観仏日々帖

古仏探訪~草津、宝光寺・薬師如来像と橘堂・観音像の秘仏御開帳 [その2] 【2017.9.16】


2.橘堂・三面六臂の観音像の御開帳



宝光寺の秘仏・薬師像と、観音堂・聖観音像に、想定外の大満足の後、近くの橘堂・観音像の御開帳に向かいました。

橘堂の三面六臂観音像は、10~11世紀頃の、お顔の大変美しい観音様です。

橘堂・三面六臂観音像(平安時代・草津市指定文化財)
橘堂・三面六臂観音像(平安時代・草津市指定文化財)

像高:107cm、ヒノキの一木彫・内刳無し、本面・両脇面・頭頂面が十四面で、六臂の観音で、草津市の指定文化財となっています。

この像の呼び方については、三面千手観音像と書かれたり、千手観音と断じるのを避けて、三面六臂観音像、十四面六臂観音像と書かれていたりします。
ここでは、市指定文化財の名称となっている「三面六臂観音像」と呼ばせていただきました。



【宝光寺御開帳に合わせて開帳される、橘堂の観音様】


橘堂は、宝光寺の北西5~600m程の、草津市志那町という処にあります。

この橘堂の観音様の御開帳は、宝光寺の御開帳の時に合わせて、同じ時期の行われることとなっています。
由緒によると、南都僧、定恵が勅願により宝光寺を創建した際に、同時に建立されたものという伝えがあり、御開帳も宝光寺と一体ということになっているようです。

公園の広場のような場所に、ポツリと建てられた小堂があり、そこが橘堂です。

御開帳日の橘堂
御開帳日の橘堂

本日は、御開帳日ということで、お堂の横にテントが張られ、地元の方がご開帳の対応をされていました。

橘堂・観音像御開帳の看板、ご対応の方々のテント
橘堂・観音像御開帳の看板、ご対応の方々のテント



【端正で美しいお顔に、思わず見惚れる三面六臂の観音像】


早速、お堂に入って、観音像のご拝観です。

内部が金色のお厨子に祀られている橘堂・観音像
内部が金色のお厨子に祀られている橘堂・観音像

橘堂・三面六臂観音像
橘堂・三面六臂観音像

なんといっても「美しく、整ったお顔」が、印象的です。
「端正」という言葉が、そのままあてはまるようなお顔の造形で、見惚れてしまいます。
優美だけれども、キリリとしっかり締まったお顔です?

端正で美しいお顔の橘堂・三面六臂観音像
端正で美しいお顔の橘堂・三面六臂観音像
端正で美しいお顔の橘堂・三面六臂観音像

いわゆる、藤原風の「繊細優美」と云われる雰囲気とは少し違っています。

「しっかりとした彫り口の中に、心鎮まる穏やかさがこめられた、端正な顔貌。」

とでもいうのでしょうか。

本面、脇面の三面のお顔が、厨子の内側の金色に映えて、浮かびあがってくるような幻惑感さえ覚えてしまいます。
この観音像を拝すれば、誰もが、このお顔に魅了されてしまうことと思います。

像全体のプロポーションも、バランスよく整っており、なかなか出来の良い像です。

橘堂・三面六臂観音像
橘堂・三面六臂観音像

肉付けも穏やかながら豊かなものがあり、衣文も大人しく整ったものですが、シャープな刻線で彫られています。

橘堂・三面六臂観音像~脚部
橘堂・三面六臂観音像~脚部

檀像風の素木の像であったのしょうか?
髪際のあたりには、細かいノミ跡が残されています。



【10世紀末頃の出来の良い観音像~めずらしい三面六臂の千手観音】


10世紀末頃の制作とみられているようですが、いわゆる藤原風になっていく直前あたりの、平安中期の穏やかさの造形表現の像ということで、納得です。
そのなかでも、なかなか出来の良い像なのではないでしょうか。

橘堂・三面六臂観音像
橘堂・三面六臂観音像

この像の魅力は、三面六臂の造形バランスの良さにもあるように思います。

これを千手観音と見做すかどうかの議論もあるようですが、三面千手観音像と云うのは、現存している像が少ないそうで、京都・法性寺像(平安・国宝)、福井・妙楽寺像(平安・重文)、京都・正法寺像:元九品寺蔵(鎌倉・重文)が知られているそうです。

京都法性寺・三面千手観音像(平安・国宝)
京都法性寺・三面千手観音像(平安・国宝)

福井妙楽寺・三面千手観音像(平安・重文).京都・正法寺像・三面千手観音像(鎌倉・重文)
(左)福井妙楽寺・三面千手観音像(平安・重文)、(右)京都・正法寺像・三面千手観音像(鎌倉・重文)



【展覧会ポスターとなり、一躍、人々の眼を惹いた「かくれ仏」】


私が、この観音像を初めて観たのは、もう20年近くも前のことです。

1998年秋に、滋賀県立近代美術館で開催された「近江路の観音さま展」に、出展されたのです。
この展覧会は、平安期を中心とした近江の観音像50躯ほどが一堂に会した、大変充実した仏像展でした。
なんと、その展覧会ポスターに、橘堂観音像のお顔のクローズアップ写真が使われ、図録の表紙を飾ったのでした。

「近江路の観音さま展」図録の表紙に使われた橘堂観音像のお顔
「近江路の観音さま展」図録の表紙に使われた橘堂観音像のお顔

多くの人が、
「橘堂の観音像? そんな仏像あったっけ?」
と、と思ったに違いありません。

そんなかくれ仏が、一躍、展覧会のスターの座に大抜擢され、観音像のお顔の、穏やかで心惹き込まれるような美しさに、人々が魅了されたのでした。

図録表紙の橘堂観音像のお顔
図録表紙の橘堂観音像のお顔

以来、私も、お気に入りの仏像の一つなり、今回の御開帳で、この観音像を拝するのも4回目になりました。
いつ拝しても、この観音像の「端正な美しさ」に見惚れてしまいます。



【吉田・白井両家が管理所有する橘堂】


普段は、秘仏として守られているのですが、橘堂の管理所有者である吉田家にお願いすると、ご都合が付けば、拝させていただくことが出来るのです。

実は、この橘堂の観音像は、個人所有になっているそうで、吉田家、白井家の両家で、お堂が建てられ管理されているのだそうです。
お堂のある場所も「吉田」という地名が付けられており、すぐそばの吉田家の元母屋は「吉田家住宅」とっして県指定文化財になっています。

県指定文化財となっている吉田家住宅
県指定文化財となっている吉田家住宅

お堂のある広場には、、琵琶湖養殖真珠の事業化を手掛け「淡水真珠養殖の父」と呼ばれる「吉田虎之助翁銅像」が建てられています。

橘堂のお堂の敷地に建てられている「吉田虎之助翁銅像」
橘堂のお堂の敷地に建てられている「吉田虎之助翁銅像」

ところで、なかなか整って出来の良い、橘堂・観音像なのですが、文化財としては「市指定文化財」になっています。
これだけの出来であれば、重文とまでは云わなくても、せめて県指定文化財ぐらいになってもよいのではないだろうか、と思うのですが・・・・・・

はっきりとしたことはよく判りませんが、この像が「市指定」でとどまっている訳には、観音像の本面が、

「江戸時代の後補のものではないか?」

とみられていることが、影響しているのかもしれません。



【別材で矧ぎ付けられているお顔、本面~江戸時代の後補なのか?】


先程来、「美しく端正で、見惚れる」と綴ってきた、観音像のお顔なのですが、なんと江戸時代の後補であるといわれているようなのです。
本像は、江戸時代、寛文13年(1673)に修理されたという旨の墨書が、台座に残されています。

観音像台座に残された、寛文13年(1673)修理の墨書
観音像台座に残された、寛文13年(1673)修理の墨書

その修理の際に、第一手上膊部等が後補されているのですが、火災で損傷したお顔、本面が造り直されて、矧ぎ付けられたとというのです。

たしかに、お顔、本面の側面の方には、材を矧ぎ付けたとみられる線が入っているのが判ります。
この線の処から、顔面が矧ぎ付けられているということです。

面部が別材矧ぎとなっている観音像の顔~右目の目尻から首の三道にかけて矧ぎ目の線が見える
面部が別材矧ぎとなっている観音像の顔
~右目の目尻から首の三道にかけて矧ぎ目の線が見える~


面部が別材矧ぎとなっている観音像の顔~左耳の付け根から首の三道にかけて矧ぎ目の線が見える
面部が別材矧ぎとなっている観音像の顔
~左耳の付け根から首の三道にかけて矧ぎ目の線が見える~


そうだとすると、今の美しいお顔は、江戸時代のものということになるのでしょうか?

この点について、宇野茂樹氏は、本面は江戸の補修とみて、このように述べています。

「頭上前面の化仏(頭頂仏面は除く)や、両脇・体幹部が手を除いて造像当時のものであるにもかかわらず、もっとも大事な本面が後代に補修されている。
左膝下裳の部分に火を間近に受けた跡が残ることから、おそらく火災の時に本面が損傷受け、寛文13年(1673)の修理のときに補修されたものであろう(台座裏修理銘)。
しかし作風から10世紀末の造像と考えられ、我が国でも作例の少ない三面千手として注目に値する。」
(「平安の美術」宇野茂樹・草津市史1巻1981.07所収)



【本面も、後補ではなく10~11世紀のものと見る、新たな見解も】


以来、ずっと、「本面は、江戸時代の後補矧ぎ付け」とみられていたようなのですが、高梨純次氏が、

「本面も、後補ではなく、10~11世紀のものと見てよいのではないか。」

との、新たな見方を述べています。

橘堂・観音像が図録表紙に使われた「近江路の観音さま展」の図録解説において、このように記されています。

「さらに現状についての解釈にとって大きな問題は、正面の本面が別材製となる点である。
この点については、宇野茂樹氏により、寛文13年に補修きれたものと解釈されている。
・・・・・・・
作風の違う観音像の頂上仏面と本面~本面は古く、頭頂仏面は江戸の補作?
作風の違う観音像の頂上仏面と本面
~本面は古く、頭頂仏面は江戸の補作?
本像の本面は、幹部材の前後の厚みからして、幹部材よりの彫出が可能であり、あえて別材製としているについては、やはり当初のものではないとするのが妥当であろうが、その表現からして果たして17世紀後半の後補とするにはいさきか古様を留めている。
本面は、丸々とした全体感をもち、天冠台の形式や表現も古様であり、眉から鼻にかけてのカーブも明快で、引き締まった唇の表現もバランスが整い、エッジを利かせた明快なものとなっている。
・・・・・・・・・・
この右脇面を参考として本面が後補きれた可能性もあるが、近世に至って補作がなされたとするには破綻が認められず、やはり検討した時期に近い頃の作とするのが妥当であろう。
また、頂上仏面を含めた頭上面の補作を、この寛文13年とみるならば、やはり両者の作風の違いは明らかである。」

「別材製の本面が補作されたものとしても、あまり年代の離れた時点ではなく、比較的に近い時期に行われたものと結論付けられよう。
あるいは、幹部材の木心がほぼ中央に籠められていることを嫌っての所為、または支障が生じてのことかとも推測される。」

以上のような考えを示したうえで、

「本面の制作は、10世紀末から11世紀初頭とするのが妥当であろう。」

との結論に達しています。

いずれの見方が正しいのでしょうか?



【平安時代のお顔と思いたい、端正な美しさ】


難し過ぎる議論で、私などには、どうこう云えるものではないのですが、あの本面がいずれの時代のものであろうと、「端正で美しいお顔」には惹きつけられ惚れ込んでしまいます。
あのお顔が、江戸時代のものと云われると、何とも残念至極というのが、実感です。

高梨氏が想定されているように、
「木心が中央に籠められているのを嫌ったから」
とか、
「一度、彫ってみた顔が満足いくものではなかったので、彫り直して矧ぎ付けた。」
というふうに思いたいというのが、率直な気持ちという処です。

この本面が後補という問題がなかったならば、「県指定とか重文」に指定されていた可能性もあるのでしょうか?



