観仏日々帖

トピックス~鑑真和上坐像の御身代わり模像の制作を巡る話【その1】


現在、「美術院」で制作中の鑑真和上坐像の模像がおおむね完成し、奈良時代当時の鮮やかな彩色がほどこされた姿が、公開されました。

彩色された鑑真和上坐像の模造
彩色された鑑真和上坐像の模像

今月上旬、新聞各紙は、一斉にこの記事を報道しました。
ご覧になられた方も、沢山いらっしゃることと思います。

例えば、毎日新聞(4/5付、大阪朝刊)はこのように伝えています。

鑑真和上模像:制作時の姿 鮮やか配色、今だけ再現


唐招提寺(奈良市)の国宝・鑑真和上坐像(8世紀)の模像「お身代わり像」が4日、財団法人美術院(京都市下京区)で報道陣に公開された。
本物が制作された当時の表情やけさ、朱色の下衣を鮮やかに再現。
今後、経年変化を反映させて仕上げ、6月から同寺で一般公開する。

本物の坐像は1833年の火災で頭頂部や膝部分が破損し、補修したもので、例年6月に公開している。
今年が鑑真の没後1250年に当たるのに合わせて、同寺が常時公開できる模像の制作を依頼し、美術院が10年から取り組んだ。
実体顕微鏡で顔料の粒子を調査し、けさの部分は赤、青、緑などの鮮やかな配色を忠実に再現した。更に火災前の状態にまで色を近づける。

美術院の高田明技師は
「本物は顔や肌の色、着衣までもが写実的に彩られている。実際に鑑真和上の肌などを見ながら彩色したのではないか」
と話している。


日経新聞は、[唐招提寺長老のこのようなコメント]を掲載しました。


鑑真和上像を観る石田長老
石田智圓(ちえん)長老は

「1250年若返られた。まるで湯上がりのよう」

と見慣れた国宝像との違いを語った。

(右の写真は、鑑真和上像模像を観る石田長老です。)

鑑真像を、このように鮮やかな原色で観ることができるのは、このタイミングだけで、この後6月までに経年変化の古色付をし、現在の鑑真和上像の色合いに近づけた後に、唐招提寺で公開されることとなるということです。

国宝・鑑真和上坐像...鑑真和上坐像の模造
国宝・鑑真和上坐像              鑑真和上坐像の模造

この鑑真和上坐像は、鑑真没後1250年の今年完成をめざして、唐招提寺が10年前から「財団法人美術院」に制作を依頼したもので、ようやく完成にこぎつけました。

「模造の制作に、何故10年もかかるのだろう。
最新の科学技術をもってすれば、そんなにかからないのではないか?」

と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

たしかに、合成樹脂などを使って、寸分たがわぬように模造するのなら、制作にそんなに長期間かからないのでしょう。
鑑真像の模像制作にあたっている「美術院」は、ご存じのとおり、国宝・重文級の美術工芸品の修理修復を行っている処です。
また、修理修復だけではなく、修復技術の研究、技術者の養成などのために、模像の制作も行っています。

「美術院」で模造を制作する場合は、単に原品の形を真似るというのではなく、制作当時の材料、顔料などをもちいて、構造や制作技術まで復元して造られていきます。
原品に用いられた、制作技術についての綿密な調査研究を行い、その過程で知り得た各時代の特徴的な技法を、文化財修理に生かしていくことを、目的としているそうです。

凸版印刷による鑑真像デジタル計測そんなふうにして、模像制作が行われますから、模造対象となる原品、今回なら脱活乾漆造り鑑真和上像の構造や原材料、顔料をはじめ制作技術の調査研究に、大変な時間がかけられることになります。
模像制作の予算は、読売新聞記事(4/5)によれば、3000万円だそうです。
(右の写真は、鑑真像の凸版印刷によるデジタル計測の状況です。)

こうした模像制作の過程で、当時の技術や、用いられていた材料についての、新たなる発見、知見が得られることも、多くあるようです。


鑑真和上坐像の模像の過程においても、いろいろ新たなことが判ってきました。
まだ、調査報告・研究報告のようなものは出されていませんが、これまでの新聞記事を見てみると、興味深い報道がされています。


少し長くなりますが、ご紹介すると、次のようなものです。

奈良新聞 2012年2月8日付けの記事抜粋です。

【鑑真和上坐像】伝承通り弟子制作か - 美術院調査で仏師の痕跡なく


制作が続く鑑真和上坐像の模造天平彫刻の傑作とされる唐招提寺(奈良市五条町)の国宝・鑑真和上坐像が、伝承通り弟子によって制作された可能性の高いことが、美術院の調査で分かった。専門仏師の関わった痕跡がなく、細部を指で整えたことで柔らかな雰囲気が出ているという。

脱活乾漆(だっかつかんしつ)と呼ばれる張り子の像で、漆に浸した麻布を原形の粘土像に張り、木屎(こくそ)と呼ばれるペースト状の素材で細部を造形する。粘土像は取り壊す。
「お身代わり」の制作を進める美術院が調べたところ、木屎をへらで造形した痕跡など、熟練仏師の『仕事』がまったく確認されなかった。
粘土像に麻布を張った段階で細部まで造形されており、木屎は布目が見えるほど薄い部分もあったという。へらを使わず、指で薄く塗り延ばすことで線の柔らかさを表現していた。

