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観仏日々帖

あれこれ~新連載「仏像をみる眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって」がスタートします  【2018.11.3】


近代仏像評価の変遷・タイトルページ


神奈川仏教文化研究所HP  「古仏愛好」ページで、

「仏像をみる眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって」

連載 第1回  【はじめに】


と題した連載を、新たにスタートさせていただくこととしました。


仏像が、「美術作品」「仏像彫刻」として観られるようになったのは、明治時代半ば頃のようです。
それから現代までの百年数十年の間に、優れた彫刻作品として評価された仏像が、どのように変遷していったかをたどってみようとする話です。

「近代仏像評価変遷史をたどる試み」  とでも云って良いのかもしれません。



最近「仏像と日本人-宗教と美の近現代」という本が、出版されました。

「仏像と日本人~宗教と美の近現代」 碧海寿広著 2018年7月 中公新書刊 


仏像と日本人

「近代仏像鑑賞概史」とも云える本で、大変興味深く読みました。

この本、いろいろな書評に採り上げられるなど話題を呼び、結構、売れ行きもよいようです。

明治維新以降、現代にいたるまで、近代日本における「仏像鑑賞の有様、移り変わり」を、文化財保護にかかわった人、仏像鑑賞する教養人、仏像写真家などからたどっていった本です。

岡倉天心、和辻哲郎、亀井勝一郎、土門拳、入江泰吉、白洲正子、みうらじゅんなど、時代時代に「仏像を観た人」が、どのような視点や感性で仏像を鑑賞したのかが論じられています。
これらの人たちが、「美術作品としての仏像」と「信仰の対象としての仏像」をどのような眼で捉え、どのような態度で接していったのかをたどることによって、美術と宗教のあいだで揺れ動く近代の仏像鑑賞の諸相が論じられています。


私も、明治以降の近代における古寺や仏像にまつわる話は、従来から関心が強いテーマです。

これまでも、
文化財保存の話、仏像修理・模造の話、仏像写真家の話、仏像新発見や盗難の話
などを「神奈川仏教文化研究所HP」・「観仏日々帖」などで、ご紹介してきたことがあります。

実は、一番興味があった話は

「明治以降、近代の仏像の評価は、どのようにうつろい、変遷していったのだろうか?」

というテーマでした。

現在、人気NO1の興福寺・阿修羅像は、明治時代にはほとんど評価されていなかったようですし、広隆寺の宝冠弥勒菩薩像もそのようです。
神護寺薬師如来像に代表される平安初期一木彫も、現在は、高い評価でその魅力が語られますが、明治大正期の評価は随分違ったものであったようです。
仏像の評価も時代と共にうつろっており、評価観、美のモノサシも時代々々の思潮、時代精神に大きく影響されているようです。

いわば「近代仏像評価変遷史」とでもいうものをたどってみるというのも、大変興味深いのではないだろうかと思い、このテーマについて、少しずつ調べてみたりしていました。

以前、「観仏日々帖」に、
「明治時代の美術史書にみる『仏像の評価』を振り返る」
と題して、明治時代の仏像評価の特質や変遷について、ふれさせていただいたこともあります。


「仏像と日本人~宗教と美の近現代」という本に触発された訳でもないのですが、丁度良い機会かと思い、思い切って、明治から現代までの仏像評価の変遷をたどる「近代仏像評価変遷史」を、

「仏像をみる眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって」

という連載に、まとめてみようという気になりました。


どんな話になりそうかということについては、「連載予定の目次」をまとめてみました。

近代仏像評価の変遷・目次


この目次、ご覧いただいて、如何でしょうか?
おおよそ、どんな内容の話になりそうなのかは、ご想像がつくのではないでしょうか。

かなりというか、相当にマニアックな話なので、皆さんのご関心があるのかどうか心持たないところですが、
「近代仏像評価の変遷と時代精神、思潮との関わり」
をたどっていくというのも、なかなか興味深いテーマなのではないかと思います。


