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観仏日々帖

古仏探訪~2018年・今年の観仏を振り返って 〈その1〉 1~5月 【2018.12.15】


もう師走になってしまいました。

なんとなく過ごしているうちに、一年が経ってしまったという処ですが、この齢になってくると

「“相変わらず”ということに、感謝しなければいけないのかな」

そんな、気持ちになってきます。

恒例ということで、 「今年の観仏を振り返って・2018年バージョン」 を掲載させていただきたいと思います。

今年は、これといった観仏探訪に、ほとんど出かけませんでしたので、さらりとコンパクトに紹介させていただきます。
自己満足的な観仏記録で、面白くもなんともないのですが、一年の観仏の総まくりということで、お付き合いください。


【1 ~3月】


冬は寒くて、観仏には、何処へも出かけませんでした。

仏像以外のいろいろな展覧会や、古い映画などには、結構出かけたのですが、仏像を観たのは2つの展覧会だけです。
「運慶~鎌倉幕府と霊験伝説展」(金沢文庫)と、「仁和寺と御室派のみほとけ展」(東京国立博物館)だけでした。



【東国の運慶一派の造像をたどった「運慶~鎌倉幕府と霊験伝説展」】


金沢文庫の「運慶~鎌倉幕府と霊験伝説展」です。

「運慶~鎌倉幕府と霊験伝説展」

昨年秋、東京国立博物館で「運慶展」が開催され、驚くほどの大盛況でしたが、今度は、神奈川県立金沢文庫で「運慶~鎌倉幕府と霊験伝説」展が開催されました。
運慶と鎌倉幕府との関係や、運慶仏が霊験あらたかなものとして信仰されたことに注目して、関連する作品を紹介する展覧会でした。

東国の運慶作品とその一派に関連する仏像が、多数出展されていました。
私の印象に残った仏像だけご紹介しておきたいと思います。


〈瑞林寺・地蔵像と久しぶりの対面~六波羅蜜寺・地蔵像へ思いを馳せる〉


久しぶりに、康慶作の瑞林寺・地蔵菩薩坐像を観ることが出来ました。
10年前に、静岡県富士市の瑞林寺を訪ねて拝してから、2度目の出会いです。
(昨年の運慶展では、期間限定出展だったので、観られませんでした。)

運慶の父、康慶が治承元年(1177年)に制作したことが、墨書銘から知られる像です。
なかなか意志的な眼をした、堂々たる造形です。
惹き付けるところがあります。

瑞林寺・地蔵菩薩像六波羅蜜寺・地蔵菩薩像
(左)瑞林寺・地蔵菩薩像~康慶作、(右)六波羅蜜寺・地蔵菩薩像~運慶作

六波羅蜜寺の運慶作・地蔵菩薩像のダイナミックさに比べると、まだまだおとなしさを感じるのですが、本像から六波羅蜜寺像に至るというということを、十分に納得させてくれるものがありました。


〈運慶作なのか?~仏法紹隆寺・不動明王と瀬戸神社・抜頭面〉


「運慶作か?」
その可能性が議論されている東国の作品が、二つ展示されていました。
仏法紹隆寺の不動明王像と、瀬戸神社の抜頭面です。

仏法紹隆寺の不動明王像は、松島健氏が平成9年(1998)に運慶作である可能性を発表したことで知られる像です。

仏法紹隆寺・不動明王像
仏法紹隆寺・不動明王像(長野県諏訪市)

X線撮影で運慶特有の月輪形木札が納められていることがわかり、
造形様式などから運慶作とみて、
「源頼朝か北条義時が運慶に命じて造らせ、勲功のあかしとして諏訪一族にプレゼントしたのではないか。」
と、松島氏はみたようです。

「運慶らしい感じがするのかなあ?」
「願成就院や浄楽寺の不動明王像と似た処があるのかなあ?」
と、一生懸命観たのですが、素人の私などには、
「うーん、よくわからん。そんなに運慶っぽい感じもしないけれども。」
というのが、率直な感想でした。


もう一つの、瀬戸神社の抜頭面は、今回初めて実物を見ることが出来ました。

瀬戸神社・抜頭面瀬戸神社・陵王面
(左)瀬戸神社・抜頭面、(右)陵王面(横浜市金沢区)

抜頭面の裏面に、追銘とされるものの、建保7年(1219)に、運慶が夢想により彫刻した旨の朱漆による銘文がることから、運慶作の可能性が議論されています。
抜頭面の展示キャプションには、はっきりと「運慶作 建保7年」と記され、図録解説にも
「運慶作品の一つに加えても良いのではないだろうか。」
との見解が述べられていました。

私には、運慶作なのかどうかは全くわかりませんが、大変迫力ある造形に驚かせられました。
併せて展示された陵王面も含めて、際立って出来の良さ、存在感を感じました。


この展覧会の関連講座として「運慶研究の現在」と題する全6回の連続講座が開催されました。

連続講座「運慶研究の現在」

興味深いテーマでしたし、ヒマなものですから、参加することにしました。
我が家から2時間近くかけて、毎週々々、金沢文庫まで出かけるというのは、結構しんどかったのですが、なかなか勉強になりました。



【御室派寺院の優作勢ぞろいにビックリ「仁和寺と御室派のみほとけ展」】


東京国立博物館で開催された「仁和寺と御室派のみほとけ展」に出かけました。

「仁和寺と御室派のみほとけ展」

「仁和寺と御室派のみほとけ展」「仁和寺と御室派のみほとけ展」

展覧会の概要については、今更ご紹介するまでもなく、皆さん出かけられたことと思います。
仁和寺と全国の御室派寺院の見どころある仏像が、一挙、勢ぞろいする展覧会でした。
想定外の各地の優作に出会えることが出来、見ごたえがありました。
よくこれだけの御室派の興味深い仏像を集結することが出来たものと、ビックリしてしまいました。


今回展示仏像で、私が初めて観ることが出来たのは、次の仏像でした。

「仁和寺と御室派のみほとけ展」初見仏像リスト

神呪寺・如意輪観音像と雲辺寺・千手観音像は、ともに秘仏で拝観日が限られており、一度拝したいものと思っていた像でした。

神呪寺・如意輪観音像雲辺寺・千手観音像
(左)神呪寺・如意輪観音像、(右)雲辺寺・千手観音像

雲辺寺・千手観音像は、もう少し力感を感じる像かと思っていたのですが、思いのほか線が細く、地方的な匂いも感じました。

数ある展示仏像の中で際立つのは、やはり葛井寺の千手観音像、道明寺の十一面観音像というのが、私の印象です。
やはり、いずれも、流石の第一級品です。
葛井寺の千手観音像は、初めて360度ビューで観ることが出来ました。
光背のような千手の取り付け方が大変よくわかって、あの美しいシルエットの秘密を納得することが出来ました。

もう一つ、心に残ったのは、京都・遍照寺の十一面観音像でした。
お顔の造形の美しさ、見事さに惚れ惚れして、見直してしまいました。
お寺のお堂で拝したときは、ちょっと薄暗くて、それほどに良さが判らなかったのですが、明るい照明の中で眼近に観ると、素晴らしいお顔であることに気づかされました。
京都・法性寺の国宝・千手観音像のお顔に、よく似ています。

遍照寺・十一面観音像法性寺・千手観音像
(左)遍照寺・十一面観音像、(右)法性寺・千手観音像

会場でも、一際引き立つものがあり、平安中期の優作であることを、実感させられました。



【4月】



【一泊二日で、三重観仏探訪へ】


同好の方々と、三重方面の観仏旅行に出かけました。
年に一度の津市の光善寺・薬師三尊像のご開帳日(4月第一土曜日)に合わせて、一泊二日で出かけました。

ご覧の通りの古仏を訪ねました。

三重観仏探訪先リスト

三重県の観仏、もう何度訪れたでしょうか。
なかなか廻りきることが出来ません。
三重には、見どころのある仏像が、随分数多く遺されているのですが、あまり注目されていないようで、知られざる平安古仏の宝庫といった感じがします。


〈2年連続で光善寺・薬師像のご開帳に〉


光善寺の薬師如来像は、昨年のご開帳の日に、一人で出かけて拝しましたので、2年連続の拝観となりました。

光善寺・薬師如来像
光善寺・薬師如来像

その時の拝観記などについては、観仏日々帖 「2017年・今年の観仏を振り返って〈その2〉」 「古仏探訪~三重県津市・光善寺の薬師三尊像の御開帳」 にてご紹介させていただいた通りです。
一年ぶりの再会となりましたが、やはり魅力的な像です。

いくつか、印象深かった仏像をご紹介したいと思います。


〈はち切れんばかりの造形に惚れ直した伊奈富神社・男神像〉


何といっても、一番目を惹いたのは、伊奈富神社の男神像でした。
「いのうじんじゃ」と訓みます。
崇仁天皇像と伝えられるそうで、立派な神社の収蔵庫に、1躯だけ祀られていました。

伊奈富神社・男神像伊奈富神社・男神像
伊奈富神社・男神像

小さな神像なのですが、はち切れんばかりの力を発散させているようです。
「利かん気」の少年が、目を怒らせて力んでいるような表情に、たまらなく惹かれてしまいました。
展覧会に出展されているときにガラス越しに何度か観たことがあるのですが、こうして眼近に観ると、惚れ直してしまいました。

