観仏日々帖

トピックスに京都・新町地蔵保存会の地蔵像、3Dプリンタ・レプリカをお堂にお祀り 【2017.06.24】


「信仰の対象として地元の人々に守られる仏像」と「仏教美術・文化財としての仏像」との折り合いをつけることの悩ましさ、難しさについて、ちょっと考えさせられてしまうニュースがありました。


9世紀の一木彫像で、重要文化財に指定され、京都国立博物館に預託されている、「新町地蔵保存会の地蔵菩薩坐像」が、この度、3Dプリンターで精巧なレプリカが制作され、レプリカの方をお堂にお祀りすることになったという話です。



【18年前の調査で発見され、3年前、重文指定となった新町地蔵保存会・地蔵像】


この地蔵菩薩像、皆さんも、京都国立博物館の仏像陳列に、展示されているのをご覧になった方も、多くいらっしゃるのではないかと思います。
9世紀後半の制作とみられ、地蔵菩薩の坐像としては広隆寺講堂・地蔵菩薩像に次ぐ古例で、なかなかの迫力ある優作です。

新町地蔵保存会・地蔵菩薩像(9世紀・重要文化財)
新町地蔵保存会・地蔵菩薩像(9世紀・重要文化財)~像高47.1㎝

実は、この地蔵像、京都下鴨(左京区下鴨松ノ木町)の、4~5坪ほどの小さな地蔵堂に祀られ、永年、地元の人々によって大切に守られ、信仰されてきた地蔵さまだったのでした。

1999年頃の文化財調査で、平安前期の制作の一木彫像であることが発見され、2002年に市指定文化財、2014年に重要文化財指定となりました。
2002年の文化財指定以来、京都国立博物館で保管、展示されています。



【貴重な文化財として博物館預託となり、やむを得ずレプリカをお祀りすることに】


永年この像をお守りしてきた地元の人々にとっては、文化財指定となったおかげで、お堂から肝心の仏さまが、いなくなってしまうことになってしまいました。

新町地蔵保存会・地蔵菩薩像が祀られていた、町の小さなお堂
新町地蔵保存会・地蔵菩薩像が祀られていた、町の小さなお堂
(京都市左京区下鴨松ノ木町)


貴重な文化財の火災、盗難リスク対応として、博物館で保管管理されることになったのでした。
年に一度の「地蔵盆の日の里帰り」も、重要文化財指定以降は難しくなり、苦肉の策として、3Dプリンターによる模像をお祀りして、代替することになったという話です。



【NHK NEWS WEBで、地蔵様の「レプリカお祀り」のいきさつを報道】


このニュース、6/20付けの「NHK NEWS WEB~News up」に「地蔵菩薩を3Dプリンターで」という標題で、レプリカの里帰りのいきさつが掲載されていました。

記事の内容の一部をご紹介すると、次のようなものです。

「京都の世界遺産、下鴨神社にほど近い閑静な住宅街にある地蔵菩薩のお堂で、毎月、地域の人たちが集まって祈りを捧げてきました。
しかし、長年まつられていたお堂には、いま肝心の菩薩像がありません。
台座の上に置かれているのは、大きな写真パネルだけです。

地蔵像が博物館へ預託された後、厨子の前には写真が祀られている
地蔵像が博物館へ預託された後、祀られていた厨子には写真が置かれている

なぜ、写真だけになったのか、そのきっかけは京都市の調査です。
調査の結果、1000年以上も前の平安時代に作られた貴重なものだとわかったのです。
座っている地蔵菩薩像としては、国内で2番目に古い像だとされています。
そこで、京都市は平成14年、地蔵菩薩像を市の有形文化財に指定。
火災や盗難から守るため、菩薩像は国宝や重要文化財を数多く収蔵する京都国立博物館に移されました。

このためお堂には、地蔵の代わりに写真パネルが鎮座することになったのです。
それでも、毎年8月に行われる京都の伝統行事「地蔵盆」の時だけは元のお堂に戻されていましたが、2年前に国の重要文化財に指定されると、年に1回の里帰りもかなわなくなってしまいました。
長年親しんできた菩薩像が、写真だけではどうにも寂しい。
そこで、地域の人たちの思いに応える形で、本物そっくりのレプリカ作りが去年始まりました。
京都国立博物館がもっている3Dプリンターを活用して作成したのです。

新町地蔵保存会・地蔵菩薩像(左)とそのレプリカ(右)
新町地蔵保存会・地蔵菩薩像(左)とそのレプリカ(右)

・・・・・・・・・・・・・・   (3Dプリンターでの仏像レプリカ制作の難しさや、苦労話などの話の記事が続きます)

そして6月初旬、地域の人たちが初めて作業現場を訪れ、レプリカと対面しました。
本物そっくりの姿に、歓喜の声があがりました。
衣のひだにうっすらと積もったほこりも再現され、細部に施された工夫に、じっくりと見入っていました。
そして、およそ1年の作業を経て完成したレプリカは6月13日から、京都国立博物館で、実物と並べてお披露目されています。

レプリカは、8月の地蔵盆に合わせて、地域の人たちが待つお堂に運ばれます。
そして、これからずっと、実物の代わりに安置されることになっています。
保存会の会長を務める矢島隆さんは、
「地域の宝として、これから大切にしていきたいです。関係者の皆さんに本当にお礼が言いたいです」と話していました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1000年の時を超えて、地域で親しまれ、残されてきた地蔵菩薩像。
3Dプリンターの技術や、慎重な色づけ作業のおかげで本物そっくりに仕上がったレプリカは、貴重な文化財を、どうやって後世に引き継いでいくのか、1つのヒントを示してくれているように感じました。」


お祀りされる主がいなくなってしまったお堂に、レプリカとはいうものの、地蔵菩薩が戻ってくることになった訳です。



【「信仰の対象としての仏様」と「貴重な文化財としての仏像」との折り合いの悩ましさ】


観光客、参拝客が多く訪れる有名寺院の場合は、こうした問題は起こらないのですが、地元の地区の人々に守られているお堂に祀られた仏像や、無住のお寺、住職はいらっしゃっても檀家や訪れる人も少ないお寺の仏像が、仏教美術として貴重な文化財であった場合、どのようにしてしっかり管理していくのかというのは、本当に難しく、悩ましい問題だと思います。

重要文化財に指定されている仏像の場合、お寺やお堂でお祀り管理していこうとすると、防災対策がされた収蔵庫が、原則必要ということになりますし、収蔵庫建設費用の地元やお寺の負担金も相当に必要ということになってしまいます。
また、収蔵庫が出来たとしても、防犯対応等の維持管理の手間も、なかなか大変です。

一方、仏さまは、その地の人々に永年守られ、厚い信仰のおかげで、現在在る訳で、
「貴重な文化財なので、博物館に移して管理します。」
と云われても、何とも割り切れない気持ちになってしまうことだろうと思います。


私も、地方のお寺や、地区の管理となっている仏像を拝しに、訪れることがよくありますが、

「大事にお祀り、お守りしているのですが、仏像もお堂の修理も、なかなかお金がかかってままならないのですよ。」
「貴重な文化財と云われても、管理していくのもなかなか大変で・・・・・」

といったお話を伺うことがよくあります。

ニュースになった新町地蔵保存会の地蔵さまも、博物館から戻そうとすると、お金をかけて収蔵庫を造らなくてはならないでしょうし、
コンクリートの収蔵庫ではなくて、今の小さなお堂にお祀りしてこそ、地元の人々にとって、お守りして拝する意味もあるということなのかと思います。

