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観仏日々帖

新刊・旧刊案内~「仏像と日本人ー宗教と美の近現代」 碧海 寿広 著  【2018.8.18】


ちょっと変わった切り口の、興味深い本が出版されました。


「仏像と日本人-宗教と美の近現代」 碧海寿広著 2018年7月 中公新書刊 【255P】 860円


「仏像と日本人ー宗教と美の近現代」碧海 寿広 著


【近代日本の仏像鑑賞の移り変わり、様々な視点を辿った本】


明治維新以降、現代にいたるまで、近代日本における「仏像鑑賞の有様、移り変わり」を、文化財保護にかかわった人、仏像鑑賞する教養人、随筆家、仏像写真家などなど、諸々の視点からたどっていった本です。

仏像鑑賞随筆や、仏像ガイドブックといった本は、これでもかというほど沢山あるのですが、「近代日本の仏像鑑賞を辿る」というテーマでまとめられた単行本は、この本が初めてなのではないでしょうか。

本書の表紙扉には、このような内容紹介がされています。

「仏像鑑賞が始まったのは、実は近代以降である。
明治期に吹き荒れた廃仏毀釈の嵐、すべてに軍が優先された戦時下、レジャーに沸く高度成長期から、“仏像ブーム”の現代まで、人々はさまざまな思いで仏像と向き合ってきた。
本書では、岡倉天心、和辻哲郎、土門拳、白洲正子、みうらじゅんなど各時代の、“知識人”を通して、日本人の感性の変化をたどる。
劇的に変わった日本の宗教と美のあり方が明らかに。」

このように綴っても、この本の内容のイメージが、きっと頭に浮かんでこないことと思います。


「目次」をご覧ください。

「仏像と日本人」 目次

「仏像と日本人」 目次

「目次」の各章の項目と小見出しをご覧いただくと、
「なるほど、こんなテーマについて書いた本なのだ。」
ということが、およそ想像がつかれたのではないでしょうか。

「近代仏像鑑賞概史」と称してもよいような内容になっています。

これらのテーマを、こんなふうにまとめた類書は、無かったように思います。
目次の各項目、一つ一つのテーマについて採り上げた小論、論考などが、美術雑誌に掲載されているものは、探すといろいろあるのですが、ひとまとめにして単行本にしたものは、初めてみました。



【これまでになかった近代仏像鑑賞概史とも呼べる本~美術作品と宗教的対象の二面性の視点で語る】


著者の碧海寿広(おおみとしひろ)氏は、本書の「まえがき・あとがき」で、本書の執筆意図や内容などについて、このように記しています。

碧海 寿広 氏
碧海 寿広 氏
「近代以降、西洋的な美術鑑賞の文化が日本に輸入され、やがて、仏像もまた美術品ととらえる風習が形成される。
その結果、仏像を信仰対象として拝むのではなく、美術品として鑑賞し語る人びとが増えた。
本書が詳しく論じるのは、こうした仏像をめぐる近代以降の変化である。
・・・・・・・
本書は、こうして美術と宗教のあいだで揺れ動く、近現代の日本人の心模様を追跡する。
そして、そこに見出される、新しい宗教性の諸相を明らかにしていきたい。」

「仏像の本は少なくない。
・・・・・・・・
が、本書のように、日本人と仏像の関係や、仏像をめぐる人びとの想像力や宗教性をテーマにした著作は、あまり多くない。
特に、近現代の仏像を取り巻く状況に関して、この種の検証や考察を行った書物は、これまで皆無だったと思う。
前例がないため、執筆にはさまざまな創意工夫が必要であった。
そうして試行錯誤のすえ完成した本書は、宗教学的な議論を基調にしながらも、美術史をはじめ多様な学問分野に接続した、学際性の豊かな作品に仕上がったと自負する。」

碧海寿広氏は、龍谷大アジア仏教文化研究センター博士研究員を務める、近代仏教研究者で、「入門 近代仏教思想 (ちくま新書)」などの著作があります。

中公新書HPには、【著者に聞く『仏像と日本人』/碧海寿広インタビュー】が掲載されています。



【「近代日本と仏像」に関する話は、私の最も関心あるテーマで興味津々】


皆さん、この本に、ご興味、ご関心を持たれましたでしょうか?

私は、明治以降、「近代における仏教美術、仏像に関する話や出来事」は、最も関心のあるテーマです。
「どうしてか?」
と聞かれても、困るのですが、「仏像鑑賞、仏像愛好の世界」以上に、面白く興味深くて、いろいろ調べてみたりしています。

神奈川仏教文化研究所HPの「埃まみれの書棚から」連載にも、「近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま」と題して、近代の古寺、仏像にまつわる話を掲載させていただいています。

本書「仏像と日本人」の採り上げテーマに関する話では、次のような話を採り上げたことがあります。

二人の県令、四条隆平・税所篤~廃仏知事と好古マニア(廃仏毀釈の話)

明治の文化財保存・保護と、その先駆者~町田久成・蜷川式胤

奈良の仏像写真家たちと、その先駆者


そんなわけで、この本は出版予告の段階から興味津々で、発売日に即座に購入したのでした。

馴染みの深いテーマの本でしたので、一気に読破してしまいました。
私には、大変、面白く、興味深い内容でした。
近代における仏像鑑賞とそれを取り巻くテーマについて、コンパクトにわかりやすくまとめられています。
「近代仏像鑑賞史」を、「美術作品としての仏像、宗教的対象としての仏像」のはざまという視点で、流れをたどった読み物のようになっていました。
様々なエピソードなども、いろいろ挿入されており、愉しく読み進めます。

「目次」のようなテーマに、ご関心がある方には、格好の必読書です。
それほどの関心がない方も、仏像好きの方なら、是非、一読をお薦めします。

結構、幅広く多面的な切り口から書かれていますので、面白い話が並んでいるのですが、ちょっと羅列的に登場するなとか、それぞれのテーマについてもう少し掘り下げて知りたいという印象もありました。
新書というボリュームの制約がありますので、致し方ないことだとは思いますが・・・・・

この切り口、テーマでの、第2弾の著作が、いずれ発刊されるのを、期待しています。



【関連本を3冊ご紹介~ご関心ある人へ】


最後に、このテーマに興味を待たれた方のために、関連本を、絞り込んで3冊だけ、ご紹介しておきます。


「〈日本美術〉の発見」 吉田千鶴子著 (2011年) 吉川弘文館歴史文化ライブラリー 【209P】 1700円

「日本美術の発見」

明治維新から始まる、明治期の古美術品、文化財の調査、保存保護の歴史とその取り組みについて、時系列に体系的に、きわめて判りやすく綴られています。
副題には「岡倉天心がめざしたもの」と付され、岡倉天心はが、いかに古物、宝物を「美術」品として再評価させたのか。
フェノロサらと関わりつつ古美術保護に献身し、「日本美術」発見にいたる天心の足跡が記されています。


