観仏日々帖

古仏探訪~回想の地方仏探訪② 「福島 会津・勝常寺」  【2018.4.14】


【はじめての地方仏探訪旅行~東北、みちのくへ】


「生きている仏像たち」の本に触発されて、地方仏探訪に初めて出かけたのは、東北、みちのくの地方仏巡りでした。

そして、最初に訪れたお寺、皮切りのお寺が、会津の勝常寺でした。
昭和46年(1971)の夏、今から50年近くも前のことです。
古寺探訪の同好会のメンバー10人ほどで、出かけたのでした。

この、いの一番に訪れた勝常寺での薬師如来像のご拝観は、私にとっては、本当に、

「忘れがたき地方仏拝観体験」

となりました。

会津 勝常寺・本堂
会津 勝常寺・本堂

勝常寺・薬師如来坐像(平安前期・国宝)
勝常寺・薬師如来坐像(平安前期・国宝)


その思い出話を、ご紹介します。

東北、みちのくの仏像探訪旅行では、次のような古寺古仏を訪ねました。

・福島県では、会津・勝常寺、宇内薬師、
・山形県では、山形市・吉祥院、
・宮城県では、栗原市築館・双林寺、
・岩手県では、平泉・中尊寺、毛越寺、水沢・黒石寺、江刺・藤里毘沙門堂、北上・立花毘沙門堂、花巻東和町・成島毘沙門堂、二戸・天台寺

といった処です。
今では、東北の仏像探訪の定番となっているような処ばかりです。


何しろ、学生の貧乏旅行ですから、汽車と路線バスを乗り継いで、あとはテクテク徒歩という旅行です。
一日に2ヶ寺ぐらいを訪ねるのが精一杯、これらの古寺を、一週間以上かけて巡りました。

当時は、これらの仏像の観に訪ねてくる人など、めったになかったころの話です。

どこのお寺を訪ねても、

「こんなところまで仏像を観に来るなんて、物好きな人もいるものだ。」
「関西の遠方から、よくぞ、こんな東北の辺鄙な田舎までやってきたねえ。」
「ゆっくり、好きなだけ仏像を観て、済んだら教えてもらえれば。」

といった、歓迎ムードで、ノビノビ自由に拝観させていただきました。



【夜行列車で福島・会津へ~第一番目に訪ねたのが勝常寺】


ところが、会津の勝常寺の場合は、そうではなかったのです。
初めての地方仏探訪で、第一番目に目指したお寺でした。

関西から東京までは新幹線で行ったのか在来線で行ったのかもう覚えていませんが、上野からは夜行列車に乗って、福島会津に向かいました。
夜行の急行は、座席も硬くて、誰もがほとんど一睡もできずに朝を迎えました。

会津若松の駅で降りて、バスに乗り、最寄りのバス停から20分ほど歩いて、勝常寺に到着したような記憶があります。

勝常寺は、「福島県河沼郡湯川村勝常」という処にあります。
会津若松駅の北東10キロぐらいのところです。

ご存知の通り、勝常寺には、本尊の薬師三尊像をはじめ、10躯以上の平安前期の見事な古仏像が遺されています。

勝常寺・薬師如来像

勝常寺・薬師如来像~脇侍勝常寺・薬師如来像~脇侍
勝常寺・薬師三尊像(平安前期・国宝)

勝常寺・四天王像~増長天像(平安前期・重文)
勝常寺・四天王像~増長天像(平安前期・重文)

勝常寺・十一面観音像(平安前期・重文)
勝常寺・十一面観音像(平安前期・重文)

薬師如来像は、奈良風の名残を残しながら、堂々たるボリューム感と迫力で、まさしく平安初期の魅力を存分に発散させている名像です。
大同2年(807)に、会津に恵日寺を建立した南都仏教の名僧、徳一ゆかりの仏像ではないかともいわれ、地方仏というのには相応しくないような、素晴らしい傑作です。
平成8年(1996年)、東北地方の仏像では初めて国宝に指定されました。

その
「東北随一の傑作仏像、勝常寺の薬師如来像を観ることができる。」
と、
期待に胸を膨らませて、早朝の勝常寺までの道を歩んだのでした。

一面田んぼが広がる田園風景の中の、集落の杉木立の中に勝常寺のお堂はありました。

勝常寺のある会津盆地の田園風景
勝常寺のある会津盆地の田園風景

お住いの方の玄関の前に立つと、丁度、NHKの連続テレビドラマのテーマソングが流れるのが聞こえてきました。
朝早く8時ごろに伺ったのだと思います。

昭和46年に訪れた時の勝常寺・本堂
昭和46年に訪れた時の勝常寺・本堂



【想定外の緊張感でコチコチに固まった、ご本尊薬師像の拝観】


少しばかり寝ぼけ眼で、ご拝観お願いの声をかけて、お待ちしていました。

しばらくして現れた年配のご住職は、
「若造たちが、何をしに来たのか。」
という感じの、厳しい表情です。
ちょっと怖い感じなのです。

事前に手紙で、拝観のご了解を得てはいたのですが、
「何か気に障ることでもしたのだろうか?」
とドギマギしてしまいました。

想定外の緊張感が走り、一瞬にして目が覚めました。
そして、私たちは、コチンコチンに固まってしまいました。

なんとなく、お気楽ムードで、Tシャツジーンズのラフスタイルの我々を見て、ご住職の眼には、チャラチャラした若者達が、遊び半分のディスカバージャパン気分でやって来たように、映ったのかもしれません。

なんといっても、全く経験のない、初めての、地方の古寺の仏像拝観です。
これまでは、決められた拝観料を払えば自由に拝観できる、奈良京都のお寺しか訪ねたことがなかったものですから、突然カウンターパンチを食らったようなものでした。

とにもかくにも、薬師如来像が祀られる、本堂にあげていただきました。

一同正座してドギマギしていると、ご住職からの第一声は、
「あなた達は、ここへ来るのに、どんな本を読んできたのかね。」
でした。
検事に、取り調べの詰問をされているような気分です。

もうひたすら恐れ入って、
「あのう・・・東北地方の仏像についてかかれた本とか・・・・
ええーと、あのその、久野健とか、佐藤昭夫という人が書かれた論文などを、読んできましたが・・・・・・」
と、蚊の鳴くような声で、答えました。

「なるほど・・・・オーソドックスですね。」

と、厳しき表情が緩んで、その場の雰囲気が、かなり和みました。
やっとのことで、チャラチャラと物見遊山でやってきたのではないということだけは、わかっていただいたようです。

それから読経が始まり、お厨子の扉が開かれ、几帳が上げられて、薬師如来像を拝観させていただくことができました。
しかし、なんとなく、立ち上がって仏像を観たり、動き回ったりするのが、許される雰囲気ではなく、その場に正座したまま、拝観しました。

恐る恐る
「写真を撮らせて頂いてよろしいでしょうか?」
と訊ねると

「早く撮りなさい」

と、叱られているように言われ、
写真担当のM君は、三脚を立てるのも緊張でおぼつかなく、震える手でシャッターを切ったのでした。

昭和46年に訪れた時撮影した、勝常寺・薬師如来像の写真

昭和46年に訪れた時に撮影した、勝常寺・薬師如来像の写真

昭和46年に訪れた時に撮影した、勝常寺・薬師如来像の写真
昭和46年に訪れた時撮影した、勝常寺・薬師如来像の写真
緊張の中で撮影したせいか、ちょっとピンボケの写真になっています


それでも、眼前の薬師如来は、キリリと締まった顔で、どっしりとした威圧感と迫力を、厨子の中から伝えて来ました。
引き締まった小作りの口元と、大粒の螺髪が印象的で、頼り甲斐ある秘めたる力を感じさせます。
なんといっても「みちのく第一の傑作」といわれるほどの優作仏像であるというのは、私たちにも感じることができました。

本尊の薬師如来像を拝した後は、隣のコンクリート造りの収蔵庫に祀られた仏像を拝させていただきました。
本尊の両脇侍の日光月光菩薩像をはじめ、四天王像、聖観音像、十一面観音像、地蔵菩薩像など十数躯の平安前期の古仏が安置されています。

