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観仏日々帖

古仏探訪~2018年・今年の観仏を振り返って 〈その1〉 1~5月 【2018.12.15】


もう師走になってしまいました。

なんとなく過ごしているうちに、一年が経ってしまったという処ですが、この齢になってくると

「“相変わらず”ということに、感謝しなければいけないのかな」

そんな、気持ちになってきます。

恒例ということで、 「今年の観仏を振り返って・2018年バージョン」 を掲載させていただきたいと思います。

今年は、これといった観仏探訪に、ほとんど出かけませんでしたので、さらりとコンパクトに紹介させていただきます。
自己満足的な観仏記録で、面白くもなんともないのですが、一年の観仏の総まくりということで、お付き合いください。


【1 ~3月】


冬は寒くて、観仏には、何処へも出かけませんでした。

仏像以外のいろいろな展覧会や、古い映画などには、結構出かけたのですが、仏像を観たのは2つの展覧会だけです。
「運慶~鎌倉幕府と霊験伝説展」(金沢文庫)と、「仁和寺と御室派のみほとけ展」(東京国立博物館)だけでした。



【東国の運慶一派の造像をたどった「運慶~鎌倉幕府と霊験伝説展」】


金沢文庫の「運慶~鎌倉幕府と霊験伝説展」です。

「運慶~鎌倉幕府と霊験伝説展」

昨年秋、東京国立博物館で「運慶展」が開催され、驚くほどの大盛況でしたが、今度は、神奈川県立金沢文庫で「運慶~鎌倉幕府と霊験伝説」展が開催されました。
運慶と鎌倉幕府との関係や、運慶仏が霊験あらたかなものとして信仰されたことに注目して、関連する作品を紹介する展覧会でした。

東国の運慶作品とその一派に関連する仏像が、多数出展されていました。
私の印象に残った仏像だけご紹介しておきたいと思います。


〈瑞林寺・地蔵像と久しぶりの対面~六波羅蜜寺・地蔵像へ思いを馳せる〉


久しぶりに、康慶作の瑞林寺・地蔵菩薩坐像を観ることが出来ました。
10年前に、静岡県富士市の瑞林寺を訪ねて拝してから、2度目の出会いです。
(昨年の運慶展では、期間限定出展だったので、観られませんでした。)

運慶の父、康慶が治承元年(1177年)に制作したことが、墨書銘から知られる像です。
なかなか意志的な眼をした、堂々たる造形です。
惹き付けるところがあります。

瑞林寺・地蔵菩薩像六波羅蜜寺・地蔵菩薩像
(左)瑞林寺・地蔵菩薩像~康慶作、(右)六波羅蜜寺・地蔵菩薩像~運慶作

六波羅蜜寺の運慶作・地蔵菩薩像のダイナミックさに比べると、まだまだおとなしさを感じるのですが、本像から六波羅蜜寺像に至るというということを、十分に納得させてくれるものがありました。


〈運慶作なのか?~仏法紹隆寺・不動明王と瀬戸神社・抜頭面〉


「運慶作か?」
その可能性が議論されている東国の作品が、二つ展示されていました。
仏法紹隆寺の不動明王像と、瀬戸神社の抜頭面です。

仏法紹隆寺の不動明王像は、松島健氏が平成9年(1998)に運慶作である可能性を発表したことで知られる像です。

仏法紹隆寺・不動明王像
仏法紹隆寺・不動明王像(長野県諏訪市)

X線撮影で運慶特有の月輪形木札が納められていることがわかり、
造形様式などから運慶作とみて、
「源頼朝か北条義時が運慶に命じて造らせ、勲功のあかしとして諏訪一族にプレゼントしたのではないか。」
と、松島氏はみたようです。

「運慶らしい感じがするのかなあ?」
「願成就院や浄楽寺の不動明王像と似た処があるのかなあ?」
と、一生懸命観たのですが、素人の私などには、
「うーん、よくわからん。そんなに運慶っぽい感じもしないけれども。」
というのが、率直な感想でした。


もう一つの、瀬戸神社の抜頭面は、今回初めて実物を見ることが出来ました。

瀬戸神社・抜頭面瀬戸神社・陵王面
(左)瀬戸神社・抜頭面、(右)陵王面(横浜市金沢区)

抜頭面の裏面に、追銘とされるものの、建保7年(1219)に、運慶が夢想により彫刻した旨の朱漆による銘文がることから、運慶作の可能性が議論されています。
抜頭面の展示キャプションには、はっきりと「運慶作 建保7年」と記され、図録解説にも
「運慶作品の一つに加えても良いのではないだろうか。」
との見解が述べられていました。

私には、運慶作なのかどうかは全くわかりませんが、大変迫力ある造形に驚かせられました。
併せて展示された陵王面も含めて、際立って出来の良さ、存在感を感じました。


この展覧会の関連講座として「運慶研究の現在」と題する全6回の連続講座が開催されました。

連続講座「運慶研究の現在」

興味深いテーマでしたし、ヒマなものですから、参加することにしました。
我が家から2時間近くかけて、毎週々々、金沢文庫まで出かけるというのは、結構しんどかったのですが、なかなか勉強になりました。



【御室派寺院の優作勢ぞろいにビックリ「仁和寺と御室派のみほとけ展」】


東京国立博物館で開催された「仁和寺と御室派のみほとけ展」に出かけました。

「仁和寺と御室派のみほとけ展」

「仁和寺と御室派のみほとけ展」「仁和寺と御室派のみほとけ展」

展覧会の概要については、今更ご紹介するまでもなく、皆さん出かけられたことと思います。
仁和寺と全国の御室派寺院の見どころある仏像が、一挙、勢ぞろいする展覧会でした。
想定外の各地の優作に出会えることが出来、見ごたえがありました。
よくこれだけの御室派の興味深い仏像を集結することが出来たものと、ビックリしてしまいました。


今回展示仏像で、私が初めて観ることが出来たのは、次の仏像でした。

「仁和寺と御室派のみほとけ展」初見仏像リスト

神呪寺・如意輪観音像と雲辺寺・千手観音像は、ともに秘仏で拝観日が限られており、一度拝したいものと思っていた像でした。

神呪寺・如意輪観音像雲辺寺・千手観音像
(左)神呪寺・如意輪観音像、(右)雲辺寺・千手観音像

雲辺寺・千手観音像は、もう少し力感を感じる像かと思っていたのですが、思いのほか線が細く、地方的な匂いも感じました。

数ある展示仏像の中で際立つのは、やはり葛井寺の千手観音像、道明寺の十一面観音像というのが、私の印象です。
やはり、いずれも、流石の第一級品です。
葛井寺の千手観音像は、初めて360度ビューで観ることが出来ました。
光背のような千手の取り付け方が大変よくわかって、あの美しいシルエットの秘密を納得することが出来ました。

