観仏日々帖

あれこれ~新連載 「近代『仏像発見物語』をたどって」 が、スタートします  【2019.9.30】


明治以降に新発見された、主な国宝重文級の仏像の、発見当時のいきさつなどをたどる物語を「近代『仏像発見物語』をたどって」と題して、スタートさせていただくことにしました。



神奈川仏教文化研究所HP「古仏愛好」ページの連載読み物として、掲載いたします。

仏像発見物語表紙

「近代『仏像発見物語』をたどって」    【目次】    【はじめに】



以前、HPに、近代の「仏像盗難物語」を連載させていただいたことがありました。

【埃まみれの書棚から~第29話「奈良の仏像盗難ものがたり」


盗難物語でも、発見物語でも、そうなのですが、当時のいきさつをたどった話は、仏像愛好者にとっては、結構、知的興味をくすぐるものです。
ただの蘊蓄話と云ってしまえば、それまでなのですが、ノンフィクション・ドキュメントを読んでいるようで、理屈抜きに面白いものです。

そんな面白さもあって、これまで「観仏日々帖」に、私の関心のある「仏像発見物語」を、ご紹介してきました。

最初に掲載したのは、
「興福寺仏頭展によせて・・・「仏頭発見記」をたどる」(2013.11)
という、興福寺・仏頭の発見物語でしたが、
書き連ねていると、随分な数になるもので、数えてみると10篇余にもなりました。

そこで、【神奈川仏教文化研究所HP】に掲載する、連載記事ネタも無いので、「観仏日々帖」に掲載した発見物語をまとめて、
「近代『仏像発見物語』をたどって」
と題して、HPの連載ネタに転用してやろうと思いつきました。

再掲にはなるのですが、一括してまとめると、ご覧いただいている皆さんにも、仏像発見物語を一覧でみることが出来て、お役にも立つのではないかとも考えたのです。


再掲にあたって、これまで採り上げた「仏像発見物語」を振り返ってみると、最も重要な発見物語が二つ漏れていることに気が付きました。

一つは、法隆寺夢殿の救世観音像の発見物語です。

もう一つは、運慶作品の発見物語です。

この二つの発見物語が入っていないと、「近代『仏像発見物語』をたどって」という題名の連載は、看板倒れでお恥ずかしいということになってしまいます。


そこで、連載開始のスタートテーマは、新稿の「運慶仏発見物語」とすることに決めました。

書き始めてはみたものの、明治以降の「運慶仏発見物語」をたどるというのは、正直な処、思いのほかに骨の折れる道程でした。
私は、もともと鎌倉彫刻は、興味関心度が低いというか、苦手分野でしたので、運慶作品の発見史という世界も、詳しいことは何も知りませんでした。
一から運慶の本を読んでみたりして、エッチラオッチラおぼつかない勉強をしながら、発見物語を調べてみたという処です。
いろいろな資料を漁って、初めて知った話をやっとのことでつなぎ合わせて、近代運慶仏発見物語の体裁を整えたというのが実情です。
結構長い連載物になってしまいましたが、中身は消化不良ということでお赦し下さい。


近代運慶仏発見物語をたどっていくと、
「それぞれの運慶仏の発見が、それまでの運慶の作風の考え方や展開論に、新たな問題を提起したり、定説を覆したりすることの連続」
で、大変興味深く、深く考えさせられるものがありました。

ご存じのことも多いかと思いますが、お愉しみいただければ有難き限りです。


もう一つの、法隆寺夢殿・救世観音像の発見物語は、超有名な話で、諸書に丁寧に紹介されているので、今更ご紹介しても目新しくも何でもないのですが、外すわけにはいかないので、これから書き足してみようかなと思っています。


新稿の「運慶仏発見物語」から、旧稿再掲の10余編の「仏像発見物語」を全部併せれば、明治から現代までの主要な仏像発見物語を、ほぼ一通りご紹介できるのではないかと思います。
(快慶仏発見物語が抜けているのですが、これは私には歯が立ちそうにありませんので、ご容赦ください)


仏像発見物語というのは、単なる蘊蓄話とは違って、新たな発見が、従来の仏教美術史の考え方や様式展開論の定説を覆したり、新たな問題提起となることも多々あり、大変興味深いものがあります。

お愉しみいただき、お役に立てば何よりです。



あれこれ~「観仏日々帖」おかげさまで100回を超えました  【2016.1.5】


新年、あけまして、おめでとうございます。

「観仏日々帖」ご覧いただき、ありがとうございます。
今年も、何卒よろしくお願いいたします。


取り立てて、お知らせするほどの話でも何でもないのですが、「観仏日々帖」に記事掲載が、100回の大台を超えました。
昨年末の掲載記事「2015年・今年の観仏を振り返って〈その4〉」で、101回目となりました。

