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観仏日々帖

古仏探訪~2018年・今年の観仏を振り返って 〈その4〉 11~12月  【2019.1.20】


年越しになった「今年の観仏を振り返って」も、〈その4〉の最終回となりました。


【11月】



【品川区内最古の仏像の特別公開へ~海蔵寺・菩薩坐像】


品川区内最古の仏像とみられる、南品川 海蔵寺・菩薩坐像が特別公開されるという情報を知って、出かけてみました。

毎秋恒例の東京都品川区「文化財一般公開」で、初公開されるということです。
平安中期頃の制作とみられる古仏なのだそうです。

11月3日、一日限りの特別公開でした。
海蔵寺というお寺も、菩薩坐像も、全く知りませんでした。
本年9月に品川区と清泉女子大学の包括連携協定により、同大教授・山本勉氏と同学生の手で、本像の調査が実施され、その成果を踏まえて一般公開となったものということです。

結構、多くの人が特別公開を観に来られていていました。
山本勉氏もおられて、拝観用にお堂の前に安置された菩薩像の傍らで、拝観者の質問に答えるなどの説明をされていました。

なかなか美しい仏像でした。
とりわけ、しっかり整ったお顔の造形が魅力的です。

膝前が後補のようで、残念なところです。
カヤ材の一木彫で内刳りも無く、古様なのですが、穏やかな表現、衣文の彫りの浅さなどから11世紀前半頃の制作とみられるということです。
昭和の初めに信者から寄進されたということで、伝来は全く不明だそうです。

無指定の仏像ですが、なかなか出来の良い、魅力的な平安古仏に出会うことが出来ました。



【行快作の釈迦如来像の迫力、魅力を実感~東博「大報恩寺展」】


東京国立博物館で開催された「京都 大報恩寺~快慶・定慶のみほとけ」展に行きました。

大報恩寺に伝わる仏像が、全て勢ぞろいで出展されています。

快慶、定慶作の十大弟子像、六観音像などは、大報恩寺の宝物館でいつでも眼近に観ることが出来るのですが、特別展では、これらの像を360度ビューで、また光背を取り外した六観音像の背面が観ることが出来るのが、大きな見処でした。

この展覧会で、私の一番の注目は、本堂安置の釈迦如来像が出展されたことでした。
行快の代表作として知られていますが、秘仏として祀られ、年に数回、8月、12月、1月の数日しか開扉されません。
本堂厨子の中に祀られていますが、開扉の際も、本堂外陣の離れたところからの拝観で、堂内も暗めで、細かいところまでは、よく拝することが出来ないのです。

展覧会場で眼近に観た、行快作・釈迦如来像は、期待に違わずなかなかの迫力がありました。
行快は快慶の一番弟子と云われていますが、快慶作品とはちょっと違う、ダイナミックで生々しいパワーを、しっかりと感じます。
近年、行快作品が続々発見され、話題になることが多くなりましたが、もうちょっと注目され、優れた造形が知られてもよいように思いました。

展覧会図録は、2300円と展示仏像の規模からすると高価だったのですが、なかなかの充実した内容で満足できるものでした。
掲載写真が大変クリアーで美しく、クローズアップ写真はとりわけ鮮明で、六観音像に穿たれた「錐点の痕」まではっきり見えます。
解説論考も読みごたえがあり、旧安置状況古写真や解体修理時写真も掲載され、この値段も納得です。



岡山方面へ半日観仏。



【岡山 大賀島寺の秘仏本尊の御開帳へ~「今年の観仏NO1」の惚れ惚れする優作】


岡山まで、大賀島寺の秘仏本尊・千手観音立像のご開帳に出かけました。

大賀島寺は、瀬戸内市の大雄山山頂にあります。
ご本尊は、33年に一度限りの厳重秘仏で、11月17・18日の二日に限り、開帳されました。

大賀島寺・千手観音像は、2002~3年頃に新発見となった仏像で、2011年に一気に重要文化財に指定された優作です。

「今年一番の観仏は、何処の仏像だったか?」

と聞かれると、躊躇なく、
「何といっても、大賀島寺・千手観音像の秘仏御開帳が、文句なしの一番!!」
と答えるでしょう。

7年半ぶりの再会でしたが、やはり素晴らしい出来に惚れ惚れする、魅力満点の平安初期一木彫像でした。

大賀島寺の秘仏拝観記は、この観仏日々帖 「岡山県 瀬戸内市・大賀島寺の秘仏・千手観音像御開帳」 に、詳しく記させていただきましたので、そちらをご覧いただきたいと思います。

お厨子の真ん前で、眼近に拝することが出来ました。

千手を大きく広げた姿に、
「凛として、雄渾な、立ち姿」
「鋭く、流麗、緻密な彫技」
こんな形容詞が、思い浮かんできました。

第一級レベルの、バリバリの平安初期彫像です。

「やっぱり、思い切って、この御開帳に出かけてきて、本当に良かった。」

そんな気持ちに浸った、大賀島寺・十一面観音像との再会でした。


岡山まで出かけてきたので、餘慶寺(よけいじ)と安住院を訪ねました。



【吉備地方を代表する堂々たる如来坐像~餘慶寺の薬師如来像】


餘慶寺の薬師如来像は、吉備地方を代表する見事な平安古仏です。

春秋の一定期間しか公開されないのですが、特別にお願いして拝観させていただきました。
立派な堂塔伽藍の大きなお寺で、薬師像は、薬師堂の後ろに接続された収蔵庫に祀られています。

像高1.8メートル、堂々たる一木彫の薬師坐像です
一見して圧倒されるような、重量感、重厚感を感じます。

上下の目蓋をうねらせ、ぎゅっと引き締まった口元で、森厳な顔貌です。
迫力もボリューム感も十分で、平安前期像の雰囲気を漂わせています。

この薬師像を、かつて岡山県立博物館に出展されたときに観たときに、大変驚いたことがあります、
お堂での拝観は収蔵庫の入口、真正面からしか拝することが出来ないのですが、博物館での展示では、横に回って、側面から観ることが出来たのです。
これだけの堂々たる重厚感の像ですので、面奥、体奥が深いというか、すごく分厚いボリュームがあるのだろうと思ったら、意外や意外、存外薄めというか、厚みがないのです。
そんな目で観ると、衣文の彫りも、平面的な感じがします。

正面から見たボリューム感、迫力と、側面から見た感じがミスマッチなのです。

私は、この薬師像を彫った仏師は、
「画像を観て、それを手本にして彫ったのではないだろうか?」
などと、想像してしまいました。

「備前上寺山~歴史と文化財」図録(2006刊)の解説にも、

「雄渾で力強い立体表現を基本としながら、平面的な装飾性への志向がうかがわれる本像の作風は、醍醐寺薬師堂旧在の薬師三尊像(913年)や、法隆寺上堂の釈迦三尊像(923〜931年頃)など、十世紀前半の彫刻に共通するものといえ、そこに時代的な特徴をみてとることができる。」(松田誠一郎氏執筆)

と書かれていましたが、餘慶寺・薬師如来像の側面のミスマッチ感は、この解説以上の驚きでした。

いずれにせよ、この薬師像は、吉備地方を代表する、見事な堂々たる優作です。
十年余ぶりの嬉しい再会でした。



【発散する“気”を感じる安住院・聖観音像~9世紀の鉈彫りか?】


もう一つ、岡山市内の安住院を訪ねて、伝聖観音像を拝しました。

安住院・十一面観音は、20年ほど前、浅井和春氏により新たに紹介され、注目を浴びた仏像です。
(「岡山・安住院蔵の伝聖観音菩薩立像に関する一考察」(浅井和春)仏教芸術240号1998.09)
9世紀前半に遡る平安前期彫像とみられ、しかも鉈彫り像のようなノミ目を残した一木彫像なのです。

はじめて拝したのは、もう10年以上前になりますが、発散する強い“気”のようなものに、息を飲んだ記憶があります。
像高1メートルほど、蓮肉まで一木の内刳りのない一木彫像です。
整ったとか美しいとかいう形容とは縁遠く、むしろ土俗的な畏怖感、霊気のようなものを感じさせます。
すごいインパクトです。

もう一つ、きわめて興味深いのは、体躯の各所にノミ痕がたくさん残されていることです。
顔面、胸、足先などには、くっきり鮮明にノミ目が刻まれています。
いわゆる「鉈彫り像」と云ってもおかしくありません。

東国特有の像といわれた鉈彫り像も、近年は、畿内以西でも鉈目のある仏像が見出されているようですが、安住院の伝聖観音像が9世紀前半に遡る像だとすれば、極めて初期の鉈彫り像(鉈目を有する像)で、なおかつ西国、吉備に残る作例ということになります。
極めて重要な位置付けの仏像と云うことになるのだろうと思います。

再会した聖観音像は、やはり強い“気”を発散させていました。
抉るような衣文の彫り口にも、籠められた気迫が宿っているような気がしました。
アクの強い像なのですが、強く惹きつけられ、心に刻みつけられる古仏です。