今般の、国立博物館の3Dプリンターによりレプリカを制作し、そのレプリカをお堂の方にお祀りするという話は、

「信仰の対象として祀られる仏様」と「仏教美術の貴重な文化財としての仏像」

という問題に、何とか折り合いをつける方法として、編み出されたものなのでしょう。

きっと、これがベストという訳ではないのでしょうが、大きなコストをかけずに、上手に対応していく一つのやり方として、これからも増えていくのかもしれません。



【京博で、本物とレプリカをセットで展示中】


この3D プリンターを用いたレプリカは、本物の重要文化財の地蔵像と二つ並んで、京都国立博物館に展示されているそうです。

京都国立博物館にセットで展示されている、新町地蔵保存会・地蔵菩薩像とそのレプリカ
京都国立博物館にセットで展示されている、新町地蔵保存会・地蔵菩薩像とそのレプリカ

レプリカの方は、8月17日に地元のお堂に戻って、19日の地蔵盆で開眼法要が営まれるということです。

どの程度精巧で、見紛うようなレプリカなのでしょうか?
機会があるようでしたら、京博に寄ってみられては如何でしょうか。



【近年の仏像模造、あれこれ】


近年、仏像の模造制作、いわゆるレプリカの精度は、本当に本物に限りなく近づいているようです。

ご存じのように、美術院国宝修理所では、制作当時の仏像の製作技術を研究するとともに、技術レベルの向上のためもあって、仏像の模造制作が行われています。
近年(2013年)では、唐招提寺・鑑真和上像の脱活乾漆技法による模造制作が行われました。

唐招提寺・鑑真和上像のお身代わり像(模造)~古色付けをする前唐招提寺・鑑真和上像のお身代わり像(模造)~古色付け後
唐招提寺・鑑真和上像のお身代わり像(模造)
~(左)古色付けをする前、(右)古色付け後~



また、東京藝術大学を中心とした「クローン文化財」と称する、文化財の模造制作も、マスコミを賑わして話題となっています。
仏像では、今年(2017年)「法隆寺・釈迦三尊像」の模造が、東京藝大と富山高岡市との連携で制作されました。
3Dデータ計測、および3Dプリント出力による原型づくりを行い、高岡の鋳造技術により金銅仏の模造を「クローン文化財」として制作したものです。
いわゆるレプリカ(複製)とは異なり、オリジナルを超越するという位置付けだそうです。

法隆寺・釈迦三尊像のクローン文化財(模造)~鋳造すぐの姿

法隆寺・釈迦三尊像のクローン文化財(模造)
法隆寺・釈迦三尊像のクローン文化財(模造)~(上)鋳造すぐの姿

この「クローン文化財」の法隆寺釈迦三尊像は、2017年7月2日まで、東京藝術大学の「Study of BABEL」展で、展示されています。
私も観てきましたが、なかなかの精巧なレベルで真迫性もあり、ビックリしました。



NHKニュースで採り上げられた、新町地蔵保存会のレプリカ制作と里帰りの話題、
近年の3D技術の精巧さに、今更ながら驚かされるとともに、
「信仰される仏様」と「文化財保護保存」という悩ましき問題の折り合いについて、考えさせられる話でした。

トピックス~想定外の興味深い仏像に沢山出会った「京博の仏像展示」  【2017.4.27】


【「海北友松展」を目指して、京博へ】


4月の中旬、京都国立博物館に「海北友松展」を観に行ってきました。

海北友松展ポスター

特別展主催者の意気込みの凄さが、直に伝わってくるような、充実した展覧会でした。

私は絵画の世界は何もわからなくて、
海北友松と云えば、「桃山時代画壇の巨匠?」ということ以上のことは全く知らなかったのですが、
その作品を眼前にして、「海北友松」という人の絵の素晴らしさを実感し、じっくり堪能してきました。

展示作品は、描かれた「線の強さ、厳しさ」に凄みを感じましたし、圧倒的な気迫や静かな緊張感を感じさせるもので、強く惹かれるものがあります。
当時では老境の60歳を過ぎてから、狩野派から独立し、初めて「海北友松」の名前が世に出るようになったいうことも知りませんでした。
よくぞこの高齢で、これだけの気迫と強さがこもった絵を描くことが出来たものだと、驚きと感動が込み上げてきた次第です。

満足、納得の素晴らしい「海北友松展」でした。



【想定外の沢山の興味深い仏像に出会い、ビックリ!】


今回の「海北友松展」は、普段平常陳列にあてられている平成知新館が会場となっていましたので、仏像の展示も無しということなのかと思っていましたら、仏像だけが1Fに展示されていました。

海北友松展の会場となった京博・平成知新館
海北友松展の会場の京博・平成知新館
通常、平常陳列の会場となっています


「海北友松展」を目当てに出かけたので、仏像については全く頭になかったのですが、特別展の隅で、小さくなっている「平常陳列の仏像」をのぞいてみると、

「これまた、ビックリ!」
でした。
私にとっては、興味深い仏像が、想定外に沢山並んでいたのでした。

ちょっと、ご紹介しておきたいと思います。

展示仏像のなかで、私の眼を惹いたのは、ご覧のような仏像です。

京博仏像展示のなかで、私の眼を惹いた仏像



【十数年ぶりの出会いとなった、二つの木心乾漆像~高山寺、神護寺の薬師坐像】


何といっても、一番の注目仏像だったのは、二つの木心乾漆像でした。
高山寺と神護寺の薬師如来坐像です。

本当に、久しぶりに見ることが出来ました。
この前に観たのは、いつ頃のことだったでしょうか?
少なくとも、ここ十数年はご無沙汰で、もっと間が空いているような気もします。

2躯共、京博に寄託されており、たまには展示されてるはずなのですが、
私には永らくのご無沙汰で、
「オー!出ているじゃないか!」
嬉しくなってしまいました。

共に天平末~平安初の木心乾漆像なのですが、意外に広くは、知られていないのではないかと思います。



【亀岡・金輪寺伝来の高山寺薬師坐像~脇侍は東博と東京藝大に】


高山寺の薬師坐像は、もともと丹波国神尾山金輪寺(現亀岡市)の本尊であったものが、故あって高山寺に移されたものと伝えられています。
そして、本像の両脇侍も現存しており、日光菩薩は東京国立博物館、破損している月光菩薩は東京芸術大学の所蔵となっています。

高山寺・薬師如来坐像
高山寺・薬師如来坐像(木心乾漆・天平末)

東京藝大美術館蔵・月光菩薩像~高山寺旧蔵東京国立博物館蔵・日光菩薩像~高山寺旧蔵
(左)東京藝大美術館蔵・月光菩薩像、(右)東京国立博物館蔵・日光菩薩像~共に高山寺旧蔵


両脇侍が、寺外に出たいきさつは、詳しく調べたことがないのでよく判りませんが、明治期のことであったのでしょう。

半月ほど前に、東京国立博物館に寄った時に、丁度、この日光菩薩像が展示されており、観てきたところでした。
天平末期の乾漆像にしては、キリリと引き締まった覇気のようなものを感じさせるところがある、立派な像です。

一度、三尊揃って、展示されるのを見てみたいものです。



【乾漆なのに、アクの強さに惹きつけられる神護寺薬師如来坐像】


もう一つの木心乾漆像は、神護寺の薬師如来坐像です。

神護寺・薬師如来坐像
神護寺・薬師如来坐像(木心乾漆・天平末~平安初期)


神護寺・薬師如来と云えば、ほとんどの人が、あの厳しい表情の一木彫立像のことだと思ってしまうのですが、実は乾漆の坐像もあり、京博に寄託されているのです。
この坐像の方の薬師如来像も、なかなか見どころのある魅力的な像なのです。

一見して、アクの強い個性的な表現の像です。
アンバランスなほどに大きく見開いた眼、大きな耳は、異貌というムードを醸し出しています。

神護寺・薬師如来坐像
神護寺・薬師如来坐像~顔部

抑揚豊かな衣文の表現も、粘りが強く、ちょっとくどいともいえるような感じがします。
何やら、呪術的な精神性が、籠められているようです。
木心乾漆像でありながら、このクセの強さ、洗練されていない迫力が、この像の魅力なのだと思います。