「仏像と近代」浅井和春執筆 (1993年) 東京国立博物館「大和の古寺の仏たち展図録」所収 

「大和の古寺の仏たち展図録」

東博で開催された特別展「大和の古寺の仏たち」の図録です。
冒頭、10ページに亘って、浅井氏の「仏像と近代」と題する一文が掲載されています。
今般出版の「「仏像と日本人」の内容の、エッセンス、超コンパクト版といった内容ですが、たいへん判りやすくまとめられています。


「写された国宝」(2000年)東京都写真美術館企画監修・同名特別展図録 【173P】

「写された国宝展図録」

この展覧会は、明治初年の横山松三郎から現代に至るまでの代表的仏像写真作家達を時系列で振り返る画期的な写真展でした。
いわゆる近代仏像写真の歴史を、一覧することが出来る、貴重な図録です。
それぞれの写真作家たちの特色、魅力についても丁寧に解説されており、「写された国宝~日本における文化財写真の系譜」(岡崎章子)と題する、充実した解説・論考も載せられています。
明治初期からの文化財、仏像写真の歴史とその系譜を知るには、必携必読の本です。


新刊・旧刊案内~「奈良・大和を愛したあなたへ」 千田稔著   【2018.7.19】


読んでみると、ほのぼのとした心温まる気持ちになりました。

「奈良愛」とでもいうのでしょうか?
「奈良」という地へ心寄せる、深い愛情を感じる本でした。


「奈良・大和を愛したあなたへ」 千田稔著 2018年1月 東方出版刊 【162P】 1600円


千田稔著「奈良・大和を愛したあなたへ」



【近代奈良ゆかりの人々への想いを綴った本~41人へ差し出す手紙】


この本、明治以降の「近代奈良」にゆかりのあった著名人、学者、文化人、41人について綴った本です。
「41人へ差し出した手紙」という形式をとって、彼らの奈良での足跡や状況、作品などをたどり、当時の思いに寄り添いつつ、著者自身の奈良への愛惜が綴られています。

「近代奈良を彩る人物の紹介本」のようなつもりで、ページをめくっていったのですが、読み進むうちに、著者の「ほのぼの、しみじみとした深い奈良愛」の方に心惹かれるような気持ちになってしまいました。

本の帯に

「奈良にゆかりの 多彩な人たち その足跡に 思いを寄せ 大和への 愛情を綴る」

と書かれていましたが、まさにそのとおりです。

目次をご覧ください。

「拝啓 伊藤博文様」から始まって、著者から41人へ差し出す手紙の形式がとられています。

「奈良・大和を愛したあなたへ」目次1

「奈良・大和を愛したあなたへ」目次2

「奈良・大和を愛したあなたへ」目次4「奈良・大和を愛したあなたへ」目次3


採り上げられた人物、その小見出しをみると、近代奈良の文化史にご関心のある方ならば、大変興味深いラインアップになっていると感じられると思います。

私は、近代奈良の文化史に関心が強く、神奈川仏教文化研究所HPに、 「近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま」(埃まみれの書棚から・第24~31話) という連載を掲載したりしていますので、この目次を見ると、そこで採り上げたテーマピタリの項目もいくつかあって、益々、読書欲をそそられてしまいました。



【著者の「奈良愛」がにじみ出す語り口】


著者の千田稔氏は、著名な歴史地理学者で、数多くの著作がある方なので、ご存知の方も多いのではないかと思います。

千田稔氏
千田稔氏
千田氏は、1942年、奈良県生まれ。
本書に、「奈良愛」が、にじみ出しているように感じるのも、ご自身が奈良の地に生まれ育ったということからなのでしょう。

千田氏は、あとがきで

「本書には、明治よりこの方、いわば往年の奈良を訪れた、あるいは奈良に関心をもった各分野で名の知られた人々の筆によって奈良に寄せる思いを書かれた文に寄り添って、私からその方々へ差し上げた手紙という形式をとってみた。
本書にとりあげた方々の文に接しながら、奈良に対して愛惜の念が漂うのを思わざるをえなかった。」

このように語っています。

その語り口と、内容のさわりに、ちょっとだけ触れていただけるように、
「拝啓 関野貞様」の最初のページを、ご覧いただきたいと思います。

「奈良・大和を愛したあなたへ」~関野貞ページ


名宛人に寄せる想い、ほのぼのとした語り口を感じていただけたのではないかと思います。
随想的な文章なのですが、歴史地理学者である深い学識に裏打ちされた内容で、近代奈良文化史にかかわった、それぞれの人々の足跡やエピソードが奥深く紹介されています。

一気に読破してしまいました。

奈良の近代文化史と人物にご関心ある方には、是非、おすすめの一冊です。

著者の千田稔氏は、現在、奈良県立図書情報館の館長も務められています。
本書は、そうしたことから奈良のフリーペーパー、雑誌「喜楽」に2006年から21012年にかけて、連載掲載されたものが、単行本化されたものだそうです。



【公募で「奈良・大和を愛したあなたへ」エッセイも募集】


この連載は、好評であったようで、奈良県立図書情報館では、千田館長の連載だけではなく、一般からの公募も企画してみようということで、2010年に、県立図書館創立100周年記念「奈良・大和を愛したあなたへ」エッセイ募集というイベントが実施されました。

7件のエッセイが、入選となったようです。

入選作品については、
「奈良県立図書情報館のイベント情報
「奈良・大和を愛したあなたへ」エッセイ募集 審査結果について
で、読むことが出来ます。

ご関心ある方は、ご覧になってください。



【近代奈良の文化史ゆかりの人物を採り上げた本のご紹介】


ところで、本書に名前が挙げられているような、近代奈良の文化史にゆかりのある人物について、まとめて記されたような本は、有るようで意外と無いものです。

近代奈良の文化的な出来事などについて書かれた、いわゆる「奈良本」という随筆本の中に、折々、ポツポツと語られていることはあるのですが、人物だけを採り上げてまとめた本は、ほとんどありません。

そんな中で、近代奈良文化史にかかわる人物をテーマにしたような本を、私の知る限りで、ちょっとだけご紹介しておきたいと思います。


「大和百年の歩み 社会人物編」 1972年 大和タイムス社刊 【718P】 4000円

「大和百年の歩み 社会人物編」


大和タイムス社の明治百年記念事業として刊行された、奈良県近代の百年史の三部作「政経編、文化編、社会人物編」の中の一冊です。
分野を限らず、奈良近代史にかかわった重要人物、130余名の列伝が記されています。