大賀島寺・秘仏十一面観音ご開帳、余慶寺・薬師如来像、安住院・伝聖観音像と、大変充実したこの日の岡山観仏となりました。


観仏の後は、岡山駅そばのイタリアンバル「POLPO II」で、同好の方々とこぢんまりと飲りました。
軽くのつもりが、素晴らしき観仏の余韻もあって、ワインを飲みすぎてしまいました。



【新発見の木心乾漆像を観に奈良博へ~愛媛 如法寺・毘沙門天像】


岡山観仏の翌日は、奈良へ寄りました。

奈良国立博物館「なら仏像館」に展示されている、如法寺・毘沙門天像を観るためです。

今年(2018)、新発見となった、奈良時代・8世紀の木心乾漆像です。
奈良時代の木心乾漆像は全国で30件ほどしかなく、そのほとんどが、東寺の都、奈良県内に遺されています。
それが、愛媛県大洲市にある如法寺というお寺で見つかったのです。
ビックリの大発見でした。

この毘沙門天像の発見については、観仏日々帖 「奈良時代の乾漆造・毘沙門天像が新発見(愛媛大洲市・如法寺)」 で、ご紹介した通りです。
夏頃から奈良博に展示されているということで、早く観に行かなければ、と思っていたのですが、11月になって、やっと出かけることが出来ました。

目指す「毘沙門天像」は、なら仏像館・第4室に、ひっそりと展示されていました。

像高28センチという小さな像ですが、なかなかの出来の良さにビックリしました。
太造りで、短躯肥満というか、ズングリムックリで逞しいという造形ですが、小像とは思えない躍動感を感じます。
なかなか魅力的な像です。
8世紀の第三四半期頃の制作かとみられているようですが、単に、木心乾漆技法の像が見つかったというのではなくて、良質な奈良時代後期の乾漆作品の新発見だと納得しました。

本像の新発見が、プレス発表されたのは10月だったのですが、その後、MUSEUM676号(2018.10)に、 資料紹介「愛媛・如法寺 木心乾漆毘沙門天立像」(執筆:岩田茂樹氏) という解説論考が掲載されました。
X線、CTスキャン画像なども掲載され、詳しい調査結果や研究分析などが述べられています。
しっかりと奈良時代の木心乾漆作例として認められたということなのかと思うのですが、近いうちに、重要文化財に新指定されることになるのでしょうか?


奈良博に行ったついでに、落慶なった興福寺・中金堂にも寄ってきました。

こちらは大変な賑わいで、行列にしばらく並んで、やっと堂内に入ることが出来ました。
堂内には、南円堂から移された、北円堂原所在、運慶作とされる四天王像などが安置されていました。


この日の午後は、久々に「天平会」に参加。
京都山科・安祥寺と大津歴博「神仏のかたち展」を訪れました。



【奈良時代に遡る天平風の大型一木彫像と再会~安祥寺・十一面観音像】


安祥寺では、十一面観音像に再会しました。

2年半前、この観音像を初めて拝して、堂々たる美しいプロポーションに見惚れてしまった記憶が鮮明に蘇ってきました。

近年、「奈良時代に遡る大型一木彫像」として、注目を浴びている仏像です。
伸びやかで均整のとれた腰高プロポーションには、目を奪われます。
胸の張り、ウエストのくびれ、腰回りのふくらみなどは、天平彫刻の造形感覚を思わせるものを強く感じます。

この安祥寺の十一面観音像については、以前、観仏日々帖 「山科区御陵平林町・安祥寺の十一面観音像~京のかくれ仏探訪⑧」 で紹介させていただきましたので、ご覧いただければと思います。

所謂平安初期の迫力、ボリュームある一木彫像とは感覚の違った、
「奈良時代に遡る、天平風の一木彫像の世界」
に思いを馳せることが出来ました。



【充実の仏像展~大津歴博「神仏のかたち」展】


安祥寺の後は、三井寺近くの大津市歴史博物館に移動して、「神仏のかたち~湖都大津の仏像と神像」展を鑑賞しました。

博物館学芸員の寺島典人氏の展覧会解説ご講演を聴かせていただいたあと、ゆっくりと展示仏像を鑑賞しました。
湖都大津十社寺・湖信会設立60周年記念の展覧会ということで、湖信会10社寺の仏像を中心として、50躯近くの仏像が出展されていて、充実した仏像展でした。

私にとっては、半分以上が初見の仏像で、興味深く観ることが出来ました。
目に付いた仏像を、ひとつふたつだけ。

円福院の釈迦如来像が、特別展示されていました。
この展覧会で、一番惹き付けられた仏像です。

鎌倉時代の仏像ですが、肉身の造形に張りと弾力感があり、一際精彩を放っているように感じました。
像内に、建久7年(1197)安阿弥陀仏(快慶)によって造立されたという墨書があるそうですが、後世の筆で、快慶の真作とは考えない見方が主流だそうです。
快慶作かどうかとは関係なく、造形レベルの高い秀作だと感じました。
この円福院・釈迦像、手控えをみると、10年前、2008年開催の「石山寺と湖南の仏像」展で観ているはずなのですが、全く覚えていませんでした。
人の眼というものは、折々に、何に反応し、惹きつけられるのか、判らないものだと思った次第です。


西教寺の薬師如来像。

斜めの方から観ると、
「胸から上の肉身の造形、頬の張りなどが、願成就院の阿弥陀如来像の雰囲気と似たものがある。」
そんな感じがするのに気づきました。

展覧会図録解説をみてみると、
「顔は丸く張りがあり、体躯も肉付きがよくはつらつとしています。
これは鎌倉時代初期に運慶工房が造立した諸像にみられる作風です。」
と書かれていました。

なるほど!と納得です。


満月寺の聖観音像は、一度、拝したいと思っていたのですが、やっとその姿を観ることが出来ました。
堅田の浮御堂、満月寺には2度ほど訪れたことがあるのですが、聖観音像は秘仏で、拝することが出来なかったものです。



【わかりやすさで嬉しい「画像吹き出し解説」の展覧会図録】


今回の「神仏のかたち~湖都大津の仏像と神像」展で、一番うれしかったことは、展覧会図録です。

展覧会図録の解説が、 「画像吹き出し解説スタイル」 になっていたのです。
「画像吹き出し解説」という呼称は、私が勝手につけた名前なのですが、仏像写真のそれぞれのパーツに、線引きで吹き出しがあり、コンパクト解説が付されているスタイルのことです。
私は、かねてから、こんなスタイルの仏像解説本や図録の出現を心待ちにしていたのです。

今回の展覧会図録は、ご覧のような解説レイアウト、スタイルになっていたのです。


専門家ではない一般の仏像愛好者が、それぞれの仏像の特色、着目ポイントを、一目瞭然で即座に理解するには、これほどに判りやすいスタイルは無いと思うのです。
かつて観仏日々帖、
「嬉しい、一目瞭然の「図版吹出し解説」 芸術新潮・運慶特集(2017/10月号)」
で、
「画像吹き出し解説スタイル」が(私の記憶では)初めて採用されているのをみて、
「わが意を得たり!」
と思った話を綴りましたが、

今回の展覧会図録の「図版吹出し解説」は、押さえどころのポイントをついた、判りやすい解説になっていて、嬉しくなってしまいました。

こんな解説図録がもっと増えてくれたらと思った次第です。



【12月】



寒くなってきて、近場対応でゴロゴロしていたのですが、あまり出不精になって身体が鈍ってしまってはいけないと思い、急に思い立って、天平会月例会に参加することにして、京都に一泊二日で出かけました。



【2017年新指定重文となった来迎阿弥陀三尊を拝しに、京都・蘆山寺へ】


上京区北之辺町にある蘆山寺を訪れました。

紫式部が源氏物語を執筆したと伝えられる邸宅址に建つお寺として知られ、境内には、源氏庭と名付けられた庭や、紫式部の歌碑があります。

蘆山寺の本尊・阿弥陀三尊像は、2017年に重要文化財に指定されたのですが、未だに拝したことがなかったので、拝観に出かけてみたのです。
脇侍が跪坐の来迎の阿弥陀三尊像で、鎌倉初期の作とされています。

阿弥陀三尊像は本堂に安置されていましたが、外陣からの拝観で、やや距離があって堂内が薄暗いために、その姿をくっきりと拝することは出来ませんでした。
双眼鏡で目を凝らしましたが、藤末鎌初の風をたたえる、穏やかな阿弥陀来迎像でした。


この日の夜は、行きつけの木屋町御池のレストラン「おがわ」。
一人ご飯&ワインではありましたが、いつもながらの美味に、満足至極。



翌日は、天平会月例会へ参加。
探訪先は、洛西の地福寺と福田寺。

共に、10年余前に訪れたことがあり、どうしようかと思ったのですが、思い切って参加することにしたのでした。
地福寺本尊の阿弥陀如来像、福田寺の釈迦如来像、地蔵菩薩像、ともに大変マイナーな知られざる古仏と云って良いかもしれません。