この異貌の顔の表現、見かけたことのない風貌です。
よく考えてみると、どこかで似たような雰囲気の像を見たことがあるなという気がしてきました。
去年見た、香雪美術館蔵の薬師如来像のことを思い出しました。

香雪美術館・薬師如来像
香雪美術館・薬師如来像~顔部

この像もアクが強くクセのある像です。
香雪美術館像の方は、随分田舎風で、出来の良さのレベルも随分と違いますので、較べてみるのも如何かと思うのですが、

「大きく見開いた眼、異様に大きく湾曲した耳、異国的風貌」

など、どこか似たような空気感というか、雰囲気を感じてしまいました。



【現在の、個性的な姿のなかに、埋め込まれていた天平風の乾漆像】


神護寺の薬師像は、実は、制作プロセスが、特異な像でもあるのです。
X線で透視撮影してみた処、この像の内部に、穏やかな天平風の木心乾漆像が埋め込まれていることが判明しました。

内に籠められた当初像は、体部の厚みも薄く、顔面シルエットからは、高山寺・薬師像、聖林寺・十一面観音像などと共通する造形感覚が想起されるものでした。
現在の像からは、一回り二回り小さな華奢な造形となっていました。

現存像は、その上から、ものすごく分厚く木屎漆を盛り付けて、古い乾漆像を芯にして、全く新しい乾漆像を盛り上げ成形したものとなっていたのです。
この際に、現在の、平安初期的要素の強い、アクとボリューム感のある表現に変えられたのでした。
この像を調査した本間紀夫氏は、当初像と表面像の間にさほどの年代差はなく、延暦期の近辺20~30年の範囲ではないかと述べています。

何故に、このように造り替えられたのかは、よく判りません。
神護寺の前身、高雄山寺ゆかりの像かもしれないとの見方もあるようです。

いずれにせよ、この神護寺・薬師坐像は、大変興味深い像です。
また、強烈な個性に、私は惹かれるものを感じています。
この像に偶々出会えて、想定外の歓びでした。



【「観仏日々帖」ご紹介の、魅力ある像にも出会う~阿弥陀寺・薬師像、般若寺・十一面観音像】


この他にも、いくつか、私の注目仏像が、展示されていました。

城陽市枇杷庄にある阿弥陀寺の薬師如来像が、出陳されていました。

阿弥陀寺・薬師如来像
阿弥陀寺・薬師如来像

1メートル弱の檀像風素木一木彫像ですが、その迫力は満点です。

「怖い顔、鋭い彫り口、発散する気、威圧する霊気」

こんなキーワードはあてはまる、平安初期彫像です。

阿弥陀寺・薬師如来像
威圧するように怖い顔貌の阿弥陀寺・薬師如来像

「木塊が、霊威を以て迫りくる」
こんな感じが受けるのです。

私が、強く惹かれるものを感じる一木彫像の一つです。
この観仏日々帖「京都府城陽市・阿弥陀寺の薬師如来立像」で、ご紹介したことがありますので、ご覧いただければと思います。


同じく、観仏日々帖「右京区嵯峨樒原高見町・般若寺の十一面観音像」京のかくれ仏探訪② で、ご紹介した仏像も出陳されていました。

般若寺・十一面観音像
般若寺・十一面観音像

この像も、たまに京博に出陳されるようなのですが、ちょうど運良く、出会うことが出来ました。

愛宕山の向こうの村落、右京区嵯峨樒原高見町という処にある平安古仏です。
愛宕山中の、凄い九十九折の怖くなるほどの山道を車で走って、やっと般若寺にたどり着いて、この像を拝したことを懐かしく思い出してしまいました。



【初めて知った、妙傳寺・十一面観音像(重文・平安中期)~古代朝鮮金銅仏発見でニュースになったお寺】


はじめて見たというか、その存在さえ知らなかったのが、左京区八瀬近衛町にある妙傳寺の十一面観音像です。

北区八瀬近衛町にある妙傳寺
北区八瀬近衛町にある妙傳寺

等身ぐらいの平安中期の木彫像です。
重要文化財に指定されているのですが、全く知りませんでした。
解説キャプションには、平安中期の代表的作例である遍照寺・十一面観音像に通じるものがある作風と書いてありました。
後世の手が入っているところもありそうですが、たしかに穏やかな平安中期風の木彫像です。

手元の資料を見てみたのですが、写真さえ見つけ出すことが出来ませんでした。
昭和年代の重要文化財リストには上がっていないようですので、平成になってから重文指定を受けた像なのでしょうか?

妙傳寺と云えば、今年の1月、

「朝鮮渡来、小金銅仏の発見~従来模古作とされていた半跏思惟像」

ということで、NHKニュースや新聞で大きく採り上げられた、あの妙傳寺です。

ニュースで話題になった妙傳寺・半跏思惟金銅仏像
ニュースで話題になった妙傳寺・半跏思惟金銅仏像

観仏日々帖でも「模古作とされていた京都妙傳寺の小金銅仏、実は古代朝鮮仏と判明?」で、紹介させていただきました。

「あの妙傳寺に、こんな重文指定の立派な平安中期仏像があったのだ。」

と、妙なところで感心してしまいました。



【妙傳寺・十一面観音像についての、追加の挿入です~2017.05.13】



この「観仏日々帖」にコメントをお寄せいただき、この平安中期の仏像のことが、はっきりしました。
この像は、従来「八瀬文化財保存会の十一面観音像」と云われていたものだとのご指摘、ご教示をいただきました。

「そうだったのか!」

と、膝を打つというよりは、

「この像が、八瀬文化財保存会・十一面観音像であることが、どうしてわからなかったんだろう?」

と、なんとも情けないというか、恥ずかしいというのが、偽らざるところです。

ご覧のとおりの仏像です。

妙傳寺(八瀬文化財保存会)・十一面観音像

妙傳寺(八瀬文化財保存会)・十一面観音像
妙傳寺(八瀬文化財保存会)・十一面観音像

この「八瀬文化財保存会・十一面観音像」なら、これまで、この京博の仏像陳列に展示されているのを、何度も、観たことがあるのです。

掛けて加えて、この前の回の観仏日々帖「三重県津市・光善寺の薬師三尊像の御開帳」で、この像の写真まで掲載して、

「六波羅蜜寺・十一面観音(951)⇒⇒⇒遍照寺(989)、八瀬文化財保存会・十一面観音という和様化流れの中にある像と位置づける、ということか・・・・」

と、書いたばかりなのでした。
遍照寺十一面観音像と並んで、平安中期観音像の典型例の一つとして知られている仏像なのです。


展示されていた「妙傳寺」十一面観音というのは、「八瀬文化財保存会」十一面観音のことだったのでした。
近年、所蔵者が「妙傳寺」に変わったということなのでしょうか?
以前は、「八瀬文化財保存会」として、展示されていたように思うのですが・・・・・・・
「妙傳寺所蔵」ということになったのだとしたら、その事情などについては、よく判りません。

それにしても、
「所蔵者名のキャプションが変わっただけで、展示されている仏像そのものが、何度も観た仏像なのかどうか、判らなくなってしまった。」
という訳です。

「自分の仏像を見る眼は、何だったのだろうか?」

と、つくづく情けなくなってしまいました。


ついでという訳ではないのですが、
この妙傳寺(八瀬文化財保存会)・十一面観音像のことについて、ちょっとだけ、ふれておきます。

この像は、昭和55~58年に行われた、京都市内の文化財集中地区総合調査の際、昭和56年(1981)に、その存在が確認されたものです。
長らく、八瀬の念仏堂と呼ばれる小堂に安置されていた像だそうです。
調査により、10世紀後半、平安中期の貴重な作例であることが判り、昭和59年(1984)、重要文化財に指定されました。