もう一つ、心に残ったのは、京都・遍照寺の十一面観音像でした。
お顔の造形の美しさ、見事さに惚れ惚れして、見直してしまいました。
お寺のお堂で拝したときは、ちょっと薄暗くて、それほどに良さが判らなかったのですが、明るい照明の中で眼近に観ると、素晴らしいお顔であることに気づかされました。
京都・法性寺の国宝・千手観音像のお顔に、よく似ています。

遍照寺・十一面観音像法性寺・千手観音像
(左)遍照寺・十一面観音像、(右)法性寺・千手観音像

会場でも、一際引き立つものがあり、平安中期の優作であることを、実感させられました。



【4月】



【一泊二日で、三重観仏探訪へ】


同好の方々と、三重方面の観仏旅行に出かけました。
年に一度の津市の光善寺・薬師三尊像のご開帳日(4月第一土曜日)に合わせて、一泊二日で出かけました。

ご覧の通りの古仏を訪ねました。

三重観仏探訪先リスト

三重県の観仏、もう何度訪れたでしょうか。
なかなか廻りきることが出来ません。
三重には、見どころのある仏像が、随分数多く遺されているのですが、あまり注目されていないようで、知られざる平安古仏の宝庫といった感じがします。


〈2年連続で光善寺・薬師像のご開帳に〉


光善寺の薬師如来像は、昨年のご開帳の日に、一人で出かけて拝しましたので、2年連続の拝観となりました。

光善寺・薬師如来像
光善寺・薬師如来像

その時の拝観記などについては、観仏日々帖 「2017年・今年の観仏を振り返って〈その2〉」 「古仏探訪~三重県津市・光善寺の薬師三尊像の御開帳」 にてご紹介させていただいた通りです。
一年ぶりの再会となりましたが、やはり魅力的な像です。

いくつか、印象深かった仏像をご紹介したいと思います。


〈はち切れんばかりの造形に惚れ直した伊奈富神社・男神像〉


何といっても、一番目を惹いたのは、伊奈富神社の男神像でした。
「いのうじんじゃ」と訓みます。
崇仁天皇像と伝えられるそうで、立派な神社の収蔵庫に、1躯だけ祀られていました。

伊奈富神社・男神像伊奈富神社・男神像
伊奈富神社・男神像

小さな神像なのですが、はち切れんばかりの力を発散させているようです。
「利かん気」の少年が、目を怒らせて力んでいるような表情に、たまらなく惹かれてしまいました。
展覧会に出展されているときにガラス越しに何度か観たことがあるのですが、こうして眼近に観ると、惚れ直してしまいました。

三重県史に、
「本像の制作はおそらく九世紀後半頃まで遡るものと考えられる。
三重県を代表する神像の優品である。」
と書かれていましたが、まさに納得です。

神宮寺の持国天・多聞天像も、少し地方的な感じもするのですが、なかなか魅力的な天部像でした。

神宮寺・多聞天像神宮寺・多聞天像邪鬼
神宮寺・多聞天像

10世紀ごろの制作ということです。
この神宮寺は、伊奈富神社の境内にあったそうなのですが、明治の神仏分離、廃仏毀釈で少し離れた現在の地へ移されたのだそうです。

この像もクスノキで、伊奈富神社・神像も、クスノキで造られています。
三重地方は、クスノキの繁殖度合が高かったのか、この他にもクスノキ材で造られている古仏が多いように思います。


〈ひっそりとした小堂に半丈六の坐像が3体も~妙福寺・如来像〉


妙福寺は、ひっそり、小ぢんまりと建つ、一寸さびれたお堂なのですが、そこに半丈六の大きな大日如来像、等身の釈迦如来像が3躯並んで、ドーンと祀られているのを見て圧倒され、ビックリしました。

妙福寺・諸仏
妙福寺・堂内

大きな如来像なのですが、平等院の雲中供養菩薩を思い出すような、藤原の優しく、穏やかなお顔が、たいへん印象的です。

妙福寺・大日如来像
妙福寺・大日如来像


〈野太くパワフル~蓮光院・大日如来像〉


蓮光院の大日如来像は、パワフルです。
「仁和寺と御室派のみほとけ展」に出展されていて、お寺に戻ってきたばかりの再対面でした。
野太さ、逞しさと、密教的な霊威感を感じさせる仏像です。
10世紀ごろの制作でしょうか。

蓮光院・大日如来像蓮光院・大日如来像
蓮光院・大日如来像


その他の訪ねた古仏の数々も、それぞれ見どころの多いものがありましたが、三重観仏探訪のご紹介は、これくらいにしておきたいと思います。



【異様な怪異さの東寺・夜叉神像~恒例の「新指定国宝・重要文化財展」】


毎年恒例、4~5月に2週間、東京国立博物館で開催される「新指定国宝・重要文化財展」に出かけました。

今年の彫刻は、国宝が2件、重要文化財は11件の文化財新指定でした。
国宝は、三十三間堂の1001躯の千手観音像と、興福寺の仮金堂にあった四天王像でした。
四天王像は、康慶作の南円堂諸像と一具であることが明らかになり、今般南円堂に移されたことを機に、国宝指定されたものです。

ご覧のような、新指定重要文化財の仏像が出展されました。

平成30年度新指定文化財展出展仏像リスト

岩手県一関市・東川院の聖観音像は、5年前、2013年にお寺まで伺って拝した思い出があり、その姿を懐かしく観ることが出来ました。

東川院・聖観音像
東川院・聖観音像

一番の注目は、東寺の夜叉神像でした。
一度、観てみたいと思っていたのですが、なかなか東寺で展示される期間とタイミングが合わなかったのです。
やはり、得も言われぬ異様な迫力です。

東寺・夜叉神像
東寺・夜叉神像

この像は、かつて東寺の中門に安置されていたもので、文化庁の指定解説によると、樹神(樹木の精霊)の像だということです。
「樹神の像」というものが、どのようなもので、ほかにも存在するのか?私には、判りませんが、何しろ怪異でおどろおどろしい雰囲気を醸しています。
9世紀末頃の制作とみられるそうですが、仏像彫刻の世界とは違う妖しい世界を覗いたような気持ちになる像でした。
不思議な引力を発散していました。