【8世紀に遡る霊木化現仏?~地福寺・阿弥陀如来像】


地福寺は、西京区大枝中山町にある浄土宗のお寺です。

本尊・阿弥陀如来像は、井上正氏が日本美術工芸誌連載「古仏巡歴」で採り上げ、行基菩薩御作の伝承に注目し、8~9世紀制作の霊木化現仏の一例としている古仏です。

阿弥陀像は本堂の立派な祭壇に祀られていました。

全体として力感を感じる造形ですが、とりわけ目を惹くのは、頭部と面相です。
いわゆる阿弥陀の慈悲相というのとは違って、顔の真ん中、中心一点にパワーが凝縮するような意志力を秘めたような面貌なのです。
刻み付けの螺髪、反り返る大きな耳とともに、偉丈夫の相を感じさせます。

井上正氏は、刻み付け螺髪が後頭部で消えていること、背面の造形が省略され上腕背部にノミ跡がのこされていることなどから、霊木化現の造形としてとらえ、また迫力ある造形などから8世紀に遡る制作の可能性に言及しました。
井上氏の見方の最大の問題点は、通肩で定印を結んでいることで、両界曼荼羅に由来する通肩、定印の阿弥陀像が作られる時期としては、早すぎることとされています。
京都市指定文化財としての解説は、9~10世紀ごろの制作とされています。

私には、制作年代の難しいことはよくわかりませんが、10世紀ぐらいの制作だとしても、おかしくないのではないかという気がしました。

いずれにせよ、ちょっと不思議なパワーのある、気になる阿弥陀像でした。



【不可思議な違和感、存在感が気になる古仏~福田寺・釈迦如来像】


もう一つ、南区久世殿城町にある福田寺を訪ねました。
JR向日町駅から歩いて10分ほど、住宅と小さな工場が混在したような町のなかにあります。

福田寺の古仏については、観仏日々帖 「南区久世殿城町・福田寺の地蔵菩薩像、釈迦如来像~京のかくれ仏探訪⑦」 でご紹介させていただきましたので、そちらをご覧いただければと思います。

ここでは、いろいろ言及するのは止めておきますが、今回探訪の主眼は、本堂に祀られる釈迦如来像、地蔵菩薩像です。
地蔵菩薩像の方は、平安期の制作の古様な技法の一木彫像のようなのですが、最も興味深いのは、釈迦如来像の方です。

「何とも不可思議な違和感」

を感じさせる像なのです。

釈迦如来像は、蓮肉まで一木という古様な技法ながらも、粗略という言葉がマッチする一木彫像です。
仏像の姿を用材から彫り出したというよりは、四角い用材を仏像の形に彫り整えた風で、ぶつけるように切り付けたような衣文の線が刻まれています。
とても京洛のプロの手練れた仏師の手になる像とは思えません。
一方で、彫る者の、魂をぶつけるような気迫、気合を感ぜずにはいられません。

この釈迦像、ひょっとしたら、損傷した平安初期頃の一木彫像に倣って、後世に、強い信仰心と気迫を込め模されて彫られた像なのかもしれないという想像もしてしまいました。

いずれにせよ、大変興味深く不可思議な釈迦如来像です。


観仏後は、天平会恒例の忘年飲み会に参加。
気持ちよく酔っぱらって、遅い新幹線に乗って、我が家へと向かいました。



年越しも随分すぎて、やっとこさ、2018年の観仏のご紹介を終えることが出来ました。
ダラダラと綴った自己満足的な観仏記に、辛抱してお付き合いいただき、有難うございました。


今年も、ブログ「観仏日々帖」、改称させていただいたHP「日々是古仏愛好」に、気ままな仏像記事を書き連ねていきたいと思っております。

よろしくお付き合いいただけますよう、お願いいたします。


古仏探訪~2018年・今年の観仏を振り返って 〈その3〉 10月  【2019.1.12】


「今年の観仏を振り返って」も、年を越してしまいました。

〈その3〉では、10月、一か月の観仏探訪を振り返りたいと思います。


【10月】



【粒ぞろいの佳品が集められた仏像展
~三井記念美術館「仏像の姿~微笑む・飾る・踊る」展】

三井記念美術館で開催された「仏像の姿~微笑む・飾る・踊る」展に行ってきました。

三井記念美術館「仏像の姿~微笑む・飾る・踊る」展ポスター

この仏像展、超目玉の国宝仏像が出展されるというような大型の展覧会ではなかったのですが、見どころの多い心に残る展覧会でした。

「仏師がアーティストになる瞬間」というサブタイトルが付いていて、仏像の「顔」、「装飾」、「動きとポーズ」の三点に注目して仏像を観ていこうとという企画展です。
展示仏像のキャプションにも、注目すべき動作や、装飾などの「一言タイトル」がつけられていて、いつもと違う眼で愉しく鑑賞出来ました。

それにも増して興味深かったのは、展示仏像のラインアップです。

普段はなかなか展示されることのないような、個人蔵の仏像や、あまり知られていない仏像が数多く展示されていました。
全部で、42件の出展でしたが、重要文化財が16件、県市指定文化財が3件で、残り24件は無指定です。

展示されていた仏像は、無指定のものでも出来の良い見どころあるものばかりで、

「大変クォリティの高い、粒ぞろいの仏像が集められた展覧会」

と云って良いものでした。

久々に、充実した質の高い仏像展覧会を見ることが出来たという満足感がありました。


〈とりわけ注目の、臨川寺・菩薩像、奈良博・伽藍神像などなど〉


個別の展示仏像にふれているとキリがありませんので、私にとって、とりわけ注目であったものを一つ二つだけピックアップしてみたいと思います。

岐阜県・臨川寺の菩薩像(2躯)は、一度見て観たいと思っていたのですが、やっと実見することが出来ました。

臨川寺・菩薩像(重文・平安前期)臨川寺・菩薩像(重文・平安前期)
臨川寺・菩薩像(重文・平安前期)

9世紀中ごろ、平安前期の制作に遡る像で、大阪四天王寺・阿弥陀三尊と共に、浄土群像の平安初期に遡る遺品として貴重なものとされています。
2010年に、国の重要文化財に指定されました。
重厚感のなかにも、ふっくらとした肉付きの、魅力ある像でした。


奈良博蔵の伽藍神像の、手を大きく振って疾駆する躍動的な姿勢の造形の見事さに、目を奪われました。

奈良博・伽藍神像
奈良博・伽藍神像(鎌倉)

鎌倉時代後期の制作なのですが、軽快かつダイナミックな造形の巧さに感嘆しました。
この像は、奈良博で何度も観ているはずなのですが、小さな像で、あまり気にしたことは無かったのです。


昨年秋に細見美術館の「末法~失われた夢石庵コレクションを求めて~」展で観て、お気に入りになった、個人蔵・弥勒菩薩像(興福寺子院伝来・井上馨旧蔵)、個人蔵・天部像(香川 道隆寺伝来・旧パワーズコレクション)にも、再開することが出来ました。

個人蔵・・弥勒菩薩像(興福寺子院伝来・井上馨旧蔵)個人蔵・天部像(香川 道隆寺伝来・旧パワーズコレクション)
(左)個人蔵・・弥勒菩薩像(興福寺子院伝来・井上馨旧蔵)
(右)個人蔵・天部像(香川 道隆寺伝来・旧パワーズコレクション)"



〈興味深かった模刻作品と研究成果の展示〉


これらの仏像展示のほかに、東京藝大文化財保存学(彫刻)の方々が制作した、模刻作品・修復作品が、1室を使って展示されていました。
宝菩提院・菩薩像、唐招提寺講堂・薬師像、雪蹊寺・毘沙門天像などの迫真の模刻がいくつも展示され、制作過程での研究成果の要旨も掲出されていました。

宝菩提院・菩薩像~模刻雪蹊寺・毘沙門天像~模刻
(左)宝菩提院・菩薩像、(右)雪蹊寺・毘沙門天像~共に模刻


また、模刻制作にあたった研究者の方の連続講座も開催されました。
次の講座に出かけてみましたが、制作プランや技法についての知見や発見の解説など、普段はなかなか聴けない話が多々あり、興味深いものでした。

「仏像の姿」展~関連講座



【一泊二日で、和歌山観仏旅行へ~有田川、海南市方面】


和歌山方面に、同好の方々と、1泊2日の地方仏探訪旅行に出かけました。

春の三重観仏に続いての、今年2度目の地方仏観仏旅行です。
和歌山方面は、15年近く前に、主だったところを随分巡ったことがあり、今回は、その時訪ねることが出来なかった、古仏探訪が中心となりました。