勝常寺の収蔵庫内の日光月光菩薩像~昭和46年撮影

勝常寺・十一面観音像~昭和46年撮影
昭和46年撮影の勝常寺収蔵庫内の写真
(上)日光月光菩薩像、(下)十一面観音像


こちらの収蔵庫の拝観の方は、空気もだいぶ和んできて、ご本尊よりはゆっくり観ることができました。



【決して忘れ得ぬ地方仏初体験となった、勝常寺のご拝観】


そんなピリッとした空気感の中で、とにもかくにも、勝常寺の拝観を終えたのでした。

ご住職とお別れした後は、緊張の糸がほどけて、ホーッとして、ちょっと大げさに言うとヘナヘナとよろけそうな気分になったのでした。
あとから振り返ると、ご住職は、きっちりとした対応をされただけで、特別に厳しくということでもなかったのでしょうが、ちょっとお気楽気分であった我々の方が、面食らってしまったということなのかもしれません。

「地方の古佛を拝観するというのは、こんなにもシンドイ、緊張する事なのだろうか?
こんな調子が続くのだったら、参ってしまって、これから持たないかも?」

「あの時、何の本も読まずに、フラッと来ましたって答えたら、開帳してもらえなかったかも?」

私たちは、こんな言葉を交わしながら、ため息交じりに、帰りのバスが来るのを待っていたのでした。

「地方の古寺を訪ねて、仏像を拝観するというのは、こんなに気疲れするものなのだろうか?
これから先が思いやられる。」

という気分の、初体験の地方仏探訪のスタートになったのでした。



【三十余年後の勝常寺再訪~今度はゆったり、じっくり、ご拝観】


それから、三十余年経ち、平成14年(2002)に、勝常寺を再訪しました。

平成14年、再訪したときの勝常寺本堂
平成14年、再訪したときの勝常寺本堂

中年の奥様に、拝観のご案内をいただきました。
大変気さくな方で、話も弾みました。

「30年以上前の昔、学生の時にお伺いしたときは、ご年配のご住職で、結構怖かったのですよ。
読んできた本を聞かれたりして、随分緊張して拝観させていただきました。」

と思い出話をすると、

「私は、こちらに嫁いできたのですが、その時、会われた住職は義父ですね。
きっと、そうだったのでしょうねえ、なかなか、厳しい方でしたから。
想像がつくような気がしますよ。
いまは、バスで団体さんが見えますし、ふらりと来られた方にも、ご本尊の拝観は頂いてるんですよ。」

と、おっしゃっていました。

そして、今回は、ゆったりとした和やかな気分で、じっくりといろんな角度から薬師如来像を拝観することができ、その素晴らしさを、今更ながらに実感することができたのでした。


50年近く前の、初めての地方仏探訪で、第一番目に訪れた「勝常寺」。

今でも、地方仏探訪の話になると、この時の緊張感あふれた観仏のことが回想されます。

「地方探訪初体験、懐かしく忘れ得ぬ、会津勝常寺の思い出」

でした。


古仏探訪~回想の地方仏探訪① 「はじめに」  【2018.4.1】


【心惹かれる地方仏の世界】


「地 方 仏」

この言葉には、何とも言えない不思議な魅力を感じさせる響きがあります。

奈良や京都の一流の仏像に比べると、洗練されているとはいいがたく、素朴で粗野で土の臭いを感じさせるような仏像が多いのですが、その分、中央の美しい仏像にはない独特の魅力、引力のようなものがあるのです。
とりわけ、地方の平安古仏は、一度その魅力にふれてしまうと、逃れ難くなってしまいます。
クセになるというか、地方仏巡りの虜になってしまった方も、結構いらっしゃるのではないでしょうか?

最近では、東博で「みちのくの仏像展」が開催されるなど、地方仏の優品を博物館で目にすることができる機会も、ずいぶん多くなったようです。

でも、「地方仏」の魅力は、祀られているお堂まで出かけて拝さないと、語ることができないような気がします。
博物館などに出品されていると、それほどの出来でもなく、そのまま通り過ぎてしまう地方仏でも、やっとたどり着いた田舎の寂れたお堂で、土地の人々に愛され守られているなかで拝すると、魂がこもり輝いて見えてくるのです。
ちょっと出来が良くない素朴で粗野な造形も、むしろそれが土地の風土に息づいて、心惹き付けられます。
歩く程に、長き石段を登る程に、ようやくたどりついたお堂で拝する仏像との出会いは、それだけで、感動を呼び覚まします。

これが、地方佛の本当の魅力なのかも知れません。



「そういえば、その昔、地方仏巡りに随分出かけたなー!」

「あの頃の地方仏巡りが、今の仏像愛好の原点になっているのだろう。」

そんな思い出が、よみがえってきました。

そこで、今更なのですが、昔の地方仏探訪の回想を、少しだけ綴ってみようかなという気持ちになりました。

私が奈良や京都の仏像ではなくて、いわゆる「地方仏」を初めて拝したのは、学生時代の頃で、もう50年近く前になります。
その頃の、昔話や、思い出話を綴ってみたところで、そんな話は

「唯々、年寄りのノスダルジーで、自己満足以外の何物でもない」

と、言われてしまいそうです。
その通りで、こんな話、皆さんには何の参考にもならないのですが、

「年寄りの、一仏像愛好者の、地方仏遍歴の思い出話」

として、少しだけお付き合い願えればと思います。



【初めて出会った地方仏の本~「生きている仏像たち」】


私が、初めて地方仏巡りに出かけたのは東北地方、みちのくの仏像探訪でした。
昭和46年(1971)の夏のことです。

「みちのくの仏像探訪に出かけてみたい」

そんな気持ちになったきっかけになったのは、 「生きている仏像たち~日本彫刻風土論~」 という本でした。
この本が、大学帰りの最寄りの本屋の書棚に並んでいるのを見つけたのは、昭和46年の春頃のことです。

「生きている仏像たち~日本彫刻風土論~」 丸山尚一著 (S45) 読売新聞社刊


「生きている仏像たち」丸山尚一著

「どんな本なのだろうか?」

と、手に取って、ページをめくってみました。

目次を見ると、

「北上川流域の古代彫刻、信濃の古寺の仏たち、琵琶湖周辺の平安仏、瀬戸内域の木彫群、出雲様式と山陰の仏像」

こんなフレーズが並んでいました。

「生きている仏像たち」の【目次】
「生きている仏像たち」の【目次】

地方の仏像だけについて書かれた本というのは、始めてみました。
「定価、850円」
当時の貧乏学生にとっては、結構高価で、どうしようかと何日か逡巡したのですが、思い切って購ったのでした。

本の冒頭は、このような文章から始まります。

丸山尚一氏
丸山尚一氏
「日本の仏像彫刻といえば、人はかならずといっていいほど、まず、奈良や京都の寺々を思い浮かべるだろう。
・・・・・・・・
ぼくの学生時代の古寺巡礼も、奈良、京都の寺が中心であった。
そして、ぼくの頭のなかの日本彫刻史も、奈良、京都の寺院建築と、その空間を埋める中央様式のすぐれた仏像たちによって形づくられていたことはいうまでもない。
・・・・・・・・
どの国の造形美術を考えるうえにもそうであろうが、その土地に根をおろし、その土壌に育った寺々や彫像たちが、時代様式の流れとはべつに、その土地らしい造形と雰囲気とをかもし出しことは確かであろう。
・・・・・・・・・
農耕民族は土を耕し種をまく。・・・・・・・
土は無限にものを生み、育ててきた。
その土を、ぼくは踏みたいと思った。
そして、その土地で育った仏像たちを見たいと思った。」

丸山尚一氏が、地方の仏たちを巡りを始めた動機を、このように語っていました。


私も、仏像が好きで、古寺探訪の同好会に入ったりして、仏像鑑賞に熱が入っているところでした。
関西在住でしたので、奈良、京都にはいつでも行けるので、気が向けばしょっちゅう仏像を観に出かけていました。
有名どころの仏像は、おおよそ観たように思っていましたが、地方の仏像は、全くの未体験ゾーンです。
奈良、京都以外では、福井小浜の仏像を観に出かけたことがあるというぐらいでした。

