観仏日々帖

古仏探訪~東大寺・法華堂 執金剛神立像 (実物、模造、CG再現)


久しぶりに、東大寺・法華堂の秘仏・執金剛神立像を拝して来ました。

ご存じのとおり、この秘仏は、東大寺開山と伝える良弁忌の12月16日、年に一日限り御開帳されます。
今年の御開帳は、3年ぶりの開扉となりました。
2011~12年は、法華堂の解体修理の作業のため、公開が見送られていたのです。

私も、執金剛神像を拝するのは、十数年ぶり。
本当に久しぶりのご対面となりました。
平日の月曜日だったのですが、結構多くの人出で、執金剛神像開扉早々の9時半過ぎに、早や行列が出来ていました。

法華堂で執金剛神像の拝観に並ぶ人々
法華堂で執金剛神像の拝観に並ぶ人々

当日は、開山堂の良弁像(国宝・平安時代)、俊乗堂の重源像(国宝・鎌倉時代)も併せて開帳されます。
この二像も拝しましたが、開山堂には、法華堂よりも長い行列が出来ていて、結構待たされることとなりました。

開山堂入口に出来た長い行列
開山堂入口に出来た長い行列

良弁像は博物館などで時々見ることが出来るのですが、執金剛神像と良弁像を拝するのは久しぶりで、ごった返す人出のなかではありましたが、じっくり堪能することが出来ました。

さて、国宝・執金剛神立像は、云うまでもなく天平時代を代表する素晴らしい塑像です。
この像のことは、色々な本で言い尽くされていますので、「観仏日々帖」でアレコレ書くのは、ヤメにしておきたいと思います。

最近では、本像が、戒壇院四天王像、日光月光菩薩像とともに、本尊不空羂索観音の八角基壇上に祀られていたという考えが示されたり、これら塑像の心木構造についての新たな知見が示されたりしており、大変興味深いのですが、これらの話題にふれていくと、泥沼にはまっていきそうですので、これまた、ヤメにしておきます。

久しぶりにこの像を拝した感想を、敢えて一言だけ。

執金剛神像は、北壁の壇の上にのぼって正面から観ると、何やら固まったような感じで、生硬でぎこちない感じにこれまで見受けていたのです。
今回、春日厨子の斜め下から、高い位置に安置された姿を見上げると、意外や意外、

「颯爽と、疾風の中を、雲に乗り駆けんとす。」

勝手な空想ですが、そんな力感と動勢を強く感じてしまいました。

正面の眼線の高さから観る執金剛神像
正面の眼線の高さから観る執金剛神像

真下から見上げた執金剛神像
真下から見上げた執金剛神像

拝する位置や角度で、仏像の姿の印象は結構変わるものだと、今更ながらに思いました。
この像の作者は、拝する人の眼線がどの位置から注がれることを意識して造立したのでしょうか?


法華堂前の彩色復元図展示看板
法華堂前の彩色復元図展示看板
この日、法華堂の入り口や、東大寺ミュージアムの入り口に、このような掲示看板が出されていました。

「東大寺法華堂 執金剛神立像 彩色復元図展示中
場所:東大寺総合文化センター(東大寺ミュージアム)エントランス」


極彩色の執金剛神像の復元画像写真も掲示されています。
驚くようなケバイ、ど派手な画像です。

早速、東大寺ミュージアムへ行って、執金剛神の彩色復元図を観てきました。


会場には、執金剛神像の原寸大の巨大な復元画像写真が、4枚展示されています。
正面、背面、左右側面を、コンピュータ・グラフィックスで再現した画像写真です。

「制作当時の、鮮やかな原色で復元された」
というのでしょうが、
「ちょっと、ケバくて、どぎつ過ぎて、眼がくらむ」

というのが正直な感想です。

東大寺ミュージアムでの復元画像写真展示風景
東大寺ミュージアムでの復元画像写真展示風景

CGで再現された執金剛神像・画像写真
CGで再現された執金剛神像・画像写真

彩色が剥げてしまっていたり、古色にくすんだ仏像ばかり見ているものにとっては、刺激が強烈過ぎて、美しさを鑑賞するとか、味わうとかいう気持ちになかなかなれません。
しかし、天平時代に造られた当初は、極彩色であったことは事実なのですから、そのような気持ちになって観なくてはいけないということなのでしょう。