美術院国宝修理所の木下成通・研究部長は
「専門の工人に注文したのではなく、伝承通り鑑真和上の姿を懸命に写し取ろうしたのだろう。奈良時代の他の乾漆像と異なり、造形テクニックを度外視したすごさがある」
と感嘆する。

「お身代わり」の外形を調整する美術院の職員
制作が続く鑑真和上坐像の模造

木屎はヒノキなどの粉に漆を混ぜるのが普通だが、「お身代わり」には独特の粘りがあるニレの木屎を使用する。

石田智圓長老は
「弟子たちの芸術的才能に鑑真和上を思う心が加わり、素晴らしいお像ができたのでしょう」
と話した。
お身代わりを見る石田長老



毎日新聞 2012年10月27日の記事抜粋です

唐招提寺:鑑真さんお化粧してた? 坐像の表面に油塗布


日本最古の肖像彫刻として知られる唐招提寺の国宝・鑑真(がんじん)和上坐像(8世紀、脱活乾漆造)の表面に油が付着していることが、財団法人美術院の調査で分かった。

油は顔料を乾きやすくし、色に深みを持たせる効果があるため、彩色の際に混ぜたか、上から塗ったとみられる。
仏像に油を塗る技法は国内に例がなく、唐から渡来した弟子たちが像を制作したとの伝承を裏付ける発見と言えそうだ。

美術院などによると、顔料の上から油を塗る技法は「密陀絵(みつだえ)」と呼ばれ、正倉院宝物の伎楽面(ぎがくめん)など天平時代の工芸品にみられるが、国内の仏像で確認されたのは初めて。「荏油(えのあぶら)」と呼ばれるシソ科の植物、エゴマの油とみられる。

美術院の木下成通研究部長は
「当時の中国では仏像の彩色に油を使用した例はあるが、国内では初めてで驚いている。油には色を落ち着かせる効果があり、制作者の〈立派な像にしたい〉という思いが伝わってくる」
としている。


これらの新聞報道のポイントを整理すると、このように云えるのでしょうか?

①脱活乾漆像は、漆を浸した麻布貼り合わせの原形に、ペースト状の木屎漆を盛り上げて細部を造形する。

脱活乾漆像の内側麻布部(薬師寺蔵・菩薩面部断片)....脱活乾漆像の木屎漆整形部(大阪市立美術館蔵・天部袖残欠)
脱活乾漆像の内側麻布部(薬師寺・菩薩面部断片)  木屎漆整形部(大阪市立美術館・天部袖残欠)

②鑑真和上像は、木屎をへらで造形せず、手の指で形を整えている。
天平期の脱活乾漆像は、すべてへらで造形しており、鑑真像だけが例外である。

③粘土像に麻布を張った段階で細部まで造形されており、木屎漆の層が大変薄い。
(天平期の脱活乾漆像は、麻布貼り合わせ段階では〈衣文などの〉細部造形はせず、木屎漆の盛り上げで造形されるのが通例。)

④彩色の上から、油を塗布している。
仏像に油を塗る技法は、中国にはあるが、我が国には例がない。

⑤以上のことから、鑑真和上像は、国内の専門の仏工等による制作ではなく。唐渡来の弟子たちの手により、当時の通例技法と異なる手法で制作された可能性が考えられる。

大変興味深く、関心深まる新発見事実だと思います。

「鑑真和上の制作技法は、当時の常識的技法とは違っている。」
「弟子たちの手で制作した可能性があるのではないか?」

という話は、「日本最古の肖像彫刻」である、鑑真和上坐像の制作経緯の伝承や、何故このような肖像がつくられたのかという問題に、いろいろな愉しい想像をめぐらせてくれそうです。

この続き【その2】では、
これに関連しそうな、鑑真和上坐像についての伝承や、これまで議論されてきたことのエッセンスを少々つまみ食いして、考えてみたいと思います。


新刊・旧刊案内~井上正著「続・古仏 古密教仏巡歴」 【その2】


私が、井上正氏の「古密教彫像説」というものを、初めて知ったのは、昭和60年代の半ばごろのことだったと思います。

そろそろ、40歳の声を聞こうかという頃です。
書店で「古仏~彫像のイコノロジー」(昭和61年発刊)という本が出ているのを見つけて、中身をぱらぱらとめくってみました。
そこに「観菩提寺・十一面観音像」のことが採り上げられていたので、7800円と高価でしたが、思いきって買ったことを覚えています。

「古仏」.....「古仏」所載・観菩提寺十一面観音立像

何故、「観菩提寺・十一面観音像」なのかというと、
若き頃の仏像めぐりの、最後に出会った仏像として、その感動が忘れられないものであったからでした。
この仏像を拝したのが、23歳、昭和48年の夏のことです。