御開帳に訪れた8月8日は、じりじりと真夏の太陽が照り付ける、炎暑でした。
35度越えになったのかもしれません。
酷暑にもかかわらず、訪れる方が絶えることはありませんでした。

橘堂・三面六臂観音像
橘堂・三面六臂観音像


ジットしていても、うだる暑さでしたが、小ぢんまりした橘堂で、穏やかな観音像の姿を拝していると、厳しい暑さも忘れてしまいそうな、心静かな時間を過ごすことが出来ました。


古仏探訪~草津、宝光寺・薬師如来像 と 橘堂・観音像の秘仏御開帳 [その1] 【2017.9.16】


その1. 宝光寺・薬師如来像の秘仏御開帳



心待ちにしていた「秘仏~宝光寺・薬師如来像の御開帳」が、この8月にありました。

宝光寺は、滋賀県草津市にある天台宗のお寺です。
御本尊の薬師如来立像は、10世紀頃の制作と云われる平安古仏で、厳重な秘仏として守られています。


【一度は拝したいと、気になっていた、宝光寺・秘仏薬師如来像】


この仏像、一度は拝してみたいものと思いながらも、ずっと未見となっていました。

「仏像集成」(学生社刊)には、ご覧のような写真と共に、次のような解説が付されています。

宝光寺・薬師如来立像(「仏像集成」学生社刊掲載写真)

宝光寺・薬師如来立像(「仏像集成」学生社刊掲載写真)
宝光寺・薬師如来立像(「仏像集成」学生社刊掲載写真)


木造 彩色 166.7cm

木造(カヤ材か、一木造)、彩色。
木心は像のほぼ中央に籠められ、内刳りはない。
頭部は体部に比して大きく造られるが、塊量性を減じ、太い襞に鎬立つ衣文を配し、股間に流す形式も彫は浅くなっている。
10世紀後半期の天台宗における立像薬師の一例と考えられる。
両手先・両足先・持物・台座・光背の一部は後補。

秘仏。  〈重要文化財〉 」


掲載写真を見ると、なかなか興味深い平安古仏です。
以前から、気になっていた仏像なのです。

近江湖南の平安古仏は、随分巡ったのですが、宝光寺・薬師像は33年に一度の厳重秘仏で、これまで拝することが叶わなかったのです。



【このチャンス、逃すまじ!~33年に一度の御開帳に、いざ草津へ】


その宝光寺・薬師如来像が、今年(2017年)8月9日~13日の5日間に限り、御開帳されることになったのです。
今年が、33年に一度の御開帳の年にあたります。
平成13年(2001)に中開帳があったそうなので、16年ぶりの本尊御開帳ということです。

「このチャンス、逃してはならじ!」

と、草津まで出かけることにしました。

宝光寺は、JR草津駅から北東に5キロほど、草津市北大萱町という処にあります。

草津市北大萱町にある宝光寺~御開帳の日

草津市北大萱町にある宝光寺~御開帳の日
草津市北大萱町にある宝光寺~御開帳の日の様子

御開帳初日の8/9、午前11時過ぎに到着したのですが、丁度、御開帳式、法要が行われている最中でした。
それほど大きなお寺ではありませんでしたが、33年に一度の御開帳ということだけあって、北大萱町の集落挙げての盛大なご開帳行事という様子です。
大勢の地元の人々が集まられている中で、読経、ご挨拶が続きます。

御開帳式が執り行われている宝光寺・本堂

御開帳式風景~ご法要が終わった処
御開帳式・法要が執り行われている宝光寺・本堂

御開帳式次第が終わると、いよいよ、ご拝観です。
めざす薬師如来像は、本堂の大きな厨子の中に祀られています。
厳重な秘仏の御本尊ですので、少し離れたところからご拝観になるのかなと思ったら、厨子の前まで近づいて拝してよいということです。

お厨子に祀られた秘仏御本尊の御開帳風景
御開帳された秘仏御本尊を、ご拝観する人々

有難いことに写真もOKいただきました。
薬師像のすぐそばで、眼近にじっくり拝することが出来ました。



【眼近にご拝観~想定外の「威圧感、存在感」に、大きな驚き】


目に映った第一印象は、予想外、想定外のものでした。

宝光寺・薬師如来像
厨子内に祀られる宝光寺・薬師如来像

写真で見た。穏やかなイメージと違います。

「ちょっと無気味とも言ってよいような凄み」
を感じます。
「なんとも言い難い、威圧感、霊感を漂わせている。」
という印象です。

宝光寺・薬師如来像

宝光寺・薬師如来像
不思議な凄み、存在感を感じさせる宝光寺・薬師如来像

写真を見た感じでは、もっと「穏やかで、優しく大人しい」感じの仏像のイメージだったのです。
いわゆる「平安中期の穏やかさ」が、前面に出たような像と予想していたのです。

ところが、何とも言えない凄み、威圧感といった雰囲気を漂わせているのです。
平安前期特有の、厳しく鋭く、塊量感あふれるというのではなく、もう少し大人しくマイルドな表現になっているのですが、独特の存在感を感じさせるものがあります。

頭部、顔貌は、随分大振りに造られていて、それだけで圧力感があります。

宝光寺・薬師如来像

宝光寺・薬師如来像~顔部
眼力、圧力感を感じさせる顔貌

お顔を見ると、まずもって「眼力」を感じます。
目尻の方まで、大きな目の見開きがしっかり続いているのが、「眼力」の根源かも知れません。

唇を分厚く突き出して、下顎のくくりをクッキリ彫り出しています。
唇、顎の感じは、神護寺の薬師如来像のタイプにちょっと似ています。

宝光寺・薬師如来像~顔部神護寺・薬師如来像~顔部
宝光寺・薬師如来像(左)と神護寺・薬師如来像(右)の顔部~唇と顎の造形のタイプが似ている

こうした顔貌の雰囲気が、独特の凄み、存在感を漂わせる表現になっているようです。

そして、肩から胸にかけての上半身は、ボリューム感があって、ダイナミックな抑揚を感じさせます。。

宝光寺・薬師如来像~体部

宝光寺・薬師如来像~体部
ダイナミックな抑揚、ボリューム感がある宝光寺・薬師如来像~体部


【下半身の穏やかであっさりした表現に、少し拍子抜け
~上半身の迫力とは、ミスマッチ】


このように書き綴ると、平安前期の仏像そのもののような文章表現になってしまうのですが、下半身に目を移すと、造形感覚が随分違うのに気付きます。

腰から下、足下までの下半身の造形は、衣文も浅く、抑揚も少なくて、拍子抜けしたように、大人しくあっさりしたものになっています。
上半身の調子とはかなり違って、下半身だけ見ると、穏やかな藤原風の雰囲気といってもおかしくありません。

宝光寺・薬師如来像~脚部
穏やかであっさりした調子の宝光寺・薬師如来像~脚部



【制作年代は、10世紀初頭、10世紀末?~別れる専門家の解説】


このあたりの薬師像の造形を、専門家はどのように解説しているでしょうか。
厳重な秘仏とされているからか、解説されている本が少なかったのですが、このように述べられています。


「草津市史」の宇野茂樹氏の解説です。

宝光寺・薬師如来像
宝光寺・薬師如来像
「この像は秘仏で33年に一度の秘仏となっている。
像高166センチメートル、一木彫成の立像薬師である。
顔の表情は深厳さを漂わせ、両肩を大衣でおおう通肩の柄衣(僧衣)の衣摺には、翻波がみられる。
造像期はおよそ9世紀最末期から10世紀初頭ごろと考えられる。
・・・・・・・・
最澄の造立した比叡山の根本薬師堂の薬師如来が立像であったことから、天台宗寺院には立像薬師が多くみられる。
この宝光寺の薬師如来が立像であることは、この薬師如来が造像されたときは、すでに宝光寺は天台宗の勢力下におかれていたと考えることも無理ではない。」
(「草津市史・第1巻~平安の美術」執筆・宇野茂樹、1981刊)


井上一稔氏の解説です。

「宝光寺は奈良時代に建立されたと伝えられ、境内付近からはこの時代の軒丸瓦を出土している。
本像は縁起によると、最初の堂が火災にあった後、最澄が造立した像であると伝えられる。
もちろんこの縁起を信ずるわけにはいかないが、最澄に関連した天台系の薬師であることは、その容姿から伺うことが出来る。
それは、本像が天台系の薬師である蓮台寺像や、善水寺像と似る像であるからである。

ヒノキの一材から彫成し内刳りを施さず、両手両足先を矧ぐのみで、古様なつくりをしている。
しかし、衣文線などに省略と形式化がみられるところから、10世紀後半の作と考えられる。
体部には当初の彩色を残し、光背の身光及び光脚部は当初と考えられることも貴重である。」
(「滋賀の美 佛 湖南・湖西」京都新聞社1987刊)


蓮台寺・薬師如来像善水寺・薬師如来像
(左)蓮台寺・薬師如来像、(右)善水寺・薬師如来像

制作年代については、
平安前期の森厳さ、威圧感の雰囲気を残す造形をみて、10世紀初頭の制作とする見方、
塊量性が減じて、衣文の形式化、省略化がみられる点をとらえて10世紀後半の制作という見方、
とがあるようです。

難しいことは判りませんが、たしかに、下半身の浅く抑揚のない衣文、あっさりした造形をみると、10世紀後半というのは、判るような気がします。



【駆けつけた甲斐があった、宝光寺・薬師御開帳
~惹き込まれる存在感の平安古仏に大満足】


ただ、薬師像の独特で不思議な存在感を漂わせた雰囲気は、大変魅力的で惹きこむものがあります。

天台薬師の系譜にある像であるからでしょうか?
なるほどと思わせる、凄みある霊威感を発散しているようです。
今は、古色になっていますが、もともとは朱衣金体であったのでしょうか?

宝光寺・薬師如来像
宝光寺・薬師如来像

わざわざ、ご開帳に駆けつけた甲斐がありました。
想定外に、迫力と存在感のある仏像に出会うことが出来ました。
そして、心にしっかり残る仏像となりました。


【ノーマークの観音堂・聖観音像に遭遇、その素晴らしさに、ビックリ!】


満足感に浸って、宝光寺を後にしようかと思った処、本堂の隣の観音堂にも古い仏像が祀られているという話を、お参りに来られた方から教えていただきました。

宝光寺・観音堂
本堂の隣になる宝光寺・観音堂

それこそ、期待もせずに、折角だから一応観て帰ろうかと、寄ってみました。

観音堂には、等身より少し大きい目の聖観音像が祀られていました。

宝光寺観音堂・聖観音像
観音堂に祀られる聖観音像

その姿を観て、ビックリしました。
堂々たる平安一木彫の観音像なのです。

宝光寺観音堂・聖観音像

宝光寺観音堂・聖観音像
宝光寺観音堂・聖観音像

平安前~中期の雰囲気をたたえた、それもなかなか出来の良い、一流といってもよい仏像です。
バランスのとれた確かな造形力、力強さがこめられた、正統的作品という感がします。
すっかり気に入ってしまいました。

「伸びやかさを感じさせる雄大な造形で、どこか大陸風のエキゾチズムを感じさせる。」

そんな印象を受けました。

宝光寺観音堂・聖観音像~顔部
宝光寺観音堂・聖観音像~顔部
宝光寺観音堂・聖観音像~顔部

レベルの高い仏像ぞろいの近江、湖南でも、一目置いてもよい平安古仏の一つと云ってもよいのでは、という気持ちになってしまいます。

古様なところもありますが、造形の穏やかさが顔を見せ、衣文の抑揚、躍動感が弱くなってきているようで、10世紀も半ばごろの制作なのかなという気がしました。



【何故だか、文化財・無指定~これだけの平安一木彫像がどうして?】


驚くことに、この観音像、全くの無指定です。
市や県の文化財指定も受けていません。

「これだけの、立派で出来の良い平安古仏が、どうして無指定のままなのだろうか?」

素直な疑問です。

眼近に拝すると、鼻の部分、両腕から先は後補のようですが、当初の像容を損じるほどのものではないように思えます。

宝光寺観音堂・聖観音像~顔部宝光寺観音堂・聖観音像
後補のように見える鼻部と両腕部


「それでも、市も県も無指定というのは、無いでしょう!」

というのが率直な感想です。

これほどの平安古仏が、世に知られることなく、文化財指定もされずに、お堂に祀られているのです。

「近江の地の仏像というのは、本当に奥深い」

つくづく、そのように思い知らされました。



「想定以上に、存在感、凄みのある薬師如来像の御開帳」

「全く予期しない、出来の良い堂々たる一木彫観音像との出会い」

 
となりました。

思いもかけぬ、満足感一杯の、草津・宝光寺への古仏探訪となりました。


【その2】では、宝光寺と同じ日に御開帳となる、橘堂・三面千手観音像のご拝観について、ご紹介したいと思います。


古仏探訪~三重県津市・光善寺の薬師三尊像の御開帳  【2017.4.14】


【年に一日限りの光善寺薬師像ご開帳に、日帰り観仏へ】


三重県津市片田薬王寺町にある、光善寺・薬師三尊像のご開帳に行ってきました。

「津市の仏像」という津市教育委員会から出された本の表紙を飾っている仏像です。

「津市の仏像」表紙の光善寺・薬師如来像

光善寺・薬師如来像~「津市の仏像」所載写真
光善寺・薬師如来像~「津市の仏像」所載写真

この写真を見てしまうと、
「これは放っておくわけにはいかない」
という気持ちになってしまいます。

一見しただけで、出来の良い、魅力ある像だと確信しました。
是非とも、一度拝したいと思っていた、平安古仏なのです。

この仏像、かつて、四日市市立博物館で、2003年に開催された「仏像東漸展」に出展されたことがあるのですが、私はこの展覧会に行けなくて、見逃してしまいました。

三重の仏像は、何度か巡ったのですが、この光善寺・薬師三尊像だけは、毎年4月に、一日だけのご開帳となっており、未だに拝する機会がありませんでした。
以前に、拝観のお願いをしたこともあるのですが、ご開帳日以外は、一切開扉していないということで、叶わなかったのです。
いずれ、ご開帳日に狙いを定めて、行くしかないと思っていたのですが、ついに今年、思い切って出かけてみる気になったのでした

ご開帳日は、4月1日(土)でした。
以前は、4月8日と定められていたのですが、近年、4月の第一土曜日のご開帳に改められ、今年は4月1日がその日にあたります。



【村の人々の手で、大切にお守りされている光善寺・薬師三尊像】


横浜方面から、光善寺を目指して、日帰り観仏です。
光善寺は、津駅から車で西へ20分ぐらい行った処、片田薬王寺町という処にありました。
まさに片田舎の鄙なる村落という風景です。