三重県史に、
「本像の制作はおそらく九世紀後半頃まで遡るものと考えられる。
三重県を代表する神像の優品である。」
と書かれていましたが、まさに納得です。

神宮寺の持国天・多聞天像も、少し地方的な感じもするのですが、なかなか魅力的な天部像でした。

神宮寺・多聞天像神宮寺・多聞天像邪鬼
神宮寺・多聞天像

10世紀ごろの制作ということです。
この神宮寺は、伊奈富神社の境内にあったそうなのですが、明治の神仏分離、廃仏毀釈で少し離れた現在の地へ移されたのだそうです。

この像もクスノキで、伊奈富神社・神像も、クスノキで造られています。
三重地方は、クスノキの繁殖度合が高かったのか、この他にもクスノキ材で造られている古仏が多いように思います。


〈ひっそりとした小堂に半丈六の坐像が3体も~妙福寺・如来像〉


妙福寺は、ひっそり、小ぢんまりと建つ、一寸さびれたお堂なのですが、そこに半丈六の大きな大日如来像、等身の釈迦如来像が3躯並んで、ドーンと祀られているのを見て圧倒され、ビックリしました。

妙福寺・諸仏
妙福寺・堂内

大きな如来像なのですが、平等院の雲中供養菩薩を思い出すような、藤原の優しく、穏やかなお顔が、たいへん印象的です。

妙福寺・大日如来像
妙福寺・大日如来像


〈野太くパワフル~蓮光院・大日如来像〉


蓮光院の大日如来像は、パワフルです。
「仁和寺と御室派のみほとけ展」に出展されていて、お寺に戻ってきたばかりの再対面でした。
野太さ、逞しさと、密教的な霊威感を感じさせる仏像です。
10世紀ごろの制作でしょうか。

蓮光院・大日如来像蓮光院・大日如来像
蓮光院・大日如来像


その他の訪ねた古仏の数々も、それぞれ見どころの多いものがありましたが、三重観仏探訪のご紹介は、これくらいにしておきたいと思います。



【異様な怪異さの東寺・夜叉神像~恒例の「新指定国宝・重要文化財展」】


毎年恒例、4~5月に2週間、東京国立博物館で開催される「新指定国宝・重要文化財展」に出かけました。

今年の彫刻は、国宝が2件、重要文化財は11件の文化財新指定でした。
国宝は、三十三間堂の1001躯の千手観音像と、興福寺の仮金堂にあった四天王像でした。
四天王像は、康慶作の南円堂諸像と一具であることが明らかになり、今般南円堂に移されたことを機に、国宝指定されたものです。

ご覧のような、新指定重要文化財の仏像が出展されました。

平成30年度新指定文化財展出展仏像リスト

岩手県一関市・東川院の聖観音像は、5年前、2013年にお寺まで伺って拝した思い出があり、その姿を懐かしく観ることが出来ました。

東川院・聖観音像
東川院・聖観音像

一番の注目は、東寺の夜叉神像でした。
一度、観てみたいと思っていたのですが、なかなか東寺で展示される期間とタイミングが合わなかったのです。
やはり、得も言われぬ異様な迫力です。

東寺・夜叉神像
東寺・夜叉神像

この像は、かつて東寺の中門に安置されていたもので、文化庁の指定解説によると、樹神(樹木の精霊)の像だということです。
「樹神の像」というものが、どのようなもので、ほかにも存在するのか?私には、判りませんが、何しろ怪異でおどろおどろしい雰囲気を醸しています。
9世紀末頃の制作とみられるそうですが、仏像彫刻の世界とは違う妖しい世界を覗いたような気持ちになる像でした。
不思議な引力を発散していました。



【5月】



【林立する初期一木彫・薬師立像が壮観「名作誕生~つながる日本美術展」】


東京国立博物館で開催された「名作誕生~つながる日本美術展」に行きました。

「名作誕生~つながる日本美術展」

日本を代表する美術研究誌「国華」創刊130周年、朝日新聞140周年を記念して開催された特別展で、日本美術の名作、優作を集めた展覧会でしたが、仏像の展示は大変ユニークで興味深いものでした。
「一木の祈り」と題するテーマ設定で、一室丸ごと、一木彫像が展示されていました。

展示仏像は、ご覧のとおりです。

「名作誕生~つながる日本美術展」出展仏像リスト

奈良時代後半から平安前期までの一木彫像、それも薬師の立像にスポットを当てた展示です。
渡来檀像の影響を受けて生まれた初期の一木彫像のうち、両腿を隆起させるY字状衣文の薬師立像が、どのような造形展開をしていったのかにスポットが当たっています。
誠にユニークで、興味深い展示で、このコーナーだけにどっぷりとつかって、2度も出かけてしまいました。

奈良~平安前期の一木彫の薬師立像が、一つの部屋ににょきにょきと林立している光景は、壮観そのものでした。

元興寺・薬師如来像笠区妙円寺・薬師如来像阿弥陀寺・薬師如来像

孝恩寺・薬師如来像成相寺・薬師如来像春光寺・薬師如来像
展示されていた初期一木彫・薬師如来立像諸像
上段左から元興寺・薬師如来像、笠区妙円寺・薬師如来像、阿弥陀寺・薬師如来像
下段左から孝恩寺・薬師如来像、成相寺・薬師如来像、春光寺・薬師如来像


それも、独特の個性を強く主張する一木彫像だけが選ばれているようです。
展示企画した方の、興味関心、好みの世界が、伺えるような顔ぶれです。

笠区、孝恩寺、成相寺、春光寺の薬師像などは、お寺で何度か拝したことはあるのですが、久しぶりの、懐かしい再会です。


〈圧倒的な存在感が際立つ唐招提寺・薬師如来像〉


こうして、一堂に会した初期一木彫・薬師立像を、ぐるりと眺めてみると、唐招提寺・薬師像の圧倒的なパワー、迫力の物凄さを、思い知らされるものがありました。

唐招提寺・薬師如来像唐招提寺・薬師如来像
唐招提寺・薬師如来像

際立ってというレベルを通り越して、較べようのないほどの圧倒的な存在感を発散しています。

「モノが全然違う!」

そんな言葉が、思い浮かんできました。

展示されている諸像は、それぞれのお寺を訪れて拝すると、強烈なインパクトで迫力満点、存在感充分の一木彫像です。

しかし、唐招提寺・薬師像と肩を並べると、
「全員“参りました!”と、頭を下げざるを得ないな。」
というのが、素直な実感です。

初期一木彫像の世界における、唐招提寺木彫群の位置づけ、意義の重たさというものに、今更ながらに思いを致しました。


〈望外の喜び~お気に入りの笠区・薬師像との再会〉


それにしても、笠区・竹林寺(妙円寺)の薬師如来像を、博物館で観ることが出来たのは、望外の喜びでした。

笠区妙円寺・薬師如来像笠区妙円寺・薬師如来像
笠区妙円寺・薬師如来像

この薬師像は、平安前期一木彫像の名品だと思うのですが、私の記憶では、収蔵庫から出て博物館に展示されるのは、初めてのことではないかと思います。
桜井市の外れの山中にあり、年に一二度の祭礼の時にしか開扉されることがありませんので、実見されたことがある方は、そう多く無い像だと思います。

鋭く鎬立った衣文の彫り口、キリリと引き締まった体躯で、素晴らしい出来の優品で、私の大のお気に入り像です。
再会できた博物館でも、凛とした存在感を発散させていました。

その笠区の薬師像も、唐招提寺・薬師像と同じ部屋に置かれると、そして隣に立っていたのが元興寺・薬師像ということになると、
「流石に、しぼんでしまう。」
というのが正直な処で、なんだかちょっと可哀そうになってしまいました。


古仏探訪~岡山県 瀬戸内市・大賀島寺の秘仏・千手観音像御開帳  【2018.11.24】


岡山・大賀島寺の秘仏本尊・千手観音立像の、33年に一度のご開帳がありました。

11月17日・18日の二日に限り、開帳されました。

「このご開帳には、なんとしても行かねばなるまい。」

そんな思いで、出かけました。

大賀島寺・千手観音像(「吉備の知られざる世界」掲載写真)
大賀島寺・千手観音像(「吉備の知られざる世界」掲載写真)


【早世した、本HP創始者・高見徹さんが最後に観た仏像~大賀島寺・千手観音像】


この「神奈川仏教文化研究所HP」の創始者・高見徹さんは、7年前、61歳で早世しましたが、彼が生前、最後に観た仏像が「大賀島寺の千手観音像」なのでした。

「厳重な秘仏」で拝観が叶わなかったのですが、2011年に重要文化財に指定されたとき、2週間に限って、東京国立博物館の新指定文化財展(4月~5月)に展示されました。

当時、体調がすぐれずに入院中の彼でしたが、新発見の平安前期の優作ということで、
「何としても、この仏像だけは、観に行くのだ。」
と、病を押して博物館まで出かけてきて、待望の千手観音像を、我々と一緒に観たのでした。
それから10日余、あまりに突然といえるほどに、急逝したのでした。

その後、HPは、学生時代からの長きにわたる仏像愛好の友であった私が、引き継がせていただいています。

この思い出については、かつて、観仏日々帖「高見徹さんを偲んで」に、綴らせていただいた通りです。

「大賀島寺の千手観音像」

私にとっては、忘れ難き仏像なのです。



【平安前期の優作、厳重秘仏のご開帳を目指して、各地から大勢が駆付け】


大賀島寺は、岡山駅から車で東へ45分ほど、瀬戸内市邑久町豊原という処にあります。
大雄山という山の山頂にあり、素晴らしい見晴らしです。

大賀島寺のある大雄山山頂からの眺望
大賀島寺のある大雄山山頂からの眺望

普段は訪れる人もほとんどないお寺なのですが、この日は、33年に一度の御開帳ということで、多くの人々で賑わっていました。

33年に一度のご開帳法要、奉参行事で賑わう境内
33年に一度のご開帳法要、奉参行事で賑わう境内

本尊・十一面観音像は、写真でご覧いただいたらわかるように、ほれぼれするような見事な一木彫像です。
近年発見され、大注目となっている、平安前期、9世紀の優作像なのですが、厳重秘仏で、この御開帳を逃すと、また33年後でないと拝することが叶いません。