それ以降は、会社勤めの哀しさで、仕事仕事で追いまくられ、休日に観仏に出かけるということもかなわず、地方仏探訪に出かけることは全くなくなってしまいました。


観菩提寺を訪れたのは、会社勤めで東京勤務となった最初の夏の休暇のことでした。

学生時代古仏探訪に精を出していた延長線で、独りで岐阜・華厳寺、横蔵寺~湖南・善水寺、櫟野寺~観菩提寺というルートの観仏の旅に出かけたのです。
たしか、社会思想社「日本古寺巡礼」をポケットに突っこんで、宿の予約もせずに行き当たりばったりで巡ったのですが、その旅のラストに拝したのが「観菩提寺・十一面観音像」でした。

この仏像は、秘仏にされているようなのですが、前夜にお願いすると、ご住職が「特別に」とおっしゃって、開扉いただきました。
読経のあと厨子が開かれると、異形の十一面観音が眼前に現れました。
暗くてはっきり見えなかったのですが、目が慣れるにつれ、2メートルを超える大像がデモーニッシュな迫力で迫ってきます。
頭部がバカでかくて、アンバランスなプロポーション、分厚い唇と小鼻の膨らんだごつい鼻、異様な歪みとデフォルメが、えもいわれぬ「気」のようなものを伝えてきます。
観れば観るほどに、怪しげな霊気や凄みのあるオーラのようなものに、魅入られてしまいます。
頭をガーンと殴られて、そのまま痺れてしまったような気分でした。

その時に撮ったのが、このモノクロ写真です

三重・観菩提寺十一面観音立像

ポケットの「日本古寺巡礼」には、このように書かれていました。


「日本古寺巡礼」
「その面相は、怪奇とでも表現するよりほかないようなものである。
頭や胴がばかに大きく・・・・・いわばこの像は正統な彫刻の技法になるものでなく、地方的な要素が強く、あえていうなら山間遊行の行者たちの呪術的な信仰にささえられた像の系統をひいているように思えてならないのである。」

「若き日最後の、思い出の仏像」として、心を深く抉られた仏像であったのでした。
あの怪異な霊気、オーラのようなものは何だったのだろうと、その後も、ずっと心の中に引っかかっていたのでした。

その観菩提寺・十一面観音像が採り上げられている本なので、買ってみたのでした。


井上氏の本、「古仏」には、観菩提寺像について、このように書かれていました。


観菩提寺十一面観音立像
「その折(京博で修理中の本像を見た時)、美術の持つ力とは異なる、不思議な力の宿りを本像に感じた。
9世紀彫刻の凄い奥行きを土着の相の中に垣間見たように思った。
・・・・・・・・
二十年余りを経て筆者の年代観は変わり、この像は9世紀のものではなく、8世紀の古密教彫刻の重要な一例と考えるようになった。
いま思い起こしてみると、私が古密教彫像のさまざまな霊威表現に注目するようになった糸口のひとつは、この像にあるように思えてならない」

そして、結びには、

伊賀国阿拝郡の観音寺が、現在の島ヶ原村観菩提寺にあたるとの確証はない。
しかしその可能性は、確かに存在する。
そこに筋を求めながら、現存像の制作年代を想定すると、神亀2年(725)は、ほぼ容認しうる年代のように筆者は思えてくるのである。」

と、述べられています。

「井上氏も、この仏像の不可思議さを、こんなふうに感じていたのだ。」
と思うと、何やシンパシーが湧いてきて、この本を一生懸命に読んだ覚えがあります。

「古仏」の本に採り上げられている仏像たちは、皆アクが強くて気迫勝負のような像ばかりです。
36躯の像が採り上げられていましたが、私が観たことがあるのは、7躯だけでした。
残りの仏像たちも、是非一度は拝してみたいと思う像ばかりでした。

これら未見の仏像の探訪に出かけはじめるのは、ずっと後になってからのことになりますが、
この時から、井上正氏のこの種の著作・本について、「今度はどんな本が出るのかな?」と、大変、気になるようになりました。


「古仏」発刊の翌年、昭和62年(1987)に刊行されたのが、

「檀像」 井上正著 至文堂刊 日本の美術253号 【94P】1300円

です。

皆さんよくご存じの「至文堂・日本の美術シリーズ」の1冊として出版されました。
「檀像」.この本は、我が国「檀像」について解説した本なので、いわゆる「古密教彫像説」を主題に論じた本ではありませんが、井上氏の考え方がしっかりビルトインされた解説になっています。
檀像を「白檀像」「檀木像」「代用檀像」に区分して、「代用檀像」の世界では、霊木に神が宿るがごとくに仏像が宿り、この霊木から仏が化現する途上の有様を姿にした「霊木化現仏」の考え方が述べられています。
背中を彫り残したり、ノミ目をあらわにした木彫素木仏は、未完成仏ではなく「霊木化現」の有様を顕した完成仏であると主張されています。

そして巻末で、


「代用檀像の作例を多く検討してゆくなかで、霊木信仰との集合や歪みの造型のような特異な作風を成立させ、これを世に広めたのは、伝承のように行基菩薩ではなかったかという思いに取り付かれています。」