光善寺はすぐに見つかりましたが、そこにお祀りされているのではなく、近くの小高い山腹に建てられた収蔵庫に安置されているようです。

光善寺
光善寺

この薬師三尊像は、片田薬王寺(廃絶)の本尊と伝えられ、今は、光善寺の管理ということになっているのですが、実際には、村落の人々の手で管理され守られているのだということです。

常夜灯を目印に、細い坂道を登っていくと、収蔵庫と集会所のような建物が見えてきます。

収蔵庫への登り口の常夜灯
収蔵庫への登り口の常夜灯

収蔵庫へ向かう登り坂の細道
収蔵庫へ向かう登り坂の細道

この場所に、片田薬王寺があったと伝えられているとのことです。

丁度、お昼頃に伺ったのですが、収蔵庫が開かれており、地元の方が2~3人詰めていらっしゃいました。

光善寺・薬師三尊像が祀られる収蔵庫
光善寺・薬師三尊像が祀られる収蔵庫

ご開帳の儀式のようなものがあって、多くの人がお参りされているのかと思ったら、とりわけ荘厳されているわけでもなく、あっさりとした御開帳です。
拝観は、私だけでした。
その後。パラリパラリと数人が見えましたが、まさに地元の方々の手で、ひっそりとお守りされている薬師様という様子でした。



【想定外に、おだやかな印象を受ける薬師如来像】


真正面に薬師如来像の姿が目に入ってきました。
像高は96.9センチで、ほぼ等身という処です。

収蔵庫内の光善寺・薬師三尊像
収蔵庫内に祀られる光善寺・薬師三尊像

目に映った、第一印象は、
「まろやか! おだやか! バランス良いまとまり!」
意外にも、こんなキーワードが頭に浮かんできました。

光善寺・薬師如来像

光善寺・薬師如来像
光善寺・薬師如来像


「ボリューム感あふれる迫力、パワフルな重厚感」

こんな先入観のイメージを頭に描いて、光善寺を訪ねたのです。
ちょっと遠目から拝すると、

「どっしり感はあるが、出来の良い、美しくおだやかな仏像」

そんな感じを受けるのです。

本で見ると、側面からや、斜めからの写真を観ると、分厚い体奥が際立って、すごいボリューム感ある仏像、塊量的な迫力あふれる仏像だな、という印象でした。

塊量的ボリューム感を感じる光善寺・薬師如来像の斜めからの写真

塊量的ボリューム感を感じる光善寺・薬師如来像の側面からの写真
塊量的ボリューム感を感じる光善寺・薬師如来像の斜め、側面からの写真

きっと、実物の薬師像を直に拝すると、もっともっとはち切れるボリューム感やインパクトを感じるに違いないと思い込んでいたのでした。

薬師像との出会いの第一印象は、私の勝手な思い込みが外れて、ちょっと拍子抜けというのが、率直な処でしょうか?



【眼近に拝すると、やっぱり凄い、胸厚やふくらはぎのボリューム感】


さて、薬師像の近くによって、じっくりしっかり拝観です。

近づいて観れば観るほど、たしかな造形力を備えた、腕のある仏師の手になるのが間違いない、出来の良い優作です。
一つひとつの造形表現も、良く出来ていますし、全体のバランスも見事にとれています。
奈良京都の中央にあっても、おかしくないレベルの仏像だと思いました。

そして、感じるのが、はち切れそうなボリューム感やたくましさです。
正面から拝すると、そんな感じはしないのですが、近づいて斜めから見ると、強くそのように感じるのです。
まず目につくのが、肩から胸にかけての逞しさです。

光善寺・薬師如来像~逞しく厚みのある肩から胸の造形
光善寺・薬師如来像~逞しく厚みのある肩から胸の造形

胸の厚みは凄くて、胸板のボリューム感は、並みのものではありません。
結構圧倒されてしまいます。
平安前期そのものといっても過言ではありません。

もう一つ、眼を惹くのが、ふくらはぎの造形です。

光善寺・薬師如来像~はち切れる弾力感のふくらはぎの造形

光善寺・薬師如来像~はち切れる弾力感のふくらはぎの造形
光善寺・薬師如来像~逞しく厚みのある肩から胸の造形

アスリートの、パンパンの凄いふくらはぎという感じなのです。
はち切れんばかりで弾力感あふれ、極めて魅力的、惹きつけられるものがあります。



【平安前期の塊量感と、中期のおだやかさが、ミスマッチに同居する薬師像】


胸厚やふくらはぎの造形感覚をみていると、

「厳しくオーラのある顔貌をしているに違いない。
衣文の彫は深くて、鋭く鎬立っているのに違いない。」

このように思うのですが、
実際は、お顔の表情は、まろやかで穏やか、衣文の彫も浅めで整っているのです。

光善寺・薬師如来像~穏やかな顔・浅めの衣文
光善寺・薬師如来像~穏やかな顔・浅めの衣文

平安前期のパワフルなボリューム感と、中期以降の穏やかさ、まろやかさが同居したミスマッチ感を強く感じる仏像です。

このあたりの特徴について、赤川一博氏は、このように述べています。

「幅、奥行ともに、たっぷりとした塊のような体躯をもつ堂々とした三尊像である。
・・・・・・・・・
はみ出すような肉取りをもっ堂々とした像であるが、既に異相や渦文の呪術的強さが消え、歯切れのよい強さを求めるより重々しさへの噌好が支配的となる。
・・・・・・・・・・
中尊の細かい螺髪、浅く美しく整えられた衣文などは比較的和様化が進んだ要素と見られ、本像の特色である重厚さも、はちきれるような肉身の張りを伴うものではない。
さらに、中尊には、面貌の穏やかさや、耳の平やかな表現など所々に時代の降る要素が見られる。」
(「津市の仏像~津市仏像悉皆調査報告書」津市教育委員会編・2004年3月刊)

制作年代について、赤川氏は、

「仏像東漸展」図録解説では
「9世紀の形式を残しつつも、10世紀に入ってからの作か。」
「津市の仏像」解説では、
「本像の制作は10世紀後半と考えられよう。」
と、述べられています。

いずれにせよ、平安前期の塊量的な造形から、和様化していく過渡期的な仏像とみられているようです。

私の受けた印象も、そのとおりですが、大変出来の良い魅力的な優作であることに間違いありません。
わざわざ、ご開帳日に、日帰りで拝しに来た値打ち十分、という仏像でした。


中尊、薬師如来像の両脇には、日光・月光菩薩像が祀られています。
像高は、107㎝です。

光善寺・薬師三尊月光菩薩像....光善寺・薬師三尊日光菩薩像
光善寺・薬師三尊~(左)月光菩薩像、(右)日光菩薩像

光善寺・薬師三尊日光菩薩像..光善寺・薬師三尊日光菩薩像
光善寺・薬師三尊日光菩薩像

日光・月光菩薩像と薬師像は、わずかに雰囲気が違うというか、手が違うような感じがします。
重量感はあるのですが、薬師像より、より大人しく、おだやかかで優しい印象が漂っています。
また技量的にも、薬師像の見事な腕前には、ちょっと追い付いていないようです。
制作時期が違うのかという疑問もあるようですが、三尊一具で、造形の違いは担当仏師の資質、表現の差とみられているようです。



【六波羅蜜寺・十一面観音像以降の和様化の流れの中に位置づけられる像?】


光善寺・薬師三尊像は、平安彫刻史の流れの中で、どのように位置づけられているのでしょうか。
赤川一博氏は、

「本三尊像に共通する時代感覚は、京都市六波羅蜜寺木造十一面観音菩薩立像(951年) 辺りから顕著になる和様化の流れの中で考えることができ、特に両脇侍像は仏師康尚周辺の作と指摘されている京都市遍照寺十一面観音菩薩立像や八瀬文化財保存会十一面観音菩薩立像(ともに10世紀末)などに近いことが注目される。
さらに、檜を主材とする点などとともに、本像の制作は10世紀後半と考えられよう。

本三尊像は、作域の優秀さもさることながら、古像の堂々とした重厚感から学んだ威厳を中尊に、当時流行しつつあった軽やかで浮遊するかのような最新の表現を両脇侍に使い分けて、如来と菩薩の尊格の違いを表現するところも見所の一つである。」
(「津市の仏像~津市仏像悉皆調査報告書」津市教育委員会編・2004年3月刊)

このように述べて、この仏像の和様化の過渡期的性格と、三尊の造形表現の違いについて説明しています。

六波羅蜜寺・十一面観音像
六波羅蜜寺・十一面観音像

遍照寺・十一面観音菩薩像..八瀬文化財保存会・十一面観音菩薩像
(左)遍照寺・十一面観音菩薩像、(右)八瀬文化財保存会・十一面観音菩薩像


「なるほど」
「六波羅蜜寺・十一面観音(951)⇒⇒⇒遍照寺(989)、八瀬文化財保存会・十一面観音という和様化流れの中にある像と位置づける、ということか・・・・」

と、それなりに納得しつつ、

「ウーン、光善寺像には、もうちょっと重厚感、重量感があるような気がするけれども・・・・」

そのように感じました。



【光善寺像に感じる、六波羅蜜寺像のおだやかさの一歩手前の重量感】


私個人の、素人の印象でしかないのですが、
光善寺・薬師如来像と六波羅蜜寺・十一面観音像を比べると、六波羅蜜寺像の方が、全体的にも、お顔の表情も、かなりおだやか、和やかになっているように感じます。

光善寺・薬師如来像~顔部.六波羅蜜寺・十一面観音像~顔部
(左)光善寺・薬師如来像、(右)六波羅蜜寺・十一面観音像~顔部

何よりも、光善寺像のボリューム感、塊量感の表現は、六波羅蜜寺像とは、かなり違っているように思えます。
尊格が違うものの、側面からの写真を見ると、その感を強くします。

光善寺・薬師如来像~側面.六波羅蜜寺・十一面観音像~側面
(左)光善寺・薬師如来像、(右)六波羅蜜寺・十一面観音像~側面

光善寺像には、肉体の重厚感を主張し、まだまだ塊量感へのこだわりを感じますし、六波羅蜜寺像には、肉身のマイルドな軽みを指向して行こうとする造形感を感じます。
両像には、ちょっと差があるように感じました。

脇侍の日光、月光像の方が、遍照寺、八瀬文化財保存会十一面観音像などの造形感に近いような気もしましたが、それでも、重量感という意味では、光善寺菩薩像の方が重々しいように見えるというのが率直な印象でした。

遍照寺・十一面観音像
遍照寺・十一面観音像


実際に制作された年代の話は別にしたとして、造形感覚という目で見ると、

「光善寺像の方が、六波羅蜜寺⇒⇒遍照寺、八瀬文化財保存会という流れの像よりも、一歩手前の時期に位置づけられてもいいのかな?」

「六波羅蜜寺像以下が、平安中期の穏やかさ、和様化表現の中心にあるとすると、そこへたどり着く直前ぐらいの感じがするのかな?」

そんな感じが、しました、
素人の独善的、個人的感想という処でしょうか?


もう一つ、材質、構造面で興味深いことがあります。
光善寺・薬師如来像は、内刳りのある一木造りなのですが、用いている用材が、体幹部はヒノキ、膝前部はカヤと、別々の樹種を用いているのです。
日光・月光像は、ヒノキ一木彫で、内刳りはされていません。
このことの、意味するところなどは、よく判らないのですが、ちょっとお知らせしておきます。



お堂を守られている地元の方の、いろいろな話をお聞きしながら、ゆっくり薬師三尊像を拝させているうちに、お昼も過ぎて、パラついていた雨も上がって、晴れてきました。
お堂から見晴るかす村落の様子は、のどかそのものです。

光善寺・収蔵庫から見晴るかす村落の風景
光善寺・収蔵庫から見晴るかす村落の風景

素晴らしい薬師三尊像が、この静かな村落で、地元の人々の手で、ずっと大切に守られていってほしいものと念じながら、急坂を下ってお堂を後にしました。

思い切って三重まで日帰り観仏に来た甲斐のある、魅力ある見事な仏像に出会うことが出来ました。





【追記】~いただいたコメントへのご参考写真

光善寺・薬師像が結跏しているかどうかについての、コメントをいただきました。
ご参考までに、向かって左からの写真から見た写真を、掲載させていただきます


光善寺・薬師如来像~左側からの脚部写真

光善寺・薬師如来像~左側からの脚部写真
光善寺・薬師如来像~向かって左上側からの脚部写真
結跏はしていないような感じに見えます




古仏探訪~2016年・今年の観仏を振り返って〈その4〉10~12月 【2017.1.7】


明けましておめでとうございます。
「観仏日々帖」、今年もよろしくお願いいたします。


年越しになってしまった、去年からの「今年の観仏を振り返って」は、〈その4〉、10~12月の観仏のご紹介です。


[10月]

