観仏日々帖

新刊旧刊案内~「唐招提寺~美術史研究のあゆみ」 と 研究史本いろいろ 【2017.2.4】


「美術史研究のあゆみ」シリーズの最新刊が出版されました。


「唐招提寺~美術史研究のあゆみ」大橋一章、片岡直樹編著 
2016年12月 里文出版刊 【303P】 2500円


唐招提寺~美術史研究のあゆみ


そろそろ、このシリーズの新刊が出るのではないかと期待していましたので、早速、購入しました。

この本は、唐招提寺についての美術史研究上のテーマについての、研究史をまとめた本です。

本の帯には

「鑑真大和上像ほか唐招提寺美術の最新の研究成果をまとめた一冊!
鑑真の御寺奈良・唐招提寺には天平以来の数多くの仏教美術品が伝えられている。
その研究史をたどる一歩進んだ美術書。」

と記されています。

本の題名でご想像がつく通り、テーマ別の研究史について、これまでの諸説から最新の研究成果までが、コンパクトにまとめられた本です。

「唐招提寺の創立」「金堂創建と金堂三尊」「鑑真和上像」「新宝蔵・旧講堂の木彫群」

等々が、テーマとして採り上げられています。

目次をご覧ください。

唐招提寺~美術史研究のあゆみ・目次2唐招提寺~美術史研究のあゆみ・目次1

唐招提寺~美術史研究のあゆみ・目次4唐招提寺~美術史研究のあゆみ・目次3

唐招提寺~美術史研究のあゆみ・目次5

テーマ別に、研究史についての概説が、20~30ページにコンパクトにまとめられ、過去の研究、論争、最新の研究成果、課題などが、大変わかりやすく、読みやすく述べられています。
一般の解説書から、一歩踏み込んだ研究史の概説、解説書と云えるものだと思います。



【一般解説書で飽き足らない方の、知的興味をくすぐる研究史本】


こうした研究史をたどった本は、仏教美術を愛好する者にとっては、大変有難く、また便利な本です。

奈良や京都の古社寺や仏像を巡り、だんだんと仏教美術に興味がわいてくると、一般的な、仏像のガイドブックや解説本で飽き足らなってくるのではないでしょうか?

私も、仏教美術に少し興味がわいてきた昔を振り返ってみると、古社寺、仏像巡りをしているうちに、いくつかの美術史の大きな論争、議論があるということがおぼろげながら知るようになりました。

「法隆寺再建非再建論争」「薬師寺金堂三尊、移坐非移坐論争」「平安初期木彫誕生の謎」

といった話です。

「面白そう、興味深い話だな」
「もう少し、深く知りたいな」

と思ったのですが、どんな本を読んだら、こうした論争や議論の全体感が判るのかというのが、よく判りませんでした。
ちょっと突っ込んで知りたいと思っても、なかなか手ごろでコンパクトにまとめた研究史の解説書というのは、全くありませんでした。

知ろうとすると、ものすごく難解で高価な研究書とか、美術研究誌に掲載されている研究論文にチャレンジするしかなかったのではないかと思います。
ただの、愛好、趣味の者にとっては、ちょっと読んでみても、難し過ぎてギブアップという世界でした。

こんな知的興味をくすぐるような、論争史や研究史をまとめた本があったら、本当に嬉しいなというのが、若き頃の願望であったように思います。



【早稲田大学、大橋一章氏を中心に、長らく刊行されている「美術史研究のあゆみ」シリーズ】


この「美術史研究のあゆみ」シリーズの本は、こうしたニーズにぴったりという本なのではないかと思います。

30年ほど前から、刊行が始まりました。
いずれも「コンパクトにまとめられた研究史解説書」となっています。

一般の解説書では、ちょっと飽き足らなくなってきた
仏教美術史の議論あるテーマについて、一歩深く知りたい
興味関心はあるが、専門書、研究書を読もうとまでは思わない

といった方には、大変面白く、興味深い本なのではないかと思います。

このシリーズ、早稲田大学の大橋一章氏を中心に、刊行が続けられているものです。
これまでに全部で、8冊刊行されています。
この機会に、どんな本が出ているのかだけを、ご紹介しておきたいと思います。
個別の内容に立ち入ると、大変ですので、本の名前と書影の羅列になってしまいますが、ご参考になればと思います。

出版年順にご紹介します。



【最初の2冊は、主要な論争テーマを取り上げた研究史本】



「寧楽美術の争点」大橋一章編著 1984年10月 グラフ社刊 【317P】 1800円

寧楽美術の争点

もうずいぶん前の話になりますが、この新刊本を、本屋で見つけた時、
「こんな本が出るのを、待っていたのだ!」
思わず、そう叫びそうになりました。

採り上げられたテーマの目次は、このようなものでした。

寧楽美術の争点・目次

面白そうで、興味をそそるテーマばかりです。
早速買って、読み耽った思い出があります。

法隆寺論争についての本を除いては、仏教美術の論争史、研究史だけをまとめた本は、それまで全くなかったのです。

町田甲一氏は、本書の裏表紙の推薦文にこのように書いています。

「法隆寺論争がなかったら、若草寺塔心礎の寺への返還はなかったろうし、伽藍址の発掘も行われたとしても可成りおくれたことだろうが、それにもまして思うべきことは、その後の『法隆寺学』、さらに上代美術史の今日のような成果は始と期待できなかったであろう。

また薬帥寺論争によって、飛烏より白鳳・天平にいたる上代彫刻の「様式」の内容がようやく正しく埋稗されるようになった。

論争は、それが真面目に行われるとき、必ず新しい成果を生むものであり、新知見を齎し、学問の進化を促すものである。
そしてそのような論争の経緯を手際よく鳥瞰できることは、それらの問題に関心をよせる人たちに適切な指針を提供するはかりでなく、その道に進もうとする新しい研究者には、諸問題についての現時点における歴史的全貌を要約して数えてくれる極めて効率の高い入門書となりスタート台ともなるものである。

そのような古美術に興味をもつ人、新しい若い研究者にこのすぐれた『寧楽美術の争点』を、おすすめしたい。」


この本が出版されてから、10年後、ずいぶん経ってから、「寧楽美術の争点」の続編のような本が出ました。

「論争・奈良美術」大橋一章編著 1994年4月 平凡社刊 【284P】 2860円


論争奈良美術

目次をご覧ください。

論争奈良美術・目次

このようなテーマが採り上げられています。



【その後は、奈良六大寺の研究史本を、着々と刊行中】


以上の2冊は、これまで論争、議論があった主要テーマをまとめたものでしたが、
この後からは、奈良の主要大寺ごとに、研究史をまとめた本が出版されるようになりました。
4~5年おきに、出版されているようです。

ご覧ください。


「法隆寺美術・論争の視点」大橋一章編著 
1998年8月 グラフ社刊 【381P】 2800円


法隆寺美術論争の視点



「薬師寺・1300年の精華~美術史研究のあゆみ」大橋一章、松原智美編著
2000年12月 里文出版刊 【309P】 2500円


薬師寺~美術史研究のあゆみ

薬師寺~美術史研究のあゆみ・目次



「東大寺~美術史研究のあゆみ」大橋一章、斎藤理恵子編著
2003年9月 里文出版刊 【369P】 2500円


東大寺~美術史研究のあゆみ

東大寺~美術史研究のあゆみ・目次



「法隆寺、薬師寺、東大寺、論争のあゆみ」大橋一章著
2006年4月 グラフ社刊 【218P】 1600円


法隆寺・薬師寺・東大寺、論争のあゆみ



「興福寺~美術史研究のあゆみ」大橋一章、片岡直樹編著
2011年11月 里文出版刊 【381P】 2500円


興福寺~美術史研究のあゆみ

興福寺~美術史研究のあゆみ・目次


以上のとおりです。

今般出版された新刊「唐招提寺~美術史研究のあゆみ」を含めると、奈良六大寺のうち5寺の研究史本が発刊されたことになります。

数年後には、「西大寺」の研究史本が計画されているという話で、それが出版されると、奈良六大寺の研究史本が完結することになるそうです。

一般の解説書から、一歩踏み込んだ仏教美術史にご関心のある方には、お薦めのシリーズだと思います。



【ついでに、昔懐かしい、法隆寺論争の研究史本をご紹介】


「美術史研究のあゆみ」シリーズを採り上げたついでに、もっともっと昔の研究史本を、ちょっとだけご紹介しておきます。

法隆寺の再建非再建論争を中心とした、「研究史本」です。

早稲田の大橋一章氏を中心とした仏教美術史研究史本が出版されるまでは、研究史だけを採り上げた本というのは全く無くて、唯一、「法隆寺論争の研究史本」が存在するだけでした。

今更言うまでもありませんが、法隆寺の再建非再建論争は、明治から昭和を通じて展開された建築史、美術史上の大論争でした。
この世を挙げてといってよいほどの大論争があったからこそ、日本の近代建築私学、美術史学の、これほどの発展はなかっただろうともいわれています。

こんな法隆寺の研究史本が、その昔出ているのです。


「法隆寺再建非再建論争史」足立康編 1941年10月 龍吟社刊 【368P】 3.8円

法隆寺再建非再建論争史


戦前に出版された、法隆寺再建非再建論争をまとめた本です。
法隆寺非再建論の雄であった、足立康氏の編集による本です。
明治時代以来の法隆寺再建非再建論争について、足立康氏が歴史を追って解説、自説を展開しつつ、論者の代表的論考が集成されています。
非再建論者で著名な、平子鐸嶺、関野貞、足立康といった各氏の論考が中心です。

ただ、再建論の代表的大物であった喜田貞吉氏の論考が採録されていません。
前年に、喜田貞吉氏が自説の論考をまとめた本「法隆寺論攷」が出版され、喜田氏の論文が転載不可になったという事情によるものです。

「法隆寺論攷」喜田貞吉編著 1940年9月 地人書院刊 【494P】 5.5円

法隆寺論攷


この喜田貞吉氏の本とセットで読むと、昭和、戦前の法隆寺再建非再建論争の研究史をしのぶことが出来ます。


戦後すぐには、こんな本が出版されました。

「法隆寺の研究史」村田治郎著 194910月 毎日新聞社刊 【332P】 330円

法隆寺の研究史


村田治郎氏は、東洋建築史、中国建築史研究の第一人者で、法隆寺の研究でも知られ、法隆寺に関する数多くの論文を発表している人です。

著者は,序文で、

「この本は法隆寺、とくに金堂、塔婆、中門を中心とする諸問題についての、諸学者の研究の経過と現在到達している点を明らかにして、多くの人々の理解に役立たしめ、且つ新たに研究を始めようとする人達の手引きになることを、目標としている。
私がこんな本の編纂を思い立ったのは、敗戦によって今までの日本は週末を継げたのだから、それを機会に過去のあらゆる学問は総決算して、今後の出発に備える必要があると考えられたからである。」

と述べています。

序文のとおり、法隆寺の論争史、研究史について、いずれの論に偏することなく、大変丁寧にしっかりとまとめられた高品質の本となっています。
当時、法隆寺の研究史を学ぶ、「底本」ともいうべき本になっていたのではないかと思います。

この本、何部刊行されたのかわかりませんが、昭和40~50年代には、なかなかの貴重書でした。
神田神保町の古書店では、2万円程度の値札が付けられて書棚に並んでいました。
到底買えそうにはなく、恨めしそうな目でこの本を眺めていたのを覚えています。
今、NETで検索したら、2000円ぐらいで購入できるようです。
時代が変わったんだなという気が、しみじみとしてきます。


同じ村田治郎氏による「法隆寺の研究史」の本を、もう1冊、ご紹介します。

「法隆寺の研究史」村田治郎著作集第2巻 1987年7月 中央公論美術出版刊 【431P】 9800円

法隆寺の研究史・中公美術出版版

村田氏が1985年に没後、全三巻の著作集が刊行されましたが、その第2巻となっているものです。

昭和24年に刊行された「法隆寺の研究史」と同じ題名になっていますが、大幅に増訂、改訂され、ハイレベルの内容になっています。
村田氏没後に、蔵書、原稿類を整理した処、この新たな増訂原稿が見つかったということです。
この新版の「法隆寺の研究史」は、この新稿によるものであり、旧著とは面目を一新した研究史の論文集となっています。

村田氏は、新稿の序に、旧著について
「初歩の学生諸君に、法隆寺学を容易に理解して頂く内容にしようと思って書いた」
としています。
新版の方は、学問的レベルの法隆寺研究史の論考の集大成といったものになっていると思います。



私の知っている限りでの、仏教美術史の「研究史本」を、ざっとご紹介してみました。
研究史本の世界というのも、知的興味をくすぐって、なかなか面白いものです。

ご関心のある方の、ご参考になれば、有難き限りです。


トピックス~模古作とされていた京都妙傳寺の小金銅仏、実は古代朝鮮仏と判明? 【2017.1.21】


【夜7時NHKニュースで、「古代朝鮮仏発見?」の報道にビックリ!】


正月気分もまだ明けない1月7日、夜7時のNHKテレビのニュースで、こんなニュースが報道されました。

ニュースの見出しは、

「小さな寺の仏像 実は朝鮮半島伝来の貴重な仏像か」

というテロップです。

妙傳寺・半跏思惟像
妙傳寺・半跏思惟像


【TVニュースでの報道内容は?】


アナウンサーの方は、このように語っていました。

京都市の小さな寺にある、江戸時代のものと思われていた仏像が、実は、仏教が日本に伝来して間もない頃に朝鮮半島で作られた極めて貴重な仏像の可能性が高いことが、大阪大学などによる最新の調査でわかりました。
専門家は
「こうした貴重な文化財は、ほかにも埋もれている可能性がある」
と指摘しています。

京都市左京区八瀬近衛町にある「妙傳寺」では、「半跏思惟像」という高さおよそ50センチの青銅製の仏像が本尊として安置されていて、これまでは、寺が建てられたのと同じ江戸時代のものと思われていました。

京都八瀬の妙傳寺
京都市左京区八瀬の妙傳寺

この仏像について、大阪大学や東京国立博物館の研究者が改めて鑑定したところ、額に刻まれた模様や装飾品の龍のデザインなどが6世紀から7世紀ごろに朝鮮半島で作られた仏像や出土品の特徴と一致していました。
さらに、仏像にX線を当てて金属の成分を詳しく調べた結果、銅がおよそ90%、スズがおよそ10%で鉛はほとんど含まれていませんでした。
こうした割合は日本や中国の仏像にはなく、7世紀ごろに朝鮮半島で作られた仏像である可能性が極めて高いことがわかったということです。