読み始めののっけから、ググっと引っ張り込まれました。

全国各地の
「土地の風土とともに生きる平安古仏たち」
の話が、気持ちを込めて熱っぽく語られていました。

そして、読み進むほどに、地方仏の魅力に惹き込まれ、一気に読破してしまいました。
いわゆる中央の仏像しか観たことのない私には、実に「新鮮な感動」だったような気がします。

丸山氏はこの本で、自らの地方仏行脚の始まりについて、このように語っていました。

「土の臭いの、最も強いと思われる東北地方を、まず選んだ。
辺鄙な山寺を好んで歩いた。
かつて、中央の寺々を歩いたときとは全然違った感激を、ぼくは東北の仏像に見たのである。
岩手の黒石寺の薬師如来であり、成島毘沙門堂の兜跋毘沙門天、吉祥天像である。
それ以来、ぼくは仏像につかれたように東北の寺々を歩き廻った。
北上川の流域を何度も歩いた。
・・・・・・
そして、多くの人々と語り、その地方の仏像たちを見ているうちに、いかにも東北人の気質に合った数々の仏像たちに出会っていることに気づいてきたのである。」


「生きている仏像たち」掲載写真~岩手 黒石寺・薬師如来像
「生きている仏像たち」掲載写真~岩手 黒石寺・薬師如来像

「生きている仏像たち」掲載写真~岩手 成島毘沙門堂・毘沙門天像
「生きている仏像たち」掲載写真~岩手 成島毘沙門堂・毘沙門天像

この本を読んでみて、

「地方佛の魅力に直接ふれてみたい、風土と共に生きる仏像に、出会ってみたい。」
「丸山尚一氏がたどった地方佛探訪の道程を、ぼくもまた、たどってみたい。」

と、素直に思いました。



【地方仏探訪のはじまりは「みちのくの仏像」から~そして各地の地方仏巡りへ】


「東北、みちのくの地方仏探訪に出かけてみよう!!」

そんな話が、同好会の仏像愛好メンバーのなかで盛り上がって、10人ほどで出かけることにしたのは、昭和46年(1971) 夏休みのことでした。

福島会津の勝常寺から始まって、北は岩手の天台寺まで、1週間以上かけてみちのくの地方仏を巡りました。

「ヒマは山ほどあるけれども、金はない」
という、学生の貧乏旅行です。
汽車に乗り、バスに乗り継ぎ、そのあとは自分の足で歩いて、やっとのことで目指す仏像に出会うことができるという旅でした。

出会った仏像たちは、奈良、京都の美しい仏像にはない、独特のパワーやインパクトで、我々を惹き付けるものでした。
まさに、
「その地で育った、土の臭いのする地方仏」
というのでしょうか。

「新鮮な感動、感激」の連続でした。

「テクテク歩いて、やっとのことでたどり着いた田舎の村落のお堂で、その土地に息づく見知らぬ地方仏と出会う。」

そんな、シチュエーションが感動を増幅したのかもしれません。

私たちは、これをきっかけに「地方仏探訪行脚の魅力」にハマってしまいました。
その後、卒業までの1年半ぐらいの間に、

「山陰路、鳥取島根方面」 「四国路、徳島香川方面」 「山陽路、岡山広島方面」 「九州路、大分臼杵方面」

と、地方仏探訪に、せっせと出かけました。

「生きている仏像たち」の本の目次を追うように巡ったのでした。
貧乏旅行でしたが、何日かけてもOKのヒマのある学生であったからこそできたのではないかと思います。
廻れば廻るほど、益々、地方仏の世界に惹き込まれていったのではないでしょうか。
よく飽きもせず、凝りもせず、出かけたものだと、思い出されます。



【頼りは3冊の本~これしかなかった地方仏探訪ガイドの本】


50年ほど前の当時は、

「どこの地方仏に出かけようか?」
「どんな魅力ある地方仏があるのだろうか?」

を知ろうとしても、地方仏探訪ガイドとなるような本は、ほとんどありませんでした。

ご紹介した「生きている仏像たち~日本彫刻風土論~」のほかには、「日本古寺巡礼」(上・下)と「続 日本の彫刻 東北―九州」の2冊だけといってよかったと思います。
共に、「生きている仏像たち」の5年ほど前に出た本です。

「日本古寺巡礼」(上・下)佐藤昭夫・永井信一・水野敬三郎共著(S40)社会思想社教養文庫 

 「日本古寺巡礼」(上・下)


「続 日本の彫刻 東北―九州」久野健著・田枝幹宏写真(S40)美術出版社刊

続「日本の彫刻 東北~九州」


年配の仏像好きの方なら、この本のことを懐かしく覚えている方も、結構いらっしゃるかもしれません。

この3冊が、当時の我々にとって、地方佛探訪旅行を計画する時の、「三種の神器」のようなものでした。

「さあ、今度は○○地方の仏像を観に行こうか」

となると、この3冊を首っ引きで、探訪する古寺古佛をピックアップして、掲載写真を見ながら、

「この仏像はどうしても観たい、ここは出来れば行こう」

と旅のプランを立てたものです。
振り返れば、地方佛の不思議な魅力を教えてくれ、さまざまな地方佛との出会いに誘ってくれた、「忘れ難き3冊の本」となったのでした。



そんな風にして始まった、私の地方仏探訪遍歴ですが、その中から「心に残る地方仏」の回想を、これからいくつかご紹介させていただきたいと思います。

いまどき、何の役にも立たない年寄りのノスタルジー話ですが、ちょっとだけお付き合いください。


あれこれ~「近代仏像発見物語をたどって」 連載、終了しました 【2018.3.17】


神奈川仏教文化研究所HPに連載していました 「近代仏像発見物語をたどって」 の連載は、

第13話「三重・見徳寺 薬師如来像 発見物語」(2018.3.10掲載)で、終了とさせていただきました。

近代仏像発見物語

神奈川仏教文化研究所HP 「近代仏像発見物語をたどって」  【目 次】


2016年10月、第1話「運慶仏発見物語」をスタートしてから、全部で23回、約1年半にわたって連載させていただいたことになります。

「観仏日々帖掲載の発見物語」の焼き直し転載が大方なのにもかかわらず、長らくご覧いただきありがとうございました。

今回の連載では、明治以降の新発見の仏像の「大発見物語」を、発見年を追って時系列で並べさせていただきました。
主なる「近代仏像発見の歴史」を概観することができるようになって、お役に立つものになったのではないかと思っております。


仏像発見物語というのは、単なる蘊蓄話と云ってしまえばそれまでなのですが、ノンフィクション・ドキュメントを読んでいるような、理屈抜きの面白さがあります。
ご紹介した「発見物語」も、蘊蓄物語、こぼれ話、物知り話といったような気分で始めたのですが、書き終えてみると、それだけではない意義や、重みのようなものを実感することになりました。

当たり前ですが、新たな発見が、従来の仏教美術史の考え方や様式展開論の定説を覆したり、新たな問題提起となることも多々あります。

とりわけ、 「運慶作の仏像発見物語」 は、

「新たな運慶作の仏像が発見されるたびに、それまでの運慶仏の作風イメージが覆され、定説が覆される。」

という話の連続で、書いている本人がビックリさせられたり、考えさせられたりすることばかりでした。
発見のいきさつなどを調べたりしているうちに、すごく面白くなってきて、ついつい書くのに力がこもってしまいました。


そのほかにも、

「岩手・黒石寺の薬師如来像の発見」 が、東北地方の仏像研究のみならず、地方仏研究を大きく進展させるきっかけとなった話、

「東寺・御影堂の不動明王発見物語」 の、息の詰まるほどの緊張感と興奮に満ちた話、

「立山神像の発見里帰り物語」 の、ジーンと熱いものがこみ上げるような100年ぶりの里帰りの話

などなど、

それぞれの発見物語のいきさつを調べていると、自分自身で感動してしまうことが、折々ありました。


そんな驚きの「仏像発見物語」のネタも、もう尽きてしまいました。
これで「おしまい」にさせていただきましたが、ご覧いただきました方々の、お役に立ち、お愉しみいただけたとしたら、大変、嬉しく思うところです。


