.7.19付」でご紹介しています。ご参照ください。)

いずれにせよ、大変見どころのある、惹きつけるもののある古仏だと思います。
残念なことに、下半身を中心にかなりの後世の修復があり、また全体に、過剰とも思えるような後世の厚塗りが一皮かぶせられているようで、折角の像容も鈍いものになってしまっています。
それでも、出来の良さや、平安前期の存在感、重厚感をしっかりと感じることが出来る、立派な古仏です。

きっと、きちっと修理修復をして、一皮むいて当初の像容の再現を試みれば、もっともっと見どころのある、優れた仏像になることと思います。


ところで、この仏像の解説をみてみたいと思います。
「京田辺市の仏像」には、どのように述べられているでしょうか?
ポイントのみ、ご紹介します。

「若々しく健康的な面貌は、奈良時代の彫刻作風を思わせる。
・・・・・・・・
針葉樹材の一木造り。
頭体部を、木心が腹部を通る一材から彫出する。
像底から11.3㎝の高さまでの内刳りは後補で、本来は完全な一木造りだったのだろう。
・・・・・・・・・・
体部前面は、腹部から地付まで後補材が差し入れられているので、条帛が腹部で幅広になる表現は、実は後世のものである。
・・・・・・・・・・・
このように後補が多く、表面に厚塗りもあるので、観察に注意を要するが、当初部分は極めて古様である。

鼻梁の太く口唇の厚い面相部は、唐招提寺大日如来像や地福寺十一面観音像など、奈良地方の平安前期(9世紀)彫刻に近く、太々として重量感ある体躯をも考慮に入れると、同じころの制作とみられよう。

今は風化や表面の厚塗りのため一見茫洋とした感じになっているが、・・・・・・
詳しく見ると逞しい体幹と繊細な細部が調和しており、古調な中にも品位のある作風が伺える。」

来迎寺・聖観音坐像~顔部側面

来迎寺・聖観音坐像~正面..来迎寺・聖観音坐像~背面
来迎寺・聖観音坐像(京田辺市の仏像所載写真)

地福寺・十一面観音立像~顔部
地福寺・十一面観音立像~顔部

唐招提寺・大日如来坐像~顔部
唐招提寺・大日如来坐像~顔部

解説は、伊東史朗氏の執筆です。

「若々しく健康的な面貌は、・・・」

という風貌の表現ですが、

私が、このお顔に感じた印象、
「エキゾチックで、静謐なお顔、沈鬱感。」
というのとは、ちょっと違いました。


「奈良時代の彫刻作風を思わせる」

との解説は、「そのとおりだ」と感じます。
奈良彫刻の伝統の系譜に在る、優れた造形であることは、間違いありません。

解説の主旨は、

「後世の修復に、大いに邪魔されてしまっているけれども、奈良地方の彫刻の系譜に在る極めて古様で、品位ある優れた造形の仏像」

とというもので、無指定の仏像にしては、格別の高い評価のコメントがされています。

私も、全く同感で、

「もしこの仏像が、当初の姿をそのままとどめた仏像であったならば、素晴らしい仏像として、大変高く評価され、知られるようになったに違いない。」

と思った次第です。

修復部分が多くて、ちょっと一般受けしない仏像かも知れません。
仏像の数をたくさん見ている愛好家の方には、この像の見どころある処、出来の良さを、十分感じていただけたのでないでしょうか?


