観仏日々帖

古仏探訪~兵庫・多可郡 楊柳寺 楊柳観音・十一面観音像(その2)


次は、楊柳寺・十一面観音像についてのご紹介です。


楊柳寺・十一面観音立像.........楊柳寺・十一面観音立像


頭のてっぺんからつま先まで、身体全体に「気」を漲らせています。
その漲らせた「気」を、そのひん曲がった唇から吐きつけているようです。
像の前で拝すると、圧倒的に押し寄せてくる「気」に押し倒されてしまいようになります。思わず後ずさりしてしまいそうです。

「霊威みなぎる像」とでもいうのでしょうか。


楊柳寺・十一面観音立像顔部.....楊柳寺・十一面観音立像顔部
十一面観音立像・顔部    .

この像は、内陣の右手の厨子の中に一躯だけ祀られています。

7年前に拝した時には、この本堂が修理中のため、内陣内の仏像は全て隣の阿弥陀堂に写されて仮安置されていました。
その時、この十一面観音像のお顔を、目と鼻の先というか、目と目を付け合わせるほどの間近で拝することが出来ました。
本堂の御本尊をはじめとした諸仏が並んで安置されている中で、1躯だけ強烈な「気」を発散させていたのがこの十一面観音像でした。
そのオーラというか、強烈なインパクトは、その後ずっと忘れられないものになっていました。

地方へ出かけると、強く印象が残る仏像に出会うことがあります。
しばらくの年月を置いて再訪し、その仏像に再会すると、初対面のときの迫力やインパクトを感じなくなってしまうことが良くあります。
「どうして、この仏像にそんなに惹かれたのだろうか?」
と、がっかりしてしまうのです。

はじめて出会った時の「想定外の意外性、第一印象効果」とでもいうものだと思います。

今回、この十一面観音像に二度目の対面をする時、

「ひょっとしたら、かつて感じたほどの強烈な印象を感じないのではないか?」
「意外に、ちょっと気抜けしてしなうのでなないだろうか?」

そんな気持ちを抱きつつ、扉の開けられた厨子の中の像を拝したのです。
果たして、そんな懸念は全く無用でした。
十一面観音像は、やっぱり強烈な「気」を身体全体から変わりなく発散させていました。


楊柳寺には、御本尊・楊柳観音のほかに、平安古仏が6躯あります。

本堂の十一面観音像3躯と、奥の院の千手観音像、両脇の不動明王像・毘沙門天像で、いずれも県指定文化財に指定されています。
ここで採り上げた十一面観音像の以外の5躯は、穏やかな造型表現で、いかにも平安中後期の仏像を思わせます。
10世紀末から11世紀の制作と云われています。

楊柳寺・千手観音像(奥の院)
楊柳寺・千手観音立像(奥の院)


楊柳寺・十一面観音立像(本尊厨子内).....楊柳寺十一面観音像(本尊厨子内)
本尊楊柳観音厨子内に脇侍として安置される2躯の十一面観音像         .


この十一面観音像だけが、これらの諸仏と全く異質の、強烈な「気」を漂わせた特異な仏像です。
実は、この像は楊柳寺本来の仏像ではなく、いずれの時にか、どこかの寺から楊柳寺に移されてきた「客仏」と云われています。

こんな「霊威みなぎる仏像」を祀っていたお寺は、どのような由緒の寺であったのでしょうか?

楊柳寺・十一面観音立像.......楊柳寺・十一面観音立像
客仏として安置されている霊威みなぎる十一面観音像         .


十一面観音像の姿を、今一度、拝してみたいと思います。
楊柳寺・十一面観音像衣文
本像は半等身大(125.3㎝)の立像で、蓮肉までカヤの一材で彫り出し、内刳りはされていません。
9世紀、平安前期制作の像と云われています。

全面に黄土を施した、黄彩檀色像だそうです。
造形は、「歪んでいる」という言葉がそのまま当てはまります。
頭部の正中線と脚間の正中が外れて歪んでいます。突き出た口唇もまた、ひん曲がっています。
衣文は鋭い鎬をもち、荒々しく深く抉り出しています。しつこくくどいと云って良いような衣文表現です。
身体全面には、刀痕を残して仕上げられています。

「精神性を内に秘めた」という像ではありません。
「強烈な精神性」を目一杯、これでもかと表に発散させる造形表現です。
彫像としての出来の良さということでは、一歩二歩譲るのかもしれませんが、強烈な「霊威」「気」を発散させる造形になっているのだと思います。

この仏像の、みなぎるような「霊威」の発散は、三重・観菩提寺の十一面観音像や、奈良・霊山寺の十一面観音像を思い起こさせるものがあります。

観菩提寺十一面観音像.....観菩提寺十一面観音像顔部
三重・観菩提寺十一面観音立像         .