このCG再現は、
東京芸術大と東京理科大の共同研究チーム(代表=籔内佐斗司・東京芸大大学院教授)が、表面に残る顔料から天平の極彩色文様を復元したものだそうです。
現在の色あせた像を蛍光エックス線で分析するなどし、使われていた顔料を特定、3Dデータに反映させたものです。

朝日新聞の報道には、

「2年がかりの研究の結果、甲の金箔(きんぱく)の上の雲文(うんもん)や唐草文、腰回りの小札(こざね)の孔雀(くじゃく)の羽根や対葉花文(たいようかもん)があざやかに再現された。
CG制作を担当した山田修・東京芸大大学院非常勤講師は、
『ここまで鮮やかなのは、特別な空間にいる、人間を超えた存在を求めたためでは。
当時の人々の仏教への思い入れの強さがうかがえる』
と話す。」

このように、書かれていました。

また、解説パネルによると、

・執金剛神像の彩色を蛍光X線分析した結果、褐色部分に水銀が検出されなかったため、「紺丹緑朱」ではなく、「紺丹緑紫」の配色原理を用いていることが判明した。
下地には鉛白が使われていた。


執金剛神像の彩色文様復元図...執金剛神像の彩色文様復元図(「奈良時代の塑像神将像」2010年中央公論美術出版社刊所収)
執金剛神像の彩色文様復元図
(「奈良時代の塑像神将像」2010年中央公論美術出版社刊所収)


・眼球は、黒曜石ではなく、鉛ガラス製であることが明らかになった。
不空羂索観音の宝冠にも鉛ガラスが使われている。

ということでした。

12月8日には、東大寺ミュージアムの講堂で、報告会が開催されたようです。
また、この報告会の内容や3D作成に至るまでの過程などがTV番組で放映されるそうです。

12月30日(月)、ABC朝日放送です。

「よみがえる天平の秘仏」(ABC、地デジ、9:55~10:50放送予定)

是非見てみたいのですが、関西限定のローカルで、全国放送は無いそうです。
残念ですが、関東在住の私は、観ることが出来ません。
関西の方、ぜひご覧になってみてください。

【12/30入手の最新・追加情報です!
1月17日にBS朝日で全国放送されるようです。~不確実情報ですので、ご確認いただくようお願いします】


【2014/1/11:全国放送日時の訂正です!】
BS朝日での放送日時が1/17でという情報は間違いで、1/18に放送されることが判りました。
1月18日(土) BS朝日放送 15:00~15:55放映
となります。
追加訂正情報として、お知らせいたします。


ところで、このような制作当初の彩色復元がかなり精巧にできるというのも、この執金剛神像が、長年秘仏として厳重に封印され守られてきたため、当初の鮮やかな彩色が、随分鮮明に残されているからだと思います。

執金剛神像に遺された彩色文様

執金剛神像に遺された彩色文様
執金剛神像に遺された彩色文様
(上)左上膊部  (下)表甲・甲締め具


法華堂本尊背後に北面して、黒塗りの春日厨子に祀られていますが、相当古くから秘仏とされていたようです。
将軍・足利義政が、寛正6年(1465)、東大寺に参詣した折に、この厨子が開扉されましたが、
「是には勅封を付せず、御代に一度の外は開帳なし」(東大寺雑事録・巻二)
と記されていることから、室町時代には、厳重秘仏であったことが知られています。

明治時代に入ってからは、執金剛神像の写真も撮られるようになり、また東京美術学校の竹内久一によって、当時の彩色を忠実に写した模造も制作されました。

そこで、ここで、実物、明治の古写真、竹内制作の模像、CG画像をちょっと並べて、ふりかえってみたいと思います。

まずは、明治の古写真です。

小川一真 明治21年撮影写真(真美大観所収)
小川一真 明治21年撮影写真(真美大観所収)

この古写真は、明治21年(1988)に、小川一真が撮影したもので、「真美大観」(1902年刊)に掲載されているものです。
明治34年、美術院により修理される前の写真です。

同じ角度から撮られた現在の執金剛神像写真
同じ角度から撮られた現在の執金剛神像写真

一見、現在の像と、どこも変わらないように感じますが、よく見ると、向かって左側のひるがえる天衣の部分、右腕の角度?、手に持つ金剛杵の角度などが変わっているようです。


次に、明治24年(1891)に、東京美術学校の竹内久一が制作した、執金剛神像の模刻像です。

竹内久一作・執金剛神像模像(明治24年制作)

竹内久一作・執金剛神像模像(明治24年制作)
竹内久一作・執金剛神像模像(明治24年制作)

