観仏日々帖

古仏探訪~京都府相楽郡和束町・薬師寺の薬師如来坐像【その2】  【2014.6.21】


南山城の和束町薬師寺の薬師如来像を拝してから、もう10年近くも経ちました。


この仏像のことも、もう忘れかけていたのですが、つい最近、京都国立博物館で開催中の「南山城の古寺巡礼展」を見に出かけた処、和束町薬師寺のことを思い出させてくれる像に出会ったのです。

「南山城の古寺巡礼展」の目玉の出展は、禅定寺の十一面観音立像、寿宝寺の千手観音立像、浄瑠璃寺の四天王中の多聞天像あたりという処でしょうか。
ほかにも、多くの南山城の仏像が出展されていました。

その出展仏像の一つに、蟹満寺の阿弥陀如来坐像がありました。

蟹満寺・阿弥陀如来坐像
蟹満寺・阿弥陀如来坐像

像高31.5㎝の小さな像で、目立たない感じで展示されていましたが、私にとっては注目仏像でありました。
和束町薬師寺の薬師如来坐像によく似ているのです。
和束町像の半分ぐらいの、小さな木彫漆箔像です。

図録の解説文には、大変興味深いことが書かれています。
ご紹介します。

蟹満寺・阿弥陀如来坐像
蟹満寺・阿弥陀如来坐像
「近年再興なった蟹満寺の本堂で、巨大な国宝の金銅釈迦如来坐像の斜め後方の檀上に安置される小像で、寺では阿弥陀如来と伝える。
伝来が不詳なのは残念だが、小像でありながらも量感あふれる力強い像の姿などから、平安初期の9世紀にさかのぼると考えられる像である。

乾漆を一部に用いて整形している点など、奈良時代の名残がある。
足先までしっかりと衣でくるむ点は、本像の大きな特徴の一つだが、よく似た姿の像が和束町の薬師寺にも伝来しており、そちらは薬師如来である。

・・・・・・・・

おそらくは、奈良時代に制作され両像が手本とした像が存在したものか、とも想像される。
後世のことではあるが、鎌倉時代の慶派仏師が足先まで衣で包んだ姿の薬師如来をしばしば造立している。

現在では失われたものの、中世頃までは同様の姿の著名な薬師如来が、いずこかに伝来していたのではなかろうか。」

京博の淺湫毅(アサヌマタケシ)氏の解説です。

和束町薬師寺像ほど、天平の乾漆造り像そのものに見紛うほどの表現とまでは言えませんが、奈良風の雰囲気を強く持った像で、この解説の通りです。

淺湫氏は、

足先までしっかりと衣でくるんだ姿の、奈良時代に制作され両像が手本とした像が存在したのではないか?

との、興味深い想像をされています。

和束町薬師寺・薬師坐像の脚部~足先を衣でくるんでいる
和束町薬師寺・薬師坐像の脚部~足先を衣でくるんでいる

足先を衣でくるんだ9世紀以前の古像といえば、皆さんご存知の通り、唐招提寺の廬舎那仏坐像が有名です。
天平時代を代表する、脱活乾漆像です。

唐招提寺・盧舎那仏坐像(脱活乾漆像)

唐招提寺・盧舎那仏坐像~脚部
唐招提寺・盧舎那仏坐像(脱活乾漆像)
下段・足先が衣で包まれた脚部


他には、大阪交野市の獅子窟寺・薬師如来坐像、福島会津の勝常寺・薬師如来坐像(左足先の一部を包む)が知られていますが、いずれの像も奈良の地の影響を強く受けたといわれている仏像です。

獅子窟寺・薬師如来坐像
大阪獅子窟寺・薬師如来坐像

福島会津勝常寺・薬師如来坐像
福島会津勝常寺・薬師如来坐像

奈良時代の後半期には、この2像のような造形表現をそのまま大きくしたような、手本となる仏像が本当にあったのでしょうか?