過去、101回の掲載記事は、「観仏日々帖・総目次」をご覧いただければと思います。

総目次をご覧いただければお判りのように、2012年4月に第1回をスタートしました。
3年9ヶ月間で、100回の記事を掲載させていただいたことになります。
原則2週間に一度の記事掲載を心掛けているのですが、ほぼそのペースを守ってこられたようです。

この観仏日々帖、いわゆる仏像案内、仏像随筆に飽き足らなくなった仏像愛好の方々に、

「こんな見どころのある、知られざる仏像もあったのか!」
「仏像にまつわる、こんな話、エピソードもあったのか!」
「こんな興味深い、仏像についての本が出ていたのか!」

そんな風に、感じていただける話を、気ままに、思いつくままに綴っていければと思って、
「古仏探訪」「トピックス」「新刊旧刊案内」という標題で、掲載させていただいています。

どれほどに、皆さんにご満足いただけているのか、はなはだ疑問というところなのかもしれませんが、筆者本人は、仏像好きにはそれなりに興味深く、面白い話を掲載できているのではないかと、自己満足的に納得しています。


100回の話を振り返ってみて、「思い出深い記事、BEST3!」を、勝手に選んでみました。

一つ目は、第24・25回
鑑真和上坐像の御身代わり模像の制作を巡る話 【その1】   【その2】
です。

鑑真和上坐像の模造像
鑑真和上坐像の模造像
唐招提寺・鑑真和上像の模造制作が、美術院で行われた際に判明した新事実などを、ご紹介した話です。

像の制作技法などが、我が国の脱活乾漆像制作技法上類例がないものであることが、明らかになったのです。
これにより、鑑真像は、唐渡来の弟子たちによって制作された可能性が考えられ、「唐大和上東征伝」に伝える、生前に弟子たちが懸命に克明に師・和上の姿を写しとったという話も、一面、真実なのかも知れないというものです。
艱難辛苦の上に日本に渡来し、その生涯を終えた鑑真和上を慕う、唐渡来の弟子たちが、中国の高僧を祀る真身像や加漆肉身像の思想を背景に、異常なまでの写実に徹し、生くるが如き鑑真像を造立したのかもしれないという、浪漫に満ちた空想をかきたてるものになりました。


二つ目は、第36・38回
秋田県大仙市 小沼神社・観音菩薩像 【その1】   【その2】
です。

七夕の7月7日、秋田・大仙市にある小沼神社を訪れ、2躯の観音菩薩像を拝したときの話です。

鬱蒼とした杉林のなか、突然眼の前に開けた空間が出現し、そこには緑色の小沼が水をたたえています。
沼の向こう側には、小さな社殿がひとつ、ポツリと静かに佇んでいます。
この社殿に祀られる平安古仏を、女性の宮司さんによるご開帳の儀のなかで、拝することが出来ました。

小沼のほとりに佇む小沼神社.小沼神社社殿でのご開帳の儀
小沼のほとりに佇む小沼神社と社殿でのご開帳の儀

小沼のほとりに佇む小さな社殿に祀られた、2体の観音像を拝したとき、
「心洗われる」   「心揺さぶられる」
という言葉が、本当にそのままあてはまるような思いに浸ることができました。
感性や感受性が鈍くなってきている昨今、久々の感動でした。


三つ目は、第78・79回
立山神像の数奇な物語を振り返る・重文指定名称変更によせて 【その1】   【その2】
です。

立山博物館の帝釈天像(旧呼称:立山神像)
立山博物館の帝釈天像
(旧呼称:立山神像)
去年(2015年)、立山博物館の銅像・立山神像の文化財指定名称が、帝釈天像に変更されました。
像刻銘の科学的調査、研究などの結果、帝釈天像であることが明らかになったことによるものです。
この立山神像が、立山の地を離れてから、里帰りを果たすまでの、数奇な物語を振り返ってみた話です。

立山山頂に祀られていたといわれる立山神像は、明治の廃仏毀釈以来、立山の地を離れ、流転の道をたどり、昭和42年、海外に流出する運命であった直前、富山県に買い戻されるというドラマチックな里帰り物語となったのです。
この像が、里帰りできたのは、重要美術品指定の時(1940年)、「立山神像」と名付けられたことにより、富山県のシンボル的な像との思い入れがあったからです。

「帝釈天像ではなく『立山神像』という名称がつけられたことに、むしろ感謝しなければいけないのかもしれない?」

そんな感慨に浸る、物語でした。


以上の3つの話が、私の思い出深いベスト3です。
皆様のご感想は、如何でしょうか?