「この筋道(日本と中国における、檀像と代用檀像の受入と展開の関係)を正しく見究めるところから日本の彫刻史は新しく始めなければなりません。
これから日本の彫刻史は急速に新しい見直しを迫られることになりそうです。
筆者の力及ばないところは、新進の研究者が推進してくれることでしょう。」

このように語られている処が、大変印象的でありました。


そして、それから5年ほど経ちました。

平成3年(1991)「芸術新潮1月号」の表紙を見て、びっくりしました。

「美術史の革命 出現!謎の仏像 
こんな仏像もあったのか! 
1200年を経て、今、謎の仏像たちが甦る!!」

という、標題が眼に入ってきたのです。
ページをめくると、梅原猛氏と井上正氏のコラボ企画で、井上氏の「古密教彫像説」が、大々的に採り上げられ、異形の木彫仏のカラー写真が満載されていました。
この特集、翌2月号と2号連続で特集号として発刊されたのです。

第2弾の「芸術新潮2月号」の表題は、

「【出現! 謎の仏像】第2弾! 
ローカルガイド特集 謎の仏像を訪ねる旅」

というものでした。

「芸術新潮」1991年1月号....「芸術新潮」1991年2月号

これは、本当に驚きでした。

井上氏の「古密教彫像説」は、当時の美術史界に支持されているものではない、ある意味マイナーというか、異端的なものと思っていましたから、突然、日陰から日なたどころか、大スポットライトのあたる中心に出現したという感じです。
コラボの相手は、「隠された十字架」という本で、「法隆寺が聖徳太子の怨霊を鎮めるための寺」というセンセーショナルな説で一世を風靡した、梅原猛氏です。
美術史研究者の世界からすると、ちょっと筋の違う世界での採り上げられ方なのかもしれません。
しかし、天下の芸術新潮での、2号連続特集企画ということですから、世間一般の美術愛好家、仏像愛好家に与えたインパクトは、極めて大きなものであったと思います。
マニアックなオタクの世界から、メジャーリーグにデビューしたようと云ってもよいのかもしれません。

是非この2号、お読みになったことがなければ、一度、眼を通されてみることをお薦めします。
具体的内容は、本誌を読んでいただくとして、目次のインデックスとリード文に、このように書かれているのが印象的です。

「私を導いた謎の仏像」(梅原猛)


奈良時代には木彫仏がほとんどないという美術史の定説は正しいのか?
~積年の疑問を“謎の仏像たち”が解いてくれた。
各地に散在するこれら奈良朝の木彫仏こそ、縄文以来の森の文化の伝統と、新しく渡来した仏教文化の、真の融合点なのだ。

「霊木化現への道」(井上正)

神宿る霊木に仏の姿を感得し、奇跡の霊異を人々に分かち与えた僧たち・・・・・・
日本独自の木彫の発祥と、そこに常に付きまとう行基伝承・・・・
神仏習合の萌芽を霊木化現として見出した、筆者十数年の研究の結実!

流石に、芸術新潮のライターは、見事なものです。
この短いリードのコピーで、「古密教仏像説」の云わんとすることを見事に凝縮しているようです。

この特集2号は、本当に面白く興味深いものでありました。
なんといっても、アップのから写真の数々が、それぞれの仏像の発散するオーラや、尋常ならざる精神性の魅力をものの見事に引き出しています。
この異形仏の写真を一枚一枚眺めながら、

「今は仕事で忙しくて無理だけれども、ヒマができる時になったら、これらの仏像巡りを、是非是非してみたいものだ。」

と云う思いを、益々強くしたものでした。

井上正氏ご本人にとってみても、この「芸術新潮特集号」は、忘れられない思い出であったようです。
井上氏は、この時のことを、「研究生活四十余年」という小文で、このように語っています。


「行基伝説を含む私の提唱に、自ら各地を巡って確認され、強力な賛意を示されたのは、安藤佳香氏を介してお近づきを得た梅原猛先生である。
まずは、『芸術新潮』の平成3年1・2月号を霊木化現仏と行基仏の特集号とする労をとられた。
同社は総力を挙げて写真情報を満載し、難しい論文よりも視覚に直接訴えるグラフィックな方法で読者を魅了した。
写真文章ともに、私自身が思わずうなるほどの出来栄えであった。
新聞やテレビも各社がとりあげ、学術的な論争を経ることなく、一挙に一般層に私の考えが知られるようになった。」


この大反響で、井上説の認知度が一気にアップしたからなのかはよく判りませんが、「芸術新潮・特集号」と相前後して、井上氏が所論を執筆した単行本が続々発刊されます。

「神仏習合の精神と造形」平成元年(1989) 

「図説日本の仏教 巻6「神仏習合と修験」新潮社刊(50~100P)所収 【381P】 10300円

「木彫仏の流れ」「神仏習合」平成2年(1990) 

人間の美術4「平城の爛熟」学習研究社刊(82~103P)(146~167P)所収  【195P】 3500円

「7~9世紀の美術~伝来と開化~ 岩波日本美術の流れ2」平成3年(1991)

岩波書店刊 【132P】1900円

「霊木に出現する仏~列島に根付いた神仏習合」平成6年(1994) 

「民衆生活の日本史・木」思文閣出版刊(173~228P) 所収 【283P】 2625円



「図説日本の仏教」.....「人間の美術」.