【5月】



【林立する初期一木彫・薬師立像が壮観「名作誕生~つながる日本美術展」】


東京国立博物館で開催された「名作誕生~つながる日本美術展」に行きました。

「名作誕生~つながる日本美術展」

日本を代表する美術研究誌「国華」創刊130周年、朝日新聞140周年を記念して開催された特別展で、日本美術の名作、優作を集めた展覧会でしたが、仏像の展示は大変ユニークで興味深いものでした。
「一木の祈り」と題するテーマ設定で、一室丸ごと、一木彫像が展示されていました。

展示仏像は、ご覧のとおりです。

「名作誕生~つながる日本美術展」出展仏像リスト

奈良時代後半から平安前期までの一木彫像、それも薬師の立像にスポットを当てた展示です。
渡来檀像の影響を受けて生まれた初期の一木彫像のうち、両腿を隆起させるY字状衣文の薬師立像が、どのような造形展開をしていったのかにスポットが当たっています。
誠にユニークで、興味深い展示で、このコーナーだけにどっぷりとつかって、2度も出かけてしまいました。

奈良~平安前期の一木彫の薬師立像が、一つの部屋ににょきにょきと林立している光景は、壮観そのものでした。

元興寺・薬師如来像笠区妙円寺・薬師如来像阿弥陀寺・薬師如来像

孝恩寺・薬師如来像成相寺・薬師如来像春光寺・薬師如来像
展示されていた初期一木彫・薬師如来立像諸像
上段左から元興寺・薬師如来像、笠区妙円寺・薬師如来像、阿弥陀寺・薬師如来像
下段左から孝恩寺・薬師如来像、成相寺・薬師如来像、春光寺・薬師如来像


それも、独特の個性を強く主張する一木彫像だけが選ばれているようです。
展示企画した方の、興味関心、好みの世界が、伺えるような顔ぶれです。

笠区、孝恩寺、成相寺、春光寺の薬師像などは、お寺で何度か拝したことはあるのですが、久しぶりの、懐かしい再会です。


〈圧倒的な存在感が際立つ唐招提寺・薬師如来像〉


こうして、一堂に会した初期一木彫・薬師立像を、ぐるりと眺めてみると、唐招提寺・薬師像の圧倒的なパワー、迫力の物凄さを、思い知らされるものがありました。

唐招提寺・薬師如来像唐招提寺・薬師如来像
唐招提寺・薬師如来像

際立ってというレベルを通り越して、較べようのないほどの圧倒的な存在感を発散しています。

「モノが全然違う!」

そんな言葉が、思い浮かんできました。

展示されている諸像は、それぞれのお寺を訪れて拝すると、強烈なインパクトで迫力満点、存在感充分の一木彫像です。

しかし、唐招提寺・薬師像と肩を並べると、
「全員“参りました!”と、頭を下げざるを得ないな。」
というのが、素直な実感です。

初期一木彫像の世界における、唐招提寺木彫群の位置づけ、意義の重たさというものに、今更ながらに思いを致しました。


〈望外の喜び~お気に入りの笠区・薬師像との再会〉


それにしても、笠区・竹林寺(妙円寺)の薬師如来像を、博物館で観ることが出来たのは、望外の喜びでした。

笠区妙円寺・薬師如来像笠区妙円寺・薬師如来像
笠区妙円寺・薬師如来像

この薬師像は、平安前期一木彫像の名品だと思うのですが、私の記憶では、収蔵庫から出て博物館に展示されるのは、初めてのことではないかと思います。
桜井市の外れの山中にあり、年に一二度の祭礼の時にしか開扉されることがありませんので、実見されたことがある方は、そう多く無い像だと思います。

鋭く鎬立った衣文の彫り口、キリリと引き締まった体躯で、素晴らしい出来の優品で、私の大のお気に入り像です。
再会できた博物館でも、凛とした存在感を発散させていました。

その笠区の薬師像も、唐招提寺・薬師像と同じ部屋に置かれると、そして隣に立っていたのが元興寺・薬師像ということになると、
「流石に、しぼんでしまう。」
というのが正直な処で、なんだかちょっと可哀そうになってしまいました。


古仏探訪~岡山県 瀬戸内市・大賀島寺の秘仏・千手観音像御開帳  【2018.11.24】


岡山・大賀島寺の秘仏本尊・千手観音立像の、33年に一度のご開帳がありました。

11月17日・18日の二日に限り、開帳されました。

「このご開帳には、なんとしても行かねばなるまい。」

そんな思いで、出かけました。

大賀島寺・千手観音像(「吉備の知られざる世界」掲載写真)
大賀島寺・千手観音像(「吉備の知られざる世界」掲載写真)


【早世した、本HP創始者・高見徹さんが最後に観た仏像~大賀島寺・千手観音像】


この「神奈川仏教文化研究所HP」の創始者・高見徹さんは、7年前、61歳で早世しましたが、彼が生前、最後に観た仏像が「大賀島寺の千手観音像」なのでした。

「厳重な秘仏」で拝観が叶わなかったのですが、2011年に重要文化財に指定されたとき、2週間に限って、東京国立博物館の新指定文化財展(4月~5月)に展示されました。

当時、体調がすぐれずに入院中の彼でしたが、新発見の平安前期の優作ということで、
「何としても、この仏像だけは、観に行くのだ。」
と、病を押して博物館まで出かけてきて、待望の千手観音像を、我々と一緒に観たのでした。
それから10日余、あまりに突然といえるほどに、急逝したのでした。

その後、HPは、学生時代からの長きにわたる仏像愛好の友であった私が、引き継がせていただいています。

この思い出については、かつて、観仏日々帖「高見徹さんを偲んで」に、綴らせていただいた通りです。

「大賀島寺の千手観音像」

私にとっては、忘れ難き仏像なのです。



【平安前期の優作、厳重秘仏のご開帳を目指して、各地から大勢が駆付け】


大賀島寺は、岡山駅から車で東へ45分ほど、瀬戸内市邑久町豊原という処にあります。
大雄山という山の山頂にあり、素晴らしい見晴らしです。

大賀島寺のある大雄山山頂からの眺望
大賀島寺のある大雄山山頂からの眺望

普段は訪れる人もほとんどないお寺なのですが、この日は、33年に一度の御開帳ということで、多くの人々で賑わっていました。

33年に一度のご開帳法要、奉参行事で賑わう境内
33年に一度のご開帳法要、奉参行事で賑わう境内

本尊・十一面観音像は、写真でご覧いただいたらわかるように、ほれぼれするような見事な一木彫像です。
近年発見され、大注目となっている、平安前期、9世紀の優作像なのですが、厳重秘仏で、この御開帳を逃すと、また33年後でないと拝することが叶いません。