ご覧のような古仏を巡りました。

和歌山観仏旅行・探訪先


〈惹き込まれるオーラ、スケールの大きさを感じる小像~法音寺・伝釈迦如来像〉


有田川中流域にある法音寺を訪ねました。
茅葺屋根の美しい小堂(重文・室町)が目に入ってきます。

茅葺屋根が趣ある法音寺・本堂
茅葺屋根が趣ある法音寺・本堂

こちらは、二度目の訪問です。
注目仏像は、平安前~中期の制作とみられる、伝釈迦如来像(県指定)と十一面観音像(重文)です。
なかでも、強く心惹かれるのは、伝釈迦如来像です。
一見、ずんぐりした木魁のように感じますが、よく観ると、その堂々たる造形に見惚れてしまいます。

法音寺・伝釈迦如来像(県文・平安前中期)
法音寺・伝釈迦如来像(県文・平安前中期)

肩の張り、胸の厚み、膝の張りには並々ならぬものがあり、尋常ではないボリューム感に圧倒されるものがあります。
たった67㎝の小像ですが、スケールの大きさを感じるのです。
ちょっとインド風とでもいえるような神秘的で不気味な表情、見据えるような細い眼には、惹き込まれるものがあります。

法音寺・伝釈迦如来像(県文・平安前中期)
法音寺・伝釈迦如来像(県文・平安前中期)

私の心に残る、お気に入りの仏像です。

この伝釈迦如来像の存在を知ったのは、井上正氏が「古仏への視点」と題する日本美術工芸連載シリーズに採り上げられていたからでした。(日本美術工芸653号・1993.02)
井上氏は、行基ゆかりの霊木化現仏の一例として、8世紀ごろの制作の可能性に言及して言います。

それはそれとして、なかなかのオーラを発する注目像です。


〈有田川町の平安古仏を訪ねる~吉祥寺、歓喜寺の諸仏〉


そのあと、吉祥寺、歓喜寺と回りました。

吉祥寺には、平安後期の薬師如来像をはじめとして、沢山の仏像が遺されています。
重文が7体、県指定1体、町指定1体などです。
これらの仏像の多くは、廃寺となった近くの岩倉神社の別当寺・東福寺の仏像であったそうです。
収蔵庫に安置された仏像は、ちょっと地方色を感じるものの、いかにも藤原時代という穏やかで気品のある仏像ぞろいでした。

吉祥寺・収蔵庫

吉祥寺収蔵庫内に安置された諸仏
吉祥寺・収蔵庫と庫内に安置された諸仏

吉祥寺・薬師如来像(重文・平安後期)
吉祥寺・薬師如来像(重文・平安後期)

歓喜寺(かんぎじ)には、膝前まで一木の平安前中期の地蔵菩薩像が祀られています。
10世紀の制作とみられるようです。
意志的な強い表情の顔貌が印象的です。
衣文の彫りもダイナミックな感じで、パワフルな魅力を感じました。

歓喜寺歓喜寺・地蔵菩薩像(重文・平安前中期)~お寺パンフレット掲載写真
歓喜寺・地蔵菩薩像(重文・平安前中期)~お寺パンフレット掲載写真


〈奈良時代作の可能性が云われる厳重秘仏~満福寺の十一面観音像〉


この日の最後は、今回の和歌山観仏探訪の一番の目的であった、満福寺です。

満福寺・本堂
満福寺・本堂

満福寺には、奈良時代の制作に遡る可能性があるといわれる十一面観音像が祀られているのです。
満福寺は、海草郡紀美野町神野市場という処にあります。
紀ノ川の支流の貴志川流域にあり、高野山への街道となっていたようです。

この十一面観音像も、井上正氏が「古仏への視点」(日本美術工芸656号・1993.05)で、奇相の観音像として、採り上げていることで知った仏像です。
永らく一度は拝したいと念じていたのですが、厳重な秘仏として祀られているということで、その機会がありませんでした。
その観音像を、お寺様の特別なご配意で、今般に限って開扉いただけるということになり、和歌山迄駆け付けたという訳です。


開扉されたお厨子のなかの十一面観音像は、不思議なオーラを発する仏像でした。
一木彫像ですが、厳しい迫力とか、鋭さというものではなくて、むしろ温和な風を感じさせます。
しかし、そこから発する雰囲気には、得も言われぬ霊気というか古様の風を漂わせているのです。
これまで味わったことのない不思議な感覚に浸ってしまいました。
うまく表現できないのですが、なにか、ただものではない存在感に心揺さぶられるものを感じました。

深く心に残る古像を、拝することが出来ました。

厳重秘仏を開扉いただいたご住職のご配意に、心より感謝しつつ、満福寺を後にしました。

満福寺の十一面観音像の制作年代や位置づけについては、無指定の仏像だけに、論じられたものは多くないのですが、長野県松代清水寺の観音像との作風の類似が指摘され、制作は10世紀(紀ノ川流域の仏像展図録解説)、平安前期~中期(紀伊路の仏像~至文堂刊日本の美術225号)と云われていたようです。

満福寺・十一面観音像(奈良~平安)~「中世の村をあるく~紀美野町の歴史と文化」展図録掲載写真
満福寺・十一面観音像
(奈良~平安)
中世の村をあるく展図録掲載写真
こうした中、満福寺ご住職にご教示いただいたのですが、和歌山県博の大河内智之氏は、本像の調査結果を踏まえ、奈良時代彫刻である可能性に言及されています。

2011年和歌山県博開催の「中世の村をあるく~紀美野町の歴史と文化展」図録解説に、「満福寺十一面観音像~奈良時代彫刻の可能性」と題する一項を設け、

「本像のような個性的な木彫像の造像年代については比較作例が少ないことから判断が難しいが、ここまでの検討により奈良時代、八世紀後半から、降っても九世紀初め、平安時代初期には造像された可能性を提示したい。」

と述べられています。
井上正氏に続いて、本観音像が奈良時代に遡る可能性にふれられたものです。

難しいことは私にはわかりませんが、満福寺・十一面観音像は、それだけ従来の年代観だけでは捉え切れない、不思議な古風を持つ、実に興味深い古像だということなのだと思いました。



初日の観仏を終えて、夜は、和歌山駅前の居酒屋「多田屋」で、愉しく飲りました。
和歌山の有名店で、多田酒店直営の居酒屋で、大賑わいです。
何といっても、気さくで、こんな値段でOK?というほどに「安い!」

和歌山傍~居酒屋「多田屋」
和歌山駅傍~居酒屋「多田屋」"



〈ずっしりとした重みの、頼もしい地方仏~東光寺・薬師如来像〉


二日目のスタートは、海南市下津町の東光寺です。

東光寺・本堂
東光寺・本堂

東光寺の薬師如来像も、井上正氏が「古仏への視点」(日本美術工芸652号・1993.01)に採り上げている仏像です。

井上氏は、
「天平時代の前半期あたりに位置させておきたいと思う。」
と述べているのです。

薬師如来像は、客仏として本堂の脇壇に祀られていました。

東光寺本堂脇壇に祀られる薬師如来像他の諸仏
東光寺本堂脇壇に祀られる薬師如来像他の諸仏

木塊的なボリューム感を強く感じる一木彫像です。
ブロック的な重量感と云ってもよいのかもしれません。

東光寺・薬師如来像(県文・平安)東光寺・薬師如来像(県文・平安)
東光寺・薬師如来像(県文・平安)

後世の修理、補修箇所が相応にあるようですが、「素朴、古拙な造形」という風があてはまる仏像です。
「いかにも地方仏」という言葉で片付けられてしまいそうですが、シンプルな魁量感に、しっかりとした存在感を感じる頼もしさのある仏像です。
一般の解説書には、平安後期の地方仏とされているようですが、その発散する魅力には、捨てがたいものを感じます。
いずれにせよ、一木彫の重みをずっしり感じさせる、頼もしい地方仏でした。

薬師像の脇の日光、月光菩薩として祀られる天部形像も、たいへん古様で、迫力ある造形に惹きつけられるものがありました。

東光寺・天部形像(県文・平安)東光寺・天部形像(県文・平安)
東光寺・薬師像の両脇侍~天部形像(県文・平安)


〈未見はあと3件のみとなった、井上正氏採り上げ「古密教彫像」〉


今回の和歌山観仏旅行で、井上正氏が「古密教彫像」として採り上げた仏像を、3つ拝することが出来ました。
法音寺・伝釈迦如来像は二度目の拝観ですが、満福寺・十一面観音像、東光寺・薬師如来像は、今回、初めて拝することが出来たものです。

私は、長らく
「井上正一氏が、自著作で採り上げている“古密教彫像”といわれる古仏」
を、訪ねて回っています。

井上氏は、
「古仏~彫像のイコノロジー」「古密教彫像巡歴」「古仏への視点」
の3つのシリーズに、全部で96件の仏像を採り上げています。

今回、2件の新たな拝観を果たすことが出来て、未だ拝していない仏像は、あと3件となりました。

残す未見は、
福井 二上観音堂・十一面観音像、愛知 高田寺・薬師如来像、新潟 宝伝寺・十一面観音像
です。

あともう一息。
何とか元気なうちに、全てを拝して完全制覇したいものと念じています。


〈見事な出来の地蔵菩薩石仏像に見惚れる~地蔵峰寺〉


地蔵峰寺の地蔵菩薩像は、見惚れるばかりの見事な出来栄えの立派な石仏でした。

地蔵峰寺は峠の地蔵と呼ばれ、海南市より藤白峠を越える熊野古道沿いにあります。
藤代王子より熊野古道を登った峠のお寺です。
ちょっと怖いような急な上り坂の細道を、喘ぎあえぎ車のエンジンをふかしていくと、峠に小さな集落があり、そこに地蔵峰寺がありました。