この蟹満寺の阿弥陀如来坐像を見て、淺湫氏の解説を読んで、急に和束町薬師寺の薬師像についての関心がよみがえってきました。

これまでに、和束町薬師寺・薬師如来像や蟹満寺・阿弥陀如来像について、論究したり解説したりした本や論文はないのでしょうか?
調べてみると、いくつか見つかりました。

それらのなかから、参考になりそうなもの、興味深い解説などをご紹介したいと思います。

和束町薬師寺・薬師如来像についてです。

「解説版・新指定重要文化財3・彫刻」(1981・毎日新聞社刊)

の解説では、本像の特徴についてこのように記されています。

「臂を強く張った上体は、著しく幅広につくられ、これに応じる膝の張りも大きく、巨像を想起させる重厚さを示すが・・・・・・
・・・・・・
面奥の深い頭部や、やや猫背気味に突き出した側面観にも、東大寺の弥勒仏坐像など平安初期一木彫に通じる特色がある。

一方目鼻立ちは穏やかで、衣褶の彫り口もさほど鎬立てず、殊に胸のぼってりした肉取りや両足先を包む衣の柔軟な表現には、奈良時代に盛行した乾漆像の影響が認められ、多様な作風を示す9世紀彫刻遺品のなかにあっても、とりわけユニークな作例として注目されよう。」

この薬師像が昭和53年(1978)に重要文化財に指定された時の解説です。

和束町薬師寺・薬師如来坐像~正面

和束町薬師寺・薬師如来坐像~側面..和束町薬師寺・薬師如来坐像~像底部
和束町薬師寺・薬師如来坐像~正面・側面・像底
(膝前まで一木、内刳り無し)



「日本古寺美術全集15・平等院と南山城の古寺」(1980・集英社刊)

には、伊東史朗氏が、このように記されています。

「木彫で、これほど忠実に乾漆の感じを出す例はまれであろう。
それは薬師寺が奈良に近い和束の地にあるためばかりではなく、いまだ乾漆の技法が生きていて、その本質が理解されていた時期に造られたからであろう。」


続いて、蟹満寺・阿弥陀如来坐像についてです。

中野玄三氏は、「山城町史」(1987刊)において、このように解説されています。

「この如来形坐像は、頭部が完全にのちのものと代わっているが、来迎印に似た印相を結び、両足先まで衣にくるんで結跏趺坐する姿は、和束町原山薬師寺の薬師如来坐像と酷似している。
その造形の特色は一木造でありながら、木心乾漆的表現を試みている点にある。

・・・・・・・・

この両像は、東大寺の「試みの大仏」と称せられる弥勒仏像と、その気宇の広大な点で一致するが、その表現技法はまったく相違し、東大寺像が貞観彫刻独特の素木造の典型であるのに対して、これは天平彫刻の様式に属する。

・・・・・・・・・

おそらくその制作年代は薬師寺像が先行し、蟹満寺像がそれを継承したものと推定される。」

東大寺の弥勒仏坐像、通称「試みの大仏」がイメージに浮かんでくる。
そのとおりだと思いました。

東大寺・弥勒仏坐像(試みの大仏)

東大寺・弥勒仏坐像
東大寺・弥勒仏坐像(試みの大仏)

肉身や衣文の表現が大きく隔たりますが、体躯のシルエット、重量感、重厚感は、「試みの大仏」のフィーリングです。
特に、和束町薬師寺像は、そのように感じます。

蟹満寺・阿弥陀如来像のお顔の表現が、9世紀にしてはどうもしっくりこないと感じられたのは、後世のものだからのようです。

これらの解説を読むと、この二つの如来像の特色は、

・平安初期彫刻の代表例、東大寺・弥勒仏坐像に相通じる造形

・奈良時代の乾漆像を写したような肉身、衣文表現

・多様な9世紀彫刻のなかでも、とりわけユニークな作例

であるということになるようです。

私もまったく同感です。
特に和束薬師像の姿を見ると、その意をたいへん強くします。


この革新と伝統が同居するという、矛盾をはらんだような造形表現は、多様な平安前期の彫刻のなかで、どのように位置づけられるのでしょうか?