広島、尾道方面の観仏に、同好の方々と、1泊2日で出かけました。

尾道浄土寺の秘仏本尊・十一面観音像の御開帳と、同じく尾道向島の西堤寺の2躯の聖観音像の御開帳の日に照準を合わせて、いくつかの仏像を訪ねる観仏旅行です。



【岡山県博「カミとほとけの姿展」へ
~際立つ魅力の明王寺・観音菩薩像と、ユーモラスな巨像、勇山寺・不動三尊像】


尾道へ到着の前に、まず、岡山で途中下車。
岡山県立博物館で開催された「カミとほとけの姿~岡山の信仰文化とその背景~展」を、観に行きました。

岡山県博「カミとほとけの姿」ポスター

この展覧会は、岡山に伝わる神像と仏像などにより信仰文化を紹介するという、展覧会です。
展覧会には、64件・147点(うち重要文化財6件)が出展されていました。

県指定文化財以上の出展仏像と、私の注目仏像は、ご覧のとおりです。

観仏先リスト01「岡山県博・カミとほとけ展」

この展覧会の、目玉で注目像は、なんといっても明王寺の観音菩薩像でした。

明王寺・十一面観音像
明王寺・十一面観音像

10世紀前半は下らないといわれる平安前期の優作です。
カヤ材の一木彫で、蓮肉まで一木で彫り出されています。
明王寺を訪れ拝したことがありますが、なかなかの魅力的な像で、しっかりと記憶に残っています。
今回の、展覧会出展仏像のなかでも、その出来の良さは際立って、眼を惹くものでした。
お顔と上半身は比較的穏やかさがあるのですが、下半身の衣の表現は、ダイナミックで躍動感あふれるものがあり、平安前期彫刻の魅力を発散させていました。

明王寺・観音菩薩像については、神奈川仏教文化研究所HP「貞観の息吹~明王寺・聖観音像」でも、ご紹介させていただいています。


一度は拝したいと思っていながらも、未見だったのは、勇山寺・不動明王二童子像でした。
像高183㎝という、巨像の不動明王坐像です。

勇山寺・不動明王三尊像
勇山寺・不動明王三尊像

中国山地の真ん中、美作・真庭にあるのですが、なかなか不便なところで訪ねる機会がなかったのです。
デカくて、量感たっぷりなのですが、田舎風で何ともユーモラスな不動明王です。
10世紀の制作だそうです。

勇山寺・不動明王像顔部
勇山寺・不動明王像顔部

類例のないような、諧謔、怪異な容貌は、なかなか面白いものでした。


最後に、気になったのが、安養寺の小金銅仏、如来立像です。
安養寺・如来立像
安養寺・如来立像

解説には、
この金銅仏は、これまで、平安~鎌倉時代に古仏をまねて作った「模古作」という説が有力だったそうなのですが、
「大阪大学の藤岡穣教授が蛍光X線分析を行ったところ、素材については、白鳳時代から天平時代に制作されたと考えて矛盾が無いと報告された。」
ということで、
「白鳳~天平時代(7~8世紀)の制作」と、記されていました。

その気になってじっくり見てみました。
私には、難しいことはよく判りませんが、形式や全体の雰囲気は「平安期以降の模古作」という方が、シックリくるような気がしました。
これからの、調査研究の進展がたのしみです。



午前中に、岡山県博を後にして、三原駅へ。
午後からは、次の諸仏の観仏探訪に巡りました。

観仏先リスト02「善根寺・文裁寺・田辺寺」


【壮観の平安古仏群、善根寺~地元保存会の人々の手で守られる】


まずは、三原市街から西へ6キロぐらいの処、小坂町にある善根寺を訪ねました。

善根寺・収蔵庫
善根寺・収蔵庫

善根寺収蔵庫には、主として平安時代の古仏が、28躯も残され、うち22躯が文化財指定を受け入ています。
朽損している破損仏的なものもありますが、これだけの平安古仏群が、一堂に林立しているありさまは壮観です。

善根寺・収蔵庫内の古仏群
善根寺・収蔵庫内の古仏群

善根寺近傍の古仏が、ここに集められたのかもしれません。
善根寺は無住ですが、地元の善根寺保存会の方々によって、大切に守られてきています。

善根寺で、一番、知られている仏像は、日光、月光菩薩立像で、県指定文化財に指定されています。

善根寺・日光菩薩像善根寺・月光菩薩像
善根寺・日光月光菩薩像

2015年刊の「三原の仏像展」図録では、9~10世紀の制作とされています。
「そこまで古いのかな?」
という感じもしますが、これら古仏群の中では、一番出来の良い平安古仏です。


私の眼を惹き付けたのは、ご覧の天部形像(市指定文化財)です。

善根寺・天部像
善根寺・天部像

相当朽ちてはいるのですが、なかなかパワフルな造形です。
蓮肉まで共木という古様な構造で、堂内の像の中では、一番、気というかオーラを発しているように感じました。
こちらも9~10世紀の制作とされていますが、日光月光像よりも、古様で迫力があるようです。

いずれにせよ、よくこれだけの古仏群が、現在まで、守られてきたものです。
私は、3度目の善根寺訪問となりますが、いつ訪ねても、これらの古仏を大切にお守りしてきた土地の人々の信仰に、想いを致さずにはいられません。

善根寺古仏群については、神奈川仏教文化研究所HP
神奈川仏教文化研究所HP「辺境の仏たち~広島・善根寺の平安仏」でも、紹介させていただいています。



【重厚感ある力強さ、迫力に惹きつけられる、文裁寺・十一面観音像】


世羅郡甲山町の文裁寺、3年前、2013年にも訪ねたのですが、また、来てしまいました。
こちらの十一面観音像の素晴らしさには、何度拝しても、魅せられてしまいます。

文裁寺・十一面観音像文裁寺・十一面観音像
文裁寺・十一面観音像

これぞ貞観仏という、重厚感あふれる力強い造形です。

「上唇と突き出した厳つい顔貌、太い首、いかり肩、ずんぐりとした体つき、鋭利な衣文」

そのどれもが、強烈なインパクトで、拝する者の心を惹き付けます。
平安前期、バリバリの9世紀の一木彫そのものといってよいでしょう。
これだけの存在感のある像が、中国山地のど真ん中、世羅郡の地に遺されていることに、驚きを禁じ得ません。
今回も、また惚れ込んでしまいました。
是非機会を見つけて、また拝しに訪れたいものです。

文裁寺・十一面観音像については、神奈川仏教文化研究所HP「貞観の息吹~文栽寺・十一面観音立像」でも、紹介させていただいています。



【尾道の夜は、新鮮美味な瀬戸内の魚と、美味しいお酒】


夜は、尾道で、瀬戸内の新鮮な海の幸と、美味い酒。
ご一緒の尾道出身の方のご案内で、商店街の居酒屋「玉扇」へ。

尾道・居酒屋「玉扇」
尾道・居酒屋「玉扇」

「安くて美味い!」というのは、このことを云うのでしょう。
魚は採れ々々の新鮮そのもの、何を食べても活きが良くて申し分なし。
飾らぬ料理で、これこそ、地元に愛される居酒屋です。
お酒も、勢いづいてオーバーランということになってしまいました。



翌日は、ご覧の寺々の観仏に訪れました。

観仏先リスト03「青目寺・浄土寺他」



【奈良様乾漆像の系譜を受け継ぐ、整った姿の日光月光菩薩像~府中山中の青目寺】


青目寺は、尾道から北へ車で40~50分往った、府中市の山の中の辺鄙なところにあります。
普段は無住で、少し離れたところにある西龍寺のご住職が兼任されており、わざわざ収蔵庫を開きにお見えいただきました。

青目寺
青目寺

眼を惹くのは、日光月光菩薩像です。
日光月光の二菩薩像は、薄く木屎漆のモデリングがなされており、一部、乾漆技法が使われているようです。

青目寺・日光月光菩薩像青目寺・日光月光菩薩像
青目寺・日光月光菩薩像

造形表現も、いわゆる奈良様の系譜を受け継ぐようで、温和で落ち着きがあり、なかなか整った像です。
こんな地方の山中にも、平安前期の奈良様を受け継ぐ仏像が残されているというのも、興味深いものがありました。
中尊が残っていないのが、誠に残念で、きっと立派な薬師像であったに違いないと思いました。

もう1躯、聖観音像も祀られてます。

青目寺・聖観音像
青目寺・聖観音像

こちらの方は、お顔にちょっと土臭さを感じるのですが、全体に穏やかで安定感のある造形の像でした。
平安前期の制作ということですが、もう少し下がる時期の像かもしれないような気もしました。



【厳重秘仏、ご開帳の尾道・浄土寺へ~スッキリ端正な藤原風の十一面観音像】


尾道市内まで戻って、浄土寺・十一面観音像の秘仏本尊のご拝観に向かいました。
浄土寺本尊・十一面観音像は、33年に一度の開扉の厳重秘仏です。

今回は、浄土寺・平成の大修理の完了落慶、並びに開創1400年を記念して、特別に、春秋2期間、ご開帳されることになったものです。
開帳期間が比較的長かったこともあるのでしょう、それほどの混雑なしに、近くでゆっくり拝することが出来ました。

浄土寺・十一面観音像浄土寺・十一面観音像
浄土寺・十一面観音像

本像は、多くの解説書が藤原和様のおだやかさと示すとして平安後期の制作としているのですが、広島県教育委員会HP解説では、
「面相は豊満で,体躯は肥大充実し,刀法も鋭く,全身を金色の寂光に包まれた端厳な尊容の像である。
平安時代も初期に近い頃(9世紀)のすぐれた作である。」
と、されています。

実際に拝すると、どんなもんだろうかと、興味深く拝しました。
実見してみて、やはり、「典型的な平安後期の観音菩薩像」という風に納得しました。
お顔が豊満で、姿がスッキリ端正という印象でした。

秘仏本尊のご拝観が目的だったのですが、私には、浄土寺といえば、小津映画の「東京物語のロケ地になったお寺」という方が、心に残っており、懐かしく境内を歩きました。

浄土寺・境内
浄土寺・境内

東京物語は、何度も観たことがあるのですが、原節子と笠智衆が、浄土寺境内で語り合うシーンが印象的でした。



【堂々たる量感と穏やかさをミックスした秀作、西堤寺・観音菩薩像
~年に一日のご開帳に来てみた甲斐あり、大満足】

浄土寺の後は、尾道、向島の西堤寺です。
西堤寺の、観音菩薩像は、なかなか魅力的な平安古仏で、是非とも一度拝したいものと念願していたのですが、年に一度、10月10日のみしか開帳されないので、拝するチャンスがなかったのです。
今回の観仏旅行は、この10月10日に照準を合わせて、尾道にやってきたのでした。

向島は、尾道中心地の向かいにある島なのですが、今は、橋が架かって、車ですぐに行くことが出来ます。
西堤寺は、立派なご本堂があり、その隣の収蔵庫に、2躯の菩薩像が安置されていました。

西堤寺・本堂と収蔵庫
西堤寺・本堂と収蔵庫

大勢という程ではないのですが、拝観の方が何人も見えられていて、我々同様、この日を目指してこられた方がそれなりにいらっしゃるようでした。

この2躯の観音菩薩像は、昭和50年代前後に、新発見された仏像です。

西堤寺・観音菩薩像(10世紀頃)西堤寺・観音菩薩像(11世紀前半)
西堤寺・観音菩薩像~(左)10C頃制作、(右)11C前半制作

それまであった旧本堂を建てかえるために解体したところ、壁の中に隠し部屋があってその中に、2躯の観音像が安置されていたのが発見されたという話です。
発見から程無く、一足飛びに、昭和52年(1977)、国の重要文化財に指定されました。(1躯は付けたり指定)

流石に、発見即重文指定にスピード出世しただけのことがある、見事な仏像です。
カヤ材の一木彫漆箔像です。
堂々たる量感で太造り、一方で穏やかさ柔らかさもみられて、力強さと端麗さの両面を感じる、大変魅力あふれる造形でした。

「わざわざ来てみて、やっぱり良かった。」

という、満足感で一杯になりました。

この像の制作年については、「芸藩通志」に、

「天暦5年(951)作の西堤寺本尊が盗難に遭ったため、治安2年(1022)に仏師定願が一像を造り代わりに安置したが、その後、元の本尊が還った。」

旨の記載があり、両像の作風と、この通史記載の制作年が似つかわしいものであることから、その頃の制作ではないか、とみられているそうです。

西堤寺・観音像については、神奈川仏教文化研究所HP「貞観の息吹~西提寺・聖観音立像」でも、ご紹介させていただいています。

今回の広島方面旅行は、最後の観仏が、大満足の西堤寺・観音像となり、充実気分で帰路につきました。



【秘仏、瑞巌寺五大堂・五大明王像が出展された、「松島瑞巌寺と伊達政宗展」へ】


三井記念美術館で開催された「松島瑞巌寺と伊達政宗展」に行きました。

「松島瑞巌寺と伊達政宗展」ポスター

めざすは、特別出展された、瑞巌寺・五大堂の秘仏「五大明王像」です。

観仏先リスト04「瑞巌寺」

五大堂の「五大明王像」は、厳重な秘仏として守られており、33年に一度の御開帳とされており、次回御開帳は2039年になるのです。
平成6年(1996)に、文化庁によって、発見調査されて、重要文化財指定がされました。
最近、一部の像が宝物館展示されることも、たまにありますが、はじめて、本展覧会に5躯そろって特別出展されることになりました。
これは、何としても、観なければと、出かけたのです。

瑞巌寺五大堂・不動明王像
瑞巌寺五大堂・不動明王像

ケヤキの一木彫、内刳り無し、素朴で粗さのある地方色といったものを感じますが、なかなかの古様で、出来もよく、迫力のある像です。
写真で見ていた時は、さほどのパワーを感じないような印象でしたのですが、予想外の注目像でした。