2週間ごとに、ちょっとまとまった話を掲載するのを継続するというのも、やってみると、関係資料の確認やらなにやら結構大変で、手間のかかることでした。
よく続いているなと、思ったりもします。
「そんなこと云って、ぼやくのなら、やらなければよい。」
といわれてしまいそうですが、
やはり好きな世界、しんどさより、たのしさのほうが勝っているようです。

ついでにいえば、記事にして掲載するというのは、自分自身にとって大変勉強になり、レベルアップになるもので、自己研鑽効果抜群という副次的効果を生んでおり、有難いことです。

今年は、「古仏探訪」の話を、もう少し増やしていくつもりです。
これからも、皆さんのご関心のありそうな、面白そうな、仏像についての話を掲載していくことが出来ればと思っておりますので、よろしくお願いします。


「これからも、この『観仏日々帖』、見てやってもいいな!」

と思われる方は、

景気づけに、元気よく、この下の「拍手ボタン」をクリックいただけるでしょうか。

その気になって、励みになりますので・・・・・


あれこれ~中国石窟探訪旅行記「中国河北省・山東省の古仏を訪ねて」連載スタート 【2015.10.10】


沼田保男さんの中国石窟・石仏探訪旅行記の第3弾、

「中国河北省・山東省の古仏を訪ねて」

の連載が、神奈川仏教文化研究所HPでスタートします。

中国河北省・山東省の古仏を訪ねて・表紙

毎週、8回連載で掲載させていただく予定です。

沼田さんは、ここ数年、我国の古代仏像のルーツを求めて、精力的に中国石窟を探訪されています。
これまでに、
中国五大石窟~敦煌莫高窟、雲崗石窟、龍門石窟、麦積山石窟、炳霊寺石窟~
の全踏破、探訪を果たされました。

中国石窟探訪の中で培われた、中国古代仏像についての造詣の深さには、並々ならぬものがあります。
こうした知見を生かし、飛鳥白鳳の小金銅仏について、造形のルーツや中国仏像様式の伝播などを考察した
「法隆寺献納宝物と『四十八体仏』について」
と題する論考を執筆され、今年(2015年)1~4月に、神奈川仏教文化研究所HPに掲載させていただきました。
皆さん、興味深く愉しくご覧いただいたことと思います。


今回スタートする連載は、沼田さんが同好の方少人数で、河北省・山東省の石窟、博物館などを、昨年8~9月に探訪旅行された時の旅行記です

・河北省、山東省に点在する、南北響堂山石窟、神通寺千仏崖石窟、駝山石窟など主要な石窟の探訪、

・近年、青洲龍興寺遺跡から発掘され、「飛鳥仏の面影」を漂わせるといわれる数百体の古代石仏像を展示する青洲市博物館訪問

などを、主なターゲットにした探訪旅行であったそうです。

少人数でじっくり訪れた旅行記は、興味深く、読み応えがあります。
私も、ついつい惹き込まれて、自ら現地を訪ねているような気持ちになって、読ませていただきました。
ツァーなどでは訪ねることのない中国石窟の数々の探訪記と、沼田さんならではの造詣で綴られた旅行記を、是非お愉しみください。


これまで、神奈川仏教文化研究所HPに掲載している中国石窟に関連する連載記事は、沼田さんの旅行記をはじめとして、次のようなものがあります。

中国石窟にご関心のある方には、ご参考になろうかと思います。
今回の新連載と共に、もう一度振り返っていただければ、有難く思います。

中国山西省 雲岡石窟・古寺・古仏 感動の旅(2010)   沼田保男氏執筆
沼田さんの中国石窟探訪旅行記、第一弾です。
雲岡石窟、天竜山石窟など、山西省の古寺・古仏を巡る旅の記録です。
雲岡石窟・各窟の石仏の有様や美しさが、沼田さんの眼を通じて、細やかに鮮やかに綴られています。

黄河上流域 遥かなる石窟の旅(2011)   沼田保男氏執筆
沼田さんの中国石窟探訪旅行記、第二弾です。
五大石窟とも称せられる麦積山石窟、炳霊寺石窟をはじめ、大像山石窟、須弥山石窟、王母宮石窟、南北石窟寺などの探訪記です。
西域と中原を結ぶシルクロードの玄関口に近いエリアの10箇所の石窟を巡ります。