この時代は、日本に仏教が伝わってまもない時期に当たりますが、この仏像がどういう経緯でこの寺に伝わったかはわかっていません。

調査に当たった大阪大学の藤岡穣教授は、
「韓国では国宝級となる最高レベルの仏像で、こうした仏像が見つかったことは大きな意味がある。
ほかにも、埋もれている貴重な文化財がまだまだ見つかる可能性があり、価値に気付かれないまま盗難などの被害に遭う前に、調査が進んでほしい」
と話しています。


その後の話を要約すると

古代朝鮮仏と判断される決め手となったのは、非破壊・非接触の「蛍光X線分析」による、金属組成分析の積み重ねの成果であったこと。
仏像は、盗難の恐れがあるため、3Dスキャナーによって模造を制作しこれをお寺に安置、実物は博物館で保管されることになった。

との説明がされていました。


なんと、ゴールデンタイム、NHKの7時のニュースに、5分近くの長い時間を割いて、この仏像の発見ニュースが流されたのです。
ご覧になった方も、たくさんいらっしゃるのではないかと思います。

妙傳寺・半跏思惟像
妙傳寺・半跏思惟像

私は、大阪大学の藤岡穰氏が、1年ほど前に、論文やシンポジウムで、

「この仏像は、模古作といわれていたが、科学的分析等によると古代朝鮮仏であるとみられる。」

という考えを発表されていたことを、たまたま知っていましたので、

「あの話が、TVニュースで、こんなに大きく採り上げられたのか!」

と思いましたが、採り上げ方の大きさにビックリしてしまいました。



【新聞各紙も、X線分析で「7世紀の渡来仏発見か?」と、大きく報道】


このNHKニュースから1週間ほど後、今度は、新聞各紙が、記事に大きく採り上げて、一斉に報道されました。

このような見出しでした。

「7世紀に朝鮮半島で制作か 京都・妙伝寺の仏像、X線で成分分析」 (産経新聞)

「本尊は国宝級渡来仏…7世紀に朝鮮半島で製作か」 (毎日新聞)

「『江戸期』実は7世紀の渡来仏? 京都の半跏思惟像X線分析」 (朝日新聞)


朝日新聞の記事をご紹介すると、次のようなものです。

妙傳寺・半跏思惟像の発見を伝える朝日新聞記事
妙傳寺・半跏像の発見を伝える朝日新聞記事
京都市左京区八瀬近衛町の妙伝寺の本尊で、江戸時代の制作とされてきた「半跏思惟像」(高さ約50センチ)が、仏教伝来から間もない7世紀ごろに朝鮮半島で作られた金銅仏である可能性が高いと13日、調査した大阪大の藤岡穣教授(54)=東洋美術史=が発表した。

この時代の渡来仏は全国的にも数が少ないといい、
「装飾も精巧で、朝鮮半島から伝来したものだろう。貴重な仏像だ」
と話している。

藤岡教授の鑑定によると、仏像の額に水平に刻まれた毛筋や装飾品の竜のデザインなどが、6~7世紀ごろに朝鮮半島で作られた仏像の特徴とよく似ていたという。
また、仏像にX線を当てて金属の成分を調べる「蛍光X線分析」では、銅が約86%、錫が約10%だった。日本や中国の仏像に比べて錫が多い組成から、7世紀ごろ朝鮮半島で制作された可能性が高いとみている。

蛍光X線分析には従来、大型機器が必要だったが、藤岡教授らはヘアドライヤーほどの大きさまで小型化。
これまでに日本国内や中国、韓国などの古い仏像約400体を調査した。

妙伝寺は寺伝によれば、江戸初期の1616年創建。
そのため、この仏像もこの頃の制作と考えられていた。

今回の調査結果を受け、3Dプリンターで仏像のレプリカを制作。
実物は博物館に寄託し、レプリカを寺に安置するという。
寺は天皇の大礼や大喪の時などに輿を担いだ八瀬童子の菩提寺として知られる。
(朝日新聞、1月14日付け朝刊)


妙傳寺・半跏思惟像~頭部
妙伝寺本尊の半跏思惟像
髪を中央で二つに分け、額にそわせているのは、
6~7世紀の朝鮮で作られた仏像の特徴に共通しているという


妙傳寺・半跏思惟像~顔部
耳たぶの先端に切れ込みが入っているのは
5世紀ごろのインドの仏像などに類例があるという


妙傳寺・半跏思惟像~脚部模様
脚部中央のとぐろを巻く竜文飾りは、
6~7世紀の朝鮮の作例に共通した特徴だという


新聞各紙にこれほど大きな記事で報道されて、またまたビックリです。
仏像愛好の方々の間では、しばらく、この話題で盛り上がるのかなという感じです。

金銅仏は、博物館に預けられるという話ですが、大津市歴史博物館で保管されるようで、10月7日~11月19日に、同博物館で展示されるということです。

皆さん、この金銅仏の写真をご覧になって、どのように感じられたでしょうか?

「江戸時代の模古作? 7世紀の古代朝鮮仏?」

如何でしょうか?



【一昨年、展示会に出展され、シンポジウムで研究成果が発表されていた、妙傳寺・半跏思惟像】


実は、この妙傳寺の金銅仏は、一昨年、2015年10~12月に、大阪大学総合学術博物館で開催された
企画展「金銅仏きらきらし―いにしえの技にせまる―」
に展示されました。

金銅仏きらきらし展ポスター
「金銅仏きらきらし展」ポスター

また、同時に開催された
「国際シンポジウム~金銅仏の制作技法の謎にせまる」
における、藤岡穣氏の講演「東アジア金銅仏の蛍光X線分析からわかること」で採り上げられ、

「7世紀の古代朝鮮金銅仏であると考えられる」

という説明が、なされていました。

その研究成果が、今般、大々的にマスコミ発表されたということなのだと思います。


私は、この展覧会とシンポジウムに興味がありましたので、丁度関西へ行くタイミングを合わせて、出かけてみました。
その時に、この金銅仏の実物を、眼近に観たのですが、素人には、

「模古作、古代朝鮮仏?何とも、よくわからない! どちらと云われても、そうなのかな?」

というのが、正直な実感でした。



【近年、金銅仏の金属組成調査に目覚ましい成果を生んでいる、蛍光X線分析】


藤岡穰氏
藤岡穰氏
新聞報道にもあるように、藤岡穣氏は、近年、蛍光X線分析により、金銅仏の金属組成の調査研究に取り組まれています。
これまでに日本国内や中国、韓国など仏像、約400体を調査したそうです。

蛍光X線分析というのは、非破壊、非接触で、対象物の素材の元素組成を測定分析する方法です。
対象物にX線を照射、そこから発生する蛍光X線を測定し、対象物がどの元素で構成されているかを分析するもので、近年、測定機器装置が格段に進歩し、金銅仏調査などにめざましい成果を生んでいるものです。

藤岡氏は、金銅仏の時代様式、形式からの研究に加えて、金属組成分析結果のアプローチからの研究を、併せて行うことによって、新たな視点で制作年代の判定などを論じられています。

私には、科学的分析云々などということは、難し過ぎて、全くわからないのですが、藤岡氏等により、従来、模古作と考えられていた金銅仏が、古い時代に遡るものと考えられるなどの研究成果が、いくつか発表されていますので、シンポジウムでの講演内容なども含めて、ちょっとだけご紹介しておきたいと思います。

金銅仏の金属組成ですが、銅の他には、主として錫、鉛が含まれるそうです。
他にも、鉄、亜鉛、ヒ素も含まれる場合があるそうです。
シンポジウムでの講演では、時代別また日本、韓国、中国では、ご覧のような特徴があるとのことでした。

金銅仏の金属組成の特徴表



【妙傳寺像が朝鮮古代金銅仏と判断されたポイント】


マスコミで報道された、妙傳寺の半跏像は、銅が約90%、錫が約10%の組成となっています。
藤岡氏は、妙傳寺の如意輪観音半跏像について、このように述べています。

妙傳寺・半跏思惟像~側面
妙傳寺・半跏思惟像~側面
「さまざまな金銅仏について蛍光X線分析を実施したところ、日本の飛鳥時代の作例の場合は原則的に錫の合有率が低く、また、奈良時代以降は次第に鉛の含有率が増加する傾向があることがわかつてきた。

そうした原則ないし傾向に照らすならば、本像の青銅には1割程度の錫が含まれることから飛鳥時代のものとは考えられず、また鉛をほとんど含まないとから平安後期以降の制作になる蓋然性も低いと思われる。

また、朝鮮三国の金銅仏にも本像のように薄手で像内がやや荒れた作例が見出されることは前述のとおりである。

そして、そうであるならば、特徴的な細部形式にいずれも中国や朝鮮半島の作例との類似が認められ、逆にそれがほとんど日本の作例にはみられないことを顧慮すれば、日本の中近世における模像、復古像となるよりも、やはり素直に渡来仏とみるべきであろう。」


この文章は、

「京都某寺と兵庫・慶雲寺の半枷思惟像」(藤岡穰) 美術フォーラム21第32号2015.11.30

という論文で、述べられているものです。

京都某寺というのは、妙傳寺のことです。
論文と展示会では、盗難リスクへの配慮からか「某寺」と表示されていました。
今般、「妙傳寺」であることが、明らかになったものです。

本論文では、単に、金属組成分析の観点だけではなく、詳細な様式、形式の検討の上、

「百済以来の伝統を色濃く伝えた新羅造像である蓋然性が高い」

と述べられています。



【続々と、新たな研究成果が発表されている、金銅仏の蛍光X線分析】


また、この論文では、鎌倉以降の擬古作とか、真贋についての議論もあった、兵庫・慶雲寺の半跏思惟像も、その金属組成、様式等から、朝鮮三国時代、7世紀以降の制作の可能性について論ぜられています。

兵庫慶雲寺・半跏思惟像
兵庫慶雲寺・半跏思惟像


この他にも、近年の、藤岡氏による金銅仏の蛍光X線分析による、新たな研究の見方を、いくつかご紹介すると、次のようなものがあります。

これまで平安~鎌倉時代以降の模古作とみられていた、安養寺の金銅仏・如来立像については、
その組成が純銅に近いことなどから、

「大阪大学の藤岡穣教授が蛍光X線分析を行ったところ、素材については、白鳳時代から天平時代に制作されたと考えて矛盾が無い。」
(「カミとほとけの姿展・図録解説」岡山県立博物館2016.10)

との見方がなされています。

岡山安養寺・如来立像.岡山安養寺・如来立像
岡山安養寺・如来立像


近代の擬古作の疑いがあるという疑問が出された、野中寺の弥勒菩薩半跏像については、
その金属組成(銅:90%、錫3%、鉛をほとんど含まない)からも、日本の古代金銅仏として許容範囲にある(「野中寺弥勒像について~蛍光X線分析調査を踏まえて」ミューゼアム649号2014.4)と述べられています。

野中寺・半跏弥勒像
野中寺・半跏弥勒像


殆どが鎌倉時代以降の補作で、当初部分がごくわずかしか残されていないとされている飛鳥大仏についても、
顔面部分のほとんどは7世紀造立当初のものと見られるとの調査結果を発表し、新聞記事に大きく採り上げられたりしました。

飛鳥寺・飛鳥大仏(釈迦如来像)
飛鳥寺・飛鳥大仏(釈迦如来像)

飛鳥大仏の顔部造立時のものを伝える読売新聞記事

飛鳥大仏の顔部造立時のものを伝える読売新聞記事
「飛鳥大仏の顔部造立時のもの」との研究成果を報ずる読売新聞記事(2016.11.11付)


このように、蛍光X線分析による、金銅仏の金属組成の科学的分析の研究は、金銅仏の制作年代判定に、従来の見方を大きく覆す、新たな視点を提供しているようです。


科学的分析結果を横に置いておいて、これらの仏像の姿を観た感じの私の印象についていえば、妙傳寺の半跏思惟像、慶雲寺の半跏思惟像、安養寺の如来立像などのフィーリングは、平安鎌倉以降の模古的、擬古的な像と云われると、正直な処そのように感じるというのも本音です。

「7世紀前後の制作」といわれると、うまく説明はできないのですが、微妙にしっくりこない感じもしないわけではありません。

なんとなく、既成概念にとらわれた見方になってしまっているということなのでしょうか?


科学的分析の研究が一層進展すれば、従来の常識が、大きく覆されるようなビックリの研究成果が、これからいろいろ判明していくのかもしれません。


マスコミに大きく採り上げられた「妙傳寺の半跏思惟像は、古代朝鮮仏」という話を、ご紹介しつつ、最近の蛍光X線分析による科学的調査研究などについてふれてみようと思って書き始めたのですが、
何ともとりとめのない支離滅裂な話になってしまいました。


自分でも、何を書いているのか、訳が分からなくなってしまったというのが実感ですが、「新発見の古代朝鮮仏の紹介記事」ということで、お赦しいただければと思います。


古仏探訪~2016年・今年の観仏を振り返って〈その4〉10~12月 【2017.1.7】


明けましておめでとうございます。
「観仏日々帖」、今年もよろしくお願いいたします。


年越しになってしまった、去年からの「今年の観仏を振り返って」は、〈その4〉、10~12月の観仏のご紹介です。


[10月]

広島、尾道方面の観仏に、同好の方々と、1泊2日で出かけました。

尾道浄土寺の秘仏本尊・十一面観音像の御開帳と、同じく尾道向島の西堤寺の2躯の聖観音像の御開帳の日に照準を合わせて、いくつかの仏像を訪ねる観仏旅行です。



【岡山県博「カミとほとけの姿展」へ
~際立つ魅力の明王寺・観音菩薩像と、ユーモラスな巨像、勇山寺・不動三尊像】


尾道へ到着の前に、まず、岡山で途中下車。
岡山県立博物館で開催された「カミとほとけの姿~岡山の信仰文化とその背景~展」を、観に行きました。

岡山県博「カミとほとけの姿」ポスター

この展覧会は、岡山に伝わる神像と仏像などにより信仰文化を紹介するという、展覧会です。
展覧会には、64件・147点(うち重要文化財6件)が出展されていました。

県指定文化財以上の出展仏像と、私の注目仏像は、ご覧のとおりです。

観仏先リスト01「岡山県博・カミとほとけ展」

この展覧会の、目玉で注目像は、なんといっても明王寺の観音菩薩像でした。

明王寺・十一面観音像
明王寺・十一面観音像

10世紀前半は下らないといわれる平安前期の優作です。
カヤ材の一木彫で、蓮肉まで一木で彫り出されています。
明王寺を訪れ拝したことがありますが、なかなかの魅力的な像で、しっかりと記憶に残っています。
今回の、展覧会出展仏像のなかでも、その出来の良さは際立って、眼を惹くものでした。
お顔と上半身は比較的穏やかさがあるのですが、下半身の衣の表現は、ダイナミックで躍動感あふれるものがあり、平安前期彫刻の魅力を発散させていました。