臨時の駐車場には、「福井、和歌山、奈良ナンバー」などの車が並んでいて、全国各地からこのご開帳を目指して、長駆、かけつけてきた人が多いようです。



【地元総出の御開扉供養法要、奉賛行事で、境内は大賑わい】


参道、境内には、「南無千手観音菩薩」と書かれた赤い幟がたくさん立てられ、本堂前には立派な回向柱が立柱されています。

御開帳日の大賀島寺本堂、境内
御開帳日の大賀島寺本堂、境内

境内は、参詣の人々、御開帳奉賛行事参観の人々で、大変な賑わいです。
33年に一度のご開帳いうことで、地元の村落の人々総出での大イベントの様子、御開扉法要への力の入り方が伺えます。

境内に立てられた、秘仏御開帳の大看板
境内に立てられた、秘仏御開帳の大看板

10年余前に、岡山方面観仏の折、ダメもとで、故高見さん等と大賀島寺に寄ってみたことがありましたが、その時には、境内に人っ子一人、姿が見えませんでした。
(この時、当然、拝観は叶いませんでした)

2007年にダメもとで訪れたときの大賀島寺~訪れる人は誰もいなかった
2007年にダメもとで訪れたときの大賀島寺~訪れる人は誰もいなかった

同じお寺とは、信じられないような賑わいです。



【「凛として雄渾」、第一級レベルの見事な平安初期一木彫像の優作】


早速、秘仏・ご本尊の拝観です。

千手観音像は、本堂内の大きな厨子の中に祀られていました。
照明も明るく、厨子の真ん前まで近寄って、眼近に拝することが出来ました。

大賀島寺・千手観音像~修復後(美術院紀要掲載写真)
大賀島寺・千手観音像~修復後(美術院紀要掲載写真)

千手を大きく広げた観音像が、眼前に迫ってきました。

「凛として、雄渾な、立ち姿」

「鋭く、流麗、緻密な彫技」

まずもって、目に映る印象です。

像高:122センチ、カヤ材とみられる一木彫像で、体躯から蓮肉まで一材から刻みだされ、内刳りは施されていません。

一見しただけで、バリバリの平安前期の一木彫像であることがわかります。
それも、間違いなく、素晴らしい出来の見事な優作です。
都の大寺に遺されていて、何の不思議も感じない、第一級レベルの仏像だと感じました。
岡山のこの地に、これほど素晴らしい仏像が秘されていたというのは、まさに驚きです。


引き締まった意志的な眼、ちょっと下膨れの顔貌は、エキゾティックでちょっと大陸的な雰囲気を醸しています。

大賀島寺・千手観音像顔部~修復後(美術院紀要掲載写真)
大賀島寺・千手観音像顔部~修復後(美術院紀要掲載写真)

そして千手の脇手の伸びやかな広がりと、体躯とのバランスが抜群で、大空間に大きく雄々しく羽ばたくかのようです。

千手を広げたシルエットが見事で雄渾な千手観音像(仏教芸術掲載写真)
千手を広げたシルエットが見事で雄渾な千手観音像(仏教芸術267号掲載写真)

「雄渾」という言葉が似合う、堂々たる印象を受けるのは、キリリとした顔貌とのびやかな千手を広げたシルエットの故かも知れません。



【驚くべき彫技の冴え渡りと、千手・蓮肉まで一材彫出のカヤの良材壇像】


もう一つ目を惹くのは、驚くべきと云って良いほどの彫技です。

ヌメッとした肌合いを感じさせる、柔らか、滑らかな肉身表現。
それにも増して、凄いのが、鋭く深くうねり、粘りのある衣文表現。
その彫り口は、仏工の彫技の冴え渡りを、これでもかと誇示するようです。

彫技がさえわたる大賀島寺・千手観音像衣文~修復後(美術院紀要掲載写真)
彫技が冴えわたる大賀島寺・千手観音像衣文~修復後(美術院紀要掲載写真)

カヤ材という代用材を用いた、大型檀像として制作されたものでしょうが、蓮肉だけではなく合掌手、脇手の大半まで一材から彫り出されているそうです。
内刳りもされていないのに、干割れの痕跡も見当たりません。
余程のカヤの巨木、それも目の詰んだ緻密な良材が用いられているのに違いありません。
(木心は、像の前方中央、蓮肉部上面あたりに籠められているとのことです。)

このことだけでも、9世紀の制作像であることを物語っているようです。

御開帳奉賛会の方から、背面の写真を頂戴しましたが、背中の肉身のカヤ材の美しい木肌、木目が、大変魅力的に写し出されており、余程の良材から刻出されているのが、よくわかります。

緻密なカヤの木肌、木目が美しい千手観音像・背面(御開帳奉賛会の方に頂戴の写真)
緻密なカヤの木肌、木目が美しい千手観音像・背面
(御開帳奉賛会の方に頂戴の写真)



【「造形の特徴、時代の位置づけ」が良くわかる、重文指定時の解説】


ここで、2011年に重要文化財に指定時の解説を、ちょっとご紹介しておきたいと思います。

「報恩大師が開いたという伝承をもつ大賀島寺の本尊で、秘仏として伝えられた。
・・・・・・
腰を右に捻り、左膝を緩めて立つが、このように明らかな動勢を示す千手観音像は、ほかに知られない。
・・・・・・・
頬の長い顔立ちには中〜晩唐風が濃厚にうかがえる。
彫り口は大胆で力強く、著衣は凹部を深くえぐり、衣縁や衣文の峰を鋭く立ち上がらせ、動勢や肉身の起伏に応じて動きのある装を刻んでおり、殊に条帛と天衣が随所に衣縁のうねりや翻転を伴い交錯するさまを克明に表した彫技にみるべきものがある。

このように、本像には平安初期の檀像系作例に特徴的な諸形式や表現が集約的に用いられているのが看取される。
眉が隆起し、口を強く引結んで厳しい表情を示す面貌や刀痕をとどめた仕上げなどは京都・神護寺薬師如来像(国宝)を想起させ、製作年代は神護寺像や、本像に類する形式を多くみせる宝菩提院像からさほど隔たらぬ時期、遅くとも九世紀前半とみて誤りないであろう。

なお脇手の過半まで本体と共木で彫出する千手観音像はほかに北広島町像(注:広島県古保利薬師堂・千手観音像)があるのみで、初期木彫像におけるできるかぎり像を一材より彫ろうという意識をうかがわせる。
平安早期の異色の作例として注目される。」
(「新指定の文化財」月刊文化財573号・2011.06刊)