臨時の駐車場には、「福井、和歌山、奈良ナンバー」などの車が並んでいて、全国各地からこのご開帳を目指して、長駆、かけつけてきた人が多いようです。



【地元総出の御開扉供養法要、奉賛行事で、境内は大賑わい】


参道、境内には、「南無千手観音菩薩」と書かれた赤い幟がたくさん立てられ、本堂前には立派な回向柱が立柱されています。

御開帳日の大賀島寺本堂、境内
御開帳日の大賀島寺本堂、境内

境内は、参詣の人々、御開帳奉賛行事参観の人々で、大変な賑わいです。
33年に一度のご開帳いうことで、地元の村落の人々総出での大イベントの様子、御開扉法要への力の入り方が伺えます。

境内に立てられた、秘仏御開帳の大看板
境内に立てられた、秘仏御開帳の大看板

10年余前に、岡山方面観仏の折、ダメもとで、故高見さん等と大賀島寺に寄ってみたことがありましたが、その時には、境内に人っ子一人、姿が見えませんでした。
(この時、当然、拝観は叶いませんでした)

2007年にダメもとで訪れたときの大賀島寺~訪れる人は誰もいなかった
2007年にダメもとで訪れたときの大賀島寺~訪れる人は誰もいなかった

同じお寺とは、信じられないような賑わいです。



【「凛として雄渾」、第一級レベルの見事な平安初期一木彫像の優作】


早速、秘仏・ご本尊の拝観です。

千手観音像は、本堂内の大きな厨子の中に祀られていました。
照明も明るく、厨子の真ん前まで近寄って、眼近に拝することが出来ました。

大賀島寺・千手観音像~修復後(美術院紀要掲載写真)
大賀島寺・千手観音像~修復後(美術院紀要掲載写真)

千手を大きく広げた観音像が、眼前に迫ってきました。

「凛として、雄渾な、立ち姿」

「鋭く、流麗、緻密な彫技」

まずもって、目に映る印象です。

像高:122センチ、カヤ材とみられる一木彫像で、体躯から蓮肉まで一材から刻みだされ、内刳りは施されていません。

一見しただけで、バリバリの平安前期の一木彫像であることがわかります。
それも、間違いなく、素晴らしい出来の見事な優作です。
都の大寺に遺されていて、何の不思議も感じない、第一級レベルの仏像だと感じました。
岡山のこの地に、これほど素晴らしい仏像が秘されていたというのは、まさに驚きです。


引き締まった意志的な眼、ちょっと下膨れの顔貌は、エキゾティックでちょっと大陸的な雰囲気を醸しています。

大賀島寺・千手観音像顔部~修復後(美術院紀要掲載写真)
大賀島寺・千手観音像顔部~修復後(美術院紀要掲載写真)

そして千手の脇手の伸びやかな広がりと、体躯とのバランスが抜群で、大空間に大きく雄々しく羽ばたくかのようです。

千手を広げたシルエットが見事で雄渾な千手観音像(仏教芸術掲載写真)
千手を広げたシルエットが見事で雄渾な千手観音像(仏教芸術267号掲載写真)

「雄渾」という言葉が似合う、堂々たる印象を受けるのは、キリリとした顔貌とのびやかな千手を広げたシルエットの故かも知れません。



【驚くべき彫技の冴え渡りと、千手・蓮肉まで一材彫出のカヤの良材壇像】


もう一つ目を惹くのは、驚くべきと云って良いほどの彫技です。

ヌメッとした肌合いを感じさせる、柔らか、滑らかな肉身表現。
それにも増して、凄いのが、鋭く深くうねり、粘りのある衣文表現。
その彫り口は、仏工の彫技の冴え渡りを、これでもかと誇示するようです。

彫技がさえわたる大賀島寺・千手観音像衣文~修復後(美術院紀要掲載写真)
彫技が冴えわたる大賀島寺・千手観音像衣文~修復後(美術院紀要掲載写真)

カヤ材という代用材を用いた、大型檀像として制作されたものでしょうが、蓮肉だけではなく合掌手、脇手の大半まで一材から彫り出されているそうです。
内刳りもされていないのに、干割れの痕跡も見当たりません。
余程のカヤの巨木、それも目の詰んだ緻密な良材が用いられているのに違いありません。
(木心は、像の前方中央、蓮肉部上面あたりに籠められているとのことです。)

このことだけでも、9世紀の制作像であることを物語っているようです。

御開帳奉賛会の方から、背面の写真を頂戴しましたが、背中の肉身のカヤ材の美しい木肌、木目が、大変魅力的に写し出されており、余程の良材から刻出されているのが、よくわかります。

緻密なカヤの木肌、木目が美しい千手観音像・背面(御開帳奉賛会の方に頂戴の写真)
緻密なカヤの木肌、木目が美しい千手観音像・背面
(御開帳奉賛会の方に頂戴の写真)



【「造形の特徴、時代の位置づけ」が良くわかる、重文指定時の解説】


ここで、2011年に重要文化財に指定時の解説を、ちょっとご紹介しておきたいと思います。

「報恩大師が開いたという伝承をもつ大賀島寺の本尊で、秘仏として伝えられた。
・・・・・・
腰を右に捻り、左膝を緩めて立つが、このように明らかな動勢を示す千手観音像は、ほかに知られない。
・・・・・・・
頬の長い顔立ちには中〜晩唐風が濃厚にうかがえる。
彫り口は大胆で力強く、著衣は凹部を深くえぐり、衣縁や衣文の峰を鋭く立ち上がらせ、動勢や肉身の起伏に応じて動きのある装を刻んでおり、殊に条帛と天衣が随所に衣縁のうねりや翻転を伴い交錯するさまを克明に表した彫技にみるべきものがある。

このように、本像には平安初期の檀像系作例に特徴的な諸形式や表現が集約的に用いられているのが看取される。
眉が隆起し、口を強く引結んで厳しい表情を示す面貌や刀痕をとどめた仕上げなどは京都・神護寺薬師如来像(国宝)を想起させ、製作年代は神護寺像や、本像に類する形式を多くみせる宝菩提院像からさほど隔たらぬ時期、遅くとも九世紀前半とみて誤りないであろう。

なお脇手の過半まで本体と共木で彫出する千手観音像はほかに北広島町像(注:広島県古保利薬師堂・千手観音像)があるのみで、初期木彫像におけるできるかぎり像を一材より彫ろうという意識をうかがわせる。
平安早期の異色の作例として注目される。」
(「新指定の文化財」月刊文化財573号・2011.06刊)


広島県北広島町 古保利薬師堂・千手観音像(脇手まで一木彫成)
広島県北広島町 古保利薬師堂・千手観音像(脇手まで一木彫成)

造形の特徴、時代的位置づけが、簡にして要を得て解説されていて、「なるほど!」と感じると共に、本像が、9世紀前半のレベルの高い優作であることを、今更ながらに納得させられました。



【修理修復で全身の後補古色が除かれ、檀像様の姿を実感~グッと増した迫力】


実は、この御開帳で、千手観音像の姿を観て、雰囲気が随分変わっていたのに、驚かされました。

2011年に東京国立博物館で展示された時には、全身が、チョコレート色というか黒褐色で覆われていました。
2016年度に、美術院国宝修理所で修理修復が行われ、黒褐色の後補古色が取り除かれ、制作当初の素地像の姿に戻されました。

こんなにもイメージが変わるのかなと、ビックリです。
東博で観た印象に比べて、厳しさ、生々しさが前面に出てきて、グッと迫力が増したように感じました。
今回の拝観で、制作当初の檀像風の姿を、しっかりと実感することが出来ました。

眼の白目、黒目が彩色されているのにちょっと違和感を覚えましたが、後補古色を取り除くと、今の彩色が現れたのだそうで、当初から眼球が描かれていたそうです。
また、肉身は当初の木肌、木目が現れているのに、衣の部分がそうではないのは、これ以上除去すると当初部分を痛める恐れがあったので、ここまでに留めたからということです。



【桓武天皇時代の、渡来新様檀像系仏像の系譜の仏像か?】


この大賀島寺の千手観音像の造形をじっくり見れば見るほど、桓武天皇時代とか長岡京時代の制作かと云われている、一連の檀像風一木彫像のことが、思い浮かびます。

宝菩提院の菩薩踏下坐像、道明寺の十一面観音像、高槻・廣智寺の菩薩立像などといった仏像です。

宝菩提院・菩薩踏下坐像(国宝).道明寺・十一面観音像(国宝)
(左)宝菩提院・菩薩踏下坐像(国宝)、(右)道明寺・十一面観音像(国宝)

大阪府高槻市 廣智寺・菩薩像(府指定文化財)
大阪府高槻市 廣智寺・菩薩像(府指定文化財)

「エキゾティックで下膨れな顔貌、ヌメッとねっとりとした肌合い、粘りのある彫技の冴えを誇るような深く抉った衣文」

といったものに、相通じる空気感を感じるものがあるのです。

これらの仏像は、中国渡来系の仏工の作か?と思わせるような独特の風があり、このタイプの空気感の彫像は、この一時期にだけ見られるように思うのです。
桓武天皇、長岡京時代前後あたりに、徒花のように咲いた、一連の檀像系仏像と云うような気がしています。
桓武天皇は、土師氏、紀氏などとの血縁が強く、また旧来の奈良仏教と距離を置いたといわれています。