明王寺・観音菩薩像については、神奈川仏教文化研究所HP「貞観の息吹~明王寺・聖観音像」でも、ご紹介させていただいています。


一度は拝したいと思っていながらも、未見だったのは、勇山寺・不動明王二童子像でした。
像高183㎝という、巨像の不動明王坐像です。

勇山寺・不動明王三尊像
勇山寺・不動明王三尊像

中国山地の真ん中、美作・真庭にあるのですが、なかなか不便なところで訪ねる機会がなかったのです。
デカくて、量感たっぷりなのですが、田舎風で何ともユーモラスな不動明王です。
10世紀の制作だそうです。

勇山寺・不動明王像顔部
勇山寺・不動明王像顔部

類例のないような、諧謔、怪異な容貌は、なかなか面白いものでした。


最後に、気になったのが、安養寺の小金銅仏、如来立像です。
安養寺・如来立像
安養寺・如来立像

解説には、
この金銅仏は、これまで、平安~鎌倉時代に古仏をまねて作った「模古作」という説が有力だったそうなのですが、
「大阪大学の藤岡穣教授が蛍光X線分析を行ったところ、素材については、白鳳時代から天平時代に制作されたと考えて矛盾が無いと報告された。」
ということで、
「白鳳~天平時代(7~8世紀)の制作」と、記されていました。

その気になってじっくり見てみました。
私には、難しいことはよく判りませんが、形式や全体の雰囲気は「平安期以降の模古作」という方が、シックリくるような気がしました。
これからの、調査研究の進展がたのしみです。



午前中に、岡山県博を後にして、三原駅へ。
午後からは、次の諸仏の観仏探訪に巡りました。

観仏先リスト02「善根寺・文裁寺・田辺寺」


【壮観の平安古仏群、善根寺~地元保存会の人々の手で守られる】


まずは、三原市街から西へ6キロぐらいの処、小坂町にある善根寺を訪ねました。

善根寺・収蔵庫
善根寺・収蔵庫

善根寺収蔵庫には、主として平安時代の古仏が、28躯も残され、うち22躯が文化財指定を受け入ています。
朽損している破損仏的なものもありますが、これだけの平安古仏群が、一堂に林立しているありさまは壮観です。

善根寺・収蔵庫内の古仏群
善根寺・収蔵庫内の古仏群

善根寺近傍の古仏が、ここに集められたのかもしれません。
善根寺は無住ですが、地元の善根寺保存会の方々によって、大切に守られてきています。

善根寺で、一番、知られている仏像は、日光、月光菩薩立像で、県指定文化財に指定されています。

善根寺・日光菩薩像善根寺・月光菩薩像
善根寺・日光月光菩薩像

2015年刊の「三原の仏像展」図録では、9~10世紀の制作とされています。
「そこまで古いのかな?」
という感じもしますが、これら古仏群の中では、一番出来の良い平安古仏です。


私の眼を惹き付けたのは、ご覧の天部形像(市指定文化財)です。

善根寺・天部像
善根寺・天部像

相当朽ちてはいるのですが、なかなかパワフルな造形です。
蓮肉まで共木という古様な構造で、堂内の像の中では、一番、気というかオーラを発しているように感じました。
こちらも9~10世紀の制作とされていますが、日光月光像よりも、古様で迫力があるようです。

いずれにせよ、よくこれだけの古仏群が、現在まで、守られてきたものです。
私は、3度目の善根寺訪問となりますが、いつ訪ねても、これらの古仏を大切にお守りしてきた土地の人々の信仰に、想いを致さずにはいられません。

善根寺古仏群については、神奈川仏教文化研究所HP
神奈川仏教文化研究所HP「辺境の仏たち~広島・善根寺の平安仏」でも、紹介させていただいています。



【重厚感ある力強さ、迫力に惹きつけられる、文裁寺・十一面観音像】


世羅郡甲山町の文裁寺、3年前、2013年にも訪ねたのですが、また、来てしまいました。
こちらの十一面観音像の素晴らしさには、何度拝しても、魅せられてしまいます。

文裁寺・十一面観音像文裁寺・十一面観音像
文裁寺・十一面観音像

これぞ貞観仏という、重厚感あふれる力強い造形です。

「上唇と突き出した厳つい顔貌、太い首、いかり肩、ずんぐりとした体つき、鋭利な衣文」

そのどれもが、強烈なインパクトで、拝する者の心を惹き付けます。
平安前期、バリバリの9世紀の一木彫そのものといってよいでしょう。
これだけの存在感のある像が、中国山地のど真ん中、世羅郡の地に遺されていることに、驚きを禁じ得ません。
今回も、また惚れ込んでしまいました。
是非機会を見つけて、また拝しに訪れたいものです。

文裁寺・十一面観音像については、神奈川仏教文化研究所HP「貞観の息吹~文栽寺・十一面観音立像」でも、紹介させていただいています。



【尾道の夜は、新鮮美味な瀬戸内の魚と、美味しいお酒】


夜は、尾道で、瀬戸内の新鮮な海の幸と、美味い酒。
ご一緒の尾道出身の方のご案内で、商店街の居酒屋「玉扇」へ。

尾道・居酒屋「玉扇」
尾道・居酒屋「玉扇」

「安くて美味い!」というのは、このことを云うのでしょう。
魚は採れ々々の新鮮そのもの、何を食べても活きが良くて申し分なし。
飾らぬ料理で、これこそ、地元に愛される居酒屋です。
お酒も、勢いづいてオーバーランということになってしまいました。



翌日は、ご覧の寺々の観仏に訪れました。

観仏先リスト03「青目寺・浄土寺他」



【奈良様乾漆像の系譜を受け継ぐ、整った姿の日光月光菩薩像~府中山中の青目寺】


青目寺は、尾道から北へ車で40~50分往った、府中市の山の中の辺鄙なところにあります。
普段は無住で、少し離れたところにある西龍寺のご住職が兼任されており、わざわざ収蔵庫を開きにお見えいただきました。

青目寺
青目寺

眼を惹くのは、日光月光菩薩像です。
日光月光の二菩薩像は、薄く木屎漆のモデリングがなされており、一部、乾漆技法が使われているようです。

青目寺・日光月光菩薩像青目寺・日光月光菩薩像
青目寺・日光月光菩薩像

造形表現も、いわゆる奈良様の系譜を受け継ぐようで、温和で落ち着きがあり、なかなか整った像です。
こんな地方の山中にも、平安前期の奈良様を受け継ぐ仏像が残されているというのも、興味深いものがありました。
中尊が残っていないのが、誠に残念で、きっと立派な薬師像であったに違いないと思いました。

もう1躯、聖観音像も祀られてます。

青目寺・聖観音像
青目寺・聖観音像

こちらの方は、お顔にちょっと土臭さを感じるのですが、全体に穏やかで安定感のある造形の像でした。
平安前期の制作ということですが、もう少し下がる時期の像かもしれないような気もしました。



【厳重秘仏、ご開帳の尾道・浄土寺へ~スッキリ端正な藤原風の十一面観音像】


尾道市内まで戻って、浄土寺・十一面観音像の秘仏本尊のご拝観に向かいました。
浄土寺本尊・十一面観音像は、33年に一度の開扉の厳重秘仏です。

今回は、浄土寺・平成の大修理の完了落慶、並びに開創1400年を記念して、特別に、春秋2期間、ご開帳されることになったものです。
開帳期間が比較的長かったこともあるのでしょう、それほどの混雑なしに、近くでゆっくり拝することが出来ました。

浄土寺・十一面観音像浄土寺・十一面観音像
浄土寺・十一面観音像

本像は、多くの解説書が藤原和様のおだやかさと示すとして平安後期の制作としているのですが、広島県教育委員会HP解説では、
「面相は豊満で,体躯は肥大充実し,刀法も鋭く,全身を金色の寂光に包まれた端厳な尊容の像である。
平安時代も初期に近い頃(9世紀)のすぐれた作である。」
と、されています。

実際に拝すると、どんなもんだろうかと、興味深く拝しました。
実見してみて、やはり、「典型的な平安後期の観音菩薩像」という風に納得しました。
お顔が豊満で、姿がスッキリ端正という印象でした。

秘仏本尊のご拝観が目的だったのですが、私には、浄土寺といえば、小津映画の「東京物語のロケ地になったお寺」という方が、心に残っており、懐かしく境内を歩きました。

浄土寺・境内
浄土寺・境内

東京物語は、何度も観たことがあるのですが、原節子と笠智衆が、浄土寺境内で語り合うシーンが印象的でした。



【堂々たる量感と穏やかさをミックスした秀作、西堤寺・観音菩薩像
~年に一日のご開帳に来てみた甲斐あり、大満足】

浄土寺の後は、尾道、向島の西堤寺です。
西堤寺の、観音菩薩像は、なかなか魅力的な平安古仏で、是非とも一度拝したいものと念願していたのですが、年に一度、10月10日のみしか開帳されないので、拝するチャンスがなかったのです。
今回の観仏旅行は、この10月10日に照準を合わせて、尾道にやってきたのでした。

向島は、尾道中心地の向かいにある島なのですが、今は、橋が架かって、車ですぐに行くことが出来ます。
西堤寺は、立派なご本堂があり、その隣の収蔵庫に、2躯の菩薩像が安置されていました。

西堤寺・本堂と収蔵庫
西堤寺・本堂と収蔵庫

大勢という程ではないのですが、拝観の方が何人も見えられていて、我々同様、この日を目指してこられた方がそれなりにいらっしゃるようでした。

この2躯の観音菩薩像は、昭和50年代前後に、新発見された仏像です。

西堤寺・観音菩薩像(10世紀頃)西堤寺・観音菩薩像(11世紀前半)
西堤寺・観音菩薩像~(左)10C頃制作、(右)11C前半制作

それまであった旧本堂を建てかえるために解体したところ、壁の中に隠し部屋があってその中に、2躯の観音像が安置されていたのが発見されたという話です。
発見から程無く、一足飛びに、昭和52年(1977)、国の重要文化財に指定されました。(1躯は付けたり指定)

流石に、発見即重文指定にスピード出世しただけのことがある、見事な仏像です。
カヤ材の一木彫漆箔像です。
堂々たる量感で太造り、一方で穏やかさ柔らかさもみられて、力強さと端麗さの両面を感じる、大変魅力あふれる造形でした。

「わざわざ来てみて、やっぱり良かった。」

という、満足感で一杯になりました。

この像の制作年については、「芸藩通志」に、

「天暦5年(951)作の西堤寺本尊が盗難に遭ったため、治安2年(1022)に仏師定願が一像を造り代わりに安置したが、その後、元の本尊が還った。」

旨の記載があり、両像の作風と、この通史記載の制作年が似つかわしいものであることから、その頃の制作ではないか、とみられているそうです。

西堤寺・観音像については、神奈川仏教文化研究所HP「貞観の息吹~西提寺・聖観音立像」でも、ご紹介させていただいています。

今回の広島方面旅行は、最後の観仏が、大満足の西堤寺・観音像となり、充実気分で帰路につきました。



【秘仏、瑞巌寺五大堂・五大明王像が出展された、「松島瑞巌寺と伊達政宗展」へ】


三井記念美術館で開催された「松島瑞巌寺と伊達政宗展」に行きました。

「松島瑞巌寺と伊達政宗展」ポスター

めざすは、特別出展された、瑞巌寺・五大堂の秘仏「五大明王像」です。

観仏先リスト04「瑞巌寺」

五大堂の「五大明王像」は、厳重な秘仏として守られており、33年に一度の御開帳とされており、次回御開帳は2039年になるのです。
平成6年(1996)に、文化庁によって、発見調査されて、重要文化財指定がされました。
最近、一部の像が宝物館展示されることも、たまにありますが、はじめて、本展覧会に5躯そろって特別出展されることになりました。
これは、何としても、観なければと、出かけたのです。

瑞巌寺五大堂・不動明王像
瑞巌寺五大堂・不動明王像

ケヤキの一木彫、内刳り無し、素朴で粗さのある地方色といったものを感じますが、なかなかの古様で、出来もよく、迫力のある像です。
写真で見ていた時は、さほどのパワーを感じないような印象でしたのですが、予想外の注目像でした。



[11月]


【白鳳観音像の平安模古作、宝塔寺・聖観音像の特別公開情報に五反田へ】


品川区五反田にある宝塔寺・聖観音像を拝しに行きました。

観仏先リスト05「宝塔寺」

11/3~5に品川区指定文化財の一般公開という企画があり、その中に宝塔寺・聖観音像の特別公開という情報があったのです。
区指定の仏像ということで、普通ならこの種のものには出かけないのですが、NET情報によると、「白鳳時代の観音像の、平安後期の模古作」ということです。
ちょっと興味深げなので、宝塔寺まで行ってきました。
宝塔寺は、五反田駅から歩いて5~6分の処にありました。

観音像は、360度ビューで眼前に拝せるようになっていました。

宝塔寺・聖観音像

宝塔寺・聖観音像
宝塔寺・聖観音像

確かに、法隆寺の六観音像を思わせるような、白鳳仏を模した仏像に間違いありません。
山本勉氏による解説資料があり、それによると、ヒノキの寄木造の古色仕上げで、平安後期の白鳳仏模古作として貴重な像である旨、解説されていました。
この像は、近世には大阪にあり、宝塔寺には、二代前のご住職の時に、民間の所有からお寺に入ったものだそうです。

ちょっと、面白い模古作像でした。



【知られざる平安古仏が、想定外にどっさり!~初めての越前観仏旅行へ】


越前地方の観仏旅行に、同好の方々と、2泊3日で出かけました。

福井市立郷土歴史博物館で開催された「福井の仏像展」と併せて、越前方面の観仏に出かけたのです。
福井県の仏像と云えば、小浜方面の若狭の仏像が広く知られているのですが、越前方面の仏像は、あまり知られていないのではと思います。

今回開催された「福井の仏像展~白山を仰ぐ人々と仏たち~」は、越前に遺る見処ある平安古仏のほとんどが出展され、一堂に会するという、大注目の展覧会です。
越前の古仏の全貌を、一気に知ることが出来る、めったにないチャンスです。
見逃すわけにはいきません。



【越前の見処ある平安古仏が勢ぞろい~圧巻の「福井の仏像展」】


初日は、「福井の仏像展」に直行です。

「福井の仏像展」開催中の福井市立郷土歴史博物館
「福井の仏像展」開催中の福井市立郷土歴史博物館

展覧会には、34躯の仏像が出展されていました。
これだけの越前の古仏を一堂に集めるのは、大変ことであったのだろうと思います。
展示仏像の中で、県指定以上の文化財指定仏像は、ご覧のとおりです。