また、何か、新たな仏像愛好の連載ネタを見つけることができましたら、掲載させていただきたいと思っています。

正直なところ、もうネタ切れで、無い知恵を絞ってもなかなか面白いテーマが思いつかなくて、困っています。


トピックス~興福寺の四天王像の話 : 南円堂像・仮講堂像が引越し 【2018.3.10】


先月(2018年2月)、興福寺の南円堂、仮講堂安置の四天王像の引越しが行われました、


【南円堂像(運慶作)は新中金堂へ、仮講堂像(康慶作)は南円堂へ引越し】


仮講堂(かつては、中金堂とか仮金堂と呼ばれていました)の四天王像が南円堂に移され、南円堂の四天王像は、今般再興された新中金堂に移されました。

南円堂から新中金堂に移された四天王像~運慶作・北円堂原所在像とみられる
南円堂から新中金堂に移された四天王像~運慶作・北円堂原所在像とみられる
南円堂から新中金堂に移された四天王像~運慶作・北円堂原所在像とみられる


仮金堂から原所在の南円堂に戻された四天王像~康慶作
仮金堂から原所在の南円堂に戻された四天王像~康慶作
仮講堂から原所在の南円堂に戻された四天王像~康慶作

この二組の四天王像の「原所在と制作仏師についての問題」をご存知の皆さんは、

「フーン! そういう風に落ち着けたのか。」

と、感じられたのではないかと思います。

興福寺の伽藍略絵図
興福寺の伽藍略絵図


朝日新聞デジタルは、このニュースを

「興福寺の 四天王像が お引っ越し」

という見出しで、次のように報じました。

「日本の彫刻史上に名高い仏師で鎌倉時代に活躍した運慶作の可能性がある、奈良・興福寺の四天王像(13世紀、国宝)が、これまで安置されていた南円堂から、今秋完成予定の中金堂に移された。
詳しい記録は不明だが、江戸時代の1717年の火災以来約300年ぶりの『お引っ越し』とみられる。
一方、南円堂には運慶の父、康慶の四天王像(1189年、国重要文化財)などが旧金堂(今の仮講堂)から戻った。

興福寺南円堂
興福寺南円堂

興福寺仮講堂(かつては仮金堂・中金堂と呼ばれていた)
興福寺仮講堂(かつては仮金堂・中金堂と呼ばれていた)

15日に東京であった興福寺の文化講座で、多川文彦・境内管理室次長が明らかにした。

昨秋に東京・上野の東京国立博物館であった特別展「運慶」に出展した国宝像と重文像計8体は終了後の返還に合わせ、国宝像を中金堂に、旧金堂にあった重文像を南円堂に、それぞれ移した。

近年の研究で国宝像はもともと、肖像彫刻の最高傑作とされる無著・世親菩薩像(国宝)などとともに、興福寺北円堂にあったと推定されている。
また、重文像については、康慶が南円堂の本尊と同時に制作したことがわかっている。
興福寺は奈良時代の創建以降、火事や戦災に相次いで見舞われ、その度、救出された仏像が当初の安置場所とは異なる仏堂に移されてきた。
最後の大火となった1717年の場合は、南円堂や中金堂が焼失し、その再興の過程で四天王像も入れ替わったらしい。

多川次長によると、北円堂には平安時代の四天王像(国宝)が現存し、躍動感のある南円堂の国宝像が寺の中心となる中金堂にふさわしいことなどから引っ越しが決まった。
また、康慶作の法相六祖像(国宝)も南円堂に安置する。
今秋の一般公開でお披露目される。」
(執筆:編集委員・小滝ちひろ氏 2018.2.16付け朝日新聞デジタル)



【昨秋の「運慶展」でも注目を惹いた、二つの四天王像の原所在】


皆さんご存知の通り、近年の研究成果により、

・仮講堂安置の四天王像は、元々、南円堂に祀られていた像で、康慶作の不空羂索観音像と一具の像。
・現南円堂の四天王像は、元々、北円堂に祀られていた像で、運慶作の弥勒仏像、無着世親像と一具の像。

と、見られています。

興福寺南円堂本尊・不空羂索観音像(康慶作)
興福寺南円堂本尊・不空羂索観音像(康慶作)

仮講堂・広目天像(現在、南円堂安置)仮講堂・多聞天像(現在、南円堂安置)
仮講堂・広目天像(左)、多聞天像(右)~現在、南円堂安置


興福寺北円堂・無著像(運慶作).興福寺北円堂・世親像(運慶作)
興福寺北円堂・無著像(左)、世親像(右)~運慶作

南円堂・持国天像(現在、新中金堂安置)北円堂原所在・運慶作とみられる南円堂・広目天像(現在、新中金堂安置)北円堂原所在・運慶作とみられる
南円堂・持国天像(左)、広目天像(右)
~現在、新中金堂安置)北円堂原所在・運慶作とみられる~


今回の引越しは、再興新中金堂の落慶に際して、新中金堂に安置する四天王像をどうするのかという問題があったのでしょう。
仮講堂像が元々南円堂の四天王であったというのは、現在は、異論無く広く認められているところです。
現南円堂像が元々北円堂像であったという見方のほうは、大変有力になっていますが、まだ、「衆目一致で確定した」ということではないようですし、北円堂には平安前期の四天王像がちゃんと祀られています。

そんなところから、このような形に落ち着いたというところなのではないでしょうか。

「康慶の作」と信じ込まれていた南円堂の四天王像が、そうではなくて他のお堂から移されたもので、「仮講堂の四天王像が、本来の康慶作の南円堂像である」という新たな説が提示されたのは、近年のことで、平成に入ってからのことです。
その後、南円堂の四天王像の原所在については、諸説ありましたが、現在は、「元々北円堂の像で運慶作の四天王像である」という見方が最有力になっています。

このあたりの話については、昨年秋に東博で開催された「運慶展」でも、大きく採り上げられ、南円堂・四天王像は北円堂の無著・世親像とセットで展示されました。
ちょっとマイナーであった「両四天王像の原所在問題」も、世の運慶フィーバーの中で、広く多くの人々の知るところとなり、関心事になったのだと思います。

この四天王像の原所在と、康慶、運慶作問題などの研究、発見のいきさつについては、

神奈川仏教文化研究所HP「運慶仏 発見物語〈その8ー10〉」

に、簡単にまとめてありますので、ここではふれないことにして、そちらをご覧いただければと思います。



【5組が現存する、興福寺の四天王像】


ここでは、「話題、注目の四天王像」以外の興福寺の四天王像にも、ちょっと目を向けてみたいと思います。

最近は、運慶作と言われる南円堂・四天王像ばかりにスポットライトが当たっているように感じますが、興福寺には、そのほかにもいくつかの四天王像の優作が残されています。
なかなか見どころある魅力十分の四天王像たちですが、さほど一般には注目されることはないようです。

現在興福寺に遺されている四天王像は、4組と広目天像一体です。

それぞれの安置場所、制作年代、原所在などを一覧にまとめると、ご覧のようになります。

興福寺に残される四天王像の一覧



【延暦10年(791)作、魅力十分の北円堂・四天王像】


興福寺にある四天王像のうちで、一番古い像は、北円堂の四天王像です。

興福寺・北円堂
興福寺・北円堂


興福寺北円堂・四天王像(延暦10年・791作)
興福寺北円堂・四天王像(延暦10年・791作)
興福寺北円堂・四天王像(延暦10年・791作)

バリバリの平安初期、延暦10年(791)に制作された四天王像です。
奈良時代の伝統を引き継いだ、木心乾漆造りの像です。
平安初期らしいボリューム感のある像ですが、その表情は諧謔的表現というか、怒りを超えてユーモラスなものになっていて、親しみを感じます。
結構、私の好みの四天王像です。

興福寺北円堂・持国天像(延暦10年・791作)興福寺北円堂・多聞天像(延暦10年・791作)
興福寺北円堂・持国天像(左)、多聞天像(右)~延暦10年・791作

増長天像と多聞天像の台座の天板裏面に修理銘が残されていて、

「延暦10年(791)4月に造立された大安寺の四天王像で、破損が著しかったので、弘安8年(1285)、興福寺僧経元により修理された」

旨、記されており、制作年とともに、大安寺から興福寺に移された像であることが判ります。

所謂平安初期彫刻の中で、制作年代を特定することができる、貴重な作例です。

どうして、運慶作の諸仏が祀られている北円堂に、この平安初期の四天王像が安置されるようになったのかは、全く以ってよくわからないようです。
元西金堂にあったとか、興福寺勧学院にあったといった説もあるようですが、はっきりしたことは何ともわからないということのようです。



【平安初期の優作なのに、あまり話題にされない、東金堂・四天王像】


優作なのに、あまり話題にならないのが、東金堂の四天王像です。

興福寺東金堂
興福寺東金堂

興福寺東金堂・四天王像(平安前期)
興福寺東金堂・四天王像(平安前期)

この四天王像も、バリバリの平安初期、8~9世紀の制作です。
重量感あふれた四天王像で、なかなかの優作といってよい像だと思います。
もっともっと知られて、人気があってもよいと思うのですが、何故だか、あまり話題になることがないようです。
「国宝」に指定されている像なのですが・・・・・
国宝館ではなくて、訪れる人が少ない東金堂の方に、ひっそり安置されているので、あまり目を惹かないのでしょうか?