以来、京都国立博物館に寄託され、平常陳列に折々出展されている像という訳です。

そんな、何度も観た仏像を眼の前にして、所蔵者名が違っただけで、
「写真すら見つからなかった」
などと、思い込んでしまった次第です。


何卒、ご容赦ください。




【ほかにも興味深い仏像が、いろいろ出展】


これ以上、一つひとつご紹介するのは、長く、くどくなるのでもうやめておきます。


最近、京博にいつも展示されていますが、今年、新国宝に指定された、金剛寺の巨大な大日如来像、不動明王像。

新国宝になった金剛寺・大日如来像
新国宝になった金剛寺・大日如来像~金剛寺草創期1180前後の作

新国宝になった金剛寺・不動明王像
新国宝になった金剛寺・不動明王像~天福2年(1234)行快作


かつて北区・常楽院の所蔵で、新聞ダネになったような事件を経て、平成22年(2010)に文化庁が買い上げた、清凉寺式釈迦像。

文化庁・清凉寺式釈迦如来像~常楽院旧蔵
文化庁・清凉寺式釈迦如来像~常楽院旧蔵


普段なかなかお目にかからない、大原草生町保存会の藤原風の薬師如来坐像。

大原草生町保存会・薬師如来像
大原草生町保存会・薬師如来像


いつみても、鎌倉時代の檀像風彫刻の精緻さが美しい勝龍寺の十一面観音像。

勝龍寺・十一面観音像
勝龍寺・十一面観音像


こんなところが、眼を惹いた仏像でした。



「海北友松展」目当てで出かけた京博で、頭に全くなかった興味深い仏像に沢山出会えることとなりました。

いつも頻度多く、京博の仏像展示をご覧になっている方には、さほどに新顔仏像の登場という感はなく、また折々の顔見世という感じではなかったかと思うのですが、
私にとっては、本当に久方ぶりの、高山寺、神護寺の薬師坐像との再会とか、観仏日々帖で採り上げたいくつかの「見どころあるあるかくれ仏」の展示など、想定外に、嬉しく収穫のある「仏像展示」でした。


これらの仏像に、ご興味を感じられた方は、是非、海北友松展とともにご覧になってみることを、お薦めします。


「海北友松展」も、ご紹介の「仏像展示」も、5月21日までです。


トピックス~模古作とされていた京都妙傳寺の小金銅仏、実は古代朝鮮仏と判明? 【2017.1.21】


【夜7時NHKニュースで、「古代朝鮮仏発見?」の報道にビックリ!】


正月気分もまだ明けない1月7日、夜7時のNHKテレビのニュースで、こんなニュースが報道されました。

ニュースの見出しは、

「小さな寺の仏像 実は朝鮮半島伝来の貴重な仏像か」

というテロップです。

妙傳寺・半跏思惟像
妙傳寺・半跏思惟像


【TVニュースでの報道内容は?】


アナウンサーの方は、このように語っていました。

京都市の小さな寺にある、江戸時代のものと思われていた仏像が、実は、仏教が日本に伝来して間もない頃に朝鮮半島で作られた極めて貴重な仏像の可能性が高いことが、大阪大学などによる最新の調査でわかりました。
専門家は
「こうした貴重な文化財は、ほかにも埋もれている可能性がある」
と指摘しています。

京都市左京区八瀬近衛町にある「妙傳寺」では、「半跏思惟像」という高さおよそ50センチの青銅製の仏像が本尊として安置されていて、これまでは、寺が建てられたのと同じ江戸時代のものと思われていました。

京都八瀬の妙傳寺
京都市左京区八瀬の妙傳寺

この仏像について、大阪大学や東京国立博物館の研究者が改めて鑑定したところ、額に刻まれた模様や装飾品の龍のデザインなどが6世紀から7世紀ごろに朝鮮半島で作られた仏像や出土品の特徴と一致していました。
さらに、仏像にX線を当てて金属の成分を詳しく調べた結果、銅がおよそ90%、スズがおよそ10%で鉛はほとんど含まれていませんでした。
こうした割合は日本や中国の仏像にはなく、7世紀ごろに朝鮮半島で作られた仏像である可能性が極めて高いことがわかったということです。

この時代は、日本に仏教が伝わってまもない時期に当たりますが、この仏像がどういう経緯でこの寺に伝わったかはわかっていません。

調査に当たった大阪大学の藤岡穣教授は、
「韓国では国宝級となる最高レベルの仏像で、こうした仏像が見つかったことは大きな意味がある。
ほかにも、埋もれている貴重な文化財がまだまだ見つかる可能性があり、価値に気付かれないまま盗難などの被害に遭う前に、調査が進んでほしい」
と話しています。


その後の話を要約すると

古代朝鮮仏と判断される決め手となったのは、非破壊・非接触の「蛍光X線分析」による、金属組成分析の積み重ねの成果であったこと。
仏像は、盗難の恐れがあるため、3Dスキャナーによって模造を制作しこれをお寺に安置、実物は博物館で保管されることになった。

との説明がされていました。


なんと、ゴールデンタイム、NHKの7時のニュースに、5分近くの長い時間を割いて、この仏像の発見ニュースが流されたのです。
ご覧になった方も、たくさんいらっしゃるのではないかと思います。

妙傳寺・半跏思惟像
妙傳寺・半跏思惟像

私は、大阪大学の藤岡穰氏が、1年ほど前に、論文やシンポジウムで、

「この仏像は、模古作といわれていたが、科学的分析等によると古代朝鮮仏であるとみられる。」

という考えを発表されていたことを、たまたま知っていましたので、

「あの話が、TVニュースで、こんなに大きく採り上げられたのか!」

と思いましたが、採り上げ方の大きさにビックリしてしまいました。



【新聞各紙も、X線分析で「7世紀の渡来仏発見か?」と、大きく報道】


このNHKニュースから1週間ほど後、今度は、新聞各紙が、記事に大きく採り上げて、一斉に報道されました。

このような見出しでした。

「7世紀に朝鮮半島で制作か 京都・妙伝寺の仏像、X線で成分分析」 (産経新聞)

「本尊は国宝級渡来仏…7世紀に朝鮮半島で製作か」 (毎日新聞)

「『江戸期』実は7世紀の渡来仏? 京都の半跏思惟像X線分析」 (朝日新聞)


朝日新聞の記事をご紹介すると、次のようなものです。

妙傳寺・半跏思惟像の発見を伝える朝日新聞記事
妙傳寺・半跏像の発見を伝える朝日新聞記事
京都市左京区八瀬近衛町の妙伝寺の本尊で、江戸時代の制作とされてきた「半跏思惟像」(高さ約50センチ)が、仏教伝来から間もない7世紀ごろに朝鮮半島で作られた金銅仏である可能性が高いと13日、調査した大阪大の藤岡穣教授(54)=東洋美術史=が発表した。

この時代の渡来仏は全国的にも数が少ないといい、
「装飾も精巧で、朝鮮半島から伝来したものだろう。貴重な仏像だ」
と話している。

藤岡教授の鑑定によると、仏像の額に水平に刻まれた毛筋や装飾品の竜のデザインなどが、6~7世紀ごろに朝鮮半島で作られた仏像の特徴とよく似ていたという。
また、仏像にX線を当てて金属の成分を調べる「蛍光X線分析」では、銅が約86%、錫が約10%だった。日本や中国の仏像に比べて錫が多い組成から、7世紀ごろ朝鮮半島で制作された可能性が高いとみている。

蛍光X線分析には従来、大型機器が必要だったが、藤岡教授らはヘアドライヤーほどの大きさまで小型化。
これまでに日本国内や中国、韓国などの古い仏像約400体を調査した。