[11月]


【白鳳観音像の平安模古作、宝塔寺・聖観音像の特別公開情報に五反田へ】


品川区五反田にある宝塔寺・聖観音像を拝しに行きました。

観仏先リスト05「宝塔寺」

11/3~5に品川区指定文化財の一般公開という企画があり、その中に宝塔寺・聖観音像の特別公開という情報があったのです。
区指定の仏像ということで、普通ならこの種のものには出かけないのですが、NET情報によると、「白鳳時代の観音像の、平安後期の模古作」ということです。
ちょっと興味深げなので、宝塔寺まで行ってきました。
宝塔寺は、五反田駅から歩いて5~6分の処にありました。

観音像は、360度ビューで眼前に拝せるようになっていました。

宝塔寺・聖観音像

宝塔寺・聖観音像
宝塔寺・聖観音像

確かに、法隆寺の六観音像を思わせるような、白鳳仏を模した仏像に間違いありません。
山本勉氏による解説資料があり、それによると、ヒノキの寄木造の古色仕上げで、平安後期の白鳳仏模古作として貴重な像である旨、解説されていました。
この像は、近世には大阪にあり、宝塔寺には、二代前のご住職の時に、民間の所有からお寺に入ったものだそうです。

ちょっと、面白い模古作像でした。



【知られざる平安古仏が、想定外にどっさり!~初めての越前観仏旅行へ】


越前地方の観仏旅行に、同好の方々と、2泊3日で出かけました。

福井市立郷土歴史博物館で開催された「福井の仏像展」と併せて、越前方面の観仏に出かけたのです。
福井県の仏像と云えば、小浜方面の若狭の仏像が広く知られているのですが、越前方面の仏像は、あまり知られていないのではと思います。

今回開催された「福井の仏像展~白山を仰ぐ人々と仏たち~」は、越前に遺る見処ある平安古仏のほとんどが出展され、一堂に会するという、大注目の展覧会です。
越前の古仏の全貌を、一気に知ることが出来る、めったにないチャンスです。
見逃すわけにはいきません。



【越前の見処ある平安古仏が勢ぞろい~圧巻の「福井の仏像展」】


初日は、「福井の仏像展」に直行です。

「福井の仏像展」開催中の福井市立郷土歴史博物館
「福井の仏像展」開催中の福井市立郷土歴史博物館

展覧会には、34躯の仏像が出展されていました。
これだけの越前の古仏を一堂に集めるのは、大変ことであったのだろうと思います。
展示仏像の中で、県指定以上の文化財指定仏像は、ご覧のとおりです。

観仏先リスト06「福井の仏像展」

私の注目仏像を、2~3件、一言ご紹介だけしておきます。

展示室正面に大きな五像がドーンと並べられた滝波五智如来堂・五智如来像は、平安後期のいかにも地方作という像でしたが、なかなか眼を惹くものがありました。

滝波五智如来堂・五智如来像
滝波五智如来堂・五智如来像

江戸時代の悪彩色の紙貼りで覆われていたものを、3年がかりで修理修復され、面目を一新したばかりだそうです。



【際立つ存在感、霊的オーラを発する大滝神宮堂・虚空蔵菩薩坐像】


展覧会で、最も注目したのは。大滝神宮堂・虚空蔵菩薩坐像です。

大滝神宮堂・虚空蔵菩薩坐像

大滝神宮堂・虚空蔵菩薩坐像
大滝神宮堂・虚空蔵菩薩坐像

眼光鋭く、厳しく引き締まった表情、胸をグッと張り出し、胴がキュッと引き締められています。
迫力十分で、霊的オーラを発しています。
必見、刮目の平安古仏でした。
この像は、大瀧神社の神宮堂に祀られ、神仏分離以前の大滝寺(現在の大瀧神社)のゆかりの像であったそうです。
展覧会、随一、際立った存在感を感じました。


その他、加多志波神社・聖観音像、八坂神社・十一面女神像なども、神社に祀られる興味深い古像でしたが、キリがなくなるのでこの辺でやめておきます。

加多志波神社・聖観音像八坂神社・十一面女神像
(左)加多志波神社・聖観音像、(右)八坂神社・十一面女神像

越前の平安古仏を、たっぷりと鑑賞することが出来ました。
わざわざ出かけてきた値打ち十分の「福井の仏像展」でした。



【越前の新鮮美味に舌鼓~高価な越前ガニに、腰が引ける】


この日の夜は、福井市内で美味な割烹といわれる「旬味 泰平」へ。

「旬味 泰平」
「旬味 泰平」

流石に、評判の良いだけあって、新鮮、美味な魚介の料理には、十分納得です。
美味かった。
越前ガニ漁が解禁になって数日の処で、とれたての越前ガニもお目当てだったのですが、値段を聞いて、ヒックリ。
メスの小さなセイコ蟹が、一杯5千円です。
オスの越前ガニの値段は、恐ろしくて、聞けませんでした。
折角来たのだからと、セイコ蟹一杯を二人で半分ずつという情けない注文で、ちょっぴり味わいました。
これまた美味かった。


翌日、翌々日は、「福井の仏像展」出展されていない、越前の古仏探訪です。
越前の古仏は、お寺ではなくて、神社に祀られ、地区の管理になっているものが圧倒的に多く、拝観のお願いに、博物館や教育委員会にお世話になるなど、結構苦労しました。
その分、よく知られておらず、奥深いものがあります。

観仏探訪先は、ご覧のとおりです。

観仏先リスト07「福通寺・大谷寺他」



【どうして、越前に純宋風の秀麗像が?~見事な福通寺・正観音像】


朝日観音・福通寺を訪ねました。

朝日観音・福通寺
朝日観音・福通寺

実は、福通寺のご住職は、福井市立郷土歴史博物館の学芸員で、「福井の仏像展」の開催企画、運営を進められている方なのです。
今回の越前の古社寺観仏探訪にあたっては、拝観の御依頼先、ご連絡先等をご教示いただくなど、大変お世話になりました。
福通寺諸仏ご拝観にあたっては、自らご案内、御開扉いただき、またまたお世話になってしまいました。

一番の注目は、正観音像でした。
2メートル近い大きな像で、通常は、秘仏とされています。

福通寺・正観音像福通寺・正観音像
福通寺・正観音像

宋風の匂いがプンプンする造形です。
ご説明によると、
「越前にこんな宋様式を濃厚に表した像は、本像の他にはない。」
そうです。

金沢文庫称名寺の弥勒菩薩像の雰囲気を思い起こさせますし、在地の制作の風ではなく、中央風の造形のように思われます。
どうしてこのような純宋風の像が、越前に残されたのかという造像背景は、よく判らないそうです。
なかなか見事な出来の像で、県指定文化財ではもったいないのかな、という気になりました。

千手堂の千手観音像も、平安前期風の名残を少し残した像ですが、平安末~鎌倉の制作とされているようです。

福通寺・千手観音像(平安末鎌倉)
福通寺・千手観音像(平安末鎌倉)



【不思議な伝統行事~33年に一度、福通寺へ移動する、日吉神社の古仏像】


次に訪ねたのは、日吉神社で、福通寺から1キロぐらいのところにあります。

日吉神社
日吉神社

この日吉神社には、平安時代後期の大日如来像他の諸仏が祀られています。

日吉神社に祀られる大日如来像他諸仏
日吉神社に祀られる大日如来像他諸仏

福通寺とは場所も離れていて、一見無関係のようにみえるのですが、この二つの寺社では、興味深い伝統行事が伝えられています。
33年に一度の、朝日観音・福通寺の秘仏本尊御開帳の時に、日吉神社仏像群が輿や担架に乗せられ、内郡集落の人々によって観音堂まで運ばれ、ゆかりの諸仏が一堂に会するというのです。

33年に一度、福通寺に運ばれる日吉神社の諸像
33年に一度、福通寺に運ばれる日吉神社の諸像

そのような行事が伝えられる事由は、明確ではないようですが、福通寺が日吉神社の神宮寺で、大日如来像は福通寺の旧本尊であったのではないか、とも考えられるかもしれないそうです。


何しろ、越前の古仏は、他の地域と較べて、神社に祀られているものが大変多いのです。
明治の神仏分離の際、
神仏習合の仏像が、破却されず、寺に移されたりせずに、神社に残された。
観音堂・薬師堂のような村堂が、明治時代に神社に衣替えした、または合併した。
等の事由によるようですが、
越前では、後者のケースが多いのだということだそうです。



【現存最古の三所権現・本地仏を、特別拝観~白山信仰へ想いを致した大谷寺】


大谷寺は、泰澄大師の開創と伝えられる、白山信仰、修験の霊場であった古刹です。
大谷寺は、「おおたんじ」と読みます。

大谷寺
大谷寺

大谷寺といえば、神仏習合の本地仏、三所権現像です。
大谷寺・三所権現像は、十一面観音・阿弥陀如来・聖観音の各坐像の一具像です。
白山信仰上の三尊一具の本地仏としては、最古の遺例の古仏で、平安後期の制作です。
この三所権現像は、秘仏として、収蔵庫内に祀られているのですが、お訪ねした処、ご住職の特別のご配意により、拝観することが叶いました。

収蔵庫に並んで祀られる三所権現像は、流石の像でした。
平安後期らしい造形ですが、入念に造られた像であることが伺え、なかなか見事な像です。

収蔵庫に祀られる大谷寺・三所権現像
収蔵庫に祀られる大谷寺・三所権現像

大谷寺三所権現・十一面観音像
大谷寺三所権現・十一面観音像

収蔵庫内には、三所権現像のほかにも、多くの仏像が安置されており、それぞれに興味深い古仏でしたが、此処でふれるのはやめておきます。



【神社に祀られる平安古仏像を巡る~越前に数多い、お社で守られる古仏像】


その他、杉杜神社、十二社、樺八幡神社に祀られる平安古仏を拝しました。
それぞれに、見どころある平安古仏でした。

杉杜神社、十二社は、地区管理の小さなお社で、村人に大切に守られてきた古仏です。
集落と共に在り、土地の人々を守る古仏であることを、実感しました。

十五社
十五社

十五社・大日如来像
十五社・大日如来像

十五社・阿弥陀如来像
十五社・阿弥陀如来像


樺八幡神社は、杉林の中の境内にいつくかの社殿が建ち、静寂荘重な空気感あふれる処でした。

樺八幡神社境内
樺八幡神社境内

樺八幡神社本殿に祀られる、阿弥陀如来像他諸仏
樺八幡神社本殿に祀られる、阿弥陀如来像他諸仏

ご高齢の御宮司さんが、丁寧にお迎えいただき、往時をしのぶ立派な平安古仏を拝することが出来ました。
社殿等には、傷みも目立つようで、これだけの社殿、神域を維持管理するのは、文化財保護予算がままならぬ中で、並大抵のことではないのだろうと察せられました。



【巨大な宗教都市、白山信仰の往時を偲ぶ、平泉寺白山神社へ】


越前観仏旅行のフィナーレは、白山信仰の象徴ともいえる平泉寺白山神社です。

平泉寺は、霊峰白山の越前側の登拝口に位置した山岳寺院で、養老元年(717)に泰澄大師によって開かれたとされます。
古代から中世後期にかけては、白山信仰を背景に強大な宗教勢力を誇りました。

白山連峰を望む
白山連峰を望む

現在では、わずかに往時を偲ぶほどの境内域になっていますが、かつての境内全域は「白山平泉寺旧境内」として国の史跡に指定され、発掘作業などが進められています。



【穏やかな気品漂う、平泉寺観音堂・聖観音像】


平泉寺白山神社を訪ねる前に、近くの観音堂に祀られる、平安後期の聖観音像を拝しました。
平泉寺からちょっと離れた集落の中の小さな観音堂に、ひっそりと祀られていました。

平泉寺・観音堂

平泉寺観音堂・聖観音像
平泉寺観音堂と聖観音像

もともと平泉寺に祀られていた観音像であったとのことで、比叡山横川中堂の聖観音像を思わせる、穏やかで気品漂う、見事な仏像でした。



【幽玄、森厳な霊域、平泉寺白山神社~越前観仏のフィナーレに相応しい、心洗われる空間】


平泉寺白山神社は、まさに、幽玄、森厳な雰囲気、空気感に包まれた場所でした。

平泉寺白山神社

平泉寺白山神社
平泉寺白山神社

鬱蒼と茂る杉林の木立、緑の絨毯が敷かれたような苔むす境内、白山信仰の歴史を感じる石畳の参道、そのなかに佇む社殿、いずれもが、霊域である「静寂」の世界を醸し出しているようでした。
鳥居をくぐったとたんに 霊峰白山を拝する異空間に踏み入ったような気分になってしまいます。
心洗われるものがありました。
一度は訪ねてみたい、また訪ねる値打ちのある、平泉寺白山神社でした。

大満足で充実の越前観仏探訪旅行となりました。
2泊3日で出かけた値打ち十分です。
越前地方の仏像は、さほど知られていませんが、奥深いものがあり、まだまだ未発掘の古仏もあるようです。

ただ一つ残念だったことは、越前を代表するといわれる平安前期の古仏、二上観音堂・十一面観音像を、拝せなかったことです。
厳重な秘仏のため、拝することが叶いません。(展覧会でも、写真展示でした)