実は、まとめるのに結構、手間と根気のいる作業でした。

20回以上の長い連載になり、資料やリストの羅列が続く、面白みの無い話が続きそうなのですが、辛抱してお付き合いいただければと思います。

あれこれ~中国石窟探訪旅行記 「中国 四川省 古仏探訪の旅」 連載スタート  【2018.8.25】


沼田保男氏の、中国石窟・石仏探訪旅行記の第4弾、

「中国 四川省 古仏探訪の旅」

の連載が、 神奈川仏教文化研究所HP でスタートします。


中国 四川省 古仏探訪の旅


毎週、全9回連載で掲載させていただきます。


前回掲載の第3弾「中国河北省・山東省の古仏を訪ねて」から、ほぼ3年ぶりの中国仏像旅行記となります。

沼田氏の、並大抵ではないマニアックな中国仏像石窟の探訪、踏破ぶりは、これまで掲載の中国石窟旅行記をご覧いただいても、お判りのとおりと思います。
今回の「四川省 古仏探訪の旅」は、それに輪をかけてという感じの、普通ではなかなか訪ねるのが難しい石窟寺の数々を訪ねます。

四川省の石窟とか仏像といわれても、皆さん、余りなじみがないのではないでしょうか?

私などは、四川方面といわれると、大足石刻、楽山大仏という巨大石仏、成都万仏寺出土の石仏といった名前を、かろうじて知っているというぐらいです。


沼田氏の今回の四川方面探訪は、四川博物院で開催された大規模仏像展「梵天東土展」を観ることも、大きな目的であったということですが、

石窟寺などは、

「皇澤寺、広元千仏崖、巴中南・西龕、閬中大仏、碧水寺摩崖仏、梓潼千仏崖、蒲江飛仙閣」

といったところを巡っています。

唐代を中心とした北魏時代からの石仏龕ということですが、私には、全く聞いたこともないところばかりです。

余程のツァーでも、まず訪れることはない処だと思います。
旅程を段取りして、スケジュール予約するのも、マニアックすぎて難しかったようです。


沼田氏自身も、探訪記の中で、

「四川省でもメインの観光地から離れたほとんど人の行かない地であったにもかかわらず、往復のフライトと初日の宿のみ予約し、その後はまさに“出たとこ勝負”という信じ難い旅であった。」

と、綴られています。

地元のタクシーでも、場所が判らないといったことも、折々あったようです。
こうした誰も訪れないような石窟寺を巡れることが出来たのは、事前のターゲット・リサーチと、中国在住のご友人と共にごく少人数で巡った旅であったからこそと思います。


四川地域の石窟、仏像については、近年になって、注目を浴びてきているようです。

ご存知の通り、四川地域は、中国南北朝時代では南朝エリアにあります。
仏像遺品が豊富な北朝に比べ、極端に遺品が少ない南朝にあって、近代になって四川地域から相次いで石仏遺品が出土していることが、「仏像様式の南北議論」を活発にしているようです。
しかしながら、四川地域の仏像は、単純に南朝様式文化エリアという訳ではなく、唐代に至るまで、多様なルートでの文化伝播ルートが想定されるなど、中国仏教彫刻愛好家にとっては、大変興味深い処のようです。

一方で、四川地域の仏像について採り上げて論じたりする本も、ほとんどなくて、私の知っている限りでは、

「仏教美術から見た四川地域」 (奈良美術研究所編、2007年・雄山閣刊)

ぐらいしか、無いように思います。

今回の探訪記に綴られた、諸々の石仏についての鑑賞記や写真画像なども、これまでの日本の中国彫刻についての出版物では、ほとんど採り上げられていないのではないでしょうか。


「四川省 古仏探訪の旅」をご覧いただいて、「知られざる四川地域の古仏像」について知っていただくと共に、沼田氏ならではの深い造詣で綴られた旅行記を、是非、お愉しみいただければと思います。



これまで掲載させていただいた、沼田保男氏の中国石窟旅行記は、次のとおりです。
併せて、お愉しみいただければと存じます。


中国山西省 雲岡石窟・古寺・古仏 感動の旅  (2010年) 

黄河上流域 遥かなる石窟の旅   (2011年)

中国河北省・山東省の古仏を訪ねて   (2015年)