観仏先リスト06「福井の仏像展」

私の注目仏像を、2~3件、一言ご紹介だけしておきます。

展示室正面に大きな五像がドーンと並べられた滝波五智如来堂・五智如来像は、平安後期のいかにも地方作という像でしたが、なかなか眼を惹くものがありました。

滝波五智如来堂・五智如来像
滝波五智如来堂・五智如来像

江戸時代の悪彩色の紙貼りで覆われていたものを、3年がかりで修理修復され、面目を一新したばかりだそうです。



【際立つ存在感、霊的オーラを発する大滝神宮堂・虚空蔵菩薩坐像】


展覧会で、最も注目したのは。大滝神宮堂・虚空蔵菩薩坐像です。

大滝神宮堂・虚空蔵菩薩坐像

大滝神宮堂・虚空蔵菩薩坐像
大滝神宮堂・虚空蔵菩薩坐像

眼光鋭く、厳しく引き締まった表情、胸をグッと張り出し、胴がキュッと引き締められています。
迫力十分で、霊的オーラを発しています。
必見、刮目の平安古仏でした。
この像は、大瀧神社の神宮堂に祀られ、神仏分離以前の大滝寺(現在の大瀧神社)のゆかりの像であったそうです。
展覧会、随一、際立った存在感を感じました。


その他、加多志波神社・聖観音像、八坂神社・十一面女神像なども、神社に祀られる興味深い古像でしたが、キリがなくなるのでこの辺でやめておきます。

加多志波神社・聖観音像八坂神社・十一面女神像
(左)加多志波神社・聖観音像、(右)八坂神社・十一面女神像

越前の平安古仏を、たっぷりと鑑賞することが出来ました。
わざわざ出かけてきた値打ち十分の「福井の仏像展」でした。



【越前の新鮮美味に舌鼓~高価な越前ガニに、腰が引ける】


この日の夜は、福井市内で美味な割烹といわれる「旬味 泰平」へ。

「旬味 泰平」
「旬味 泰平」

流石に、評判の良いだけあって、新鮮、美味な魚介の料理には、十分納得です。
美味かった。
越前ガニ漁が解禁になって数日の処で、とれたての越前ガニもお目当てだったのですが、値段を聞いて、ヒックリ。
メスの小さなセイコ蟹が、一杯5千円です。
オスの越前ガニの値段は、恐ろしくて、聞けませんでした。
折角来たのだからと、セイコ蟹一杯を二人で半分ずつという情けない注文で、ちょっぴり味わいました。
これまた美味かった。


翌日、翌々日は、「福井の仏像展」出展されていない、越前の古仏探訪です。
越前の古仏は、お寺ではなくて、神社に祀られ、地区の管理になっているものが圧倒的に多く、拝観のお願いに、博物館や教育委員会にお世話になるなど、結構苦労しました。
その分、よく知られておらず、奥深いものがあります。

観仏探訪先は、ご覧のとおりです。

観仏先リスト07「福通寺・大谷寺他」



【どうして、越前に純宋風の秀麗像が?~見事な福通寺・正観音像】


朝日観音・福通寺を訪ねました。

朝日観音・福通寺
朝日観音・福通寺

実は、福通寺のご住職は、福井市立郷土歴史博物館の学芸員で、「福井の仏像展」の開催企画、運営を進められている方なのです。
今回の越前の古社寺観仏探訪にあたっては、拝観の御依頼先、ご連絡先等をご教示いただくなど、大変お世話になりました。
福通寺諸仏ご拝観にあたっては、自らご案内、御開扉いただき、またまたお世話になってしまいました。

一番の注目は、正観音像でした。
2メートル近い大きな像で、通常は、秘仏とされています。

福通寺・正観音像福通寺・正観音像
福通寺・正観音像

宋風の匂いがプンプンする造形です。
ご説明によると、
「越前にこんな宋様式を濃厚に表した像は、本像の他にはない。」
そうです。

金沢文庫称名寺の弥勒菩薩像の雰囲気を思い起こさせますし、在地の制作の風ではなく、中央風の造形のように思われます。
どうしてこのような純宋風の像が、越前に残されたのかという造像背景は、よく判らないそうです。
なかなか見事な出来の像で、県指定文化財ではもったいないのかな、という気になりました。

千手堂の千手観音像も、平安前期風の名残を少し残した像ですが、平安末~鎌倉の制作とされているようです。

福通寺・千手観音像(平安末鎌倉)
福通寺・千手観音像(平安末鎌倉)



【不思議な伝統行事~33年に一度、福通寺へ移動する、日吉神社の古仏像】


次に訪ねたのは、日吉神社で、福通寺から1キロぐらいのところにあります。

日吉神社
日吉神社

この日吉神社には、平安時代後期の大日如来像他の諸仏が祀られています。

日吉神社に祀られる大日如来像他諸仏
日吉神社に祀られる大日如来像他諸仏

福通寺とは場所も離れていて、一見無関係のようにみえるのですが、この二つの寺社では、興味深い伝統行事が伝えられています。
33年に一度の、朝日観音・福通寺の秘仏本尊御開帳の時に、日吉神社仏像群が輿や担架に乗せられ、内郡集落の人々によって観音堂まで運ばれ、ゆかりの諸仏が一堂に会するというのです。

33年に一度、福通寺に運ばれる日吉神社の諸像
33年に一度、福通寺に運ばれる日吉神社の諸像

そのような行事が伝えられる事由は、明確ではないようですが、福通寺が日吉神社の神宮寺で、大日如来像は福通寺の旧本尊であったのではないか、とも考えられるかもしれないそうです。


何しろ、越前の古仏は、他の地域と較べて、神社に祀られているものが大変多いのです。
明治の神仏分離の際、
神仏習合の仏像が、破却されず、寺に移されたりせずに、神社に残された。
観音堂・薬師堂のような村堂が、明治時代に神社に衣替えした、または合併した。
等の事由によるようですが、
越前では、後者のケースが多いのだということだそうです。



【現存最古の三所権現・本地仏を、特別拝観~白山信仰へ想いを致した大谷寺】


大谷寺は、泰澄大師の開創と伝えられる、白山信仰、修験の霊場であった古刹です。
大谷寺は、「おおたんじ」と読みます。

大谷寺
大谷寺

大谷寺といえば、神仏習合の本地仏、三所権現像です。
大谷寺・三所権現像は、十一面観音・阿弥陀如来・聖観音の各坐像の一具像です。
白山信仰上の三尊一具の本地仏としては、最古の遺例の古仏で、平安後期の制作です。
この三所権現像は、秘仏として、収蔵庫内に祀られているのですが、お訪ねした処、ご住職の特別のご配意により、拝観することが叶いました。

収蔵庫に並んで祀られる三所権現像は、流石の像でした。
平安後期らしい造形ですが、入念に造られた像であることが伺え、なかなか見事な像です。

収蔵庫に祀られる大谷寺・三所権現像
収蔵庫に祀られる大谷寺・三所権現像

大谷寺三所権現・十一面観音像
大谷寺三所権現・十一面観音像

収蔵庫内には、三所権現像のほかにも、多くの仏像が安置されており、それぞれに興味深い古仏でしたが、此処でふれるのはやめておきます。



【神社に祀られる平安古仏像を巡る~越前に数多い、お社で守られる古仏像】


その他、杉杜神社、十二社、樺八幡神社に祀られる平安古仏を拝しました。
それぞれに、見どころある平安古仏でした。

杉杜神社、十二社は、地区管理の小さなお社で、村人に大切に守られてきた古仏です。
集落と共に在り、土地の人々を守る古仏であることを、実感しました。

十五社
十五社

十五社・大日如来像
十五社・大日如来像

十五社・阿弥陀如来像
十五社・阿弥陀如来像


樺八幡神社は、杉林の中の境内にいつくかの社殿が建ち、静寂荘重な空気感あふれる処でした。

樺八幡神社境内
樺八幡神社境内

樺八幡神社本殿に祀られる、阿弥陀如来像他諸仏
樺八幡神社本殿に祀られる、阿弥陀如来像他諸仏

ご高齢の御宮司さんが、丁寧にお迎えいただき、往時をしのぶ立派な平安古仏を拝することが出来ました。
社殿等には、傷みも目立つようで、これだけの社殿、神域を維持管理するのは、文化財保護予算がままならぬ中で、並大抵のことではないのだろうと察せられました。



【巨大な宗教都市、白山信仰の往時を偲ぶ、平泉寺白山神社へ】


越前観仏旅行のフィナーレは、白山信仰の象徴ともいえる平泉寺白山神社です。

平泉寺は、霊峰白山の越前側の登拝口に位置した山岳寺院で、養老元年(717)に泰澄大師によって開かれたとされます。
古代から中世後期にかけては、白山信仰を背景に強大な宗教勢力を誇りました。

白山連峰を望む
白山連峰を望む

現在では、わずかに往時を偲ぶほどの境内域になっていますが、かつての境内全域は「白山平泉寺旧境内」として国の史跡に指定され、発掘作業などが進められています。



【穏やかな気品漂う、平泉寺観音堂・聖観音像】


平泉寺白山神社を訪ねる前に、近くの観音堂に祀られる、平安後期の聖観音像を拝しました。
平泉寺からちょっと離れた集落の中の小さな観音堂に、ひっそりと祀られていました。

平泉寺・観音堂

平泉寺観音堂・聖観音像
平泉寺観音堂と聖観音像

もともと平泉寺に祀られていた観音像であったとのことで、比叡山横川中堂の聖観音像を思わせる、穏やかで気品漂う、見事な仏像でした。



【幽玄、森厳な霊域、平泉寺白山神社~越前観仏のフィナーレに相応しい、心洗われる空間】


平泉寺白山神社は、まさに、幽玄、森厳な雰囲気、空気感に包まれた場所でした。

平泉寺白山神社

平泉寺白山神社
平泉寺白山神社

鬱蒼と茂る杉林の木立、緑の絨毯が敷かれたような苔むす境内、白山信仰の歴史を感じる石畳の参道、そのなかに佇む社殿、いずれもが、霊域である「静寂」の世界を醸し出しているようでした。
鳥居をくぐったとたんに 霊峰白山を拝する異空間に踏み入ったような気分になってしまいます。
心洗われるものがありました。
一度は訪ねてみたい、また訪ねる値打ちのある、平泉寺白山神社でした。

大満足で充実の越前観仏探訪旅行となりました。
2泊3日で出かけた値打ち十分です。
越前地方の仏像は、さほど知られていませんが、奥深いものがあり、まだまだ未発掘の古仏もあるようです。

ただ一つ残念だったことは、越前を代表するといわれる平安前期の古仏、二上観音堂・十一面観音像を、拝せなかったことです。
厳重な秘仏のため、拝することが叶いません。(展覧会でも、写真展示でした)

二上観音堂・十一面観音像
二上観音堂・十一面観音像

何年先になるのかわかりませんが、御開帳の時には、もう一度、越前観仏に訪ねてきたいものです。



【九品仏浄真寺で開催された、講演会「仏像修理物語」へ】


世田谷の九品仏浄真寺で、「仏像修理物語~九品仏阿弥陀如来坐像修理の実際~」と題する講演会が、11/26に開催されましたので、行ってきました。

観仏先リスト08「浄真寺九品仏」

世田谷区主催の文化講演会で、講師は、現在、九品仏の修理修復にあたっている、美術院西洞院工房長の八坂寿史氏です。
約1時間にわたって、八坂氏から、九品仏の修理修復にあたっての修理技法に関する話、新たに発見されたこと、ご苦労話などなど、熱のこもったお話を、興味深く聴くことが出来ました。

講演会の後、修理のなった中品中生像、修理前の諸像を拝しましたが、こうした貴重な話を聞いた後に拝すると、いつもとは違う、新たなる眼で、奥深く拝することが出来ました。

修理修復成った、浄真寺九品仏・中品中生像
修理修復成った、浄真寺九品仏・中品中生像

浄真寺・九品仏像
浄真寺・九品仏像


[12月]

いよいよ、今年も終わりの師走です。


【ゆっくり、のんびり、京都東山で忘年観仏】


同好の方々と、一年の納めの忘年観仏ということで、京都まで出かけました。

観仏先リスト(同聚院他)

東山方面の古仏などなどを、ゆったりとめぐりました。

同聚院・不動明王像、即成院・二十五菩薩像など、今更、ご紹介するまでもない、大変有名な仏像ばかりです。
私も、何度訪ねたのか、数え切れません。
どちらのお寺も、京都にしては、訪れる人も少なく、ゆっくりと心静かに古仏を拝することが出来、お気に入りの場所です。

同聚院・不動明王像は、藤原道長造営の法性寺の五大堂に安置された像とみられ、仏師・定朝の父か師の康尚の制作であろうといわれています。

同聚院

同聚院・不動明王像
同聚院と不動明王像

像高、2m半余りの丈六坐像で、見上げるばかりの大きさに圧倒されてしまいます。
不動明王像としては、11世紀冒頭の制作らしい、穏やかで落ち着いた造形なのですが、その存在感をひしひしと感じます。
いつ拝しても、なかなか優れた像だという気持ちになります。


夜の忘年会は、京都駅のちょっと南、東寺道のイタリアン「テラス」で。

東寺道・イタリアン「テラス」
東寺道・イタリアン「テラス」

こじんまりした、ちょっとお洒落でカジュアルな、お手軽イタリアンです。
賑やかに、美味しく食べて、ワインも飲み過ぎてしまいました。



【横浜市文化財に新指定という話にビックリ!~松陰寺の小金銅仏、阿弥陀如来像】


師走も半ば、今年の観仏ももうおしまいと思っていたら、横浜市都筑区の横浜市立歴史博物館に、松陰寺の小金銅仏、阿弥陀如来坐像が展示されているという情報を、NETで知りました。

観仏先リスト10「松陰寺」

「平成28年度横浜市指定・登録文化財展」に、新たな市指定文化財として出展されているというのです。

横浜市歴博・新指定文化財展
横浜市歴博・新指定文化財展

松陰寺の古代小金銅仏・阿弥陀像は、それなりに世に知られた像ですので、「横浜市・新指定文化財展」への出展というのは、ちょっとビックリしてしまいました。
昔から重要文化財に指定されていると思い込んでいたのですが、なんと、これまで全くの無指定の小金銅仏像だったのです。

早速、横浜市歴博へ出かけて、じっくり観てきました。

松陰寺・阿弥陀如来像
松陰寺・阿弥陀如来像

戦後すぐ、昭和22年(1947)以来、東博に寄託されています。
これまでの解説では、「奈良時代末期~平安初期の、白鳳小金銅仏の模古的な像」といわれていたのですが、展示解説では、「飛鳥時代後期、8世紀初め頃に作られたと推測される。」とされていました。

私の素人目には、全体の造形感覚、ねっとりとややクセのある衣文などから、奈良時代の中期を遡ることは無いのではなかろうかと、感じました。
松陰寺・阿弥陀如来像、これから指定ランクがどんどんアップしていくのではないかと思います。