二上観音堂・十一面観音像
二上観音堂・十一面観音像

何年先になるのかわかりませんが、御開帳の時には、もう一度、越前観仏に訪ねてきたいものです。



【九品仏浄真寺で開催された、講演会「仏像修理物語」へ】


世田谷の九品仏浄真寺で、「仏像修理物語~九品仏阿弥陀如来坐像修理の実際~」と題する講演会が、11/26に開催されましたので、行ってきました。

観仏先リスト08「浄真寺九品仏」

世田谷区主催の文化講演会で、講師は、現在、九品仏の修理修復にあたっている、美術院西洞院工房長の八坂寿史氏です。
約1時間にわたって、八坂氏から、九品仏の修理修復にあたっての修理技法に関する話、新たに発見されたこと、ご苦労話などなど、熱のこもったお話を、興味深く聴くことが出来ました。

講演会の後、修理のなった中品中生像、修理前の諸像を拝しましたが、こうした貴重な話を聞いた後に拝すると、いつもとは違う、新たなる眼で、奥深く拝することが出来ました。

修理修復成った、浄真寺九品仏・中品中生像
修理修復成った、浄真寺九品仏・中品中生像

浄真寺・九品仏像
浄真寺・九品仏像


[12月]

いよいよ、今年も終わりの師走です。


【ゆっくり、のんびり、京都東山で忘年観仏】


同好の方々と、一年の納めの忘年観仏ということで、京都まで出かけました。

観仏先リスト(同聚院他)

東山方面の古仏などなどを、ゆったりとめぐりました。

同聚院・不動明王像、即成院・二十五菩薩像など、今更、ご紹介するまでもない、大変有名な仏像ばかりです。
私も、何度訪ねたのか、数え切れません。
どちらのお寺も、京都にしては、訪れる人も少なく、ゆっくりと心静かに古仏を拝することが出来、お気に入りの場所です。

同聚院・不動明王像は、藤原道長造営の法性寺の五大堂に安置された像とみられ、仏師・定朝の父か師の康尚の制作であろうといわれています。

同聚院

同聚院・不動明王像
同聚院と不動明王像

像高、2m半余りの丈六坐像で、見上げるばかりの大きさに圧倒されてしまいます。
不動明王像としては、11世紀冒頭の制作らしい、穏やかで落ち着いた造形なのですが、その存在感をひしひしと感じます。
いつ拝しても、なかなか優れた像だという気持ちになります。


夜の忘年会は、京都駅のちょっと南、東寺道のイタリアン「テラス」で。

東寺道・イタリアン「テラス」
東寺道・イタリアン「テラス」

こじんまりした、ちょっとお洒落でカジュアルな、お手軽イタリアンです。
賑やかに、美味しく食べて、ワインも飲み過ぎてしまいました。



【横浜市文化財に新指定という話にビックリ!~松陰寺の小金銅仏、阿弥陀如来像】


師走も半ば、今年の観仏ももうおしまいと思っていたら、横浜市都筑区の横浜市立歴史博物館に、松陰寺の小金銅仏、阿弥陀如来坐像が展示されているという情報を、NETで知りました。

観仏先リスト10「松陰寺」

「平成28年度横浜市指定・登録文化財展」に、新たな市指定文化財として出展されているというのです。

横浜市歴博・新指定文化財展
横浜市歴博・新指定文化財展

松陰寺の古代小金銅仏・阿弥陀像は、それなりに世に知られた像ですので、「横浜市・新指定文化財展」への出展というのは、ちょっとビックリしてしまいました。
昔から重要文化財に指定されていると思い込んでいたのですが、なんと、これまで全くの無指定の小金銅仏像だったのです。

早速、横浜市歴博へ出かけて、じっくり観てきました。

松陰寺・阿弥陀如来像
松陰寺・阿弥陀如来像

戦後すぐ、昭和22年(1947)以来、東博に寄託されています。
これまでの解説では、「奈良時代末期~平安初期の、白鳳小金銅仏の模古的な像」といわれていたのですが、展示解説では、「飛鳥時代後期、8世紀初め頃に作られたと推測される。」とされていました。

私の素人目には、全体の造形感覚、ねっとりとややクセのある衣文などから、奈良時代の中期を遡ることは無いのではなかろうかと、感じました。
松陰寺・阿弥陀如来像、これから指定ランクがどんどんアップしていくのではないかと思います。



【観仏、年納めは東博で~平常展示の、平安前期、東博蔵・天王像に注目】


2016年の観仏納めは、東京国立博物館になりました。
「臨時全国宝物取調局の活動~明治中期の文化財調査」という特集展示が開催されています。
私の、関心興味の大変強いテーマの企画展です。
12/20に、「明治20年代の文化財調査」と題するギャラリートークがありましたので、聴きに出かけました。

ついでに、 特別展「平安の秘仏~滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」も、2度目になりますが、じっくり鑑賞してきました。

いつものことで、1F11室の彫刻の平常陳列にも寄ってみました。
日頃見ない、ちょっと面白い平安古仏が展示されていました。

観仏先リスト11「東博蔵・天王像」

東京国立博物館蔵・天王像

東京国立博物館蔵・天王像
東京国立博物館蔵・天王像

キャプションをみると「天王立像・9~10世紀」と記されていました。
東博所蔵像のようです。
あまり類例の無いような、体躯の造形、面貌の像です。
なかなか、ダイナミックで迫力ある、興味深い一木彫像でした。



ようやく、2016年の観仏、総まくりのご紹介を終えることが出来ました。
なんのかんのといいながら、随分、数多くの観仏に出かけてしまいました。
「飽きもせず!」とは、よく言ったものです。

ダラダラ長々、一年の観仏探訪記録を自己満足的に綴らせていただきました。
辛抱してご覧いただき、ありがとうございました。


今年も、HP「神奈川仏教文化研究所」、ブログ「観仏日々帖」に、気ままな仏像記事を連ねていきたいと思っております。
よろしくお付き合いいただけますよう、お願いいたします。


古仏探訪~2016年・今年の観仏を振り返って〈その3〉7~9月 【2016.12.24】


「今年の観仏を振り返って」〈その3〉は、7~9月の観仏探訪のご紹介です。

暑い暑い夏のシーズン、暑さがこたえる中高年には、観仏探訪も程々にした方が、良いのでしょう。
涼しい博物館の仏像展を中心に、チョコチョコと出かけました。


[7月]


【お目当ては、初めてお堂から出る黒田観音寺・観音像
~東京芸大美術館「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ」へ


上野の東京藝術大学美術館で開催された、「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ~びわ湖・長浜のホトケたち」に、出かけました。

「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ」ポスター

この展覧会は、2014年3~4月に開催された、「観音の里の祈りとくらし展」の第2弾として開催された展覧会です。
第1弾の展覧会が好評盛況であったので、「パートⅡの続編展」の実現が可能となったのでしょうか?

今回は、41件の湖北の仏像が出展されました。
前回展では、約20件の出展でしたから、なんと倍増の出展となります。

観仏先リスト01~観音の里の祈りとくらし展Ⅱ



【湖北で、一番惹かれてしまう、黒田観音寺・伝十一面観音像
~~(渡岸寺・十一面観音は、飛び切りの別格)


前回展の目玉出展像は、赤後寺・日吉神社の千手観音立像(重文)でした。

今回の「「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ」の、大目玉の出展仏像は、なんといっても、黒田観音寺・伝千手観音立像(重文)です。

黒田観音寺・伝千手観音像
黒田観音寺・伝千手観音像(本来准胝観音であったと思われる)

私は、湖北の仏像の中では、渡岸寺の十一面観音像(国宝)は、別格として置いておくとすると、黒田観音寺の伝千手観音立像が、一番優れた造形で、魅力あふれる一木彫像だと思っています。
除く渡岸寺像では、湖北で最もお気に入りの仏像なのです。

実は、これまで、この観音像は、一度もお堂を出たことはありませんでした。
美術館に展示されるのは、今回が初めてのことなのです。
お堂では、狭い厨子の中に祀られており、真正面からしか拝することが出来ません。

堂内のお厨子に祀られる黒田観音寺・伝千手観音像~横からは拝せない
堂内のお厨子に祀られる黒田観音寺・伝千手観音像~横からは拝せない

側面や背面などから観ると、どのように感じるのだろうか?
「意外と、ガッカリしてしまったり・・・・・」
と、不安感半分、期待感半分という気持ちで、展覧会に出かけました。

黒田観音寺の観音像は、奥の一室のど真ん中に、360度ビューで展示されていました。

展示室のど真ん中に、360度ビューで展示されていた黒田観音寺・伝千手観音像
展示室のど真ん中に、360度ビューで展示されていた黒田観音寺・伝千手観音像

果たして、期待通りというよりは、はるかに期待以上の素晴らしい出来と魅力の仏像でした。
見惚れてしまいました。

黒田観音寺・伝千手観音像

黒田観音寺・伝千手観音像~脚部
黒田観音寺・伝千手観音像~顔部と脚部

像高200㎝、カヤの一木彫の9世紀像。
胸から腰にかけての堂々たる張りのある造形は迫力十分。
脚部の衣文の彫口は、深く、柔らかく、弾力感があり見事で、乾漆像を思わせるものがあります。



【360度ビューで、じっくり鑑賞~思わず唸ってしまった背面の彫り口の見事さ】


側面、背面に回ってみて、またまた出来の素晴らしさに、ビックリしました。
側面は、胸をわずかに反り、脚部にかけ湾曲するシルエットで、リズム感、躍動感があります。

黒田観音寺・伝千手観音像 黒田観音寺・伝千手観音像
黒田観音寺・伝千手観音像

それよりも何よりも、背面の衣文の彫りの見事さには、唸り声をあげてしまいました。
正面脚部の衣文表現をはるかに超える、仏師の彫技が冴えわたる彫り口です。
背面まで、これだけ丹精を込めて彫られているのをみると、余程の由緒の像だったのかもしれません。

図録解説によると、
黒田観音寺・伝千手観音像(本来、准胝観音とみられる)は、
広隆寺・不空羂索観音像、鶏足寺・菩薩像(魚籃観音)、千手院・千手観音像(御代仏)と、衣など造形形式に共通点が多くあり、
天平様式乾漆像の系譜をひく平安前期彫刻という共通の制作環境で造られたのではないか、
と述べられていました。

広隆寺・不空羂索観音像鶏足寺・菩薩像(魚籃観音)
(左)広隆寺・不空羂索観音像、(右)鶏足寺・菩薩像(魚籃観音)

千手院・千手観音像(御代仏)
千手院・千手観音像(御代仏)

確かに、そのとおりのスタイルの傑作像だと思いました。
唯一、「面部が大きく修正、補彩されている」とのことで、何とも残念です。

9世紀の半ば頃か、もう少し後かの制作ではないかと感じるのですが、
間違いなく「湖北屈指の優作」だと思いました。

「凛とした男らしさを感じる、緊張感あふれる、堂々たる傑作像」
です。

360度ビューでじっくりと鑑賞することが出来、黒田観音寺・観音像に惚れ込みなおしました。



【その他の出展像にも、いくつも注目像が・・・・】


この他にも、
異国的な大きな目鼻立ちが印象的な、来現寺聖観音像(重文・平安前期)、
元播磨円教寺・根本堂本尊であった、舎那院・薬師如来坐像(県文・10C末~11C初)
等々、興味深い像が出展されていました。

来現寺・聖観音像舎那院・薬師如来像
(左)来現寺・聖観音像、(右)舎那院・薬師如来像

一つだけ、ちょっと気になったのは、医王寺・十一面観音像の解説・キャプションでした。

医王寺・十一面観音像
医王寺・十一面観音像

「9世紀の制作」と記されていました。

「9世紀?、そこまで年代をあげられるのかしらん?」

ウーンと唸って、ちょっと首をかしげてしまいました。


黒田観音寺・観音像の魅力に惹かれて、二度も展覧会に出かけてしまいました。

一度は、一人でじっくりと。
二度目は、同好の方々と、ワイワイと。

二度目の帰りは、皆で、入谷の「三富」へ。
馬刺しが名物の老舗居酒屋です。
安くて美味い料理と酒で、黒田観音寺像の出来良さ談義に、大いに盛り上がりました。

入谷「三富」
入谷「三富」



【洒落たギャラリースペース、「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」~3月オープン】


東京藝術大学美術館の帰りに、3月オープンした、「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」に寄りました。

「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」
「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」

長浜市の都内における情報発信の新しい拠点ということで、長浜の古仏が、一定期間ごとに一体ずつ展示されることになっています。

「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」室内
「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」の室内

湖北の仏像の公開情報などの最新ニュースや、映像も愉しむことが出来ます。
長浜市は、「「観音の里の祈りとくらし展Ⅰ・Ⅱ」の開催や、「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」の解説など、「湖北・観音の里」の紹介と観光誘致に大変な力が入っているようです。

「KANNON HOUSE」で展示される仏像は、2016年は、ご覧のとおりでした。

観仏先リスト02~「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」

竹生島宝厳寺・聖観音像.尊住院・聖観音像
(左)竹生島宝厳寺・聖観音像、(右)尊住院・聖観音像

常楽寺・聖観音像横山神社・馬頭観音像
四君子苑~玄関と前庭

オープン直後にも訪ねました。
小ぢんまりとしたビルの一室ですが、なかなか洒落たギャラリースペースで、結構、お気に入りの場所となっています。



[8月]