広島県北広島町 古保利薬師堂・千手観音像(脇手まで一木彫成)
広島県北広島町 古保利薬師堂・千手観音像(脇手まで一木彫成)

造形の特徴、時代的位置づけが、簡にして要を得て解説されていて、「なるほど!」と感じると共に、本像が、9世紀前半のレベルの高い優作であることを、今更ながらに納得させられました。



【修理修復で全身の後補古色が除かれ、檀像様の姿を実感~グッと増した迫力】


実は、この御開帳で、千手観音像の姿を観て、雰囲気が随分変わっていたのに、驚かされました。

2011年に東京国立博物館で展示された時には、全身が、チョコレート色というか黒褐色で覆われていました。
2016年度に、美術院国宝修理所で修理修復が行われ、黒褐色の後補古色が取り除かれ、制作当初の素地像の姿に戻されました。

こんなにもイメージが変わるのかなと、ビックリです。
東博で観た印象に比べて、厳しさ、生々しさが前面に出てきて、グッと迫力が増したように感じました。
今回の拝観で、制作当初の檀像風の姿を、しっかりと実感することが出来ました。

眼の白目、黒目が彩色されているのにちょっと違和感を覚えましたが、後補古色を取り除くと、今の彩色が現れたのだそうで、当初から眼球が描かれていたそうです。
また、肉身は当初の木肌、木目が現れているのに、衣の部分がそうではないのは、これ以上除去すると当初部分を痛める恐れがあったので、ここまでに留めたからということです。



【桓武天皇時代の、渡来新様檀像系仏像の系譜の仏像か?】


この大賀島寺の千手観音像の造形をじっくり見れば見るほど、桓武天皇時代とか長岡京時代の制作かと云われている、一連の檀像風一木彫像のことが、思い浮かびます。

宝菩提院の菩薩踏下坐像、道明寺の十一面観音像、高槻・廣智寺の菩薩立像などといった仏像です。

宝菩提院・菩薩踏下坐像(国宝).道明寺・十一面観音像(国宝)
(左)宝菩提院・菩薩踏下坐像(国宝)、(右)道明寺・十一面観音像(国宝)

大阪府高槻市 廣智寺・菩薩像(府指定文化財)
大阪府高槻市 廣智寺・菩薩像(府指定文化財)

「エキゾティックで下膨れな顔貌、ヌメッとねっとりとした肌合い、粘りのある彫技の冴えを誇るような深く抉った衣文」

といったものに、相通じる空気感を感じるものがあるのです。

これらの仏像は、中国渡来系の仏工の作か?と思わせるような独特の風があり、このタイプの空気感の彫像は、この一時期にだけ見られるように思うのです。
桓武天皇、長岡京時代前後あたりに、徒花のように咲いた、一連の檀像系仏像と云うような気がしています。
桓武天皇は、土師氏、紀氏などとの血縁が強く、また旧来の奈良仏教と距離を置いたといわれています。

私は、
「桓武天皇と土師氏、紀氏というトライアングルに関わりそうな仏像に、唐風渡来新様の色濃い像が多いのではないか?」
と、感じているのですが、大賀島寺像も、そうした仏像の延長線にあるのではないかという気もしてきました。
(大賀島寺像は、瞳に石などを嵌入せず、彩色で表す点は異なるのですが・・・・・・・)

それにしても、そんな仏像が、吉備地方に何故か遺されているというのは、大変興味深い処です。



【平安初期優作の大発見となった大賀島寺・千手観音像
~2003年、浅井和春氏が紹介論考を発表】

さて、大賀島寺の千手観音像、

「近年発見され大注目となった」

と、ご紹介しましたが、その発見の経緯などを、ちょっと振り返っておきたいと思います。

本像の存在が、研究誌ではじめて紹介されたのは、今から15年前、2003年のことでした。
仏教芸術267号に掲載された、浅井和春氏の 「岡山・大賀島寺の本尊千手観音立像とその周辺」 という論考です。
浅井氏自身も、平安初期の優作仏像の発見は、大変な驚きであったようで、論考の冒頭、このように綴っています。

「『とてつもない像』の出現である。

例の如く武田和昭さんからのご一報により、私が岡山・大賀島寺の千手観音像の存在を知ったのは、昨年(2002)10月末のことである。
受話器のむこうの武田さんは、まさに「息せき切って」の形容がピッタリの興奮状態にあった。
数日後、御仏の写真が届き、それを見た私も唯々唸るのみ。思いもかけずその出会いの場に遭遇した武田さんの驚嘆たるや、想像に難くない。

それほどに本像は、鋭く流麗な彫技を全体に駆使した稀有の作品に他ならなかった。
『すぐ来て下さい』とおっしゃる武田さんの熱意にうながされ、ようやく本像を拝する機会を得たのは11月23日。
・・・・・・・・
本像は、安住院像と同様、平安時代の劈頭に製作され、かつ同じ備前地域に特有の『報恩大師』伝説に彩られた一木造の名作であった。」
(2003年3月刊、仏教芸術267号)


想定外の平安初期一木彫像の優作の大発見への、驚きと興奮が、活き活きと手に取るようです。



【最初の発見者は武田和昭氏~「吉備の知られざる世界」出版企画で撮影同行時】


この文章のとおり、厳重秘仏、大賀島寺・千手観音像の最初の発見者は、武田和昭氏ということになります。
武田氏は、香川県在住、お寺の住職を務める仏像研究家で、「讃岐の仏像(上下)」「瀬戸内の金銅仏」といった著作で知られている仁です。

武田氏は、吉備の隠れた文化財を紹介する「吉備の知られざる世界」という本の出版企画で、大賀島寺の写真撮影に同行した際に、この秘仏・千手観音像を見て、平安初期9世紀の制作像に違いないと判断、浅井和春氏に「息せき切って」発見連絡したということのようです。

「吉備の知られざる世界」は、2002年12月に石本均志著・写真で、吉備人出版から刊行されました。

「吉備の知られざる世界」石本均志著・写真(吉備人出版2002刊)

「吉備の知られざる世界」に掲載された大賀島寺・千手観音像の写真、解説
「吉備の知られざる世界」石本均志著・写真(吉備人出版2002刊)
掲載された大賀島寺・千手観音像の写真、解説


武田和昭氏が解説を執筆、
「制作は平安時代初期、九世紀初期ころの作と考えられ、岡山県下では木造の仏像では確認されるなかでは最古とみられる。」
と、述べられています。

本書に掲載された写真が、大賀島寺・千手観音像の姿が世に知られた、最初のことなのではないかと思います。
石本均志氏撮影による、見事な千手のシルエット、雄渾な立ち姿の、魅惑的なカラー写真が掲載されています。