訪れる人もないであろう、ひっそりと片隅に祀られた無指定の平安仏です。
少しだけでも、世間のスポットライトを当ててあげたい気持ちになりました。

ご住職とお話しする中で、

「この観音様は、平安前期の、優れた仏像のように拝させていただきました。
このようなお姿での祀られ方では、もったいない感じで、修理修復されると、見違えるようなすばらしいお姿になられるのではないでしょうか?」

と申し上げましたら、

「そのようには思うのですが、修理修復には、大変費用が掛かりますし、うちの寺ではなかなかそのようなお金をかけることも難しいですし・・・・・・・」

とおっしゃっておられました。
残念ではありますが、「これもまた現実」ということなのでしょう。


見どころ多い、知られざる仏像に出会うことが出来、満足感いっぱいの観仏となりました。
お寺の皆様、檀家の方には、大変親切にして頂きました。
感謝の念を抱きつつ、来迎寺を後にしました。


古仏探訪~京都府相楽郡南山城村・春光寺の薬師如来立像  【2014.8.15】


南山城の古仏シリーズということで、南山城村のかくれ仏、春光寺・薬師如来立像をご紹介します。

薬師如来像の写真をご覧ください。

春光寺・薬師如来立像

春光寺・薬師如来立像
春光寺・薬師如来立像

皆さん、この仏像を観ると、すぐに「あの有名な仏像」のことを思い出されると思います。

そうです! 元興寺の薬師如来像です。

元興寺・薬師如来立像

元興寺・薬師如来立像
元興寺・薬師如来立像

元興寺・薬師如来立像は、平安初期一木彫の傑作で、国宝に指定されています。
堂々たる量感、シャープな彫口の衣文、バランスのとれたシルエットは見事なものです。
惹き込まれる美しさの仏像で、有名です。

いつも、奈良国立博物館の「なら仏像館」に展示されていますが、
「私の好きな仏像NO1は、元興寺薬師!」
という方も、多くいらっしゃることと思います。

春光寺の薬師如来像を拝すると、誰もが、

「あつ!元興寺薬師に似ている!」

そのように感じられることでしょう。

全体のシルエット、両股を隆起させたY字状衣文など、元興寺薬師を連想させる要素ばかりです。

丸山尚一氏は、このように語っています。
春光寺・薬師如来立像
春光寺・薬師如来立像

「一見して、平安初期像の傑作とされる奈良元興寺の薬師像を想起させる作風である。
分厚く二重にかさねた螺髪も、頬の張りも、眼、鼻、口の彫りに見る森厳な表情も、また肩から胸への量感も、衣文の鋭角的な彫りも、すべて元興寺像を写し取ったかのように似ている。」
(地方の仏たち~近畿編・中日新聞社1997年刊)

春光寺の薬師如来を造った仏師は、元興寺の薬師如来像を見て、そのイメージをもとにこの像を彫ったのは、きっと間違いありません。

この南山城村という鄙の地に、南都の中心、元興寺・薬師如来像の兄弟、弟分のような仏像が残されているのは、誠に興味深いことだと思います。


春光寺は、「京都府 相楽郡南山城村 北大河原北垣内」という処に在ります。

南山城村というのは、木津川の上流沿いにある村です。
木津川は、奈良市の北木津駅のあたりで、東西の流れから北へ90度曲がって京都方面に流れますが、北へ曲がる前、東の方に遡っていくと、南山城村にたどり着きます。
関西本線の大河原駅が、最寄り駅になります。
木津駅から20キロほど、三つ目の駅です。
あと5キロほど行けば、もう三重県・伊賀の地に入るという処です。

関西本線・大河原駅
関西本線・大河原駅

正直に言って、本当に辺鄙な山村、鄙の地という感じの処です。
「南山城村」は、京都府の市町村なかで、唯一の「村」だそうです。

春光寺は、駅から東に500mほど歩いたところに在ります。
私は、10年ほど前に、二度春光寺を訪れました。
関西本線の踏切を渡って、なだらかな上り坂を往くと、「真言宗智山派 春光寺」という石碑が見えてきます。

春光寺の入り口
春光寺の入り口

立派な本堂がありますが、小ぢんまりとした境内です。

春光寺・本堂
春光寺・本堂

薬師如来像は、本堂の厨子の中に祀られています。
普段は、厨子の扉は閉じられているとのことですが、事前に拝観のお願いのご連絡を差し上げた処、快くご了解をいただきました
お伺いした二度とも、お厨子の扉を開いてお待ちいただいておりました。