地蔵峰寺・本堂
地蔵峰寺・本堂

真四角の本堂のなかに祀られた地蔵像を目にして、あまりの見事さに驚いてしまいました。
総高3m余、像高1.5mという、大きな石仏です。

地蔵峰寺・地蔵菩薩像(重文・鎌倉)地蔵峰寺・地蔵菩薩像(重文・鎌倉)

地蔵峰寺・地蔵菩薩像(重文・鎌倉)
地蔵峰寺・地蔵菩薩像(重文・鎌倉)

砂岩に彫られているとのことですが、見事で鮮やかな彫技といったらよいのか、素晴らしい出来栄えの丸彫り石仏像です。
背後に銘記があり、鎌倉時代末期の1323年に、勧進僧心静(しんじょう)が、伊派の石大工である行経につくらせたとわかります。

地蔵峰寺・地蔵菩薩像光背裏面に刻された銘文
地蔵峰寺・地蔵菩薩像光背裏面に刻された銘記

これだけ見事な石仏像を観るのは初めてと云ってもよいほどです。
鎌倉時代の石仏というのは、あまり関心のない領域で、よくわからないのですが、素晴らしき彫技の冴えに見とれて、惚れ惚れとしてしまいました。


〈平安前期の余風たたえる野趣ある古仏~正覚寺・十一面観音像〉


最後に訪れた正覚寺の十一面観音像も、地方的な野趣のある古様な平安仏でした。

クスノキの芯持ち材から彫出した一木彫像だそうです。
10~11世紀の制作とみられているようですが、平安前期一木彫像の余風をたたえた古像でした。

正覚寺・十一面観音像(町指定・平安中期)
正覚寺・十一面観音像(町指定・平安中期)


【今年スタートした琵琶湖疏水船に乗船~もう一度乗りたい最高のクルーズ】


和歌山観仏旅行を終えて、もう一泊、京都で泊まりました。

今年(2018年)から、新たにスタートした「琵琶湖疏水船」に乗るためです。

琵琶湖疏水というのは琵琶湖の水を京都に引くための大事業として、明治時代前半期に完成した人工水路です。
琵琶湖の三井寺入口から山科を経て、京都蹴上のインクラインの処に至ります。
蹴上からは、ミステリーサスペンス番組でおなじみの南禅寺傍・水路閣を経て、銀閣寺に向かう哲学の道沿いの疎水に連なっているのは、ご存じのとおりです。

南禅寺傍の琵琶湖疏水・水路閣
南禅寺傍の琵琶湖疏水・水路閣

琵琶湖疏水船と琵琶湖疏水の歴史などについては、「琵琶湖疏水船HP」をご覧ください。

この琵琶湖疏水に観光船が運航することになったのです。
これは、何としても乗ってみたいと、乗船予約を取ったのでした。
秋は、10~11月、2ヶ月限定の運行で、予約開始日当日中にほぼ全部の便が完売してしまいました。
やっとのことで、この日の予約をゲットしたのでした。

妻と二人で、三井寺入口から蹴上迄、ほぼ1時間の舟旅を愉しみました。
12名で満席という小さな疎水船で往くのですが、緑に包まれた水面を、ゆっくり進むクルーズは、最高でした。

琵琶湖疏水船

琵琶湖疏水・三井寺側入口

琵琶湖疏水・山科近辺
琵琶湖疏水船と運行風景

素晴らしい景観を愉しみ乍ら、明治の昔に、この疏水建設の大事業を成し遂げた、京都府知事・北垣国道と主任技師・田邉朔郎に思いを致しました。
「来年春は、逆コースで疏水船にもう一度乗ってみたい。」
との思いを強くしたのでした。


お昼は、最近人気といわれる、フレンチの「シュテファン・パンテル」
京都御所の南、丸太町通そばの京町屋風のレストランです。

シュテファン・パンテル

シュテファン・パンテル
シュテファン・パンテル

オーナーシェフのシュテファン・パンテルさんの料理の説明を聞きながらのランチでした。
結構、手間のかかった料理の品々で、ゆっくり愉しませてもらいました。



〈その3〉はここまでということで、11~12月は〈その4〉で振り返りたいと思います。


あれこれ~「神奈川仏教文化研究所 」HPは、「日々是古仏愛好」と改称させていただきました。 【2019.1.1】


あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。


ブログ観仏日々帖リンクのHP 「神奈川仏教文化研究所」 は、この度、HP名を 「日々是古仏愛好」 に改称させていただきました。



HPの掲載記事等のコンテンツは、従来と一切変わりはありません。

URL (http://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/) も、これまでのとおりとさせていただきます。



「神奈川仏教文化研究所 HP」は、現在、個人の仏像愛好のHPとして運営させていただいておりますが、HP創設以来の経緯もあり、一見、研究機関のような名前が冠され、今に至っています。

個人の仏像愛好の趣味のHPに過ぎないサイトとしては、ちょっと不似合いな名称となっていたもので、いずれかのタイミングで実態にマッチした名称に変更する必要があると思っておりました。

長らく「神奈川仏教文化研究所」の名称で、皆様に親しんでいただいていたHP名称を変えることについては、ためらいも相当にあったのですが、

今般、新年を迎えるのを機に、思い切って「日々是古仏愛好」という名称に変更させていただくことといたしました。


HP開設から、今般の改称に至るまでの話などにつきましては、

 「日々是古仏愛好」HP   ホームぺージ名称の改称のお知らせ

に、記させていただきましたので、ご覧いただければと思います。


新HP 「日々是古仏愛好」ですが、「仏像愛好のHP」らしい名称になったのではないかと思っております。


これからも、お役に立ちそうな仏像関連情報や、仏像関連テーマの話の掲載に努めてまいりますので、ブログ「観仏日々帖」共々、何卒、よろしくお願いいたします。


古仏探訪~2018年・今年の観仏を振り返って 〈その2〉 6~9月  【2018.12.29】


〈その2〉 では、6月から9月までまでの、観仏のご紹介です。

【6月】



【木津川、笠置方面の初探訪のお寺、3か所へ】


奈良市内で同窓会に出かけたついでに、笠置方面に出かけてみました。
高田寺、法明寺、笠置寺を訪れました。

いずれも、一度は訪ねてみなければと思っていたのですが、ちょっと不便なところにあるので、機会がなかったのです。
レンタカーを借りて、一人で出かけました。

木津・笠置方面観仏探訪先


〈院政期の薄幸歌人・藤原実方朝臣を偲ぶ、穏やかな藤原仏~高田寺・薬師如来像〉


まずは、木津川市加茂町にある高田寺です。

高田寺・本堂
高田寺・本堂

高田寺には、平安後期、保安年間(1120~24)の造立であることが知られる薬師如来像があります。
こじんまりした堂でしたが、そこに二体の坐像が、並んで安置されていました。

高田寺本堂に祀られる薬師如来、阿弥陀如来像
高田寺本堂に祀られる薬師如来、阿弥陀如来像

ご本尊の薬師如来像は、昭和48年(1973)の修理の時に、台座敷茄子の受座裏面から、「保安」云々の墨書などとともに、薄幸の晩年を送った歌人、藤原実方朝臣の和歌の散らし書きが発見されたことで知られています。

高田寺・薬師如来像
高田寺・薬師如来像

拾遺和歌集に載せられる
「五月やみくらはし山のほととぎすおぼつかなくもなきわたるかな」
という和歌です。

仏像の台座の見えないところに、薄幸歌人を偲ぶような和歌などが記されるというのは、いかにも院政期の古典趣味を思わせます。
仏像のお姿も、いかにも院政期を思わせる定朝様の穏やかな藤原仏でした。

隣には、鎌倉前期くらいかなと思われる阿弥陀如来像が祀られていました。

ひっそりとしたお堂の中で、温和な薬師、阿弥陀の坐像を拝していると、何やら落ち着いた気持ちになりました。


〈なら仏像館でお馴染の「法明寺の仏像」が祀られていた薬師堂へ~茅葺の趣あるお堂〉


この後は、笠置町上有市にある法明寺へ寄ってみました。

法明寺の仏像は、奈良国立博物館に寄託されています。
なら仏像館へ行くと、法明寺の釈迦如来像、吉祥天像がいつも展示されていますので、覚えていらっしゃる方も多いのではないかと思います。
平安時代の中期ぐらいの一木彫像です。
結構アクが強くて独特の迫力があり、惹き付けるものがある仏像です。
折角、笠置まで来たので、この仏像が祀られていた法明寺の薬師堂を見ておこうかと思ったのです。