「7-9世紀の美術」......「民衆生活の日本史」


それぞれの本の内容紹介は、ここでは省かせていただきますが、研究論文ではなく、一般の読者、関心の高い愛好家をイメージして書かれた文章なので、判りやすく興味深く愉しめます。
これらを読んでいただくと、井上氏の「古密教彫像説」の骨格となっている、霊木化現、霊威表現、神仏習合、呉道玄様、行基などの開基伝承といった世界と、そこから生み出される一木彫像の編年の考え方が、大変よく理解することができます。

これらの本の出版、執筆については、「研究生活四十余年」で、このように語っています。


「この筋の行きつくところは神仏習合の世界である。
従来の論と対比させ、下からの習合を説いた一論がある。(神仏習合の精神と造形)

また梅原先生は、学習研究社の美術全集『人間の美術4』(天平時代)の図版構成をすべて私に一任され、個性的な編集を容認された。
大幅に通説とは異なる自説を展開する場としては、多数の研究者が協力して成る美術全集は不向きである。
これは不意に訪れた幸運であった。

よいことは重なるもので、辻惟雄・高階秀爾さんの責任編集になる『岩波日本美術の流れ』の第2巻、7~9世紀の美術を自由に書いてみないかとというお誘いがあった。
思想史とも絡み合う新しい美術史を書こうと思い立った。
幸いにもそれまでに発表してきた数多くの小論が役立ち、その欠落部分のみを新たに執筆した。
これもまた天与の賜物であったと思っている。

最後のよいことは、林家辰三郎先生の監修になる『民衆生活の日本史・木』のなかに、霊木化現の一項を設けていただき、行基が列島の全域に定着させたであろう神仏習合思想とその遺例について述べるスペースを与えてくださったことである。
民衆生活に眼を向けることは永年の夢であった。」


さて、私は、ここ10年程前から、やっと仕事のゆとりも出始め、長年のブランクでしたが、30数年ぶりに古仏探訪に出かけるようになりました。
満を持してというわけでもないですが、「井上ワールド」で採り上げられている一木彫像も、同好の方々と共に、観仏探訪に出かけるようになりました。

随分、頑張って廻りました。
あの観菩提寺・十一面観音像ほどではないにしても、そのなかで、とりわけ強いインパクトを受け心に残った仏像をいくつか挙げると、次のようなものです。

兵庫県・楊柳寺十一面観音立像、滋賀県・大岡寺薬師如来坐像、大阪府・孝恩寺弥勒菩薩坐像、京都府・勝光寺十一面観音像、和歌山県・法音寺釈迦如来坐像、

といった処でしょうか。

兵庫・楊柳寺十一面観音立像.......滋賀・大岡寺薬師如来立像
兵庫・楊柳寺十一面観音立像              滋賀・大岡寺薬師如来立像


大阪・孝恩寺弥勒如来坐像....京都・勝光寺聖観音立像
大阪・孝恩寺弥勒如来坐像             京都・勝光寺聖観音立像


和歌山・法音寺釈迦如来坐像
和歌山・法音寺釈迦如来坐像


これらの仏像、どのように感じられたでしょうか?
制作年代の議論は、ちょっと横に置いておくとして、この
「尋常ならざる迫力、迫ってくる霊威」
に強く惹かれるものを、きっと感じられるのではないでしょうか?


30余年も前に提唱された、井上氏の「古密教彫像説」ですが、近年、じわじわと世に受け入れられつつあるような気がします。

井上氏の唱える「霊木化現仏」の考え方に賛同するようなコメントも、見られるようになってきたように思います。

もちろん、多くの一木彫古密教仏像を、奈良時代以前の制作に遡らせることに賛同することには、当然になっていません。
しかし、唐招提寺木彫群、大安寺木彫群のほかにも、多田寺像、孝恩寺像、世尊寺像などのように奈良時代に遡らせる一木彫像がありそうだという議論は、結構見られるようになってきたようです。

平成18年(2006)に、東京国立博物館で開催された、通称「一木彫展」、「仏像~一木にこめられた祈り展」は、一木彫像の優品、名品、注目像が勢ぞろいした、凄い展覧会で、皆さんきっとご覧になったことと思います。

「一木彫展図録私は、この時の図録に掲載された論考の記述を見て、ちょっとびっくりしたというか、大注目という気がしました。

岩佐光晴氏の「初期一木彫の世界」という論述には、


「このように、一木彫成立期にも前代から継続する多様な木彫像の様態が存在したとみるべきであろう。
そうした木彫像の多様な土壌があったからこそ、檀像と栢木概念によって一木彫が成立すると、木を介しての神仏習合とも連動して、大きなうねりとなって、木彫像がより深く日本の社会に浸透していくことになったと云えるのではなかろうか。
『霊異記』に語られる木彫像に関する説話は、ややもすると一律に一木彫成立と関連する史料として読まれがちであるが、むしろ木彫像のあり方にはいろいろな造像環境において、多様な状況が存在していたと見るほうが、当時の社会状況をより幅をもって捉えることができるように思われるのである。」