ご住職のお話によれば、この本堂は、朽ちかけていたのを、村を挙げて「平成の大修復」を行い、平成10年(1998)に、立派に竣工したものだそうです。
総工費は約85百万円で、そのほとんどがこの地元の数多くの人々の寄付によって賄われ、現在の姿によみがえることが出来たということです。

大修理により新装された厨子
大修理により新装された厨子

修理時の朽損した本堂の柱・梁の状況..大修理により美しく彩色された柱・梁
修理時の朽損した本堂の柱・梁の状況と修理後、美しく彩色された柱・虹梁

「平成の大修理」を記録した記念誌
「平成の大修理」を記録した記念誌

立派に荘厳されたお堂中央の厨子の中に、薬師如来像のお姿が見えます。

本堂厨子に祀られる薬師如来像
本堂厨子に祀られる薬師如来像

彩色のない木地のお像で、やはり一目で、元興寺薬師像を髣髴させるお姿です。
像高は、146.7㎝で、元興寺薬師像(像高164㎝)より、一回り小さいお像です。
昭和53年(1978)に、重要文化財に指定されました。

解説書によれば、
元興寺・薬師如来像の背刳りの状況
元興寺・薬師像の背刳りの状況
カヤ材の一木彫で、螺髪は植え付け、両手両足先は矧ぎ付け、内刳りがされているそうです。
内刳りは、後頭部一箇所、躰部背面二箇所に長方形の穴をあけ、上下に貫通させており、背板で塞いでいるとのことです。

元興寺薬師如来像と、材質構造面を較べてみるとどうでしょうか?

カヤ材の一木彫という処は、元興寺薬師像と一緒です。
また、共に内刳りがされていますが、元興寺像が細長い長方形の背刳りをして、一枚の背板で塞いでいます。
春光寺像とは、ちょっとやり方が違うようです。

もう一つ、元興寺像は蓮肉まで頭躰部と一木で造られていますが、春光寺像は、像底にあけた孔に台座上の枘を挿入して像を立てている点も違います。
但し、春光寺像の像底部は、朽損を補修修理されており、当初は元興寺像同様、蓮肉まで一木であった可能性も考えられるそうです。

このようにして、見た目でも、材質構造面でも、類似点を見つけていくと、

「元興寺薬師像、そっくり!!」

ということになりそうですが、お厨子に近づいて、薬師像を眼近に拝すると、

「そっくり、そのまま」

というわけではなく、かなり違っているような雰囲気を感じます。

着衣の形式も、よく見ると違っています。
春光寺像の着衣が、我が国では比較的少ない「通肩」というスタイルなのに対して、元興寺像は「袈裟と僧祇支の併用」というポピュラーな着衣スタイルをとっています。

通肩の着衣の春光寺・薬師像...袈裟と僧祇支の併用着衣の元興寺・薬師像
通肩の着衣の春光寺・薬師像    袈裟と僧祇支の併用着衣の元興寺・薬師像

ただ、そんな形式的な面よりも、春光寺像と元興寺像は、造形感覚というかフィーリングが、随分違っているように思えるのです。

春光寺薬師像を拝していると、一言でいうと、

「穏やか」とか「整った」「やさしい」

といった形容詞が似つかわしい感じがするのです。

緊張感、迫力ある彫り口の元興寺・薬師如来像
緊張感、迫力ある彫り口の元興寺・薬師如来像
元興寺薬師像も、平安初期一木彫としては、奈良様の伝統を受け継いだ、バランスある落ち着いた造形の仏像で、神護寺薬師像のような、強烈な気迫、森厳さ、歪み造形というデフォルメ、という処はありません。

しかし、鋭い衣文の彫り口、躰部のボリューム感など、堂々とした迫力で、バリバリの平安初期彫刻そのもの、という造形感覚を漲らせています。
奈良時代後期に遡る仏像なのかも知れません。