執金剛神像の生き写しと云える作品で、鮮やかな彩色も模写されています。

竹内久一模像・執金剛神像左脚部
竹内久一模像・執金剛神像左脚部
模刻、模写の像ですが、当初の彩色を、ある程度復元、再現しているようで、肌色の鮮やかさや、極彩色の精密文様などが、美しく目に焼き付きます。

この模像、何と木彫像で造られています。
木彫で、塑像の質感を追求し、見事に彫り上げられています。
実物の型取りするなどして複製したものではなく、自らの腕で「真写し」の模刻を行ったものです。

この像を観ていると、単なる模刻というのではなく、彫刻作品として優れた造形精神が深く込められていると感じさせます。
訴えてくる迫力があります。
造形精神まで写しとる「伝移模写の美術」を体現した、竹内の美術作家としての優れた手腕が、伝わってきます。

この模刻像は、たまに東京国立博物館の本館2階に展示されることがありますので、ご覧になった方も多いのではないかと思います。


当時、この他にも、法華堂・月光菩薩像、戒壇院・広目天像、薬師寺東院堂・聖観音像などの仏像模刻が、いくつも制作されました。
これは、岡倉天心が、東京帝室博物館に展示し鑑賞に供するために、模造事業を推進したことによるものです。
天心は、当時、帝国博物館の美術部長、東京美術学校校長の職にありましたが、博物館の収蔵作品がまだ少なかったこともあり、主要な日本美術の沿革を通観できるようにする為、東京美術学校の作家に名作の模写、模刻を行わせ、博物館展示を行うという事業に取り組んだのでした。

さて、この模刻像の姿かたちを観ると、明治21年に撮影された姿ではなく、明治34年に美術院によって修理された後の姿の方に、似かよっています。
竹内が模刻像を造ったのは明治24年のことですが、その後の美術院修理と、何か関係があるのでしょうか?
竹内が、模刻に際して、当初の姿を想定復元して制作したのでしょうか?


そして、最後にもう一度。

CGで再現された執金剛神像・画像写真
CGで再現された執金剛神像・画像写真)

今回、東京芸術大と東京理科大の共同研究チームで制作された、コンピュータ・グラフィックスの復元画像です。


いかがでしょうか?

科学的には、精密に復元されているのでしょうが、

「CGで制作した画像は、やはりどこまで精密にできてもCGだな。」

このように感じてしまいます。

何となく、微妙な違和感をぬぐいきれません。
やはり、名手の手で、強い造形精神を注入しながら創り上げたものは、複製や画像とは、「人に訴える力」「迫真性」が違う、と思ってしまいました。

とはいっても、制作当初の姿、彩色を精密に復元するというのは、極めて重要かつ意義のある研究であると思います。

執金剛神像の、
実物、明治の古写真、明治の模刻、現代のCG画像を並べてみてみました。
如何だったでしょうか?
余り意味のないことだったのかもしれませんが、執金剛神像の色々な姿かたちを観るという意味では、面白い処もあったのではないかと思います。


おしまいにオマケで、近年、制作当初の姿、色彩、文様を復元した、極彩色の色鮮やかな仏像の名作の模像の写真を、いくつかご紹介しておきます。


興福寺・阿修羅立像の模像です。

興福寺・阿修羅像模像(昭和61年制作)

興福寺・阿修羅像模像(昭和61年制作)...興福寺・阿修羅像模像(昭和61年制作)
興福寺・阿修羅像模像(昭和61年制作)

美術院国宝修理所で松永中興氏を制作主任として、昭和61年(1986)に、古代脱活乾漆像の技法をそのまま用いて復元模造されたものです。


唐招提寺・鑑真和上坐像の模像です。

唐招提寺・鑑真和上像(平成25年制作)

唐招提寺・鑑真和上像(平成25年制作)
唐招提寺・鑑真和上像(平成25年制作)

これも、美術院国宝修理所で木下成通氏を制作主任として、今年・平成25年(2013)に、同じく古代の制作技法をたどって制作されたものです。
現在、唐招提寺の開山堂に安置されていますが、現在は古色が付けられています。
写真は、古色をつける前の、制作当初と思われる彩色のものです。


新薬師寺・十二神将 伐折羅立像のCGによる再現画像です。

新薬師寺・伐折羅像CG画像(平成20年制作)

新薬師寺・伐折羅像CG画像(平成20年制作)
新薬師寺・伐折羅像CG画像(平成20年制作)

東京芸術大学の長澤市郎氏と、奈良教育大学の大山明彦氏の指導の下に、映像制作会社の松澤直美氏などによって制作された再現画像です。


この、原色、極彩色の仏像の世界、ご感想は如何だったでしょうか?