文化史的な分野では、
北畠治房、森川杜園、棚田嘉十郎、溝辺文四郎、加納鉄哉、水木要太郎、保井芳太郎、高田十郎、森本六爾、富本憲吉、新納忠之助
等々が、採り上げられています。



「文士の大和路」 田中昭三著 1998年 小学館刊 【127P】 1600円

「文士の大和路」

奈良にゆかりの深い文士たちについて、その文学作品、奈良での歩いた道や宿、足跡、エピソードなどをたどったガイドブック的なエッセイ本です。
司馬遼太郎、志賀直哉、和辻哲郎、森鴎外、堀辰雄、折口信夫、会津八一、幸田文、亀井勝一郎、水原秋櫻子、谷崎潤一郎、佐多稲子、
の12名の文士が採り上げられています。
関連のコラムも豊富で、気楽に愉しく読める本です。


「奈良まち 奇豪列伝」 安達正興著 2015年 奈良新聞社刊 【335P】 1500円

「奈良まち 奇豪列伝」

書名のとおり、奈良に在住した「奇人、奇豪」と呼ばれる人物の列伝。
ほとんど知られていない人物かもしれませんが、
石崎勝蔵、工藤利三郎、左門米造、ヴィリヨン神父、吉村長慶
という人物の列伝が語られています。


「奈良百題」 高田十郎著 1943年 青山出版社刊 【350P】 5.1円

「大和寸感」 青山茂著 2005年 青垣出版刊 【316P】 2100円

「奈良百題」「大和寸感」

この2冊は、いわゆる「奈良通」によって綴られた、「奈良本」です。
昭和前期と近年に発刊された本ですが、いずれも、近代奈良の文化的な事柄、出来事についての寸評、エピソードなどが綴られた随筆本です。
この中に、近代奈良の文化史にかかわった人々の話が、頻繁に出てきて、読み進むうちに、これらの人々についての諸々のエピソードを知ることが出来ます。


近代奈良にゆかりのある人への愛惜を綴った本「奈良・大和を愛したあなたへ」のご紹介とともに、近代奈良文化史にかかわる人物を採り上げた、いくつかの本にふれさせていただきました。


新刊旧刊案内~「伊豆の仏像修復記」 牧野隆夫著  【2018.5.19】 


【伊豆新聞連載の「伊豆の仏像修復記」が単行本化】


伊豆新聞に連載されていた、牧野隆夫氏の仏像修復の日々や思い出を綴った「伊豆の仏像修復記」が、単行本になって発刊されました。


「伊豆の仏像修復記~人々と自然に護られた仏と関わる日々」 牧野隆夫著

2018年4月 静岡学術出版事業部刊 【185P】 1300円


牧野隆夫著「伊豆の仏像修復記」


この本は、吉備文化財修復所代表・牧野隆夫氏が、伊豆新聞・日曜文化欄に、「伊豆の仏像修復記」と題する連載を、2015年6月から2016年7月まで、毎週55回にわたって一年余掲載したものが、単行本となって発刊されたものです。

著者の牧野隆夫氏は、東京芸術大学大学院美術研究科保存修復の出身で、吉備文化財修復所を開設するほか、東京学芸大学非常勤講師、東北古典彫刻修復研究所代表などを務める仁です。
これまで、伊豆の諸仏像をはじめ、全国各地の数百体の仏像修理を手掛けられています。

2016年に刊行された 「仏像再興~仏像修復をめぐる日々」 (山と渓谷社刊 1800円)に次いでの単行本出版です。

牧野隆夫著「仏像復興」
牧野隆夫著「仏像復興~仏像修復をめぐる日々」

「仏像再興~仏像修復をめぐる日々」という本については、観仏日々帖・新刊旧刊案内 で、以前にご紹介しましたが、
本書は、その続編・伊豆半島シリーズといってもよいような内容になっています。



【長年、伊豆半島の仏像修復に携わった日々が綴られる】


「伊豆の仏像修復記」の表紙の内容紹介には、

「筆者は日本全国の仏像修理や調査、人材育成に関わってきた。
その中でも伊豆は筆者にとって活動の原点である。
本書には、学生時代、伊豆韮山国清寺の仁王像に出会って以来、仏像修復を一生の仕事とし現在に至るまでの、伊豆地方仏像修復とそれを通じた人との関わり、新たな発見書きされている。」

と、書かれています。

目次は、ご覧のとおりとなっています。

「伊豆の仏像修復記」目次01

「伊豆の仏像修復記」目次02

「伊豆の仏像修復記」目次03



【語られる、仏像修復を通じての、人々との出会い、苦労話、新発見のドキュメント】


この本は、仏像の修理修復の技術解説とか、仏教美術史的な記述に重点が置かれた本では、全くありません。
副題の
「人々と自然に護られた仏と関わる日々」
というフレーズにみられるとおり、それぞれの土地で、人々に護られてきた古い仏像の修復という仕事を通じての、地域の人々との出会いやふれあい、苦労話などが中心につづられた、「仏像修復奮闘記&人間ドキュメント」とでもいった内容です。

「伊豆の仏像修復記」内容
「伊豆の仏像修復記」~修善寺指月殿・釈迦像修理が語られたページ

牧野氏は自らを「仏像の町医者」と称し、
「国宝・重文レベルにはならないような、地域に護られ地域と共にある古仏」
の修理修復にあたっている仁です。
その中で語られる話には、「地域の人々に護られ共に生きる仏像」の祀られ方、文化財としての保存のあり方を考えさせられるものがあります。


そうした「仏像の町医者」として修復に取り組む日々の中で、

「修善寺・大日如来像胎内からの、実慶銘と遺髪等納入物の発見」
「桑原薬師堂・阿弥陀三尊像の像内からの、実慶作墨書銘の発見」

といった大発見物語に至った話も、活き活きと綴られています。
両像共に、この新発見の後に、国の重要文化財に指定されています。
(修善寺大日如来像:2001年重文指定、桑原薬師堂・阿弥陀三尊像:2006年重文指定)



【出版不況のなか、クラウドファンディング・資金募集で、実現した単行本化】


実は、この新聞連載は、【伊豆新聞のWEBページ】でも公開掲載されていました。

私は全55回を、WEBで読みましたし、全部のデータも保存済みでしたので、今度の単行本新刊のことは知っていましたが、購入するつもりは、ありませんでした。

ところが、この単行本が、クラウドファンディングでの資金募集といった苦労を経て、やっと刊行されたということを、NETで知りました。

「静岡県伊豆地方の仏像修復についてのドキュメンタリーを書籍にしたい!」

こんな表題の資金募集HPを見つけたのです。
そこには、協力者を募り、何とか出版にこぎつけたいとの想いが、語られていました。

昨今、出版業界が極めて厳しい状況にある中、新聞連載記事を単行本化するというのも、なかなか困難なことのようです。
そうした状況下で、ようやく出版が実現したということなのでしょう。