妙伝寺は寺伝によれば、江戸初期の1616年創建。
そのため、この仏像もこの頃の制作と考えられていた。

今回の調査結果を受け、3Dプリンターで仏像のレプリカを制作。
実物は博物館に寄託し、レプリカを寺に安置するという。
寺は天皇の大礼や大喪の時などに輿を担いだ八瀬童子の菩提寺として知られる。
(朝日新聞、1月14日付け朝刊)


妙傳寺・半跏思惟像~頭部
妙伝寺本尊の半跏思惟像
髪を中央で二つに分け、額にそわせているのは、
6~7世紀の朝鮮で作られた仏像の特徴に共通しているという


妙傳寺・半跏思惟像~顔部
耳たぶの先端に切れ込みが入っているのは
5世紀ごろのインドの仏像などに類例があるという


妙傳寺・半跏思惟像~脚部模様
脚部中央のとぐろを巻く竜文飾りは、
6~7世紀の朝鮮の作例に共通した特徴だという


新聞各紙にこれほど大きな記事で報道されて、またまたビックリです。
仏像愛好の方々の間では、しばらく、この話題で盛り上がるのかなという感じです。

金銅仏は、博物館に預けられるという話ですが、大津市歴史博物館で保管されるようで、10月7日~11月19日に、同博物館で展示されるということです。

皆さん、この金銅仏の写真をご覧になって、どのように感じられたでしょうか?

「江戸時代の模古作? 7世紀の古代朝鮮仏?」

如何でしょうか?



【一昨年、展示会に出展され、シンポジウムで研究成果が発表されていた、妙傳寺・半跏思惟像】


実は、この妙傳寺の金銅仏は、一昨年、2015年10~12月に、大阪大学総合学術博物館で開催された
企画展「金銅仏きらきらし―いにしえの技にせまる―」
に展示されました。

金銅仏きらきらし展ポスター
「金銅仏きらきらし展」ポスター

また、同時に開催された
「国際シンポジウム~金銅仏の制作技法の謎にせまる」
における、藤岡穣氏の講演「東アジア金銅仏の蛍光X線分析からわかること」で採り上げられ、

「7世紀の古代朝鮮金銅仏であると考えられる」

という説明が、なされていました。

その研究成果が、今般、大々的にマスコミ発表されたということなのだと思います。


私は、この展覧会とシンポジウムに興味がありましたので、丁度関西へ行くタイミングを合わせて、出かけてみました。
その時に、この金銅仏の実物を、眼近に観たのですが、素人には、

「模古作、古代朝鮮仏?何とも、よくわからない! どちらと云われても、そうなのかな?」

というのが、正直な実感でした。



【近年、金銅仏の金属組成調査に目覚ましい成果を生んでいる、蛍光X線分析】


藤岡穰氏
藤岡穰氏
新聞報道にもあるように、藤岡穣氏は、近年、蛍光X線分析により、金銅仏の金属組成の調査研究に取り組まれています。
これまでに日本国内や中国、韓国など仏像、約400体を調査したそうです。

蛍光X線分析というのは、非破壊、非接触で、対象物の素材の元素組成を測定分析する方法です。
対象物にX線を照射、そこから発生する蛍光X線を測定し、対象物がどの元素で構成されているかを分析するもので、近年、測定機器装置が格段に進歩し、金銅仏調査などにめざましい成果を生んでいるものです。

藤岡氏は、金銅仏の時代様式、形式からの研究に加えて、金属組成分析結果のアプローチからの研究を、併せて行うことによって、新たな視点で制作年代の判定などを論じられています。

私には、科学的分析云々などということは、難し過ぎて、全くわからないのですが、藤岡氏等により、従来、模古作と考えられていた金銅仏が、古い時代に遡るものと考えられるなどの研究成果が、いくつか発表されていますので、シンポジウムでの講演内容なども含めて、ちょっとだけご紹介しておきたいと思います。

金銅仏の金属組成ですが、銅の他には、主として錫、鉛が含まれるそうです。
他にも、鉄、亜鉛、ヒ素も含まれる場合があるそうです。
シンポジウムでの講演では、時代別また日本、韓国、中国では、ご覧のような特徴があるとのことでした。

金銅仏の金属組成の特徴表



【妙傳寺像が朝鮮古代金銅仏と判断されたポイント】


マスコミで報道された、妙傳寺の半跏像は、銅が約90%、錫が約10%の組成となっています。
藤岡氏は、妙傳寺の如意輪観音半跏像について、このように述べています。

妙傳寺・半跏思惟像~側面
妙傳寺・半跏思惟像~側面
「さまざまな金銅仏について蛍光X線分析を実施したところ、日本の飛鳥時代の作例の場合は原則的に錫の合有率が低く、また、奈良時代以降は次第に鉛の含有率が増加する傾向があることがわかつてきた。

そうした原則ないし傾向に照らすならば、本像の青銅には1割程度の錫が含まれることから飛鳥時代のものとは考えられず、また鉛をほとんど含まないとから平安後期以降の制作になる蓋然性も低いと思われる。

また、朝鮮三国の金銅仏にも本像のように薄手で像内がやや荒れた作例が見出されることは前述のとおりである。

そして、そうであるならば、特徴的な細部形式にいずれも中国や朝鮮半島の作例との類似が認められ、逆にそれがほとんど日本の作例にはみられないことを顧慮すれば、日本の中近世における模像、復古像となるよりも、やはり素直に渡来仏とみるべきであろう。」


この文章は、

「京都某寺と兵庫・慶雲寺の半枷思惟像」(藤岡穰) 美術フォーラム21第32号2015.11.30

という論文で、述べられているものです。

京都某寺というのは、妙傳寺のことです。
論文と展示会では、盗難リスクへの配慮からか「某寺」と表示されていました。
今般、「妙傳寺」であることが、明らかになったものです。

本論文では、単に、金属組成分析の観点だけではなく、詳細な様式、形式の検討の上、

「百済以来の伝統を色濃く伝えた新羅造像である蓋然性が高い」

と述べられています。



【続々と、新たな研究成果が発表されている、金銅仏の蛍光X線分析】


また、この論文では、鎌倉以降の擬古作とか、真贋についての議論もあった、兵庫・慶雲寺の半跏思惟像も、その金属組成、様式等から、朝鮮三国時代、7世紀以降の制作の可能性について論ぜられています。

兵庫慶雲寺・半跏思惟像
兵庫慶雲寺・半跏思惟像


この他にも、近年の、藤岡氏による金銅仏の蛍光X線分析による、新たな研究の見方を、いくつかご紹介すると、次のようなものがあります。

これまで平安~鎌倉時代以降の模古作とみられていた、安養寺の金銅仏・如来立像については、
その組成が純銅に近いことなどから、

「大阪大学の藤岡穣教授が蛍光X線分析を行ったところ、素材については、白鳳時代から天平時代に制作されたと考えて矛盾が無い。」
(「カミとほとけの姿展・図録解説」岡山県立博物館2016.10)

との見方がなされています。

岡山安養寺・如来立像.岡山安養寺・如来立像
岡山安養寺・如来立像


近代の擬古作の疑いがあるという疑問が出された、野中寺の弥勒菩薩半跏像については、
その金属組成(銅:90%、錫3%、鉛をほとんど含まない)からも、日本の古代金銅仏として許容範囲にある(「野中寺弥勒像について~蛍光X線分析調査を踏まえて」ミューゼアム649号2014.4)と述べられています。

野中寺・半跏弥勒像
野中寺・半跏弥勒像


殆どが鎌倉時代以降の補作で、当初部分がごくわずかしか残されていないとされている飛鳥大仏についても、
顔面部分のほとんどは7世紀造立当初のものと見られるとの調査結果を発表し、新聞記事に大きく採り上げられたりしました。

飛鳥寺・飛鳥大仏(釈迦如来像)
飛鳥寺・飛鳥大仏(釈迦如来像)

飛鳥大仏の顔部造立時のものを伝える読売新聞記事

飛鳥大仏の顔部造立時のものを伝える読売新聞記事
「飛鳥大仏の顔部造立時のもの」との研究成果を報ずる読売新聞記事(2016.11.11付)


このように、蛍光X線分析による、金銅仏の金属組成の科学的分析の研究は、金銅仏の制作年代判定に、従来の見方を大きく覆す、新たな視点を提供しているようです。


科学的分析結果を横に置いておいて、これらの仏像の姿を観た感じの私の印象についていえば、妙傳寺の半跏思惟像、慶雲寺の半跏思惟像、安養寺の如来立像などのフィーリングは、平安鎌倉以降の模古的、擬古的な像と云われると、正直な処そのように感じるというのも本音です。

「7世紀前後の制作」といわれると、うまく説明はできないのですが、微妙にしっくりこない感じもしないわけではありません。

なんとなく、既成概念にとらわれた見方になってしまっているということなのでしょうか?