あれこれ~「近代仏像発見物語をたどって」 連載、終了しました 【2018.3.17】


神奈川仏教文化研究所HPに連載していました 「近代仏像発見物語をたどって」 の連載は、

第13話「三重・見徳寺 薬師如来像 発見物語」(2018.3.10掲載)で、終了とさせていただきました。

近代仏像発見物語

神奈川仏教文化研究所HP 「近代仏像発見物語をたどって」  【目 次】


2016年10月、第1話「運慶仏発見物語」をスタートしてから、全部で33回、約1年半にわたって連載させていただいたことになります。

「観仏日々帖掲載の発見物語」の焼き直し転載が大方なのにもかかわらず、長らくご覧いただきありがとうございました。

今回の連載では、明治以降の新発見の仏像の「大発見物語」を、発見年を追って時系列で並べさせていただきました。
主なる「近代仏像発見の歴史」を概観することができるようになって、お役に立つものになったのではないかと思っております。


仏像発見物語というのは、単なる蘊蓄話と云ってしまえばそれまでなのですが、ノンフィクション・ドキュメントを読んでいるような、理屈抜きの面白さがあります。
ご紹介した「発見物語」も、蘊蓄物語、こぼれ話、物知り話といったような気分で始めたのですが、書き終えてみると、それだけではない意義や、重みのようなものを実感することになりました。

当たり前ですが、新たな発見が、従来の仏教美術史の考え方や様式展開論の定説を覆したり、新たな問題提起となることも多々あります。

とりわけ、 「運慶作の仏像発見物語」 は、

「新たな運慶作の仏像が発見されるたびに、それまでの運慶仏の作風イメージが覆され、定説が覆される。」

という話の連続で、書いている本人がビックリさせられたり、考えさせられたりすることばかりでした。
発見のいきさつなどを調べたりしているうちに、すごく面白くなってきて、ついつい書くのに力がこもってしまいました。


そのほかにも、

「岩手・黒石寺の薬師如来像の発見」 が、東北地方の仏像研究のみならず、地方仏研究を大きく進展させるきっかけとなった話、

「東寺・御影堂の不動明王発見物語」 の、息の詰まるほどの緊張感と興奮に満ちた話、

「立山神像の発見里帰り物語」 の、ジーンと熱いものがこみ上げるような100年ぶりの里帰りの話

などなど、

それぞれの発見物語のいきさつを調べていると、自分自身で感動してしまうことが、折々ありました。


そんな驚きの「仏像発見物語」のネタも、もう尽きてしまいました。
これで「おしまい」にさせていただきましたが、ご覧いただきました方々の、お役に立ち、お愉しみいただけたとしたら、大変、嬉しく思うところです。


また、何か、新たな仏像愛好の連載ネタを見つけることができましたら、掲載させていただきたいと思っています。

正直なところ、もうネタ切れで、無い知恵を絞ってもなかなか面白いテーマが思いつかなくて、困っています。


あれこれ~新連載 「近代『仏像発見物語』をたどって」 が、スタートします  【2016.9.30】


明治以降に新発見された、主な国宝重文級の仏像の、発見当時のいきさつなどをたどる物語を「近代『仏像発見物語』をたどって」と題して、スタートさせていただくことにしました。



神奈川仏教文化研究所HP「古仏愛好」ページの連載読み物として、掲載いたします。

仏像発見物語表紙

「近代『仏像発見物語』をたどって」    【目次】    【はじめに】



以前、HPに、近代の「仏像盗難物語」を連載させていただいたことがありました。

【埃まみれの書棚から~第29話「奈良の仏像盗難ものがたり」


盗難物語でも、発見物語でも、そうなのですが、当時のいきさつをたどった話は、仏像愛好者にとっては、結構、知的興味をくすぐるものです。
ただの蘊蓄話と云ってしまえば、それまでなのですが、ノンフィクション・ドキュメントを読んでいるようで、理屈抜きに面白いものです。

そんな面白さもあって、これまで「観仏日々帖」に、私の関心のある「仏像発見物語」を、ご紹介してきました。

最初に掲載したのは、
「興福寺仏頭展によせて・・・「仏頭発見記」をたどる」(2013.11)
という、興福寺・仏頭の発見物語でしたが、
書き連ねていると、随分な数になるもので、数えてみると10篇余にもなりました。

そこで、【神奈川仏教文化研究所HP】に掲載する、連載記事ネタも無いので、「観仏日々帖」に掲載した発見物語をまとめて、
「近代『仏像発見物語』をたどって」
と題して、HPの連載ネタに転用してやろうと思いつきました。