和束町薬師寺像について考証した論文を見つけました。

「京都・薬師寺の薬師像について」仏教芸術167号(1986)

という論考で、根立研介氏の執筆です。
和束薬師像について、15ページに亘ってじっくり論じられています。

長文なのですが、思い切って大胆に端折って、エッセンスのみをご紹介したいと思います。

根立氏はこのように論じられています。

和束町薬師寺像の特色は2点に整理できる。

・第一は、像全体の量感を強調し、木塊状に構成する点である。

・第二は、豊かな肉付けを柔軟な面で構成する肉身表現、写実に基づき襞の形態と質感を自然、柔軟にあらわす着衣の表現である。

和束町薬師寺・薬師如来坐像
和束町薬師寺・薬師如来坐像

平安初期の彫刻は、「純木彫系」と「乾漆系」に分類されるという考え方が一般的である。

・「純木彫系」は、神護寺薬師如来像、新薬師寺薬師如来像、東大寺弥勒仏像などが代表作例。

神護寺・薬師如来立像...新薬師寺・薬師如来坐像
神護寺・薬師如来立像         新薬師寺・薬師如来坐像

・「乾漆系」は、広隆寺講堂阿弥陀如来像、観心寺如意輪観音像、東寺講堂諸尊などが代表作例。

広隆寺講堂・阿弥陀如来坐像..観心寺・如意輪観音坐像
広隆寺講堂・阿弥陀如来坐像        観心寺・如意輪観音坐像

和束町薬師寺像は、第一の特色(量感・木塊状構成)は、「純木彫系」像の特色と共通する。
また、漆箔仕上げという技法の点では、「乾漆系」像と共通するが、肉付や衣文の表現などは相当に隔たりがある。

和束薬師寺像の肉付や衣文表現は、「純木彫系」「乾漆系」のどちらの系譜に含めることができないもので、天平の乾漆像をそのまま受け継いだものといえる。
その類例を、広隆寺不空羂索観音像に見ることができる。

広隆寺・不空羂索観音立像
広隆寺・不空羂索観音立像

和束薬師寺は、南都寺院と関係の深い地にあり、本寺にあたる南都大寺の仏像を手本に、これを模倣したのではないだろうか。

平安初期彫刻が「純木彫系」「乾漆系」ともに、新時代の独自の作風を完成させているのに対し、
和束薬師寺像は、体躯全体構成については、平安初期の一般的傾向従いながらも、天平時代乾漆像と平安初期木彫という二つの彫刻の交流になかにあって、あくまでも保守的な位置を出ることがなかった木彫像と考えられる。


引用が長くなってしまいましたが、

「なるほど、そういうことなのか!」

と、判りやすい整理と平安初期における本像の位置づけの考え方に、すっかり納得してしまいました。

先にご紹介したいくつかの解説文も、この根立氏の論考を踏まえて、記されているように思えます。

ただ、和束薬師寺像が、

「あくまで保守的な位置を出ることがなかった」

というコメントを読むと、
なんだか、和束薬師寺像に、ネガティブな雰囲気が漂い、一寸かわいそうな感じがしてしまいます。
決して、そうした主旨で書かれたものではないと思いますが・・・・・・


つい、話が冗長になってしまいました。

この像は、確かに保守的ですが、大変出来がよくて、気宇壮大で、おおらかに包み込んでくるような魅力のある、惹きつけられる仏像です。

前回ご紹介した、廣智寺の観音菩薩像もエキゾチックで魅力あふれる仏像でした。
そして、対極にあると云えそうな和束薬師寺像も、また別の魅力にあふれ大変気に入った仏像です。

今更ながらに、

「平安前期の彫刻は、多様で彩りに富んでおり、革新的、伝統的、様々な表現が入り乱れ、それぞれが大きく花開き、百花繚乱となった時代であったのだ」

という思いを新たにしました。

いわゆる天平時代、平安後期(藤原時代)のような、一つのパターンの表現様式の時代とは、全く違った多様性の時代であったのだと思います。
それだからこそ、私たちは、平安前期の彫刻に、惹き込まれてしまうような、強い魅力を感じてしまうのかしれません。


こうした多様な平安前期の彫刻の、分類・整理の仕方については、なかなか難しいものがあるようです。
平安時代彫刻を論じた専門家の本を読んでも、様々な切り口、アプローチで多様性の区分が試みられているようです。
このあたりの話も面白いのですが、踏み込むと混み入ってきそうですので、またの機会に考えてみたいと思います。