古仏探訪~茨城県桜川市  雨引山楽法寺・観音菩薩立像


永年念願であった、楽法寺の秘仏・延命観音像を拝することが出来ました。

楽法寺・延命観音像は、「茨城県の平安木彫では最古」といわれる古像なのですが、普段は厳重な秘仏にされています。
その昔は、拝観も可能であったようなのですが、近年は、まず拝観するのが難しいとされる仏像なのです。

楽法寺・延命観音立像
楽法寺・延命観音菩薩立像

3年前、2010年9月に、「地方仏フォーラム」主催の茨城仏像見学会が開催され、その折拝観できたのですが、私は残念ながら都合がつかず、参加することが出来ませんでした。

当分は、拝するのは無理かなと思っていましたら、この11月(2013年)、こんなツアーが開催されるのを見つけたのです。

「雨引観音秘仏・本尊特別拝観と、五浦美術館で国宝・重文を鑑賞する旅」

雨引観音・秘仏拝観ツァーパンフレット
雨引観音・秘仏拝観ツァーパンフレット
天心記念五浦美術館で開催される「岡倉天心と文化財展」の記念イベントとして、美術館と朝日ツアーとで企画された日帰り旅行です。
茨城県文化財保護審議会委員の後藤道雄氏が、講師として同行されることになっています。

「この機会、逃してはならじ!!」

と、同好の方を誘って参加しました。

40名定員のバスツアーだったのですが、希望者多数で定員オーバー、参加できなかった人のいたという盛況です。


東京・丸の内からバスで2時間半程、筑波山に連なる山々を見はるかす田園風景を往くと雨引山という山があります。
この山に登っていく曲がりくねった急坂を行くと、雨引山の山上近くに楽法寺がありました。

楽法寺・パンフレット
楽法寺・パンフレット
寺伝では、用明天皇2年(587年)、梁の国人の法輪独守居士によって開かれたと伝えられています。

結構、大きな立派なお寺なのに、びっくりしました。
坂東霊場三十三観音の二十四番札所だそうです。
地元では「安産、子育て」にご利益ある観音さんとして、多く人々のの信仰を集めているようです。

この日は、11月16日(土)だったのですが、山門をくぐり石段を上って本堂に辿りつくと、七五三参りの親子連れで大盛況です。
お参り、御祈祷、写真撮影などなどで、人がごった返して溢れているような感じの賑わいでした。


楽法寺・山門..楽法寺・本堂
楽法寺・山門                楽法寺・本堂

到着すると、本尊・延命観音ご拝観の前に、全員本坊に上げていただき、講師の後藤道雄先生から仏像についての説明がありました。
この木彫像が
「平安前期、9世紀後半の制作であると考えられる~茨城県の木彫仏では最古~」
ということについて、詳しく丁寧な解説がありました。

後藤道雄氏
講師の後藤道雄氏

後藤道雄氏は、皆さんご存知かと思いますが、茨城県の仏教彫刻研究の第一人者です。
茨城彫刻史研究

「茨城彫刻史研究」(2002年・中央公論美術出版刊)

という大著を出されており、現在は、茨城県文化財保護審議会委員をされています。


後藤先生の説明の場には、皆に茶菓が供せられ、ご住職、長老の先代ご住職が共々出てこられて丁重なご挨拶がありました。
この延命観音像の詳細な調査をされたのが後藤氏で、楽法寺の皆様とは、長年大変ご懇意にされている様子です。
今回の秘仏御拝観は、後藤道雄氏からの口添え、講師同行であったからこそ実現できたのではないかというように思えました


さて、いよいよ本尊・延命観音のご拝観です。

本堂の脇にコンクリート造りの収蔵庫があり、そこにご本尊が安置されています。
読経の後、鉄扉の前に据えられた石造の観音を横にずらして、収蔵庫が開かれ、ご拝観となりました。