趣ある茅葺の法明寺・薬師堂
趣ある茅葺の法明寺・薬師堂

なかなか趣のある、茅葺屋根の鄙びたお堂でした。
普段は訪ねる人もないお堂ですが、この茅葺のお堂を維持管理してゆく地元の人たちは、結構大変なのだろうなとの思いを致しました。


〈一度見て観ておきたかった、笠置寺の奈良時代の巨大摩崖弥勒仏「痕跡」〉


さて、次は、笠置山の山上にある笠置寺まで山登りです。
大変に急な曲がりくねった上り坂で、本降りの雨が降る中、車がスリップしそうで怖いぐらいです。
車も、喘ぎあえぎ上り、やっと山上につきました。

笠置寺・山門入口
笠置寺・山門入口

笠置寺は磨崖仏の巨大な弥勒仏を本尊とする寺で、白鳳時代の開創と伝えられています。
平安時代以降、弥勒信仰の聖地として栄えました。
笠置山山中の至るところに花崗岩の巨岩・奇石が露出し、古くから山岳信仰、巨石信仰の霊地であったといわれ、山伏の修行場となっていました。
弥勒摩崖仏は戦火で損傷して、姿が見えなくなってしまっていますが、奈良時代の制作とされているのです。

この奈良時代の弥勒摩崖仏の「痕跡?」を一度この目で確認しておきたかったのです。

こんな雨の中を、わざわざ山の上まで訪ねてくる人は、誰もいませんでした。
拝観受付も閉じられていて、
「今日は悪天候のため、足元にはくれぐれも気を付けて、ご自由にお参りください。」
という張り紙が出されていました。

弥勒摩崖仏は山門からしばらく歩いた、正月堂というお堂の前にありました。

正月堂まえの巨岩に刻された笠置寺・弥勒摩崖仏
正月堂まえの巨岩に刻された笠置寺・弥勒摩崖仏

すごくでかい岩が、眼前に迫ってきて、圧倒されます。
岩の高さ15メートルという花崗岩の巨岩に、10メートル以上の光背が刳られています。

戦火で線刻の痕跡すらなくなった笠置寺・弥勒摩崖仏
戦火で線刻の痕跡すらなくなった笠置寺・弥勒摩崖仏

線刻されていたという弥勒仏像の姿はすっかり無くなってしまっています。
眼を凝らしても、線刻の痕跡すら見えません。
鎌倉幕府打倒を企てた後醍醐天皇が、笠置山に籠って挙兵した元弘の乱(1331)の時、幕府軍の攻撃で笠置山の堂塔はことごとく焼亡します。
この時、弥勒摩崖仏は兵火を浴び、その火熱によって、石の表面が全て剥離してしまったということです。

室生の大野摩崖仏は、この笠置の弥勒摩崖仏の図様を写したものだそうです。

室生・大野摩崖仏
室生・大野摩崖仏

刳られた光背の中の何も見えない岩の表面に、弥勒の立ち姿を心の中に描きながら、大伽藍であった往時や、戦火の炎に弥勒像が包まれた有様に思いを致しました。


〈のびやかな線刻で存在感ある、岩壁に刻された虚空蔵摩崖仏〉


少し離れたところの岩壁には、もう一つの摩崖仏「(伝)虚空蔵摩崖仏」があります。
これまた10メートルほどの岩面に線刻されています。

笠置寺・伝虚空蔵摩崖仏
岩壁に刻される笠置寺・伝虚空蔵摩崖仏

恐ろし気な岩壁に張り付いたような細道から見上げるように眺めるだけで、正面から全体を拝することは出来ません。
こちらの方は、線刻がはっきりと遺っていて、その姿が良くわかります。

笠置寺・伝虚空蔵摩崖仏
笠置寺・伝虚空蔵摩崖仏

制作時期は、奈良時代から平安後期まで、諸説があるようですが、のびやかな線で刻された、堂々たる存在感を感じさせ、なかなか魅力的です。
迫力十分、一度は必見の、立派な摩崖仏像です。

ここから先は、30~40分かけて、巨岩、奇岩が続く「行場めぐり」ということなのだそうです。
本降りの雨の中ではちょっと危なそうな感じです。
「胎内くぐり」と称される岩場の穴のようなところまで行って、引き返しました。

笠置寺~「胎内くぐり」と称される岩場
笠置寺~「胎内くぐり」と称される岩場


【同窓会メンバーで、南山城古寺と松花堂昭乗庭園へ~昼は松花堂弁当】


この日の夜は同窓会で奈良に一泊。

翌日は、皆で、南山城の蟹満寺、観音寺を訪ねました。
観音寺は10年ぶりぐらいでしょうか。
久しぶりに、聖林寺十一面観音像と兄弟仏などといわれる、国宝・木心乾漆観音像をじっくりと眼近に拝することが出来ました。

確かにスタイルはよく似ていますが、

聖林寺像は「凛としたますらおぶり」、観音寺像の方は「和らぎある青年の抒情」

というようなキーワードが、それぞれに似合っているような気がしました。

この後は、「松花堂弁当」の名で知られる、松花堂庭園へ。

松花堂庭園
松花堂庭園

京八幡市にあり、石清水八幡あたりにあった松花堂昭乗(1582~1639)の草庵を移築した立派な庭園、美術館になっていました。

松花堂昭乗の草庵
松花堂昭乗の草庵

昼食はもちろん「松花堂弁当」。
なんと、京都吉兆が出店していました。



【8年ぶりに京博に展示された、安祥寺・五智如来像と再会へ】


同窓会解散後は、京都で一泊。

京都国立博物館によって、久方ぶりに出展された、安祥寺五智如来像を見てきました。
長い間、京博本館の一階の正面に、「仏像展示の顔」のように置かれていましたが、2009年に本館が建て替え工事に入ってからは、その姿を観ることが出来なくなっていました。

京博旧本館に展示されていた頃の安祥寺・五智如来像
京博旧本館に展示されていた頃の安祥寺・五智如来像

2014年の平成知新館竣工後も、国宝になった大阪・金剛寺の大日如来像と不動明王像の二体の巨像が彫刻展示室の正面にドーンと展示されていましたが、今年、金剛寺に戻されました。
この間に修理が行われていた安祥寺五智如来像が、8年ぶりに彫刻展示室に展示されることになったのです。
本像は、山科安祥寺を開山した入唐僧・恵運(798-869)の造像で、いわゆる承和様式に連なる850年代の制作とされ、平安前期の彫刻史上、重要な位置を占める仏像です。

五体の大きな如来像が、大日像を中心に横一列に展示されていました。
大きさだけでも圧力感があります。(像高~中尊大日像:160㎝、脇4尊:110㎝)
久方ぶりの再会で、懐かしく観ることが出来ました。
東寺講堂諸像や観心寺・如意輪像、神護寺・五大虚空蔵像の少し後の時期の仏像と云うことですが、良く言えば「大陸風」、素直に言えば「ちょっと緩んだ間延び感」を感じるという処でしょうか。



【せっかくの京都、ちょっと気ままに街歩き】


せっかくの京都という処で、仏像を離れて、ちょいと街歩き。
祇園の「何必館」、一乗寺の「恵文社」、「詩仙堂」、「圓光寺」などに行ってみました。


〈心静かに落ち着ける祇園のど真ん中の「何必館」~私のお気に入り〉


「何必館」(かひつかんと読みます)は、梶原芳友氏の個人美術館です。

何必館
祇園の真只中にある何必館

お気に入りで、時間の空きがあれば、必ず訪ねています。
祇園の四条通に面してあるのですが、ここだけは訪ねる人も少なく、ひっそりと落ち着いた空間です。
写真家「エリオット・アーウィットの世界」という展覧会をやっていました。
なんといっても安らぐのは、最上階5階の「光庭」。

何必館最上階にある「光庭」
何必館最上階にある「光庭」

此処のソファーに腰かけて、ボーっとしていると、時のたつのも忘れて心静かになれます。


〈叡山電鉄一乗寺にある、本好きが憧れる本屋さん「恵文社」〉


「恵文社」は、叡山電鉄一乗寺駅の近くにある本屋さんです。
知る人ぞ知るというか、本好きの人ならきっと知っているという「本屋さん」です。

一乗寺の本屋「恵文社」
一乗寺の本屋「恵文社」

ユニークな選書、棚揃えと、センスの良い店内が本好きの心をくすぐるお店です。
品ぞろえがマニアックというか、オリジナリティー溢れるというか、店主の趣味のカテゴリーでテーマ別にセレクトされた本が並んでいます。
私の好きなコーナーには「澁澤武彦」「山尾悠子」「中井英雄」「種村季弘」「塚本邦雄」などといった名前の本が、ずらりと顔を並べていました。
他の書店では、まず見かけません。

京都のかなり街外れにあるのですが、2010年には、イギリスのガーディアン紙が選ぶ「世界で一番美しい本屋10」に日本で唯一ランクインしたという書店なのです。
一冊も買わずに店を出たのですが、並べられた本の表紙を眺めているだけで、一杯の満足感に浸ることが出来ました。