【2011年に重文指定~厳重秘仏が2週間限り、東博で展示】


このようにして、「平安前期の一木彫像の大発見」として、大注目を浴びた大賀島寺・千手観音像は、「9世紀前半の優作像」と認められ、2011年に、国の重要文化財に指定されたのでした。

市指定文化財から、県指定を経ずに、一気に国の重文指定に行ったったとという話です。

そして、33年に一度の開扉の厳重秘仏として守られていた本像が、2週間に限って、東京国立博物館の新指定文化財展に出展されることになったのでした。



【やっぱり、出かけてきて良かったご開帳】


大賀島寺の千手観音像に再会することが出来、そのほれぼれする姿に見入っているうちに、ずいぶん時間が経ってしまいました。
そろそろ帰路につかねばなりません。

次の開扉は、33年後ということです。
「この仏様の姿を、もう一度拝することは、私にはもうないのだな!」
と、後ろ髪をひかれる思いです。


この仏像が最後の観仏になった、長年同好の友、故高見徹さんに想いを致し、本尊千手観音像に、もう一度、手を掌わせました。

「やっぱり、思い切って、この御開帳に出かけてきて、本当に良かった。」

そんな心持に浸りながら、まだまだ参詣の人で賑わう、大賀島寺を後にしました。


あれこれ~新連載「仏像をみる眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって」がスタートします  【2018.11.3】


近代仏像評価の変遷・タイトルページ


神奈川仏教文化研究所HP  「古仏愛好」ページで、

「仏像をみる眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって」

連載 第1回  【はじめに】


と題した連載を、新たにスタートさせていただくこととしました。


仏像が、「美術作品」「仏像彫刻」として観られるようになったのは、明治時代半ば頃のようです。
それから現代までの百年数十年の間に、優れた彫刻作品として評価された仏像が、どのように変遷していったかをたどってみようとする話です。

「近代仏像評価変遷史をたどる試み」  とでも云って良いのかもしれません。



最近「仏像と日本人-宗教と美の近現代」という本が、出版されました。

「仏像と日本人~宗教と美の近現代」 碧海寿広著 2018年7月 中公新書刊 


仏像と日本人

「近代仏像鑑賞概史」とも云える本で、大変興味深く読みました。

この本、いろいろな書評に採り上げられるなど話題を呼び、結構、売れ行きもよいようです。

明治維新以降、現代にいたるまで、近代日本における「仏像鑑賞の有様、移り変わり」を、文化財保護にかかわった人、仏像鑑賞する教養人、仏像写真家などからたどっていった本です。

岡倉天心、和辻哲郎、亀井勝一郎、土門拳、入江泰吉、白洲正子、みうらじゅんなど、時代時代に「仏像を観た人」が、どのような視点や感性で仏像を鑑賞したのかが論じられています。
これらの人たちが、「美術作品としての仏像」と「信仰の対象としての仏像」をどのような眼で捉え、どのような態度で接していったのかをたどることによって、美術と宗教のあいだで揺れ動く近代の仏像鑑賞の諸相が論じられています。


私も、明治以降の近代における古寺や仏像にまつわる話は、従来から関心が強いテーマです。

これまでも、
文化財保存の話、仏像修理・模造の話、仏像写真家の話、仏像新発見や盗難の話
などを「神奈川仏教文化研究所HP」・「観仏日々帖」などで、ご紹介してきたことがあります。

実は、一番興味があった話は

「明治以降、近代の仏像の評価は、どのようにうつろい、変遷していったのだろうか?」

というテーマでした。

現在、人気NO1の興福寺・阿修羅像は、明治時代にはほとんど評価されていなかったようですし、広隆寺の宝冠弥勒菩薩像もそのようです。
神護寺薬師如来像に代表される平安初期一木彫も、現在は、高い評価でその魅力が語られますが、明治大正期の評価は随分違ったものであったようです。
仏像の評価も時代と共にうつろっており、評価観、美のモノサシも時代々々の思潮、時代精神に大きく影響されているようです。

いわば「近代仏像評価変遷史」とでもいうものをたどってみるというのも、大変興味深いのではないだろうかと思い、このテーマについて、少しずつ調べてみたりしていました。

以前、「観仏日々帖」に、
「明治時代の美術史書にみる『仏像の評価』を振り返る」
と題して、明治時代の仏像評価の特質や変遷について、ふれさせていただいたこともあります。


「仏像と日本人~宗教と美の近現代」という本に触発された訳でもないのですが、丁度良い機会かと思い、思い切って、明治から現代までの仏像評価の変遷をたどる「近代仏像評価変遷史」を、

「仏像をみる眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって」

という連載に、まとめてみようという気になりました。


どんな話になりそうかということについては、「連載予定の目次」をまとめてみました。

近代仏像評価の変遷・目次


この目次、ご覧いただいて、如何でしょうか?
おおよそ、どんな内容の話になりそうなのかは、ご想像がつくのではないでしょうか。

かなりというか、相当にマニアックな話なので、皆さんのご関心があるのかどうか心持たないところですが、
「近代仏像評価の変遷と時代精神、思潮との関わり」
をたどっていくというのも、なかなか興味深いテーマなのではないかと思います。


実は、まとめるのに結構、手間と根気のいる作業でした。

20回以上の長い連載になり、資料やリストの羅列が続く、面白みの無い話が続きそうなのですが、辛抱してお付き合いいただければと思います。

トピックス~奈良時代の乾漆造・毘沙門天像が新発見(愛媛大洲市・如法寺)  〈奈良博で展示中〉  【2018.10.6】


【耳にした、奈良博に、さりげなく「新出の乾漆像が展示されている」という情報】


今年8月の、暑い盛りのことだったと思います。

仏像愛好の同好の人から、こんなメール連絡がありました。

「愛媛県大洲市の如法寺の毘沙門天像というのを知っていますか?
奈良時代・8世紀の木心乾漆像だということです。

奈良博の〈なら仏像館〉に行ったら、新出作品として展示されてました。

何も解説などが書かれていないので、これ以上のことは何もわかりません。
NET等で検索しても、何も出てきません。
かなりの出来で興味深いのですが、この仏像のこと、何か知っていますか?」

私も、「愛媛如法寺の毘沙門天像」など、聞いたこともなく、全くの初耳です。
何の情報もありませんでした。

確かに、奈良博〈なら仏像館・珠玉の仏たち〉の【展示目録】を見ると、第4室の処に、

「毘沙門天立像 1躯 奈良時代(8世紀) 愛媛 如法寺」

と掲載されています。

奈良国立博物館の展示目録(第4室)
奈良国立博物館の展示目録(第4室)