霊山寺十一面観音像.....霊山寺十一面観音像顔部
奈良・霊山寺十一面観音立像         .

私は、このような
「気迫勝負!」
と云って良いような仏像に、強く惹かれるものがあり、魅力を感じています。
アクが強いというのか、デフォルメにすぎるというのか、どこか破綻したような造形ですが、それがまた心に深く突き刺さる、強烈なインパクトを与えるのではないのでしょうか?


久しぶりに訪れた、播磨・楊柳寺。
楊柳観音像と十一面観音像は、やはり
「興味をそそられ気になる仏像であり、惹きつけられる仏像」
でありました。

なかなか訪れにくいところに在る古寺・古仏ですが、「来てみてよかった」そんな満足感を抱きつつ、楊柳寺を後にしました。

(なお、掲載写真については、出版物、多可町・那珂ふれあい館HPから転載させていただきました。)


古仏探訪~兵庫・多可郡 楊柳寺 楊柳観音・十一面観音像(その1)


播磨、楊柳寺には、

「大変気になる仏像、惹きつけられる仏像」

が、2躯あります。

1躯は、不可思議な仏像だが、その存在感がなんとも気になる「楊柳観音立像」。
もう1躯は、吐きつける霊気に思わず後ずさりしてしまいそうな、「十一面観音立像」です。

楊柳観音立像.....十一面観音立像
楊柳観音立像                        十一面観音立像      .


この2躯の仏像を初めて拝したのは、今から7年ほど前のことになります。
その時、2つの仏像から受けたインパクトは結構強烈なものがあり、それ以来、ちょっと大げさに言うと、「頭にこびりついて離れない仏像」なのです。


今回、鶴林寺秘仏御開帳に播磨を訪れることになりましたので、どうしても又この仏像を拝したくなり、楊柳寺をまで足を延ばしました。

楊柳寺は、多可郡多可町八千代区大和という処にあり、加古川・鶴林寺から北に約25キロ、車で1時間ぐらいのところにあります。

柳山楊柳寺は天台宗の山寺で、地元では「柳の観音さん」と呼ばれています。
寺伝によると、白雉2年(651)インドより来朝した法道上人の開創といい、法道仙人が山麓の柳の大木から光りを放っている菩薩を見つけ、その尊像を柳の木に刻んだという故事があることから、山号を柳山と称するそうです。

この南播磨の地は、法道上人開基と伝える寺々が数多く存在しています。
有名な法華山・一乗寺をはじめ、朝光寺、光明寺などは古刹として知られています。
楊柳寺も、この法道上人開基伝説を持つ古寺の一つです。
法道上人は架空の人物であったという説もあるようですが、この地に奈良時代以前に開基された古い歴史を持つ寺々が存在することは間違いないようです。

仁王門....楊柳寺解説看板
仁王門                            楊柳寺解説看板    .

楊柳寺をめざすと、目印とも云える立派な仁王門が眼に入ってきます。
この仁王門をくぐり、参道の急な石段を登ってしばらく行くと杉木立の合間に楊柳寺本堂が見えてきます。

参道石段..本堂
参道石段                                  本堂 

老住職のご案内で、本堂内陣に上げてもらいました。内陣
御本尊は、普段は秘仏として厨子が閉じられています。

ご住職の般若心経の読経に共に掌を合せた後、いよいよ厨子を開いてのご拝観です。
お厨子の扉は我々が立ち上がった目の高さよりもまだ高いところにあり、ご住職が梯子をかけ厨子まで登って、扉を開いていただきました。


本尊厨子安置仏像
本尊厨子安置仏像

お厨子の中には、御本尊の楊柳観音像(像高183㎝)、両脇には二躯の十一面観音像が祀られています。
楊柳観音像は、ご覧のとおりの不思議な仏像です。
この像容を、どのように言葉で表現したらよいのか困ってしまうのですが、