そんな経緯を知ると、せめて1冊ぐらいは購入せねばと、私も「AMAZON」に注文を出したという訳です。

皆様にも、本書のことを知っていただければと、新刊発刊のご紹介をさせていただきました。


新刊旧刊案内~嬉しい、一目瞭然の「図版吹出し解説」 芸術新潮・運慶特集(2017/10月号)  【2017.11.5】


この秋、
「どこもかしこも、運慶で持ち切り!」
といった有様です。

東博・運慶展の盛況ぶりはもとより、テレビも運慶番組を連発、本や雑誌も「運慶の・・・」という特集本が数え切れないほどです。
ここまでヒートアップするのかと、あきれてしまいますが、今更ながらに「運慶の威力」を思い知らされたような気がします。

書店の新刊棚には、「運慶本」と「運慶特集雑誌」が、これでもかという程に沢山並んでいて、どれもこれも大同小異という感じです。



【こんなスタイルの仏像解説本を待っていた~芸術新潮・運慶特集】


その運慶本のなかで、

「オーッ! こんな仏像解説を、待っていたのだ!」
「こんなスタイルの仏像解説本があると、嬉しいのだけれど!」

そう、前から思っていた本を見つけたのでした。

それは、
 「芸術新潮 2017年10月号 ~特集・オールアバウト運慶~」
です。

芸術新潮・オールアバウト運慶~2017年10月号


私が、「こんなのを待っていた、これは嬉しい」と思ったのは、ここで論ぜられている運慶についての解説の内容云々ではなくて、
「仏像解説のレイアウト」
なのです。

掲載された仏像写真のそれぞれのパーツに、線引きで吹き出しがあり、コンパクト解説が付されているのです。
円成寺・大日如来像の写真&解説を、ご覧になってみてください。

芸術新潮・掲載の円成寺・大日如来像の「図版吹き出し解説」
芸術新潮・掲載の円成寺・大日如来像の 「図版吹き出し解説」


【特徴、着目ポイントが一目瞭然の「図版吹き出し解説」】


如何でしょうか?

新スタイルです。

これまでの仏像の解説本は、仏像写真と解説文が、「写真は写真」「解説文は解説文」と、それぞれ別々に掲載されていたと思います。
この芸術新潮・特集では、仏像写真そのものの各部や衣文などの注目パーツに、直接線引きを施して、吹き出し的にポイント解説が書かれているのです。
「運慶作品カルテ」と題されており、監修:瀬谷貴之氏、文:高山れおな氏(新潮社)ということです。

私は、 「画像吹き出し解説スタイル」  と名付けてみました。

このスタイルの仏像解説本は、ご紹介の「芸術新潮・運慶特集」が本当に初めてなのかどうか、判りません。
私は、これまで見たことがある本・雑誌では、出会ったことがありませんでした。

美しい仏像写真を鑑賞するという意味では、吹き出し線が各所にあると、目障りになるのかと思います。
しかし、その仏像の特色、着目ポイントを、一目瞭然で即座に理解するには、これほどに判りやすいスタイルは無いと思うのです。


それでは、芸術新潮の円成寺・大日如来像写真には、どのような「画像吹き出し解説」が付されているのでしょうか。
その解説文を、一通りご紹介します。


【頭頂部】
冠から上端がとびだす程の高々とした髻は平安初期の作例に倣うものだが、正面を花形に束ねるのは僧の仏画の影響か。

【天冠台部】
冠は後補だが天冠台(てんかんだい)は当初のもの。
通常は木から彫り出すが、金属製としたのは新機軸。

【眼部】
玉眼は目に水晶をはめることで現実感を出す技法で、鎌倉時代に一般化する。
この像は玉眼を使用したもっとも早い例の一つ。

【条帛部】
上半身をタスキ状にめぐる条帛(じょうはく)は、本体と別材で作って貼り付けている。
こんな面倒な方法をとった理由については28~29頁のコラム参照。

【腕部】
胸の前で左手をこぶしに握り人差し指をたて、それを右手で握るのが智拳印(ちけんいん)
金剛界大日のしるしである。
胎蔵界大日はお腹の前で掌をかさねる定印(じょういん)を結ぶ。

【膝前部】
下半身をおおう裳(も)と腰布に刻まれた衣文は、当時の主流だった定朝様の非常に浅く、様式化した衣文にくらべ、より自然な印象。
ただ、後の願成就院や浄楽寺の像にくらべれば、まだおとなしめ。

【台座部】
台座のうちいちばん上の蓮華部(れんげぶ)は当初のもの。
大正10年(1921)の修理に際し、その天板の裏から墨書銘が発見された。
これが近代的な運慶研究の出発点になった。

【台座下部】
台座の敷茄子(しきなす)から下框(したがまち)にかけては、美術院による補作。

【光背部】
光背の周辺部は失われたが、円盤状の頭光(ずこう)と身光(しんこう)は当初のもの。



このような感じです。
写真の当該部分に、このようなワンポイント解説が吹き出していますので、本当に、「一目瞭然」、判りやすいのです。
文章の説明を読んで、その当該部分の写真をみつけて確認しなくても、一目で頭にスーッと入ってくるのです。



仏像の姿や形、構造などを、文字、文章で、きっちり表現、説明するというのは、なかなか厄介なことのように思えます。

その例を、いくつか見てみたいと思います。


【資料的、学術的に完璧な記述の「日本彫刻史基礎資料集成」~無味乾燥で、難しい】


一番、資料的、学術的な説明文というと、なんといっても 「日本彫刻史基礎資料集成」(中央公論美術出版社刊) ということになるでしょう。

この本では、このような項目立てで、順に表記されています。


【銘 記】

【形 状】

【法 量】

【品質構造】

【伝来】

【保存状態】


「日本彫刻史基礎資料集成・第4巻」の円成寺・大日如来像の解説
「日本彫刻史基礎資料集成・第4巻」の円成寺・大日如来像の解説

まさに、基礎資料ですから、事実が淡々と記されているだけです。

これ以上の精密な表記はないのでしょうが、読む側にとっては無味乾燥そのものと云えるものです。
相当に、表現に慣れないと、どのような形状や構造を説明しているのか、皆目判らないというのが本音の処です。



【つい面倒で読み飛ばしてしまう、論文の造形・構造の記述~文字だけの記述は、判りにくい】


論文などの、仏像の姿かたち、造形や構造について述べた文章も、なかなか判りにくいのではないでしょうか。
私などは、そこの処は、とっつきにくくて、ついつい読み飛ばしてしまいます。

例えば、円成寺大日如来について、山本勉氏が書かれた論文、

「円成寺大日如来像の再検討」 (山本勉 )国華1130号 1990.1

では、このあたりの処が、どのように記述されているでしょうか?