【観仏、年納めは東博で~平常展示の、平安前期、東博蔵・天王像に注目】


2016年の観仏納めは、東京国立博物館になりました。
「臨時全国宝物取調局の活動~明治中期の文化財調査」という特集展示が開催されています。
私の、関心興味の大変強いテーマの企画展です。
12/20に、「明治20年代の文化財調査」と題するギャラリートークがありましたので、聴きに出かけました。

ついでに、 特別展「平安の秘仏~滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」も、2度目になりますが、じっくり鑑賞してきました。

いつものことで、1F11室の彫刻の平常陳列にも寄ってみました。
日頃見ない、ちょっと面白い平安古仏が展示されていました。

観仏先リスト11「東博蔵・天王像」

東京国立博物館蔵・天王像

東京国立博物館蔵・天王像
東京国立博物館蔵・天王像

キャプションをみると「天王立像・9~10世紀」と記されていました。
東博所蔵像のようです。
あまり類例の無いような、体躯の造形、面貌の像です。
なかなか、ダイナミックで迫力ある、興味深い一木彫像でした。



ようやく、2016年の観仏、総まくりのご紹介を終えることが出来ました。
なんのかんのといいながら、随分、数多くの観仏に出かけてしまいました。
「飽きもせず!」とは、よく言ったものです。

ダラダラ長々、一年の観仏探訪記録を自己満足的に綴らせていただきました。
辛抱してご覧いただき、ありがとうございました。


今年も、HP「神奈川仏教文化研究所」、ブログ「観仏日々帖」に、気ままな仏像記事を連ねていきたいと思っております。
よろしくお付き合いいただけますよう、お願いいたします。


古仏探訪~2016年・今年の観仏を振り返って〈その3〉7~9月 【2016.12.24】


「今年の観仏を振り返って」〈その3〉は、7~9月の観仏探訪のご紹介です。

暑い暑い夏のシーズン、暑さがこたえる中高年には、観仏探訪も程々にした方が、良いのでしょう。
涼しい博物館の仏像展を中心に、チョコチョコと出かけました。


[7月]


【お目当ては、初めてお堂から出る黒田観音寺・観音像
~東京芸大美術館「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ」へ


上野の東京藝術大学美術館で開催された、「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ~びわ湖・長浜のホトケたち」に、出かけました。

「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ」ポスター

この展覧会は、2014年3~4月に開催された、「観音の里の祈りとくらし展」の第2弾として開催された展覧会です。
第1弾の展覧会が好評盛況であったので、「パートⅡの続編展」の実現が可能となったのでしょうか?

今回は、41件の湖北の仏像が出展されました。
前回展では、約20件の出展でしたから、なんと倍増の出展となります。

観仏先リスト01~観音の里の祈りとくらし展Ⅱ



【湖北で、一番惹かれてしまう、黒田観音寺・伝十一面観音像
~~(渡岸寺・十一面観音は、飛び切りの別格)


前回展の目玉出展像は、赤後寺・日吉神社の千手観音立像(重文)でした。

今回の「「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ」の、大目玉の出展仏像は、なんといっても、黒田観音寺・伝千手観音立像(重文)です。

黒田観音寺・伝千手観音像
黒田観音寺・伝千手観音像(本来准胝観音であったと思われる)

私は、湖北の仏像の中では、渡岸寺の十一面観音像(国宝)は、別格として置いておくとすると、黒田観音寺の伝千手観音立像が、一番優れた造形で、魅力あふれる一木彫像だと思っています。
除く渡岸寺像では、湖北で最もお気に入りの仏像なのです。

実は、これまで、この観音像は、一度もお堂を出たことはありませんでした。
美術館に展示されるのは、今回が初めてのことなのです。
お堂では、狭い厨子の中に祀られており、真正面からしか拝することが出来ません。

堂内のお厨子に祀られる黒田観音寺・伝千手観音像~横からは拝せない
堂内のお厨子に祀られる黒田観音寺・伝千手観音像~横からは拝せない

側面や背面などから観ると、どのように感じるのだろうか?
「意外と、ガッカリしてしまったり・・・・・」
と、不安感半分、期待感半分という気持ちで、展覧会に出かけました。

黒田観音寺の観音像は、奥の一室のど真ん中に、360度ビューで展示されていました。

展示室のど真ん中に、360度ビューで展示されていた黒田観音寺・伝千手観音像
展示室のど真ん中に、360度ビューで展示されていた黒田観音寺・伝千手観音像

果たして、期待通りというよりは、はるかに期待以上の素晴らしい出来と魅力の仏像でした。
見惚れてしまいました。

黒田観音寺・伝千手観音像

黒田観音寺・伝千手観音像~脚部
黒田観音寺・伝千手観音像~顔部と脚部

像高200㎝、カヤの一木彫の9世紀像。
胸から腰にかけての堂々たる張りのある造形は迫力十分。
脚部の衣文の彫口は、深く、柔らかく、弾力感があり見事で、乾漆像を思わせるものがあります。



【360度ビューで、じっくり鑑賞~思わず唸ってしまった背面の彫り口の見事さ】


側面、背面に回ってみて、またまた出来の素晴らしさに、ビックリしました。
側面は、胸をわずかに反り、脚部にかけ湾曲するシルエットで、リズム感、躍動感があります。

黒田観音寺・伝千手観音像 黒田観音寺・伝千手観音像
黒田観音寺・伝千手観音像

それよりも何よりも、背面の衣文の彫りの見事さには、唸り声をあげてしまいました。
正面脚部の衣文表現をはるかに超える、仏師の彫技が冴えわたる彫り口です。
背面まで、これだけ丹精を込めて彫られているのをみると、余程の由緒の像だったのかもしれません。

図録解説によると、
黒田観音寺・伝千手観音像(本来、准胝観音とみられる)は、
広隆寺・不空羂索観音像、鶏足寺・菩薩像(魚籃観音)、千手院・千手観音像(御代仏)と、衣など造形形式に共通点が多くあり、
天平様式乾漆像の系譜をひく平安前期彫刻という共通の制作環境で造られたのではないか、
と述べられていました。

広隆寺・不空羂索観音像鶏足寺・菩薩像(魚籃観音)
(左)広隆寺・不空羂索観音像、(右)鶏足寺・菩薩像(魚籃観音)

千手院・千手観音像(御代仏)
千手院・千手観音像(御代仏)

確かに、そのとおりのスタイルの傑作像だと思いました。
唯一、「面部が大きく修正、補彩されている」とのことで、何とも残念です。

9世紀の半ば頃か、もう少し後かの制作ではないかと感じるのですが、
間違いなく「湖北屈指の優作」だと思いました。

「凛とした男らしさを感じる、緊張感あふれる、堂々たる傑作像」
です。

360度ビューでじっくりと鑑賞することが出来、黒田観音寺・観音像に惚れ込みなおしました。



【その他の出展像にも、いくつも注目像が・・・・】


この他にも、
異国的な大きな目鼻立ちが印象的な、来現寺聖観音像(重文・平安前期)、
元播磨円教寺・根本堂本尊であった、舎那院・薬師如来坐像(県文・10C末~11C初)
等々、興味深い像が出展されていました。

来現寺・聖観音像舎那院・薬師如来像
(左)来現寺・聖観音像、(右)舎那院・薬師如来像

一つだけ、ちょっと気になったのは、医王寺・十一面観音像の解説・キャプションでした。

医王寺・十一面観音像
医王寺・十一面観音像

「9世紀の制作」と記されていました。

「9世紀?、そこまで年代をあげられるのかしらん?」

ウーンと唸って、ちょっと首をかしげてしまいました。


黒田観音寺・観音像の魅力に惹かれて、二度も展覧会に出かけてしまいました。

一度は、一人でじっくりと。
二度目は、同好の方々と、ワイワイと。

二度目の帰りは、皆で、入谷の「三富」へ。
馬刺しが名物の老舗居酒屋です。
安くて美味い料理と酒で、黒田観音寺像の出来良さ談義に、大いに盛り上がりました。

入谷「三富」
入谷「三富」



【洒落たギャラリースペース、「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」~3月オープン】


東京藝術大学美術館の帰りに、3月オープンした、「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」に寄りました。

「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」
「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」

長浜市の都内における情報発信の新しい拠点ということで、長浜の古仏が、一定期間ごとに一体ずつ展示されることになっています。

「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」室内
「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」の室内

湖北の仏像の公開情報などの最新ニュースや、映像も愉しむことが出来ます。
長浜市は、「「観音の里の祈りとくらし展Ⅰ・Ⅱ」の開催や、「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」の解説など、「湖北・観音の里」の紹介と観光誘致に大変な力が入っているようです。

「KANNON HOUSE」で展示される仏像は、2016年は、ご覧のとおりでした。

観仏先リスト02~「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」

竹生島宝厳寺・聖観音像.尊住院・聖観音像
(左)竹生島宝厳寺・聖観音像、(右)尊住院・聖観音像

常楽寺・聖観音像横山神社・馬頭観音像
四君子苑~玄関と前庭

オープン直後にも訪ねました。
小ぢんまりとしたビルの一室ですが、なかなか洒落たギャラリースペースで、結構、お気に入りの場所となっています。



[8月]


8月第一週は、毎年恒例の、大学時代の同好会の、10人ちょっとの常連が集まる同期同窓会。
なんと、もう四十数年、飽きもせずに毎年欠かさず続いています。

恒例で、分不相応に贅沢にも、奈良ホテルで一泊です。
夜は、ホテルの美味なる料理に、思い出話も酒も、夜の更けることなく弾み、とどまる処を知りませんでした。

この同窓会の前後にからめて、京都、奈良の両国立博物館の展覧会に、出かけました。



【念願の未見秘仏、峰山縁城寺・千手観音像が、なんと京博へ出開帳】


京都の国立博物館では、「丹後の仏教美術展」が、開催されていました。

「丹後の仏教美術展」ポスター

観仏先リスト03~丹後の仏教美術展

この展覧会、最大の大注目は、峰山縁城寺の千手観音像が出展されたことです。

縁城寺・千手観音像
縁城寺・千手観音像

縁城寺・千手観音像は、大変興味深い平安時代の一木彫像なのですが、33年に一度の御開帳の厳重秘仏で、拝することが出来ないのです。
平安初期一木彫像の特徴を受け継いだ古様な像ですが、浅く刻まれた衣文や穏やかな面相などから、一般的には10~11世紀頃の制作とみられています。
一方、古密教彫像研究で知られる井上正氏は、この像を、代用檀像による化現仏とみて、奈良時代、8世紀の制作に遡る可能性に言及しているのです。

今年か来年が、33年に一度の御開帳年にあたるという情報でありましたので、その時には、なんとしてでも、京丹後市峰山町まで駆けつけなくてはならじと、満を持していた処でした。

その秘仏が、なんと京博に展示されるというのです。
京博HPにも、
「秘仏なので・・・・今回、初の出開帳がかないました。この機会にぜひご観覧ください。」
と、記されているではありませんか。

このチャンスを逃すわけにはいきません。



【奈良時代なのか?~やはり、10世紀末の制作という解説に、全面納得】


京博で、念願の仏像を、眼近に実見することが出来ました。

縁城寺・千手観音像縁城寺・千手観音像
縁城寺・千手観音像~顔部

井上正氏は、

「こうして本像は、代用檀像の化現仏として、一木彫のきわめて古いあたりに位置することが徐々に明らかになってきたように思う。」(古密教像巡歴・2012法蔵館刊)

と述べて、奈良時代の制作の可能性を言及しています。

一方、展覧会図録の解説では、

「衣文が浅い点、ワエストの締まった均整の取れたプロポーションは平安時代後期につながるものといえる。
縁城寺が、永延2年(988)に一条天皇の勅願所として整備された時期を、大きく隔たらずに造られたと考えられる。」(図録解説・浅湫毅氏)

として、10世紀末の制作と考えています。

私は、展覧会図録解説の云う「10世紀末制作像」という見方に、全面的に納得しました。
率直に云って、もっと、霊気のような精神性を秘めた一木彫像なのかなと期待したのですが、平安中期的な、「穏やかさ」の方を強く感じるものがありました。

それはさておき、念願の秘仏、縁城寺・千手観音像を、博物館で眼近にじっくり観ることが出来、大満足の「丹後の仏教美術展」でした。

この特別展には、宮津市、金剛心院の如来立像が出展されていました。

金剛心院・如来像
金剛心院・如来像

こちらの如来像は、何度見ても、発散するオーラ、迫力に圧倒されてしまいます。
平安初期彫刻の傑出作品だと、今更ながらに、見惚れてしまいました。

この他、平常陳列に出展されていた仏像で、私が注目したのは、次の仏像です。

観仏先リスト04~京博・平常陳列

それぞれの仏像にふれていくとキリがありませんので、此処ではやめておきます。



【奈良博「忍性展」へ~鎌倉仏には関心ほどほどで、サラリと鑑賞】


奈良国立博物館で開催中の、忍性生誕800年記念特別展「忍性~救済にささげた生涯~展」も、覗いてきました。

「忍性展」ポスター

忍性は西大寺の叡尊を師とした、真言律宗の高僧で、貧民やハンセン病患者など社会的弱者の救済に尽力したことで知られています。
忍性ゆかりの寺院に伝わる名宝や文化財を一堂に集められた展覧会でした。
出展された目ぼしい仏像は、次のようなものでした。

観仏先リスト05~「忍性~救済にささげた生涯~展」

極楽寺・釈迦如来像.極楽寺・十大弟子像~舎利弗
極楽寺~(左)釈迦如来像、(右)十大弟子像~舎利弗

私は、鎌倉時代の仏像への関心が、今一歩という処なので、サラリと観て回ったというような感じとなりました。



【奈良博・募金箱に託された浄財で、修理実現~高尾地蔵堂・毘沙門天像】


なら仏像館の方には、奈良博の「文化財保存への募金」を活用して保存修理が実現した、滋賀県甲賀市・高尾地蔵堂の毘沙門天像(平安後期・12C)が公開されていました。

観仏先リスト06~高尾地蔵堂

高尾地蔵堂・毘沙門天像~修理前.高尾地蔵堂・毘沙門天像
高尾地蔵堂・毘沙門天像~(左)修理前、(右)修理後

この毘沙門像は、2010年、甲賀市史の編集に伴う事前調査をした際に発見されました。
発見時には、表面が分厚い後補の彩色で覆われていましたが、博物館の募金箱に託された浄財で、約400万円の修理費用が全額賄われ、修復が実現したというものです。
厳しい文化財関係予算のなか、一般人々の募金で修復が実現したという話に、ちょこっと感激しました。