春光寺像の前に立つと、こうした
「平安初期の、張りつめた緊張感」
というものは、あまり感じられません。
むしろ、
「穏やかで静かなる落着き」「心やすまる和やかさ」
を、この薬師如来像からは、心に感ずるものがあります。

躰躯の造形も厚みが減じてきて、衣文の彫りも浅めになってきているようです。

元興寺・薬師如来立像~側面.....春光寺・薬師如来立像~側面
元興寺・薬師如来立像~側面    春光寺・薬師如来立像~側面

専門家の解説は、どうでしょうか?

伊東史朗氏は、このように述べています。

「このような特徴は元興寺薬師如来立像に通じるもので、彼像もやはり頭部小さく、股間に集まる衣文があり、胸の肉付きも意外と少ない。
もっとも、春光寺像は顔面、衣文とも抑揚が強く、肉身のふくらみが感じられる点は多少異質ともいえる。
平安初期の奈良的特徴を濃厚に残す例といえる。」
(日本古寺美術全集15巻「平等院と南山城の古寺」1980集英社刊)

制作年代について、はっきり言及されていませんが、平安初期に遡る可能性を残されているのかもしれません。


新指定重要文化財(毎日新聞社1981年刊)の解説には、このように記されています。
春光寺・薬師如来立像
春光寺・薬師如来立像
本像が、昭和53年(1978)に、重要文化財に指定された時の文化庁の解説です。

「こうした躰貌に加え、殊に、肉付き厚く厳しい表情をもった面相は、奈良・元興寺の薬師如来立像に学んでいるものとみられる。

ただ、元興寺像に比較して胸・腹部がかなり小ぶりで、肉取りは浅く抑揚に乏しい。
また、彼が強く屈曲する衣文を上躰及び袖外側に集中させるのに対し、本像のそれは全体に柔らかく、のびやかさを増し、その構成も平明なものになっている。
それらは本像におっとりとしたやさしい趣を与えており、そこに自から年代の下降と地方的特色が看取されよう。

制作は10世紀初めと考えられるが、元興寺像の様風を受け継ぐこの頃の遺例は、従来あまり知られず、それが奈良文化圏に属する南山城の地に伝来したことは、興味深い。」


中野玄三氏も、このように述べられています。

「作風においては、前三像(唐招提寺、神護寺、元興寺の一木彫薬師如来立像)が、8~9世紀の代表的作風を示すのに対して、本像(春光寺像)は10世紀の代表的作風を示し、決して地方作と称せられるような作風ではない。」
(「南山城の平安美術」南山城町史2005刊)


私が、二度、春光寺薬師像を拝した印象は、「新指定重要文化財の解説」がぴったりフィットするという感じがしました。

よくは判りませんが、

「元興寺薬師に倣った、10世紀ごろの、穏やかで落ち着いた作風の仏像」

というのが、率直な印象です。


この薬師如来像、現在は素木で彩色の無いお姿をされていますが、以前はそうではなかったようです。

昭和53年の重要文化財指定時には、表面には後世の補修時の拙劣な紙貼りと黒漆塗りが施されていました。
昭和54年に保存修理が行われ、黒漆塗りなどを除去して素地を表わす他の修理修復が行われて、現在のお姿になりました。
修理前の写真を見ると、全体に黒光りして、螺髪は随分大粒で、お顔の表情もずいぶん違って見えます。

修理前の黒漆塗りされた春光寺・薬師像...修理前の黒漆塗りされた春光寺・薬師像
修理前の黒漆塗りされた春光寺・薬師像

この写真を見ると、ちょっと恐ろしげというか、不気味な感じで、

「あの美仏、元興寺薬師像の兄弟分の仏像」

という感じはしません。

修理によって、螺髪も小粒に直され、上塗りも除去されて、きりっとした面貌に戻り、元興寺薬師像を髣髴させるお姿に、よみがえることが出来たのだと思います。


ところで、どうしてこの辺鄙な南山城村に、元興寺薬師像の兄弟分のような平安古像が、遺されているのでしょうか?