一木彫像ですが、頭髪や甲冑の一部は乾漆を盛り上げて造られ、奈良時代木心乾漆の技法もとどめています。

ズングリムックリとでもいうのでしょうか、肉太で圧倒的なボリューム感なのですが、迫力というよりも、何故だか滑稽味を感じさせます。

興福寺東金堂・持国天像(平安前期).興福寺東金堂・広目天像(平安前期)
興福寺東金堂・持国天像(左)、広目天像(右)~平安前期

この四天王像も、伝来は、全くの不祥です。
いつのころから東金堂に安置されるようになったのか、元々何処にあった四天王像なのか、手掛かりが見つからないようです。



【1躯だけ興福寺に遺った広目天像~残りの3躯は寺外に】


もう一つは、広目天像です。

興福寺・広目天像(奈良博展示)平安~鎌倉時代
興福寺・広目天像(奈良博展示)平安~鎌倉時代

皆さん、一番馴染みのない像なのではないでしょうか?
この像は、普段は、奈良国立博物館の「なら仏像館」に展示されています。

平安後期~鎌倉初期とみられる、立派な広目天像です。
この像は、元々、4躯一具の四天王像として興福寺に遺されていたのですが、残りの3躯は明治時代に寺外に流出し、広目天像のみが興福寺に遺されました。

寺外に流出した3躯は、現在、増長天、多聞天の2躯が奈良国立博物館の所蔵、持国天像、1躯がミホミュージアムの所蔵となっています。

奈良国立博物館・興福寺旧蔵 増長天像(平安~鎌倉時代)奈良国立博物館・興福寺旧蔵 多聞天像(平安~鎌倉時代)
奈良国立博物館・興福寺旧蔵 増長天像(左)、多聞天像(右)~平安~鎌倉時代

ミホミュージアム・興福寺旧蔵 持国天像(平安~鎌倉時代)
ミホミュージアム・興福寺旧蔵 持国天像(平安~鎌倉時代)

「なら仏像館」へ行くと、興福寺蔵の広目天像と、奈良博蔵の増長天、多聞天像が並んで展示されているのをご覧になった方も多いのではないかと思います。

この四天王像の伝来や安置堂についても、はっきりしたことはわかりません。
明治21年(1888)の近畿地方古社寺宝物調査の時に、東金堂の破損仏を撮影した写真が残されており、そこに写っている首と胴がバラバラになった四天王像が、この四天王像だということです。

明治21年撮影 興福寺古写真~東金堂の破損仏像・バラバラの四天王像が見える
明治21年撮影 興福寺古写真~東金堂の破損仏像・バラバラの四天王像が見える

この四天王像の3躯が、明治時代に寺外に出たいきさつとその後の来歴について、ちょっとふれておきたいと思います。

明治39年(1906)、興福寺はお寺の維持の基本金調達のために、破損仏77体を払い下げました。
2万3千円の寄付金により払い下げを受けたのは、三井の益田鈍翁(孝)でした。
この時払い下げられた破損仏像の中に、3躯の四天王像も含まれていたのでした。
払い下げ時に、興福寺で撮影された古写真が残されており、3躯の四天王像もその中に写っています。

明治39年益田鈍翁への払い下げ仏像の古写真(寺外へ出た3躯の四天王像が写されている)
明治39年益田鈍翁への払い下げ仏像の古写真(寺外へ出た3躯の四天王像が写されている)
なお、左前方の菩薩立像は、現在、ボストン美術館蔵・快慶作弥勒菩薩像


広目天像は、興福寺に残されました。
保存状態が良くて、破損仏の中には入れられなかったということなのかもしれません。

寺外に出た3躯の四天王像は、その後、ご覧のような来歴をたどりました。

興福寺から出た3躯の四天王像の来歴

興福寺を出た時には、随分破損していたようですが、今ではきれいに修理修復され、立派な姿を見ることができます。


今、話題の運慶作・元北円堂四天王像(南円堂⇒新中金堂安置)、康慶作・南円堂四天王像(仮講堂から南円堂へ)という、二つの四天王像に注目の眼が注がれていますが、そのほかの3つの四天王像もなかなかの優作、立派な像で、美術史上も重要な位置を占めるものです。


これらの四天王像も含めて、「興福寺に遺されている5つの四天王像」について、ちょっと振り返ってみました。


この秋の金堂落慶法要の時期には、南円堂、北円堂の開扉もあるのではと思いますので、これら5つの四天王像を、一度に拝するチャンスに恵まれるのではないかと思います。

興福寺の四天王像を一巡りしてみるのも、興味深いかもしれません。

古仏探訪~2017年・今年の観仏を振り返って〈その5〉 11~12月 【2018.01.07】


あけましておめでとうございます。

今年も「観仏日々帖」ご覧いただけますよう、よろしくお願いいたします。

とうとう、年越しになってしまった、去年からの「今年の観仏を振り返って」は、〈その5〉、11~12月の観仏のご紹介です。



【11 月】



【久々に心地よい満足感に浸された、細見美術館の「末法展」】


良い展覧会を京都で観ることが出来ました。
見終わって、心地よい満足感と爽快感で満たされた仏教美術展でした。

細見美術館「末法展」ポスター
京都岡崎の細見美術館で、開催されている 
「末法~失われた夢石庵コレクションを求めて~」
と題する展覧会です。

「今は亡き幻のコレクター夢石庵の、散逸した蒐集品を一堂に会する。」

と銘打って、開催された個人コレクションの展覧会でした。

訪れる人もまばらで静かな展覧会でしたが、一本、目筋の通った美の感性、鑑識眼を感じさせ、キラリと光る粒ぞろいといったものが揃っていました。
久々に、「心安らぐ、落ち着いた美」のなかに、身を置くことが出来、良き展覧会を観たという気持ちになりました。

この展覧会については、
観仏日々帖「『夢石庵とは何者か?』 細見美術館で開催中の『末法展』 」
で紹介させていただきました。
「夢石庵とは何者か?」の種明かしについては、そちらをご覧ください。

とりわけ眼を惹いた仏像は、

法隆寺伝来とされ鳥海青児氏旧蔵の十一面観音像(平安)、

香川道隆寺伝来、アメリカパワーズコレクションから里帰りした天部立像(平安前期)、

興福寺子院伝来、井上馨旧蔵の弥勒菩薩立像(鎌倉)、

でした。

十一面観音像(平安)~法隆寺伝来、鳥海青児旧蔵
十一面観音像(平安)~法隆寺伝来、鳥海青児旧蔵

天部像(平安)~香川道隆寺伝来、パワーズコレクション旧蔵.弥勒菩薩像~興福寺子院伝来、井上馨旧蔵
(左)天部像(平安)~香川道隆寺伝来、パワーズコレクション旧蔵
(右)弥勒菩薩像~興福寺子院伝来、井上馨旧蔵