私は、
「桓武天皇と土師氏、紀氏というトライアングルに関わりそうな仏像に、唐風渡来新様の色濃い像が多いのではないか?」
と、感じているのですが、大賀島寺像も、そうした仏像の延長線にあるのではないかという気もしてきました。
(大賀島寺像は、瞳に石などを嵌入せず、彩色で表す点は異なるのですが・・・・・・・)

それにしても、そんな仏像が、吉備地方に何故か遺されているというのは、大変興味深い処です。



【平安初期優作の大発見となった大賀島寺・千手観音像
~2003年、浅井和春氏が紹介論考を発表】

さて、大賀島寺の千手観音像、

「近年発見され大注目となった」

と、ご紹介しましたが、その発見の経緯などを、ちょっと振り返っておきたいと思います。

本像の存在が、研究誌ではじめて紹介されたのは、今から15年前、2003年のことでした。
仏教芸術267号に掲載された、浅井和春氏の 「岡山・大賀島寺の本尊千手観音立像とその周辺」 という論考です。
浅井氏自身も、平安初期の優作仏像の発見は、大変な驚きであったようで、論考の冒頭、このように綴っています。

「『とてつもない像』の出現である。

例の如く武田和昭さんからのご一報により、私が岡山・大賀島寺の千手観音像の存在を知ったのは、昨年(2002)10月末のことである。
受話器のむこうの武田さんは、まさに「息せき切って」の形容がピッタリの興奮状態にあった。
数日後、御仏の写真が届き、それを見た私も唯々唸るのみ。思いもかけずその出会いの場に遭遇した武田さんの驚嘆たるや、想像に難くない。

それほどに本像は、鋭く流麗な彫技を全体に駆使した稀有の作品に他ならなかった。
『すぐ来て下さい』とおっしゃる武田さんの熱意にうながされ、ようやく本像を拝する機会を得たのは11月23日。
・・・・・・・・
本像は、安住院像と同様、平安時代の劈頭に製作され、かつ同じ備前地域に特有の『報恩大師』伝説に彩られた一木造の名作であった。」
(2003年3月刊、仏教芸術267号)


想定外の平安初期一木彫像の優作の大発見への、驚きと興奮が、活き活きと手に取るようです。



【最初の発見者は武田和昭氏~「吉備の知られざる世界」出版企画で撮影同行時】


この文章のとおり、厳重秘仏、大賀島寺・千手観音像の最初の発見者は、武田和昭氏ということになります。
武田氏は、香川県在住、お寺の住職を務める仏像研究家で、「讃岐の仏像(上下)」「瀬戸内の金銅仏」といった著作で知られている仁です。

武田氏は、吉備の隠れた文化財を紹介する「吉備の知られざる世界」という本の出版企画で、大賀島寺の写真撮影に同行した際に、この秘仏・千手観音像を見て、平安初期9世紀の制作像に違いないと判断、浅井和春氏に「息せき切って」発見連絡したということのようです。

「吉備の知られざる世界」は、2002年12月に石本均志著・写真で、吉備人出版から刊行されました。

「吉備の知られざる世界」石本均志著・写真(吉備人出版2002刊)

「吉備の知られざる世界」に掲載された大賀島寺・千手観音像の写真、解説
「吉備の知られざる世界」石本均志著・写真(吉備人出版2002刊)
掲載された大賀島寺・千手観音像の写真、解説


武田和昭氏が解説を執筆、
「制作は平安時代初期、九世紀初期ころの作と考えられ、岡山県下では木造の仏像では確認されるなかでは最古とみられる。」
と、述べられています。

本書に掲載された写真が、大賀島寺・千手観音像の姿が世に知られた、最初のことなのではないかと思います。
石本均志氏撮影による、見事な千手のシルエット、雄渾な立ち姿の、魅惑的なカラー写真が掲載されています。



【2011年に重文指定~厳重秘仏が2週間限り、東博で展示】


このようにして、「平安前期の一木彫像の大発見」として、大注目を浴びた大賀島寺・千手観音像は、「9世紀前半の優作像」と認められ、2011年に、国の重要文化財に指定されたのでした。

市指定文化財から、県指定を経ずに、一気に国の重文指定に行ったったとという話です。

そして、33年に一度の開扉の厳重秘仏として守られていた本像が、2週間に限って、東京国立博物館の新指定文化財展に出展されることになったのでした。



【やっぱり、出かけてきて良かったご開帳】


大賀島寺の千手観音像に再会することが出来、そのほれぼれする姿に見入っているうちに、ずいぶん時間が経ってしまいました。
そろそろ帰路につかねばなりません。

次の開扉は、33年後ということです。
「この仏様の姿を、もう一度拝することは、私にはもうないのだな!」
と、後ろ髪をひかれる思いです。


この仏像が最後の観仏になった、長年同好の友、故高見徹さんに想いを致し、本尊千手観音像に、もう一度、手を掌わせました。

「やっぱり、思い切って、この御開帳に出かけてきて、本当に良かった。」

そんな心持に浸りながら、まだまだ参詣の人で賑わう、大賀島寺を後にしました。


古仏探訪~回想の地方仏探訪⑧ 「井上正・古密教彫像を巡る」 【2018.7.6】


【50歳代半ばで、再び「地方仏探訪」の世界へ~30年ぶりの探訪再開】


長年、ご無沙汰だった「地方仏探訪」を再開したのは、50歳代半ば頃、十数年前のことであったでしょうか。

孝恩寺の仏像群に、強い刺激を受けてから、5~6年後であったと思います。
会社勤めになってからは、全くのご無沙汰でしたので、30年以上ぶりに「地方仏探訪」を再開したということになろうかと思います。

仕事の方も、少しばかりは余裕が出てきて、学生時代に訪ねた東北の地方仏を、一人で懐かしく再訪してみたりしました。

「地方仏探訪への情熱」が、少しずつ、蘇ってくるようになりました。
このHP(神奈川仏教文化研究所)の母体であった東京寧楽会主催の仏像探訪旅行に参加させていただいたり、カルチャースクールの仏像講座に顔を出したりするようになりました。



【若き日以上に、地方仏探訪にハマって熱中~全国各地を跳び回る】


そんな中で、仏像愛好の仲間もできるようになり、一緒に「地方仏探訪」に出かけるようになりました。

「今度は、○○地方の仏像を観に行きましょう。
その次は、**寺のご開帳があるから、そのあたりの仏像も一緒に訪ねてみましょう。」

という風に、すっかりハマってしまいました。

学生時代以上に、地方仏探訪に熱を上げるという感じになりました。

地方仏探訪を再開してから、十数年、随分各地の古寺、古仏を巡りました。
北は東北から、南は九州まで、巡りました。
どのくらいの数を回ったかといわれると、よくわからないのですが、振り返ってみますと、全国都道府県の中で、仏像探訪のために訪れていないところは、「北海道、新潟県、熊本県、長崎県、宮崎県、沖縄県」だけになります。
残りの41の府県は、大なり小なり「仏像探訪」のために訪れたということです。

よく、凝りもせずに、飽きもせずに、出かけているものです。
どこがそんなに面白いのかと、呆れられてしまいそうですが、
きっとこれからも、
「どこそこの仏像が、何十年ぶりでご開帳される」
とか、
「あそこには、平安古仏の地方仏があるようだ」
という話になると、せっせと出かけていくことになろうかと思います。

思い出深い地方仏、心に残る地方仏もたくさんあるのですが、一つ一つふれているとキリがありませんので、やめておきます。



【井上正著「古仏」という本で知った「古密教彫像」という世界~今も、こだわり探訪中】


ここでは、一つだけ、私が、
「今も、こだわりを持って、訪ね続けている古仏たち」
について、ご紹介しておきたいと思います。

それは、
「井上正一氏が、自著作で採り上げている“古密教彫像”といわる古仏」
です。
「そんなもの、よく知らない。」
といわれてもという方も、結構いらっしゃるのではないかと思います。

私が、
「井上正氏 の 古密教彫像」
という話を、
初めて知ったのは、40歳頃のことであったと思います。
書店で、「古仏~彫像のイコノロジー」(井上正著・昭和61年・法蔵館刊)という本が出ているのを見つけました。

井上正著「古仏」(法蔵館刊)

そこに、若き日最後の地方仏探訪となった「観菩提寺・十一面観音像」が、採り上げられていたのでした。

井上正著「古仏」に採り上げられている観菩提寺・十一面観音像
井上正著「古仏」に採り上げられている観菩提寺・十一面観音像

観菩提寺・十一面観音像
観菩提寺・十一面観音像

懐かしくなって、迷わずこの本を買いました。
この本に採り上げられていたのが、井上正氏の言う「古密教彫像」というものでした。



【不思議なオーラ、気迫勝負の仏像ばかりのラインアップに強く惹かれる】


ページをめくっていくと、

「アクの強い、クセのある仏像」「不思議なオーラを発している仏像」

ばかりが登場します。
変わった仏像なのですが、何故か、強く惹き付けられる魅力あふれる仏像ばかりなのです。
前回ご紹介した「大阪 孝恩寺の古仏群」も、この本にしっかり採り上げられていました。

孝恩寺・伝弥勒菩薩像孝恩寺・跋難陀龍王像
孝恩寺・伝弥勒菩薩像(左)、跋難陀龍王像(右)

奇怪な表情であったり、強烈な肥満体であったりして「異形の歪んだ造形」の仏像ばかりです。
「気迫勝負の仏像」と云っても良い感じで、造形の出来の良さを度外視したかのようですが、強烈なインパクトを感じます。