科学的分析の研究が一層進展すれば、従来の常識が、大きく覆されるようなビックリの研究成果が、これからいろいろ判明していくのかもしれません。


マスコミに大きく採り上げられた「妙傳寺の半跏思惟像は、古代朝鮮仏」という話を、ご紹介しつつ、最近の蛍光X線分析による科学的調査研究などについてふれてみようと思って書き始めたのですが、
何ともとりとめのない支離滅裂な話になってしまいました。


自分でも、何を書いているのか、訳が分からなくなってしまったというのが実感ですが、「新発見の古代朝鮮仏の紹介記事」ということで、お赦しいただければと思います。


トピックス~額安寺虚空蔵菩薩像、文化庁が購入・近年の文化庁購入仏像をみる 【2016.1.8】


今年のお正月は、元日に赤坂・山王日枝神社に初詣に行きましたが、他はどこにも出かけなかったので、家でゴロゴロというところでした。


【ネットサーフィンで、ビックリの情報に遭遇】

時間つぶしに、ネットサーフィンで遊んでいましたら、こんなTwitterに遭遇しました。

「文化庁が、奈良・額安寺所蔵の重要文化財「乾漆 虚空蔵菩薩半跏像」一軀をお買い上げ。
価格は約5億4千万円なり。奈良国立博物館寄託?
額安寺を代表する美しい仏さまだったけど、お寺の維持にお金がかかるのかなあ。」
(2015.12.11)

額安寺・虚空蔵菩薩像(木心乾漆・奈良時代・重文)
額安寺・虚空蔵菩薩像(木心乾漆・奈良時代・重文)

「えーっ! 本当?」

驚きました。

Twitterにリンクが貼ってあった「官報」とみると、間違いありません。

額安寺虚空蔵像、文化庁購入が掲載された官報
〈平成27年12月11日 官報 号外政府調達第232号〉の額安寺虚空蔵像購入が記載された箇所

ご覧のとおりです。
まさに「ビックリポン」です。



【虚空蔵菩薩像のほか、額安寺所蔵文化財を次々文化庁が購入】

額安寺の虚空蔵菩薩半跏像(像高51.5㎝)は、奈良時代後期の木心乾漆像で、重要文化財に指定されています。
台座裏に、
「奈良時代、道慈律師が入唐求法の際に将来した像が損傷したので、鎌倉時代、西大寺叡尊が修理させた。」
旨の修理銘があることが知られている像です。

昔は、奈良国立博物館に常設展示されていたように思うのですが、近年は、大和郡山市にある額安寺に戻り、虚空蔵堂(収蔵庫)に安置されていました。
額安寺を訪れて、虚空蔵像を拝された皆さんも、多くいらっしゃるのではないかと思います。

額安寺.額安寺・虚空蔵堂
額安寺(右は虚空蔵菩薩像が安置されていた虚空蔵堂)

私も、たしか3度ほど、額安寺を訪ねて、若いご住職のご案内で虚空蔵菩薩像を拝したことがあります。

額安寺・虚空蔵菩薩像
虚空蔵堂内に祀られる虚空蔵菩薩像

額安寺は、富本憲吉の生家のある安堵村の隣の額田部寺町という、のどかな田園風景の中にあります。
これからは、あの額安寺を訪れて、虚空蔵菩薩像を拝することが、もう出来ないのかと思うと、大変、残念な気がします。

ただ、文化庁の買い上げですから、いずれの時期にか、奈良博に展示されることになるのかな、とは思いますが・・・・


そういえば、額安寺伝来の国宝・額田寺伽藍並条里図も、かつて国の買い上げになっていたなということを思い出しました。
そこで、Wikipediaで額安寺旧蔵文化財を検索してみると、

2009年に、木造文殊菩薩騎獅像(平安・重文)が、
2013年に、五輪塔納置品(鎌倉・重文)が、

文化庁の買い上げになっていました。

額安寺・文殊菩薩像(重文・平安時代).額安寺・五輪塔納置品 (重文・鎌倉時代)
(左)額安寺・文殊菩薩像(重文・平安)~(右)五輪塔納置品 (重文・鎌倉)

どのような経緯、事情で、額安寺の文化財が続々と文化庁の購入になっているのかは、全く判りませんが、国の所蔵となり、博物館等に展示されることになるのでしょうから、それはそれで良いのかも知れません。



【5億円を超す巨額、虚空蔵像の購入金額にビックリ】

もう一つ「ビックリポン」だったのは、虚空蔵菩薩像の購入額が5億4千万円弱だということです。
「こんなに、すごい高額なんだ!」
と、ビックリしてしまいました。
TVのなんでも鑑定団でも、こんな高額は見たこともありません。
重要文化財に指定されるような仏像が、いくらぐらいの評価額、取引相場になるのかなど、私には想像もつきませんが、なんとなく高くても1億円ぐらいなのかなという気がしていましたので、驚きの高額でした。

そういえば、2008年、現在、眞如苑蔵の運慶作の可能性のある大日如来像が、ニューヨーク、クリスティーズのオークションで落札された金額が14億円でした。
当時、あまりの高値に新聞テレビを大いに賑わせたことは、皆さんよく覚えておられることでしょう。

眞如苑蔵・大日如来像
眞如苑蔵・大日如来像

そのことを考えれば、奈良時代の数少ない木心乾漆像の遺品ですから、5億円ぐらいというのは、不思議でも何でもないのかもしれません。
日頃は、仏像愛好で、この仏像は出来が良いとか悪いとか、勝手なことを言っているのですが、お金の話になると、雲の上の話を聞いているようで、全く現実感がありません。

誰もが知っている、超有名な国宝仏像に値段を付けるなどということは、不可能なことなのでしょうが、もし値段をつけるとすると、どれほどの巨額になるのでしょうか?
想像もつきません。



【近年、文化庁の購入となった仏像は?】

額安寺の話のついでに、文化庁はどんな文化財(仏像)を購入しているのかと、気になってきました。
判るのだろうかと、文化庁のHPを検索してみると、なんと、「文化庁購入文化財」というページがありました。

そこには、平成20年度から26年度に文化庁が購入した文化財のリストが開示されています。
購入金額も記載されており、購入文化財の概要という写真入解説文まで付されているのです。
ちょっとびっくりしましたが、近年の情報開示の精神からすれば、こういう情報も開示していくということなのでしょう。

購入された仏像のリスト、購入額などを大変興味深く見ることが出来ました。
そこで、掲載されたリストを加工して、近年の文化庁の仏像購入リストを一覧にしてみました。

平成20年度以降の文化庁購入仏像のリスト

ご覧のとおりです。

平成20年度以降、16件の彫刻(仏像)が、購入されています。
過去の所蔵者、伝来などは、私が調べて確認したものもありますので、不確かかもしれませんのでご容赦ください。