それぞれに、個人コレクションに相応しい名品で、なかなかの魅力ある像でした。



この日は、この後ちょっと仏教美術の古美術店を覗いたり、泉屋博古館で開催中の木島櫻谷展を観たりして、何やら心静かな落ち着いた京都の一日になりました。

泉屋博古館「木島櫻谷展」ポスター


飲み食いの方もそんな気分を反映したものとなりました。
お昼は、烏丸麩屋町の「手打ちそば 花もも」。

手打ちそば 花もも
手打ちそば 花もも

京都には意外に美味なる蕎麦屋が少ないのですが、此処はグッドでした。
夕方時ごろで閉店とのこと、夜飲めないのは残念。

夜は、知り合いと宮川町のお茶屋さんでちょっとだけ愉しんで、その後は、「酒陶 柳野」へ。

酒陶 柳野
酒陶 柳野

三条新町にあるバーです。
素木のカウンター、聚楽壁というシンプル&モダンの落ち着いた雰囲気。

「酒陶 柳野」カウンター
「酒陶 柳野」カウンター

河原町三条の「直珈琲」と同じ木島徹氏の内装設計。

「直珈琲」カウンター
「直珈琲」カウンター

気持ち良い余韻で、お酒が進んだ一日となりました。



【大行列、大混雑の京博「国宝展」~お目当ては超絶技巧の仁和寺・薬師檀像】


翌日は、京都国立博物館で開催の「国宝展」へ。

京博「国宝展」ポスター


昨日の落ち着いた心静かな雰囲気と打って変わって、朝から60分待ちの大行列。
やっとこさ入場すると、会場は大混雑。
人ごみにあてられっぱなしで、ボーっとして何を見たのやら、名品もうわの空となりました。
国宝仏像の出展は、ご覧のとおりでした。

観仏リスト①京博「国宝展」展示仏像


お目当ては、なんといっても、仁和寺の薬師如来坐像。
康和5年(1103) 円勢・長円作、像高10.3㎝という小檀像です。

仁和寺・檀像薬師如来像
仁和寺・檀像薬師如来像

長らく霊明殿に秘されていましたが、昭和61年の学術調査で発見確認されました。
発見後も秘仏で、めったに公開されることは無く、平成11年東博の「金と銀 展」公開されて以来、18年ぶりの公開です。
拡大鏡でしっかり見ないとよく判りませんが、極めて精巧な彫刻、超絶技巧といえる美しく微細な截金文様には、本当に驚愕です。

その他の展示仏像は、普段からお馴染みなので、サラリと観てオシマイとなりました。



【年甲斐もないロングドライブに少々お疲れ~鳥取・島根・播磨観仏旅行】


同好の方々と、鳥取、島根、播磨方面観仏旅行に2泊3日で出かけました。

この観仏旅行の目的は、2つ

島根県立古代出雲歴史博物館で開催される「島根の仏像展」を観に行くこと。

播磨清水寺の秘仏十一面観音像の30年に一度の御開帳を拝しに行くこと。

でした。

折角行くのだからと、鳥取、島根、播磨の見どころある仏像を巡ることにしました。
それにしても、鳥取スタート、出雲、播磨経由で新大阪到着というロングドライブです。
走行距離は、ほぼ600キロで、ドライブだけでヘロヘロになってしまいました。

鳥取島根方面に観仏先は、「島根の仏像展」展示仏像を除くと、ご覧のとおりです。

観仏リスト②鳥取島根観仏



【北栄町に在る二つの観音寺(瀬戸・東高尾)へ~瀬戸の観音像は、東高尾からの勧請仏】


まずは、鳥取砂丘コナン空港から、東伯郡北栄町に在る二つの観音寺へ。
瀬戸に在る観音寺と、東高尾に在る観音寺です。

瀬戸観音寺には、小さなお堂に、一木彫の十一面千手観音像が祀られています。

瀬戸・観音寺
瀬戸・観音寺

ほぼ等身の一木彫像、平安中期ぐらいの古仏とされていますが、それにしてはスリムでキリリと締りのある造形です。

瀬戸観音寺・千手観音像

瀬戸観音寺・千手観音像
瀬戸観音寺・千手観音像

衣の彫り口の鎬だった衣文などに、平安前期の空気感を残しているようです。
ご住職のお話によると、後世の補修で、眼が玉眼になっていたりしたそうですが、平成2年(1990)に美術院によって大幅な修理修復が行われ、その時に元の彫眼に戻して、今のお姿となったということでした。
この観音様は、もともとは東高尾・観音寺にあったもので、江戸時代、正徳3年(1713)に瀬戸の大庄屋・武信家が住民の信仰のため、千手観音像を勧請して一堂を建立したことに始まるのだそうです。



【50余体の破損仏が肩を寄せ合う姿は壮観~東高尾・観音寺】


東高尾・観音寺に行きました。
由良川をさかのぼった山あいにひっそりとお堂と収蔵庫が佇んでいます。

東高尾・観音寺
東高尾・観音寺

今は、無住のお堂となっていますが、此処にはなんと、50体ほどの木彫仏、破損仏が遺されているのです。
管理の方に収蔵庫の扉を開いていただくと、大量の破損仏の姿がどどっと目に飛び込んできます。

大量の破損仏が肩を並べる東高尾・観音寺収蔵庫
大量の破損仏が肩を並べる東高尾・観音寺収蔵庫

全体としては平安古仏のようですが、造られた時代はマチマチのようです。
この仏像群は、戦国時代に大日寺(倉吉市桜)が焼き討ちされたために移されたとの伝えがありますが、この辺りの古仏が、いつの頃か一箇所に集められてきたものなのかもしれません。

東高尾観音寺・十一面観音像
東高尾観音寺・十一面観音像

東高尾観音寺・天部像(破損仏)東高尾観音寺・天部像(破損仏)
東高尾観音寺・天部像(破損仏)



【抜群のプロポーションが心惹きつける千手観音像~伯耆随一の魅力あふれる古仏】


なんといっても、魅力的なのは、ひと際大きな、千手観音像です。

東高尾観音寺・千手観音像
東高尾観音寺・千手観音像

内刳りのない一木彫像。
真正面、こちらを向いて凛と立っています。
伸びやかなエネルギーを、強く感じる素晴らしい平安古仏です。。
ハイウエストでスマートな体つき、いわゆる平安初期彫刻の強烈なボリュームやゆがみは無いのですが、パワー、パンチ力は十分。

東高尾観音寺・千手観音像
東高尾観音寺・千手観音像

肉付きは豊かでむっちり、クビれるところはクビれて、きりっとした締まりある身体ですが、変な妖艶さは感じません。
昔の女優に譬えれば、ソフィア・ローレンというところでしょうか?
~それにしても余りに古い、もう齢ですね~

東高尾観音寺・千手観音像東高尾観音寺・千手観音像
東高尾観音寺・千手観音像
東高尾観音寺・千手観音像

山陰の風土には似合わない、明るく健康的、伸びやかな雰囲気です。
むしろ、大陸的なおおらかさを発散しているようです。
愛媛の庄部落の菩薩立像も、鄙の地に在りながら、ハイウエストで腰がくびれ、どこかしら大陸的な空気感を感じさせますが、そうした系譜に在る像なのでしょうか?

愛媛庄部落・菩薩像
愛媛庄部落・菩薩像

この千手観音像、相当古そうな感じです。
平安前期どころか、8世紀に遡るかもしれない、という考えもあるようです。

いずれにしても、圧倒的に心惹き付ける魅力十二分の、大好きな平安古仏です。
これで3度目ですが、拝するたびに、その思いが強まってきます。

同好の人には、
「それほどの仏像とは思わない。」
とネガティブな感想の方もいたのですが、
「鳥取島根で、あなたの一番好きな古像を選んでください。」
と云われると、私は、この東高尾観音寺の千手観音像を選ぶことでしょう。