毘沙門天像の写真が何処にもなかったので、なんのイメージも沸いてこず、
「いまどき、奈良時代の乾漆像の新発見なんてあるのだろうか?
愛媛の地方のお寺に、乾漆造りの優品がのこされているなんて、ちょっと信じ難いように思うけれど・・・・」
というのが、率直なところで、
「いずれ秋口にでも奈良に出かけることがあったら、奈良博によって実物を見てみよう。」
と、心に留めたぐらいのことでした。



【10/1~奈良博が、「奈良時代の木心乾漆像を新発見」とプレス発表】


はたして、10月1日、奈良国立博物館は、

「愛媛県大洲市の如法寺が所蔵する毘沙門天像が、奈良時代の木心乾漆像であることがわかった。」

と、プレス発表したということです。

奈良時代の木心乾漆像と判明した、愛媛県大洲市・如法寺の毘沙門天像
奈良時代の木心乾漆像と判明した、愛媛県大洲市・如法寺の毘沙門天像

発表された毘沙門天像の写真を見てみると、

「これは、確かに間違いなく、奈良時代の木心乾漆像なんだろう。
かなり太づくりで、逞しくどっしりとした造形、なかなか魅力的なものがある。」

そのような印象を受けました。

奈良時代の乾漆像が新たに見つかるというのは、本当に珍しいというか、各地の仏像調査が進んだいまどき、「驚き!!」というしかありません。
それも、奈良ではなくて、愛媛の地方で発見というのは、まさにビックリです。



【マスコミ各社は、「愛媛の毘沙門天像、奈良時代の乾漆像と判明!」と報道~TVも新聞も】


マスコミ各社は、早速、「奈良時代の乾漆像、新発見!」を報道しました。

NHK NEWS WEB (NHK奈良放送局)は、

「愛媛の毘沙門天像は奈良時代の作」

というインデックスで、このように新発見ニュースを放送しました。

「愛媛県大洲市の寺にあった毘沙門天立像が、奈良時代に確立した技法でつくられた全国でも数少ないものだとわかり、奈良国立博物館は
『奈良時代の彫刻を研究するうえで貴重な資料だ』
としています。

この像は、愛媛県大洲市の如法寺に安置されていた高さおよそ30センチの『毘沙門天立像』です。

如法寺・毘沙門天像

如法寺・毘沙門天像
如法寺・毘沙門天像

寺には、大洲藩の藩士が江戸時代に、奈良県にある信貴山の僧から毘沙門天を得たという記述が残っていて、奈良国立博物館が、別の仏像の調査で偶然見つけ、CTスキャンなどを使い調査を行いました。

その結果、腰にまとった衣の様式やどっしりとした体つきなどから8世紀の奈良時代につくられたものと考えられるほか、漆と木くずなどを混ぜたものを木の芯に盛りつけて形づくる「木心乾漆造」という技法でつくられたものとわかりました。
奈良時代の『木心乾漆造』は全国でも数少なく、調査した奈良国立博物館の岩田茂樹上席研究員は、
『科学的な調査で詳しい製作技法もわかり、奈良時代の彫刻を研究するうえで貴重な資料だ』
と話しています。

この仏像は奈良国立博物館の「なら仏像館」で公開されています。」



奈良時代の木心乾漆像新発見を報ずる朝日新聞記事
奈良時代の木心乾漆像新発見
を報ずる朝日新聞記事
新聞各紙も、

「奈良時代の乾漆像と判明 愛媛の毘沙門天像」 (産経新聞WEST~2018.10.2付)

「愛媛で『木心乾漆造』仏像」 (読売ONLINE~2018.10.2付)

「愛媛の毘沙門天『木心乾漆』仏像~奈良期の技法 判明は異例」 (朝日新聞~2018.10.3付)

「愛媛・如法寺の毘沙門天立像 ~実はすごい!!と判明 8世紀、木心乾漆造 奈良博調査」 (毎日新聞~2018.10.2付)

といった見出しで、一斉に発見報道を掲載しました。



今回の発見について、各紙の報道内容などを参考に、簡単にまとめてみると、次のようなことかと思います。



【愛媛・如法寺の他の仏像調査の際、たまたま見つけられた毘沙門像】


この毘沙門天像は、2016年12月、奈良国立博物館の研究員の方が、如法寺が所蔵する別の仏像を調査するために訪れた際に、本堂厨子内に安置されているのを発見したそうです。
像高28センチの小さな像です。

如法寺には、鎌倉時代の県指定文化財の地蔵菩薩立像(建治2年・1276、法橋興慶作の足ホゾ銘)がありますので、この調査のためだったのかもしれません。



【CTスキャン調査などで、間違いなく奈良時代の木心乾漆像と判明】


この毘沙門天像を、奈良博でCTスキャンなどのX線透過撮影調査をしたところ、芯となる「心木」の周りに乾漆が数層重なっていることがわかりました。
3本の心木や金属心を使い、漆に木くずなどを混ぜた乾漆を盛りつけて造形しているようです。
いわゆる木心乾漆技法の仏像で、ふくよかな体形の特徴などから、奈良時代中期頃、8世紀半ば過ぎの作品とみられるそうです。

本像を調査した奈良博・岩田茂樹上席研究員は、

「造形がおもしろく、精彩に富んでいる。
これだけ構造と技法が分かった木心乾漆像は他にないだろう」
「小さい仏像だが歌舞伎役者のような躍動感がある」
「奈良時代の彫刻を研究するうえで貴重な資料だ」

このようなコメントをしていると、新聞報道されています。



【いまどき、考えられないほど珍しい、奈良時代木心乾漆像の新発見】


奈良時代の木心乾漆像が新たに発見されることが大変珍しいことであることはもちろん、愛媛県大洲市という地方で発見されたというのは、繰り返しになりますが、ちょっと考えられない大発見です。

奈良時代の木心乾漆技法による仏像は、全国で30件ほど程しかなく、そのほとんどは当時の都である奈良県内にあります。
聖林寺・十一面観音像、観音寺・十一面観音像、唐招提寺・千手観音像あたりが、最も有名どころの木心乾漆像です。

聖林寺・十一面観音像.観音寺・十一面観音像
(左)聖林寺・十一面観音像、(右)観音寺・十一面観音像

唐招提寺・千手観音像
唐招提寺・千手観音像



【どうして愛媛の地方のお寺に~元々の所在は、奈良方面のものか?】


その数少ない木心乾漆像が、奈良県ではなく、なんと愛媛県大洲市にあるお寺から見つかったというのです。
大洲市というのは、愛媛県の南西部、松山と宇和島との中間点あたりに位置します。