それにしても、魅力ある仏像にあふれた時代です。

■廣智寺観音立像、宝菩提院菩薩踏下像のように、彫技の冴えを誇示するような、異国風・エキゾチックな仏像。

廣智寺・観音立像..宝菩提院・菩薩踏下像
廣智寺・観音立像          宝菩提院・菩薩踏下像

■神護寺薬師立像、新薬師寺薬師坐像のような、鋭角的な彫口で、森厳さ強い精神性あふれる、迫力十分の仏像。

神護寺・薬師如来立像..新薬師寺・薬師如来坐像
神護寺・薬師如来立像            新薬師寺・薬師如来坐像

■東寺講堂諸尊、観心寺如意輪観音坐像のように、密教系で豊満で官能的、妖しい魅力を秘めたといえるような仏像。

東寺講堂・梵天像..観心寺・如意輪観音坐像
東寺講堂・梵天像             観心寺・如意輪観音坐像

■和束薬師寺薬師坐像、広隆寺不空羂索観音立像のような、天平乾漆像の伝統的世界をそのまま継承したような造形の仏像。

和束町薬師寺・薬師如来坐像..広隆寺・不空羂索観音立像
和束町薬師寺・薬師如来坐像             広隆寺・不空羂索観音立像

これくらいにしておきますが、挙げれば、またまだ挙げることが出来るでしょう。
ちょっと思いつくだけでも、あまりの多様さに幻惑されてしまいそうです。

それが、平安前期一木彫の、こたえられない魅力なのだと思います。

「9世紀の一木彫」といわれれば、血が騒ぎます。

そして、これからも懲りもせず、磁力にひきつけられるように訪ねていくことになるのでしょう。



【追記】

「足先を衣でくるんだ像」の9世紀以前の例についての話ですが、
読者の方から、この最古の例は「711年制作といわれる法隆寺五重塔塔本塑像」とのご指摘をいただきました。
早速にお教えいただき、有難うございます。
これからも、何かとよろしくお願いいたします。

私は、法隆寺塔本塑像の例については、気がついておりませんでした。
お恥ずかしい限りです。
衣のスタイルや飾り物、姿勢などの類例をピックアップしていくというのは、結構難しいですね。
一覧表でもあればよいのですが、なかなかそういったものもなく、解説・論文からの孫引きや記憶に頼るしかないようです。

いずれにせよ、「足先を衣でくるんだ」スタイルは、唐の形式からの影響によるものなのでしょう。

法隆寺塔本塑像の文殊菩薩坐像(東面2号像)、2躯の菩薩坐像(東面3・4号像)にこの形式が見られます。

写真をご覧いただければと思います。

法隆寺五重塔塔本塑像・文殊菩薩像(東面・2号像)..法隆寺五重塔塔本塑像・菩薩像(東面3・4号像)
法隆寺五重塔塔本塑像・文殊菩薩像(東面・2号像)        菩薩像(東面3・4号像)


古仏探訪~京都府相楽郡和束町・薬師寺の薬師如来坐像 【その1】  【2014.6.14】


京都府相楽郡和束町にある、薬師寺の薬師如来坐像をご紹介します。


前回は、大阪府高槻市の廣智寺・多臂観音菩薩立像をご紹介しました。

中国・唐の匂いがプンプンする、異国風、エキゾチックな一木彫像でした。
奈良末・平安初期の、渡来仏工の手になるかと思うほどの、中国の新たな様式の造形です。
まさに、新たな時代、新たな造形感覚の到来の波が押し寄せるのを、感じさせる像でした。

この廣智寺観音像の次には、どんな知られざる仏像をご紹介しようかと考えました。
そうすると、どうしても和束町薬師寺の薬師坐像を採り上げたくなりました。

この薬師像も、9世紀の一木彫像です。
こちらの方は、国の重要文化財に指定されています。
この薬師像は、廣智寺観音像とほぼ同時期の制作とみられているものですが、表現の感覚が全く違う像なのです。

ご覧のとおりです。

和束町薬師寺・薬師如来坐像
和束町薬師寺・薬師如来坐像~正面

奈良時代の乾漆像の造形表現をそのまま引き継いだような仏像です。

廣智寺像と和束薬師寺像は、ともに優れた魅力あふれる仏像ですが、その造形表現は、対極的なコントラストを感じるといってよいかもしれません。

高槻市廣智寺・観音菩薩立像
高槻市廣智寺・観音菩薩立像

和束町薬師寺の薬師如来坐像は、9世紀一木彫の世界では、ちょっと異色の仏像と云えるのでしょう。
京都府の南の端、南山城の地にある、この「かくれ仏」を、これからご紹介していきたいと思います。