笠置から南山城村のある南北大河原の一帯は、9世紀ごろには、東大寺、元興寺、大安寺、興福寺など南都諸大寺の杣山(そまやま)になっていたそうです。
杣山とは、寺院の建立などに必要な用材を切り出す山林のことです。
杣山の地には、人々が住まいし、寺院が造営されたのは当然の事です。

中野玄三氏は、「木津川流域の薬師悔過とその仏像」という論考のなかで、

寛平8年(896)の太政官符から、この地が南都諸大寺の杣山であったことがわかる。

この一帯に人が住むようになったのは天平時代にさかのぼり、最初に、この地に住む人々に、地子を勘じた(地租を徴収すること)のは元興寺で、仁和年間(885~9)より始めたという。

春光寺像が元興寺像の系譜を継承しているのは、このような由来があったからであろう。

という考えを、述べられています。

この大河内の地が、古くは南都の杣山であった話、とりわけ元興寺の影響力が大きかったという話を聞くと、元興寺薬師像に倣った平安古仏がこの地に遺されているというのも、

「なるほど、もっともなことだ!」

と、素直に納得してしまいました。

この前にご紹介した、和束町薬師寺の薬師如来坐像も、南都の奈良様乾漆像の伝統を色濃く受け継いだ仏像でした。

和束町薬師寺・薬師如来坐像
和束町薬師寺・薬師如来坐像

春光寺は、和束町薬師寺の東隣という処に在ります。

「この地域は、平安時代に入ってからも、南都文化圏の傘下に在って、奈良様の伝統を受け継いできたのだ。」

今更ながらに、そんな思いを新たにしました。


もう一つ、興味深い話があります。

中野玄三氏が、
「春光寺薬師像は、神仏習合の本地仏である」
と述べていることです。

中野氏は、次のような考え方を示しています。

春光寺薬師像は、貞観年代(859~877)に当地に在った、「国津神社」の宮寺に祀られた薬師像であった。
現在の春光寺の場所は、国津神社の宮寺、薬師堂のあった処である。

この薬師像は、木津川の水害洪水防御の仏として、祀られていたものであろう。

木津川流域には、こうした水害洪水の頻発の地に、薬師像が造立される例が多々あり、城陽市阿弥陀寺・薬師立像、和束町薬師寺・薬師坐像、精華町常念寺・薬師菩薩像、京八幡市薬薗寺・天部形薬師立像等々が、同様の例に挙げることが出来る。

その多くは、神仏習合思想による薬師如来として造立されたと考えられる。

「木津川流域の薬師悔過とその仏像」
(国華1348号2008/2・続々日本仏教美術史研究2008思文閣刊所収)
という論考で、そのように述べられています。

余談ながら、この論考は、
長岡龍作氏が
神護寺薬師像は、元高雄山寺の本尊であったに違いない。
神願寺が高雄に移転した事由が、「地勢汚穢」「地勢沙泥」によるとされており、そのような、けがれた場所にあった神願寺本尊が、新たな神護寺の本尊に移坐されることはありえないのではないか。
と主張したのに対して、

中野氏が、
木津川流域に数多く祀られる薬師像などから、薬師仏は汚泥を厭わず、むしろ進んで汚泥にまみれ、人々を救済する仏であったと考えられる。
神護寺薬師像が、神願寺から移された像と考えて、何の不思議もない。
として、長岡説に反論する意味でも書かれた論考です。

この話に入ると、ややこしくなるので、ここでは立ち入らないようにしたいと思います。

精華町常念寺・菩薩立像
精華町常念寺・菩薩立像
さて、この前の「古仏探訪」で、常念寺・菩薩像が神仏習合の薬師菩薩像であったと思われる話をしましたが、春光寺・薬師像もその系譜にある薬師像かも知れないということです。

大変興味深く、惹きつけられる話です。

この神仏習合像の話に入ると、益々、興味は尽きないのですが、一方で、

「そんなふうに言い切ってしまっても、いいものだろうか?」

という気持ちも、少しよぎります。

今回は、これもまた、なかなか難しいこれからのテーマ、ということにしておきたいと思います。



南山城村大河原の春光寺・薬師如来像、如何だったでしょうか?

