観仏日々帖

古仏探訪~三重県多気郡・近長谷寺 十一面観音立像


三重観仏旅行シリーズでの最後に、多気郡多気町長谷に在る近長谷寺・十一面観音立像をご紹介したいと思います。

多気町には、重要文化財の仏像が2躯のこされています。
一つは、この近長谷寺の十一面観音立像で、もう一つは、普賢寺の普賢菩薩坐像です。
共に平安古仏です。

この旅行では、普賢寺も訪れたのですが、普賢寺・普賢菩薩坐像の方は、たまに展覧会に出展されたりして知られていると思います。

三重県多気郡・普賢寺 普賢菩薩坐像
三重県多気郡・普賢寺 普賢菩薩坐像


一方、 近長谷寺・十一面観音立像は、6メートルを超える巨像の平安仏で、結構辺鄙な山中のお堂に祀られています。
展覧会に出てくる可能性もなく、訪れて拝するしかありません。
知られざる古像と云っても良いと思いますので、ここでご紹介してみたいと思います。

私は、十数年前にも当地を訪れたことがあります。
その時には普賢寺に行っただけで、近長谷寺まで足を延ばすことが出来ませんでした。

本尊の十一面観音像は、全国でも屈指の巨大な平安仏といわれる像で、その姿は、いわゆる「長谷寺式観音像」です。
左手に蓮華を挿した水瓶を、右手には念珠と錫杖を持って直立する姿であらわされています。
一度は拝したいと思っていたのですが、今回やっと、念願かなって拝することになりました。

近長谷寺は、伊勢神宮から直線距離で真西に15キロぐらい、城山という山の山中に在ります。
参道登り口には、「伊勢巡礼第十一番、長谷観音道、これより5丁」という石柱が立っているそうです。
この参道から歩くと、急坂を30分ぐらい登らなくてはならず、結構登りがきついということです。

近長谷寺本堂をのぞむ参道階段幸い、車で登れる細い道が付けられていましたので、そこからだと、急な登りは200メートルぐらいで、苦労せずに本堂に辿りつくことが出来ました。

木立の中の急坂を上っていくと、急に青空が開けて、本堂の姿が現わします。

「さあ拝観!」

と、意気込んだのですが、ちょっと早く着きすぎたのか誰もいません。
朝9時半ごろには、里の人がお寺まで登ってこられるということで聞いていましたので、しばらく待っているといらっしゃいました。

事前に御連絡して、拝観についてお尋ねすると、現在は、

「日曜・祭日は里の人が清掃などのために本堂まで登って来るので、拝観可能。
毎月18日の例祭と、大晦日は、開扉している。」

とのことで、日曜日に訪れました。

本堂の扉を開いていただき、いよいよ拝観、ご対面です。

近長谷寺本堂
近長谷寺本堂

「でかい! ごつい!」

十一面観音像、初対面の第一印象です。
像高は657㎝、寄木造の巨像です。

近長谷寺十一面観音立像
近長谷寺十一面観音立像

天井まである大きな厨子に祀られており、膝から下は厨子に隠れて見えません。
首を上に曲げて、その姿を眼前に見上げる感じで、そうして観ると、いかにも大きい巨像と感じます。
顔の横幅が広く、大きな顔なのが印象的です。
両肩がでっぷりと膨らませてあり、胴や腰も厚みがあり太造りです。
それを真下から拝すると、ますます大きく見えてくるのです。

近長谷寺十一面観音立像・上半身
近長谷寺十一面観音立像・上半身

平安後期の制作とみられていますが、藤原の優美さとか繊細さというのと違って、大きく見せることに、最大の意を用いた像のように思えます。

「とにかく、ドーンとぶっとくでかい。」
「その大きさの迫力で、ありがたみを感じさせる」

そんな感じのする観音像です。

丸山尚一氏は、この仏像の印象を、このように語っています。

「足元に立ってつくづくと見上げるとき、いかにも大きいと感じる仏であり、豊顔、雄大、壮麗、これこそ拝む対象として造られたにちがいない日本の仏の典型的な姿を見る思いがする。」
(「地方の仏たち」中日新聞本社・1995刊)