和束町薬師寺は、京都府といっても奈良の方に近く、奈良駅の東北15キロぐらいのところにあります。
最寄駅は、JR関西本線・笠置駅です。
海住山寺の東5キロぐらいの処といった方が、判りやすいかもしれません。

私が訪れたのは、もう10年近く前になりますが、相当辺鄙なところで、交通手段が少なく、車で行かないと厳しいところです。
車がやっと一台通れるような狭い坂道を登っていくと、ようやく薬師寺に到着します。
薬師寺のあたりには、美しい茶畑が広がっていました。

和束町薬師寺のあたりから見はるかす美しい茶畑
和束町薬師寺のあたりから見はるかす美しい茶畑

和束町は、お茶の産地として有名で、お茶畑の景観は「茶源郷」と呼ばれています。
私が訪れたとき、薬師寺の近くから眺められたのは、ご覧のような景観です。
見渡すばかり茶畑の風景は、癒しの空間、心洗われる空間に身を置くような気持になりました。

和束薬師寺は、収蔵庫を兼ねた小さなお堂が一つあるだけです。
このお堂に、薬師如来坐像が安置されています。
拝観のお願いのご連絡を差し上げましたら、ご了解いただき、お堂の扉を開けてお待ちいただいておりました。

像高56.4cmの小像です。
ヒノキ材と思われる一木彫の漆箔像です。
膝前まで全て一木で木取りされており、内刳りはありません。

お像の傍まで寄って、眼近に拝することができました。
ビックリしました。
大変出来の良い、素晴らしい仏像です。

和束町薬師寺・薬師如来坐像

和束町薬師寺・薬師如来坐像(日本古寺美術全集掲載写真)
和束町薬師寺・薬師如来坐像(下段は日本古寺美術全集掲載写真)

それも、単に技巧的に出来が良いというのではなく、「雄大」というか「おおらか」というか、「気宇壮大という四文字熟語」が似つかわしい、というような雰囲気を醸し出しています。
50センチ余の小さな像なのに、大きな姿に見えるのです。

「のびやかで、ゆったりと堂々とした」

こんなフレーズがぴったりという、大きな器に感じさせる、造形表現です。

9世紀、平安初期の仏像というと、
「鋭い彫口、森厳で強い精神性の造形」
というフレーズに象徴される仏像を想像してしまいますが、全く違う空気感です。

この仏像を訪ねることにしたのは、和束町に9世紀制作の重要文化財の薬師像が在ることが、何処かの本に出ていたのを見つけたからです。

私にとっては、「9世紀制作」の平安古仏といわれると、これは拝さねばならぬと出かけたのです。
小さな写真を見ただけで訪ねたものですから、さほど大きな期待感も抱いていませんでした。
南山城のはずれの和束町という鄙の地にある仏像なので、少し田舎っぽいような、月並みな像ではないかと、勝手に思っていたのです。

ところが、案に外して、「気宇壮大」「堂々雄大」な造形の仏像に遭遇したのです。
大変優れた技量、造形力を備えた仏工の手によって作られた像に違いありません。
それだけに、和束町までわざわざ出かけてきた甲斐があったと、感動もひとしおで、一層強いインパクトを感じたのです。

穏やかに包み込んでくるようで、すっかり気に入ってしまいました。
気迫勝負で迫ってくるといったようなところは全くないのですが、なにか惹きつけるものを感じる、魅力ある仏像なのです。

それにしても、この薬師如来像は、ちょっと不思議な仏像です。

この像を拝した瞬間、

「あれ? この薬師像は乾漆造りの仏像なのかしらん?」

と思ったのです。

平安初期の仏像特有の鎬だった鋭い衣文の彫口などは、どこにも見当たりません。

和束町薬師寺・薬師如来像の衣文の造形~乾漆による造形そのもののよう~

和束町薬師寺・薬師如来像の衣文の造形~乾漆による造形そのもののよう~
和束町薬師像の衣文の造形~乾漆による造形そのもののよう

衣文の造形の、弾力的な盛り上がり、ふっくらと柔らかな様は、天平時代の木心乾漆像の衣の造形そのものです。

胸から腹にかけての肉身の表現をご覧ください。

和束町薬師寺・薬師如来像の胸、腹の柔らかな肉身表現
和束町薬師像の胸、腹のムッチリと柔らかな肉身表現

おだやかで豊満な肉身の盛り上がりが印象的です。
乳部の下、腹には深いくびれの線をしっかり入れ、内側から膨らんだような柔軟な、ムッチリとした表現が強調されています。
肉厚に木屎漆のモデリングで盛り上げたようにしか見えません。