今回は、元興寺薬師如来像の弟分のような平安古仏が、木津川沿いの鄙の地に、ひっそりと遺され、今も、地元の人々に大切に祀られているお話でした。

新刊旧刊案内~「福岡県の仏像」アクロス福岡文化誌編纂委員会編  【2014.8.2】


福岡県の仏像を紹介した本が刊行されました。


「福岡県の仏像」アクロス福岡文化誌編纂委員会編

2014年3月 海鳥社刊 【165P】1800円


「福岡県の仏像」


奥付には、2014年3月31日刊と書かれていますが、出来上がりが遅れて、実際にはこの7月に、やっと発売されたばかりの本です。

アクロス福岡文化誌の第8冊として刊行されたもので、国指定重要文化財、県指定文化財の仏像を中心に、約100躯の仏像が、カラー写真で紹介され、解説が付されています。
福岡県の仏像について、判りやすく手軽に知ることが出来る本だと思います。


「アクロス福岡」というのは、これまで聞いたことがなかったのですが、NETで調べてみたら、福岡の中心・天神に在る公民複合施設だそうです。
当地のランドマークで、福岡シンフォニーホール、国際会議場、オフィス、ショップなどが入る14階建てのビルでした。

「アクロス福岡文化誌」という本は、福岡県の地域文化・伝統文化の掘り起こしや保存活動の促進を目的に「ふるさとの文化」を幅広く紹介するため、毎年1巻ずつ刊行されているそうです。
これまでには、「福岡県の名城」「福岡県の神社」「福岡の祭り」などといった本が刊行されていました。

このシリーズの第8弾として、今回「福岡県の仏像」が刊行されたということです。


福岡県の仏像だけを採り上げた本というのは、お目にかかったことがなかったので、早速購入しました。
パラパラとページをめくると、福岡の仏像、約100躯が、カラー写真で紹介され、簡単な解説が載せられています。

「福岡県の仏像」内容

「福岡県の仏像」内容


ページ数の制限もあるのでしょう。
ひとつの寺院に割かれたページ数は、1~2ページで、仏像の写真は、正面写真が1枚、これに解説が付されるという体裁です。
解説は、大変平明に判りやすく書かれています。

どのような仏像が採り上げられているのでしょうか?

目次をご覧ください。

「福岡県の仏像」目次1

「福岡県の仏像」目次2


このような仏像が、紹介されています。

執筆は、総説を八尋和泉氏が担当し、ご覧のようなメンバーが解説を担当されています。
九州仏教美術の専門家陣による執筆です。

「福岡県の仏像」執筆者


コンパクトな福岡県の仏像の紹介本は、これまでなかっただけに、大変有難い本だと思います。

福岡県の仏像と云うと、なんといっても大宰府・観世音寺の巨大な仏像群のことが思い浮かびます。
観世音寺の仏像を別格とすれば、意外に、知られていないのかもしれませんが、なかなか魅力あふれる仏像が、数多く残されています。


私が、強く印象に残っている仏像は、鞍手郡の長谷寺・十一面観音立像と糸島市の浮嶽神社の諸仏です。
共に、お気に入りの仏像です。

かつて、神奈川仏教文化研HP・埃まみれの書棚から「地方佛~その魅力に ふれる本~」で、九州の仏像についてふれたとき、「私の好きな九州の仏像」NO1・NO2に、この二つの仏像を採り上げています。
思い出すと懐かしくなりましたので、少々恥ずかしいのですが、その時の文章を転載させていただきます。