この本に採り上げられている仏像の「目次」をご紹介すると。ご覧のとおりです。


「古仏~彫像のイコノロジー」 採り上げ仏像一覧 【目次】
「古仏~彫像のイコノロジー」採り上げ仏像~目次



【「奈良時代に遡る制作」「霊木化現仏」という新発想を提起した井上正氏】


井上氏は、本書に採り上げた仏像を、
「烈しい霊威表現の仏像」、「尋常ならざる精神性を発する表現の仏像」
と呼んでいます。
そして、「行基開基伝承」と結び付け、多くの仏像が奈良時代の制作に遡る古密教系彫像なのではないかという仮説を提起しています。
また、「霊木化現仏」という考え方を示して、霊木から仏の姿が顕現する途上の有様を表現するために、背面の彫りや後頭部の螺髪の省略、眼の形を彫らない表現の造形がなされているものが多々あると指摘しています。

井上正氏の「古密教彫像」についての考え方などについては、以前に、
「観仏日々帖 新刊旧刊案内~井上正著「続・古仏 古密教彫像巡歴」  【その1】  【その2】
で、ご紹介していますので、ご参照いただければと思います。

私は、これらの仏像が、「奈良時代の制作に遡る」とか、「霊木化現表現である」とは、なかなか思えません。

それはそれとして、井上正氏の眼で選ばれた「井上正ワールドの古密教彫像」というものに、強く惹かれる魅力を感じました。
是非、直に拝して、見てみたいものだと思いました。

地方仏探訪を再開してから、この本の中の気になる古仏をいくつか訪ねてみました。
京都 勝光寺・聖観音像、滋賀 大岡寺・薬師如来像、兵庫 楊柳寺・楊柳観音像・十一面観音像
あたりを、手始めに訪ねてみました。

いずれも、期待に違わず、「強いオーラを発する、インパクト十分の仏像」でした。

「これは、凄い迫力だ!」

と、強く惹き付けられてしまいました。

先にご紹介した、観菩提寺・十一面観音像、孝恩寺・仏像群もそうですが、どの仏像も、「強い“気”」を発散させているのです。
異形なのですが、デモーニッシュなエネルギーを発散させているのです。
得も言われぬ、不可思議な魅力を感じました。



【「3つの雑誌連載シリーズ」で採り上げられていた、96件の「古密教彫像」】


「古仏~彫像のイコノロジー」という本は、日本美術工芸という雑誌に掲載された「古仏巡歴」という連載が単行本化されたものです。
これには、その続編、続々編があって、同じ雑誌に連載されていることを知りました。
「古密教彫像巡歴」「古仏への視点」と題する執筆文で、全部「古密教彫像」について採り上げているのです。
続編、続々編は、単行本化されていませんでしたので、早速、図書館で掲載誌のコピーを全部取って、これもまた探訪先の候補として加えました。

~「古密教彫像巡歴」は、後に「続古仏・古密教彫像巡歴」と題して、2012年に単行本化されました。~

井上正著「続 古仏」(法蔵館刊)


そこでの、採り上げ仏像の「目次」は、次のとおりです。


「古密教彫像巡歴」採り上げ仏像一覧 【目次】
「古密教彫像巡歴」採り上げ仏像~目次
「日本美術工芸」580~615号連載(1987.1~1989.12)


「古仏への視点」採り上げ仏像一覧 【目次】
「古仏への視点」採り上げ仏像~目次
「日本美術工芸」652~675号連載(1993.1~1994.12)


「古仏~彫像のイコノロジー」「古密教彫像巡歴」「古仏への視点」
の3つのシリーズを合わせると、採り上げ仏像の目次の件数は、96件になります。

良く知られた仏像の名前もいくつかはありますが、その多くは、あまり知られていない仏像なのではないでしょうか。
私も、聞いたこともない知らない仏像の名前が、たくさん並んでいました。

まさに「マニアックな仏像」と云って良いのかもしれません。



【頑張って、こだわって訪ねるうちに、そのほとんどを拝観】


これらの「井上正ワールドの古密教彫像」を、少しずつ見て回っているうちに、その不思議な魅力にハマってしまいました。
チャンスがあれば、ちょっと無理をしてでも訪ねるようになりました。

段々と、訪ねた仏像の数が増えていくうちに、

「何とか、この96件、全部の古仏を見てみたいものだ!」

と念ずるようになってきました。

「井上正・古密教彫像探訪の完全制覇へのチャレンジ」

に、こだわりを持つようになってきました。

ご覧のとおり、知られざる古寺、古仏という感じなので、随分辺鄙なところにあったり、無住のお堂に祀られた仏像であったりして、

「訪れるのも、なかなか大変。
拝観のお願い、ご了解をいただくのも、結構大変。」

という処が、多いのです。
厳重秘仏になっているものもあります。

拝観のご了解をいただくのに苦労したこともありましたが、一生懸命回ってきました。
この十数年を、振り返ってみると、これらの古仏のほとんどを、直に拝することが出来ました。



【残すは5件のみ~念願の全件完全制覇】


現在、未だ、拝していない仏像は、5件を残すのみとなりました。
未見の仏像は、

福井 二上観音堂・十一面観音像、愛知 高田寺・薬師如来像、和歌山 東光寺・薬師如来像、和歌山 満福寺・十一面観音像、新潟 宝伝寺・十一面観音像

の5件です。

福井 二上観音堂・十一面観音像愛知 高田寺・薬師如来像
(左)福井 二上観音堂・十一面観音像、(右)愛知 高田寺・薬師如来像

こんなマニアックな仏像を、よくこれだけ訪ねてきたものだと、思います。
ここまでくれば、こだわりも、もう意地のようになってきた感じです。

是非とも、「井上正・古密教彫像シリーズの完全制覇」を、何とか果たしたいものだと念じています。



【「観仏日々帖」で、これまでご紹介の、「井上正・古密教彫像」たち】


これまでに、私がこれまで訪れた、これら古密教彫像のうちのいくつかは、この「観仏日々帖」で、紹介させていただきました。

次のとおりです。

【古仏探訪】京都・勝光寺 聖観音立像 (2012.6.22)

【古仏探訪】兵庫・多可郡 楊柳寺 楊柳観音・十一面観音像 (その1)  (その2) (2013.1.12~25)

【古仏探訪】秋田県大仙市 小沼神社・観音菩薩像 (その1)  (その2)  (2013.9.7~21)

【古仏探訪】秋田県湯沢市 談山神社、土沢神社の観音像 (2013.10.5)

【古仏探訪】滋賀県高島市・保福寺の釈迦如来坐像 (2014.4.19)

【古仏探訪】「右京区嵯峨樒原高見町・般若寺の十一面観音像」京のかくれ仏探訪②> (2016.6.18)

【古仏探訪】「北区大森東町・安楽寺の薬師如来像ほか諸像」京のかくれ仏探訪④ (2016.7.16)

【古仏探訪】「右京区嵯峨清滝月ノ輪町・月輪寺の千手観音像ほか諸仏」京のかくれ仏探訪⑥ (2016.8.19)

【古仏探訪】回想の地方仏探訪⑥ 「三重 観菩提寺」 (2018.6.9)

【古仏探訪】回想の地方仏探訪⑦ 「大阪 孝恩寺」 (2018.6.23)


ご覧いただけると、井上正氏の云う古密教彫像が、

「尋常ならざる精神性を発する、霊威表現の仏像」であること
「アクが強く、クセがある」ものの、不可思議な魅力で、人を強く惹き付けるものがあること

が、お判りいただけるのではないかと思います。

ご紹介した中でも、とりわけ、

京都・勝光寺の聖観音像の、「妖しい目力(めぢから)で、射すくめるような面相」

京都 勝光寺・聖観音像
京都 勝光寺・聖観音像

兵庫・楊柳寺の楊柳観音像の「古拙で不可思議で、神秘的な存在感」、十一面観音像の「唇から漲る“気”を吐き付けるような迫力」

兵庫 楊柳寺・楊柳観音像兵庫 楊柳寺・十一面観音像
兵庫 楊柳寺・楊柳観音像(左)、十一面観音像(右)

京都・安楽寺の薬師如来像の「ごっつい木塊が迫ってきてたじろぐような凄み」

京都 安楽寺・薬師如来像
京都 安楽寺・薬師如来像

には、それぞれ強烈なインパクトを感じました。

忘れ得ぬものがあります。



【最も「心洗われる」感動~忘れ得ぬ、秋田・小沼神社】


そして、最も心に深く残っているのは、秋田大仙市の小沼神社・聖観音像を訪ねた時の思い出です。
井上正氏の「古仏への視点」の最後に紹介されている仏像です。

訪ねたのは、5年前、2013年の七夕の日のことでした。

実は、観音像が祀られる小沼神社のたたずまいに心撃たれたのです。
緑に包まれた小沼のほとりに、ポツリと佇む小沼神社の景観を観て、

「心洗われる」「心揺さぶられる」

そんな気持ちが、こみ上げてきたのです。

秋田 小沼神社と小沼の風景
心揺さぶられた小沼と小沼神社の景観

鬱蒼とした森の中、突然眼前に開けた空間が出現し、そこには緑色の小沼が水をたたえています
沼の向こう側には、小さな社殿がひとつ、ポツリと静かに佇んでいます。

秋田 小沼神社と小沼の風景
小沼のほとりにポツリと静かに佇む小沼神社

そして、社殿には霊的空気感のある聖観音像が祀られています。

秋田 小沼神社・聖観音像、十一面観音像
小沼神社の社殿に祀られる聖観音像、十一面観音像

「神仙境、幽玄境」という言葉が、そのまま当てはまりそうな霊境空間そのものでした。

仏像そのものというよりは、祀られる社殿の景観、佇まいに感激したのですが、十数年間の地方仏探訪の数々の中でも、一番心撃たれたといっても過言ではありません。

もう一度、あの

「緑濃い水をたたえた小沼、沼のほとりにひっそり佇む社殿、そこに祀られる2体の観音像」

に再会したくて、昨年(2017年)、秋田の遠い田舎まで、また訪れてしまいました。

「もう一度、訪ねてきて本当によかった。」
「これからも、人に知られることなく、訪れる人もなく、あのままの姿で、残っていてほしい」

素直に、そんな気持ちになった、小沼神社再訪でした。

随分マニアックな話になってしまいましたが、私のこだわりの「井上正・古密教彫像を巡る話」を綴らせていただきました。



【年寄りのノスタルジー「回想の地方仏探訪」も、これでおしまいに】


8回にわたって続けてきました「回想の地方仏探訪」シリーズも、これでおしまいにさせていただきたいと思います。

学生時代、初めて東北の地方仏探訪に出かけた話から、50歳代半ばを過ぎてから、長らく縁がなくなっていた地方仏探訪を再開、再び熱中するまでの思い出話を、勝手気ままに綴らせていただきました。