愛媛県大洲市の如法寺・本堂
愛媛県大洲市の如法寺・本堂

毘沙門天像の来歴については、如法寺に伝わる地誌「富士山志(とみすさんし)」に、このように記されているそうです。

「毘沙門天立像は、江戸時代に大洲藩士が奈良・信貴山で出会った僧侶から譲り受け、藩主の菩提寺である如法寺に寄進した。
南北朝時代の武将・楠木正成が身近に置いた念持仏だった。」

この記述がどこまで信拠すべきものであるかはわかりませんが、元々は奈良の地にあった仏像であるのは、確かなのかもしれません。
そうだとすると、この毘沙門天像が愛媛の地にあるのも納得、という処です。

元々、毘沙門天の独尊像であったのでしょうか?
四天王像のうちの多聞天像だけが残されたものでしょうか?
そこのところは、今では不明ということらしいですが、たくましく躍動感ある造形は、なかなか魅力的です。


この毘沙門天像は、現在も奈良国立博物館〈なら仏像館〉で展示されており、今後は、12月下旬まで展示予定だということです。

是非、機会を見つけて、一度は実見してみたいものです。



【近年、めったにない奈良時代以前の仏像新発見】


ところで、奈良時代以前の仏像の新発見というのは、全国の仏像調査がいきわたっている近年では、本当に珍しいことです。

私の覚えている限りの平成に入ってからの、奈良時代以前制作の仏像の新発見と云えば、

平成10年(1998)に発見された、三重県伊賀市・見徳寺の木造薬師如来像(1999年県指定文化財指定)

平成20年(2008)に発見された、高知県仁淀町・養花院の木造菩薩坐像(2010年重要文化財指定)

ぐらいでしょうか。

三重県伊賀市~見徳寺・薬師如来像.高知県仁淀町~養花院・菩薩坐像
(左)三重県伊賀市~見徳寺・薬師如来像、(右)高知県仁淀町~養花院・菩薩坐像

見徳寺・薬師如来像は、白鳳時代の童顔童形タイプの木彫像の発見でした。
養花院・菩薩坐像は唐招提寺木彫群の作風に通じる奈良時代檀像の発見でした。


たまたまですが、丁度、10年に一度の新発見となっています。

こうしてみても、今回の奈良時代の木心乾漆像の新発見は、仏像愛好者にとってみれば、なんともビックリのニュースでした。


あれこれ~中国石窟探訪旅行記 「中国 四川省 古仏探訪の旅」 連載スタート  【2018.8.25】


沼田保男氏の、中国石窟・石仏探訪旅行記の第4弾、

「中国 四川省 古仏探訪の旅」

の連載が、 神奈川仏教文化研究所HP でスタートします。


中国 四川省 古仏探訪の旅


毎週、全9回連載で掲載させていただきます。


前回掲載の第3弾「中国河北省・山東省の古仏を訪ねて」から、ほぼ3年ぶりの中国仏像旅行記となります。

沼田氏の、並大抵ではないマニアックな中国仏像石窟の探訪、踏破ぶりは、これまで掲載の中国石窟旅行記をご覧いただいても、お判りのとおりと思います。
今回の「四川省 古仏探訪の旅」は、それに輪をかけてという感じの、普通ではなかなか訪ねるのが難しい石窟寺の数々を訪ねます。

四川省の石窟とか仏像といわれても、皆さん、余りなじみがないのではないでしょうか?

私などは、四川方面といわれると、大足石刻、楽山大仏という巨大石仏、成都万仏寺出土の石仏といった名前を、かろうじて知っているというぐらいです。


沼田氏の今回の四川方面探訪は、四川博物院で開催された大規模仏像展「梵天東土展」を観ることも、大きな目的であったということですが、

石窟寺などは、

「皇澤寺、広元千仏崖、巴中南・西龕、閬中大仏、碧水寺摩崖仏、梓潼千仏崖、蒲江飛仙閣」

といったところを巡っています。

唐代を中心とした北魏時代からの石仏龕ということですが、私には、全く聞いたこともないところばかりです。

余程のツァーでも、まず訪れることはない処だと思います。
旅程を段取りして、スケジュール予約するのも、マニアックすぎて難しかったようです。


沼田氏自身も、探訪記の中で、

「四川省でもメインの観光地から離れたほとんど人の行かない地であったにもかかわらず、往復のフライトと初日の宿のみ予約し、その後はまさに“出たとこ勝負”という信じ難い旅であった。」

と、綴られています。

地元のタクシーでも、場所が判らないといったことも、折々あったようです。
こうした誰も訪れないような石窟寺を巡れることが出来たのは、事前のターゲット・リサーチと、中国在住のご友人と共にごく少人数で巡った旅であったからこそと思います。


四川地域の石窟、仏像については、近年になって、注目を浴びてきているようです。

ご存知の通り、四川地域は、中国南北朝時代では南朝エリアにあります。
仏像遺品が豊富な北朝に比べ、極端に遺品が少ない南朝にあって、近代になって四川地域から相次いで石仏遺品が出土していることが、「仏像様式の南北議論」を活発にしているようです。
しかしながら、四川地域の仏像は、単純に南朝様式文化エリアという訳ではなく、唐代に至るまで、多様なルートでの文化伝播ルートが想定されるなど、中国仏教彫刻愛好家にとっては、大変興味深い処のようです。

一方で、四川地域の仏像について採り上げて論じたりする本も、ほとんどなくて、私の知っている限りでは、

「仏教美術から見た四川地域」 (奈良美術研究所編、2007年・雄山閣刊)

ぐらいしか、無いように思います。

今回の探訪記に綴られた、諸々の石仏についての鑑賞記や写真画像なども、これまでの日本の中国彫刻についての出版物では、ほとんど採り上げられていないのではないでしょうか。


「四川省 古仏探訪の旅」をご覧いただいて、「知られざる四川地域の古仏像」について知っていただくと共に、沼田氏ならではの深い造詣で綴られた旅行記を、是非、お愉しみいただければと思います。



これまで掲載させていただいた、沼田保男氏の中国石窟旅行記は、次のとおりです。
併せて、お愉しみいただければと存じます。


中国山西省 雲岡石窟・古寺・古仏 感動の旅  (2010年) 

黄河上流域 遥かなる石窟の旅   (2011年)

中国河北省・山東省の古仏を訪ねて   (2015年)



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