次のような文章です。

九州地方は、中国、四国地方にくらべて、これといった平安木彫の優作が少ないように思うが、そのなかで私の好きな仏像を選んでみると、

観世音寺の諸像は、別格番外として、

 NO1は、福岡鞍手郡、長谷寺の十一面観音像

 NO2は、福岡糸島郡、浮嶽神社の薬師如来ほか諸像

 NO3は、大分豊後高田市、国東半島の熊野磨崖仏

この仏像たちがBEST3になったが、いかがだろうか?


鞍手郡長谷寺・十一面観音像
鞍手郡長谷寺・十一面観音像
鞍手町長谷にある長谷寺は、福岡 と小倉の中間辺り、遠賀川沿いの炭鉱の街・筑豊直方からそう遠くない所にある。
私が、同好の人たちとこの長谷寺を訪れたのは、今か ら2年ほど前、H16年の秋のことであった。
長谷寺・十一面観音像については、これまで写真では知っていたが、さほど大きな期待を していない仏像であった。

「まあこの像も、平安中期仏のひとつとして観ておくか」

こんな気持ちで長谷寺を訪 ねたのだが、ご住職に案内され、お堂で十一面観音像を拝し、その堂々たる力強い姿を眼の当たりにした途端、
「私の好きな九州の仏像NO1」
に、一気にラン クアップしてしまった。

「ドーンと腹に応えるように、迫ってくる。
それも、鋭利な刃物で切り込んでくるといったものではなく、鉈で ドスンと打ち下ろしてくるような重厚なパワーを感じる。」

そんな魅力を訴えてくる仏像であった。

びっくりす るほどに太く造られた腕、グリッと抉られ粘るようにうねる衣文、引き締まってはいるが何処か固い感じのするモデリング、そのそれぞれがこの仏像の力強さを 誇示しているようで、その迫力に引き込まれてしまう。

鞍手郡長谷寺・十一面観音像
鞍手郡長谷寺・十一面観音像

じっくりと拝していると、

「この 十一面観音は、古代の金銅仏を手本にしたりイメージしながら、貞観仏の手法、形式で造った仏像なのじゃないだろうか?」

あり得ない こととは思いつつ、そんな気持ちになって来る。

それは、この像がクスノキという堅材で造られていること、顔面 や肌の表現がなにか金属質な感じをさせること、両眉を連続させた表情や姿態に異国的・外来的要素を意識させることなどが、そんな気分に誘い込むのかもしれ ない。

鞍手郡長谷寺・十一面観音像
鞍手郡長谷寺・十一面観音像

単なる貞観彫刻が地方化した仏像という概念では捉えきれない、不思議な魅力を発散する仏像である。


NO2 は、浮嶽神社の仏像。

浮嶽神社は、筑後富士と呼ばれる「浮嶽」の中腹にある。頂上には、浮嶽神社上宮という社 があり、航海の神として祀られている。
浮嶽からは、すばらしい眺望が開け、眼下に唐津湾や虹の松原を望み、はるかに玄界灘を見晴る かすことが出来る。

浮嶽から望む玄界灘
浮嶽から望む玄界灘

そしてまた、浮嶽神社では、この美しい景色にふさわしいような、伸びやかな古佛たちに出会うことが出来る。

浮嶽神社の諸像
浮嶽神社の諸像

地蔵菩薩立像、如来立像、仏坐像の3体が、重要文化財に指定されているが、まさに、オーソドックスな平安前期仏。
ゆったりと落ち着いた気分で、そのすばら しさに触れることが出来る。

浮嶽神社・地蔵菩薩像....浮嶽神社・如来立像
浮嶽神社・地蔵菩薩像(左)・如来立像(右)