楽法寺・収蔵庫
楽法寺・収蔵庫

収蔵庫には、中央にに本尊・延命観音が祀られ、その隣に鎌倉時代の後半といわれる前立観音像が安置されています。
収蔵庫では、眼近に近づいて拝することが出来ました。

像高156.5㎝、カヤ材の一木彫、彩色像(剥落)です。

楽法寺・延命観音立像正面
楽法寺・延命観音立像正面

「9世紀、平安前期の迫力あふれる仏像」

のイメージと期待を抱いて、お像を拝したのですが、意外にも、

「ちょっと優しいお顔で、衣文の彫りがずいぶん浅い」

というのが、第一印象です。

写真で見た時には、もっと鋭い彫りでボリューム感もある、平安前期特有の迫力を前面に感じる像かと期待していたのです。

ところが、
楽法寺・延命観音立像
楽法寺・延命観音立像顔部

「顔の表情が、意外に優しく穏やかな表情をしているのです。衣文の造形などは、やや平板で硬い感じがします。」

予想外という印象です。

古様ではあるのですが、立体的な躍動感が少ないのです。
存外、時代が下がるのでしょうか?
彫刻をモデルにして彫ったというより、平面画像を手本にして立体彫刻に彫ったのかも知れないと思わせるような平板さも感じます。

本HPの「貞観の息吹」のコーナーで、本像を採り上げられている高見徹氏も、このように書かれています。

「面相は巾広で大振りの目鼻立ちを配し、表情は穏やかで大人しい。
・・・・・・・・・
また膝下には翻波式衣文を表しているが、彫り口は硬直化しており、やや定型的になっている。
茫洋とした面相とこれらの特徴的な像容は、一種の地方作的特徴ともいえる」


後藤先生からは、

「第一印象では、時代が下がって見られがちなのだが、実際はそうではないのだ」

と、このようなご説明がありました。

「この像は、その彫りが一見浅くみられることや、両眼を伏し目ふうに造っていることなどから、平安中後期、いわゆる藤原時代に年代を下げて考える説もあるのですが、よく見ていくと、そのようには考えられません。」

後藤氏は、本像が9世紀後半の制作と考えられる事由について、著書「茨城彫刻史研究」でこのように述べられています。

「このような簡古な構造に加えて、すべて髪筋を刻まない大き目の髻、切れ長の両眼に太い鼻筋をもつ下顎の張った強い顔立ち、肩幅の広い量感と抑揚に富んだ体躯、石帯の刻出、両足の間を彫り込んで腿の量感を強調する造形、W字状に翻転して垂れる天衣、裙の折返しの縁や正面の打ち合わせにみられるうねうねとした翻りや立上り、翻波式をまじえた衣褶の鎬立った表現など、いずれも像の古様を伝えている。」

石帯を結んだ菩薩像は、唐招提寺や大安寺の木彫像に始まり、平安前期まではしばしば見かけるのですが、その後の像にはほとんどないそうです。

延命観音像・腹部(石帯が見える)...唐招提寺・伝衆宝王菩薩立像
延命観音像・腹部(石帯が見える)             唐招提寺・伝衆宝王菩薩立像

また、W字状に翻転してあらわす天衣は、9~10世紀の作例にみられ、東国では山形宝積院・十一面観音や岩手天台寺・十一面観音などにみられるそうです。

延命観音像・W字状の天衣.....山形宝積院・十一面観音像
延命観音像・W字状の天衣            山形宝積院・十一面観音像

同じく、9世紀末の制作と考える長岡龍作氏は、国華1326号「楽法寺蔵・観音菩薩立像」(2006.4)という論文で、このような指摘もされています。
神護寺・薬師如来像(衣の端が下から風にあおられるように翻る)
神護寺・薬師如来像(衣の端が
下から風にあおられるように翻る)


「条帛や裙折返しの下縁を下からの風にあおられるかのように翻らせる表現は、神護寺薬師如立像の袈裟の下縁のそれを代表的な例として、やはり9世紀像にしばしば見られるものである。」



「本像の制作年代は、このように古様な表現が見られることに加え、台座への接合を足柄とする技法が、貞観15年(873)以前の制作と考えられる廣隆寺千手観音像に見られるように、9世紀後牛以降に一般化し出すものであることを勘案すると、9世紀の末頃に置くのが適当かと推察される。」


広隆寺・千手観音立像
広隆寺・千手観音立像

皆さん、こうした解説を読まれて、また、この仏像の写真をご覧になって、どの様に感じられましたでしょうか??