奈良国立博物館に設置されている募金箱
奈良国立博物館に設置されている募金



同窓会を終えた翌日は、京都に妻と一泊。

妻は京の町歩きへ。
私は佛教大学公開講座
「美術史家・井上正の眼シリーズ~円熟期の井上正先生に師事して(熊谷貴史氏)」
に出かけました。

食事、いつもの定番コースの店の他に、最近ちょっと人気のイタリアンといわれる、「Ristorante 美郷」へ行ってみました。

「Ristorante 美郷」
「Ristorante 美郷」

五条河原町の近くで、近頃はやりの、古い京町屋を改造利用したお店でした。
シャレた盛り付け、程よい味付けといったイタリアンでしたが、一度経験しておけばOKかなという感じだったでしょうか。

暑い暑い8月の観仏は、しんどくて、これでおしまいです。



[9月]


暑いながらも、秋の匂いも感じる9月。
しばらく出かけていなかった、観仏探訪活動へ出動です。


【知られざる、奈良郊外の見どころ満点の仏像探訪の旅へ】


同好の方々と、一泊二日で、

「奈良の、あまり知られていないが、見処ある仏像を訪ねる」

というテーマで、観仏に出かけました。
山添村・薬音寺、桜井市笠区・妙円寺、宇陀市榛原・戒長寺、奈良市郊外の弘仁寺、正暦寺などを訪ねました。
仏像愛好家にとっては、結構渋い処の、ラインアップではないかと思います。

初日は、ご覧の処を訪ねました。

観仏先リスト07~薬音寺他


【隠れた平安古仏群に、驚きと大興奮~山添村・薬音寺の諸仏像】


何といっても、驚きの大興奮だったのは、最初に訪ねた、山添村・薬音寺の古仏像群でした。

「山添村・薬音寺の古仏像群」
と聞いて、
ピンとくる方はあまりいらっしゃらないのではないかと思います。

近年まで、ほとんど知られざる仏像群でした。
2014年に県教育委員会の調査が実施され、俄かに平安期の古仏群として注目を浴びるようになったのだと思います。

山添村、薬音寺・古仏像群
山添村、薬音寺・古仏像群

近畿文化会の探訪解説に、県教委の神田雅章氏が、薬音寺諸像について、このように紹介されています。

「須弥壇上に所狭しと平安仏が並ぶ様は圧巻であり、これだけの古仏が一箇所にまとまって伝わる例を奈良では他に知らない。
平安仏19体、鎌倉仏1体からなり、村の文化財として一括指定されるが、平安仏も一具ではなく複数の手に分かれる。」
(近畿文化775 号「山添村の仏像」2014年)

なかでも古様な一群は、10世紀後半の制作に遡るとみられているようです。

村役場の教育委員会のご担当に、大変お世話になり、拝観が叶いました。

薬音寺は、奈良駅から車で東に40分程、人里離れたといっても良いような、山中の村落にあるお堂でした。

薬音寺のお堂

薬音寺古仏群、県指定文化財指定の標識看板
薬音寺のお堂と、県指定文化財古仏群の案内看板


【奈良郊外山中に、10世紀の古仏群~地方仏の匂いのする、素朴な力に惹かれる】


小さなお堂の中の須弥壇に、沢山の仏像が並んで祀られています。

薬音寺堂内の須弥壇に、所狭しと並ぶ古仏群
薬音寺堂内の須弥壇に、所狭しと並ぶ古仏群

間違いなく、平安古仏群です。
奈良の中心地から、そんなにも遠くない地なのですが、田舎風と云うか、たしかに地方作という匂いのする古仏です。

とりわけ、眼を惹いたのは、薬師如来坐像でした。

薬音寺・薬師如来像
薬音寺・薬師如来像薬音寺・薬師如来像
薬音寺・薬師如来像

衣文の彫り口は、シャープなものがあり、素朴な中にも、力感ある迫力を発散しています。
聖観音像の古様さ、天部像の諧謔な造形もまた、魅力的なものがありました。

薬音寺・聖観音像薬音寺・広目天像
薬音寺~(左)聖観音像、(右)広目天像

古様な一群は、その造形から10世紀に遡る平安古仏であろうと思わせます。
それにしても、20体近い素朴な平安古仏が、身を寄せ合って、一群で発するパワーには、心惹きつけるものを感じます。
これほどの、平安古仏群が、ほとんど注目もされずに、隠されてきたというのは、ビックリポン!!でした。
これまで、注目されることなく、近年に至ったというのは、名作仏像ひしめき合う奈良の地であるからこそなのでしょうか?

「驚きの、薬音寺平安古仏群に、興奮、感嘆!
訪ねてきてみて本当に良かった。」

こんな、満足感一杯で、山添村・薬音寺を後にしました。

帰りに、高円山の白毫寺、高畑の新薬師寺へ寄りました。
いつも思うのですが、白毫寺の伝文殊菩薩像は、平安前期の一木彫像のなかでも、出色の出来の良い像だと思っています。

白毫寺・伝文殊菩薩像
白毫寺・伝文殊菩薩像

ちょっと、整い過ぎ感がないわけではありませんが・・・・・・
もっともっと知られてもよいのではないかと思うのですが、なかなか有名にはなりそうにありません。



【奈良に美味いもの、あり~高畑「温石」】


夜は、奈良の会席料理の老舗、「温石」へ。
昔から知られている店なのですが、これまで訪ねる機会がなくて、初体験となりました。
高畑の閑静な住宅街の中にあります。
軒先がほんのりライトアップしていなければ、そこに料理屋があるとは気が付かぬような静かな佇まいです。

高畑「温石」
高畑「温石」

古民家風の飾らぬシンプルなしつらえの、落ち着いたお店でした。

「美味かったです!!」

いずれの料理も素材が抜群、とりわけ車エビは極上でした。
味付けも、奈良にしては?ふうわりと穏やか。

「奈良に美味いものなし!」と云いますが、「美味いものを見つけたぞ!」という気分です。
ちょっとお値段が張るのですが、大満足の一夜となりました。


翌日は、奈良中北部のご覧のような諸仏を巡りました。

観仏リスト08~笠区他


【やはり「知られざる名作」、笠区妙円寺の、平安古仏・薬師如来像】


本日の最大の目的は、笠区・妙円寺の薬師如来像です。

笠区妙円寺・薬師如来像
笠区妙円寺・薬師如来像

この薬師像、平安前中期の一木彫像ですが、素晴らしい出来の傑作です。
これまで展覧会などに出展されたことも、一度も無く、桜井市の外れの山中といってもよいような鄙びた処に、ポツリと在りますので、直に拝した方は、それほど多くはないのかと思います。

笠区妙円寺・収蔵庫
笠区妙円寺~薬師像が祀られる収蔵庫

これだけの出来の良い像は、そう多くあるものではありません。
「知られざる名作」と、私は、秘かに思っているのです。



【新指定重文、浄山寺・地蔵菩薩像と笠区・薬師像を見較べる~「同系の作者の手になる」のだろうか?】


私は、二度目の訪問となるのですが、今回は、一つの目的がありました。
今年度、新指定重要文化財となった、埼玉越谷の浄山寺・地蔵菩薩像の重文指定事由解説に、このように述べられていたのです。

「奈良笠区薬師如来像(重要文化財)は、側面での衣文の彫法が本像(浄山寺地蔵菩薩像)と酷似する。
・・・・・
両像は同系の作者の手になるとみてよく、本像は畿内よりもたらされたものであろう。
製作年代は、鋭くいまだ定型化をみせない衣文の彫り口から、九世紀前半に遡る可能性が考えられる。」
(月刊文化財633号「新指定の文化財」2016年6月)

もう一度、自分の眼で、浄山寺・地蔵菩薩像と、笠区・薬師如来像を見較べてみたかったのです。

埼玉浄山寺・地蔵菩薩像埼玉浄山寺・地蔵菩薩像
埼玉浄山寺・地蔵菩薩像

笠区・薬師如来像は、年に一二度しか開帳されず、普段は拝観が難しいのですが、桜井市の教育委員会のお世話になって、拝することが出来ました。



【鋭い切れ味、キリリと引き締まった姿は、やはり傑出~笠区の薬師像】


収蔵庫に祀られる、薬師像を眼近にじっくりと拝することが出来ました。
やはり何度見ても、素晴らしい出来の傑作像です。
惚れ惚れします。

「手の切れそうな鋭い切れ味の鎬、深く彫り込まれ粘りのある衣文」

この凄さに惚れ込まない人は、いないのではないでしょうか?

笠区妙円寺・薬師如来像

笠区妙円寺・薬師如来像笠区妙円寺・薬師如来像
鋭い鎬、深く粘りある衣文の彫り口の、笠区・薬師如来像

溢れんばかりのボリューム感、迫力という訳ではないのですが、厳しげな顔貌、キリリと引き締まった体躯は凛として、強い存在感を感じさせます。

笠区妙円寺・薬師如来像

笠区妙円寺・薬師如来像
笠区妙円寺・薬師如来像

カヤ材の一木彫、蓮肉まで共木から彫り出されています。
平安初期様を引く9世紀末~10世紀初の制作といわれています。


さて、問題の、9世紀の制作といわれる、浄山寺・地蔵像との見較べです。

笠区妙円寺・薬師如来像~側面V字状の衣文埼玉浄山寺~側面のV字状の衣文
側面のV字状の衣文~(左)笠区・薬師像、(右)浄山寺・地蔵像

笠区妙円寺・薬師如来像~腰脚部埼玉浄山寺・地蔵菩薩像~腰脚部
腰脚部の衣文~(左)笠区・薬師像、(右)浄山寺・地蔵像

確かに、両袖側面のV字状の衣文など、衣文の形式、鋭さは類似しているようには思うのですが、

新指定重文解説のように、
「両像は同系の作者の手になるとみてよく・・・・」
といわれると、
「ウーン、自分の仏像を見る眼が、まだまだなのかな?」
と、ちょっと唸ってしまいました。

少なくとも、

「笠区・薬師如来像の方が、彫刻作品として格段に出来のレベルが優れている。」

そのような確信を持ったのは、率直な感想でした。



【緑濃い樹々に覆われる「かくれ寺」、戒長寺】


戒長寺は、人里離れた榛原の山中、まさに「かくれ寺」です。

緑濃い樹々に囲まれた戒長寺
緑濃い樹々に囲まれた戒長寺

境内の大イチョウをはじめ、鬱蒼とした緑に囲まれていました。
煩わしい俗界から離れた地で、心静かになるような思いいです。
拝した諸仏もまた、皆、平安後期のおだやかな造形でした。

戒長寺・薬師如来像

戒長寺・日光菩薩像.戒長寺・薬師如来像、日光月光菩薩像
四君子苑~玄関と前庭

奈良中部の地方的作風という諸像でしたが、心和やかな気持ちとなりました。
ご住職には、大変、親切丁寧にご案内いただきました。



【重量感と動勢が見処~弘仁寺の平安前中期・二天像】


弘仁寺を訪れました。
天理駅の北東にあります。

弘仁寺の境内と本堂
弘仁寺の境内と本堂

弘仁寺と云えば、平安前期の一木彫像「明星菩薩像」が、有名です。
明星菩薩像は、長らく奈良国立博物館に寄託されており、弘仁寺にはありません。

この日の目的は、本堂に安置される持国・増長の天部二像を拝することでした。

弘仁寺・増長天像
弘仁寺・増長天像

天部二像は、平安中期、9世紀末~10世紀初の制作とされる平安古仏です。
(残りの広目・多門天像は、江戸時代の制作です。)

今回が、初めての拝観です。
風雨にさらされたのか、木肌は随分荒れていますが、重量感と動勢のある、なかなか見処のある天部像です。
カツラの一木彫、邪鬼まで共木から彫り出されています。

飛鳥、川原寺に遺される、天部二像を連想させる造形です。

川原寺・多門天像
川原寺・多門天像

あまり知られていない平安古仏ではないかと思うのですが、一見の価値ある天部像でした。



【大御輪寺伝来の日光月光菩薩像を拝しに、正暦寺を訪ねる】


最後に、正暦寺を訪れました。

今回、正暦寺を訪ねた目的は、本堂に祀られている、日光月光菩薩像を拝することでした。
この日光月光の二菩薩像は、元々、大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺である大御輪寺に安置されていた仏像なのです。

大御輪寺旧本堂~現大直禰子神社
大御輪寺旧本堂~現大直禰子神社社殿

明治の神仏分離令の影響で、正暦寺に移されたのでした。
大御輪寺伝来の仏像と云えば、
聖林寺の国宝・十一面観音像があまりにも有名ですが、
他にも、
法隆寺・地蔵菩薩像(国宝・平安)、玄賓庵・不動明王像(重文・平安)、長岳寺・増長多聞天像と、この正暦寺像が、
明治初年に大御輪寺から移されたと伝えられています。



【県指定文化財となり、修復もなった二菩薩像】


この大御輪寺伝来・正暦寺日光月光像は、平安時代前中期の制作とされています。
長らく、無指定の仏像だったのですが、2013年に、新たに県指定文化財に指定されました。
文化財指定を機に、腕が無くなっているなどの損傷の復元修理が行われていましたが、今年、その修理が完成したというは話なのです。
私は、この文化財指定&修復完成情報は、全く知らなかったのですが、今回ご一緒の同好の方から、耳寄り情報として教えられたのでした。

この正暦寺・菩薩像、私は、拝したことはありません。
是非一度は拝したいものと、ご住職に拝観のお願いを申し上げた処、ご了解をいただいたのでした。

ご存じのとおり、正暦寺は、立派な伽藍のお寺です。

正楽寺・本堂
正暦寺・本堂

お伺いすると、わざわざ、ご住職自ら、本堂にご案内いただきました。
お目当ての、日光月光菩薩像は、近年新造された中尊・薬師如来像の両脇侍として、安置されていました。

正暦寺本堂に安置される薬師如来像(新造)と日光月光菩薩像
正暦寺本堂に安置される薬師如来像(新造)と日光月光菩薩像

大御輪寺伝来~正暦寺・月光菩薩像大御輪寺伝来~正暦寺・日光菩薩像
大御輪寺伝来・正暦寺~(左)月光菩薩像(右)日光菩薩像

修理前の大御輪寺伝来~正暦寺・月光菩薩像修理前の大御輪寺伝来~正暦寺・日光菩薩像
修理修復前の腕の亡失した(左)月光菩薩像(右)日光菩薩像

亡失していた両腕も復元され、ご立派なお姿を拝することが出来ました。
両像共に、奈良様の伝統を受け継いだ、見事な木彫像です。

乾漆併用で造形されているようのではないでしょうか?
間違いなく、奈良様を残した平安前中期の制作のように見受けました。



【明治元年に大御輪寺から正暦寺へ~正暦寺に残る「寄付証文・目録」で明らかに】


ご住職から、日光月光菩薩像が大御輪寺から移された経緯について、まことに興味深いお話をお教えいただきました。
なんと、正暦寺には、大御輪寺からの「寄付証文・目録」が、3通残されているそうなのです。
その文書には、大御輪寺から、両菩薩像はじめ仏具が寄付され、正暦寺から相応の御礼がされた旨、記されているというのです。
日付は、慶応4年・明治元年(1867)となっているということでした。