山陰屈指の魅力溢れる像だと思います。


東高尾観音寺をじっくり堪能した後には、倉吉市桜に在る大日寺へ。

大日寺
大日寺

大日寺には、嘉禄2年(1226)の造像銘を有する、鎌倉時代の阿弥陀如来坐像が祀られています。

大日寺・阿弥陀如来像
大日寺・阿弥陀如来像

なかなかしっかりとした安定感のある鎌倉の阿弥陀像でした。

この後は、
上淀廃寺に寄って、白鳳の寺院址と「上淀白鳳の里展示館」を見学。

上淀廃寺址
上淀廃寺址

上淀白鳳の里展示館の上淀廃寺安置の塑像仏の想像復元像
上淀白鳳の里展示館の上淀廃寺安置の塑像仏の想像復元像

安来の清水寺の宝物館では、巨大な阿弥陀坐像や阿弥陀三尊像、近年発見され重要文化財に指定された摩多羅神像(嘉暦4年・1329在銘)などを拝しました。

安来・清水寺境内
安来・清水寺境内

清水寺宝蔵・安置仏写真掲載のパンフレット清水寺宝蔵・安置仏写真掲載のパンフレット
清水寺宝蔵・安置仏写真掲載のパンフレット

この日の夜は、松江泊。
松江の居酒屋の名店「やまいち」で一杯。

松江居酒屋「やまいち」
松江居酒屋「やまいち」

刺身も煮付けも。どれもこれも新鮮美味。
小さなお店ですが、常連さんらしき人で満席、愉しく、気さくに飲めるグッドなお店でした。


翌日は、朝一番で出雲大社にお参りした後、島根県立古代出雲歴史博物館へ。

出雲大社
出雲大社

島根県立古代出雲歴史博物館
島根県立古代出雲歴史博物館

お目当ては、「島根の仏像展」です。



【島根の見どころある平安古仏が勢ぞろい~圧巻の「島根の仏像展」】


この特別展「島根の仏像~平安時代のほとけ・人・祈り~」は、島根県に遺る「平安時代の仏像」にスポットを当てた特別展です。
島根の平安古仏のほとんどが集結するといってもよい、大注目の展覧会です。

ちょっと数が多くなりますが、出展仏像のリストを掲載させていただきますので、ご覧ください。

観仏リスト③「島根の仏像展」展示仏像


島根県の平安時代の仏像をみると、重要文化財に指定されている仏像が15件、県指定文化財に指定されている仏像が14件あります。
展覧会には、そのうち重文指定像が11件、県指定仏像が10件が、出展されているのです。
この他にも市指定、無指定の平安古仏も多数出展され、全部で35件の出展となりました。
これだけの展覧会、もう当分開催されることは無いと思います。

ちなみに、展覧会に出展されない平安時代の重文仏像4件のうち、清水寺の阿弥陀像2件と巖倉寺の観音像は、この旅行で観仏に訪れましたので、今回旅行での島根の重文平安古仏の見残しは、大寺万福寺の観音像(2躯)のみということになります。

まさに、「島根の見どころある平安古仏総浚え」の観仏旅行になりました。



【圧倒的存在感で眼を惹いたのは、やはりこの三つの仏像
~清水寺、大寺万福寺、仏谷寺】


展覧会場に入ると、圧倒的に眼を惹いたのは、やはりこの3件の平安古仏でした。

清水寺の十一面観音像、大寺万福寺の四天王像、仏谷寺の薬師如来像、四菩薩像

です。
それぞれ圧倒的な存在感で、観覧の人々が足を止めて見入っていました。

今更ご紹介するまでもないのかもしれませんが、

土俗的な妖しさを発散する、清水寺・十一面観音像
どっかと脚を据えて、天平の堂々たる風格をしのばせる、大寺万福寺・四天王像
意志を秘めた紅顔の青年を思わせる、仏谷寺・薬師如来像

やはり出雲を代表する魅力的平安古仏です。

安来清水寺・十一面観音像
安来清水寺・十一面観音像

大寺万福寺・四天王像
大寺万福寺・四天王像

仏谷寺・薬師如来像
仏谷寺・薬師如来像



【注目の未見、新発見仏像は、この3寺の仏像~高野寺、長安寺、隠岐清水寺】


この他に、私が初めて観る仏像にも多数出展されていて、興味深い仏像がいくつもありました。
なかでも眼を惹いた注目仏像だったのは、次のような古仏です。

出雲市高野寺の聖観音像、雲南市長安寺の十一面観音像、菩薩像は、それぞれ近年その存在が発見確認された新出像です。
いずれの像も古様で、平安前期の雰囲気を残しています。
高野寺・聖観音像は奈良風のシルエットで、9世紀作の作かとみられ、出雲地方最古の木彫仏の可能性があるそうです。

高野寺・聖観音像
高野寺・聖観音像

長安寺の2躯もなかなかで、とりわけ菩薩坐像の方は、バランスのとれたプロポーションで興味津々の像でした。

長安寺・十一面観音像長安寺・菩薩像
修理後新しい仏像安置となった、東大寺・法華堂の堂内

もう一つ、未見の仏像のなかでは、隠岐島海土町・清水寺の聖観音像が眼を惹きました。

隠岐清水寺・聖観音像.隠岐清水寺・聖観音像によく似る仏谷寺・伝日光菩薩像
隠岐清水寺・聖観音像(左)と、よく似る仏谷寺・伝日光菩薩像(右)

美保関仏谷寺の菩薩像とそっくりと云ってもよい雰囲気の一木彫像です。
美保関は隠岐島の対岸と云ってもよい場所で、隠岐と島根半島の二つの港の近隣に、形の似ている二つの仏像が遺されているというのは大変興味深いことです。

「島根の仏像展」で、出雲の平安古仏をたっぷり堪能することが出来ました。
地方の博物館でのこれだけ充実した展覧会は、そうめったにあるものではありません。
わざわざ飛行機でここまで出かけてきた甲斐がありました。



【神木、霹靂木からの苦心の木取り造仏か?~体を捻った巖倉寺・聖観音像】


「島根の仏像展」の後は、安来市広瀬町に在る巖倉寺・聖観音像の拝観に訪れました。
展覧会に出展されなかった重要文化財の平安古仏の一つです。

門前から石段をしばらく登っていくと、小さな本堂があり、そこに祀られていました。

巖倉寺本堂
巖倉寺本堂

ご住職のご案内、ご丁寧な説明でゆっくり拝することが叶いました。
聖観音像は、少し腰を捻って居るのですが、捻っているというよりは、ぎこちなく体を曲げている様子で上半身と下半身の動きがちぐはぐな感じがします。

巖倉寺・聖観音像

巖倉寺・聖観音像
巖倉寺・聖観音像

この像は、手先、前膊部の一部を除いて、内刳りのない一材で蓮肉まで一木で造られているのです。
一材から彫り出すために、相当に無理をした木取りから彫出された像のようなのです。
神木とか霹靂木を用いて彫られた像なのかもしれません。
こうしたタイプに仏像は、一般には地方的要素ということで片づけられてしまうのかしれませんが、熟達仏師ではない人の深い信仰の所産というふうにも思いたくなりました。
全体としては、彫りも浅くなり穏やかな印象も出てきており、平安の中期頃の制作なのかもしれません。


この日は、安来市から兵庫県津山市までのロングドライブで、少々お疲れ。
津山泊。
夜は、イタリアンの「バル寅トラットリアバール」へ。

津山「バル寅トラットリアバール」
津山「バル寅トラットリアバール」

NETで調べたのですが、駅前のタクシーが「名前も場所も知らない」という店でビックリ。
地元の人しか行かない店のようですが、これが大当たり。
料理もワインもコスパもベリーグッドで大満足。
東京に在れば、しょっちゅう行きたくなるほどの店でした。
津山に、美味いイタリアンバルあり。



3日目は、播磨地方観仏です。
佐用町の瑠璃寺、姫路市夢前町の弥勒寺、加東市の播磨清水寺を訪ねました。

観仏リスト④播磨観仏



【張りのあるボリューム感みなぎる瑠璃寺・不動明王像~出色の平安古像】


瑠璃寺は随分山中の鄙びたところに在りました。
いくつかのお堂があり、めざす不動明王像は護摩堂に祀られています。

瑠璃寺・護摩堂
瑠璃寺・護摩堂

重要文化財の立派なお像なのですが、ご一緒の案内もなく、どうぞお堂で自由に拝んでくださいとのことで、眼近にゆっくりじっくり拝することが出来ました。
9~10世紀、平安前中期の大師様の不動明王像です。
昭和61年(1986)の瑠璃寺調査で発見確認された像で、昭和63年(1988)重要文化財に指定されました。

瑠璃寺・不動明王像

瑠璃寺・不動明王像

瑠璃寺・不動明王像
瑠璃寺・不動明王像

流石、平安前中期の不動明王像、パワフルでダイナミック、迫力十分です。

「張りのあるボリューム感がみなぎっている。」

こんな印象を強く持ちました。
お顔の造形も魅力的で、惹きつけるものがあります。。
これだけ出色の平安中期不動像が、播磨の片田舎に遺されているのには、ビックリしてしまいました。
世にあまり知られていない「かくれ仏」と云ってもよいかもしれませんが、ここまで訪ねて拝する値打ち十分の平安古仏でした。