8月第一週は、毎年恒例の、大学時代の同好会の、10人ちょっとの常連が集まる同期同窓会。
なんと、もう四十数年、飽きもせずに毎年欠かさず続いています。

恒例で、分不相応に贅沢にも、奈良ホテルで一泊です。
夜は、ホテルの美味なる料理に、思い出話も酒も、夜の更けることなく弾み、とどまる処を知りませんでした。

この同窓会の前後にからめて、京都、奈良の両国立博物館の展覧会に、出かけました。



【念願の未見秘仏、峰山縁城寺・千手観音像が、なんと京博へ出開帳】


京都の国立博物館では、「丹後の仏教美術展」が、開催されていました。

「丹後の仏教美術展」ポスター

観仏先リスト03~丹後の仏教美術展

この展覧会、最大の大注目は、峰山縁城寺の千手観音像が出展されたことです。

縁城寺・千手観音像
縁城寺・千手観音像

縁城寺・千手観音像は、大変興味深い平安時代の一木彫像なのですが、33年に一度の御開帳の厳重秘仏で、拝することが出来ないのです。
平安初期一木彫像の特徴を受け継いだ古様な像ですが、浅く刻まれた衣文や穏やかな面相などから、一般的には10~11世紀頃の制作とみられています。
一方、古密教彫像研究で知られる井上正氏は、この像を、代用檀像による化現仏とみて、奈良時代、8世紀の制作に遡る可能性に言及しているのです。

今年か来年が、33年に一度の御開帳年にあたるという情報でありましたので、その時には、なんとしてでも、京丹後市峰山町まで駆けつけなくてはならじと、満を持していた処でした。

その秘仏が、なんと京博に展示されるというのです。
京博HPにも、
「秘仏なので・・・・今回、初の出開帳がかないました。この機会にぜひご観覧ください。」
と、記されているではありませんか。

このチャンスを逃すわけにはいきません。



【奈良時代なのか?~やはり、10世紀末の制作という解説に、全面納得】


京博で、念願の仏像を、眼近に実見することが出来ました。

縁城寺・千手観音像縁城寺・千手観音像
縁城寺・千手観音像~顔部

井上正氏は、

「こうして本像は、代用檀像の化現仏として、一木彫のきわめて古いあたりに位置することが徐々に明らかになってきたように思う。」(古密教像巡歴・2012法蔵館刊)

と述べて、奈良時代の制作の可能性を言及しています。

一方、展覧会図録の解説では、

「衣文が浅い点、ワエストの締まった均整の取れたプロポーションは平安時代後期につながるものといえる。
縁城寺が、永延2年(988)に一条天皇の勅願所として整備された時期を、大きく隔たらずに造られたと考えられる。」(図録解説・浅湫毅氏)

として、10世紀末の制作と考えています。

私は、展覧会図録解説の云う「10世紀末制作像」という見方に、全面的に納得しました。
率直に云って、もっと、霊気のような精神性を秘めた一木彫像なのかなと期待したのですが、平安中期的な、「穏やかさ」の方を強く感じるものがありました。

それはさておき、念願の秘仏、縁城寺・千手観音像を、博物館で眼近にじっくり観ることが出来、大満足の「丹後の仏教美術展」でした。

この特別展には、宮津市、金剛心院の如来立像が出展されていました。

金剛心院・如来像
金剛心院・如来像

こちらの如来像は、何度見ても、発散するオーラ、迫力に圧倒されてしまいます。
平安初期彫刻の傑出作品だと、今更ながらに、見惚れてしまいました。

この他、平常陳列に出展されていた仏像で、私が注目したのは、次の仏像です。

観仏先リスト04~京博・平常陳列

それぞれの仏像にふれていくとキリがありませんので、此処ではやめておきます。



【奈良博「忍性展」へ~鎌倉仏には関心ほどほどで、サラリと鑑賞】


奈良国立博物館で開催中の、忍性生誕800年記念特別展「忍性~救済にささげた生涯~展」も、覗いてきました。

「忍性展」ポスター

忍性は西大寺の叡尊を師とした、真言律宗の高僧で、貧民やハンセン病患者など社会的弱者の救済に尽力したことで知られています。
忍性ゆかりの寺院に伝わる名宝や文化財を一堂に集められた展覧会でした。
出展された目ぼしい仏像は、次のようなものでした。

観仏先リスト05~「忍性~救済にささげた生涯~展」

極楽寺・釈迦如来像.極楽寺・十大弟子像~舎利弗
極楽寺~(左)釈迦如来像、(右)十大弟子像~舎利弗

私は、鎌倉時代の仏像への関心が、今一歩という処なので、サラリと観て回ったというような感じとなりました。



【奈良博・募金箱に託された浄財で、修理実現~高尾地蔵堂・毘沙門天像】


なら仏像館の方には、奈良博の「文化財保存への募金」を活用して保存修理が実現した、滋賀県甲賀市・高尾地蔵堂の毘沙門天像(平安後期・12C)が公開されていました。

観仏先リスト06~高尾地蔵堂

高尾地蔵堂・毘沙門天像~修理前.高尾地蔵堂・毘沙門天像
高尾地蔵堂・毘沙門天像~(左)修理前、(右)修理後

この毘沙門像は、2010年、甲賀市史の編集に伴う事前調査をした際に発見されました。
発見時には、表面が分厚い後補の彩色で覆われていましたが、博物館の募金箱に託された浄財で、約400万円の修理費用が全額賄われ、修復が実現したというものです。
厳しい文化財関係予算のなか、一般人々の募金で修復が実現したという話に、ちょこっと感激しました。

奈良国立博物館に設置されている募金箱
奈良国立博物館に設置されている募金



同窓会を終えた翌日は、京都に妻と一泊。

妻は京の町歩きへ。
私は佛教大学公開講座
「美術史家・井上正の眼シリーズ~円熟期の井上正先生に師事して(熊谷貴史氏)」
に出かけました。

食事、いつもの定番コースの店の他に、最近ちょっと人気のイタリアンといわれる、「Ristorante 美郷」へ行ってみました。

「Ristorante 美郷」
「Ristorante 美郷」

五条河原町の近くで、近頃はやりの、古い京町屋を改造利用したお店でした。
シャレた盛り付け、程よい味付けといったイタリアンでしたが、一度経験しておけばOKかなという感じだったでしょうか。

暑い暑い8月の観仏は、しんどくて、これでおしまいです。



[9月]


暑いながらも、秋の匂いも感じる9月。
しばらく出かけていなかった、観仏探訪活動へ出動です。


【知られざる、奈良郊外の見どころ満点の仏像探訪の旅へ】


同好の方々と、一泊二日で、

「奈良の、あまり知られていないが、見処ある仏像を訪ねる」

というテーマで、観仏に出かけました。
山添村・薬音寺、桜井市笠区・妙円寺、宇陀市榛原・戒長寺、奈良市郊外の弘仁寺、正暦寺などを訪ねました。
仏像愛好家にとっては、結構渋い処の、ラインアップではないかと思います。

初日は、ご覧の処を訪ねました。

観仏先リスト07~薬音寺他


【隠れた平安古仏群に、驚きと大興奮~山添村・薬音寺の諸仏像】


何といっても、驚きの大興奮だったのは、最初に訪ねた、山添村・薬音寺の古仏像群でした。

「山添村・薬音寺の古仏像群」
と聞いて、
ピンとくる方はあまりいらっしゃらないのではないかと思います。

近年まで、ほとんど知られざる仏像群でした。
2014年に県教育委員会の調査が実施され、俄かに平安期の古仏群として注目を浴びるようになったのだと思います。

山添村、薬音寺・古仏像群
山添村、薬音寺・古仏像群

近畿文化会の探訪解説に、県教委の神田雅章氏が、薬音寺諸像について、このように紹介されています。

「須弥壇上に所狭しと平安仏が並ぶ様は圧巻であり、これだけの古仏が一箇所にまとまって伝わる例を奈良では他に知らない。
平安仏19体、鎌倉仏1体からなり、村の文化財として一括指定されるが、平安仏も一具ではなく複数の手に分かれる。」
(近畿文化775 号「山添村の仏像」2014年)

なかでも古様な一群は、10世紀後半の制作に遡るとみられているようです。

村役場の教育委員会のご担当に、大変お世話になり、拝観が叶いました。

薬音寺は、奈良駅から車で東に40分程、人里離れたといっても良いような、山中の村落にあるお堂でした。

薬音寺のお堂

薬音寺古仏群、県指定文化財指定の標識看板
薬音寺のお堂と、県指定文化財古仏群の案内看板


【奈良郊外山中に、10世紀の古仏群~地方仏の匂いのする、素朴な力に惹かれる】


小さなお堂の中の須弥壇に、沢山の仏像が並んで祀られています。

薬音寺堂内の須弥壇に、所狭しと並ぶ古仏群
薬音寺堂内の須弥壇に、所狭しと並ぶ古仏群

間違いなく、平安古仏群です。
奈良の中心地から、そんなにも遠くない地なのですが、田舎風と云うか、たしかに地方作という匂いのする古仏です。

とりわけ、眼を惹いたのは、薬師如来坐像でした。

薬音寺・薬師如来像
薬音寺・薬師如来像薬音寺・薬師如来像
薬音寺・薬師如来像

衣文の彫り口は、シャープなものがあり、素朴な中にも、力感ある迫力を発散しています。
聖観音像の古様さ、天部像の諧謔な造形もまた、魅力的なものがありました。

薬音寺・聖観音像薬音寺・広目天像
薬音寺~(左)聖観音像、(右)広目天像

古様な一群は、その造形から10世紀に遡る平安古仏であろうと思わせます。
それにしても、20体近い素朴な平安古仏が、身を寄せ合って、一群で発するパワーには、心惹きつけるものを感じます。
これほどの、平安古仏群が、ほとんど注目もされずに、隠されてきたというのは、ビックリポン!!でした。
これまで、注目されることなく、近年に至ったというのは、名作仏像ひしめき合う奈良の地であるからこそなのでしょうか?

「驚きの、薬音寺平安古仏群に、興奮、感嘆!
訪ねてきてみて本当に良かった。」

こんな、満足感一杯で、山添村・薬音寺を後にしました。

帰りに、高円山の白毫寺、高畑の新薬師寺へ寄りました。
いつも思うのですが、白毫寺の伝文殊菩薩像は、平安前期の一木彫像のなかでも、出色の出来の良い像だと思っています。

白毫寺・伝文殊菩薩像
白毫寺・伝文殊菩薩像

ちょっと、整い過ぎ感がないわけではありませんが・・・・・・
もっともっと知られてもよいのではないかと思うのですが、なかなか有名にはなりそうにありません。



【奈良に美味いもの、あり~高畑「温石」】


夜は、奈良の会席料理の老舗、「温石」へ。
昔から知られている店なのですが、これまで訪ねる機会がなくて、初体験となりました。
高畑の閑静な住宅街の中にあります。
軒先がほんのりライトアップしていなければ、そこに料理屋があるとは気が付かぬような静かな佇まいです。

高畑「温石」
高畑「温石」

古民家風の飾らぬシンプルなしつらえの、落ち着いたお店でした。

「美味かったです!!」

いずれの料理も素材が抜群、とりわけ車エビは極上でした。
味付けも、奈良にしては?ふうわりと穏やか。

「奈良に美味いものなし!」と云いますが、「美味いものを見つけたぞ!」という気分です。
ちょっとお値段が張るのですが、大満足の一夜となりました。


翌日は、奈良中北部のご覧のような諸仏を巡りました。

観仏リスト08~笠区他


【やはり「知られざる名作」、笠区妙円寺の、平安古仏・薬師如来像】


本日の最大の目的は、笠区・妙円寺の薬師如来像です。

笠区妙円寺・薬師如来像
笠区妙円寺・薬師如来像

この薬師像、平安前中期の一木彫像ですが、素晴らしい出来の傑作です。
これまで展覧会などに出展されたことも、一度も無く、桜井市の外れの山中といってもよいような鄙びた処に、ポツリと在りますので、直に拝した方は、それほど多くはないのかと思います。

笠区妙円寺・収蔵庫
笠区妙円寺~薬師像が祀られる収蔵庫

これだけの出来の良い像は、そう多くあるものではありません。
「知られざる名作」と、私は、秘かに思っているのです。



【新指定重文、浄山寺・地蔵菩薩像と笠区・薬師像を見較べる~「同系の作者の手になる」のだろうか?】


私は、二度目の訪問となるのですが、今回は、一つの目的がありました。
今年度、新指定重要文化財となった、埼玉越谷の浄山寺・地蔵菩薩像の重文指定事由解説に、このように述べられていたのです。

「奈良笠区薬師如来像(重要文化財)は、側面での衣文の彫法が本像(浄山寺地蔵菩薩像)と酷似する。
・・・・・
両像は同系の作者の手になるとみてよく、本像は畿内よりもたらされたものであろう。
製作年代は、鋭くいまだ定型化をみせない衣文の彫り口から、九世紀前半に遡る可能性が考えられる。」
(月刊文化財633号「新指定の文化財」2016年6月)

もう一度、自分の眼で、浄山寺・地蔵菩薩像と、笠区・薬師如来像を見較べてみたかったのです。

埼玉浄山寺・地蔵菩薩像埼玉浄山寺・地蔵菩薩像
埼玉浄山寺・地蔵菩薩像

笠区・薬師如来像は、年に一二度しか開帳されず、普段は拝観が難しいのですが、桜井市の教育委員会のお世話になって、拝することが出来ました。



【鋭い切れ味、キリリと引き締まった姿は、やはり傑出~笠区の薬師像】


収蔵庫に祀られる、薬師像を眼近にじっくりと拝することが出来ました。
やはり何度見ても、素晴らしい出来の傑作像です。
惚れ惚れします。

「手の切れそうな鋭い切れ味の鎬、深く彫り込まれ粘りのある衣文」

この凄さに惚れ込まない人は、いないのではないでしょうか?