しかしながら、この薬師像、木屎漆のモデリングなどは、どこにも施されていません。
純然たる木彫像なのです。
あたかも、乾漆像のような表現を、木彫で彫りあげ、漆箔像に仕上げているのです。

「なるほど、天平時代の乾漆造りの仏像に倣って、木彫で乾漆像の造形表現をした仏像なのか!」

そのように思いました。

奈良後期の木心乾漆像~聖林寺・十一面観音像 奈良後期の木心乾漆像~観音寺・十一面観音像
奈良後期の木心乾漆像~聖林寺・十一面観音像(左)と観音寺・十一面観音像(右)

そして、もう一度、じっくり薬師像を拝すると、また不思議なことに気づきました。
天平時代の乾漆造りの仏像のスタイルをまねて作られた像にしては、全体のシルエット、姿かたちが、天平仏のシルエットではないのです。

和束町薬師寺・薬師如来像側面~平安前期彫刻のシルエット、量感がうかがえる
和束町薬師像側面~平安前期彫刻のシルエット、量感がうかがえる

肥満体というほどまでではないのですが、量感豊かというか、ボリューム感があるのです。
天平仏に見られるような、締まるところはしっかり引き締まった、理想的肉体表現、写実表現という感じは見られません。
量感を強調した、大きな塊りのような表現で、重厚感を感じさせます。

このシルエット、ボリューム感は、平安前期の木彫特有のものです。

この和束町の薬師如来像は、

・衣文の表現、肉身の表現は、木彫なのに奈良時代の乾漆像そのもの

・全体のシルエット、造形は、平安初期彫刻の塊量的ボリューム感そのもの

という仏像といえそうです。

「奈良時代の伝統的表現と、平安初期の革新的表現が、一つの仏像に同居しているという不思議な仏像だな」

という感じを強く持ちました。

大変出来の良い仏像ですので、優れた仏工の手によるものでしょう。

「どうして二律背反する、伝統と革新が同居したような仏像が造られたのだろうか?」

「奈良に近い地では、このような仏像が平安時代に入っても造られるということが、在ったのだろうか?」

そんな思いを、少しばかり抱いたのです。

こんな、天平の乾漆像の表現に倣ったような木彫像は、他にあったでしょうか?

私には、広隆寺の不空羂索観音立像のことが、すぐに頭に思い浮かびました。
この仏像は、純粋木彫像でありながら、天平の乾漆像のような造形表現が特徴的にみられる像です。

広隆寺・不空羂索観音像~奈良時代の乾漆像表現に倣った木彫像

広隆寺・不空羂索観音像脚部衣文~乾漆像の表現そのもの
広隆寺・不空羂索観音像~奈良時代の乾漆像表現に倣った木彫像
脚部の衣文は乾漆像の表現そのもの


ご覧のとおり、衣文の柔らかで弾力的な表現は、木彫像なのに、乾漆像の表現そのものです。
文献から、弘仁2年(818)の広隆寺炎上を免れた古像と考えられ、8世紀の制作ともいわれています。
肉身も締りと弾力性があり、全体のシルエットも天平彫刻の古典的写実に倣った表現です。

和束町薬師像の体躯が、平安初期の塊量性、ボリューム感が顕著にみられるのとは、大きく違っています。

広隆寺不空羂索観音は、奈良時代の正統的な乾漆像の伝統を、そのまましっかり引き継いだ、数少ない木彫像なのだと思います。
和束町の薬師寺像は、奈良時代の伝統表現と平安初期の革新表現が、何故か同居しているというところが、不思議に思う処です。

そんな疑問はさておき、大変良き仏像に出会うことができました。
わざわざ鄙びた処まで足を伸ばした甲斐があった。
そんな満足感を一杯に、美しい茶畑が一面に広がる、南山城和束町の地を後にしたのでした。

茶源郷と呼ばれる和束町の風景
茶源郷と呼ばれる和束町の風景

今から、10年近く前のことでしたが、心に残る古仏探訪となりました。


【その2】では、それから10年、和束町薬師寺の薬師坐像を拝した思い出が、よみがえってきた話をさせていただきたいと思います。