【30年に一度の秘仏御開帳を目指して、播州清水寺へ
~粗略のなかに強い祈りこめられた観音像】


播磨清水寺の秘仏本尊、十一面観音像の御開帳に訪れました。

播磨清水寺は西国三十三観音、二十五番霊場で諸堂を有する大伽藍です。

播州清水寺・山門
播州清水寺・山門

本尊・十一面観音像は、厳重秘仏で30年に一度ご開帳となっています。
本尊十一面観音像、脇侍の毘沙門天像、吉祥天像は、前回ご開帳の昭和62年(1987)に修理され加東市の文化財に指定されています。

流石に、西国三十三ヶ所札所の厳重秘仏御開帳ということだけあって、大勢の人々が、紅葉を愉しみがてら、参拝に訪れていました。

播州清水寺・本堂
播州清水寺・本堂

本尊の祀られる「内陣特別ご拝観」が出来ましたが、順にご参拝ということで、そうじっくりとは拝することが出来ませんでした。
十一面観音像は、一見、簡素で粗略に過ぎる造形の地方仏という印象で、手練れの仏師の作ではなく僧侶が祈りをこめて彫った霊像という感がします。

播州清水寺・秘仏十一面観音像
播州清水寺・秘仏十一面観音像

不思議なオーラを発散させるようなところもあり、寺伝に「法道仙人一刀三礼の観音像」という伝えがあるのも頷ける処です。
厳重秘仏のためか、制作年代についてのコメントのある資料が見つかりませんでしたが、いつの頃の制作かを判断するのは、なかなかに難しいというのが実感でした。



【12 月】



「今年の観仏を振り返って」も、やっとのことで12月となりました。

12月は、東大寺法華堂・執金剛神の御開扉に出かけるとともに、天平会例会に参加しました。



【4年ぶりに再会~良弁忌に御開扉の法華堂・執金剛神像】


法華堂・執金剛神の開扉の日は、年に一日限り、良弁忌の12月16日です。
執金剛神を拝しに出かけるのは、4年ぶりです。
いつもながらの大変な参拝者の数で、長い行列に並んでの拝観です。
執金剛神が祀られる北面の厨子の前では、そう長い時間はとどまっていることが出来ない状況で、結局3度も列に並んで、拝することになりました。

東大寺法華堂・執金剛神像
東大寺法華堂・執金剛神像

素晴らしい出来の執金剛神像なのですが、いつもながら、体勢に微妙なぎこちなさを感じてしまいます。
拝し終わったその足で、戒壇堂の方へ廻って、四天王像を見てきました。

東大寺戒壇堂・四天王像(増長天像)
東大寺戒壇堂・四天王像(増長天像)

見較べてみると、四天王像の造形の方に、どうしても円熟味とバランスの良さを感じます。
やはり、制作年代に、微妙な年数の差があるのでしょうか?

この日は、開山堂の良弁像も御開扉です。

良弁像御開帳の東大寺開山堂
良弁像御開帳の東大寺開山堂

これまた、行列に並んで拝してきました。
こっちの方が、眼近にじっくり拝することが出来ました。

良弁像~開山堂御開帳チラシ
良弁像~開山堂御開帳チラシ



【さながら室生寺ミニ企画展の奈良博・なら仏像館
~弥勒堂・釈迦像の見事な男ぶりに惚れ惚れ】


奈良博・なら仏像館へ寄りました。

目当ては、室生寺弥勒堂の釈迦如来像と弥勒菩薩像です。
なんと、あの男ぶりの良い、室生寺・釈迦如来坐像が奈良博に展示されているのです。
室生寺弥勒堂は、2017年7月20日~2019年3月末までの期間、全面改修工事を実施中で、その間、本尊・弥勒菩薩像と釈迦如来像が、奈良博に寄託展示されているというわけなのです。
室生寺では、弥勒堂の外からの拝観となっていて眼近に拝することが出来ませんが、明るい照明のもとで、ごくごく眼近でじっくりと観ることが出来ました。

室生寺弥勒堂・釈迦如来像
室生寺弥勒堂・釈迦如来像(平安・国宝)

釈迦如来像は、流石、この仏像が大のお気に入りという人が、沢山いるだけのことがある魅力的な仏像です。
背面から内刳りがされ、長方形の蓋板がはめられているのですが、奈良博では後方から観ることが出来て、蓋板がはめられた線まではっきり確認することが出来ました。

奈良仏像館では、この二像の他に、室生寺の十二神将像二躯(鎌倉・重文)と帝釈天坐像(9~10C)、新発見の新発見の二天王像(9C)が展示されていました。
これらの像を集めて、「室生寺のミニ企画展」のようにして展示すれば、随分人気を呼ぶのではないかと思いましたが、如何でしょうか?


この日の夜は、知り合いと奈良女子大の南の「奈良 而今」で夕食。

奈良「而今」
奈良「而今」

去年の9月に開店した新しい店ですが、「美味いものなし」と云われる奈良で、懐石料理の人気店として、話題の店です。
ゆっくり愉しく飲らせてもらいました。



【コロタイプ複製技術の精巧さに感嘆、讃嘆~「便利堂創業130周年記念展」】


翌17日、午前中は、京都文化博物館で開催中の特別展、便利堂創業130周年記念「至宝をうつす-文化財写真とコロタイプ複製のあゆみ-」へ行きました。

京都文化博物館「便利堂創業130年記念展」ポスター


コロタイプ印刷というのは美しいが非効率ということで、ほぼ消えてしまった印刷技術ですが、便利堂は今もその技術を継承しています。
そのコロタイプ複製の歴史と、便利堂の130年の歴史を重ね合わせて振り返るという、興味深い展覧会です。
焼損前の法隆寺金堂壁画写真・全12面が展示されていたほか、高松塚古墳壁画写真やコロタイプ複製の美術作品の数々が展示されていました。

焼損前の法隆寺金堂壁画コロタイプ写真
焼損前の法隆寺金堂壁画コロタイプ写真

この世界に興味ある私には、こたえられない良き展覧会でした。



【天平会12月例会では、普段拝観が難しい京の諸仏を拝する
~万寿寺・阿弥陀像、法性寺・千手観音像など】


午後には、仏像探訪の同好会「天平会」の12月例会に参加しました。
探訪先は、ご覧のとおりです。

観仏リスト⑤天平会12月例会


万寿寺の阿弥陀如来坐像、金剛力士像は東福寺の宝物館、光明宝殿に安置されているのですが、なかなか公開されることがなく、一度は拝したいと思っていた仏像でした。
眼近に拝することが出来ました。

万寿寺(東福寺光明殿安置)阿弥陀如来像万寿寺(東福寺光明殿安置)金剛力士像
万寿寺(東福寺光明殿安置)阿弥陀如来像(左)、金剛力士像(右)

法性寺の千手観音像も、これまたなかなか拝することが出来ない仏像です。
近年は、二度ほど、京都非公開文化財特別公開で公開されることがありました。
天平会でも、ご拝観の了解をいただくのに、随分ご苦労されたとのことでした。
この超有名な国宝の優品、お寺とは思えない門構えのこじんまりしたお堂に祀られています。

法性寺
法性寺

その昔は、事前にお願いすると、眼近に拝することが出来たのですが、近年は非公開で、普段は拝することが出来ません。

法性寺千手観音像
法性寺千手観音像(平安・国宝)

私は、その昔に、何度も拝したことがありましたので、大変懐かしく、その素晴らしいお姿と再会させていただきました。


ようやく、2017年の観仏、総まくりのご紹介を終えることが出来ました。
なんのかんのといいながら、随分、数多くの観仏に出かけてしまいました。
「飽きもせず!」とは、よく言ったものです。

ダラダラ長々、一年の観仏探訪記録を自己満足的に綴らせていただきました。
辛抱してご覧いただき、ありがとうございました。


今年も、HP「神奈川仏教文化研究所」、ブログ「観仏日々帖」に、気ままな仏像記事を連ねていきたいと思っております。
よろしくお付き合いいただけますよう、お願いいたします。


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