【文化庁購入仏像の中から、いくつか目についた仏像をご紹介】

リストの中の仏像のなかから、ちょっと目についたものについて、ふれてみたいと思います。


〈不退寺・聖観音像と、一対の三尊脇侍だった聖観音像〉

平成20年度購入の木造聖観音立像は、以前、奈良博の常設展に展示されていたことがあり、大変印象に残っていた仏像です。
10世紀ごろの制作かと思われますが、なかなか惹きつける魅力を感じました。
奈良博の展示解説には、奈良市・瑞景寺旧蔵で、長野・セゾン現代美術館蔵と書かれていたように思います。

文化庁・平成21年度購入・木造聖観音立像.不退寺・聖観音像
(左)平成21年度購入・木造聖観音立像~(右)不退寺・聖観音像

文化庁の解説によると、納入品から不退寺伝来の仏像であることが分かるそうです。
佐保路・不退寺本堂に祀られる聖観音像と対をなす仏像で、元来は三尊像の両脇侍をなしていたものとみられています。

2体の仏像を写真で並べてみると、一見、同じ手の仏像には思えぬ気がしてしまいます。
彩色されているのと、木地になっているのとでは、随分見た目の印象が違って見えるものです。
よーく見てみると、なるほど同作だなというのが判るようです。

購入額は、2億3100万円です。


〈事件で話題になった、京都・常楽院旧蔵の清凉寺式釈迦像〉

平成22年度購入の木造釈迦如来立像は、鎌倉時代の清凉寺式釈迦像です。
文化庁平成22年度購入・常楽院旧蔵・釈迦如来立像
平成22年度購入
常楽院旧蔵・釈迦如来立像
文化庁解説によると、京都仏師・院賢の手になる可能性が高いそうです。

この像については、かつてこんな事件があったようです。

2010年11月10日付の毎日新聞記事によると、

この釈迦像は、京都市北区・常楽院の所蔵でしたが、文化財保護法で義務付けられている届け出のないまま、住職の債権者側に借金の担保として預けられていることが判明しました。
本像は1997年に京都国立博物館へ寄託されましたが、2004年に寺から「本堂に祀りたい」と申し出があり、寄託を一時解除しました。
ところが、文化庁と京都府教委がその後、寺へ確認したところ、本堂に像はなく、他へ預けたとの説明で、借金の担保として預けられていることが判った。

というものです。

その後、どのような経緯をたどったのかわかりませんが、国(文化庁)が購入することとなったということのようです。

購入額は、3億1500万円です。


〈迫力満点、亀岡市・大宮神社伝来の天王像〉

同じく、平成22年度購入の木造天王立像は、京都府亀岡市の大宮神社に伝来した10躯の平安古仏のうちの一体で、10世紀の制作です。

文化庁平成22年度購入・大宮神社伝来・天王像
平成22年度購入・大宮神社伝来・天王像

亀岡市・大宮神社
亀岡市・大宮神社

30年以上前に、9躯が民間に売却されたということです。
ダイナミックで迫力十分の平安古像で、東博に展示されているのを観て、魅力的な像だと気になっていました。
文化庁が購入した2年後の2012年に、重要文化財に指定されました。

文化庁平成22年度購入・大宮神社伝来・天王像
亀岡大宮神社伝来・天王像

観仏日々帖をご覧いただいている方から、旧所蔵者などについて、
「今回重要文化財指定になった天部形像は、1971年の「平安時代の彫刻」展に個人蔵として出陳されています。
元の所蔵者は薮本古美術です。
長らく同店の東京店に展示されていて、時々見に行くのが楽しみだった思い出があります。」
との、コメントを以前にいただいたことがあります。

購入金額は、未指定像だったのに、なんと4億6200万円です。

亀岡大宮神社伝来の平安古像については、以前に、観仏日々帖「亀岡市・大宮神社伝来の諸仏像」で紹介させていただきました。

大宮神社伝来像は、これまで3躯が国の購入となっているようで、天王像のほかには、
吉祥天像が東京国立博物館、観音菩薩像が奈良国立博物館の所蔵となっています。

亀岡大宮神社伝来・吉祥天像.亀岡大宮神社伝来・観音菩薩像
(左)亀岡大宮神社伝来・吉祥天像~(右)観音菩薩像


〈新薬師寺旧蔵の千手観音(准胝観音)像〉

平成23年度購入の木造千手観音立像は、奈良・新薬師寺に伝わった仏像です。

この像は、指定名称は千手観音像となっていますが、本来の尊名は准胝観音とみられています。
台座蓮弁に天禄元年(970)の墨書があり、製作年代はその頃ではないかとみられています。

文化庁平成23年度購入・新薬師寺伝来・千手観音(准胝観音)像.文化庁平成23年度購入・新薬師寺伝来・千手観音(准胝観音)像
平成23年度購入・新薬師寺伝来・千手観音(准胝観音)像

この千手観音(准胝観音)は、昔は、奈良博に寄託展示されていたようなのですが、戦後、常盤山文庫の菅原通済氏が新薬師寺から買い取ったようです。
その購入契約を巡って、奈良博から菅原氏に本像を引き渡すのか云々について、いろいろ物議をかもしたようです。
菅原氏は、「通済美術ばなし」(1961年・淡交社刊)という著作の中で、経緯や自身の言い分を語っています。
また、1959年6月の芸術新潮に、「新薬師寺の国宝を預る(菅原通済)」という執筆文が掲載されているようですが、私は、これは未見です。

いずれにせよ、何かといきさつのあった、新薬師寺伝来千手観音(准胝観音)像ですが、文化庁の購入ということになったということです。

購入金額は、3億円です。


〈お気に入りで何度か訪ねた、生駒市圓證寺の普賢・文殊菩薩二像〉

平成26年度には、生駒市圓證寺の普賢菩薩騎象像、文殊菩薩騎獅像の2像が、文化庁の購入となっていました。

文化庁平成26年度購入・圓證寺旧蔵・普賢菩薩騎象像.文化庁平成26年度購入・圓證寺旧蔵・文殊菩薩騎獅像
平成26年度購入・圓證寺旧蔵普賢菩薩騎獅像・文殊菩薩騎象像

私には、これもまた「ビックリポン」の話でした。

普賢菩薩像は平安前期、9世紀の制作、文殊菩薩像は、平安後期の制作とみられています。
普賢菩薩像は、平安前期のボリューム感、迫力十分の魅力あふれる像で、白毫寺の伝文殊菩薩坐像(平安前期)と似た空気感を持つ優作です。

圓證寺旧蔵・普賢菩薩像
圓證寺旧蔵・普賢菩薩像

白毫寺・文殊菩薩像.圓證寺旧蔵・文殊菩薩像
(左)白毫寺・文殊菩薩像~(右)圓證寺旧蔵・文殊菩薩像

私のお気に入りの仏像で、生駒市の圓證寺には、これまで3度ほど伺って、拝させていただいた思い出があるのです。
直近は、2013年3月に訪れました。

圓證寺は、近鉄奈良駅南方林小路の繁華街にあったのですが、繁華街の騒音等のため文化財の護持や宗教活動に支障があるということで、1984年から1985年にかけて生駒市に移転しました。
室町時代建立の本堂と、筒井順昭の供養塔である石造五輪塔(共に重要文化財)も、移建されたのです。

圓證寺

圓證寺本堂(重文・室町時代)
圓證寺~(下)文殊・普賢菩薩像が安置されていた本堂(重文・室町時代)"

この重文の本堂に、本尊の釈迦如来坐像(鎌倉時代)の両脇侍として、普賢・文殊菩薩像が安置されていたのです。
あの、静かで落ち着いた本堂の中で、両像を拝することがもうできないのかと思うと、本当に残念に思ってしまいます。