雲崗・鞏県・龍門石窟道中記   高見徹氏執筆
本HPの創設者・前管理人の故高見徹さんが、2006年に、雲崗・鞏県・龍門三石窟を巡ったときの探訪記です。

中国洛陽石窟道中記(H22) 高見徹氏執筆
故高見徹さんが、2010年に、鞏県・龍門石窟を再訪するとともに、洛陽の博物館などを巡った時の旅行記です。

埃まみれの書棚から
中国三大石窟を巡る人々をたどる本   《その1》敦煌石窟編
中国三大石窟を巡る人々をたどる本   《その2》雲 岡・龍門石窟編

敦煌・雲崗・龍門・天龍山石窟についての近代の歴史物語です。
探検家や学者による石窟の発見、経典など古文書の海外流出や石仏の盗掘・海外流出、その後の保存事業など、近代から現代に至るこれらの石窟の歴史と、それを巡る人々を物語風にたどった読み物です。
関連する本も、数多く紹介しています。


是非、ご覧ください。

あれこれ~「埃まみれの書棚から」連載、ここらで一区切り 【2015.9.26】


「埃まみれの書棚から」表紙


こんなに長らく連載を続けることが出来ようとは、夢にも思っていませんでした。

神奈川仏教文化研究所HPの「埃まみれの書棚から」は、9月12日掲載の「明治の仏像模造と修理【修理編】第13回・最終回」で、なんと連載222回を迎えました。

丁度、【数字の2並び】でキリがいいからという訳ではないのですが、この辺で「埃まみれの書棚から」の連載も、一区切りにさせて頂くこととしました。

文章を書き綴るのにちょっと疲れてきたというのもあるのですが、そろそろ「ネタ切れ」というのが本音のところです。


振り返ると、この連載を神奈川仏教文化研究所のHPに掲載を始めさせていただいたのが、平成15年(2003)の12月のことです。
早いもので、ほぼ12年間、連載を続けさせていただいたことになります。
2週間に1度の掲載ペースでしたが、200回を超えるまでになりました。

この連載を始めるきっかけは、第1回「まえがきにかえて」に書かせていただきましたが、旧友で、この神奈川仏教文化研究所HPの創設者である故高見徹さんから、

「仏像の思い出話でも書いて載せませんか」

と頼まれ、

「小遣いで買い貯めた仏像本の紹介ぐらいならできるかな?」
「とりあえず2~3回は頑張ってみたい、と思っております。」

という断り書きをつけて、
所蔵本のご紹介のつもりで、書き始めたものでした。

我ながら、良く続いたものだと、感心しております。

人の目にさらす文章を書くというのも初めてで、本当にぎこちなく綴り始めたのですが、そのうち段々と興が乗ってきて、図に乗ってきて、気がつくと、「第32話」まで来てしまいました。

書き連ねた「32話」のテーマについては、「埃まみれの書棚から【目次】」を、見てやっていただければと存じます。

ご覧のような話を、書いてきました。
関連本も、数多くご紹介できました。

読者の方は数少なかったと思うのですが、ご覧いただいていた皆さんは、お愉しみいただけましたでしょうか?

「一般的な本では採り上げていない、面白いテーマを!」

「ちょっとマニアックだが、仏像好き、奈良好きには興味津々なテーマを!」

という題材選びに、心がけてきたつもりです。

そんな主旨からは、ここしばらく連載させていただいている、
「近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま」
と題した、九つのテーマが、私なりには、一番、皆さんにご紹介してみたかった話であったのかと思います。
ちょっとマニアックなテーマばかりだっただけに、細かい話にこだわり過ぎたような気もしています。
「ダラダラ、飽き飽き」という話に、我慢してよくお付き合いいただいたものと、感謝しております。

連載の中で、一つでも二つでも、皆さんのご関心を惹くような、少しでもお役にたてるような話がありましたなら、「埃まみれの書棚からも」も掲載させていただいた甲斐があったものと思っています。
また、
「こんな本もあったのか!  一度読んでみるか!」
という本が一冊でもご紹介できたのなら、これまた有難い話です。

ただ、それよりも何よりも、
「自分自身が、本当に勉強になったなあ。知識を深めることが出来たなあ。」
というのが、正直な実感です。

皆さんにご覧いただく文章を書くために、いくつもの本を知ったり読み返してみたり、資料にあたってみたりしたことが、本当にいい勉強になりました。


まだまだ、連載を続けて行ければ良いのですが、もうタネ切れ、ネタ切れでお手上げという処です。
「一般の本になかなか取り上げていない、面白い話のご紹介」
というテーマ設定でが出来そうな、私の箪笥の引き出しも、そろそろ空になってきました。