形状については、

本像は像高98.2㎝、髪際高76.8㎝の等身大で、智拳印を結び、右脚を外にして結跏趺坐する金剛界大日如来像である。
いわゆる高髻を結び、頭髪はすべて毛筋彫りとする。
鬢髪一條が耳をわたる。
もと各耳後ろをとおって肩上にいたる垂髪をあらわしていた(今右肩部分のみ残る)
白毫相をあらわす(水晶嵌入、大正修理時の新補)
天冠台を付け、その上に宝冠を戴く(いずれも銅版製鍍金、宝冠は近世の新補)
條帛をかけ、折返しつきの裙をつけ、腰布を腹前で結ぶ。
銅版製鍍金の胸飾り・臂釧・腕釧をつける(胸飾りから瓔珞を垂らす)
光背は、頭光、身光、光脚からなる二重円光で、いま周縁部を失っている。
台座は六重の蓮華座であるが、敷茄子以下の部分は大正修理時の新補である


構造については、

本像はヒノキ材の寄木造で、玉眼を嵌入する。
頭・体の根幹部は正中線で左右二材(幅左方22.2㎝、右方23.6㎝、奥各26.5㎝)を矧ぎ寄せて彫成する。
左右二材とも内刳りをほどこしたうえで、三道のやや下方で割首する。
両脚部は横木一材製(奥24.0㎝)で内刳りし、両腰脇部に各一材(内刳り)、裳先を矧ぐ(亡先)
両腕は肩・上膊半ば(臂釧の取り付け位置)、臂、手首で矧ぐ。
髷は別材製で丸枘(大正修理時の新補)を雇枘として挿しこむ(大正修理時の図解によると頭頂のそれを受ける部位に薄板一枚をはさむようである)
後頭部下方に矧ぎ目をはさんで左右各一の矧ぎ木(大正修理時の新補)がある。
像表面は、頭髪部をのぞいて布貼り錆漆下地をほどこしたうえ漆箔しあげとする。
頭髪部は木地に群青彩とし、元結い紐は朱彩とする。
・・・・・・・・・・

このように記述されています。

ウーンと唸ってしまいます。

確かに、凝縮して精密に記述すれば、このようになるのだと思います。
論文の記述としては、絶対に必要なことなのでしょう。

ところが、恥ずかしながら私には、この記述の文章をすらすらと読んで、仏像の姿かたちやその構造、後補部などが、手に取るように浮かんでこないのです。

研究者の人は、このような記述が、苦も無くすらすら出来て、読んだだけで写真映像のように、仏像の姿かたちが、頭に浮かんでくるのかもしれません。

しかし、私などには、チンプンカンプンとまではいいませんが、慣れていないせいか難解表現で、写真を横に置いて一つ一つチェックしてみて、やっとこさ記述内容が、何とか判るという処です。
そんなわけで、仏像の姿かたち、構造の詳細記述の部分は、とっつきにくくて、面倒臭くて、ろくすっぽ読みもせずに、読み飛ばすのが常というふうになってしまっています。



【啓蒙書でも、造形・構造のコンパクトで平易な記述は、なかなか大変】


これは、研究論文の話でしたが、一般向けの啓蒙本でも、仏像の姿かたちや構造などを、誰にもわかりやすく平易に記述するのは、なかなか骨のようです。

昔、平成の最初の頃、ベストセラーになったこの本、

「魅惑の仏像」全28巻 毎日新聞社刊

の、円成寺・大日如来像の巻(第28巻・1996刊)の記述を見てみたいと思います。

「魅惑の仏像・第28巻~大日如来」毎日新聞社1996年刊

西川杏太郎氏の解説記述です。

「しかし円成寺の大日如来像は(注:藤原風の仏像とは)だいぶ違います。
頭髪は毛筋を細かく刻み出し、頭上の髻も膨らみを持たせて高く豊かに結い上げていますし、肉厚く引きしまった体の肉付けにも、またゆったりと組んだ両膝に自然に流れるように刻む衣のひだにも、大変個性があります。
・・・・・・・
上体は両肩や背中に肉を厚くつけ、腰できりりと引きしめ、智拳印を結ぶ両腕のかまえ方も、空間をゆったりと抱きかかえるようにまとめ、全体として安定感のある力強さが示されています。」


「この大日如来像は檜の寄木造で、眼には玉眼(レンズ状にみがいた水晶の眼を内側から嵌め、これに瞳を描いてあらわす技法)をはめています。

「魅惑の仏像」円成寺・大日如来像の解説掲載の構造図
「魅惑の仏像」円成寺・大日如来像の解説掲載の構造図

図に示したように鼻筋を通る正中線を境にして、頭部から胴までを左右二つ各材(A・B)を矧ぎ合わせ、両膝には横一材(C)を寄せるという寄木造の技法で造られています。
そして頭頂の髻(D)、両腕(肩、上腕、ひじ、手首で接合)、それに両腰脇(E・F)などに別材を寄せる典型的なものです。
像の内部は、きれいにくりぬいて空洞にし、また制作の途中で頸筋にノミを入れて頭と胴を割り離し、像の細かい部分の彫刻を済ませてから再び頭と胴を接合する「割り首」(S)の技術も用いています。
・・・・・・・・・
台座は、蓮肉と蓮弁は古いのですが、これ以外の部分はすべて大正時代の修理の時に奈良美術院(美術院国宝修理所)によって後補され、六重蓮華座に仕立てられているのです。
光背は二つの円相をつないだ二重円光で、これは像と同時の制作です。
いまその外周につけられた周像はすべて失われています。」

読んで見られて如何でしょうか?