購入金額は、4億4928万円です。



「額安寺の虚空蔵菩薩像を文化庁が購入」というNET情報を知ったことをきっかけに、近年の、文化庁購入仏像のことをちょっと調べてみましたので、ご紹介させていただきました。

お寺所蔵や民間所蔵の文化財(仏像)を国が購入する経緯というのは、いろいろな事情があって、そうなっていったものなのでしょう。
国の購入予算に限りがある中で、いずれの文化財を購入するのかというのも、なかなか難しいことなのだと思います。
ただ、国が買い上げるということは、そのほかの処に売却、転売されるより、文化財の保存という意味では、最も間違いない処ということに違いありません。
いずれ、博物館等で展示され鑑賞が可能になるというのも、また有難いことです。

一方、お寺を訪ねて、お堂や収蔵庫に祀られている仏像を拝し、鑑賞するというのは、味わいも深く、感動もひとしおです。
博物館で鑑賞するのとは違う良さがあります。
そんな意味では、これまでお寺で拝していた仏像が、国の購入になるというのは、ちょっと残念な気持ちになってしまいます。


正月早々、仏像の購入金額などといった、お金にからむ生臭い話になってしまい、申し訳ありませんでした。

私にとっては、なんとも「ビックリポン」の話でした。


トピックス~廃寺となった旧眉間寺の三如来像が、東大寺ミュージアムで展示(10/20~3/下) 【2015.11.8】


【廃仏毀釈で廃寺になった奈良の寺、眉間寺】

明治初年の廃仏毀釈で廃寺となってしまった奈良のお寺に、眉間寺(みけんじ)という寺があります。

廃仏毀釈の折には、奈良では、いくつものお寺が廃寺になってしまいました。
なかでも大寺であった興福寺や内山永久寺が廃寺となったのは、よく知られています。
興福寺はすぐに再興されましたが、石上神宮の神宮寺であった内山永久寺は、跡形もなく破壊され、膨大な数の貴重な仏像・宝物は、すべて散逸してしまいました。

眉間寺という名前は、あまり知られていないかもしれません。
「眉間寺」と聞いても、「そんなお寺、あったっけ?」と、首をかしげる方もいらっしゃるのではないかと思います。
明治の廃仏毀釈に詳しい方は「ああ、あの眉間寺か!」と、思われることでしょう。
眉間寺も、明治初年に跡形もなくなり、祀られていた諸仏像も、すべて散逸してしまったのです。


このあたりの、奈良の地における廃仏毀釈と、諸寺から流出した仏像に話などは、埃まみれの書棚から「二人の県令、四条隆平・税所篤~廃仏知事と好古マニア」で紹介していますので、ご覧いただければと思います。



【東大寺ミュージアムで、旧眉間寺本堂安置・三如来像が並んで展示~140年ぶり】

この眉間寺の本堂に安置されていたという3躯の如来像が、東大寺ミュージアムに展示されています。
10月20日から、来年3月ごろまで展示されるそうです。

(東大寺ミュージアムHP・旧眉間寺本堂の仏像・特別展示のお知らせをご参照ください)


展示される眉間寺旧仏は、次の3躯です。

阿弥陀如来坐像(像高:88.5㎝、平安後期・重要文化財)
釈迦如来坐像(像高:86.1㎝、鎌倉時代)
薬師如来坐像(像高:75.5㎝、鎌倉時代)


旧眉間寺伝来・東大寺勧進所阿弥陀如来坐像
旧眉間寺伝来・東大寺勧進所阿弥陀如来坐像

旧眉間寺伝来・東大寺勧進所釈迦如来坐像.旧眉間寺伝来・東大寺勧進所薬師如来坐像
旧眉間寺伝来・東大寺勧進所釈迦如来坐像(左)   薬師如来坐像(右)

これらの像は、各像の台座に記された墨書から、旧眉間寺の本堂に3躯並んで安置されていたと推定されています。
眉間寺が廃寺となった後は、東大寺に移され、釈迦・薬師両像は勧進所阿弥陀堂内奧の左右壇に祀られ、阿弥陀像は収蔵庫に安置されているものです。

東大寺勧進所

東大寺勧進所・阿弥陀堂
東大寺勧進所   勧進所・阿弥陀堂(下)

私も、眉間寺旧仏を一度拝してみたいと思っていましたが、これらの像は、普段は、拝観は叶わず、果たすことができずにおりました。
今度、勧進所阿弥陀堂が修理される機会に、東大寺ミュージアムで、特別展示されることになったものです。

今回の展示では、眉間寺本堂に安置されていた往時どおりに、3躯並んで展示されているとのことです。

東大寺ミュージアムに並んで展示される旧眉間寺三如来坐像
東大寺ミュージアムに並んで展示される旧眉間寺三如来坐像

そろって展示されるのは、眉間寺に祀られていた時以来ですので、約140年ぶりということになります。


【今は、跡形なく礎石が遺されるだけの眉間寺】

眉間寺とは、どんなお寺だったのでしょうか。

眉間寺とは奈良市法蓮町、聖武天皇佐保山南陵の近くにありました。
律宗佐保山・眉間寺と称し、聖武天皇御願・行基僧都の開基と伝えられています。

長寛年代(1164年頃)、
「化人が現われて眉間より光明を放つこと半時ばかりにして化し、その跡に舎利2粒があったので、勅により『眉間寺』と称した」
というのが寺名の由来ともいわれます。

江戸時代には、幕府から寺領100石が与えられるなど栄えました。
東大寺「戒壇院」の末寺で、立派な鐘楼や多宝塔等も建っていたましたが、文久2年(1862) 、聖武天皇陵改変のため多宝塔が撤去され、本堂庫裏は山下に移されました。
そして、明治初年、廃仏毀釈のなかで廃寺になってしまいました。

大和名所圖會(寛政3年・1791刊)には、立派な多宝塔のある眉間寺伽藍の姿が描かれています。

大和名所図会・眉間寺大和名所図会・眉間寺
大和名所図会・眉間寺

現在は跡形もなく、元の場所には「眉間寺遺跡」の石碑と礎石が残されているだけです。

眉間寺跡の石碑
眉間寺跡の石碑

眉間寺跡に遺された礎石
眉間寺跡に遺された礎石


【眉間寺伝来の仏像の行方】

眉間寺が廃寺となった話は、広くは知られていませんが、眉間寺伝来と伝えられる仏像には、次のようなものがあります。

旧眉間寺伝来の仏像

西方寺・阿弥陀如来坐像(重文・平安後期).弘願寺・阿弥陀如来立像(県指定・鎌倉)
西方寺・阿弥陀如来坐像(左)     弘願寺・阿弥陀如来立像(右)

ご覧の通りです。

本堂に安置されていた3躯の如来坐像は、眉間寺が東大寺「戒壇院」の末寺であったことから、東大寺に移されたのではないでしょうか?

今回、東大寺ミュージアムに展示されている、勧進所安置の3躯の如来坐像は、平安後期から鎌倉時代の典型的なスタイルの仏像といってよいものです。
仏像彫刻としては、ある意味類型的といったタイプで、それほど皆さんの関心を呼ぶ仏像ではないかもしれません。

ただ、明治の廃仏毀釈で、数多くの仏像が破壊されたり焼かれたりしたなか、それを乗り越えてきた仏像です。
廃仏毀釈で廃寺となってしまったお寺に伝わった仏像を拝するというのは、また感慨深いものがあるように思います。


私も、展観期間中に、是非訪れて拝したいと思っております。

東大寺ミュージアムは、みなさん何度も訪れられておられることと思いますが、廃寺となった眉間寺の往時を偲ぶ仏像を拝しに、この期間、訪ねてみてはいかがでしょうか。


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