ご紹介してみたいテーマも、まだまだ無いわけではないのですが、自身の知識不足、勉強不足で、叶いません。
しばらく、充電期間を置かせて頂き、連載ネタが用意できるようになりましたら、再開
させていただければと思います。

とりあえず「一区切り」ということに致します。
これまで愛読いただいた皆さん、本当に有難うございました。


連載再開、期待しないで、お待ちください。

誰も、期待していないと思いますが・・・・・・・・・・・


あれこれ~HP「古仏愛好」ページの新設と、新連載「献納宝物と四八体仏」スタート


神奈川仏教文化研究所HPをご覧いただき、有難うございます。

新しき年の初めに、新しき二つの事をスタートさせました。

一つ目は、
HPトップページのテーマ区分に、「古仏愛好」というテーマを新たに設けました。

「古仏愛好」タイトル

これまで、「仏像探訪旅行記・仏像紹介記事・仏像関係読み物」などなどは、全部「古仏礼賛」というテーマの区分に、まとめて掲載していました。

掲載記事も相当量になってきましたので、これからは「古仏礼賛」「古仏愛好」の二つのテーマに分けて掲載させていただくこととしました。

「古仏礼賛」には、古仏探訪旅行記、地方仏などの古仏紹介記事を掲載いたします。

■新設の「古仏愛好」には、仏像愛好の連載読み物・随想や論考を掲載していくこととしました。

連載「埃まみれの書棚から」は「古仏礼賛」から、「若き日の情熱」は「アラカルト」から、それぞれ「古仏愛好」に引っ越ししました。


余談になりますが、「若き日の情熱」と題して掲載している文章は、前管理人や現管理人の私などが、学生時代に作った、「仏像」と題する冊子を掲載したものです。

若き日の情熱・「仏像」冊子
学生時代に同好の皆で作った冊子「仏像」

今から45年も前に、同好会の学生達で造ったもので、前管理人がノスタルジーもあって掲載したものです。

思い出しますと、当時、学部の勉強はそっちのけで、全国各地の地方仏めぐりに出かけたりして、仏教美術の世界にのめり込んでいました。
そして、ついつい調子に乗って、皆で作った自主研究??冊子が、この「仏像」です。

読み返してみても、未熟で青臭く、今では陳腐な内容ではありますが、当時の我々にとっては、古寺古仏探訪に情熱を注いだ学生時代の存在証明のような気持ちで、冊子を作ったような気がします。

あまりに古臭く、時代遅れの文章なので、この際、HPから削除しようかと思ったのですが、遠い日の懐かしい思い出の、「若き日の情熱」をしのんで、引き続き掲載させていただきました。



二つ目は、
新連載、「法隆寺献納宝物と『四十八体仏』について」~~【第1回】の掲載スタートです。

四十八体仏タイトル


執筆は、沼田保男氏です.

これまでに

「中国山西省 雲岡石窟・古寺・古仏 感動の旅(2010)」
「黄河上流域 遥かなる石窟の旅(2011)」

と題する中国石窟旅行記を、掲載いただいています。

新設「古仏愛好」のスタートを飾る読み物として、掲載させていただきました。

この読み物は、法隆寺献納宝物と「四十八体仏」について書かれた、愉しく読める論考です。

ご存じのとおり、法隆寺献納宝物は、明治11年(1878)、法隆寺が皇室に数多くの所蔵宝物を献納したもので、現在、東京国立博物館法隆寺宝物館に展示されています。
四十八体仏は、その根幹をなす古代小金銅仏群で、飛鳥白鳳仏教美術史上誠に貴重な文化財です。

この連載では、明治初年に法隆寺から皇室への宝物献納に至る、興味深い経緯を解き明かされるとともに、四十八体仏の造形上の特質と制作年代についての考察が、語られています。
筆者・沼田氏は、これまでに中国石窟探訪記事を掲載いただいているように、中国の古代仏像についての造詣が深い方です。
こうした識見を踏まえて、四十八体仏を造形タイプごとに分類し、中国、朝鮮仏との関連について言及されています。

「四十八体仏」献納の経緯、造形の特質、太子信仰との関連など、「四十八体仏」について、様々な多面的視点からトータルにまとめられた、大変興味深い読み物です。

これを読めば「法隆寺献納宝物と四十八体仏、まるわかり」といってよいかもしれません。

7回連載で掲載させていただきます、是非お愉しみください。

次のページ