たしかに、初めてみた時には、「優しい顔、平板な彫の衣文」が印象に残ったのです。
しかし、近付いてよくよくじっくり見ていくと、なかなかに古様で、しっかりした力感やボリューム感を感じるようになってきました。
脚部の衣文の彫りと表現は、一見、定型化・硬直化しているようで、よく見ると強い力感と鋭さを感じます。

その脚部の直線的で硬直したような造形、古様な衣文表現を見ていると、秋田・小沼神社の聖観音立像の脚部の衣文を、ふと思い出してしまいました。
小沼神社の聖観音像も、9世紀の制作とする説があります。

延命観音像・脚部....秋田小沼神社・聖観音立像脚部
延命観音像(左)と小沼神社・聖観音像(右)の脚部~直線的で硬直したようで、古様な衣文~

秋田小沼神社・聖観音立像
秋田小沼神社・聖観音立像

この観音像、正面から拝すると、平板な硬さが気になりますが、背面や側面から拝すると、ダイナミックなボリューム感や力感を感じます。

延命観音像・背面...延命観音像・側面
延命観音像・背面           延命観音像・側面

ゆっくり時間をかけて、2度3度とみていると、じわじわと古様な感じ、パワーを秘めた感じが伝わって来ます。
どうも、第一印象では、ちょっと損をする仏像のようです。

9世紀制作の仏像なのでしょうか?
古様をとどめてはいるが、年代は少し下った10世紀以降の制作なのでしょうか?

いずれにせよ、この像は、当地で造られた地方仏で、洗練されたという言葉はあたらず、野趣や野太さといった空気感を持った仏像です。
私には、古様をとどめるが地方仏である分、制作年が下がる可能性があるのかな、という気もしました。

この観音像、じっくり拝すれば拝するほど、なんとも変わった空気感を感じる仏像なのだな、と思いました。


ところで、この観音像、お寺では「延命観音」と称されていますが、もともとはどうだったのでしょうか?
異形の八臂像で、めずらしい像容の菩薩像です。

後藤先生によれば、当初は、不空羂索観音として造立されたということです。
このようなご説明がありました。

・この仏像の腕は、各臂の前膊部の大半が後補になっているので、当初の印相の復元は困難なのであるけれども、当初は、八臂の不空羂索観音であったのではと思われる。
・左右第三臂の前膊部は、当初のもので、この腕に垂れかかっている布状のものが、不空羂索観音が身に着ける鹿皮である、とみられる。
・当初は、合掌手の八臂の不空羂索観音として造立され、後年、手・腕が後補・変更され、延命観音と称されるようになったと考えられる。

延命観音像(両前膊部に布状の鹿皮が表現される)
延命観音像両前膊部
垂れ下がる布状のものが鹿皮を表現したものと考えられる


不空羂索観音は、奈良時代には、山寺の法会の本尊として祀られたのではないかと、長岡龍作氏は述べられています。
雨引山は、筑波山より北に連なる山系の最北に位置する一峰であり、浄行僧の山林修行の場であると共に、法会の場の本尊として、この不空羂索観音が祀られていたと考えられるようです。

ようやく念願の楽法寺、秘仏・延命観音像をじっくりと拝することが出来ました。
かけて加えて、後藤道雄先生から大変詳しい解説を直に仏像を拝しながら聞くことが出来、大変満足気分で、七五三のお参りで賑やかな楽法寺を後にしました。


岡倉天心と文化財展ポスターその後、北茨城市の五浦まで行き、天心記念五浦美術館で開催の「岡倉天心と文化財展」を、後藤先生の解説で鑑賞しました。

この展覧会にも、茨城県を代表する仏像、

岩谷寺・薬師如来坐像(藤末鎌初・重文)薬師如来立像(鎌倉・重文)、圓福寺・阿弥陀如来坐像(藤末鎌初・重文)、西光寺・薬師如来坐像(平安・重文)、薬師寺・薬師三尊像(鎌倉・重文)、楞厳寺・千手観音立像(鎌倉・重文)、延命院・観音菩薩立像(平安・県指定)、薬王院・十二神将像(鎌倉・県指定)

などが展示されており、じっくり堪能することが出来ました。


最後に、大変耳寄りな情報です。

雨引山楽法寺のHPを開いてみたら、何と来年(2014)、延命観音像が御開帳される計画があると書いてありました。

「坂東観音霊場では、平成26年に『午歳特別結縁巡礼』行事(詳細は未定)を行う予定です。
当山でも秘仏である本尊様の御開帳を計画致しますので、是非ご縁をお結び下さい。
詳細は決まり次第ホームページにてお知らせいたします。」

とのことです。

これは、めったにない大チャンスです。
この機に秘仏拝観と考えられる方は、是非このHPを、今後ウォッチしてみてください。