ご存じのとおり、聖林寺にも、大御輪寺から十一面観音像、地蔵菩薩像(現在法隆寺所在)等を預かったという、慶応4年(1867)の「預証文」が、遺されています。

明治初年の神仏分離の際、大御輪寺の仏像が、各寺に移されるについては、きっちりとした相互の了解のもとに、移安されたということなのでしょう。
大御輪寺旧仏については、決して、廃仏毀釈の嵐の中で廃棄同様に扱われたということではなかったようです。
正暦寺に残る大御輪寺からの「寄付証文」については、まだ、広く世に知られるには至っていないようです。

「そんな貴重な資料が、正暦寺に残されていたのか!」

ビックリするとともに、初めて知った秘話に、心ときめいてしまいました。

ご住職から、大変に興味深い、秘話ともいうべき貴重なお話をお伺いすることが出来ました。
私にとっては、最も関心の高いテーマの、未知の話の連続で、大興奮のひと時となりました。

大変懇切にご案内いただき、貴重な秘話まで聞かせていただいたご住職に、心より感謝しつつ、正暦寺を後にしました。


今回の一泊二日の奈良観仏探訪は、あまり知られていない渋い処の仏像ばかりといったラインアップでしたが、極めて中身の濃く充実した、大満足の旅となりました。



【3mの巨像、櫟野寺・観音坐像が東博に出展~360度ビューで鑑賞】


7~9月の観仏の最後は、東京国立博物館で開催されている、「平安の秘仏~滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち展」です。

「平安の秘仏~櫟野寺展」ポスター

櫟野寺の十一面観音像は、お寺の本堂で何度か拝したことはあるのですが、その観音像が、初めてお寺を出て、博物館で展示されることになったのです。

櫟野寺・十一面観音像
櫟野寺・十一面観音像

今回の特別展は、33年に一度の大開帳に向けて、本堂・文化財収蔵庫の大改修が行なわれることになり、その機会に、櫟野寺の全て平安古仏像が出展される、特別展が開催されることとなったということです。
櫟野寺の平安古仏像、20躯が、全て勢揃いしていました。

十一面観音像は、像高が3mもある巨大像です。
その観音像が、東京まで運ばれ、360度ビューで展示されることになったのですから、駆け付けないわけにはいきません。
一度、どうしても側面から、観たかったのです。
お寺では、お厨子の中に安置されており、側面背面からは拝することは叶いません。

櫟野寺の厨子内に安置される十一面観音像
櫟野寺の厨子内に安置される十一面観音像


【不思議な造り方の櫟野寺・観音像~桶状矧付けで、ボリューム増量】


実は、この観音像、ヒノキの一木造りなのですが、頭体部の丸太状の原木の周りに、十数枚の薄板を桶状に矧ぎつけ、体部の太さを増すように造られているのです。
不思議な造り方です。
何らかの由緒ある霊木のヒノキ丸太を用い、その霊木を活かしつつ、ボリュームをつけるため、こんな異色の木寄せを行なわざるを得なかったのであろうとみられています。

博物館で、真横から、じっくりと観ることが出来ました。
分厚いのです。
腹から腰にかけて、予想以上のドーンとしたボリューム感です。
あとからボリュームを増したというぎこちなさが、ほんのちょっと残るようですが、そのことがまた、堂々たる安定感を醸し出しているのだと納得しました。

櫟野寺・十一面観音像
四君子苑~玄関と前庭

正面から拝しても、下膨れで大ぶりな目鼻立ち、拡がりのある両ひざの構えで、堂々たる姿に圧倒されます。
平安中期の、穏やかさを醸しながらも、

「どっしりと、頼りになる仏様!」

そんな雰囲気が、漂っていました。
10世紀の数ある仏像の中でも、傑作のひとつとして、指を折ってもよい見事な仏像だと、納得です。



【ちょっと難しかった「甲賀様式」という考え方】


ご本尊の他にも、19躯の平安古仏が、所狭しと展示されていました。
全て、平安中期から後期にかけての制作の仏像です。

解説キャプションには、
「甲賀様式と呼ばれる造形表現の共通の特徴があり、櫟野寺を中心に甲賀の寺院に広くみられる。」
と記されるとともに、

図録解説には、「甲賀様式と櫟野寺の仏像」(西木政統氏執筆)という解説論考が、掲載されていました。
「よく伸びた細身の体躯」「目尻の吊り上がった厳しさを残す目」「裳の折返しや腰布を独特の意匠で飾る」「静穏な作風」
などといった、類似の様式的特徴がみられるということです。

櫟野寺~甲賀様式像1.櫟野寺~甲賀様式像2
甲賀様式といわれる仏像~櫟野寺・観音菩薩像


諸像を、一所懸命に、観てみたのですが、

〈甲賀様式という様式的特徴〉として、括り出せるものなのかどうか?」

そのあたりを、どのように理解していったらよいのか、なかなかよく判りませんでした。
まだまだ勉強不足、という処です。


やっと、第三四半期、9月までの観仏探訪をご紹介することが出来ました。

ついつい図に乗って、ダラダラと長く綴ってしまい、その分時間もかかって、早くも、今年の残りの日も、指折り数えるほどになってしまいました。
年内に「今年の観仏を振り返って」を、すべて掲載し終わるつもりだったのですが、もう間に合いそうにありません。

毎日、こればかりやっているという訳にもいきませんので・・・・・
ギブアップという処です。

ということで、「最終回、〈その4〉(10~12月)」は、年またぎで、新年早々のいずれかに掲載させていただきます。


今年も、「観仏日々帖」ご覧いただきまして、本当にありがとうございました。

来年も、「気ままな仏像記事」を、書き連ねていければと思っております。
よろしくお付き合いいただけますよう、お願いいたします。


皆様、良き年を迎えられますよう!!


古仏探訪~2016年・今年の観仏を振り返って〈その2〉 4~6月   【2016.12.17】


「今年の観仏を振り返って〈その2〉」は、4月~6月の観仏探訪をご紹介いたします。


[4月]


【京滋美食旅行を満喫しすぎて、体調ゲンナリ~齢を悟る】


4月、飲み友達二人と、美食旅行と称して、一泊二日で京都方面に遊びに出かけました。

仏像探訪ではなくて、唯々、美味いものを食って、酒を飲もうというだけの旅です。



【寄ってみて良かった、四君子苑と山紫水明処】


初日は、北村美術館・四君子苑、山紫水明処、下賀茂神社を訪ねました。

北村美術館(河原町今出川付近)は、実業家で茶人であった北村謹次郎の蒐集品美術館です。
今回めざしたのは、特別公開していた北村の旧邸「四君子苑」で、初めて訪ねましたが、なかなかの趣ある数寄屋建築と庭園で、素晴らしき「粋」の世界を、堪能しました。

四君子苑・玄関

四君子苑
四君子苑~玄関と前庭

「山紫水明処」(河原町丸太町付近)は、頼山陽の書斎兼茶室であった処ですが、簡素、清新の佇まいで、賀茂川べりに東山を眺望する市中の山居の味わい深いものがありました。

山紫水明処

山紫水明処から鴨川を望む
山紫水明処~入口と室内から賀茂川を望む

頼家の方が管理される保存会に、見学予約が必要なのですが、わざわざ訪ねてみるだけの値打ち十分の山紫水明処でした。


美食旅行の夜は、河原町今出川近くの「御料理はやし」。
北村美術館の筋向いの、しもたや風の飾らぬ簡素な構えのお店です。

御料理「はやし」外観

御料理「はやし」お座敷
御料理「はやし」~外観と室内・座敷

流石の懐石料理でした。
本来の京好みというか、穏やかな薄味で素材そのものの味を生かした味付け。
器の好みはクッキリ系でしたが、味付けはホンノリ系。
「薄味すぎて」と感じる方も多いかもしれませんが、私には、これがぴったりで満足でした。



【白洲正子「かくれ里」で知られる、葛川明王院へ】


翌日は、京の北方、比良山系方面へ。
葛川明王院、興聖寺、保福寺などを訪ねました。

葛川明王院は、深山幽谷の安曇川渓谷にある、天台の回峰行の道場として知られ、白洲正子氏の「かくれ里」にも綴られています。

葛川明王院
葛川明王院への道

葛川明王院
葛川明王院本堂を望む

葛川明王院・本堂内
葛川明王院・本堂内

流石に、天台修験、回峰修験の聖地といわれるだけのことある処でした。

お昼は、葛川明王院への入り口にある、比良山荘。
「山の辺料理」で名高い料理旅館といわれる処ですが、こんなに山奥にあるのに、なかなかの人気で繁盛のようです。

山の辺料理・比良山荘

比良山荘
山の辺料理・比良山荘

今回は、昼食だけということにしましたが、美味しくいただき、お昼なのにちょっと飲み過ぎてしまいました。
こちらは、クッキリ系の切れの良い味付けです。
美形で評判の女将さんのお出迎えもあり、満足の時間でした。


折角、比良山、安曇川渓谷までやってきたので、興聖寺と保福寺の観仏に寄ってみることにしました。

観仏先リスト01~保福寺・興聖寺

保福寺・釈迦如来像は、なかなかの魅力の10世紀平安古仏です。

保福寺・参道入り口

保福寺・釈迦如来像
保福寺~参道入り口と釈迦如来像(平安中期)

一見穏やかそうなのですが「静謐なる存在感」を強く訴えて来る造形で、お気に入りの仏像です。
2年ぶりに、再訪しましたが、やはり心惹かれるものを感じました。
以前に、観仏日々帖
「古仏探訪~滋賀県高島市・保福寺の釈迦如来坐像」
で、紹介させていただいています。



【美味なる料理、うまい酒に、ついつい調子に乗ってしまい・・・・・】


この日の夜は、大津駅の傍の「割烹・成」で、一杯。

大津・割烹「成」
大津・割烹「成」

この割烹は、近江高島の鮒ずしの老舗「総本家・喜多品老舗」のご紹介。
喜多品の鮒ずしを肴に、一杯飲れる処を?というリクエストに、このお店を紹介いただきました。
新規開店間もない若夫婦お二人での店でしたが、料理は、素材、味付け共に流石のハイレベル、値段もリーズナブル、これだけの店はなかなかありません。
是非々々、繁盛してほしいものです。

お酒も進んで、調子に乗って、もう一軒!と、京都寺町二条のバー「カルバドール」にまで、寄ってしまいました。

寺町・バー「カルバドール」
京都寺町・バー「カルバドール」

リンゴから作ったブランデー、カルバドスだけを出す、珍しいバーです。
美味なるカルバドスに、またまた飲みが進んでしまいました。

馬鹿げた美食旅行の飲み食いの話ばかりで、申し訳ありませんでした。
調子に乗りすぎての過食、過飲が祟って、その後、体調不良に陥ってしまいました。
しばらくの間、調子が悪い日々が続いて、痛い目に遭いました。
もう、いい齢になっているのを、自覚しなければならないと、反省しきりでした。



翌日は、折角京都まで来たので、連泊。
美食旅行の飲み仲間と別れて、一人で、観仏に出かけました。

山科の安祥寺・十一面観音像と、大津・石山寺の秘仏、如意輪観音像の特別ご開帳に出かけました。
共に、まだ拝したことがない、未見仏像です。

観仏先リスト02~安祥寺・石山寺



【念願の山科安祥寺・十一面観音像を拝観~見事な奈良時代一木彫像に見惚れる】


安祥寺の十一面観音像は、10年ほど前、安祥寺の総合調査で、発見再評価された注目の半丈六立像です。

山科安祥寺・本堂
山科安祥寺・本堂

安祥寺・十一面観音像..安祥寺・十一面観音像
堂々たる天平風の一木彫~安祥寺・十一面観音像

天平彫刻風の造形感覚の、奈良時代の制作に遡るといわれる一木彫像です。
一度は拝してみたいと思っていた、念願の未見仏像です。
普段は、非公開になっているのですが、拝観をご了解いただき、拝観が実現しました。
想像以上の優作で、
「奈良時代に遡る、天平風の一木彫の世界」
というものを、強く感じる見事な仏像でした。

この安祥寺・十一面観音像については、観仏日々帖・
古仏探訪「山科区御陵平林町・安祥寺の十一面観音像」
で、紹介させていただきました。



【勅封秘仏御開帳に石山寺へ~温和な巨像、秘仏本尊・如意輪観音像】


その後は、大津まで足を伸ばして、石山寺の秘仏本尊・如意輪観音菩薩像の特別ご開帳、拝観に出かけました。

石山寺・山門
石山寺・山門

勅封秘仏本尊・観音像開扉を知らせる木札
勅封秘仏本尊・観音像
開扉を知らせる木札
この如意輪観音像は、勅封秘仏とされ、33年に一度の御開帳なのですが、ここ15年ほどの間では、開基1250年記念開帳などで、3回目の御開帳になります。

今回は、33年に一度の開帳年にあたり、7年ぶりのご開帳となります。
実は、私はたまたま、この如意輪観音像を拝したことがなくて、今回が、初のご拝観となります。
9ヶ月間にもわたる、長い期間の御開帳でしたので、この日は、訪れる人もまばらといった様子でした。

像高239㎝という巨像ですが、近寄って、じっくり見上げるように拝することが出来ました。
平安後期の温和な定朝様がうかがえる像で、予想通りのお姿という処でしょうか。

石山寺・秘仏本尊・如意輪観音像
石山寺・秘仏本尊・如意輪観音像

帰りは、過食過飲の体調不良で、グッタリ。



【毎年必見の新指定国宝・重文展~今年の刮目は清泰寺・菩薩像と宝山寺二童子像】


4月後半は、毎年恒例の、今年度の新指定国宝・重要文化財の仏像が、東京国立博物館で特別公開される月です。

平成28年度(2015)は、ご覧のような仏像彫刻、神像等が、国宝・重要文化財に新たに指定、展示されました。

観仏先リスト03~新指定文化財出展一覧

仏像愛好者にとっては、必見、愉しみにしている特別展です。

今年、2月の御開帳に、急遽駆けつけた、埼玉越谷、浄山寺の地蔵菩薩像も、ちゃんと重要文化財指定され、出展されていました。
それぞれのご紹介となると大変ですので、このリストでご容赦ください。
私の注目像だけを、1~2ふれさせていただきます。