何の面白みもない、若き日から近年までの地方仏体験の話でしたが、個人的には、しみじみと思い出深いものがあります。

唯々、年寄りのノスタルジー、自己満足的な回想話で、飽き飽き、辟易されたのではないかと思います。

我慢してお付き合いいただき、有難うございました。


古仏探訪~回想の地方仏探訪⑦ 「大阪 貝塚市 孝恩寺」 【2018.6.23】


50歳も近くなり、四半世紀ぶりに「地方仏」を訪ねた話です。


【50歳近くで、大阪に単身赴任に~たまには京都、奈良にも】


前回、ご紹介したように、若き日最後の地方仏探訪となったのは、新入社員の年に訪れた、「三重・観菩提寺の十一面観音像」でした。

それからは、仕事々々で「地方仏探訪」に出かける余裕も、その気もなくなってしまい、
「仏像とは縁遠い、忙しき仕事の日々」
を過ごすことになっていました。

50歳近くの歳になって、転勤で大阪勤務となりました。
単身赴任で、3年ほど大阪在住となりました。
奈良、京都が近くなって、休日に仕事がらみの所用がないときには、たまには古寺、古仏を訪ねてみるようにもなりました。
とはいっても、興福寺、東大寺、法隆寺といった有名寺院やその周辺を訪ねて、よく知られた仏像を懐かしく観るといったような処です。



【ある日、ふと 「孝恩寺を訪ねてみよう」 と、思い立つ】


休日のある日、ふと
「孝恩寺を訪ねてみようか」
と思ったのです。

平成10年(1998)頃のことだったでしょうか。
孝恩寺というのは、大阪府の南部、泉南と呼ばれる地域にあります。
平安前期の「異形仏」といわれる一木彫像が、沢山残されているのです。

孝恩寺・弥勒菩薩坐像
孝恩寺・弥勒菩薩坐像

孝恩寺・跋難陀龍王像
孝恩寺・跋難陀龍王像

孝恩寺・帝釈天立像
孝恩寺・帝釈天立像

この孝恩寺を、まだ一度も訪ねたことがなかったのです。

孝恩寺といえば、この春(2018年4~5月)に東京国立博物館で開催された「名作誕生-つながる日本美術展」に、孝恩寺の薬師如来立像が出展されていました。
覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

孝恩寺・薬師如来立像
孝恩寺・薬師如来立像



【異形で、個性的な平安古仏群で知られる孝恩寺】


当時、私が孝恩寺の仏像に関心、興味を持っていたのは、いくつかの本に、「注目すべき異形の仏像群」として、採り上げられていたからです。

「古仏~彫像のイコノロジー」井上正一著 (1986年・法蔵館刊)

「旅の仏たち」丸山尚一著 (1987年毎日新聞社刊)

「仏像のある風景~序説・古代美術の構造」田中日佐夫著 (1989年・駸々堂出版刊)

といった本に、

それぞれ、

「常識的な美とは別の、異様な精神の躍動が感じられてならない。」 (古仏)

「他のどの地方にも探すことのできない、日本彫刻のなかでも特異な仏像たちなのである。」 (旅の仏たち)

「きわめて個性的で、くせのある、しかも多様な造形性を示していると言える。」 (仏像のある風景)

と、述べられているのです。

「異様な精神性の、特異な仏像で、きわめて個性的でクセがある仏像群」

だというのです。

「いずれチャンスがあったら、一度、直に拝してみたいものだ。」

という気持ちがあったのです。



【四半世紀ぶりの「地方仏探訪」となった、孝恩寺】


思い立ったその日の朝、孝恩寺さんにTELして、
「一人なのですが、拝観させていただけますでしょうか?」
とお尋ねしたところ、
「ハイハイ、大丈夫ですよ、お待ちしています。」
と、快くご了解を頂戴しました。

孝恩寺の仏像は、大阪府内とはいうものの「地方仏」と云って良いものです。
若き日の最後に観菩提寺を訪ねてから、実に、25~6年ぶりに地方仏を訪ねることになったのでした。


孝恩寺は、大阪府貝塚市木積という処にあります。
大阪南部の泉南地域で、水間寺のある水間鉄道・水間観音駅から歩けば、20分ぐらいのところ、阪和自動車道・木積インターからほど近いところです。
のどかな風景の緩やかな坂道を上っていくと、小ぢんまりとしたお寺がありました。

孝恩寺への道

孝恩寺
貝塚市木積にある孝恩寺

境内に入ると、本堂の観音堂が目に入ってきます。
「釘無堂」と呼ばれ、釘を一本も使わずに建てられているそうで、鎌倉時代の建築、国宝に指定されています。

孝恩寺・本堂観音堂~釘無堂
孝恩寺・本堂観音堂~釘無堂

観音堂のそばにあるお住いの方に声をかけると、お寺の方が、仏像を安置してある収蔵庫に案内いただきました。
立派な収蔵庫です。

孝恩寺・収蔵庫
孝恩寺・収蔵庫

収蔵庫が開かれると、そこには、仏像が林立していました。
なんと、19体もの仏像群が安置されていて、全て重要文化財に指定されています。

お寺の方から、
「どうぞ、ごゆっくり拝んでください。
終わったら、声をかけてくださいね。」
とのお話で、
あとは一人でゆっくりと、じっくりと仏像を拝することが出来ました。



【得も言われぬ“気”を発散させる、不思議な空気感の仏たち】


明るい照明の中で、平安前期と思われる一木彫像が、立ち並ぶ有様は壮観そのものです。

ひと回り、ぐるりと目をやると、ほとんどが2メートル前後の像高の、木地の一木彫像です。
何とも言えない不思議な空気感が、全体に漂っているように感じました。
造形表現のタイプはいろいろ違うのですが、それぞれに強い個性を発散させています。

「美しい、きれい、整った」というような言葉とは、はるかに縁遠い造形表現です。
「クセのある、アクの強い」異形の仏像ばかりです。
一般的には、出来が良くないとか、田舎風とか言われてしまうのかもしれません。
そんな出来の良し悪しとは次元のちょっと違う、異質な存在感を感じるのです。

このような感覚について、安藤佳香氏は、こう語っています。

「各像ごとに作風が異なり、それぞれが独自の世界を表現している。
それにもかかわらず、明らかに通底する不可思議な空気をまとっている。
孝恩寺の木彫群に囲まれていると、不協和音の奏でる和音の中に身を置いているような気分になる。
これは不思議な体験だ。」
(「魅惑の仏たち~大阪・孝恩寺の木彫群」佛教大学主教文化ミュージアム資料集2013刊)

あの時、私が受けた感覚を、ぴったりと言い当てているようです。
言葉を言い換えると、

「得も言われぬ、ズーンと押し寄せるような“気”を発散する仏像たち」

が、そこに立ち並ぶというのでしょうか。



【とりわけ強烈なインパクトを感じた、3躯の仏像】


なかでも、強い“気”を発散させているようなインパクトを感じたのは、

弥勒菩薩像、跋難陀龍王像、十一面観音像

と、呼ばれている像でした。


弥勒菩薩像は、
ズシリと腹にこたえるようなパワー、底力といういうものを強く感じます。

孝恩寺・弥勒菩薩像

孝恩寺・弥勒菩薩像
孝恩寺・弥勒菩薩像

一見、素朴とか武骨といった感じがするのですが、内に籠められたオーラのようなものが、むくむくと頭をもたげて、“気”を発散させているようです。
左右不均衡に歪んだ大きな目鼻立ちは、土着的、土俗的な怪異さを示す面相です。
過度ともいえる厚みのボリューム感なども、存在感と迫力を増しているようです。

孝恩寺・弥勒菩薩坐像
厚み、ボリューム感あふれる孝恩寺・弥勒菩薩像側面


跋難陀龍王像は、
気迫のみなぎった強烈なオーラを発散しています。

孝恩寺・跋難陀龍王像
孝恩寺・跋難陀龍王像

「強い意志力、恐ろし気な緊張感、厳しい精神性」

そんな修飾語がフィットしそうです。
鋭く長い眼、キリリと固く結んだ口元は、怖いような気合に満ちています。

孝恩寺・跋難陀龍王像
鋭く怖いような顔貌の孝恩寺・跋難陀龍王像

刃物のように切れ味鋭く、深くえぐられた彫り口にも、何か尋常ではないものを感じさせ、圧倒されます。

孝恩寺・跋難陀龍王像
切れ味鋭い彫り口の跋難陀龍王像の衣文


十一面観音像は、
数少ない漆箔の像ですが、これまた特異な情感を表出しています。

孝恩寺・十一面観音像

孝恩寺・十一面観音像
孝恩寺・十一面観音像

強く唇を結び、への字に曲げた口元が、頑ななまでの意志力を示しているようです。
柔らかみとか情緒とかとは無縁の、硬質感、剛直感が際立った顔貌に、不思議なインパクトを感じざるを得ません。