再掲にはなるのですが、一括してまとめると、ご覧いただいている皆さんにも、仏像発見物語を一覧でみることが出来て、お役にも立つのではないかとも考えたのです。


再掲にあたって、これまで採り上げた「仏像発見物語」を振り返ってみると、最も重要な発見物語が二つ漏れていることに気が付きました。

一つは、法隆寺夢殿の救世観音像の発見物語です。

もう一つは、運慶作品の発見物語です。

この二つの発見物語が入っていないと、「近代『仏像発見物語』をたどって」という題名の連載は、看板倒れでお恥ずかしいということになってしまいます。


そこで、連載開始のスタートテーマは、新稿の「運慶仏発見物語」とすることに決めました。

書き始めてはみたものの、明治以降の「運慶仏発見物語」をたどるというのは、正直な処、思いのほかに骨の折れる道程でした。
私は、もともと鎌倉彫刻は、興味関心度が低いというか、苦手分野でしたので、運慶作品の発見史という世界も、詳しいことは何も知りませんでした。
一から運慶の本を読んでみたりして、エッチラオッチラおぼつかない勉強をしながら、発見物語を調べてみたという処です。
いろいろな資料を漁って、初めて知った話をやっとのことでつなぎ合わせて、近代運慶仏発見物語の体裁を整えたというのが実情です。
結構長い連載物になってしまいましたが、中身は消化不良ということでお赦し下さい。


近代運慶仏発見物語をたどっていくと、
「それぞれの運慶仏の発見が、それまでの運慶の作風の考え方や展開論に、新たな問題を提起したり、定説を覆したりすることの連続」
で、大変興味深く、深く考えさせられるものがありました。

ご存じのことも多いかと思いますが、お愉しみいただければ有難き限りです。


もう一つの、法隆寺夢殿・救世観音像の発見物語は、超有名な話で、諸書に丁寧に紹介されているので、今更ご紹介しても目新しくも何でもないのですが、外すわけにはいかないので、これから書き足してみようかなと思っています。


新稿の「運慶仏発見物語」から、旧稿再掲の10余編の「仏像発見物語」を全部併せれば、明治から現代までの主要な仏像発見物語を、ほぼ一通りご紹介できるのではないかと思います。
(快慶仏発見物語が抜けているのですが、これは私には歯が立ちそうにありませんので、ご容赦ください)


仏像発見物語というのは、単なる蘊蓄話とは違って、新たな発見が、従来の仏教美術史の考え方や様式展開論の定説を覆したり、新たな問題提起となることも多々あり、大変興味深いものがあります。

お愉しみいただき、お役に立てば何よりです。



あれこれ~「観仏日々帖」おかげさまで100回を超えました  【2016.1.5】


新年、あけまして、おめでとうございます。

「観仏日々帖」ご覧いただき、ありがとうございます。
今年も、何卒よろしくお願いいたします。


取り立てて、お知らせするほどの話でも何でもないのですが、「観仏日々帖」に記事掲載が、100回の大台を超えました。
昨年末の掲載記事「2015年・今年の観仏を振り返って〈その4〉」で、101回目となりました。

過去、101回の掲載記事は、「観仏日々帖・総目次」をご覧いただければと思います。

総目次をご覧いただければお判りのように、2012年4月に第1回をスタートしました。
3年9ヶ月間で、100回の記事を掲載させていただいたことになります。
原則2週間に一度の記事掲載を心掛けているのですが、ほぼそのペースを守ってこられたようです。

この観仏日々帖、いわゆる仏像案内、仏像随筆に飽き足らなくなった仏像愛好の方々に、

「こんな見どころのある、知られざる仏像もあったのか!」
「仏像にまつわる、こんな話、エピソードもあったのか!」
「こんな興味深い、仏像についての本が出ていたのか!」

そんな風に、感じていただける話を、気ままに、思いつくままに綴っていければと思って、
「古仏探訪」「トピックス」「新刊旧刊案内」という標題で、掲載させていただいています。

どれほどに、皆さんにご満足いただけているのか、はなはだ疑問というところなのかもしれませんが、筆者本人は、仏像好きにはそれなりに興味深く、面白い話を掲載できているのではないかと、自己満足的に納得しています。