それぞれの造像時期には違いがありそうだが、奈良・中央の優作である元興寺薬師像や橘寺日羅像、融念寺 地蔵菩薩像といった、いわゆる典型的貞観木彫の系譜の延長線上にある像だ。
伸びやかで堂々たる量感、厚い肉取り、力強い彫りや衣文 の処理など、しっかりバランスよくまとまった造形の像で、

「ああ、九州にも中央の貞観の息吹が、そのまま伝わったのだなー」

と、素直に好きになれる仏像たちだ。


ちょっと本題と関係のない、自己満足的な文章を、載せてしまいました。


本の紹介の話に戻りたいと思います。

近年までは、福岡県の仏像について解説した一般向けの本は、なかったのではないか思います。

昭和43年(1968)に明治百年記念で出版された、
「福岡県の文化財」(福岡県教育委員会刊)

昭和51年出版の
「国宝・重要文化財 仏教美術 九州1(福岡)」(奈良国立博物館刊)

昭和58年(1983)出版の
「福岡県の美術工芸品Ⅱ・彫刻」(西日本文化協会刊)

などが、
これまで出された本だと思いますが、いずれも教育委員会発刊の文化財記録や調査研究用の専門書的な本ばかりでした。

「福岡県の文化財」...「国宝・重要文化財 仏教美術 九州1(福岡)」

「福岡県の美術工芸品Ⅱ・彫刻」


今回出版された「福岡県の仏像」は、コンパクトなガイドブックといっても良いような本で、解説も大変平明で、かつきっちりした内容になっています。
福岡の仏像を知るハンドブックとしては、必携といっても良い本なのではないかと思います。
お手元に置かれることを、お薦めします。


ところで、この秋、特別展「九州仏」という展覧会が、福岡市博物館で開催されるということです。
丁度、「本書の発刊」のタイミングに合わせてというか、相呼応して「九州仏展」が開催されるということなのでしょうか?

博物館HPによると、

「九州の仏像の特色に注目し、普段は非公開とされる『秘仏』や、最近の調査で確認された新発見の仏像など約100点を公開します。

九州全体を対象とした仏像展としては、約半世紀ぶりの開催となり、これを機に奈良や京都の仏像とは違った魅力を持つ『九州仏』の魅力を紹介します。」

とあり、大変魅力ある展覧会になりそうです。

「九州仏展」ポスター..「九州仏展」ポスター
「九州仏展」ポスター

先ほど紹介した、長谷寺・十一面観音、浮嶽神社・諸仏も出展されます。
大変楽しみで、ぜひとも九州まで出かけねばと思っています。


8年前の平成18年(2006)には、同じ福岡市博物館で、「空海と九州のみほとけ展」が開催されました。

この展覧会は、
弘法大師空海が唐から帰朝して1200年の節目に当たり、古くから日本における大陸の接点を担ってきた福岡と入唐僧の九州における活動に注目しながら、北部九州の仏像100点を紹介する。
というものでした。

「空海と九州のみほとけ展」ポスター
「空海と九州のみほとけ展」ポスター

数多くの福岡県の古仏が出展されました。
これだけの仏像展を、よくぞ開催することが出来たものと、展覧会を観て、大いに驚いた記憶があります。
福岡の仏像については、この展覧会の図録が、一番参考になるのかもしれません。

「空海と九州のみほとけ展」図録
「空海と九州のみほとけ展」図録

福岡市博物館では、この「空海と九州のみほとけ展」に引き続いて、この秋「九州仏展」の開催です。
またまた、これだけ大規模な九州の仏像展を、市の博物館が開催するというのですから驚きです。
展覧会の企画、推進をされている方々の意気込み、素晴らしき展覧会の実現への「大拍手」を、送りたい気持ちです。

仏像愛好者にとってみれば、本当に嬉しき限りです。


皆さん、この秋には、「福岡県の仏像」の本を携えて、「九州仏展」に出かけられてはいかがでしょうか。