先の研究論文の記述に較べると、格段に平易で判りやすく、私にでもイメージがわいてくる感じはします。
ただ姿、形の各部分を、わかりやすく記述するというのは、なかなか難しそうです。
きちっと書くと、文章が長くなってしまうからか、かなり省略というか簡単に記されています。

構造の方も、文章でこれを平易に説明するというのは、なかなか骨が折れることが伺えます。
構造略図が掲載されているので、これを横目に見ながら読むと、なるほどと、よく判ります。


ご紹介したような、これまでに書かれた論文や書籍の、
「仏像の姿かたちの記述、構造、後補部分の記述、造形の特徴の記述」
などを、読んでいると、

気を入れて読んでやろうと思う時は、写真図版といちいち照らし合わせながら、ちゃんと理解するように頑張ってみるのですが、普段は、ついつい適当に読み飛ばしてしまいがちになっています。



【仏像写真図版に吹き出し解説を入れると、一目瞭然?~かねがね、思っていたこと】


「仏像写真図版の当該部分に、直接、解説記述を吹き出しのように入れてくれると、素人には本当に判りやすいんだがなー・・・・・」
「図版吹き出し解説スタイルの本があれば、一目瞭然で、本当嬉しいな!」
「図版吹き出し解説をいったん見てから、その後でしっかりした文章解説を読めれば、最高なんだけれども・・・」

そんなことを、かねがね、心の中で考えていたのです。

そんなことは、
「ちょっとマニアックな愛好者の我儘なのか?」
と思っていた処、

新刊の「芸術新潮・運慶特集」で、そのようなスタイルが一部採用されているのを見つけたというわけです。

「これは嬉しい、一目瞭然 !!」
「我が意を得たり !!」

と喜んでしまいました。

「芸術新潮・運慶特集」では、ご紹介の、円成寺・大日如来像だけではなくて、主なる運慶作品について、このスタイルの「図版吹き出し解説」が掲載されています。

一二、ご紹介すると、ご覧のような感じです。

芸術新潮・掲載の願成就院・阿弥陀如来像の「図版吹き出し解説」
芸術新潮・掲載の願成就院・阿弥陀如来像の「図版吹き出し解説」

芸術新潮・掲載の光得寺・大日如来像の「図版吹き出し解説」
芸術新潮・掲載の光得寺・大日如来像の「図版吹き出し解説」

このような「図版吹き出し解説」スタイルの本が、もっともっと増えていってくれると、嬉しいなと思います。

芸術新潮の「図版吹き出し解説」は、ちょっと簡単すぎて物足りない感もあります。
「吹き出し解説」をもっと詳しくするとか、側面、背面写真も入れて「図版吹き出し解説」を付けるとかいう本が出現すれば、仏像の姿かたち、造形の特徴、構造、後補部分などが、より詳細に一目瞭然でになって、嬉しいなと思う処です。


ずっと前から、こんなスタイルの仏像解説があったら良いなと思っていた「図版吹出し解説」スタイル本を発見して、ちょっと嬉しくなって、紹介させていただきました。



【ついでにご紹介~とても便利な、仏像持物などのイラスト吹き出し解説本】


ついでにご紹介ですが、

「仏像図解新書」 石井亜矢子著・岩崎隼画 小学館新書 2010年刊

という本も、なかなか役立つ本です。

「仏像図解新書」 小学館新書 2010年刊

仏像の諸尊格、即ち、如来・菩薩・明王・天部の、それぞれの尊像別に、持物や着衣、飾り物、印相などなどの名称と一言解説を、 「イラスト図吹き出し解説」 したものです。

釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、千手観音、不空羂索観音、如意輪観音・・・・・・
といった尊像別に、いわゆる「儀軌」に定められた、印相や持物、着衣等の名称が「イラスト図吹き出し」で記されています。

80余の尊像について、イラストが載せられていますが、そのうちのいくつかをご覧ください。

「仏像図解新書」掲載の十一面観音のイラスト吹き出し解説
「仏像図解新書」掲載の十一面観音のイラスト吹き出し解説

「仏像図解新書」掲載の如意輪観音のイラスト吹き出し解説
如意輪観音のイラスト吹き出し解説

「仏像図解新書」掲載の降三世明王のイラスト吹き出し解説
降三世明王のイラスト吹き出し解説

「仏像図解新書」掲載の梵天のイラスト吹き出し解説
梵天のイラスト吹き出し解説


それぞれの尊像の「印相や持物の名称」がまさに一目瞭然で、大変便利です。

先程来ふれてきた、論文などに記述された、仏像の姿かたちの表現を理解するためのアンチョコに格好な新書で、お薦めです。


新刊旧刊案内~「小説 日本博物館事始め」 西山ガラシャ著  【2017.7.8】


町田久成について描かれた、こんな本が出ました。


「小説 日本博物館事始め」 西山ガラシャ著 
 
2016年3月 日本経済新聞出版社刊 【256P】 1600円


西山ガラシャ著「日本 博物館事始め」


「町田久成? その人だれ?」

そう思われる方が、多いことと思います。



【東京国立博物館・庭園に建つ、町田久成顕彰碑】


東京国立博物館の本館の裏に、庭園があります。
その庭園の一角に、立派な石碑が立っています。

東京国立博物館庭園に建てられる「町田久成顕彰碑」

東京国立博物館庭園に建てられる「町田久成顕彰碑」~説明板
東京国立博物館庭園に建てられる「町田久成顕彰碑」

「町田石谷君碑」(石谷は久成の号)と題する、町田久成の業績をたたえる顕彰碑です。
碑文が刻されていますが、その一節に

「博物館ハ則チ君ガ提議シテ創設スル所ナリ」

とあります。

「この上野の地に、大博物館の創設を成し遂げた。」

この簡潔な一文に、町田久成、その人の業績が、凝縮されているといっても良いのかもしれません。

上野の博物館が開館したのは、明治15年(1883)のことでした。



【博物館の創設者、近代文化財保護の先駆者~町田久成】


この大博物館の創設にかけた町田久成という人物を描いた本が、ご紹介の「小説 日本博物館事始め」です。

町田久成(明治5年・34歳)
町田久成(明治5年・34歳)

AMAZONの本書内容紹介には、このように書かれています。

「明治15年、現在の東京国立博物館が竣工した。
外交官の道を断たれた男の、もうひとつの夢の実現でもあった。

『御一新とともに、寺や城は壊され、仏像や書画骨董が海外に流出していく。
<日本が生き残る道は西洋の物真似しかない>
と多くの人は信じているが、文明開化の時勢に流されて、日本の美と技をうち捨ててはおけぬ。
自分ひとりでもミュージアムを創る。
留学中に観た大英博物館のようなミュージアムを』

旧物破壊・廃仏毀釈の嵐に抗い、大久保利通、島津久光、岩倉具視など新政府の錚々たる面々が相見え火花を散らす政争に巻き込まれながらも、粘り強く夢を形にした官僚、町田久成。
幕末には薩摩国主の命で英国に留学した経験も持つ男を主人公として、維新の知られざる側面に光を当てたユニークな歴史小説です。」


設計者・コンドル筆の上野の博物館
設計者・コンドル筆の上野の博物館

町田久成という人物、本当に知られていないと思うのですが、明治維新以降の近代文化財保護保存の歴史を語るとき、また国立博物館の歴史を振り返るとき、忘れることは出来ません。


町田の業績として語られる、

・我が国文化財保護法の先駆となる「古器旧物保存方」の布告(明治4年・1871)

・近代初の文化財調査である古社寺宝物調査「壬申検査」の実施(明治5年・1872)