金子啓明氏の「木の文化と一木彫」という論述には、

(鉈彫像を採り上げ、そのなかでも西住寺宝誌和尚立像に注目して)
「こうした変化変身のプロセスの只中における霊異的、怪異的なテーマの像に鉈彫りが用いられたことは、ノミ目を留める表現がまさに霊的な現道性と密接にかかわることを示しており、尋常でない神秘的な現象が、ただ今発生中であることを暗示している。
このように鉈彫は、仏や神の霊木からの化現や、皮膚を破って本体が出現するという劇的なドラマを演出し、霊がそこに今まさに発動していることを、人に印象付けたことであろう。」

西住寺宝誌和尚立像....西住寺宝誌和尚立像顔部
西住寺宝誌和尚立像
このように、語られていたのでした。

井上氏の「古密教彫像」への考え方が、結構、取り入れられているように思いました。

なんといっても、東京国立博物館で開催された大展覧会の図録の論述です。

「東博の図録に、このような考え方が、書かれるようになってきたのか!
「異端的だった井上氏の考え方も、一部ではあるけれども、市民権を獲得しつつあるのかな?
一木彫への考え方も、変化しつつあるのかな?」

と、そんな気がちょっと感慨深くいたしました。


「古仏」発刊以来、40年余を経て「続・古仏」が発刊されたのも、このような流れがあるからなのでしょうか?

実は、井上氏は、日本美術工芸に古密教彫像についての連載を、3部作で執筆しています。
昭和57年(1982)から、平成6年(1994)まで、12年かけての連載でした。

第1部は、「古仏巡歴」と題されたシリーズで、昭和61年「古仏~彫像のイコノロジー」として単行本化されました。


最新情報ですが、『新装版 古佛―彫像のイコノロジー―』が、5月に発刊されるとのことです。

第2部は、「古密教彫像巡歴」と題するシリーズで、今般(2012)「続・古仏 古密教彫像巡歴」として、単行本化されました。

第3部は、「古仏への視点」と題されたシリーズです。
「続・古仏」のあとがきによると、
この「古仏への視点」も「本書に引き続いて出版をめざしたい」
と、書かれています。

数年後の出版になるのかもしれませんが、是非、近いうちに刊行されるようになってほしいものです。

新刊・旧刊案内~井上正著「続・古仏 古密教彫像巡歴」 【その1】

ちょっと一般向けの本ではないかも知れませんが、私にとっては、待望の本が刊行されました。

「続・古仏 古密教彫像巡歴」 井上正著

2012年12月 法蔵館刊 【242P】 9500円


「古密教彫像巡歴」


「続・古仏」とあるように、以前に出版された「古仏」という本の続編です。

「古仏」という本は、1986年(昭和61年)に発刊された本です。

「古仏」.
「古仏~彫像のイコノロジー」法蔵館刊【230P】7800円

それから、なんと26年も経ってから「続編」が出版されたことになります。

実は、
「古密教彫像巡歴」内容「古仏」も「続・古仏」も、もう廃刊になってしまった「日本美術工芸」という美術雑誌に、井上正氏が連載をしていた仏像論考を収録したものです。

どんな仏像が採り上げられているのでしょうか?

井上正氏の所論をご存じのかたは、容易にご想像がつくと思いますが、ちょっとご紹介しておきたいと思います。


こんな仏像が、採り上げられています。

兵庫・満願寺薬師如来坐像......京都・安楽寺僧形坐像
兵庫・満願寺 薬師如来坐像              京都・安楽寺 僧形坐像


京都・勝光寺聖観音立像........滋賀・来迎寺聖観音立像
京都・勝光寺 聖観音立像              滋賀・来迎寺 聖観音立像


兵庫・中山寺十一面観音立像......兵庫・西谷観音堂十一面観音立像
兵庫・中山寺 十一面観音立像             兵庫・西谷観音堂 十一面観音立像


「なんだ、これは!」「変な仏像!」

奈良・京都の有名寺院の美しい仏像を、普段ご覧になっている方々にとってみれば、異様な感じがされるかもしれません。
あるいは、グロテスクといった印象をもたれるかもしれません。

大変アクが強く異形な造形で、奇怪な表情であったり、強烈な肥満体であったりして「歪んだ造形」といった仏像ばかりです。
しかし、これらの仏像は、不思議なオーラのようなものを発しています。
「気迫勝負の仏像」と云っても良い感じで、造形の出来の良さを度外視したかのようですが、強烈なインパクトを感じます。

この本で採り上げられている仏像たちは、一般には平安前期~中期の仏像とか、平安期の地方仏と考えられている木彫仏です。
しかし、著者の井上氏は、その多くが「実は、奈良時代以前の木彫仏」だと考えている仏像たちです。


まずは、採り上げられている仏像のリストを、ご紹介したいと思います。

1986年刊の「古仏~彫像のイコノロジー」に採り上げられたのは、次のような木彫仏です。

古仏巡歴リスト
「古仏」所載の古密教彫像一覧リスト


今回発刊の「続・古仏~古密教仏巡歴」に採り上げられているのは、このような木彫仏です。

古密教彫像巡歴リスト
「古密教彫像巡歴」所載の彫像一覧リスト

皆さん、ここに上げられて仏像たち、どれぐらい拝されたことがあるでしょうか?
写真で見たことがあたりして、頭に浮かんでこられるのは、どのぐらいあるでしょうか?