100回の話を振り返ってみて、「思い出深い記事、BEST3!」を、勝手に選んでみました。

一つ目は、第24・25回
鑑真和上坐像の御身代わり模像の制作を巡る話 【その1】   【その2】
です。

鑑真和上坐像の模造像
鑑真和上坐像の模造像
唐招提寺・鑑真和上像の模造制作が、美術院で行われた際に判明した新事実などを、ご紹介した話です。

像の制作技法などが、我が国の脱活乾漆像制作技法上類例がないものであることが、明らかになったのです。
これにより、鑑真像は、唐渡来の弟子たちによって制作された可能性が考えられ、「唐大和上東征伝」に伝える、生前に弟子たちが懸命に克明に師・和上の姿を写しとったという話も、一面、真実なのかも知れないというものです。
艱難辛苦の上に日本に渡来し、その生涯を終えた鑑真和上を慕う、唐渡来の弟子たちが、中国の高僧を祀る真身像や加漆肉身像の思想を背景に、異常なまでの写実に徹し、生くるが如き鑑真像を造立したのかもしれないという、浪漫に満ちた空想をかきたてるものになりました。


二つ目は、第36・38回
秋田県大仙市 小沼神社・観音菩薩像 【その1】   【その2】
です。

七夕の7月7日、秋田・大仙市にある小沼神社を訪れ、2躯の観音菩薩像を拝したときの話です。

鬱蒼とした杉林のなか、突然眼の前に開けた空間が出現し、そこには緑色の小沼が水をたたえています。
沼の向こう側には、小さな社殿がひとつ、ポツリと静かに佇んでいます。
この社殿に祀られる平安古仏を、女性の宮司さんによるご開帳の儀のなかで、拝することが出来ました。

小沼のほとりに佇む小沼神社.小沼神社社殿でのご開帳の儀
小沼のほとりに佇む小沼神社と社殿でのご開帳の儀

小沼のほとりに佇む小さな社殿に祀られた、2体の観音像を拝したとき、
「心洗われる」   「心揺さぶられる」
という言葉が、本当にそのままあてはまるような思いに浸ることができました。
感性や感受性が鈍くなってきている昨今、久々の感動でした。


三つ目は、第78・79回
立山神像の数奇な物語を振り返る・重文指定名称変更によせて 【その1】   【その2】
です。

立山博物館の帝釈天像(旧呼称:立山神像)
立山博物館の帝釈天像
(旧呼称:立山神像)
去年(2015年)、立山博物館の銅像・立山神像の文化財指定名称が、帝釈天像に変更されました。
像刻銘の科学的調査、研究などの結果、帝釈天像であることが明らかになったことによるものです。
この立山神像が、立山の地を離れてから、里帰りを果たすまでの、数奇な物語を振り返ってみた話です。

立山山頂に祀られていたといわれる立山神像は、明治の廃仏毀釈以来、立山の地を離れ、流転の道をたどり、昭和42年、海外に流出する運命であった直前、富山県に買い戻されるというドラマチックな里帰り物語となったのです。
この像が、里帰りできたのは、重要美術品指定の時(1940年)、「立山神像」と名付けられたことにより、富山県のシンボル的な像との思い入れがあったからです。

「帝釈天像ではなく『立山神像』という名称がつけられたことに、むしろ感謝しなければいけないのかもしれない?」

そんな感慨に浸る、物語でした。


以上の3つの話が、私の思い出深いベスト3です。
皆様のご感想は、如何でしょうか?


2週間ごとに、ちょっとまとまった話を掲載するのを継続するというのも、やってみると、関係資料の確認やらなにやら結構大変で、手間のかかることでした。
よく続いているなと、思ったりもします。
「そんなこと云って、ぼやくのなら、やらなければよい。」
といわれてしまいそうですが、
やはり好きな世界、しんどさより、たのしさのほうが勝っているようです。

ついでにいえば、記事にして掲載するというのは、自分自身にとって大変勉強になり、レベルアップになるもので、自己研鑽効果抜群という副次的効果を生んでおり、有難いことです。

今年は、「古仏探訪」の話を、もう少し増やしていくつもりです。
これからも、皆さんのご関心のありそうな、面白そうな、仏像についての話を掲載していくことが出来ればと思っておりますので、よろしくお願いします。


「これからも、この『観仏日々帖』、見てやってもいいな!」

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