【行基ゆかりの杣村であった木積の地~奈良時代に遡る像もあるのか?】


これらの仏像群は、行基の創建と伝えられる木積・観音寺に伝来したもので、その観音堂が孝恩寺観音堂として残されているということです。
20体ほどの仏像は、近隣の古仏が集まってきたものかもしれないと想定されているようです。

大変興味深いのは、孝恩寺のある木積の地が、行基にかかわる木材供給地、杣村であったということです。
行基は和泉の国の出身で、この貝塚・木積の地は、河内の地に生まれた行基にとって、土木や造寺造仏などに必要とした木材の集積地、すなわち兵站基地であったに違いありません。

孝恩寺の仏像は、一般には平安前中期の地方的作風の一木彫とされているのですが、このような行基ゆかり地という関わりから、奈良時代の制作に遡る木彫像ではないかとする考え方も、それなりにあるようです。


制作年代がいつかという話はさておいて、孝恩寺の仏像たちを観れば観るほどに、何とも言えない異形の造形が発する、強い精神性とか霊威感をひしひしと感じました。
どこかアンバランスな造形なのですが、それぞれが強い個性を主張するような“気”を発散させているのです。
惹き付けられるものがありました。

ふらりと、休みの日に出かけた孝恩寺でした。
ところが、想定外に、その迫力に「ガツン」とやられたような衝撃を受けたのでした。



【蘇ってきた、若き日最後の地方仏探訪の記憶~観菩提寺・十一面観音像の衝撃】


そんな“気”の漂う空気感の、お堂の中に身を置いていると、

「若き日最後の地方仏探訪で“物凄い気”を発散する仏像に、衝撃を受けた思い出」

が、ふつふつと蘇ってきました。

観菩提寺の十一面観音像を拝した時のことです。

観菩提寺・十一面観音像

観菩提寺・十一面観音像
三重 観菩提寺・十一面観音像

観菩提寺・十一面観音像を拝して、

「得も言われぬ物凄い“気”、デモーニッシュなオーラ」

に衝撃を受けてから、もう四半世紀余も経っています。
それから、長らく、仏像探訪からは全く縁遠い日々を過ごしていましたので、そんなことは全く忘れ去ってしまっていたのです。

ところが、孝恩寺の仏像の発する「強い“気”」を感じていると、遠くはるかに忘れ去っていた記憶が、蘇ってきたのでした。
若き日最後の観仏で、強烈な衝撃を受けた興奮が、心の中のどこかに「埋火」のように、くすぶり続けていたのでしょうか。



【忘れていた、地方仏探訪への情熱を呼び醒ましてくれた、孝恩寺の仏たち】


孝恩寺の異形の仏像たちに出会って、消え去っていた「個性あふれる地方仏と出会う感動」が、四半世紀を経て繋がったような気持ちになりました。

あの、観菩提寺・十一面観音の遠い記憶が、呼び醒まされて、

「また、地方仏探訪に出かけてみたい。」
「個性あふれ、インパクトある地方仏に出会ってみたい。」

そんな思いが、強く強くこみ上げてきたのでした。

仏像探訪とは縁がなくなってから、長らくの年月が経ってしまい、

「もう仏像探訪、仏像愛好の世界に戻るようなこともないのだろうな。」
「齢をとっても、地方仏探訪に出かけるということも、きっとないのだろう。」

と、なんとなく思い込んでいました。

ふと思い立って出かけてみた、孝恩寺での感動が、仕事々々で、全くご無沙汰であった私を、仏像愛好の世界に引き戻してくれ、仏像探訪への情熱を蘇らせてくれたように思います。

「いずれの時か、時間の余裕ができるようになったら、地方仏探訪に出かけてみよう。」

そんな思いを強く感じて、孝恩寺を後にしたのでした。



現実に、地方仏探訪に出かけ始めるようになるのは、それから5~6年先になってからのこととなるのですが、若き日の地方仏探訪の情熱を蘇らせてくれ、再び仏像探訪に熱を上げるようになった大きなきっかけとなった、孝恩寺探訪でした。


古仏探訪~回想の地方仏探訪⑥ 「三重 観菩提寺」 【2018.6.9】


三重県伊賀市にある、観菩提寺の十一面観音像。

「若き日の最後の地方仏探訪」 となった、思い出深い仏像です。

この仏像を拝し、発散する

「得も言われぬ物凄い“気”、強烈なオーラ」

に、受けた衝撃は、今でも忘れることは出来ません。

三重 観菩提寺・十一面観音像(平安前期・重文)

三重 観菩提寺・十一面観音像(平安前期・重文)
三重 観菩提寺・十一面観音像(平安前期・重文)



【学生から会社勤めへ~地方仏探訪など、とても無理そうな忙しい職場】


学生時代の後半は、地方仏探訪にハマっていましたが、卒業の時が来て就職、会社勤めとなりました。
職場は東京で、住み慣れた関西の地を離れることになりました。
昭和48年(1973)のことです。

いわゆる日本の高度成長期の最後となる年です。
その頃は「モーレツ社員」とか「企業戦士」とかいう言葉が流行語になったような時代で、私の勤めた職場も、ご多分に漏れずという感じでした。
先輩方を見ていると、毎日夜遅くまで働いて、そのあと飲みに行って、休みの日は、疲れた身体を休めるか、たまった仕事を片付けるかという様子です。
当時は、土曜日は勤務日で、休みは日曜、祝日だけでしたから、なかなか泊りがけでどこかへ出かけるという訳にもいきません。

「これは、奈良、京都はおろか、地方仏探訪に出かけるなどということは、到底できそうなことではないな!」
「これからは、仏像探訪などは、キッパリと諦めるしかないな!」

と覚悟を決めたのでした。



【若き日最後の地方仏探訪旅行へ~愛知から三重方面を探訪】


ただ、入社最初の年は、見習の新人でしたので、何日間かの夏休みがとれることになりました。
そこで、

「これが、最後の地方仏探訪旅行になるのだろう。」

そんな思いで、数日間の仏像探訪に出かけることにしたのでした。

真夏、8月の数日間、一人で、旅に出ました。
教養文庫の「日本古寺巡礼」(社会思想社刊)をポケットにねじ込んで、事前の拝観予約など全く無しで、出たとこ勝負で出かけたのです。

愛知の甚目寺、七ツ寺、岐阜の華厳寺、横蔵寺、滋賀湖南の善水寺、櫟野寺、阿弥陀寺、三重亀山の慈恩寺などを巡りました。



【最後に訪ねた観菩提寺~突然の秘仏拝観のお願いを承知いただく】


この地方仏探訪旅行の最後の最後に訪ねたのが、三重の観菩提寺となったのでした。

宿の予約もない、行き当たりばったりの旅でした。
善水寺のある、国鉄草津線の三雲駅に着いたところで日が暮れて、駅で紹介してもらった安宿に泊まりました。

翌日、観菩提寺を訪ねてみたいと思い、お寺にTELをしてみたのです。

「日本古寺巡礼」(社会思想社刊)掲載の観菩提寺・十一面観音像写真
「日本古寺巡礼」(社会思想社刊)
掲載の観菩提寺・十一面観音写真
「日本古寺巡礼」に、「怪異な十一面観音像」として採り上げられていたのです。
観菩提寺の十一面観音像は、33年に一度の開扉の厳重な秘仏ということでしたので、きっと拝観は無理に違いないと思ったのですが、ダメもとで、TELをしてみたのでした。

ご住職が電話に出られました。
「突然ですが、明日、十一面観音様を拝観させていただけないでしょうか?
秘仏と伺ってはいるのですが、如何でしょうか?」
とお尋ねしました。

当然のことですが。
「観音様は秘仏で、拝観は一切受けていない。」
というお答えです。

今にして思えば、前夜、突然電話して拝観のお願いなどというのは、失礼の極みで恥ずかしき限りです。
ご住職は、あまりの若者からの電話に、ご興味を持たれたのでしょうか、
「随分、若い方のようだが、どうして、うちの観音様を拝観したいのか?」
と、聞いてくださいました。

きっと、当時は、専門家以外の一般人が拝観したいという話は、めったにないことであったのだと思います。

「私は、仏像を愛好していまして、これまで全国各地の仏像を訪ねてきました。
・・・・・・・
この夏は、このような古寺、古仏を巡って来ました。
最後に、観菩提寺を訪ねて、観音様を拝むことができればと思って、
・・・・・」

などなど、縷々、お話ししました。

そうしたところ、ご住職は、何とか拝したいという心持を察していただいたのでしょうか、
「厳重な秘仏にしているのだけれども・・・・・・
そういうことなら、まあ、いらっしゃい。」
と、おっしゃっていただいたのでした。



【東大寺、実忠和尚ゆかりの修正会で知られる正月堂・観菩提寺】


観菩提寺は、三重県伊賀市島ケ原という処にあります。
国鉄(JR西日本)関西本線の、島ケ原の駅で降りて、20分ほど歩いたところです。
まもなく三重県と京都府と奈良県の県境というあたりです。

観菩提寺は、東大寺の開山、良弁僧正の弟子の実忠の創建になると伝えられ、旧正月に行われる修正会の行事が長らく伝えられることから、「正月堂」の名前で親しまれています。