「なんだ、この仏像は? 地方仏には変わった仏像もあるね」

というふうに捨て置いてしまえない、「得も言われぬ存在感」を私は感じてしまうのです。
そこに漂わせている空気に「神秘的な存在感」と強く感じるのです。


楊柳観音像......楊柳観音像

その不思議な像容は、我々が勉強した日本仏教彫刻史の世界で、何時頃の制作の仏像かを考えようとすると、よくわからなくなってしまいます。
杏仁形の眼やアーケイックスマイルを思わせる唇、品字状に似た腹部に垂れる条帛端の衣文、平面的な造形表現、といった特徴は、飛鳥白鳳仏の特徴を思い起こさせます。
一方で、異常に胴長で身体バランスは崩れていますし、ボリューム感も扁平という感じで彫口もあまり鋭くありません。
彫刻の出来としては、如何か?と、首をかしげるちょっと変な仏像です。


楊柳観音像..............楊柳観音像・側面

ごく普通に考えれば、
「平安時代に、飛鳥白鳳仏の古様を倣って制作された地方的作例」
というふうになるのでしょうか?

造形バランスも良くなく、彫技も今一歩の模古的な作例ということになるのでしょう。

実は、楊柳寺には7躯の平安古仏が遺されていますが、他の6躯が県指定文化財に指定されているのにもかかわらず、この楊柳観音像だけが指定されていません。
楊柳観音像は、かろうじて多可町指定文化財に指定されているだけです。
この文化財指定状況を見ても、この仏像の不可思議さと評価の難しさを物語っているようです。

しかし、この楊柳観音像は、文化財指定でも一段ランクの落ちる彫刻の仏像としてしまうのには、私は違和感を覚えてしまうのです。
繰り返しになりますが、
造形上の出来の良し悪しを超えた、「不思議な存在感」「神秘的な存在感」を感じてしまうのです。
オーラとでもいうのでしょうか?

ところで、この仏像、どのように見られているのでしょうか?
この像について論じた人はほとんどないようですが、コメントされたものをピックアップしてみました。

兵庫の仏像に詳しい神戸佳文氏(兵庫県立歴史博物館学芸課長)は、


「本尊は楊柳観音とされる立像で、内刳りのないカヤの一木造りである。
条帛や裳の折り返しにすこぶる古様を見せ、古仏を写した平安中期の作と考えられる。」
(兵庫県南部の仏像~「仏像を旅する~山陽線」所収)

楊柳観音像地方仏探訪、紹介で多くの著作のある丸山尚一氏は、このように述べています。

「カヤの一木彫り、銀杏形の眼、突き出た唇、やはり不思議な表情である。
胴長で腰下が短く均整のとれた像ではないが、それでいてどんとした安定感がある。
拝しながら、円空の像が浮かんだ。円空が飛鳥仏に出会ったあとにつくった一連の像である。
この像にも、丸彫りの意識より、平板に、レリーフ的に処理しようとする作者の意図が明確にある、と思った。
しかし、この像が平安期より早く造られたものかどうか、やはり明確な答えは出てこない。」
(「地方の仏たち~近畿編」所収)


この楊柳寺の仏像に注目し、いくつかの研究論考を発表されているのは、井上正氏です。
井上氏は、本像の「古様さと神秘性」に着目し、上代の古密教彫像の一例としてとらえています。
法道上人が白雉2年(651)に開基したという楊柳寺の寺伝を信頼し、楊柳観音像はその頃、即ち飛鳥白鳳時代に制作されたものと考え得るという、誠に大胆な説を発表しています。

井上氏は、このように論じています。

楊柳観音像・頭部
「不可思議な印象をもつ像である。
異様に丈高い天冠台の下に、何かに驚いたような表情の顔がある。
よく見ると、鼻や唇が鋭く突き出る神秘相だ。
全体のプロポーションはがたがたである。胴と大腿部が異様に長く、これに接する胸と足脛部とがつまってみえる。

ギリシア・ローマ的な彫塑観からすれば、まさに『愚作』といってもさしつかえない。
そのことを容認した上で、全体をつつむ神秘感は、西欧古典のそれにはみることのできない異質な世界へわれわれを導くこともまた認めねばならない。