「初めて聞いた仏像ばかりだ」とか、「そんな仏像あったっけ」いったものが、軒並み並んでいるという感じではないでしょうか。
これらの「ほとんどは知っている」とか、「観たことがある」という方は、そうはいらっしゃらないのではないかと思います。

もしいらっしゃったら、相当のマニアというか、仏像オタクと云えるでしょう。
「井上正氏の採り上げた仏像の世界」に、よほど強い関心のある方でないと、このような仏像を、わざわざ面倒な拝観のお願いをしてまで、辺鄙な場所へ出かける方はおられないと思います。

私は、近年「井上正ワールドの仏像大好き」になって、一生懸命、全部見てやろうと廻っています。
頑張って観て廻っていますが、まだ、これらのうち未拝観の仏像が7躯も残っています。
それでも、採り上げられている67件の内、60件を観て廻ったことになりますので、相当オタクの仲間に入ってしまうのかもしれません。


ところで、皆さん、井上正氏の所論、主張は、良くご存じのこととおもいます。

今更「井上説の紹介」でもないのかもしれませんが、そのエッセンスにだけふれておきたいと思います。
思いきって、簡略に割切ってご紹介しますので、正確ではないかも知れませんがお許しください。


井上氏は、古代の木彫仏について、二つの観点からの問題に着目しました。

一つは、平安時代の制作とされている一木彫像の中には、通常の尊像には見ることにできない不可思議な精神風景をのぞかせるものが、多数見受けられることです。

神護寺薬師立像などが、その代表格と云えます。

神護寺薬師如来立像.....神護寺薬師如来立像顔部
神護寺薬師如来立像

井上氏は、この造形表現を、「烈しい霊威表現」とか、「尋常ならざる精神性を発する表現」と評しています。
また、
「これらの一群の尊像は長い間、筆者にとって不可知の領域であり、それだけに一層魅力を増す聖域のようであった。」
と回想されています。

これら異形の仏像達をどのように捉えるのか、考えるのかという問題です。

平安期一木彫像の、一つのタイプ、バリエーションと考えるのか?
歪んだり、ボリューム感があるのを、地方的な粗野さと考えるのか?
もっと別の、宗教的背景や要素があると考えるのか?

ということかと思います。


もう一つの観点は、日本彫刻史のなかでの「木彫仏の編年」についての問題です。

日本の木彫仏は、飛鳥白鳳時代を除いて考えると、一木彫は8~10世紀、寄木造はほぼ11世紀以降とされ、
「強い精神性をもった一木彫像は、奈良末平安初期になって発生したもの」
と考えられています。

この編年への、根本的な疑問でした。
井上氏は、奈良時代の木彫仏の作例と云われるものが、ほとんどと云って良いほど残されていないことに疑問を感じ、従来の一木彫の編年の考え方に大いなる疑問を呈したのです。
それは、
「精神性が強く量感豊かな彫りの深い作例、即ち神護寺薬師如来立像、新薬師寺薬師如来坐像などをトップに置き、優しい情感、浅い奥行きによる量感の減衰、そして浅い彫り口など、藤原様式の特色が加わる度合いに応じて、九・十世紀のどこかへ置いて考えるという図式」
を、
年代判定の基本的なメジャーにするという固定観念への疑問でした。

井上氏は、一木彫像の制作年代などを考えるうえでは、ひとつの時代の美意識、造形感覚を一律に均して論じるのではなく、同じ時代にいろいろな違った美意識、造形感覚が共存、併進していた可能性を考慮、検討すべきだ考えたのです。
奈良時代においても、乾漆や塑像で造られた写実的理想表現の天平仏とは別の、全く感覚の違う造形表現の世界が、同時に展開していたのではないかという問題意識です。
単に造形表現の変化だけではなく、仏像の制作背景、宗教的精神などを、総合的な見地から検討して、制作年代を考えるべきと主張したのです。

そして、検討すべき観点として、次のような諸要素を挙げています。
「彫塑にみる呉道玄様、民族思想の参入、怨霊仏、檀像と模擬檀像、檀色、霊木化現仏、感得像」
などといった要素です。