近長谷寺十一面観音立像・脚部厨子の下框に隠れて見えなくなっている、膝から下は、右の写真のようになっています。

上半身の厚みや太さに較べると、細身とは言えませんが、それほどの太さは感じません。
やはり、下から眺めてその大きさを感じるように、上半身を大きく、太造りに意識的に造っているのではないかと思います。



顔を見ていると、違和感を感じます。
両眼や唇などに江戸期の彩色がなされ、白目、黒目の部分が際立って、ぎこちない感じで、厳しい顔に見えるのです。
藤原風の穏やかさを感じさせない要因にもなっているように思えます。

近長谷寺十一面観音立像・顔部....近長谷寺十一面観音立像・頭頂部
近長谷寺十一面観音立像・顔部 頭頂部

三重県教育委員会の、「三重の文化財・情報データベース」を検索すると、

「現在の顔には、江戸時代に紀州藩による寄進・修理の際に彩色が施され、厳しい顔になっているが、近年の写真測量により、元は平安時代後期に特徴的な円満な顔立ちであることが確認された。」

と、書かれてありました。

お顔が、藤原風の温和な顔立ちであったなら、随分印象が変わってくるかもしれません。


この仏像の解説文を、一つご紹介しておきます。
「仏像集成」の解説で、松山鉄夫氏の執筆です。

「当寺に伝わる天暦7年(953)成立の『資材帳』によると、当寺は仁和元年(885)飯高諸氏の建立とされる。
しかし本像は作風からみる限り、その当初像ではなく、明らかに平安後期の再興像で、彫りの浅い衣文も穏やかな体躯の造形も、疑いなく藤原彫刻の範疇にある。
いくつかの長谷寺式巨像のうちでも、最も注目すべき優作であろう。
当寺は不便な山上にあるため、訪れる人も多くないが、本像は平安彫刻史のうえで、もっと評価されてよい作品だと思われる。」


近長谷寺十一面観音立像私にとっては、この近長谷寺の十一面観音立像、

「仏像彫刻として、大変出来が良いとか、彫技に優れている」

というふうには、それほどに感じませんでした。

「とにかく、大きいな。」 
「この山上の、このお堂に、この大きな観音さまを祀ることが大切だったのだろう。」

そのような仏像に感じました。

しかし、
「巨像感をしっかりと感じさせる」
ということでは抜群の像で、
この像を拝してからもう1年近くたちますが、今も印象深く記憶に残っている仏像です。

皆さんも、ちょっと訪れるのは辺鄙で大変ですが、この本堂の厨子の前に立って、観音像を見上げて、山中の平安仏の「巨像感」を実感されてみては如何でしょうか。


ところで、近長谷寺は、何故「近」の字が冠せられているのでしょうか?
「長谷寺」と称するお寺は、全国各地に在りますが、「近長谷寺」と称する寺は、あまり聞いたことがありません。

近長谷寺のHPを検索すると、その訳が説明されていました。

「元禄年間に、現在の本堂が再建されたころ、伊勢の皇大神宮に近いということで近の一字を加え『近長谷寺』と改称された。」

と書かれています。

「なるほど、納得」

と思いました。

ところが、この「古仏探訪」を掲載しようと、近長谷寺の資料を調べていると、別の理由が書いてあるものを見つけました。

多気町史(多気町史編纂委員会編・1992刊)によると、

「近長谷寺の名は、安濃部長谷村(現津市・片田長谷町)の長谷寺を、遠長谷寺というのとの対比からである。
大和国長谷寺からの遠近をいうのであろう。」

と書かれているのです。

津市に在る「近田山長谷寺」のHPにも、

「大和の長谷寺を模したものとして、多気郡多気町にある真言宗山階派の近長谷寺に対し、遠長谷寺とも呼ばれております」

と書かれてありました。

いずれが正しいのでしょうか?