これは、法隆寺夢殿救世観音と共通するものを感じさせる世界だ。

楊柳観音像・顔部彼においてはすべての造型が神秘の美におもむくが、ここでは一種の不協和がよどむ。
造型上の欠陥は指摘できるが、それを矯正したからとてどうだというのだろう。
常識的な美学のようなものは霊威の観音を支配する資格はない~そう主張しているように
さえ思える。」

「こうして、本例の様式年代は、ほぼ飛鳥~白鳳の間に設定することができるように思う。
飛鳥様式の名残が各所に認められ、・・・・・・インド的な新様式の影響がまったく見られない点からすると、法道仙人の自刻の寺伝はとも角としても、白雄2年(651)創立の伝えは、きわめて自然に、本像の製作時期を物語っているように思われるのだがどうであろうか。」
(「古仏~彫像のイコノロジー」所収)

この像の特異性を、鋭く追及した論考です。

いずれの考え方が妥当なのかどうかは、私にはわかりませんが、丸山氏も、井上氏も、この楊柳観音像には、「不思議な神秘性や、惹きつける魅力」を感じさせるものがあると強く感じられています。
私も、そのように感じます。


私は、この像がカヤの一木彫で蓮肉まで一材から彫り出されていることもあり、平安前期をあまり下らぬ頃に造られた仏像なのではないかと思っていますが、造形的なバランスをこれだけ崩しながらも、ただならぬ存在感や神秘性を漂わせているワケ・そのオーラの源は、どこにあるのでしょうか?

今回も、見上げる厨子の中に佇む楊柳観音像を、何度も何度も食い入るように見つめながら、「不可思議な仏像だが、その存在感がなんとも気になる仏像」という思いを新たにしました。


楊柳観音像と同じような飛鳥時代の古様を留める不思議な仏像に、一度だけ出会ったことがあります。

滋賀県草津市にある「川原観音堂の十一面観音立像」です。

ヒノキの一木彫ですが、なんとも不思議な仏像です。
楊柳観音像と同様、制作された時代が想定しにくい変わった仏像です。
楊柳観音像を拝していると、どうしても、かつて拝したこの観音像のことが頭に浮かんできます。
川原観音堂十一面観音立像
川原観音堂十一面観音立像

この観音さまは、和銅4年(711)勧進の天神社の本地仏として伝えられたもので、川原十人衆と呼ばれる地元の方々に、大切に守られて祀られています。
草津市の「市指定文化財」になっています。

川原観音堂に赴き、観音さまを拝した時も、不思議な感覚におそわれました。
飛鳥時代の仏像の特徴にみられるような姿かたちに倣ったような造形です。
写真をご覧になれれば感じられると思いますが、決してすぐれた造形ではないけれども、特異な古様をとどめています。
何とも言えない違和感と、そこに漂う存在感のようなものでした。

ただ、楊柳観音像から漂うオーラとかインパクトのようなものは、さほど感じなかったのも事実です。

川原観音堂十一面観音立像・側面............川原観音堂十一面観音立像・背面

近江の仏像研究で知られる高梨純次氏は、本像が出展された「近江路の観音さま展」図録の解説で、このように述べています。


「県内に伝わる、数多くの尊像の中でも、抜群の個性を誇り、合理的な解釈を拒否している。
本像と近い作例を無心に探るならば、あるいはその卵形の顔の輪郭や扁平な側面観からして、法隆寺夢殿救世観音像などもあげられよう。

また説かれているように、『刀に心得のある僧侶などによって十二世紀後半に造像』とする解釈も現れよう。・・・・・・・・・・

来迎寺像(滋賀県野洲市・来迎寺聖観音像)は9世紀初頭の作とみられるが、本像も同じころに造像された可能性が大きい。・・・・・・・・
来迎寺像より乏しい前後の奥行などからして、古像に準拠している可能性もあり、少し遡っての年代を設定するべきかもしれない。
一層の検討を要しよう。」


私は、この二躯の観音像の他には、似たような古仏に出会ったことはありません。
2躯共に、「不可思議な仏像」と云って良いのだと思います。
しかし、いずれの像も、なんとも言えない違和感と存在感を漂わせています。
平安時代前期頃には、このような飛鳥白鳳期の古様を模した木彫像が造られることがあったのでしょうか?


謎の仏像と云って良いのかもしれません。
気になる仏像、興味をそそられる仏像です。

〈続く〉


(なお、掲載写真については、出版物、多可町・那珂ふれあい館HPから転載させていただきました。)