笠区妙円寺・薬師如来像

笠区妙円寺・薬師如来像笠区妙円寺・薬師如来像
鋭い鎬、深く粘りある衣文の彫り口の、笠区・薬師如来像

溢れんばかりのボリューム感、迫力という訳ではないのですが、厳しげな顔貌、キリリと引き締まった体躯は凛として、強い存在感を感じさせます。

笠区妙円寺・薬師如来像

笠区妙円寺・薬師如来像
笠区妙円寺・薬師如来像

カヤ材の一木彫、蓮肉まで共木から彫り出されています。
平安初期様を引く9世紀末~10世紀初の制作といわれています。


さて、問題の、9世紀の制作といわれる、浄山寺・地蔵像との見較べです。

笠区妙円寺・薬師如来像~側面V字状の衣文埼玉浄山寺~側面のV字状の衣文
側面のV字状の衣文~(左)笠区・薬師像、(右)浄山寺・地蔵像

笠区妙円寺・薬師如来像~腰脚部埼玉浄山寺・地蔵菩薩像~腰脚部
腰脚部の衣文~(左)笠区・薬師像、(右)浄山寺・地蔵像

確かに、両袖側面のV字状の衣文など、衣文の形式、鋭さは類似しているようには思うのですが、

新指定重文解説のように、
「両像は同系の作者の手になるとみてよく・・・・」
といわれると、
「ウーン、自分の仏像を見る眼が、まだまだなのかな?」
と、ちょっと唸ってしまいました。

少なくとも、

「笠区・薬師如来像の方が、彫刻作品として格段に出来のレベルが優れている。」

そのような確信を持ったのは、率直な感想でした。



【緑濃い樹々に覆われる「かくれ寺」、戒長寺】


戒長寺は、人里離れた榛原の山中、まさに「かくれ寺」です。

緑濃い樹々に囲まれた戒長寺
緑濃い樹々に囲まれた戒長寺

境内の大イチョウをはじめ、鬱蒼とした緑に囲まれていました。
煩わしい俗界から離れた地で、心静かになるような思いいです。
拝した諸仏もまた、皆、平安後期のおだやかな造形でした。

戒長寺・薬師如来像

戒長寺・日光菩薩像.戒長寺・薬師如来像、日光月光菩薩像
四君子苑~玄関と前庭

奈良中部の地方的作風という諸像でしたが、心和やかな気持ちとなりました。
ご住職には、大変、親切丁寧にご案内いただきました。



【重量感と動勢が見処~弘仁寺の平安前中期・二天像】


弘仁寺を訪れました。
天理駅の北東にあります。

弘仁寺の境内と本堂
弘仁寺の境内と本堂

弘仁寺と云えば、平安前期の一木彫像「明星菩薩像」が、有名です。
明星菩薩像は、長らく奈良国立博物館に寄託されており、弘仁寺にはありません。

この日の目的は、本堂に安置される持国・増長の天部二像を拝することでした。

弘仁寺・増長天像
弘仁寺・増長天像

天部二像は、平安中期、9世紀末~10世紀初の制作とされる平安古仏です。
(残りの広目・多門天像は、江戸時代の制作です。)

今回が、初めての拝観です。
風雨にさらされたのか、木肌は随分荒れていますが、重量感と動勢のある、なかなか見処のある天部像です。
カツラの一木彫、邪鬼まで共木から彫り出されています。

飛鳥、川原寺に遺される、天部二像を連想させる造形です。

川原寺・多門天像
川原寺・多門天像

あまり知られていない平安古仏ではないかと思うのですが、一見の価値ある天部像でした。



【大御輪寺伝来の日光月光菩薩像を拝しに、正暦寺を訪ねる】


最後に、正暦寺を訪れました。

今回、正暦寺を訪ねた目的は、本堂に祀られている、日光月光菩薩像を拝することでした。
この日光月光の二菩薩像は、元々、大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺である大御輪寺に安置されていた仏像なのです。

大御輪寺旧本堂~現大直禰子神社
大御輪寺旧本堂~現大直禰子神社社殿

明治の神仏分離令の影響で、正暦寺に移されたのでした。
大御輪寺伝来の仏像と云えば、
聖林寺の国宝・十一面観音像があまりにも有名ですが、
他にも、
法隆寺・地蔵菩薩像(国宝・平安)、玄賓庵・不動明王像(重文・平安)、長岳寺・増長多聞天像と、この正暦寺像が、
明治初年に大御輪寺から移されたと伝えられています。



【県指定文化財となり、修復もなった二菩薩像】


この大御輪寺伝来・正暦寺日光月光像は、平安時代前中期の制作とされています。
長らく、無指定の仏像だったのですが、2013年に、新たに県指定文化財に指定されました。
文化財指定を機に、腕が無くなっているなどの損傷の復元修理が行われていましたが、今年、その修理が完成したというは話なのです。
私は、この文化財指定&修復完成情報は、全く知らなかったのですが、今回ご一緒の同好の方から、耳寄り情報として教えられたのでした。

この正暦寺・菩薩像、私は、拝したことはありません。
是非一度は拝したいものと、ご住職に拝観のお願いを申し上げた処、ご了解をいただいたのでした。

ご存じのとおり、正暦寺は、立派な伽藍のお寺です。

正楽寺・本堂
正暦寺・本堂

お伺いすると、わざわざ、ご住職自ら、本堂にご案内いただきました。
お目当ての、日光月光菩薩像は、近年新造された中尊・薬師如来像の両脇侍として、安置されていました。

正暦寺本堂に安置される薬師如来像(新造)と日光月光菩薩像
正暦寺本堂に安置される薬師如来像(新造)と日光月光菩薩像

大御輪寺伝来~正暦寺・月光菩薩像大御輪寺伝来~正暦寺・日光菩薩像
大御輪寺伝来・正暦寺~(左)月光菩薩像(右)日光菩薩像

修理前の大御輪寺伝来~正暦寺・月光菩薩像修理前の大御輪寺伝来~正暦寺・日光菩薩像
修理修復前の腕の亡失した(左)月光菩薩像(右)日光菩薩像

亡失していた両腕も復元され、ご立派なお姿を拝することが出来ました。
両像共に、奈良様の伝統を受け継いだ、見事な木彫像です。

乾漆併用で造形されているようのではないでしょうか?
間違いなく、奈良様を残した平安前中期の制作のように見受けました。



【明治元年に大御輪寺から正暦寺へ~正暦寺に残る「寄付証文・目録」で明らかに】


ご住職から、日光月光菩薩像が大御輪寺から移された経緯について、まことに興味深いお話をお教えいただきました。
なんと、正暦寺には、大御輪寺からの「寄付証文・目録」が、3通残されているそうなのです。
その文書には、大御輪寺から、両菩薩像はじめ仏具が寄付され、正暦寺から相応の御礼がされた旨、記されているというのです。
日付は、慶応4年・明治元年(1867)となっているということでした。

ご存じのとおり、聖林寺にも、大御輪寺から十一面観音像、地蔵菩薩像(現在法隆寺所在)等を預かったという、慶応4年(1867)の「預証文」が、遺されています。

明治初年の神仏分離の際、大御輪寺の仏像が、各寺に移されるについては、きっちりとした相互の了解のもとに、移安されたということなのでしょう。
大御輪寺旧仏については、決して、廃仏毀釈の嵐の中で廃棄同様に扱われたということではなかったようです。
正暦寺に残る大御輪寺からの「寄付証文」については、まだ、広く世に知られるには至っていないようです。

「そんな貴重な資料が、正暦寺に残されていたのか!」

ビックリするとともに、初めて知った秘話に、心ときめいてしまいました。

ご住職から、大変に興味深い、秘話ともいうべき貴重なお話をお伺いすることが出来ました。
私にとっては、最も関心の高いテーマの、未知の話の連続で、大興奮のひと時となりました。

大変懇切にご案内いただき、貴重な秘話まで聞かせていただいたご住職に、心より感謝しつつ、正暦寺を後にしました。


今回の一泊二日の奈良観仏探訪は、あまり知られていない渋い処の仏像ばかりといったラインアップでしたが、極めて中身の濃く充実した、大満足の旅となりました。



【3mの巨像、櫟野寺・観音坐像が東博に出展~360度ビューで鑑賞】


7~9月の観仏の最後は、東京国立博物館で開催されている、「平安の秘仏~滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち展」です。

「平安の秘仏~櫟野寺展」ポスター

櫟野寺の十一面観音像は、お寺の本堂で何度か拝したことはあるのですが、その観音像が、初めてお寺を出て、博物館で展示されることになったのです。

櫟野寺・十一面観音像
櫟野寺・十一面観音像

今回の特別展は、33年に一度の大開帳に向けて、本堂・文化財収蔵庫の大改修が行なわれることになり、その機会に、櫟野寺の全て平安古仏像が出展される、特別展が開催されることとなったということです。
櫟野寺の平安古仏像、20躯が、全て勢揃いしていました。

十一面観音像は、像高が3mもある巨大像です。
その観音像が、東京まで運ばれ、360度ビューで展示されることになったのですから、駆け付けないわけにはいきません。
一度、どうしても側面から、観たかったのです。
お寺では、お厨子の中に安置されており、側面背面からは拝することは叶いません。

櫟野寺の厨子内に安置される十一面観音像
櫟野寺の厨子内に安置される十一面観音像


【不思議な造り方の櫟野寺・観音像~桶状矧付けで、ボリューム増量】


実は、この観音像、ヒノキの一木造りなのですが、頭体部の丸太状の原木の周りに、十数枚の薄板を桶状に矧ぎつけ、体部の太さを増すように造られているのです。
不思議な造り方です。
何らかの由緒ある霊木のヒノキ丸太を用い、その霊木を活かしつつ、ボリュームをつけるため、こんな異色の木寄せを行なわざるを得なかったのであろうとみられています。

博物館で、真横から、じっくりと観ることが出来ました。
分厚いのです。
腹から腰にかけて、予想以上のドーンとしたボリューム感です。
あとからボリュームを増したというぎこちなさが、ほんのちょっと残るようですが、そのことがまた、堂々たる安定感を醸し出しているのだと納得しました。

櫟野寺・十一面観音像
四君子苑~玄関と前庭

正面から拝しても、下膨れで大ぶりな目鼻立ち、拡がりのある両ひざの構えで、堂々たる姿に圧倒されます。
平安中期の、穏やかさを醸しながらも、

「どっしりと、頼りになる仏様!」

そんな雰囲気が、漂っていました。
10世紀の数ある仏像の中でも、傑作のひとつとして、指を折ってもよい見事な仏像だと、納得です。



【ちょっと難しかった「甲賀様式」という考え方】


ご本尊の他にも、19躯の平安古仏が、所狭しと展示されていました。
全て、平安中期から後期にかけての制作の仏像です。

解説キャプションには、
「甲賀様式と呼ばれる造形表現の共通の特徴があり、櫟野寺を中心に甲賀の寺院に広くみられる。」
と記されるとともに、

図録解説には、「甲賀様式と櫟野寺の仏像」(西木政統氏執筆)という解説論考が、掲載されていました。
「よく伸びた細身の体躯」「目尻の吊り上がった厳しさを残す目」「裳の折返しや腰布を独特の意匠で飾る」「静穏な作風」
などといった、類似の様式的特徴がみられるということです。

櫟野寺~甲賀様式像1.櫟野寺~甲賀様式像2
甲賀様式といわれる仏像~櫟野寺・観音菩薩像


諸像を、一所懸命に、観てみたのですが、

〈甲賀様式という様式的特徴〉として、括り出せるものなのかどうか?」

そのあたりを、どのように理解していったらよいのか、なかなかよく判りませんでした。
まだまだ勉強不足、という処です。


やっと、第三四半期、9月までの観仏探訪をご紹介することが出来ました。

ついつい図に乗って、ダラダラと長く綴ってしまい、その分時間もかかって、早くも、今年の残りの日も、指折り数えるほどになってしまいました。
年内に「今年の観仏を振り返って」を、すべて掲載し終わるつもりだったのですが、もう間に合いそうにありません。

毎日、こればかりやっているという訳にもいきませんので・・・・・
ギブアップという処です。

ということで、「最終回、〈その4〉(10~12月)」は、年またぎで、新年早々のいずれかに掲載させていただきます。


今年も、「観仏日々帖」ご覧いただきまして、本当にありがとうございました。

来年も、「気ままな仏像記事」を、書き連ねていければと思っております。
よろしくお付き合いいただけますよう、お願いいたします。


皆様、良き年を迎えられますよう!!


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