まずは、清泰寺の菩薩坐像2躯は、私の好きな平安前期、9世紀の木彫像です。

枚方市清泰寺・二菩薩像
枚方市清泰寺・二菩薩像

以前から大変気になっており、一度は拝したい平安古仏だったのですが、なかなか枚方市まで訪れる機会がなく、未見となっていたものです。

「構造や作風は奈良博・薬師如来像(国宝) や四天王寺・阿弥陀三尊像(重文)中尊などに通じ、同系の作者の手になることを思わせる。」

と解説されています。
30センチほどの小像ですが、ちょっとエキゾチックで出来の良い魅力的な仏像でした。



【江戸仏師の力感あふれる彫技にビックリ~宝山寺・制吒迦童子像の、傑出した造形表現力】


もう一つの大注目は、宝山寺の不動明王像脇侍、制吒迦童子・矜羯羅童子像でした。

生駒市宝山寺・制タ迦童子像.生駒市宝山寺・矜羯羅童子像
生駒市宝山寺~(左)制タ迦童子像、(右)矜羯羅童子像

今回の重要文化財新指定は、不動明王像と4躯の脇侍像だったのですが、東博には、矜羯羅・制吒迦の二童子像が出展されていました。
これらの諸像は、江戸時代の造立で、不動像は僧・湛海の自作、脇侍二童子像は元禄年間に院達の手によって制作されたとされています。
実の処、江戸時代の仏像ということで、これまで、ほとんど関心がなかったのですが、二童子像の実物を見て、そのダイナミックな躍動感ある造形にビックリしてしまいました。
とりわけ、制吒迦童子の出来は、江戸彫刻とは信じられないような、活き活きした生彩を放つ素晴らしい出来です。

生駒市宝山寺・制タ迦童子像
生駒市宝山寺・制タ迦童子像

江戸時代の仏師も、これだけの見事な力感ある造形表現力を備えていたのだと、本当に感心してしまいました。



【運慶作なのか?~悩ましく興味深い静嘉堂・十二神将像(浄瑠璃寺伝来)】


4月の末には、静嘉堂美術館で開催された、特別展「よみがえる仏の美~修理完成披露に寄せて」を観に行きました。

観仏先リスト04~静嘉堂文庫・十二神将像

静嘉堂美術館・「よみがえる仏の美展」ポスター.静嘉堂美術館蔵・浄瑠璃寺伝来十二神将像(卯)
「よみがえる仏の美展」ポスターと静嘉堂美術館蔵・浄瑠璃寺伝来十二神将像(卯)

近年、
「運慶作か?と、話題の仏像、浄瑠璃寺伝来・木造十二神将立像のうち4躯」
などと報じられた像が、
修理を終えて展示されるというので、出かけたのでした。

当日開催の、運慶研究の第一人者、山本勉氏の講演会「十二神将像のひみつ―浄瑠璃寺伝来の一具と運慶」も、聴講しました。
講演会は、整理券があっという間になくなってしまうという、大変な人気ででした。
「運慶」という名の威力を、今更ながらに、感じました。
この十二神将像の話は、興味深い話なのですが、長くなってしまいますので、此処では止めておきます。



[5月]


【51年ぶりの秘仏御開帳に駆けつけた、法界寺・薬師如来像~見事な截金文様】


5月に入りました。

ゴールデンウィークは、何処もかしこも混雑しますので、出かけないようにしているのですが、今年だけは特別で、京都まで出かけてしまいました。
京都市伏見区の法界寺の秘仏本尊・薬師如来立像が、10日間に限り、特別公開となったのです。
京都古文化保存協会による「非公開文化財特別公開」で、公開されることになったのですが、なんと51年ぶりの、御開帳特別公開なのです。

日野法界寺・薬師像開扉看板の掲げられた山門
日野法界寺~秘仏・薬師像開扉看板の掲げられた山門

この機会を逸すると、私の齢では、もう拝観は望めそうにありません。
5月1日に、思い切って、一泊で京都まで出かけました。

観仏先リスト05~法界寺・恵福寺

秘仏薬師像拝観の人で賑やかな法界寺・薬師堂
秘仏薬師像拝観の人で賑やかな法界寺・薬師堂

秘仏・薬師如来像は、永承6年(1051年)頃の制作、温和な藤原風の素木像です。

法界寺・薬師如来像..法界寺・薬師如来像~側面
繊細華麗な截金文様の法界寺・薬師如来像

厨子正面の扉は開扉されず、脇の扉からの側面だけの拝観でしたが、超絶技巧の繊細華麗な截金文様を、十分堪能することが出来ました。



【京の豪商の底力を思い知る~杉本家住宅の、見事な端午の節句のしつらえ】


翌日は、京町屋の名門、奈良屋杉本家住宅が特別公開されていたので、寄ってみました。
奈良屋杉本家は、江戸時代から続いた、呉服商の超老舗で、住宅は重要文化財に指定されています。
老舗の豪商の町屋というのは、流石なものだと、唯々、感心です。

奈良屋杉本家・玄関
奈良屋杉本家・玄関
杉本家住宅内にしつらえられた端午の節句の飾り物の一部
杉本家住宅内にしつらえられた端午の節句の飾り物の一部

邸内各部屋は、端午の節句のしつらえで飾られていましたが、京の金持ちの商家の伝統と威力を思い知らされる、見事な品々の数々でした。

最近のベストセラー、井上章一著「京都ぎらい」の冒頭に、仏文学者、故杉本秀太郎に洛外育ちを侮蔑されたように云われたというエピソードが語られていますが、その杉本秀太郎の生家が、この奈良屋杉本家です。



【京の町中で見つけた、静かなカフェと素敵な粉引のカップ】


この京都旅行で、雰囲気の良い静かなカフェを見つけました。

中京区御幸町通二条にある、「MOLE(モール)」という、喫茶店です。
緑に覆われた、アジアンテイストのお店ですが、ゆったりと静かな時が流れるという言葉がぴったりの店です。
行きつけの喫茶店になりそうです。

緑に囲まれ静かな喫茶「モール」
緑に囲まれ静かなカフェ「モール」

お店で使われていた大ぶりの茶碗のような粉引のコーヒーカップ、滋味があって大変気に入ったので、マスターに「どこで買ったの?」とお聞きすると、近所の「丁子屋」というお店だということ。

「モール」で使われている粉引のコーヒーカップ
「モール」で使われている粉引のコーヒーカップ

早速、寺町二条の「グランピエ・丁子屋」という店を訪ねてみました。

「モール」で教えてもらった「グランピエ・丁子屋」
「モール」で教えてもらった「グランピエ・丁子屋」

粉引の焼き物など置いてそうにない、畑が違いそうな品揃えのお店でしたが、2階の奥の奥に、MOLEで見つけたカップと同じ作家の粉引が置いてありました。

ビックリするほど安かったので、徳利と盃をいくつか買ってしまいました。
早速、我が家の晩酌の、愛用のお気に入り徳利と盃になっています。

「丁子屋」で買った粉引の徳利~愛用中「丁子屋」で買った粉引の盃~愛用中
「丁子屋」で買った粉引の徳利と盃~愛用中



[6月]

6月です。

仏像愛好の会「天平会」の播磨観仏探訪の会に参加することにしました。
この天平会は、伝統あるの仏像愛好の団体で、毎月探訪会が開催されているのですが、関東から毎月参加という訳にもいかず、年に1~2回参加させてもらっています。

天平会の前日には、奈良、大和郡山の矢田寺・金剛山寺、東明寺に同好の方と出かけました。

観仏先リスト06~金剛山寺・東明寺



【天平風一木彫の世界を見つめなおしたくなる、矢田寺・十一面観音像】


金剛山寺は、春の特別ご開帳期間にあたっており、十一面観音像、地蔵菩薩像等を拝することが出来ました。

アジサイ満開の矢田寺金剛山寺
アジサイ満開の矢田寺金剛山寺

アジサイの花が満開で、まさに「アジサイ寺」そのもの、アジサイ見物の人々で、結構混雑していました。
十一面観音像は、まさに天平彫刻風の木彫像で、奈良時代後期の制作とみられています。

矢田寺・十一面観音像..矢田寺・十一面観音像
矢田寺金剛山寺・十一面観音像

蓮肉まで一木(当初)の、キリ材の一木彫像ということですが、
「奈良時代当時、伝統的天平風造形の仏像は、乾漆や塑像だけではなく、一木彫像もしっかり造像されていた。」
ということを、確かに実感させる造形の像でした。

安祥寺の十一面観音像のご紹介の処でもふれたのですが、

「奈良時代の天平風一木彫像の世界」

というものを、しっかりと見つめていく必要を、今更ながらに感じました。



【鋭い造形力、精神性を再発見した、東明寺・薬師如来像】


東明寺は、何度目かの拝観でしたが、今回は、薬師如来像の造形の魅力をしっかりと実感できることが出来ました。

東明寺・山門
東明寺・山門
東明寺・薬師如来像
東明寺・薬師如来像

いつも、お堂のなかが少々暗くて、お姿をはっきりと拝しにくかったのですが、今回は明るい照明の中で、しっかり目を凝らして拝することが出来ました。
ちょっと、ちょっと奈良の地方的な匂いのする仏像のように感じていたのですが、そんなことはありませんでした。

インド風の容貌で、お顔から胸にかけての造形表現は、なかなかに見事なものです。
鎬だった衣文の彫口も、鋭く緊張感があり、相当の造形力と精神性ある仏師の手になる一木彫像だと、感じました。



【リニューアルオープンの「なら仏像館」~新発見、室生寺・二天像(9C)を実見】


この後、約1年半ぶりに、改修を終えて、4月末にリニューアルオープンした、奈良博「なら仏像館」に寄りました。

リニューアルオープンした「なら仏像館」
リニューアルオープンした「なら仏像館」

照明が全部LEDになって、仏像彫刻の魅力を引き出すようなスポット照明になっています。
昨年(2015)7月に、室生寺仁王門の2階内部から新発見された、二天王像が展示されていました。

観仏先リスト07~室生寺・二天像


新発見の室生寺・二天像(9C).新発見の室生寺・二天像(9C)
新発見の室生寺・二天像(9C)

奈良博の解説には、
「太造りで量感に富んだ塊量的な体系が印象的で、造立年代も9世紀末頃を中心に考えることが出来、今後注目を集める作例といえよう。」
とありましたが、
まさにそのとおりで、興味深い平安前期像でした。



【「天平会」開催、播磨仏像探訪に参加】


翌日は、天平会の例会に参加、40人ほどのバス旅行で、播磨仏像探訪です。
丹波市の達身寺、多可郡八千代町の楊柳寺、小野市の浄土寺を訪ねました。

観仏先リスト08~達身寺・楊柳寺・浄土寺

いずれの寺々も、もう何度も訪れたことがあるのですが、天平会の講師、帝塚山大学の杉崎貴英先生の興味深い解説を聴きながら、同好の方々との仏像談義に花を咲かせながらの観仏で、大変愉しいものとなりました。



【学生時代、お寺に泊めてもらった達身寺~見違えるほど立派に】


達身寺の平安古仏の膨大な仏像群は、何度拝しても、なかなかの圧巻です。

丹波・達身寺

達身寺本堂に祀られる古仏群
丹波・達身寺と達身寺本堂に祀られる古仏群

最初に、達身寺を探訪したのは、50年近く前、学生の頃です。
皆で、達身寺に泊めていただき、大変に親切にしていただいたことを、思い出しました。
その頃と較べると、立派な収蔵庫もでき、見違えるように、きれいに整備されています。

達身寺・薬師如来像達身寺・トバツ毘沙門天像
達身寺~(左)薬師如来像、(右)トバツ毘沙門天像

学生時代・約50年前に撮影した薬師如来像の写真学生時代・約50年前に撮影したトバツ毘沙門天像の写真
学生時代・約50年前に撮影した思い出の写真



【「気」を吐き付ける楊柳寺・十一面観音像~みなぎる霊気】


楊柳寺は、今回は、楊柳観音像は秘仏で拝することはできませんでしたが、霊気みなぎり「気」を吐くがごとくの、十一面観音像のオーラをしっかり拝することが出来ました。

楊柳寺・山門
楊柳寺・山門

楊柳寺・十一面観音像.楊柳寺・十一面観音像
「霊気」を吐くがごとくの楊柳寺・十一面観音像

楊柳寺の諸仏像については、観仏日々帖・
古仏探訪「兵庫・多可郡 楊柳寺 楊柳観音・十一面観音像」〈その1〉〈その2〉
で、紹介させていただいています。

浄土寺は、今度こそ、阿弥陀三尊像の背後から西日が射し込み、後光を浴びて来迎するがごとくの姿と拝したかったのですが、またもや残念。
しっかりと曇り空で日は射さず、また次回へのお預けとなってしまいました。



【日韓の看板国宝、二つの半跏像が対面した、東博「ほほえみの御仏」展】


東京国立博物館で開催された、「ほほえみの御仏~二つの半跏思惟像」展に出かけました。

日韓共同開催「ほほえみの御仏~二つの半跏思惟像展」ポスター


国宝・中宮寺半跏思惟像と韓国国宝78号・韓国国立中央博物館蔵・半跏思惟像の2躯が同時に出展される展覧会で、日韓国交正常化50周年を記念して、日韓共同開催で実施されました。
2躯の国宝仏像だけの展示という特別展でしたが、流石に、多くの観覧車で賑わっていました。

広隆寺宝冠弥勒像と、これとそっくりな韓国国宝83号・韓国国立中央博物館蔵が並んで展示されるというようなことがあれば、これこそ驚きのビッグニュースになるのでしょうが、この実現はちょっと難しそうです。



【近年、東博蔵となった十一面観音像(9C)を、平常陳列で注目、発見】


平常陳列の方も覗いてみました。
普段は見かけない平安古仏で、気になる像が二つ展示されていました。

観仏先リスト09~東博蔵・十一面観音、養福寺

養福寺の二天像は、数年前に平安時代の仏像であることが、文化財調査で新たに判明した像だそうです。
江戸時代に、地方から養福寺に移された像ではないかとみられているようですが、素朴で野趣ある地方仏の雰囲気を発散する、面白い一木彫像でした。

東京都荒川区・養福寺の二天像
東京都荒川区・養福寺の二天像


もう一つ、東博蔵の十一面観音像は、なかなか魅力的で、注目の一木彫像でした。

東博蔵・十一面観音像(9C)
東博蔵・十一面観音像(9C)

いかにも平安前期、ちょっとエキゾチック、なかなかの彫り口の魅惑的な造形です。
9世紀の制作とされているそうです。
この仏像のことは全く知らなくて、初めて展示されているのを見ました。
東博に照会してみると、平成21年(2009年)度の東博新蔵品で、その前は個人蔵、伝来は不明だそうです。
東博には、たまにしか展示されない仏像でも、なかなかに、興味深く魅力的な仏像があるものです。



ダラダラと、仏像に関係ないことまで、随分長く綴ってしまいました。
これで6月まで、やっと半年分です。

もう少し我慢してお付き合い下さい。


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