観菩提寺・楼門
観菩提寺・楼門

観菩提寺・正月堂
観菩提寺・正月堂

この正月堂のご本尊が、秘仏・十一面観音像です。
9~10世紀制作の一木彫像で、重要文化財に指定されています。
この観音像は、「異形で呪術的霊気を発する特異な像」だということなのです。

厳重な秘仏として祀られ、33年に一度の開扉とされています。
最近では、平成27年(2015)11月に、8日間の、ご開帳がありました。

2015年に、33年に一度の開帳があったときのポスター
2015年に、33年に一度の開帳があったときのポスター



【ほの暗い厨子から、もの凄い“気”を発散する観音像に、激しい衝撃】


お寺を訪ねると、ご住職が、

「33年に一度開扉の秘仏なのだが、特別に、開扉してあげましょう。」

と、おっしゃっていただき、ご配意に感謝しつつ、正月堂に入堂しました

ご読経の後に、厨子の扉が、厳かに開かれました。
堂内は、暗くて、厨子の中の観音像の姿がはっきり見えません。
やがて、目が慣れてくるにしたがって、2メートルを超える怪異な大像が、眼前に迫ってきます。

昭和48年に撮影した観菩提寺・十一面観音像の写真

昭和48年に撮影した観菩提寺・十一面観音像の写真

昭和48年に撮影した観菩提寺・十一面観音像の写真
昭和48年に撮影した観菩提寺・十一面観音像の写真

なんと表現したらよいのでしょうか?
得も言われぬ「物凄い“気”」を発して、迫ってくるのです。
発散する“気”のパワーに圧倒されて、思わず後ずさりしてしまうような、インパクトです。

頭がバカにでかくて幅広で、上半身が異様に大きく、下半身は不釣り合いに長くて細身です。
プロポーションとしては、アンバランスそのものです。
バランスの取れた優れた造形とかという世界とは、全く縁遠い、「歪み、デフォルメ、いびつ」といった造形です。
「アクが強い、クセが強い」という言葉が、似つかわしそうです。

お顔を見ると、分厚い唇、小鼻の膨らんだごつい鼻は、強烈な迫力です。
細く切れ長の目は、異様に厳しく、鋭い眼光を発しています。
射すくめられてしまって、動けなくなってしまいそうな、恐ろしい目です。

厳しく鋭い眼光の観菩提寺・十一面観音像 顔貌
厳しく鋭い眼光の観菩提寺・十一面観音像 顔貌

内から発するオーラというか、霊気というか、ものすごいものがあるのです。
こんなに、激しく、強烈なインパクトのある仏像に出会ったのは、初めてのことのように感じました。



【「呪術的信仰」、「不思議な力の宿り、凄い力」と、専門家もコメント】


ポケットの「日本古寺巡礼」の本には、

「その面相は、怪奇とでも表現するよりほかないようなものである。
頭や胴がばかに大きく、それに較べて腰から下がいかにも細身である点も変わっており、いわばこの像は正統な彫刻の技法になるものでなく、地方的な要素が強く、あえていうなら山間遊行の行者たちの呪術的な信仰にささえられた像の系統をひいているように思えてならないのである。」
(「日本古寺巡礼・上」社会思想社教養文庫 1965.7刊)

このように書かれていました。

後に出版された、井上正氏著の「古仏」という本には、

「美術のもつ力とは異なる、不思議な力の宿りを本像に感じた。
9世紀彫刻の凄い奥行きを、土着の相の中に垣間見たように思った。」
「一見して、凄い力を蔵する像である。
十一面六臂の異常な形相に加えて、精神の強い表現は、拝者を圧倒する。」
(井上正著「古仏~彫像のイコノロジー」法蔵館1986.10刊)

と述べられていました。



【異様な呪術的霊気に魅入られた、若き日最後の観菩提寺・観音像探訪】


その通りというか、それ以上のデモーニッシュなエネルギーを強烈に感じました。
いわゆる「平安初期一木彫の、森厳さとか鋭い迫力」というものとは、ちょっと違った、「土着的、呪術的霊気」のようなものを発散しています。

ほの暗いお堂の中で、ぼんやり浮かび上がるような中で、拝したからでしょうか。
その姿を拝し、あの鋭い眼に射すくめられると、何やら、闇の中の暗黒の世界に惹き込まれて行ってしまうような、「もの凄い“気”」を、強烈に感じたのでした。

観菩提寺・十一面観音像
観菩提寺・十一面観音像

観れば観るほどに、異様な霊気や、凄みのあるエネルギーに、魅入られてしまいました。
頭をガツーンと殴られて、そのまま痺れてしまったような気分になってしまいました。。

「写真も撮ってよい」とのお赦しもいただき、ご住職のご配意に感謝しつつ、いずれの時にかの再訪を誓って、観菩提寺正月堂を辞しました。

昭和48年に撮影した観菩提寺・十一面観音像の写真
昭和48年に撮影した観菩提寺・十一面観音像の写真

駅までの道程を歩く間も、この異形の十一面観音像の発するオーラから受けた「火照り」のようなものが、なかなか消えることがありませんでした。
今でも、その時の興奮のようなものが、鮮明に蘇ってきます。


そして、この観菩提寺の十一面観音像に拝したのが、「若き日の最後の地方仏探訪」となりました。
まさに、「忘れがたき観菩提寺」となったのでした。



【それから30年、50歳過ぎまで地方仏探訪とは無縁の生活に】


それからは、仕事々々の会社人間への変身を余儀なくされてしまい、地方仏探訪などには全く出かけることがなくなってしまいました。
「ゴルフに出かける暇はあっても、仏像を観に行く暇はない」
という生活が長く続きました。

ずっと東京勤務になりましたので、京都、奈良へ仏像を観に行くということも、ほとんどなくなって、
「仏像とは縁遠い、仕事の日々」
を過ごすことになりました。

結局、最後に観菩提寺を訪ねてから、50歳を過ぎるまで、30年間ほど地方仏探訪に出かけることはありませんでした。

その間は、隠れ仏像愛好家とでもいうのでしょうか。
暇を見つけて、神田神保町あたりに出かけて、仏像の本を購い蒐めるのが、「仏像探訪に代わる、密かな愉しみ」になったのでした。



【37年ぶりの観菩提寺再訪~やはり、「物凄い“気”」を発散していた観音像】


50歳代半ばごろからでしょうか。
徐々に、地方仏探訪を再開し、同好の方と出かけるようになるのですが、平成22年(2010)の秋、観菩提寺を再訪することができました。
実に、37年ぶりに訪ねたのです。
縁あって、秘仏の十一面観音像を拝することが叶いました。

秘仏本尊が祀られる観菩提寺・正月堂の堂内
秘仏本尊が祀られる観菩提寺・正月堂の堂内

開かれた厨子から姿を現した観音像は、やはり、「物凄い“気”」を発散していました。
ほの暗い堂内の釣灯籠の明かりに、妖しく浮かび上がるような姿は、

「私の古い記憶に刻印された、鮮烈な衝撃」

そのままのオーラを、変わらずに発散していたのでした。
若き日、この像に出会った衝撃は、その時限りの一過性の感動ではなかったようです。

「やはり、この観音像の“気”は、ただものではない、尋常のものではない!」

との実感を、心新たにしたのでした。



【博物館へ出展された、秘仏・十一面観音像~どこかへ消えてしまったような、あの霊気】


そして、三度目に、この観音像に出会ったのは、翌年の2011年の春のことでした。
なんと、世田谷美術館で開催された「白洲正子~神と仏、自然への祈り~展」に、観菩提寺の十一面観音像が出展されたのです。
まさか、この厳重秘仏が、展覧会に出展されるとは、驚きでした。
白洲正子の著作「十一面観音巡礼」に、この観音像の拝観の話が語られていることから、出展の運びとなったようです。

「あの、もの凄い“気”を発する、観菩提寺の観音像にまた出会えるのだ!」
「博物館で観ると、どんなにすごいだろう。」

と、勢い込んで出かけました。

ところが、博物館に展示された観菩提寺・十一面観音像の前に立った時の印象は、全く違ったものでした。

「白洲正子展」で世田谷美術館に展示された、観菩提寺・十一面観音像
「白洲正子展」で世田谷美術館に展示された、観菩提寺・十一面観音像

率直に言えば、

「異常にアンバランスな造形の、出来が今一歩の、ゴツイ感じの一木彫像」

が、展示されていると感じたのが、本音のところです。

「あのデモーニッシュな霊気は、どこへ消えてしまったのだろうか?」

と思うほどに、さほどに、発散するオーラを感じなかったのです。
ちょっと拍子抜けという処です。
展覧会場でも、この観音像の前で足を止めて見入る人、惹き付けられる人も、多くはいなかった様子でした。

厨子から出た明るいところで撮影された写真を見ると、そこからは、観音像の発散する“気”やオーラを感じ取ることは、難しいように感じます。

「三重県史別編・美術工芸」2014刊に掲載の観菩提寺・十一面観音像写真.「三重県史別編・美術工芸」2014刊に掲載の観菩提寺・十一面観音像写真
「三重県史別編・美術工芸」2014刊に掲載の観菩提寺・十一面観音像写真

やはり、

「この観音像の霊気やデモーニッシュなエネルギーは、博物館のような場では、体感することは出来ないのだ。」

「あのほの暗い正月堂の厨子の中に秘められるという、宗教空間の場においてでないと、観音像の“気”は、決して発散することはないのだ」

と、つくづく実感しました。



今回は、若き日最後の地方仏探訪で、「霊気発散する観菩提寺・十一面観音像」に出会い、忘れ得ぬ衝撃を受けた話の回想でした。


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