・東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)の上野の地での創設(明治15年・1873)

といった事柄は、まさに「近代文化財保護、保存の先駆者」そのものと言えるものでしょう。

明治期のこうしたテーマというと、必ず、その名が思い出され語られるのは、岡倉天心ですが、町田久成こそ、その先駆けとして、近代日本の文化財保護行政の方向を定めた重要人物なのです。

もっと、もっと広く知られ、語られていてもよい人物だと思っています。


町田久成の業績、人物像については、かつて、神奈川文化研HPに
と題する連載で、ご紹介をしたことがありますので、そちらをご覧いただければと思います。



【人間、町田久成を描き出した歴史小説~「日本博物館事始め」】


この町田久成にスポットライトを当て、博物館創設への生きざまを描いた歴史小説とは、何とも珍しい本が出たものです。
私にとって、「町田久成」について書かれた本となれば、捨てておくわけにはいきません。
早速、購入しました。

「目次」は、ご覧のとおりです。

西山ガラシャ著「日本 博物館事始め」~目次

一読してみた感想は、

「上野の博物館の創設を舞台回しに、人間、町田久成の生き様や、時代の空気を描き出した小説」

というものでした。
「小説」と題名の頭に冠している通り、町田久成を取り巻く人間模様など、まさに小説的要素が濃い内容となっています。

著者の西山ガラシャ氏は、1965年名古屋市生まれ。
2015年、『公方様のお通り抜け』で第7回日経小説大賞を受賞しデビューし、この本が、受賞後の第一作となるそうです。
まさに、作家として、「人間、町田久成」を描き出した作品ということなのだと思います。


この本、町田久成の評伝とか、博物館創設の物語を詳しく語った読み物かと思ったのですが、ちょっと違いました。
そうした知的興味、関心で読むと、少し物足りなく感じられるないかもしれません。



【もう一冊の、博物館と町田久成を知る好著~新書「博物館の誕生」】


この「小説 日本博物館事始め」を、本当に愉しく、興味深く読むためには、 もう1冊、次の本を読まれることをお薦めします。


「博物館の誕生~町田久成と東京帝室博物館」 関秀夫著
岩波新書 2005年刊  【241P】 780円


関秀夫著「博物館の誕生~町田久成と東京帝室博物館」

関秀夫著「博物館の誕生~町田久成と東京帝室博物館」~目次
関秀夫著「博物館の誕生」~目次

この本のAMAZONの内容紹介は、次のとおりです。

「東京帝室博物館(東京国立博物館の前身)は上野の山につくられた日本最初の近代総合博物館である。
国の中央博物館としての創設から皇室の博物館になるまでの激動のドラマを、明治維新の頃、外交官として活躍し、博物館づくりに情熱をそそいだ創設者、町田久成の生涯と重ね合わせて描きだす歴史物語。」

著者の関秀夫氏は、東京国立博物館名誉館員で、日本考古歴史学専攻の文学博士という研究者です。

新書版の本ですが、上野の博物館創設までの経緯と、町田久成の評伝的物語が、しっかりと要点を漏らさず、コンパクトにまとめられた名著ともいうべき本です。
こちらの方は、知的興味、関心を、十二分に満足させてくれる内容です。
読み物としても、面白く、興味深く愉しめる物語となっています。


この「博物館の誕生~町田久成と東京帝室博物館」を先に読んでから、「小説 日本博物館事始め」を読むと、明治維新後の博覧会から博物館創設への夢の実現へのいきさつ、苦難の道がよく理解され、小説の作者が語りたかった人間・町田久成についてもよく理解できて、その面白みが判るのではないでしょうか。

町田久成と博物館について書かれた、一般的な単行本は、この2冊しかないでしょう。
2冊セットで読んでみて、それぞれの本が、より興味深く味わいを以て読むことが出来るように思います。



【町田久成をめぐる ~IF~ 「もしも」の話】


ここからは、ちょっと付けたりですが、

「もし、町田久成が、・・・・・・だったとしたら?」

と、私が感じた話を、二つほどご紹介しておきたいと思います。



【もしも、外務省から左遷されていなかったなら?】


一つ目は、
若き日の町田久成が、外務官僚から左遷された話です。

「もし、この左遷がなかったとしたら?」

町田久成は、近代文化財保護の先駆者、博物館創設者として、現代に名を残すことは無かったのです。

町田家は、薩摩藩主、島津一門に連なる名家で、町田久成は26歳の若さで大目付となり、慶応元年(1865)には、藩のイギリス留学使節の監督として、2年余イギリスに滞在しています。

薩摩藩の留学生達(慶応元年・1865~ロンドンにて)前列中央が町田久成
薩摩藩の留学生達(慶応元年・1865~ロンドンにて)前列中央が町田久成

明治維新後は、新政府の外務省、外務大丞に任ぜられています。
新政府の外務官僚としての、スーパーエリートであったのです。
ところが、明治2年に来日した英国アルフレッド王子の接待役としての来賓饗応が厚遇に過ぎたということで、謹慎処分となり、左遷されてしまうのです。

上野博物館開館当時の町田久成(明治15年頃)
上野博物館開館当時の町田久成(明治15年頃)
この左遷は、薩摩の急激な開花政策に異を唱える尊王攘夷派が、反発を示す動きの一環であったようです。
開花派の大久保利通の権威を笠に着たようにふるまう町田久成を標的にして、追い落としたというのが真相のようです。
町田は、外務省を去り、閑職にも等しい大学(文部省)に移ることになりました。


政局に翻弄され、失意の中にあったであろう町田でしたが、新任務、大学(文部省)において、心機一転、「集古館」(博物館)建設、「古器旧物保存」(文化財保護)を、建議します。

そして、博覧会業務等を担当しながら、国家を挙げての大博物館の創設構想の夢をいだき、ついに上野の地に巨大な博物館創設を実現したのでした。
上野の広大な地に、大博物館の建設を実現するというのは、明治の初年においては、並大抵の腕力で出来得るものではないでしょう。
町田久成の毛並みの良さと実力、その後ろ盾となった大久保利通のパワーがあったからこそのことと思われます。

もし、外務省追放左遷という事件がなかったならば、町田久成は、明治期の外務官僚の大物として知られるようになったのかもしれません。



【岡倉天心にも、同じようなエピソードが】


同じような話で、思い出すのは、岡倉天心の話です。

若き日の岡倉天心(明治20年・24歳)
若き日の岡倉天心(明治20年・24歳)
岡倉天心は、東京大学での専攻は政治学で、卒論に「国家論」を数か月かけて書いた処、若くして結婚した基子夫人と喧嘩になり、夫人は、夫が3ヶ月を費やした労作を燃やしてしまうのです。
切羽詰まった天心は、たった2週間で、慌てて代用品の「美術論」を書きあげ提出。
おかげで、成績は下から2番目とふるいませんでした。