「これでちゃんとビジネスになっているのだろうか?」

と、ちょっと心配になりましたが・・・・・・

本屋さんの隣に「恵文堂ギャラリー」というのがあって、陶芸やアクセサリーなどセンスの良い新進作家の作品の展示販売がされていました。

恵文社ギャラリー
恵文社ギャラリー

丁度梅雨時、季節にマッチしたカタツムリと紫陽花のぐい飲みが気に入りました。
若い女性作家が薦めてくれたので、つい一つ買ってしまいました。

ギャラリーで買ったカタツムリと紫陽花のぐい飲みギャラリーで買ったカタツムリと紫陽花のぐい飲み
ギャラリーで買ったカタツムリと紫陽花のぐい飲み



【7月】



【東博の企画展「江戸の仏像から近代の彫刻へ」~整って巧い江戸の仏像】


ちょっと海外旅行へ出かけていたりしていて、仏像は、東博の「江戸の仏像から近代の彫刻へ」という特集展を見に行っただけでした。
収蔵寄託品のなかから江戸時代から明治以降の彫刻作品を選び出し、その転換点についてみてみようという展示です。

「仏像彫刻は、鎌倉時代でおしまい。」

というのが、日本美術史の常識という感じですが、江戸時代の仏像作品を見るという機会もあまりないだろうと思って、出かけてみました。
なかなかに、きれいに整った造形で、「巧い」という言葉がフィットするように感じました。

東博蔵・如来像(江戸時代)新納忠之介作~中尊寺・一字金輪像模造(明治30年)
展示されていた仏像
(左)東博蔵・如来像(江戸時代)、(右)新納忠之介作~中尊寺・一字金輪像模造(明治30年)


月例講演会、「江戸の仏像と近代の彫刻」(西木政統氏講演)も、聴いてきました。
廃仏毀釈や明治の仏像模造制作と博物館展示についての話もあり、興味深く聴かせていただきました。



【8月】


猛暑、酷暑で、何処へも出かける気になれません。
ニュースや天気予報などで、
「非常に危険な暑さで・・・・ 命を守る行動を取ってください」
などと、アナウンサーがしゃべっているのを耳にすると、益々大人しくしていようかと思ってしまいます。

8月も、仏像を観に行ったのは、一つだけでした。


【一度拝したかった勝林寺・釈迦像(平安前期)に対面~金沢文庫で特別公開】


金沢文庫に、東京都豊島区にある勝林寺・釈迦如来像が特別公開されました。
平安前期、9世紀に遡る関東最古級の木彫像とみられている像です。
一度は拝してみたいと、気になっていた未見仏像です。

暑くても、これは出かけねばなりません。

普段は公開されておらず、今回の金沢文庫での展示が、初公開になるものです。
像高50.5㎝、内刳りのない一木彫像です。
1993年に、豊島区の区指定文化財に指定されています。

金沢文庫では、ガラス越しではありましたが、眼近にじっくりと観ることが出来ました。

勝林寺・釈迦如来像勝林寺・釈迦如来像
勝林寺・釈迦如来像

間違いなく平安前期の像です。
頭部の大きな小檀像風の造形ですが、ボリューム感と締まりがあって、衣文の彫り口もなかなかです。
以前の写真では、全体がべったりと漆箔で覆われて、ちょっと鈍さを感じた造形だったのですが、その後の修理によって肉身部が素地の古色にされたようです。
シャープさがグッと前面に出て、平安前期彫刻の魅力が大幅に増したように思います。
上半身に比べて膝前の造形がちょっと弱いように思えて、気にはなりましたが・・・・・・

像容で注目されるのは、左足先まですっぽりと衲衣で包む形式です。
このスタイルは、唐の影響を受けた天平後期の形式を継承しているとみられています。
天平期~平安前期の如来像では、唐招提寺・廬舎那仏像、京都和束町薬師寺・薬師如来像、蟹満寺・阿弥陀如来像、大阪獅子窟寺・薬師如来像が、すっぽりと衣で足先を包んだ像として知られています。
このスタイルを見ても、奈良様を継承する平安前期の古像であることが知られるのではないかと思います。

酷暑の中、金沢文庫まで出かけてきた甲斐がありました。



【9月】


今月も、観仏探訪には出かけることはありませんでした。
不精になってきたのか、観たい処がなくなってきたのか、奈良、京都へも出かける頻度が減ってきてしまいました。
美術館、3か所で仏像を観ただけでした。


【多摩美大美術館企画の特別展で、播州・加東市の古仏を愉しむ】


多摩美術大学美術館で開催された「加東市×多摩美 特別展~神 仏 人 心願の地」に出かけました。

「加東市×多摩美 特別展~神 仏 人 心願の地」展チラシ

加東市といわれても、ちょっとなじみがないかもしれませんが、兵庫県神戸市から北西に25キロほど、浄土寺のある小野市の北、東播磨地方にある町です。
今回の特別展は、この加東市の伝統、文化財を多摩美術大学がタイアップして紹介するという企画展でした。
仏像も十数躯が出展されていました。


〈秘仏・朝光寺千手観音像が出展~野趣をとどめる平安古仏〉


一番の愉しみは、朝光寺の千手観音像(県指定文化財)が出展されていることです。

朝光寺に2体ある本尊・千手観音像のうち、東本尊と呼ばれているもので、平安後期の制作です。
西本尊は、京都三十三間堂の千手観音像の一体であったものが、いずれの時期に当寺にもたらされたもので、鎌倉時代の制作です。
いずれも秘仏で、普段は拝することが出来ません。
これはグッドチャンスと出かけたのでした。

穏やかさを感じるものの、地方的な野趣をしっかりと感じる仏像でした。

朝光寺・千手観音像
朝光寺・千手観音像

お顔の彫り口に森厳な雰囲気を少しとどめています。
「頭部から裳裾までをヒノキ材で彫る一木造で、11世紀の制作」
という解説になっていましたが、納得という処です。


この他に、ちょっと目を惹いたのは、
東瀬古地区・地蔵菩薩像(市指定文化財)と、播州清水寺の大日如来像(無指定)でした。

東瀬古地区・地蔵菩薩像は、粗野ですが野太さのある一木彫像です。

東瀬古地区・地蔵菩薩像
東瀬古地区・地蔵菩薩像

内刳りはされているものの、頭から足ホゾ迄一木で造られており、11世紀の制作とされるものの古様感を残す仏像でした。


〈この日観た仏像で、一番の出来と感じた、播州清水寺・大日如来像(鎌倉)〉


播州清水寺の大日如来像は、無指定ですが、私は、大変見どころのある仏像だという印象を受けました。

播州清水寺・大日如来像播州清水寺・大日如来像
播州清水寺・大日如来像

五智如来の中尊として祀られているそうです。
鎌倉時代の制作ですが、体躯のバランス、プロポーションがなかなか良いのです。
側面から見た肉付け、造形バランスは、腕の良い仏師の手になるように思わせます。
この日、観た仏像のなかでは、この大日如来像の出来が一番だと思いました。


まず訪れることはないであろう加東市の古仏をいくつも観ることが出来た、嬉しい展覧会でした。



【今春オープンの半蔵門ミュージアムへ~話題の運慶作?大日像を展示】


半蔵門にオープンした「半蔵門ミュージアム」に寄ってみました。

半蔵門ミュージアム
半蔵門ミュージアム

真如苑所蔵の仏教美術品が展示されている文化施設で、今年の4月にオープンしました。
あの運慶作とみられる大日如来像が展示されています。
10年前、クリスティーズのオークションに出品され、14億円という巨額で落札され、世間を賑わした、あの大日如来像です。

真如苑蔵・大日如来像
真如苑蔵・大日如来像

ミュージアムは、新しくきれいなビルの中にあって、地下一階から3階まで、展示室のほかにラウンジ、シアターホール迄あり、落ち着いた静かな空間になっています。
大日如来像は単独で展示されていて、ゆっくりと鑑賞することが出来ました。

その他にも、鎌倉時代の不動明王坐像のほか、インドの古代仏像や日本の仏画などが展示されています。



【サントリー美術館で開催の「京都・醍醐寺展」へ】


サントリー美術館で開催された「京都・醍醐寺~真言密教の宇宙」展に行ってきました。

「京都・醍醐寺~真言密教の宇宙」展チラシ

出展された仏像の主だったところは、醍醐寺の霊宝館で観ることが出来ますし、4年前、2014年に奈良国立博物館で開催された「醍醐寺のすべて」展に出展されていますので、目新しいものはなかったのですが、醍醐寺の主な仏像が団体で出展されるとなると、出かけないわけにはいきません。