こうした、二つの問題意識から導き出された一つの仮説は、次のようなものでした。

従来の「乾漆・塑像中心の天平彫刻の時代から、大転換が起こり平安初期木彫が発生する」という定説は、再検討の余地がある。
即ち
「一木彫の本格的成立は9世紀であり、その流れが10世紀に及んだ」
という考え方だけに固定するのではなくて、
行基、泰澄、良弁などの建立になる民間布教系の寺院で造立・安置された本尊は、7世紀後半から8世紀にかけ請来された、古密教尊像系の彫刻などをベースにした木彫仏、即ち一木彫の薬師像か観音像だったのではないだろうか。

奈良時代創建伝承を持つ寺院の本尊には、創建当初の一木彫が今も伝えられているものもあると考えるべきである。
これら古密教系の一木彫像は、強い「霊威表現」をもって造形されているのが、共通の要素、特色である。

このような、これまでの常識をひっくり返した、主張でした。

井上氏のこの主張によると、こうした古仏のある寺の開基伝承などを踏まえて、一気に制作年が遡ることになりなす。
井上説の一部を例示すると、次のようになります。

井上説による古密教像制作年代
井上説による古密教彫像の推定制作年代(例)

誠に大胆で、新たな切り口の魅力を感じさせる説ではあります。
素人の私には、この説の当否などを論じることは到底かないませんが、ちょっと大胆すぎて、
「本当にそうなのかしらん?」
と、首をかしげてしまうのも本音の処であります。

「古仏」「続・古仏」の本を読んでみていただければ、それぞれの仏像ごとに、詳しく実証して語られているので、井上氏のこうした考え方の根拠となるものについて、よく理解できることと思います。
研究論文と云うよりは、アマチュアにもわかりやすい文章で、丁寧に、思いを込めて語られているので、馴染みやすく、面白く読めることと思います。


井上氏が、この考え方、「古密教彫像説」と云うべきものを世に発表したのは、昭和50年代半ば(1980年頃)のことでした。
今から、30年以上も前のことです。
その後も、現在に至るまで、この考え方を論文、出版物などで、主張しつづけられてきています。

しかし、この井上説は、仏教美術史の研究者の世界では、決して支持されているとは云えないようです。
井上氏の、木彫仏の編年に全面賛成を表した論文や本は、私は見かけたことがありません。

ただ、近年は、井上氏の注目する「霊威表現」「霊木化現仏」といったような考え方が、平安前期の一木彫像を考えるうえで、着々と注目されてくるようになってきているのではないかと思います。

「霊木化現仏」という考え方は、井上氏が、神仏習合の造形の有様として、強く主張しているものです。

その考え方は、神霊の依り代であった霊木に、新たに仏が依り憑き、姿かたちをもたない霊的存在である神に替わって、仏の姿が顕現するというものです。
霊木から仏が出現する途上の有様を形にしたものが「霊木化現仏」です。
背面の彫りや後頭部の螺髪を省略した表現や、眼の形を彫らない表現、ノミ目をのこす鉈彫り像などは、霊木化現の有様をあらわした造形だというものです。


「井上ワールドの仏像大好き」と、先に書きました。
しかし一方で、私は、井上説の云う「これらの仏像の多くは奈良時代の制作に遡る」という考え方に、賛同しているわけではありません。
素人ながら、平安時代で良いのではないかと感じています。

ただ、これらの仏像たちに、得も言われぬ魅力を感じるのです。
デモーニッシュなエネルギーを発散させているようです。
「異形な仏像、奇怪な顔貌の仏像、歪んだ仏像」とでも云って良いと思いますが、惹き込まれていくようなオーラを強く感じるのです。


井上氏はこれらの仏像を、「烈しい霊威表現」の仏像、「尋常ならざる精神性を発する表現」の仏像と呼んでいます。

この「霊威表現」を構成する要素として、井上氏は、6つの要素を挙げています。

「歪みの造型」「威相」「異常な量感の強調」「部分の強調と比例整斉の否定」「尋常でない衣文表現」「化現表現」
です。

そして、
「正統な流れに対して、これとは性格をやや異にし、時には明らかに反正統とも云える表現手法により、別の造型世界を作り出そうとする動きがあった。
霊威表現とでも名付けるべきものがそれである。」
と述べています。


そういわれると、何やらゾクゾクしたものを感じてきます。

私は、神護寺薬師像や楊柳寺の観音像、孝恩寺の仏像などなどを拝していると、「強烈な磁気で吸い寄せられてしまう」ようになります。

気迫勝負と云って良いような「発散するオーラ」に理屈抜きの迫力を感じてしまいます。

兵庫・楊柳寺十一面観音立像........兵庫・楊柳寺楊柳観音立像
兵庫・楊柳寺 十一面観音立像             兵庫・楊柳寺 楊柳観音立像


大阪・孝恩寺跋難陀竜王立像.....古密教15十一面観音立像
大阪・孝恩寺 跋難陀竜王立像             大阪・孝恩寺 十一面観音立像

そして最近は、この手の仏像を観て廻れば廻るほどに、その不思議な魅力に憑りつかれ気味で、益々惹き込まれてしまっているというわけです。



この続きの【その2】では、
私の「井上ワールド」との出会いや、井上説とその仏像をやさしく知ることが出来る単行本、雑誌などを、ご紹介していきたいと思います。