この「美術論」が縁となり、文部省に入省し、美術文化行政に関与することとなったという話です。
岡倉は、少年時から英語が堪能で、東大在学中もフェノロサの通訳をしていたという人材です。

この卒論焼却事件がなかったならば、政府の外務官僚として身を立てていた可能性が高かったのではないかとも思われます。


何やら、この二人、話が妙に符合します。

・明治期、近代文化財保護の大貢献者として名を残す、町田久成と岡倉天心が、共に外務官僚の道を進んでいた筈であった。

・或る事件、出来事をきっかけに、共に、心ならずも初志とは違う文化財、美術行政の道を歩むことになった。

・そして心機一転、博物館の創設、古社寺、文化財保護などに力を尽くし、今も、その名が語られる。

面白い話です。

町田も岡倉も、「もしも」このような事件がなかったならば、明治時代における外務官僚の大物とか、政治家として、名を残す人物になっていたのでしょうか?



【もしも、町田久成なかりせば、今の東博は違ったタイプに?
~歴史美術博物館?自然史博物館?産業科学博物館?】


二つ目の話は、

「もし町田久成がいなかったら、現在の東京国立博物館は違ったタイプの博物館になっていたかもしれない。」

という話です。

実は、  「近代日本の博物館の父」  と呼ばれる人物が、二人いるのです。

一人は、町田久成。もう一人は田中芳男です。

上野博物館開館当時の町田久成(明治15年頃).田中芳男
町田久成(左)、田中芳男(右)

田中芳男は、町田久成と同い年で、共に明治初年から博覧会事業、博物館創設事業などに携わった人物です。

町田久成(前列中央)と田中芳男(右向かってから3人目)~明治5年(1872)湯島聖堂博覧会記念写真
町田久成(前列中央)と田中芳男(右向かってから3人目)~明治5年(1872)湯島聖堂博覧会記念写真


当時、博物館の展示内容の性格付けには、三つの考え方がありました。

一つは、「動植物など天産物の自然史系博物館」という構想です。

自然科学を中心とした博物館構想で、動物園や植物園も備えた自然科学の総合博物館をめざそうとするものです。
もう一人の近代日本博物館の父と呼ばれる田中芳男の理想は、このような自然科学系の総合博物館を創設することでした。


二つ目は、「古器旧物など文化財展示のための歴史美術系博物館」という構想です。

考古遺物、古美術品をはじめとした古文化財美術品を展示する博物館をめざそうとするものです。
町田久成が構想した博物館は、この歴史美術系博物館でした。
町田久成は、明治4年に博物館建設の献言を行っていますが、その時、「博物館」という用語を使わずに「集古館建設の献言」を行っています。
当時、「博物館」という用語が、「博覧会とか物産会といった殖産興業的博物館」をイメージさせてしまう懸念をいだき、敢えて、わざわざ「集古館」という言葉を用いているのです。

現在の東京国立博物館は、この町田の構想通りの博物館として運営されています。


三つ目は、「殖産振興のための産業技術系博物館」というものです。

日本の輸出振興、産業発展をめざして、物産や工作機械などの展示を行う産業技術系博物館という考え方です。
この構想は、当然ですが、政府の産業振興のビジョンに沿ったものでした。


田中芳男の夢は、自然史博物館を創設することでした。
一方、町田久成の夢は、歴史美術博物館を創ることでした。

共に、強力な持論を以て推進しようとしたようで、上野の地に創設する大博物館の性格付けには、二人の間に、相当の確執があったようです。

完成時の上野の博物館
完成当時の上野の博物館

上野の動物園を開園したのは、田中芳男の構想によるものです。
町田久成は、動物園に反対であったようですが、博物館が開設された年の明治15年(1882)に、博物館の付属施設として開園しました。

上野動物園の正門(明治40年・1907頃)
上野動物園の正門(明治40年・1907頃)

上野動物園明治25~6年の上野動物園~子供が見えず大人が楽しんでいる
上野動物園明治25~6年の上野動物園~子供が見えず大人が楽しんでいる

上野の「博物館」が創設された当時は、町田久成、田中芳男に代表される二つの構想の確執が、決着を見ていない頃でした。

開館したころの博物館の展示品を見ると、古文化財より天産品の方が断然多いという状況であったようです。

開館当時の博物館~1階天産部陳列室(キリンの剥製が展示されている)

開館当時の博物館~~2階絵画陳列室
開館当時の博物館
(上)1階天産部陳列室~キリンの剥製が展示されている、(下)2階絵画陳列室


初代の博物館長には、町田久成が就任しますが、たった7ヶ月で解任となります。
その後、二代目の館長には、田中芳男が就任しますが、これまた、6ヶ月で辞任となりました。
いろいろな曲折があったようなのです。

そして、開館当時、農商務省の所管であった博物館は、その後、明治19年に宮内省の所管に変更され、皇室に相応しい、古文化財、古美術品を展示する「帝室博物館」として発展していくことになります。
町田久成は、博物館の宮内省への所管変更への動きのなかで、解任となった博物館に、別のポストで数年間復帰し、「歴史美術博物館」への方向付けに、尽力しています。

現在の東京国立博物館の有様を見ると、まさに、町田久成が明治初年に描いた「集古館」の構想の実現したものとなりました。

現在の東京国立博物館
現在の東京国立博物館

一方、田中芳男が抱いた「自然史博物館」への夢は、現在の国立科学博物館、上野動物園に実現されているといえるのでしょう。

国立科学博物館(上野公園内)
国立科学博物館(上野公園内)
現在の上野動物園入口
現在の上野動物園入口



【「町田久成の夢」を実現した、東京国立博物館】


上野の博物館の明治創設期をめぐる、こうした確執、経緯を振り返ってみると、現在の東京国立博物館の庭園に、立派な「町田久成顕彰碑」が建てられているのが、本当に納得できます。

町田久成顕彰碑
町田久成顕彰碑

その碑文に、

「博物館ハ則チ君ガ提議シテ創設スル所ナリ」

と刻まれていることへの、はかり知れぬ思いや重さを、感ぜずにはいられません。

もし、町田久成の「歴史美術博物館」創設への夢や執念が無かったならば、今の地に在る東京国立博物館は、もう少し違った性格の博物館となっていたのかもしれません。


私をはじめ、仏像好き、美術好きの皆さんは、明治初年の町田久成の博物館創設への夢に想いを致し、その功績に、大いに感謝しなければならないのかもしれません。

大津・三井寺法明院にある町田久成の墓
大津・三井寺法明院にある町田久成の墓


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