仏像は、国宝の薬師三尊像、檀像・虚空蔵菩薩像をはじめ、如意輪観音像、五大明王像(元中院安置)ほか、十数躯が出展されていました。


〈いろいろな高さ、角度から醍醐寺薬師像を観るという、得難い体験~やはり優作、傑作を実感〉


一番の収穫は、あの大きな薬師三尊像が、4階から3階のフロアーへ降りる階段の先の、真正面に展示されていたことでした。

醍醐寺・薬師如来像
醍醐寺・薬師如来像

少し離れてはいるものの、階段の途中から薬師像を見ることが出来、眼の高さを変えてその姿を観ることが出来たのです。
見下ろし気味の角度から仰ぎ見る角度まで、いろいろな角度から鑑賞できたのです。
これは、なかなか得難い体験でした。
観る高さが違うと、これほど顔の厳しさや体躯のボリューム、バランス感が違って見えてしまうのかというのが、今更ながらに驚きでした。

醍醐寺・薬師如来像
醍醐寺・薬師如来像

大きな仏像ほど、観る高さや角度で、見え方、印象が変わってくるというのは理屈では判ってはいたのですが、その違いを実感することが出来ました
そして、こうして観れば観るほどに、醍醐寺・薬師三尊像は優作、傑作なのだというのを再認識した次第です。



「2018年・今年の観仏を振り返って」、年内はここまでにさせていただきたいと思います。

残りは、年越しになってしまいますが、来年もまた、よろしくお願いします。


トピックス~行快作の仏像新発見、京都・聞名寺の阿弥陀三尊像 【2018.12.22】


快慶の一番弟子といわれる仏師・行快作の仏像が、新たに発見されました。

速報ということで、ごくごく簡単ですが、ご紹介させていただきます。


行快銘が発見された聞名寺・阿弥陀三尊像行快銘が発見された聞名寺・阿弥陀三尊像行快銘が発見された聞名寺・阿弥陀三尊像
行快銘が発見された聞名寺・阿弥陀三尊像


【京都・聞名寺の阿弥陀三尊像、両脇侍足ホゾから行快銘発見】


京都市左京区にある聞名寺(みょうもんじ)の阿弥陀三尊像が、行快作であることが明らかになったということです。

阿弥陀三尊像の観音勢至両脇侍菩薩像の足ホゾから、 「巧匠 法眼行快」 と書かれた墨書が発見されました。
中尊の阿弥陀如来像も、その作風から行快作とみられるそうです。

「巧匠 法眼行快」との墨書された足ホゾ
「巧匠 法眼行快」との墨書された足ホゾ


聞名寺というお寺は、平安神宮や岡崎公園のすぐ西側、左京区東大路仁王門上ルという処にあります。

聞名寺
聞名寺

平安前期の開創で、時宗の開祖、一遍上人が時宗道場として中興したと伝えるお寺だそうです。
私は、聞名寺という名前も、このお寺に鎌倉時代の仏像があることも、全く知りませんでした。



【京博・特別展開催の事前調査で新発見~今般プレス発表】


行快作仏像の新発見については、京都国立博物館での特別展開催のための事前調査で、明らかになったようです。
12月17日、京都国立博物館がプレス発表し、新聞各紙は一斉に、「快慶の弟子、行快作の仏像新発見」の記事を報じました。

朝日新聞は、

「快慶の一番弟子作の仏像、8例目を確認 京都・聞名寺」

という見出しで、以下のように報じています。

行快銘仏像発見を報じる朝日新聞記事(2018.12.17)
行快銘仏像発見を報じる朝日新聞記事(2018.12.17朝刊)

「京都市左京区の聞名寺(もんみょうじ)の本尊・木造阿弥陀三尊像(13世紀)が、鎌倉時代に活躍した仏師・快慶の一番弟子とされる行快(生没年不詳)の作であることが分かった。

京都国立博物館が17日発表した。
「行快」の墨書が見つかった勢至菩薩立像
「行快」の墨書が見つかった勢至菩薩立像
行快作の仏像はこれまでに7例しか確認されておらず、博物館は「全容が分からない行快を研究する上で貴重だ」と評価する。

京都国立博物館は、来年4月13日~6月9日に開催予定の「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」展(朝日新聞社など主催)の事前調査で、時宗の寺院である聞名寺が所蔵する阿弥陀立像(高さ83センチ)と両脇の観音菩薩立像(同59センチ)、勢至菩薩立像(同58.2センチ)の三像を厨子より取り出して撮影。
両菩薩立像の足元を支える部分に、「巧匠 法眼行快」と墨で書かれた文字がみつかった。
調査した淺湫毅(あさぬまたけし)・学芸部連携協力室長によれば、墨書銘は行快が署名したもので、墨書銘のみつかっていない中央の阿弥陀立像も作風から行快作とみられる。

力強く端正な作風から、行快が工房の指導者となった1230年代後半から40年代の作とみる。
行快は京都市上京区の大報恩寺(千本釈迦堂)の本尊「釈迦如来坐像」(国重要文化財)などを作ったことで知られ、快慶の一番弟子とされる。

阿弥陀三尊像は来春の名宝展で公開される。」



【近年、急速にスポットライトを浴びる、仏師「行快」作品】


「行快」は、慶派の仏師、快慶の高弟として知られるものの、運慶、快慶などに比べれば、一般にはそれほどに有名という仏師ではなかったように思いますが、近年、急にスポットライトを浴びています。

2017年には、大阪府金剛寺の行快作の巨像、不動・降三世明王像が中尊・大日如来像とともに、新たに国宝に指定されましたし、今年(2018)秋、東京国立博物館で開催された「大報恩寺展」には、行快作の秘仏釈迦如来坐像が出展されて、話題を呼びました。

行快作~金剛寺・降三世明王像
2017年に国宝に指定された行快作~金剛寺・降三世明王像

行快作~大報恩寺・釈迦如来像
2018年秋、東博「大報恩寺展」に出展された行快作・釈迦如来像

また、行快作とみられる仏像は、現在10例余だそうですが、そのうち、今回の聞名寺も含めて4件が、ここ10年以内に「行快銘」が発見されたものです。
折々、新発見報道がされ、「行快」の名が、注目を集めるようになっています。

「行快」の名は、近年、一気にクローズアップされ、多くの人に知られ、有名になってきたのではないかと思います。



【快慶の一番弟子、快慶より生々しく力強い感じがする行快】


行快は、鎌倉時代を代表する仏師快慶の弟子ですが、生没年は不明です。

運慶の長男、湛慶(1173~1256)と活動期間が重なっており、行快と湛慶は、ほぼ同年代の仏師とみられています。
多数いたことが知られる快慶弟子のなかでも、行快は筆頭の立ち位置にあり、快慶の右腕として活躍しました。

師匠の快慶は、安阿弥様と呼ばれる繊細で整美な作風ですが、行快の作品は、快慶に比べて、生々しさや力強さというか、硬派的に感じさせるものがあるように思います。



【10件余とされる行快の作例】


行快作品とされる仏像の一覧は、ご覧のとおりです。

仏師行快作とみられる仏像一覧

行快銘が残されていない作品で、作風等から行快かとされている仏像は他にも数例ありますが、最有力作例ということで、12件をリストにしてみました。



【ちょっと面白かった、行快作品の数え方?報道】


ちょっと面白かったのは、新聞報道による行快作品の数の数え方です。

朝日新聞は、
「快慶の一番弟子作の仏像、 8例目を確認 ~行快作の仏像はこれまでに7例しか確認されておらず」

共同通信、京都新聞などは、
「行快の銘が入っているのは、 今回を含め10例しかなく、 貴重な発見という。」

と報じています。


このカウント方法というか、数の違いを考えてみると、

朝日新聞報道は、上記の「行快作とみられる仏像一覧リスト」(12件)から、

藤田美術館・地蔵像、大報恩寺・優波離像、浄信寺・阿弥陀像、浄土宗(玉桂寺旧蔵)・阿弥陀像

の4件を除いて、8例としているのだと思います。

・藤田美術館・地蔵像と大報恩寺・優波離像は、師匠・快慶の名と行快の名が併記されていて、行快が単独で制作した像とは考えられず、「快慶作品」とみているということだと思います。
・浄信寺・阿弥陀像は、足ホゾの墨書銘が「□□法橋行□」と判ぜられ、現段階では、仏師名を行快作と特定できないとの見方だと思います。
・浄土宗(玉桂寺旧蔵)・阿弥陀像は、現段階では、納入願文の内容や作風から行快作との推定にとどまるということから、カウントしていないということでしょう。


共同通信、京都新聞報道等は、今回発見の聞名寺を含めた在銘の11例(前記リストから仏師銘のない浄土宗像を除いたもの)から、

浄信寺・阿弥陀像か、北十萬・阿弥陀像(「巧匠/法眼□□」の墨書で行快名は無いが、墨書の書風、作風から行快とされる)

のいずれかを除いているのだと思います。
「浄信寺像の方が除かれているのかな?」と思うのですが、はっきりとはわかりません。

「仏師〇〇作」というのを、どう考え、どのようにカウントするのかというのは、なかなか難しい処のようです。


なお、新発見の行快作品、聞名寺・阿弥陀三尊像は、来年(2019)4月13日~6月9日、京都国立博物館の特別展「一遍聖絵と時宗の名宝」で公開されます。


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